ラーガなレッド・ツェッペリン〜1972年ボンベイ・セッション
2014年6月にはじまり2015年7月に完結した、レッド・ツェッペリンの新しいリマスター盤プロジェクト。熱心なツェッペリン・ファンの僕だから全部買ったけれど、従来盤の新リマスターに関しては別にどうってことないというか、確かに音質が違うんだけど、ここ一年くらいの僕は、音質というものがはっきり言ってどうでもよくなってきているし、作品によっては従来盤と左右のミックスが逆だったりして残念。
だから従来盤に関しては一・二度聴いたきりでその後は全く聴直していない。やはりこのプロジェクトの目玉は、制作側が「コンパニオン・ディスク」と呼ぶボーナス・ディスクだね。しかしそれも、ファースト・アルバムのそれが1969年10月のパリ・ライヴを収録していたこと以外は、面白くないような。
『II』から『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』までは、ほぼ全部オリジナル・アルバム収録曲のラフ・ミックスだとかオルタネイト・ミックスだとかそんなのばっかりで、そうじゃない完全なる未発表曲は、『II』に一曲、『III』に二曲、『プレゼンス』に一曲と、たったそれだけなんだよね。
でも1990年にリマスター・ボックス四枚組が出て、これはジミー・ペイジ自らが手がけた、CDとしては初めてマトモな音質で出たものだったんだけど、これに数曲未発表曲が入っていた時のインタヴューで、「もうスタジオ録音では未発表のものは残っていない」と発言していたから、多少はマシなんだろう。
ところが、これが『コーダ』のコンパニオン・ディスクだけ、かなり様相が異なっているんだよね。特にコンパニオン・ディスク二枚目の最初の二曲が面白すぎる。コンパニオン・ディスクが二枚も付いているのは『コーダ』だけで、しかし一枚目はやはり従来曲のミックス違いとかだから、あまり面白くない。
それが二枚目冒頭の二曲「フォー・ハンズ」と「フレンズ」だけが、どうしてこんなのがあったんだろうと思うくらい、メチャメチャ面白い。それぞれ「フォー・スティックス」(四枚目)と「フレンズ」(『III』)なんだけど、多分これらにツェッペリンのメンバーはほぼ参加していない。
どっちも<ボンベイ・オーケストラ>とクレジットされていて、その名の通りインドはボンベイで1972年10月19日に録音されたものとのクレジットがある。でもそれ以外は全くなにも書かれていないし、ネットで調べても詳しい情報が見つからないんだけど、これ、完全なるワールド・ミュージックだ。
音源を貼っておこう。既にYouTubeに上がってはいたが、それはおそらくブートからだろう、あまりに音質がショボすぎたので、公式盤から自分で上げた。
お聴きなれば分る通り、「フォー・ハンズ」は完全にボンベイ・オーケストラだけによるインストルメンタル演奏で、ツェッペリンのメンバーが出す音は全く聞えない。「フレンズ」ではアクースティック・ギターが聞えるから、それはおそらくジミー・ペイジで、ロバート・プラントのヴォーカルもあるよね。
クレジットされているボンベイ・オーケストラというのが一体どういう存在なのか、誰がどの楽器を担当しているかとか、CDブックレットに全く書かれておらず、ネットで調べてもほぼ何の情報もないので、実際の音しか聴けないわけだけど、これホントなんなんだろうなあ?1972年なら四枚目リリースと『聖なる館』の間。
ボンベイとはもちろん1972年当時の名称で、現在の公式名称(と言っても極右政党主導によるものだけど)はムンバイ。”Bombay Orchestra” でGoogle検索してみたら、こういうページが見つかった→ http://www.hindustantimes.com/music/when-led-zeppelin-recorded-in-mumbai-and-rocked-a-colaba-nightclub/story-wNMGJXQESp4H0yJzeUi6vN.html これが僕の調べた限りでは、おそらくこの件に関して一番詳しい。
このページの記述に拠れば、ペイジとプラントは1971〜72年の間に少なくとも四回ムンバイを訪れているらしいが、面白いことになったのは72年の二回、三月と十月のムンバイ訪問らしい。その時は、現地でインド人ミュージシャンとスタジオで共演録音し、現地のクラブで演奏もしたらしい。公式盤クレジットでは十月録音になっているけれど、三月との説もあるようだ。
『コーダ』コンパニオン・ディスク二枚目に入っている「フレンズ」と「フォー・スティックス」だけだったのか、あるいは他のツェッペリン・ナンバーもやったのか分らないけれど、おそらくその二曲だけだったんじゃないかなあ。だって1972年なら、そういうフィーリングを持っているのはこの二曲くらいしかない。
前述ページの記述に拠れば、いろいろと録音したらしいそういうインド人ミュージシャンとの共演によるものがブートレグでは出ているらしく、なかには31分にもわたる「フレンズ」のヴァージョンもあるらしいので、ちょっと聴いてみたいなあ。
と思ってYouTubeで探したら、こういう音源が上がっている→ https://www.youtube.com/watch?v=1-zVB4KdnP8 これを聴くと、やはり「フレンズ」と「フォー・スティックス」のいろんなヴァージョンがあるだけだなあ。これが全貌なんだろうか?しかもこれの記述では三月となっているしなあ。
『コーダ』のコンパニオン・ディスクに入っている「フォー・ハンズ」も「フレンズ」も、五分ない程度の長さで、凄く面白いからあっと言う間に終ってしまって、もっともっと聴きたいという気分になってしまう。長いものがあるのだとか、他の曲も録音された/されないに関わらず、そういうのを出してくれ、ペイジさん。
前述ページには、ペイジやプラントと共演録音したインド人ミュージシャンの名前と担当楽器も(一部)記載されていて、しかも録音したスタジオはムンバイのフェロゼシャー・メータ・ロードにあるEMI・レコーディング・スタジオだということだ。どこまで信用できる情報なのか分らないんだけれど。
そのあたりを公式盤でちゃんと全部書いておいてくれたら助かったんだけどなあ。あるいは将来、いまだ公式には未発表のボンベイ録音(何曲あるのか?)も含め、その辺ちゃんと全部クレジットした上で全曲出してくれたりするんだろうか?ペイジさんも、もうあと20年も生きていないと思うんだけど。
ご存知の通り、ツェッペリンのワールド・ミュージック指向が本格化するのは1975年の『フィジカル・グラフィティ』からだけど、もちろん69年のファースト・アルバムから「ブラック・マウンテン・サイド」などはっきりとそういう傾向はあったし、70年の『III』には「フレンズ」があったわけで。
もちろん次作の四枚目にも「フォー・スティックス」があって、それら「フレンズ」と「フォー・スティクス」は、ペイジ&プラント名義による1994年『ノー・クォーター』で、「カシミール」とともに、エジプト人ミュージシャンを本格起用して、明確なワールド指向で再演しているのは、ご存知の通り。
しかしそういうのは、元からそういうフィーリングを湛えた曲であったとはいえ、やはり1994年のユニットでの新アレンジ、大幅な拡大解釈による新たなる試みなんだと、僕は当時から最近まで思っていたわけだ。ところが72年に既にこんなインド人音楽家との共演があったとはね。
こうなると、前も書いた通り(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fc0f.html)、レッド・ツェッペリンというか、ジミー・ペイジとロバート・プラントを、単なるブルーズ・ルーツのハード・ロックの音楽家だとだけ呼ぶのが適切なのか、疑わしくなってくるよね。ワールド指向が強烈にあるじゃないか。
特にジミー・ペイジは、ツェッペリン結成前のヤードバーズ時代から「ホワイト・サマー」みたいな曲をやっているし(これはツェッペリン結成直後もライヴではやっている)、そもそもジョージ・ハリスンよりも早くシタールを入手して弾いていたという話だし、早くからインド〜アラブ指向のあった音楽家だ。
それがツェッペリン結成当時は、ジョン・ボーナムの強烈なドラミングとロバート・プラントのメタリックな高音シャウトのおかげでハード・ロック路線で行くと決めて、初期のアルバムやライヴはほぼそれ一本槍(でもないのだが)なわけだけど、どうもこれは考えを改めるべき時期に来ているのかもしれないね。
そういうわけだから、ツェッペリンの『コーダ』三枚組デラックス・エディションをまだお聴きでない方は、是非買って聴いていただきたい。そしてジミー・ペイジさんには、1972年ボンベイ(ムンバイ)・セッションの全貌を、是非とも一刻も早く公式に詳らかにするように強くお願いする次第だ。
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