マイルスの「ウォーターメロン・マン」
ハービー・ハンコックのファンキー極まりないオリジナル曲「ウォーターメロン・マン」。ハービー自身による1962年のオリジナル以外にも、70年代に彼自身がファンク化して何度も再演しているし、モンゴ・サンタマリアによるカヴァーは有名だろう。
「ウォーターメロン・マン」をカヴァーした数多くのミュージシャンのうち、モンゴ・サンタマリアのヴァージョンは間違いなく一番有名。彼自身お気に入りのナンバーで、上に音源を貼った1962年の初カヴァー以後も、何度も再演している。その他、この曲は一説に拠れば200個以上のカヴァーがあるらしい。
そして、案外知られていないのではないかと思うのが、1991年のマイルス・デイヴィスによるカヴァーだ。同年7月10日のパリにおけるライヴで、これはマイルスが亡くなる二ヶ月前の、ファンの間では有名な同窓会セッション・ライヴ。
貼った音源をお聴きになれば分る通り、マイルスがテーマ・メロディを吹いているのではなく、ハービー・ハンコック自身がシンセサイザーで参加していて、彼とバンド(マイルスの当時のレギュラー・バック・バンド)がテーマを演奏する上で、マイルスは自由に吹き転がっている。1987年頃からのライヴでは、自分のバンドでもいつもこんな感じだった。
なんたって、テーマ・メロディに入るキューになっているリッキー・ウェルマンによるスネア三発が心地いいし、テーマ演奏後は、マイルスのハーマン・ミュート・トランペットの音をサンプリングしたハービーによるシンセサイザー演奏が、マイルス本人のハーマン・ミュート・プレイと絡むという面白い内容。
1991年の時点でのマイルスがやっても、こんな感じで活き活きとしたファンク・ナンバーに仕上るというのが、「ウォーターメロン・マン」という曲の素晴しさだ。マイルスはこの年のはじめに、イージー・モー・ビーとタッグを組んだヒップホップ・アルバム『ドゥー・バップ』(の一部)を録音している。
『ドゥー・バップ』は、1991年の制作途中でマイルスが死んでしまったために、残っていた過去音源、ファンの間で<ラバー・バンド・セッション>と呼ばれる85年の音源から、イージー・モー・ビーがピックアップして音をかぶせ、91年録音済の音源と併せ、翌92年6月にリリースされた遺作。
<遺作>といってもマイルスの生前にリリースされたものではなく、生前最後の作品は以前書いた通り、ミッシェル・ルグランと組んだ映画『ディンゴ』のサウンドトラック盤で、僕らマイルス・ファンの間では、こんなものがあのマイルスの遺作になってしまうのかと、相当ガッカリしていたような記憶がある。
だから翌年に『ドゥー・バップ』が出て、これがマイルスの(スタジオ録音では)ディスコグラフィーのラストを飾るようになったのは、嬉しかったわけだ。このヒップホップ風なアルバムは、なかなか面白い作品だよねえ。マイルスがあと数年生きていたら、本格的なヒップホップをやっていたはずだよ。
なお、イージー・モー・ビーが素材にした、俗に言う<ラバー・バンド・セッション>。1985年のワーナー録音なのだが、いまだに公式には全貌が明らかになっていないというかリリースされていない。マイルスがバンド形式でやった録音では、ワーナー期のベストじゃないかと思うのに、なぜ出さないんだ?
ともかく1991年7月10日のパリでの同窓会セッション・ライヴは、そんな最晩年の録音で、しかも「オレは絶対に過去を振返らない」などと前々からしばしば口にしていた(が前々から実はそんなことはない)マイルスが、死の二ヶ月前に、過去に共演したサイドメンを大勢呼んで、過去の曲を再演したもの。
だから、このライヴは当時かなりの話題になっていた。音源がブートでリリースされる前から、雑誌等で取りあげられていた。なんたってジャッキー・マクリーン参加の「ディグ」や、チック・コリアとデイヴ・ホランド参加の「オール・ブルーズ」や、ウェイン・ショーター参加の「フットプリンツ」とか。
マイルス自身も1981年の復帰後は、完全に生トランペットだし、そういう過去曲で共演の過去のサイドメン達も、ほぼ全員アクースティック・サウンドだし。正直言うと、そういう「ディグ」「イン・ア・サイレント・ウェイ」「オール・ブルーズ」「フットプリンツ」などは、あまり面白いとは思えない。
あのマイルスが過去の(特に「ディグ」なんか1951年)曲を過去のサイドメンを大勢呼んで再演したという、その事実そのもの以外に、これといった意義は見出せないような気がする。演奏自体も大したことはないし、マイルス自身が過去に録音した名ヴァージョンとは比べることすらできないだろう。
しかし、僕が聴く限りでは、先に音源を貼ったハービー・ハンコック客演の「ウォーターメロン・マン」だけは、ちょっと面白いように思うんだなあ。この曲は再演ではなく、僕の知る限りではマイルスは初演のはず。マイルスだって、もちろんハービーのオリジナルも、モンゴ・サンタマリアのも聴いてはいたはずだけど。
特にモンゴ・サンタマリアには、マイルスは注目していたらしく、このバンドで演奏するいろんなジャズ系ミュージシャンの演奏も、なかには気に入った人もいたようだ。1974年にマイルス・バンドにレギュラー参加するサックス&フルートのソニー・フォーチュンも、モンゴ・サンタマリアのバンドから引抜いた人だった。
さらに1970年代にハービーがやっていたファンク・ヴァージョンの「ウォーターメロン・マン」もマイルスは聴いていて、ハービー以外にも、チック・コリアとかウェザー・リポートとか、インタヴューなどでしばしば名前が挙っている。特に独立後のチックの音楽が気に入っていると発言したこともある。
だから、1991年7月にハービー参加で「ウォーターメロン・マン」をやるのは、別に不思議でもなんでもないだろう。でも当のマイルス本人が演奏するヴァージョンは全く存在しなかったので、僕などには新鮮だった。ハーマン・ミュートの音をサンプリングしているハービーは遊んでいるんだろうけど。
まあ遊んでいるというかふざけているというか。でもハービーは、アクースティックなジャズをやる時もいいけれど、どう聴いても電気・電子楽器でファンクを演奏する時の方が、僕ははるかに好きだし魅力的だと思うんだよね。だから1970年代のマイルスがチックが一番好きと言ったのは、僕にはやや意外だった。
「ウォーターメロン・マン」以外で、過去曲を過去のサイドメン客演でやったものでは、ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターのゲスト参加でやる「イン・ア・サイレント・ウェイ」〜「イッツ・アバウト・タイム」がまあまあじゃないかなあ。前者ではマイルスは全く吹いていないけれどね。
それら以外は、「パーフェクト・ウェイ」「ニュー・ブルーズ」「ヒューマン・ネイチャー」「リンクル」など、当時のマイルスのレギュラー・バンドによるレパートリーで、それらは可もなく不可もなくといった出来だ。唯一、プリンスがマイルスに提供した「ペネトレイション」が面白いけど、それはまた別の機会に、プリンスとの関係を含め詳しく書くつもり。
この1991/7/10、パリでの同窓会セッション・ライヴ。『ブラック・デヴィル』という二枚組ブートCDになっていて、またブートDVDも出ている。音も映像もワーナーが公式収録したのだが、現在に至るまで公式には全くリリースされていない。
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