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2016/02/25

ファンクに向いつつあったジミヘン

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ジミ・ヘンドリクスを初めて知ったのは、1980年のギル・エヴァンス『ライヴ・アット・ザ・パブリック・シアター』に収録されていた「アップ・フロム・ザ・スカイズ」で、コンポーザーとしてだったということは、以前書いた。ジミヘン自身のレコードを買ったのは、その二年後か三年後くらいだったはず。

 

 

最初に買ったジミヘンのレコードが『ザ・クライ・オヴ・ラヴ』と『ザ・ジミ・ヘンドリクス・コンサーツ』だったとことだけはよく憶えている。どっちもジャケ買いだったんだろう。どうしてそれらを買おうと思ったのかは憶えていないけど、知識が殆どなかったので、ジャケ買いしかなかったはず。

 

 

その二つ、タイトルも朦になっていたけれど、ジャケットははっきり憶えていたので、画像検索してようやくなんというアルバムだったのか判明したという次第。『ザ・クライ・オヴ・ラヴ』は1971年、『ザ・ジミ・ヘンドリクス・コンサーツ』の方は82年リリースになっている。

 

 

つまり、どっちもジミヘン没後のリリース。『ザ・クライ・オヴ・ラヴ』はスタジオ録音の最後の方のもので、こっちは内容はあまり印象に残っていない。ジミヘン最後期のスタジオ録音は、当時はバラバラにいろんな形で出ていたらしく、このアルバムも印象が薄かったのは仕方がないみたい。

 

 

このアルバムの収録曲は、1997年に『ファースト・レイズ・オヴ・ザ・ニュー・ライジング・サン』CDにきちんとまとめられたわけで、おそらくこのCDアルバムが、ジミヘン最後のスタジオ・アルバム(として取組んでいた録音群)を、初めてちゃんとした形でリリースしたものだったんだろう。

 

 

ただ、『ザ・クライ・オヴ・ラヴ』でも憶えているものもあって、曲名は忘れたんだけど(今調べたら、多分「マイ・フレンド」だなあ、とにかくA面ラストの曲)、曲の最後にフェイド・アウトする直前に、ボブ・ディランの「ブロウイン・イン・ザ・ウィンド」を誰かが口ずさんでいるのが、妙に印象に残っている。

 

 

というのも、ジミヘンの歌い方を聴いていると、これはまるでボブ・ディランそっくりじゃないかと思ったからだった。後年、ジミヘンがディランからの影響をはっきりと告白しているインタヴューかなんかを読んだけど、当時は歌だけ聴いてそう思っていたわけだった。みんな同じように思っていたはずだ。

 

 

その頃は、ジミヘンがディランの「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」をカヴァーしているのは知らなかった。 数年後にこの『エレクトリック・レディランド』二枚組LPも買って聴いて、この曲というより、アルバム全体に衝撃を受けたのだった。

 

 

 

ディラン風の歌い方といえば、ジミヘンだけでなく、その二年後に初めて聴いたプリンスのレコードである『パープル・レイン』ラストのタイトル・ナンバーでも、そんな風な歌い方が出てくるよねえ。プリンスが直接ディランを意識したのか、それともジミヘン経由だったのかは、今でもよく分らないけど。

 

 

その翌年、例の「ウィ・アー・ザ・ワールド」にディランが参加していて、ディラン風歌唱法という意味では、あれのメイキング・ヴィデオが面白かった。というのも、ディランはどう歌ったらいいのか分らず、スティーヴィー・ワンダーがディラン本人に、ディラン風の歌い方をやって聴かせ教えるという場面があるのだ。

 

 

だいたいボブ・ディランという人は、自分の曲じゃないと、どう歌ったらいいのか分らなくなる人らしい。いや、自分の曲だって、1994/95年にローリング・ストーンズが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をカヴァーしていた頃、この曲をライヴ共演したディランは歌い方が分らず、ミックやキースに聞いたらしいよ。キースは「知るかそんなの、アンタの曲だぞ」と言ったとか。

 

 

そういうエピソードはともかく、ジミヘンの歌い方がディランに大きな影響を受けたものだということは、本人の言葉を借りなくても、聴けば誰でも分ることだ。影響というよりジミヘンは最初からああいった歌い方だったらしく、それに自信がなかったけど、ディランを聴いてこれでいいんだと思ったようだ。

 

 

余談だけど、ディランの歌い方は、一昨年83歳で死んだ僕の父親もなぜだか知っていて、テレビの歌番組でぶっきらぼうで投げやりな歌い方をする日本人歌手が出てくると、「ディランみたいだな」と言っていたことがあった。父親は自分ではディランのレコードなんか買ったことはなかったはずなのに。

 

 

そういう風なことを当時考えさせてくれたり、今でもいろいろと思い出させてくれたりはするけど、それ以外は『ザ・クライ・オヴ・ラヴ』のことはサッパリ憶えていない。それに比べると、二枚組ライヴ盤の『ザ・ジミ・ヘンドリクス・コンサーツ』の方は内容も良かった。

 

 

CD化されているのかもチェックしていないんだけど、この二枚組ライヴ盤は、いろんな場所・時期のライヴ音源を寄せ集めたものだったようだ。このアルバムでは、ジミヘンの歌い方より、ギター演奏の方に耳が行った。その中でも、「レッド・ハウス」と「ヴードゥー・チャイル」が良かったような記憶がある。

 

 

「ヴードゥー・チャイル」の方は、ギル・エヴァンスのスタジオ録音によるジミヘン集で聴いていた曲だったけど、それはチューバがメロディを吹くというとんでもないアレンジだったし、曲の面白さはイマイチ分りにくかった。その二枚組ライヴ盤での「ヴードゥー・チャイル」で、ワウを初めて聴いたかもしれない。

 

 

いや、待てよ、ロック好きの弟が買ってきていたクリームの『ウィールズ・オヴ・ファイア』に入っていた「ホワイト・ルーム」を聴いた方が先だったか。あれもワウの使い方が印象的な曲。ジミヘンとどっちを先に聴いたのか、分らなくなっちゃったなあ。ファズについては、レッド・ツェッペリンその他で馴染んでいた。

 

 

ツェッペリンの方を先に聴いていたから、僕はエレキ・ギターの音とはこういうものかと思っていたわけだなあ。だからジミヘンのファズには、特になんの感想もなかった。それにマイルスの『アガルタ』『パンゲア』で弾くピート・コージーが大好きで、あれではファズを目一杯深くかけて弾いていたからねえ。

 

 

今考えたら、『アガルタ』や『パンゲア』などは、ある意味ジミヘン・ミュージックの延長線上に成立したようなものだったわけだ。でも僕はマイルスの方を先に聴いていたわけだから、その辺の影響関係というか系譜というか順番がグチャグチャに混乱していて、整理されてきたのはだいぶ後になってのこと。

 

 

ただ、ピート・コージーとジミヘンに関しては、ジミヘンの方がコージーの尻を追いかけ回していたという、マイルスの言葉もあるけど、本当のところは全く知らない。生れはジミヘンの方が一年だけ早いんだけど。

 

 

Pファンク関連で一番好きなアルバムである『マゴット・ブレイン』も、エディ・ヘイゼルはもろジミヘン系統のギタリストだったわけだし、彼の弾くギターだけでなく、そもそもPファンクだって、ジミヘン路線から拡大したようなファンク・ミュージックだった。そしてまたジミヘン自身もファンクに向いつつあった。

 

 

ファンクへ向いつつあったとかそういうことを、ジミヘン最後期のスタジオ録音をまとめた『ファースト・レイズ・オヴ・ザ・ニュー・ライジング・サン』とか、ラスト付近のライヴ音源を聴いていると感じるわけだけど、結局彼自身はそれを明確には示さずに死んでしまった。

 

 

それがちょっと残念なんだけど、その方向性はPファンクやマイルスなどがしっかりと理解して受継いで、1970年代アメリカン・ブラック・ミュージックの成果として示してくれた。ジミヘンの遺伝子は確かに継承されたわけだね。80年代からのプリンスも、その同じ方向性の上にあるわけだしね。

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コメント

さすがとしまさん、読み応えのある面白いブログですね♪
自分の歌い方がわからなくなるディランの話、笑いましたw
そういえばいつ頃の映像か、風に吹かれてを歌うディランの歌い方がのびやかで鼻に抜けるカントリー調だったのを見たことがありますが、自分でもよくわからず結構色々にぶれているんですかねw

確かにジミヘンはファンクの根っこですよね。
最近でもディアンジェロがジェシー・ジョンソンの影響でギター弾くようになりましたし、連綿とジミの血が引き継がれている印象がありますすね。

COWさん、ご存知と思いますが、ディランには『ナッシュヴィル・スカイライン』(1969)というカントリー・アルバムがあって、そこではいつもの声と歌い方ではなく、ツルツルのキレイな声で伸びやかに歌っています。なんなんでしょうかねえ、あれは。僕は結構好きなアルバムなんですが。

ジミヘンがファンクの根っこだったというのは、あくまで1970年代以後のファンク・ミュージックのという話で、それ以前の60年代からジェイムズ・ブラウンやスライなどがファンクをやってはいますけれどね。

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