アート・ブレイキーは緻密かつ繊細なドラマー
ジャズ・メッセンジャーズでの活動が一番有名で、しかも「チュニジアの夜」みたいな曲での打楽器全開な演奏ぶりが目立つから、イマイチ理解されていないようにも思うのだが、アート・ブレイキーは非常に緻密かつ繊細なドラマーだ。一般的には豪放磊落のイメージだろうけど。
僕がそれに最初に気が付いたのは、キャノンボール・アダレイ名義(実質的にはマイルス・デイヴィス)の『サムシン・エルス』(1958)を聴いた時だった。一曲目の「枯葉」、あそこでのブレイキーのドラミングを聴いて、こんなに繊細に気を遣うドラマーはいないだろうと思ったのだった。
あの「枯葉」では、ブレイキーは最初スティックを持ってプレイしているけど、ハーマン・ミュートによるマイルスのテーマ吹奏が始るとブラシに持替えている。ブレイキーのブラシ・プレイというのはあれで初めて聴いたのだった。あの細やかなトランペット吹奏にピッタリ合わせたフィーリングだね。
そしてテーマ吹奏が終って、キャノンボールのアルト・ソロになると、また再びスティックを持って、若干派手気味なプレイになるけど、これだってキャノンボールの豪快な吹きっぷりに合わせたもの。まあハイハットの音が一番目立ってはいるけど、スネアも叩いてはいる。これもソロの雰囲気にピッタリ。
キャノンボールのソロが終ってマイルスのソロになると、再び派手目のドラミングは影を潜め、かなり控目なプレイに徹していて、ハーマン・ミュートで極端に音数の少ない繊細なマイルスのソロをしっかり支えているわけだ。その次のハンク・ジョーンズのピアノ・ソロのバックでもそんな雰囲気だ。
ハンクのピアノ・ソロが終って、マイルスのテーマ吹奏に戻ると、ブレイキーも最初のテーマ吹奏の時と同じくブラシを使っている。その直後にピアノによるインタールードを経て、スロー・テンポな終盤部になるのだが、このゆっくりして落着いたムードの部分の背後では、ブレイキーもかなり控目なプレイ。
最初にこの「枯葉」でのドラミングを聴いた時は、これが、あのナイアガラ瀑布に喩えて<ナイアガラ・ロール>と呼ばれる豪快なロールに象徴され、ジャケット写真やその他ジャズ雑誌等にいろいろと載っていたガハハッと大口開けた姿で映っているドラマーの演奏とは、ちょっと信じられない思いだった。
それが分って、他のいろんなレコードでブレイキーのドラミングを注意深く聴直してみると、この人、一聴豪快そうに聞えるプレイでも、実によく計算され、フロントで演奏するホーン奏者やピアニストのスタイルに巧妙に合わせて叩いていることが分ってきたのだった。ジャズ・メッセンジャーズでもそう。
ブレイキーが豪快に聞えるのは、フロントで吹くトランペッターやサックス奏者を故意に煽っていいソロを引出そうとしているだけに過ぎない。それが一番よく分るのが、1958年ジャズ・メッセンジャーズでのパリ、サンジェルマンでのライヴでの「モーニン・ウィズ・ヘイゼル」だね。聴直してみてほしい。
リー・モーガンのトランペット・ソロの時はそうでもないのだが、ベニー・ゴルスンのテナー・サックス・ソロとボビー・ティモンズのピアノ・ソロのバックでは、2コーラス目が終って3コーラス目に入る直前に派手にシンバルを叩いている。
そして、そのブレイキーの煽りを受けて、ゴルスンとティモンズのソロが一気に盛上がる。ゴルスンは高音部での演奏になり、ティモンズはブロック・コード弾きでゴスペル風でアーシーなプレイに移行し、感極まった客席のスコット・ヘイゼルの「オ〜、ロード・ハヴ・マーシー!」という叫び声を引出している。
ブレイキーが豪快そうに見えて、実は緻密で繊細なドラマーで、ソロを取るプレイヤーの演奏を実によく聴いて、彼らの最高のプレイを引出すべく努めているのだということは、前から分っている人は口にしてきていることだ。でもそういう人は一部で、イメージがあまり変っていないかもしれない。
ブレイキーは自分のジャズ・メッセンジャーズでは、特にトランペッターにはうるさかった。実質的にこのバンドの前身である1954年『バードランドの夜』のバンドではクリフォード・ブラウン、正式にジャズ・メッセンジャーズになってからも、リー・モーガン、フレディ・ハバード等、超一流どころばかり。
これは、デビューが1980年のジャズ・メッセンジャーズだったウィントン・マルサリスも言っていて、ブレイキーはホンモノのジャズ・トランペットの音を知り尽していて、そのバックで叩いてきた人だから、そういう人のバンドでトランペットを吹くのは、かなりのプレッシャーだったらしい。
そういうプレッシャーもあってか、ジャズ・メッセンジャーズ時代のウィントンは、なかなか溌剌とした吹奏ぶりで、好感が持てる(聴けるCDが少ししかないけど)。この時ウィントンは19歳だった。同じバンドの大先輩リー・モーガンも、メッセンジャーズに参加した時それくらいの年齢だった。
ウィントンについては、何度か言っているけれど、今となっては評価できるリーダー・アルバムはデビュー作の『ウィントン・マルサリスの肖像』くらいで、あとはハービー・ハンコックがリーダー名義のワン・ホーン・アルバム『カルテット』(二枚組LP、CDでは一枚)くらいしかないような気がするけどねえ。
マイルス・デイヴィスが言っていたことなんだけど、トランペッターのバックにはいいドラマーがいないとダメなんだそうだ。思えばマイルスが自分のバンドでレギュラーで雇ったドラマーも、ブレイキー型のやかましい煽り型が多い。フィリー・ジョー・ジョーンズ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、アル・フォスターなどなど。
それはトランペッターに限った話じゃないんだろう。いいドラマーがいないとバンドは死んだも同然だ。マイルスの場合は、そんなことを言っているわりには、1959年『カインド・オヴ・ブルー』や69年『イン・ア・サイレント・ウェイ』等、時代の節目にかなり静的な内容の作品を作ってはいるけどさ。
そういう静的な作品はともかく、ライヴではマイルスもバックのドラマーの猛烈なプッシュで、素晴しい演奏を繰広げているものが多い。ジャズ・メッセンジャーズでトランペッターがあんなに輝いているのも、アート・ブレイキーというドラマーの、時に豪快に時に繊細な計算されたプッシュぶりによる。
それでも大学生の時はあんなに夢中になってレコードを買って聴きまくっていたそのジャズ・メッセンジャーズも、今では殆ど聴かなくなり、現在CDで持っているのは、前述の1958年のパリ、サンジェルマンでのライヴ盤二枚組と、60年のウェイン・ショーター在籍時の『チュニジアの夜』の二つだけ。後者のタイトル曲では、前奏と間奏のドラムス・ソロの背後で、誰かがクラベスではっきりと3−2クラーベを刻んでいるのが好きなんだよね。
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