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2016/02/15

忘れじのジャコ・パストリアス

Jaco

 

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マーカス・ミラーが、同じベーシストの先輩の作品である『ジャコ・パストリアスの肖像』が大好きでたまらず、ターンテーブルに常に載せたままで、他のレコードをかける時はそのままそのレコードの上に載せて聴いていたと、以前なにかで語っていたことがある。マーカスの世代ならそうだろう。

 

 

『ジャコ・パストリアスの肖像』は1976年なので、僕はリアルタイムでは知らない。僕がジャコを知ったのは、ウェザー・リポートの二枚組ライヴ・アルバム『8:30』でだった。以前も書いた通り、これが初めて買ったウェザー・リポートだった。このバンドはジャコ必須のバンドだろうと思っていた。

 

 

僕より上の世代にとっては、ウェザー・リポートのベーシストはミロスラフ・ヴィトウスのイメージが強いらしい。僕よりちょうど十年早く生まれた中山康樹さんも、以前そんなことを書いていた気がする。中山さんは1960年代中頃にジャズ系音楽を聴始めたらしいから当然だ。その世代はみんなそうだろうね。

 

 

『8:30』から聴始め、次作の『ナイト・パッセージ』やその次作の『ウェザー・リポート 82』を、リリースされる度に待遠しくて期待して買った僕などには、当然このバンドのベーシストはジャコしか考えられなかった。だから、その後のメンバー・チェンジでジャコが辞めた時はかなりガッカリした。

 

 

正確には、ヴィクター・ベイリー+オマー・ハキムの新リズム・セクションが発表される前に、『スイングジャーナル』誌に載ったザヴィヌルのインタヴューで、実はもうジャコとピーター・アースキンはバンドを脱退していて、今新しい人材を探しているんだとあって、それを読んでエエ〜〜ッと思ったのだ。

 

 

実際新リズム・セクションを起用した第一作の『プロセッション』が、何度聴いてもつまらない内容だとしか思えなかったから、その思いは一層強かった。しかしながら、この編成による二作目の『ドミノ・セオリー』と三作目の『スポーティン・ライフ』は、大変面白くて大好きだったけどね。

 

 

それはさておき『ジャコ・パストリアスの肖像』。もう散々褒め尽されている作品なので、今更僕が付け加えることはないだろうけど、ひとしきりウェザー・リポート時代を聴いた後にこのソロ・デビュー作を聴いて、一番感心したのは、実は冒頭の「ドナー・リー」や「トレイシーの肖像」とかではなかった。

 

 

一番感心したというか驚いたのが、二曲目のソウル・ナンバー「カム・オン、カム・オーヴァー」だった。この曲は、ご存知サム&デイヴが歌う完全なるブラック・ミュージック・ナンバーだ。チャーリー・パーカー(実はマイルス・デイヴィス)作曲の「ドナ・リー」の次にこういうのが来るというのがいいよね。

 

 

 

以前ネット上で仲のよかったブラック・ミュージック・ファンも、このアルバムはサム&デイヴが歌う「カム・オン、カム・オーヴァー」があるから聴くんだと言っていたことがある。僕はジャズ寄りの耳なので、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」とか「コンティニューム」とかも大好き。

 

 

「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は言うまでもなくハービー・ハンコックの曲だけど、ハービー自身がピアノやフェンダー・ローズで、このアルバムの多くの曲に参加して重要な役割を果している。「オーパス・ポーカス」のソプラノ・サックスは、一聴即ウェイン・ショーターだと分るサウンドだ。

 

 

ジャコとハービーとショーターと言えば、ジョニ・ミッチェルの『ミンガス』にも揃って参加している。ドン・アライアスもそうだ。実を言うとジャコに関して、ウェザー・リポートよりもジャコのソロ・アルバムよりもいいと思っているのが、一連のジョニとのコラボなんだよなあ。

 

 

ジョニとジャコとのコラボは全部好きだけど、個人的に一番好きで一番よく聴くのが、1980年のライヴ・アルバム『シャドウズ・アンド・ライト』だ。二枚(二枚組ではない)あるのもいいね。パット・メセニーも参加しているし。メセニーは、このアルバムが初体験だったことは以前書いた。

 

 

ジャコのエレベ(これは「フレットレス」ではなく「フレット抜き」なのだ、普通のフェンダー・ジャズ・ベースのフレットを取除いたものをジャコは弾いていた)に関しては、ウェザー・リポートでのプレイより、『シャドウズ・アンド・ライト』などでの方が、伸び伸びとしているような気がする。

 

 

何度か書いたけど、ウェザー・リポートのスタジオ作品では、ジャコの弾くベース・ラインすら、全てザヴィヌルがあらかじめ譜面化していて、ジャコはその通りに弾いていたようだ。それにしてはスポンティニアスに聞えるじゃないかという意見がもしあれば、それは作曲家の実力を侮っている証拠だろう。

 

 

ウェザー・リポートでも、ライヴ・ステージではまあまあ自由にジャコも弾いているけど、このバンドに関してはライヴよりスタジオ作品の方がだいぶいいからなあ。ジャコのプレイに関して一番いいのは、僕の聴いた感じでは『ヘヴィー・ウェザー』ラストの「ハヴォナ」。「ティーン・タウン」ではなく。

 

 

 

ウェザー・リポートでの活躍で世界的にブレイクしたジャコで、僕もそれで好きになったけど、今聴き返すと、それよりも、先程書いたジョニ・ミッチェルのアルバムとか、ジャコ自身のソロ作とかの方がいい。ジャコのソロ作では、1981年『ワード・オヴ・マウス』を高く評価する人も多いらしい。

 

 

『ワード・オヴ・マウス』には、「スリー・ヴューズ・オヴ・ア・シークレット」もあって、トゥーツ・シールマンスのハーモニカがいい雰囲気ではあるけど、『ナイト・パッセージ』収録のウェザー・リポート・ヴァージョンと比較すると、ザヴィヌルとのアレンジ/プロデュース能力の違いが分ってしまう。

 

 

それよりは次の「リバティ・シティ」のファンキーな感じの方がいいね。その後ウェザー・リポートを脱退したジャコが率いたビッグ・バンドでもこういう作風の曲が多かったし、そういう指向の人なんだろう。書いたようにソロ・デビュー作にソウル・ナンバーがあったくらいだ。

 

 

個人的には『ワード・オヴ・マウス』やその後のビッグ・バンドなどは、やや一本調子に聞えて、通して繰返し聴くとすぐに飽きてしまう。さらにその後の凋落後の活動については、なにも言いたくない。やはり僕にとって、ジャコ自身のリーダー・アルバムでは一作目『ジャコ・パストリアスの肖像』こそ全てだった。

 

 

『ジャコ・パストリアスの肖像』ラストの三分もないストリングス・ナンバー「フォーガットゥン・ラヴ」。ジャコは作曲だけで(ストリングス・アレンジは別の人だけど)ベースを弾いておらず、ハービー・ハンコックがストリングスに乗ってピアノを弾く美しい曲。これを聴くといつも切ない気分になってしまう。

 

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コメント

こんにちは。某SNSでお世話になっています。私の方も「忘れじのジャコ」ということでコメントさせていただきます。

私の場合は幸運にも『ジャコ・パストリアスの肖像』が初ジャコかつリアルタイムです。

このアルバムは本当にビックリしました。当時は駆け出しのジャズファンだった訳ですが、先輩諸氏は「ドナ・リー」を肴に侃々諤々の議論をしていました。私がビックリしたのはそのオープニングではなく2曲目の「カモン・カム・オーヴァー」。「ドナ・リー」で音量を上げていたため、下宿していたアパート中に爆音を響かせることになってしまい冷や汗タラタラでした。それはさておいても、サウンドの格好良さに痺れて、ドナ・リーからの繋ぎの空白部分はいつもワクワクしながら聴いていました。

A面のお気に入りは、この曲と「コンティニューム」と「トレイシーの肖像」。でもアルバム通してのイチバンはB面のアタマに入っている「オーパス・ポーカス」です。バッハ、ガムランなどなど時空を越えたジャコの魅力が詰まった名品だと思いますが、殆ど話題になりませんね。

話は戻りますが、当時なぜ「ドナ・リー」ばかりが騒がれたのかさっぱり分かりませんでした。思うに、ジャズファンにとってエレキベースでこの曲が弾かれたのは許せないというのが「認めない派」の主張だったように思います。本来なら賞賛されるべきだったのでしょうけど、エレキで血の通う音楽が出来るわけがないと豪語していた手前、心情的に受け容れられなかったのかな。今にして思うとつまらない理屈が幅を利かしていたような、何だかヘンな時代でした。

さて、私も好きなジャコはWRではなくジョニ・ミッチエルとの共演で聴けるジャコです。愛聴しているのは、何故かそこにジャコが居たという出逢い方だった『ヘジラ』。ジョニのギター&ボーカルにベースとパーカッションといった少人数で作られる創造性豊かな空間に痺れました。もちろん、後の作品になるほど2人のコンビも濃密になっていくのですが、ここでの1stタッチも捨てがたい。

あともうひとつ挙げると、アイルト・モレイラの "I'm Fine, How Are You" のラストを飾る "Nativity" ですね。『ジャコ・パストリアスの肖像』の著者,ビル・ミウコフスキーもベスト10に入れている演奏で、私的にはアマゾンの急流下りを連想させる壮絶なデュオ。アイルトの奥方、フローラ・プリンの『エヴリディ・エヴリナイト』の "Las Olas"(ピアノはハンコック)で聴けるジャコも素敵でした。

ジャコが生涯1ベーシストで居てくれたらどれだけ素晴らしい演奏を残してくれただろうかと思う反面、ジャコの心はそこになかったようで、これが音楽ファンにとって最大の悲劇じゃないかなと思います。

ジャコを愛している故、ついつい長くなってしまい申し訳ありませんでした。

recio y romanticoさん、『肖像』でジャコ入門したとは羨ましい限り。その辺が世代の違いでしょうね。やはりジョニ・ミッチェルとのコラボが一番いいと思うんですが、おっしゃるように1970年代当時のいろんなセッションに参加していますので、なかには面白いものもありますね。パット・メセニーのリーダー作で弾いいるのなんかも意外に好きですよ。アイアートのあれは、ジャケットが、中身に似合わないなんとも爽やかフュージョン風でしたねえ。

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