アメリカン・ミュージックの宝石箱〜エラのソングブック・シリーズ
エラ・フィツジェラルドの残した全録音を振返って、1950年代後半〜60年代前半の一連のソングブック・シリーズが一番素晴しいと思っているのだが、そういうものがあることを僕が知ったのは、実を言うと90年代に入ってCDリイシューされてからなのだった。全部まとめてボックスになっている。
CD16枚組というデカさで、値段は高騰している現在の中古価格よりは安かったけど、それでもまあまあ値が張ったと思う。でも最初からこれで知ったのだったし、一つ一つバラバラに全部買っていくのは面倒な気がして、一気にこれで揃えてしまった。
そしてそれは大正解だった。この16枚組はもう一生の宝だ。それまでいろいろと聴いていたエラのどのレコードよりよかった。それまで一番好きだったエラの作品は、エリス・ラーキンスのピアノ伴奏だけで歌った1954年の『ソングズ・イン・ア・メロウ・ムード』だったけど、これがかすんでしまった。
一般にエラの代表作のようによく言われ、名盤選などでも頻繁に取上げられる1960年のライヴ盤『エラ・イン・ベルリン』などは、僕は大学生の頃にレコードで聴いた時から、どこがいいのかよく分らなかった。特に激賞されている「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」でのスキャットなどは、あまり好きじゃない。
ルイ・アームストロングの1920年代録音とか、サラ・ヴォーンの82年「枯葉」(『クレイジー・アンド・ミクスト・アップ』)とか、例外的に大好きなものはあるけど、僕はスキャット唱法がイマイチ好きじゃない。普通に歌を歌ってほしいというのも、ジャズ・ファンとしてはヘンかもしれないけど。
だいたい頻繁にスキャットするサッチモの場合は、ヴォーカルとトランペットのスタイルが完璧に一致していて、彼のヴォーカルはスキャットしていても歌詞入りの普通の歌でも、トランペットで吹いているフレイジングそのまんまなのだ。ヴォーカルとトランペットのどっちが先なのか分らないくらいだし。
だからサッチモのスキャットは、彼のトランペットを聴いているのとリスナー側のフィーリングも全く同じで楽しめるわけだ。サラ・ヴォーンの「枯葉」の場合は、あれはもう例外中の例外みたいなもんで、あそこまで徹底して楽器的にやれば、聴いていてもスッキリするというか、これでいいよと思える。
その点、エラのスキャットは、技巧的には凄いと思うんだけど、この歌手はもっと普通にメロディを歌った方が素晴しいのにという気持になってしまうんだなあ。そういうわけだから、『エラ・イン・ベルリン』の「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」は、著しく高い世評とは裏腹に、僕はあまり評価する気になれない。
実は、一連のソングブック・シリーズでもエラはよくスキャットしている。特にエリントン曲集では多い。おそらくこれは、他のソングライターの作品集と違ってエリントン曲集の場合、歌詞がまだ付いてない曲も結構取上げているからで、例えば一曲目の「ロッキン・イン・リズム」からスキャット全開だ。
そしてはっきり言うと、そういう「ロッキン・イン・リズム」みたいなスキャット・オンリーな曲は、やはりあまり好きじゃないのだ。それでもエリントン曲集では、あまり気にもならないのはなぜだろう?おそらくエラのスキャット技巧とエリントン・ナンバーの特徴がピッタリ合致しているからなんだろうなあ。
エラのヴォーカルの上手さが一番よく分るのも、そのエリントン曲集なんじゃないかと思う。これは一連のソングブック・シリーズ中だけというのではなく、エラの残した全録音を含めても、一番エラの技巧の素晴しさが表れているものじゃないかなあ。しかも、そこではエリントン楽団自体と共演しているしねえ。
自分の声一本で、あのエリントンのオーケストラと互角に渡り合うエラのヴォーカルを聴いていると、凄まじさを感じるもん。エリントン楽団といえば、そのサウンドの濃密さでは、コンボといわずビッグ・バンドといわず、全てのジャズ・バンド中ナンバー・ワンの存在なのに、こんな歌手は他にはいない。
スキャット唱法があまり好きじゃないと書いたけど、エリントン曲集でのエラのスキャットを聴いていると、間違いなくこれが彼女の残したスキャット録音では最高峰だと思える。どう聴いても『エラ・イン・ベルリン』の「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」なんかよりこっちの方が凄いぞ。
エラのエリントン曲集は1957年録音。LPでは四枚組だったらしいが、書いたように僕はCDでしか聴いていないので、それは知らない。CDだと三枚。エラのソングブック・シリーズは、これ以外は全部いわゆるティン・パン・アリーのソングライター曲集なので、作曲家自身が演奏しているのはこれだけ。
CD三枚にわたって、元々歌手が歌うために創られたものではない(多分歌手にとっては)極めて難しいエリントン・メロディを正確無比な音程コントロールと、完璧なディクションで歌いこなすエラのヴォーカルに並び、1957年当時のエリントン楽団のゴージャスなサウンドとサイドメンのソロが聴けるからたまらない。
エリントン曲集ばかり褒めているけど、他のも全部いいんだ。CD三枚という規模は、他にはガーシュウィン・ソングブックがある。それにはネルスン・リドルのアレンジによるストリングス伴奏が付いていて、他のエリントン曲集以外のソングブックも全てストリングスが入っているんだよね。僕には嬉しい。
エリントン曲集以外のティン・パン・アリーのソングライター曲集では、僕の個人的な好みだけなら、コール・ポーターが一番好きな作曲家。好きな曲ばかり入っているけど、特に大学生の頃から「ナイト・アンド・デイ」という曲が一番好き。「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オヴ・ユー」もかなり大好き。
エリントン、ガーシュウィン、コール・ポーター、ロジャーズ&ハート、アーヴィング・バーリン、ハロルド・アーレン、ジェローム・カーン、ジョニー・マーサー。これらが全部エラの素晴しい歌とオーケストラ伴奏で聴けるソングブック集は、20世紀アメリカ音楽の最高のコーナーストーンだろうなあ。
ジャズとしてと言っているんじゃないんだ。エラはジャズ歌手だけど、このソングブック集は、もはやジャズとかなんとかいう枠に収るような音楽じゃない。20世紀から現在に至るまでの最高のアメリカン・ソングブック、いわゆる<キャノン>だろうと思う。これをアナログ時代に知らなかったのは、痛恨の極みだ。
だから、アナログ盤しかなかった時代には、エラはイマイチ好きな歌手じゃなかった。みなさんが薦めるいわゆる名盤の類も、どこがいいのか分らないものが多かった。CD時代になってこのソングブック集を知り聴いてみて、エラ・フィツジェラルドはアメリカが産んだ最高の女性歌手の一人だと確信するようになっている。
エラのヴァーヴ録音ソングブック集、完全盤ボックスだと現在アマゾンでの中古価格が、一番安いので一万二千円程度だけど、16枚組としては安いだろうし、なにより中身の音楽のあまりの素晴しさを考えたら、これを持っていないアメリカ音楽ファンというのは、ちょっと考えられないね。
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