マイルスの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『フォア&モア』
マイルス・デイヴィスの1960年代一連のライヴ・アルバムのなかでは、64年、ニューヨークはフィルハーモニック・ホール(後のエイヴリー・フィッシャー・ホール、現在名はデイヴィッド・ゲフェン・ホール)での録音『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を一番よく聴く。同日のライヴ録音である『フォア&モア』(正確には『「フォア」&モア』と書くべきなんだけど)は、以前はそんなに好きでもなかった。今では愛聴盤。
ご存知の通り、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『フォア&モア』は、1964/2/12の同じライヴ録音から、前者は主にバラード曲、後者はアップテンポでハードな曲と、二つに分けて収録・発売したもの。60年代のマイルスのライヴ・アルバムでは録音状態も一番いいし、人気も高いよね。
『フォア&モア』の方は、なぜ最初あまり好きでなかったのか、今聴くと全く理解できない。多くのファンの方々から、このアルバムこそ、アクースティック時代のマイルスの作品の中では、一番ドライヴしていてジャズ的なスリルに満ちた傑作だという評価を受けているのに、僕は買うのすらためらっていた。
買うのすらためらったというのはオカシイよなあ。アルバム・タイトルとジャケット・デザインのせいだったのかもしれない。それに比べたら『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』の方はかなり早くに買って愛聴盤だった。特にA面一曲目のタイトル曲とB面一曲目の「ステラ・バイ・スターライト」が最高。
A面一曲目の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、これこそアクースティック時代のマイルスによるバラード演奏では、断然ナンバーワンだと思っていた。実際今でもそういう評価が主流だよね。テーマとは無関係そうなハービー・ハンコックのイントロに続く、オープン・ホーンでの出だしだけでもうたまらん。
最初に聴いた時は、1956年プレスティッジへの初録音(『クッキン』)で聴けるようなリリカルなバラード・メロディが断片的にしか聴けないというか解体されているような感じなので、一瞬なんだか分らなかったような憶えがある。それでもフリューゲル・ホーンと間違えそうな丸い音色には参った。
実際、大学生の頃買った日本盤LPのライナーを担当した方は、これはフリューゲル・ホーンだろうと書いていたくらいだった。この「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(と「ステラ・バイ・スターライト」)でのマイルスのオープン・ホーン・トランペットは、アクースティック時代では一番美しい。
アクースティック時代では、と断るのは、1969/70年頃のチック・コリアのフェンダー・ローズ伴奏で吹くオープン・ホーン、特にスタジオ録音やライヴ録音での「サンクチュアリ」などでの音色の方がもっと美しいと思っているからだ。そういう意見のファンはあまり多くはないみたいだけどね。
1964年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でのマイルスのソロについては、同じジャズ・トランペッターのイアン・カーが書いたマイルス本のなかで、このソロの素晴しさを詳細に分析していた。サビ部分のリズム・チェンジとか、(下の音源では)6:29過ぎの高音ヒットから下ってくる部分での一気のカタルシスとか。
イアン・カーは、マイルスによる同曲の1956年プレスティッジ録音とも比較していて、その初演のバラード表現は深いけれど、64年ライヴ版の表現はより深くかつ広がりを見せていると書いていた。どっちも嫌になるほど繰返し聴いた今では、実を言うとプレスティッジへの初演の方が好きになってきていたりするけどね。
それは何度も書いているけど、複雑で高度な表現よりもシンプルで分りやすい表現の方が、あらゆるポピュラー・ミュージックで好きになってきているという僕個人の嗜好の変化によるものだ。中村とうようさんの「大衆音楽では美は単調にあり」の名言を目にする少し前から、そういう具合に傾きつつあった。
そうではあるけれど、1964年の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」や「ステラ・バイ・スターライト」(後者も最近では58年初演の方が好きだ)などでのマイルスのソロは、マイルスはテクニックのないトランペッターだという意見に対する反証として、ウィントン・マルサリスがいつも挙げている。
この1964/2/12録音の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』と『フォア&モア』、前者が<静>、後者が<動>だと言われていて、一聴した印象はそうだけど、僕の意見はちょっと違う。前者のバラード表現におけるダイナミズムは、まさに動的なものだろう。リズムの動きだけ聴いてもそれが分る。
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」一曲だけとってみても、マイルスやジョージ・コールマンのソロの背後のハービー+ロン+トニーを聴けば、実に緊密に連携し合っていて動的だ。ハービーとロンの動きに対して、トニーは出たり引っ込んだりしているけど、それはソロ表現の動きをよく聴いてのことだ。
これは別にこの録音に限ったことではなく、マイルスによる全てのバラード、いや、マイルスに限らずあらゆるバラード表現について言えることだ。バラード演唱は別に静的な表現ではないどころか、ある意味アップテンポな曲よりも活発なダイナミズムを必要とされるはず。僕は最近ようやく分るようになった。
マイルスによる1974年エリントン追悼曲の「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」。新しいリマスター盤に買替えたので、それまで持っていた『ゲット・アップ・ウィズ・イット』を、以前あるソウル〜ファンク・ファンに譲ったんだけど、「一曲目が・・・」という感想が返ってきて、少しガッカリした。
でもその友人は、(別の方宅で聴いた)『フォア&モア』『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』について、サックスだけが白っぽく聞えるという感想を漏していて、これはさすがの耳だと感心した。確かにこのライヴ録音、サックスのジョージ・コールマンだけが、ボスやリズム・セクションにややついて行けてないもん。
まあでも1964年当時のコールマンにしては大健闘の部類に入るはずではある。僕もその友人の言葉のように白っぽいというかダサいようには思うけれど、それでも案外好きなんだよなあ。特に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」でのソロはいいんじゃないかなあ。同意見のファンは結構いるらしい。
この1962/2/12のライヴ録音、2004年リリースの『セヴン・ステップス:コンプリート・コロンビア・レコーディングス 1963-1964』で、同日の現場での曲順通りに再現・復刻された。名盤を解体してどうするんだという意見もあったけど、現場そのままに再現されたのは個人的には嬉しかった。
この時に初めて分ったのは、この時のライヴでは「オール・オヴ・ユー」と「オール・ブルーズ」以外ではオープン・ホーンのトランペットでしか吹いていないと思っていたマイルスが、一曲目の「枯葉」でハーマン・ミュートを付けて吹いていたことだ。これは完全なる未発表曲。これと冒頭のMC以外は全部既発。
ハービー・ハンコックの述懐では、この時のステージでは大失態をやらかしたと思い、新しいカーネギー・ホールがフィルハーモニック・ホールなわけだから気合が入っていたのに、ステージを降りる時はしょげていた、でもレコードになったものを聴くと凄くいいからビックリしたんだとあったなあ。
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