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2016年3月

2016/03/31

ビリー・ジョエルとサックス

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ビリー・ジョエルの曲には歌に絡んだり間奏にサックスが入るものが実に多い。これは彼がロックというよりジャズやR&Bマナーの持主だということなのだろうか?彼は一応ロック系のポップ・シンガー/コンポーザーだと思うんだけど、そういう人でこれだけサックスを使うのはやや珍しい。

 

 

ビリー・ジョエルの曲でサックスが入るものといえば、一番有名なのは間違いなく「素顔のままで」(『ストレンジャー』)だろう。もちろんフィル・ウッズのアルト。これは1977年の作品だからフュージョン全盛期で、ビリー・ジョエルに限らず多くの人がジャズ系ミュージシャンを起用していた。

 

 

ジャズ音楽やジャズマンとしてのフィル・ウッズをあまりご存知でない一般の方々には、フィル・ウッズは「素顔のままで」でのオブリとソロが最も記憶に残るものというか、おそらく唯一聴かれているものなんじゃないかと思う。ジャズマンとしてのフィル・ウッズ・ファンの僕が聴いても良いソロだ。

 

 

 

『ストレンジャー』では「素顔のままで」の次のA面ラスト「イタリアン・レストランにて」でも大々的にテナー・サックス(とクラリネット)がフィーチャーされている。ホーンの使い方としては個人的にはこっちの方が好きなくらいで、大胆なテンポ・チェンジを伴う劇的な曲展開とともに大好きな一曲。

 

 

 

「イタリアン・レストランにて」でテナー・サックスを吹くのはリッチー・カナータという人だけど、その他リチャード・ティー(エレピ)、スティーヴ・カーン(ギター)、ハイラム・ブロック(ギター)、ラルフ・マクドナルド(パーカッション)など、ジャズ〜フュージョン系の人が大勢参加している。

 

 

リッチー・カナータといえば、『ストレンジャー』30周年記念ボックスの二枚目CDとして収録されている1977年6月3日のカーネギー・ホールでのライヴで、「素顔のままで」や「ニューヨークの想い」などのサックス・フィーチャー・ナンバーで見事なテナー・ソロを聴かせてくれている。以前ビリー・ジョエルのライヴは聴いたことがないと書いたけれど、これを持っていたのが完全に頭から飛んでいた。まあ聴いていなかったことは確かだが。

 

 

しかもこの1977年6月3日のライヴ、『ストレンジャー』の録音前のものだ。このアルバムの録音は同年7/8月。「ニューヨークの想い」は前作76年の『ターンズタイルズ』収録曲だけど、「素顔のままで」はまだ録音前。既にほぼ完全に曲の形はできあがっている。フェンダー・ローズで弾くイントロも全く同じだしスタジオ・ヴァージョンと殆ど変らない。

 

 

だからスタジオ録音での「素顔のままで」でもサックス・ソロはリッチー・カナータでもよかったんじゃないかと、30年目に出たそのライヴ音源を聴いて思っちゃったんだけど、この曲だけフィル・ウッズを使ったのは、そこらあたりがプロデューサー、フィル・ラモーンの商略だったんだろうなあ。

 

 

そのカーネギー・ライヴでの「ニューヨークの想い」では、終盤でリズム・セクションの演奏が止りビリー・ジョエルの弾くピアノに導かれたかと思うとそれも止って、リッチー・カナータが長い無伴奏サックス・ソロを吹いているんだけど、それは素晴しいものだ。無伴奏サックス・ソロなんて、上手いジャズ専門サックス奏者のものですら良いものが殆どないのに。

 

 

『ターンズタイルズ』収録のオリジナル・スタジオ録音の「ニューヨークの想い」でももちろんサックスのオブリやソロが入る。それもリッチー・カナータだ。世評も高くて人気もある「素顔のままで」より個人的にはこっちの方がビリー・ジョエルの書いた最高傑作なんじゃないかと思っているんだよね。

 

 

 

なお「ニューヨークの想い」、ある時期のリイシューCDではなぜかオブリとソロのテナー・サックスがフィル・ウッズが録音し直したもの(アルトしか吹かないウッズにわざわざテナーを吹かせて)に差替えられていて、YouTubeにもそっちを上げているものがあるので要注意。よくあることだけど、リッチー・カナータで充分素晴しいのになあ。

 

 

ビリー・ジョエルのアルバムでサックが入り始めるのはその『ターンズタイルズ』からで、これはそれまでの数年間ロサンジェルスに一時的に活動拠点を移していたビリー・ジョエルが、故郷ニューヨークに戻ってきての第一作。一曲目からどんどんリッチー・カナータのサックス・ソロが入る。

 

 

それまでの『ストリートライフ・セレナーデ』までのビリー・ジョエルは、ピアノ・ロック、ピアノ・ポップのイメージが強い人で、なんたってコロンビア第一作のタイトルが『ピアノ・マン』だし、『ストリートライフ・セレナーデ』には「ルート・ビア・ラグ」というピアノ・インストがあるくらいだ。

 

 

『ピアノ・マン』『ストリートライフ・セレナーデ』の二枚にはサックスは全く出てこない。その後のビリー・ジョエルのイメージからしたらやや意外だけど、むしろその方がピアノ中心の彼本来のスタイルだろう。ジャズ系の人も、前者にラリー・カールトン、後者にウィントン・フェルダーが参加しているだけ。

 

 

だからニューヨークに戻ってきてからの『ターンズタイルズ』以後のビリー・ジョエルが、まあ相変らずピアノ中心ではあるけれど、どうしてサックスを多用するようになったのかの方がむしろやや不思議な気がする。2001年の最新作はクラシック作品でそれは聴いていないけれど、それ以外は全てのアルバムに例外なくサックスが入っている。

 

 

1980年の『グラス・ハウジズ』は、ビリー・ジョエルにしては例外的なギター・ロック作品でピアノをあまり弾かず、ストレートなロックンロール・ナンバーが多いアルバムだけど、これにだってやはりリッチー・カナータのサックスが聞えるもんねえ。正直に言うとあまり好きなアルバムではない。

 

 

『ストレンジャー』がフュージョン全盛期のアルバムだと書いたけれど、しかしフュージョン全盛期といっても、ビリー・ジョエルの次作であるジャズ・アルバムともいうべき『ニューヨーク52番街』では、それっぽいサックスが聴けるのはB面トップの「スティレット」だけなのはちょっとヘンだなあ。

 

 

「スティレット」以外では、アルバム・ラストの「ニューヨーク52番街」がディキシーランド・ジャズ風でクラリネットが聞える以外では、A面ラストの「ザンジバル」でフレディ・ハバードがトランペット・ソロを吹くだけなのだ(そのソロ部分だけ4ビートになり、エレベがランニング・ベースを弾き、ドラマーがシンバル・レガートを叩く)。よくよく音だけ聴くとさほどジャジーなアルバムでもないかもね。

 

 

ジャズの花形楽器はなんといっても管楽器で、そしてサックスは、ジャズ・アルバムという意味のアルバム・タイトルである『ニューヨーク52番街』より、前作の『ストレンジャー』やさらにその前作の『ターンズタイルズ』での方がたくさん聞えるもんなあ。ジャズやフュージョンは無関係だったのかも。

 

 

ってことはビリー・ジョエルがサックスを多用するのはジャズ的な傾向というのではなく、やはりリズム&ブルーズ(これもたくさんサックスが入るジャンルの一つ)などの影響なんだろうなあ。そういう黒人音楽趣味がモロに出たアルバムが一枚あって、1983年の『イノセント・マン』がそれ。

 

 

以前も書いた通り(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-befb.html)このアルバムはリズム&ブルーズやドゥー・ワップやソウルなど米ブラック・ミュージックへのトリビュート作品だから、サックスなどの管楽器は実に派手に入っている。一曲目の「イージー・マニー」から鳴りまくっている。

 

 

『イノセント・マン』では、B面四曲目の「リーヴ・ア・テンダー・モーメント・アローン」でトゥーツ・シールマンスのハーモニカをフィーチャーしている以外は、ほぼ全部の曲でサックスが入っていて、それもデイヴッド・サンボーンやロニー・キューバーやマイケル・ブレッカーなどジャズ系の面々。

 

 

彼ら以外にもトランペットのジョー・ファディスやキーボードのリチャード・ティーやギターのエリック・ゲイルなどなど大勢のジャズ〜フュージョン系のミュージシャンが参加していて、しかも出来上りにジャジーな雰囲気は全くと言っていいほどなく、完全にリズム&ブルーズ風なサウンド。

 

 

クラシック作品を除くビリー・ジョエルの全アルバムを聴き返すと、こういったそのまんまなブラック・ミュージック・アルバムはこの『イノセント・マン』だけなんだけど、この種の音楽のエッセンスは他の全てのアルバムに活かされていて彼の血肉になっているのがよく分るんだよね。サックスの多用もその一つだったんだろうね。

2016/03/30

Pファンクとザッパ〜最高のギター・ミュージック二つ

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Pファンクもフランク・ザッパも僕は分っているとは言えないし、同種の意見も全く見掛けないから今まで遠慮して言ってこなかったんだけど、ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」とザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」ってちょっと似ているような気が前からしている。

 

 

「マゴット・ブレイン」https://www.youtube.com/watch?v=JOKn33-q4Ao

 

「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」https://www.youtube.com/watch?v=nUja5B8ei2U

 

 

ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」のオリジナル・スタジオ録音は1971年。一方ザッパの「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」の『ジョーのガレージ』収録のオリジナル録音が1979年。両者とも両曲をその後のライヴで何度も繰返し演奏し録音もされアルバム収録もされている。

 

 

この二曲が似ているというのはちょっと聴いた感じだけのことで、まずギターのアルペジオからはじまって、それに乗って主役のギタリストがソロを弾きまくるギター・インストルメンタルだということだけだから、まあ見当違いの意見なんだろう。曲調も音楽の種類としてもさほど近いとは言えないしなあ。

 

 

オリジナル録音のリリースは「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」より「マゴット・ブレイン」の方が八年早いとはいえ、レコード・デビューはザッパの方がファンカデリックより少しだけ先だ。『フリーク・アウト』が1966年、『ファンカデリック』が70年だから。

 

 

もっともこれはレコード上だけの話であって、音楽活動ということならザッパは1960年代初頭からプロとして稼ぐようになっているし、ザ・パーラメンツは50年代末に活動をはじめているらしいから、ジョージ・クリントンの方が先なんだろう。むろん両者とも最初期キャリアは判然としないけれど。

 

 

だからいわゆるPファンクとザッパとどっちがどっちに影響を与えたとかいうことは軽々しくは言えない。ジョージ・クリントンもザッパもほぼ同時代に音楽活動をはじめているわけで、おそらく互いの音楽を聴いてはいただろう。そして僕にはこの両者の音楽性は本質的に近いものがあったと思うんだ。

 

 

音楽的巨象軍団を率いたカリスマ的ボスという点ではジョージ・クリントンもザッパもほぼ同じだし、そのなんというか分りやすい言葉ではっきりと表現しにくいんだけど、混沌とした極めて濃密な音世界を構築したという点でも非常に近いような気がするんだよねえ。こんなのは僕だけの妄想なんだろうか?

 

 

実を言うとこれは東京は下北沢のレコード・ショップ、フラッシュ・ディスク・ランチ店主の椿正雄さんが、以前なにかの記事(記憶ではPファンク関係だったような)で、ジョージ・クリントンとザッパを並べていたことがあって、それを読んで以来僕はこういう考えを持つようになったわけなのだ。椿さんはほんの少ししか触れていなかったけれど。

 

 

その時に椿さんは、ザッパはギター・ヴァチュオーゾでもあったけれど、ジョージ・クリントンの方はなにか楽器ができるという話も聞かないし歌が特別上手いわけでもないし、彼のリーダーシップとはどういうものなのかと書いていた。確かにジョージ・クリントンがどうやってあの軍団を音楽的にまとめていたのか分りにくい。

 

 

でもなんだか音楽の本質において、Pファンクとザッパに近いものがあるはずという僕のこれは非常に漠然とした妄想なんだろうけど、両者の音楽を聴いていると確実に感じることなんだよなあ。それで思い立ってネットで調べまくったんだけど、やはりそういう意見は日本語でも英語でも全く出てこない。

 

 

なんだかはっきりとした言葉で説明できないのがもどかしい。でも最初に書いた「マゴット・ブレイン」と「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」をよく聴き比べてほしい。前者はPファンクの、後者はザッパの、僕のなかでの個人的最高傑作曲なんだよね。この意見なら肯いていただけるかもしれない。

 

 

ファンカデリックやパーラメント・ファンカデリックによるライヴの「マゴット・ブレイン」は実にたくさんあって面白いものが多い。個人的に一番凄いんじゃないかと思っているのは、エディ・ヘイゼルとマイケル・ハンプトンが絡み合う1983年のもの。

 

 

 

言うまでもなく1971年オリジナルのギタリストはエディ・ヘイゼル。そしてなかなか凄い78年『ワン・ネイション・アンダー・ア・グルーヴ』付属EP収録ヴァージョンではマイケル・ハンプトン。貼った83年ヴァージョンではこの二人が順番に弾いて、後半で両者がグチャグチャに絡み合う。

 

 

この1983年の「マゴット・ブレイン」はCDなどにはなっていないようだから、僕はYouTubeからダウンロードしてiTunesに取込み、他のいろんなヴァージョンと一緒にCDRに焼いて楽しんでいる。CDで持っている「マゴット・ブレイン」は四つだけで、他は全部ダウンロードしたもの。

 

 

一方フランク・ザッパも「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」をライヴで繰返し演奏し録音しアルバム収録もしている。僕の持っているのは『ジョーのガレージ』のと1988年『ギター』のと96年『フランク・ザッパ・プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』の三つだけ。

 

 

それら三つのうち後者二つが何年のライヴ録音なのかは調べてみないとちょっと分らないけれど、おそらく1980年代なんじゃないかなあ。詳細が分らないなりに、それでも音だけ聴けば大変楽しめる素晴しいものだ。フランク・ザッパのギターって最高に上手いよねえ。

 

 

ザッパのエレキ・ギター・プレイが大好きなもんだから、彼のギターだけをたっぷり聴ける前述の『プレイズ・ザ・ミュージック・オヴ・フランク・ザッパ』や『シャット・アップ・ン・プレイ・ヨー・ギター』やその続編や『ギター』や、そういうアルバムは大の愛聴盤・大好物で繰返し聴いている。

 

 

そうやって「マゴット・ブレイン」と「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」という二つのギター・インストルメンタルを何度も繰返し愛聴していると、やはりこの二つはどうも相通じるところがあるように思えてならない。影響関係とかではなくなにかこう両者の音楽性の本質的類似性とでもいうのかな。

 

 

ファンカデリックの「マゴット・ブレイン」はどういう事情でできあがった曲なのかは詳しいことは知らないし、コンポーザー名にはエディ・ヘイゼルとジョージ・クリントンの二人がクレジットされているから、ひょっとしてエディのアイデアだったのかもなあ。ともかくファンカデリックのアンセムみたいなもんだよね。

 

 

ザッパの「ウォーターメロン・イースター・ヘイ」の『ジョーのガレージ』ヴァージョンは、この世に存在するありとあらゆる全ギター・ミュージックのなかでひょっとしたら最も美しいものなんじゃないかとすら思っている。何度も繰返しているようにファズの効いた歪んだ音の方が美しいと感じる性分の僕だけど、これだけは例外。

 

 

『ジョーのガレージ』では同曲がクライマックスなんだけど、そこに至るまでのロック・オペラとしての文脈があって、そこまでを聴きながらそれを知った上で聴くと泣かずには聴けないような「イマジナリー・ギター・ソロ」なのだ。ライヴでは文脈なしでこれだけ単独で演奏しているからそれでいいんだろう。

 

 

「マゴット・ブレイン」と「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」が、ギター・アルペジオに乗って弾きまくるインストルメンタルであるという点以外での、はっきりした共通性を僕は明快に説明できないけれど、なにか似ている、彼らの音楽性に相通じるものがあるはずという印象は確かなものだ。

 

 

そして以前指摘した通り(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-0f67.html)、Pファンクとフランク・ザッパの音楽的祖先はデューク・エリントン楽団だ。もちろん両者ともエリントンには言及していないはずだし影響を受けたフシもないけれど、なにか音楽的に通底するものがあるように思えるんだなあ。

 

 

ちなみに「マゴット・ブレイン」は他人によるカヴァーも多く、サンタナも繰返しやっているし、パール・ジャムですらやっているくらいなんだけど、「ウォーターメロン・イン・イースター・ヘイ」の方は、息子ドゥウィージル以外他の人がカヴァーしているものは少ないようで、ちょっぴり残念な気分。

2016/03/29

ジャズ・ファンにオススメするブラス・ロック

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ブラス・ロックとマイルス・デイヴィス双方のファンならみなさんお気付きだろうけれど、『ビッチズ・ブルー』一枚目B面のアルバム・タイトル曲、マイルスはソロの途中でブラッド、スウェット&ティアーズの「スピニング・ウィール」をちょっとだけ引用する瞬間がある。誰も言及していないみたいだけど。

 

 

「ビッチズ・ブルー」→ https://www.youtube.com/watch?v=dc7qiosq4m4 4:52あたりから数秒間。「スピニング・ウィール」→ https://www.youtube.com/watch?v=Cb5EBAP6zPY お聴きになれば分る通りマイルスは、ルー・ソロフの吹くトランペット・ソロではなく歌のメロディから引用している。

 

 

「スピニング・ウィール」が入った『ブラッド、スウェット&ティアーズ』の発売は1968年12月。『ビッチズ・ブルー』は翌69年8月録音だから、これはもう間違いないね。実際の音でマイルスがブラス・ロックに言及しているのはこれだけだけど、しかしマイルス最大の話題作だからなあ。

 

 

『ビッチズ・ブルー』は、ビルボードのジャズ・チャート一位、ポップ・チャートですら二位にまで上がったメガ・ヒット作でもあるし、今でも時代を超えた傑作アルバムとして評価が高いものなんだから、そのアルバムの、しかもアルバム・タイトルになった曲におけるボスのソロでブラス・ロックのフレーズが出てくる意味は大きいはず。

 

 

実際の音でマイルスがブラス・ロックに言及しているのはこれだけとはいえ、1970年前後のインタヴュー等ではかなり頻繁にブラス・ロックについて発言している。もっともそれは高く評価するとかいうようなものではなく、いやまあ高く評価していたのかもしれないがそういう言い方はしていない。

 

 

そうではなく、売れているらしいブラッド、スウェット&ティアーズなどのやっている音楽とオレが今やっている音楽は同じようなものなんだ、だからオレのレコードも奴ら白人連中と同じ場所に並べて売ればもっと売れるはずなんだという類の発言ばかりだね。例によっていつものパターン。

 

 

これはマイルスもブラッド、スウェット&ティアーズも同じコロンビア所属だったので、その意味でもマイルスは意識していたんだろう。余談ながらコロンビアのレコードに関しては、マイルスは自分では一枚も買わず全部会社からもらってというかせびっていろいろと聴いていたらしい。

 

 

1970年代前半にはシカゴに言及しているインタヴューもある。ブラッド、スウェット&ティアーズにしろシカゴにしろ、マイルスは単なる商売上の敵対心だけだったのかもしれないが、それでも「スピニング・ウィール」を自分の重要作のソロで引用するくらいだから音楽的な対抗心もあったはずだろう。

 

 

僕がブラス・ロックを聴くようになったのも、既にお察しの通りマイルスがしばしば言及しているからだった。ブラッド、スウェット&ティアーズとかシカゴとかチェイスとかいくつかを。レコードを買って聴いてみるとなんだか聴き憶えのあるような曲もあったからヒットしていたんだろうなあ。

 

 

「スピニング・ウィール」も(例のマイルスのソロでというのではなく)歌の旋律はどこかで聴いたようなフレーズだったし、なによりチェイスの「黒い炎」(ゲット・イット・オン)は和田アキ子がカヴァーしていた曲だった。調べてみたら日本でもかなり売れて1972年に日本公演もやっているね。和田アキ子は「スピニング・ウィール」もカヴァーしている。

 

 

それくらい1960年代末〜70年代初頭のブラス・ロックは売れていたわけだなあ。70年代前半までで急速に消えてしまったらしいけれど、管楽器がなによりの花形楽器であるジャズのファンなら今聴いてもなかなか面白いはずだ。といってもロックの8ビートと電気楽器が嫌い(なんていうファンがまだいるのかな?)だとダメだろうけどさ。

 

 

ブラッド、スウェット&ティアーズ最大の成功作である二枚目の『ブラッド、スウェット&ティアーズ』二曲目の「スマイリン・フェイジズ」のピアノ・ソロでは、突然4ビートになってエレベがランニング・ベースを弾くという具合のジャズ・アレンジで、こういうのならジャズ・ファンも聴きやすいかもね。

 

 

一枚目の『子供は人類の父』なんかはいわゆる普通のブラス・ロックというよりもっと幅広い音楽性を持ったアルバムで、管楽器もたくさん聞えるけれど、一曲目はストリングス・ナンバーだし、それ以外もギターやアル・クーパーの弾くオルガンやピアノその他の鍵盤楽器のイメージの方が強いくらいの多彩な作品。

 

 

今聴き返すとブラッド、スウェット&ティアーズは、大成功した二枚目以後よりアル・クーパー時代の一枚目が一番面白いような気がしている。だからこのバンドはまあ一応ブラス・ロックではあって、このジャンルを確立した第一人者だということになってはいるけれど、最近の僕の中ではそうでない。アル・クーパーが一枚だけで辞めちゃったのが、ちょっと残念。

 

 

ブラス・ロックのバンドのなかでは、いわゆるロックというよりR&Bとかファンクのバンドだけど、タワー・オヴ・パワーが一番好きだなあ。リズムもいいし、ブラスというかサックス含めた管楽器の使い方もカッコいいし、ベースのフランシス・ロッコ・プレスティアは超ファンキーだし言うことないじゃん。

 

 

タワー・オヴ・パワーの大傑作「ワット・イズ・ヒップ?」も16ビートだからファンクだけど、ギター・カッティングがジェイムズ・ブラウンのバンドのジミー・ノーランみたいだし、ロッコのベースもファンキー、重厚なホーン群もドライヴしていて最高だね。

 

 

 

いわゆるブラス・ロックのジャンルでブラスやリードなどの管楽器を多用するというのは、やっぱりジャズやブラック・ミュージックの影響なんだろうなあ。ジャズではもちろんだけどリズム&ブルーズやソウルやファンクでもホーン群は多用されているから、そのあたりからの影響だったんだろう。

 

 

ジェイムス・ブラウンのバンドのホーン・セクションなんか最高にカッコよくて、しかもボスの下非常に厳しい練習を積んで、ライヴ本番では一糸乱れぬ完璧なアンサンブルを披露していた(ミスしたメンバーは罰金だったらしい)くらいだし、スライ&ザ・ファミリー・ストーンでもホーンがカッコいいし。

 

 

ロックでもフランク・ザッパは、ブラス・ロックといえるのかどうか分らないけれど『ワカ/ジャワカ』とか『グランド・ワズー』みたいなアルバムがあって、まあこれらはリズム&ブルーズとかファンクなどより完全にジャズのビッグ・バンドからの影響なんだろうなあ。ジャズ・ファンにも聴いてほしい作品。

 

 

先に貼った「スピニング・ウィール」でもソロを取るブラッド、スウェット&ティアーズのルー・ソロフは、僕はギル・エヴァンスの諸作で知ったトランペッター。ギルのレコードでも素晴しいソロがいくつもあるんだよね。1983年のギル来日公演で生でも彼を聴いた。まあそういう繋がりがいろいろとあるわけだからさ。

 

 

そんな具合で、いまだにいるのかどうか分らないが4ビートとアクースティックにこだわるガチガチの保守的なジャズ・ファンにはオススメしないけれど、ロックその他いろんなものに興味のあるジャズ・ファンの方々には、こういったブラス(やリード)群を多用するロックやファンクなどは楽しくてたまらないと思うんだよね。是非!

2016/03/28

ツェッペリン・ライヴ作品の謎

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レッド・ツェッペリンのライヴ・アルバム『永遠の詩』。2007年リリースのリマスター盤CDから大幅に曲目が追加されたばかりではなく、従来から収録されていた曲でもギターもヴォーカルもそれ以外もいろいろと音が差替えられている。特に一曲目の「ロックンロール」はもう全然違う。

 

 

頭のロバート・プラントの歌に入る前の「ウ〜〜イェ〜〜」からして違うし、その後の歌い方も違うし、ジミー・ペイジのギター・ソロの内容だって違えば、ジョン・ボーナムのバスドラが妙なタイミングで(と僕の耳には聞える)入ったりするのはオリジナルLPヴァージョンにはないし、なんかもう。

 

 

あまり聴き慣れていないリスナーの方々には違いが分りにくいかもしれないが、熱心なツェッペリン・ファンの僕はLPでもCDでも擦りきれるほど繰返し聴いてきたからね。以前触れたように高校生の頃にツェッペリンのコピー・バンドでヴォーカルをやっていたのでコピーしまくったのだ。

 

 

どうしてヴォーカル担当だったのかというと、歌が上手いとかではなく単に歌詞の英語の発音がマトモであるというだけの理由からだった。それでも必死でコピーして文化祭などで下手くそなコピーを披露していたのだ。ツェッペリンの公式ライヴ・アルバムは長年『永遠の詩』しかなかったんだし。

 

 

ツェッペリンのスタジオ・アルバムはどれもギターをオーヴァー・ダビングしまくっているから、そのままでは素人高校生にはまるでコピー不可能。だから2003年に三枚組CD『ハウ・ザ・ウェスト・ワズ・ウォン』と二枚組『DVD』が出るまでの唯一の公式ライヴ盤『永遠の詩』ばかりコピーしていた。

 

 

そういうわけで、いやそうでなくコピー演奏なんか試みない普通のリスナーにとっても、長年唯一の公式ライヴ盤だった『永遠の詩』は、そりゃもう繰返し聴き込んだものだったはずだ。だから2007年のリマスターCDで一曲目の「ロックンロール」から中身が違うと一瞬で分ってガッカリだった。

 

 

『永遠の詩』のリリースは1976年だけど、中身は73年のマジソン・スクエア・ガーデンでの三日間のライヴ収録音源から採用されている。LP(と2007年までのCDリイシュー)盤が何日の録音で、2007年のリマスター盤での「ロックンロール」が別日なのかどうか、それは僕は分っていない。

 

 

聴いた感じでは単純に音を差替えるというのでもなく、基本的にオリジナルLP通りだけどピンポイントで部分的にギターやヴォーカルやドラムスで違うものを混ぜ込むということをやっている。一説に拠ればギターもヴォーカルも元の1973年マジソン・スクエア・ガーデン三日間の音源ではないとか。

 

 

もしその説が本当ならば、全く違うライヴ音源から差込んだか、あるいは新たに録音し直したかのどっちかということになるけれど、後者はギターに関してはともかく、2007年のロバート・プラントの声は全然違うわけだし、ジョン・ボーナムに至っては死んでいるわけだし有り得ない話だよなあ。

 

 

だから真相が全然分らないんだけど、2007年リリース以後のリマスター盤『永遠の詩』は違和感が強いことだけは確かだ。特に一曲目の「ロックンロール」なんて曲は、世界中のどんなツェッペリン・コピー・バンドも間違いなくやるだろうもので、しかもそのお手本はこれしかなかったんだもんなあ。

 

 

「ロックンロール」はそういうわけで聴き込みまくったものだったから、露骨な違いが一瞬で分ったけれど、それ以外の従来からの収録曲だって少し違う部分があるよねえ。それらについては僕はそこまで熱心に聴き込んできているわけではないので、じっくり聴き比べればいろいろと違いが見つかるはず。

 

 

プロデュースもやっているジミー・ペイジはどうしてこういうことをしたんだろう?世界中にファンが多いバンドでみんな聴いているのに、音を差替えるとかちょっと理解しにくい。しかも「ロックンロール」は2007年以後ヴァージョンの方がいい出来なら納得だけど、そうでもないからなあ。

 

 

演奏内容はともかく音質だけを言うなら断然2007年盤の方がいい音だから、CDでも両方持っている僕は『永遠の詩』だけはいつもどっちを聴くか迷ってしまう。少し前までの僕と違って多少の音質の良し悪しはもう全く気にならなくなってきているから、古い方のCDを最近はよく聴くくらいだ。

 

 

ライヴ・アルバムも「記録」ではなく「美的作品」と考えるジミー・ペイジで、だから1976年の『永遠の詩』オリジナル・レコード発売時点から、既にいろいろと録音後にスタジオで音を加工してはいた。ギターの音を足したり差替えたりヴォーカルを処理したりなど。

 

 

ツェッペリンのライヴ音源ではこういうちょっとややこしいことが他にもある。バンド解散後の1982年に出たラスト・アルバム『コーダ』三曲目のオーティス・ラッシュ・ナンバー「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」。ツェッペリンではファースト・アルバムでやったのが最初だけど、『コーダ』では70年のライヴ録音だ。

 

 

『コーダ』のアルバム附属の記述では、1970年ロイヤル・アルバート・ホールでの「リハーサル」から収録したと書いてあって、それは日本語ライナーノーツとかにそうあるのではなく、オリジナルの英文クレジットにそうあったから、長年そうなんだろうと信じ込んでいた。かなりいい演奏で大好きだし。

 

 

ところが2003年に出た『DVD』一枚目に12曲収録されている1970年ロイヤル・アルバート・ホールでの「本番」演奏での「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」が、どう聴いても『コーダ』収録のものと全く同一なのだ。と言うと誤解を招くかも。『コーダ』の方は短かめに編集してある。

 

 

短めに編集してあるとはいえ、何度聴いてもソースは同じものだとしか思えない。2003年に『DVD』がリリースされた時に同様の疑問を口にするツェッペリン・ファンがネット上に複数いたけれど、結局真相は誰も分らなかった。『レコード・コレクターズ』誌などに登場する沼田育美さんもその一人。

 

 

ジミー・ペイジ本人に聞きでもしないと真相は分らないんだけど、とにかくあの「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」は、ファースト・アルバム収録のものとは比較にならないほどいい演奏だ。ペイジ本人もそう思っているんだろう、1990年のリマスター・ボックスにはそっちが収録されたほど。

 

 

その素晴しい「アイ・キャント・クイット・ユー、ベイビー」を含む1970年ロイヤル・アルバート・ホール公演12曲が入っている『DVD』一枚目は、現在では僕が最も愛するツェッペリンのライヴ音源だ。以前書いたように映像部分は必要ないと思うような僕は、音だけリッピングして愛聴している。

 

 

ついでに書いておくと、そのロイヤル・アルバート・ホール公演の一曲目がベン・E・キングの「ウィア・ゴナ・グルーヴ」でこれも大好きなんだけど、これだって『コーダ』の一曲目収録のものと同一音源に聞えるんだよね。『コーダ』の説明ではどこにもそういうことは書いていないけれど。

 

 

そのあたり『永遠の詩』といい『コーダ』といい『DVD』といい、ツェッペリンのライヴ音源にはまだまだ謎が多い。完成品の「音」だけ楽しめればそれでいいんだという僕は基本的にはそういうリスナーで、データの類はあまり重視しないんだけど、ここまで書いたことは全て「音」だけ聴いての判断だから。

 

 

ツェッペリンの公式ライヴ・アルバムは現在でも『永遠の詩』と『コーダ』の一部と『ハウ・ザ・ウェスト・ワズ・ウォン』と『DVD』しかないけれど、ブートではライヴ音源がムチャクチャたくさん出ているようだ。熱心なツェッペリン・マニアはブートが出れば全部根こそぎ買ってしまうという評判らしい。

 

 

Twitterの僕のタイムラインにもそういうツェッペリン・マニアの方が一人いる。熱心なツェッペリン・コレクターとは本当にそういうものなのかよく知らない。僕は一枚もツェッペリンのブートは持っていない。だけどマイルス・デイヴィスに関しては全く同じだから、他人のことは言えないね。

2016/03/27

サッチモとブルーズ

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同じようなことばかり何度も書いて申し訳ないけど、第二次大戦前の古いジャズとブルーズはまだ分離していないというか不可分一体になっていて、それも僕が戦前ジャズに惹かれる大きな理由の一つ。これは戦前ジャズをたくさん聴いているファンの方ならみなさんご存知のことだろう。

 

 

これはよく言われる「ブルーズはジャズの重要な発生要因の一つだった」ということとは違う。そもそも19世紀から20世紀の変り目あたりにジャズが産まれた時、その構成要因にブルーズはなかった。このことはどうもやや勘違いされがちなんじゃないかと思う。

 

 

以前も書いた通り、誕生時のジャズは元々は南軍由来の管楽器を使ってのホーン・アンサンブル、つまりブラス・バンドだった。ということは西洋由来の音楽なのであって、よく言われる「ヨーロッパ的要素とアフリカ的要素との合体」によってジャズが誕生したというのは間違っていると僕は思っている。

 

 

ジャズが産まれた当初は南部の黒人は自分で楽器を買える人がまだ少なかったらしい。ニューオーリンズで誕生当時のジャズを担っていたは黒人と言うよりクリオールだった。奴隷解放以後はクリオールも黒人の一種となってしまったわけだし、ジャズは奴隷解放後に産まれた音楽ではあるけれどね。

 

 

ニューオーリンズのクリオール達の文化は、アフリカ由来の血が流れているとはいえそんなに黒くはないというか欧州白人的な文化だったようだ。誕生当時のジャズを担っていたのはそういう白い文化の持主達だったのだ。その当時の録音というのが残っていないので音では検証できないけどね。

 

 

最近はジャズの発生を「ヨーロッパとアフリカの融合」的な視点から考えるよりも、むしろアイリッシュ・ミュージックや欧州大陸のブラス・バンドなどと関連づけて考える視点がかなり出てきているようで、それはそれで喜ばしいことだろう。初期ジャズがそんなに黒くないように感じるのはそのせい?

 

 

そんな具合で発生当時のジャズにブルーズはなかったのではあるけれど、しかしそれでもほぼ同時期か少し前に誕生していた黒人ブルーズを誕生直後のジャズは取込んで、すぐに必要不可欠で重要なファクターにしたというのは間違いない。本当に早かったので最初からあったように思っているだけ。

 

 

そしてジャズメンによるレコード吹込みがはじまる1910年代には、既にジャズにおけるブルーズは完全に切離せない要素となっていたので、録音で辿る限りでは最初からジャズとブルーズは不可分一体なのだ。そしてブルーズが本来持っている猥雑さを感じる戦前ジャズこそ僕には一番魅力的な音楽。

 

 

ジャズ初期のというより全ジャズ界で最大の巨人であるルイ・アームストロングの1920年代録音には、ご存知の通りブルーズ形式の曲がかなり多いというかそればっかりで、曲名も「なんちゃらブルーズ」というものが相当ある。特に独立後ソロで活動をはじめた1925〜27年の録音はそうなのだ。

 

 

この頃のサッチモの音源には生粋のブルーズ・ファンでも惹き付けられるはず。ご存知の通りサッチモは主に1920年代にいわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手の伴奏を実に数多く務めている。僕は『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』という四枚セットのCDを持っている。

 

 

そのバラ売り四枚のCDセット、マ・レイニーやベシー・スミスをはじめ有名・無名取揃えてクラシック・ブルーズの歌手の伴奏を務めたサッチモの全音源を録音順に集大成したものだ。これはかなりの愛聴盤なんだけど、聴くと分るのは、歌手達もサッチモもジャズとブルーズの区別などしていないこと。

 

 

そのCD四枚を聴くと、サッチモが主役の歌手以上に雄弁でトランペットで実によく歌っている。以前ベシー・スミスについて書いた時に、脇役のはずなのに主役を食わんばかりの存在感を示すサッチモの伴奏をベシーは好きじゃなかったらしいと書いたけど、他の歌手もそうだったかもしれない。

 

 

いわゆるクラシック・ブルーズでサッチモが伴奏を務めたものは、大学生の頃はベシー・スミスしか知らなかったんだけど、CDで全四枚分もあるとはやや意外というか嬉しいというか。マ・レイニー、マギー・ジョーンズ、クララ・スミス、トリクシー・スミス、バーサ・チッピー・ヒル、シッピー・ウォレスなどなど、全90曲計四時間以上、楽しくてたまらない。

 

 

余談だけどこの四枚を聴いていると、サッチモの吹く音が時々1970年代マイルス・デイヴィスの電気トランペットみたいに聞えることがあるんだけど、おそらくワーワー・ミュートを付けている音なんだろうなあ。20年代のクラシック・ブルーズを聴いて70年代マイルスを連想するとかヘンかもしれないけど、70年代マイルスってのは要するにそういうことだよな。

 

 

1920年代にはジャズと都会のブルーズの区別はもはやつけられない状態にまでなっていた。むろん同時期のカントリー・ブルーズなどは、これはまた違った音楽だけど、ニューオーリンズやシカゴやカンザス・シティやニューヨークといった都会で発展・洗練されたブルーズはジャズと不可分のものだった。

 

 

それはもっぱら同時代のジャズメンが伴奏者だったいわゆるクラシック・ブルーズの世界だけの話じゃないのかと言われそうだけど、ちょっと違うんだなあ。例えばサッチモの1927年録音「ホッター・ザン・ザット」には、ブルーズ・ギタリストのロニー・ジョンスンが参加していて全く違和感がない。

 

 

ロニー・ジョンスンはブルーズ・ギタリストではあるけれど、ジャズの世界にも片足突っ込んでいるような音楽性の持主だったので、サッチモのバンドとの共演もソツなくこなすことができたのだろう。サッチモのスキャットと互角に渡り合い、大変スリリングだ。

 

 

 

戦前のブルーズ・ギタリストではテディ・バンなんかもジャズと区別できない音楽性の持主だ。ジャイヴ・ギタリストと言われることもあるテディ・バンはおそらくブルーズ・ファンが愛聴していると思うんだけど、ジャズ・ファンで彼を好んで聴く人って今どれくらいいるんだろう?かなり少ない気がするね。

 

 

サッチモとかはピュア・ジャズというか芸術ジャズというかそういう世界の巨匠だと見做されているわけだけど、僕に言わせればピュアでも芸術でもなんでもないね。芸能であり聴き手を楽しませることだけを念頭に置いてひたすらそれを追求したエンターテイナーに間違いない。

 

 

そういう芸能性というかエンタテイメント性を、ビバップ以後のモダン・ジャズはかなり失ってしまった。失ってしまったがゆえに、逆にかえってある意味より多くの(芸術嗜好の)ファンを獲得できもしたわけだ。それが悪いとは絶対に言えない。そういう種類の音楽としてモダン・ジャズは進んでいった。

 

 

悪いとは絶対に言えないのではあるけれど、現在の僕にとってよりチャーミングに響くのは、何度も書いている通りブルーズの猥雑さ・下世話さと不可分一体になっているビバップ以前の戦前ジャズの方なんだよなあ。そして戦前戦後全部含め米大衆音楽全体を見渡すと、そういう猥雑な音楽の方が主流だ。形式としてのブルーズ・ナンバーはモダン・ジャズでも相変らず多いけれど、猥雑さはほぼ完全に消え失せている。

 

 

(元々はジャズの一部から派生したはずの)リズム&ブルーズからロック・ミュージックが誕生し瞬く間にアメリカ大衆音楽のメイン・ストリームがジャズ系からロック系になったのも、ジャズが大衆にアピールできるエンターテイメント性を失って一部だけにウケる芸術になってしまったからだろう。

 

 

戦前、主に1920年代にたくさんブルーズをやりブルーズ歌手の伴奏もやったルイ・アームストロングはというと、戦後もW・C・ハンディ集を録音したり、まあそれは普通のジャズだけど、ジャズでもないようなポップ・ソングをたくさん歌い、また最晩年70年録音の『ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・フレンズ』でR&Bに接近し、R&Bアレンジの「ウィ・シャル・オーヴァーカム」やジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」をやったりしている。やっぱりサッチモはさすがだよなあ。

 

2016/03/26

ギリシア人歌手のサルサだったりシャアビだったり

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ご存知の方も多いと思うけど、ギリシア人歌手ヨルゴス・ダラーラスには、僕の聴いた限りでは一曲だけサルサ・ナンバーがある。ベスト盤『ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ヨルゴス・ダラーラス』九曲目の「アスタ・シエンプレ」がそれ。

 

 

 

「アスタ・シエンプレ」は有名なキューバの曲で、1965年にこれを書いたのはカルロス・プエブラ。どうして有名かというと、この曲はチェ・ゲバラが同年にキューバを出る際に、フィデル・カストロに宛てた別れの手紙への返礼という意味合いで書かれたものだからだ。

 

 

一説によると「アスタ・シエンプレ」は200人以上の歌手が歌っているらしいが、僕はヨルゴスのを含め六つしか持っていない。YouTubeで探すといろいろと上がっていて、こういうのがわりとトラディショナルなヴァージョンらしい。

 

 

 

「アスタ・シエンプレ」を歌っているキューバ人歌手で一番知名度があるのは、おそらくオマーラ・ポルトゥオンドだろうね。それもなかなかいい。それも含めどれも全部もちろんラテン・ナンバーだけれど、サルサなフィーリングはない。どうしてヨルゴスのだけあんな風なんだろう?

 

 

先に音源を貼ったヨルゴスのはギタリスト、アル・ディ・メオラとの共演だ。スタジオ録音だけど、『ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ヨルゴス・ダラーラス』のブックレットには”previously unreleased” との記載があるので、おそらくこのベスト盤でしか聴けないんだろう。

 

 

ヨルゴスとアル・ディ・メオラといえば、全曲ラテン・ナンバーをやったその名も『ラテン』というアルバムは有名だよね。1987年だったかなあ。僕はリマスター盤と銘打ったCDで持っているけど、アル・ディ・メオラというギタリストは、指が高速・正確に動くという以外の美点を僕は見出しにくいからなあ。

 

 

商業的に成功し玄人筋からの評価も高いらしい『ラテン』だけど、そういうこともあってか僕にはどうもイマイチだった。ヨルゴスは他にもアル・ディ・メオラを使っている作品があるらしいんだけど、僕は全く聴いていない。『ラテン』がイマイチだったしアル・ディ・メオラも好きじゃないし。

 

 

だけど音源を貼ったサルサ風の「アスタ・シエンプレ」だけはかなりいいと思うなあ。書いたように未発表曲とのことだけど、こんなに面白いものがどうして未発表のままでベスト盤にしか入っていないんだろうなあ。いくつかあるアル・ディ・メオラとの共演作からのアウト・テイクに違いない。

 

 

こっちは同じヨルゴスによる同曲のライヴ・ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=1UBq3f_bM1A  最初に貼ったスタジオ・ヴァージョン同様にやはりピアノの弾き方がサルサ風だし、ティンバレスも入るしフルートだって入っている。これは何年頃のライヴなんだろうなあ?

 

 

同じくヨルゴスのライヴでの「アスタ・シエンプレ」→ https://www.youtube.com/watch?v=ddD5wM1d0yg  こっちははっきり2001年と書いてある。スタジオ・ヴァージョンも上に貼ったライヴ・ヴァージョンもアレンジは同じだけど、2001年のでは別の男性歌手も歌っている。

 

 

しかしこんなにはっきりとサルサをやっているヨルゴスというかギリシア人歌手というのは不案内な僕は知らない。普段からラテン風も結構やるヨルゴスだし、そもそもギリシア音楽やそれにかなり近いトルコ音楽・アラブ音楽とラテン・テイストとの相性はかなりいいと思うけど、もろサルサってのはないような。

 

 

アラブ歌謡の女王であるレバノン人歌手フェイルーズにもラテン・フィーリングな曲は結構ある。エル・スールで『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』を買うと付いてくる十曲入りのCDR『初期フェイルーズ・エキゾティック歌集』にそんなラテン・フィーリングなのが結構あるんだよねえ。

 

 

もちろん本編の『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』にもボレーロやバイヨンなどのラテン・リズムを使った曲がかなりあるし、そういうのを聴いているとアラブ歌謡(やトルコ歌謡)とラテン・テイストの相性の良さを実感する。トルコ人歌手シェヴァル・サムに『タンゴ』という作品もあったし。

 

 

なんども書いている通り、オスマン帝国時代の19世紀末〜20世紀初頭、現在のトルコとギリシアは同一領土内にあって音楽含め文化的に深い関係があったから、その後オスマン帝国が崩壊した後も両国の音楽には共通する要素が多い。希土戦争後の住民交換を経てもそんな感じがあるもんねえ。

 

 

だから1960年代末にデビューした新時代のギリシア人歌手のヨルゴス・ダラーラスだって、トルコ〜アラブな音楽風味濃厚な古いレンベーティカを実によく継承していて、特にさほどでもないようなアルバムにだって、アラブ〜トルコ風味が聴けるものが結構ある。

 

 

ヨルゴスをいろいろと聴いているとかなりアラブ風〜トルコ風な曲は多く、普通のギリシア歌謡だなと思って聴いているとやはりアラブ風な感触が出てきたりするし、レンベーティカのルーツを考えれば当然のことではあるけれど、やはりそういう哀感に満ちたアラブ〜トルコと不可分一体なギリシア歌謡が最高だ。

 

 

ヨルゴスの最も露骨なアラブ・テイストは、最初に書いた『ザ・ヴェリー・ベスト・オヴ・ヨルゴス・ダラーラス』11曲目で僕は初めて聴いた「イーヴン・イフ・アイ・ウォンティッド・ユー」だ。それとはヴァージョンが違うようだけど、ヨルゴスによる同曲を。

 

 

 

こっちは同曲のスタジオ録音→ https://www.youtube.com/watch?v=NDW1A1UjL9Q  アラブ歌謡のファンの方々なら聴いてすぐにあっあれだ!と分るはず。そう、アルジェリアの大歌手ダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」なのだ。

 

 

 

アルジェリア歌謡シャアビの名曲中の名曲だからみなさんご存知のはずだし、僕も大好きでたまらない。最近では同じアルジェリア出身でフランスで活動するラシッド・タハが何度も歌っているので、それで再び有名になった。タハは最初『ディワン』でやり『ラシッド・タハ・ライヴ』でもやっている。

 

 

また例の有名なラシッド・タハ+ハレド+フォーデルのパリでのライヴ・イヴェントの実況録音盤『アン・ドゥ・トロワ・ソレイユ』でもやっているもんねえ。現代ではそういった一連のラシッド・タハ・ヴァージョンでアラブ歌謡の名曲「ヤ・ラーヤ」は有名になっているかもしれないと思うほどだ。

 

 

ダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」は大好きでたまらない僕で、この曲だけいろんな歌手のヴァージョンを集めた一時間半ほどのプレイリストを作って聴いているくらい。なかにはインストルメンタル・ヴァージョンもある。この曲については喋りたいことが山ほどあるから、また別の機会に。

 

 

ともかくヨルゴスの「ヤ・ラーヤ」(という曲名にはなっていないけれど)は、歌詞こそアラビア語ではないものの、伴奏のアレンジも楽器を置換えただけで、打楽器連打からはじまりその後もアラブ伝統的ヴァージョンをそのまま使っているし、歌の旋律ももちろん完全に同じだ。

 

 

こういうヨルゴスのアラブ風味を聴くと、やはりこの人は「分ってる」なあって思うんだ。ギリシアとアルジェリア等マグリブ諸国とは、地中海を挟んだだけのある意味近隣だし、トルコとは正真正銘隣国同士、それに書いたように古代ローマ〜オスマン帝国時代は同一領土内で別の国になってからの方が短いんだし、音楽的には同一文化なんだよね。

2016/03/25

69年マイルスの核はロスト・クインテット

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1969年のマイルス・デイヴィス+ウェイン・ショーター+チック・コリア+デイヴ・ホランド+ジャック・ディジョネットによるコンボを「ロスト・クインテット」と呼び始めたのはいつ頃からなんだろう?海外でも ”Lost Quintet” と呼ばれていて、僕が参加している英語による海外のマイルス系メーリング・リストでも使われている言葉。

 

 

この1969年のバンドがなぜロスト・クインテットと呼ばれているかというと、活発にライヴ活動を行っていたにも関わらず、当時は公式発表された音源がライヴでもスタジオでもただの一つも存在しなかったからだ。この編成のバンドは68年末頃に誕生していたようだが、68年のライヴ録音はブートでも全く存在しない。

 

 

あまり知られていないけどこのロスト・クインテットは、1969年初頭に来日公演が予定されポスターまで刷られていた。僕はそのポスターの写真を見たことがあるのだが、ドラマーはなぜかトニー・ウィリアムズになっている。もし実現していたら、黄金のクインテット(テナーはサム・リヴァースだけど)による64年の初来日に続く、二回目のマイルス来日公演となるはずだった。どうして中止になったのだろう?

 

 

僕が最初にロスト・クインテットの音源を聴いたのは、1969/10/27のローマでのライヴで、『ダブル・イメージ』という二枚組LPだった。今ではCDになっているブートだけど、最初はLPで出ていた。何年頃買ったのかスッカリ忘れてしまったけど、おそらく80年代、それも松山で買ったものだったはず。

 

 

しばらくはその『ダブル・イメージ』しかなかった、というかそもそもこのLP二枚組はマイルス・ブートとしては最初期のものだったらしく、他にあったのかどうか僕も知らない。一般にマイルスのブート音源が盛んに出始めるのは彼が死んだ1991年以後で、CD時代になってからのこと。

 

 

そして1993年にはロスト・クインテット初の公式盤『1969 マイルス』というライヴCDが日本でだけ発売されて、それと相前後して、ブートでもロスト・クインテットのライヴ音源がたくさん出るようになった。

 

 

もっともその後も公式盤では『1969 マイルス』しかロスト・クインテットの音源は存在せず、しかもさっきも書いたようにこれは日本でだけ出たもので(とはいえ、海外の熱心なファンは日本からの輸入盤で聴いていたようだ)、海外でこの音源が公式発売されたのは2013年の四枚組が初だった。

 

 

その『1969 マイルス』を含む2013年の『マイルス・デイヴィス・クインテット・ライヴ・イン・ユーロップ 1969』が、今でもロスト・クインテット唯一の公式盤音源。そして、69年にはたくさんのライヴを行っているから、ブート盤ではかなりの音源が存在する。

 

 

ロスト・クインテットのライヴ音源で一番いいとマニアの間で意見が一致しているのが、1969/11/5のストックホルム公演。長らく『スウェディッシュ・デヴィル』という二枚組ブートでお馴染みのものだ。最近では『ザ・ロスト・フリート』というタイトルでもリマスターと銘打って発売されている。

 

 

前述の公式盤『マイルス・デイヴィス・クインテット・ライヴ・イン・ユーロップ 1969』には、その1969/11/5ストックホルム公演からファースト・セットだけが収録されている。これは本当に理解できなかった。セカンド・セットも凄いのになぜ同時収録しないんだ?

 

 

こういうことだからレガシーのマイルス関係の発掘音源はダメだと言われる。他に例を挙げていたら本当に枚挙に暇がないくらいだ。せっかくロスト・クインテット・ライヴの最高傑作を公式に世に出すチャンスだったのにファースト・セットしか収録しないとかなあ。セカンド・セットの方がむしろ凄いぞ。

 

 

だから個人的にセカンド・セットから最初の二曲だけYouTubeに上げた。

 

一曲目「ディレクションズ」https://www.youtube.com/watch?v=jI02ZaZWfL4

 

二曲目「ビッチズ・ブルー」 https://www.youtube.com/watch?v=RlaNqkEUMEw

 

サックスとドラムスがとんでもないことになっているよね。

 

 

自分では数えたことがないからロスト・クインテットのブート盤ライヴ音源が何枚くらいあるのか分らないけど、相当に多いことは確か。中山康樹さんの『マイルスを聴け!』で数えれば数が分るだろうけれどね。僕が持っているだけでもおそらく20枚近くあるんじゃないかなあ。なかには音質のひどいものもあるが。

 

 

今ではファースト・セットだけ公式化された1969/11/5ストックホルム公演だって、最初に出たブートCDはそりゃ音のひどいものだった。もう売払ってタイトルも忘れたけれど、中山さんのマイルス本の第何版かでも、録音状態が最悪だけど内容は最高だから買えと書いてあったくらいだった。

 

 

その最初のブート盤、確か九州の業者で、支払方法が銀行振込みしかなく(まあ渋谷マザーズなども通販では今でもそうだけど)、欲しいタイトルを先方に伝える方法もやや面倒くさかったし、届くのに時間が掛った記憶がある。聴いてみたらなにをやっているのか殆ど分らないようなものだった。中山さんはあれでよく「内容は最高」とか判断できたもんだなあ。

 

 

しばらくすると、同じものが名古屋のサイバーシーカーズから『スウェディッシュ・デヴィル』として出て、欧州でのFM放送音源をそのまま直接のソースにしていたから、音質的には問題なくなっていた。モノラル録音だけど。しかしながらラジオ放送というだけあって、最初と最後にアナウンサーの喋りが入っていたのが残念。

 

 

切るのは簡単なんだから、その最初と最後のアナウンサーの喋りはカットしてライヴ音源だけ収録してくれたら良かったのにと思いながらそれだけ飛ばして長年聴いていたら、今度は同日音源を渋谷マザーズで『ザ・ロスト・フリート』として売るようになり、音質的には違う気はしないけど最初と最後の喋りはカットされていた。

 

 

というわけで、何の不満もない状態で1969/11/5のストックホルム公演を聴けるようになった。その他音質も良く音楽的内容も充実しているロスト・クインテットのブート盤はかなり多い。というか問題は音質だけで、69年のマイルス・ライヴはどれも内容的には素晴しいというのが正しい。

 

 

ロスト・クインテットの五人そのままの形ではライヴ音源しか存在しないけど、このバンドはスタジオ録音でもコアになっている。1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』はこのロスト・クインテットを中心に参加メンバーを拡充したものだ。五人全員参加していて演奏の重要な中心になっている。

 

 

エレピだって多くの曲でチック・コリア、ジョー・ザヴィヌル、ラリー・ヤングの三人が同時参加しているけど、キューを出しているのはいつもチックだ。そもそも『ビッチズ・ブルー』に収録されている多くの曲が、それ以前からロスト・クインテットのライヴで演奏されてきたものだったからね。

 

 

1969年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』だって中心はロスト・クインテットでドラムスがトニー・ウィリアムズになっているだけ。この時期マイルスのレギュラー・バンドのドラマー既にジャック・ディジョネットに交代していたのに、この時の録音でだけなぜトニーを使ったんだろうなあ?

 

 

『イン・ア・サイレント・ウェイ』を聴くと、やはり鍵盤奏者が三人(チック・コリア、ハービー・ハンコック、ジョー・ザヴィヌル)いるんだけど、まだチックが『ビッチズ・ブルー』で聴けるほどには主導権を握っていない感じがする。ギターのジョン・マクラフリンもマイルスの指示通りかなりおとなしい。

 

 

ピーター・バラカンさんが言うには(彼はどっちもリアルタイムで買って聴いた世代)、『イン・ア・サイレント・ウェイ』が大好きで、それでマイルス・ファンになったけど、同じようなメンバーがメインの『ビッチズ・ブルー』の方は荒々しい感じがして、好きじゃなかったらしい。バラカンさんは暴力的だったりセクシュアルだったりするものが生理的にダメらしいから。でもそれじゃあブラック・ミュージックはねえ。

 

 

古いジャズ・ファンの間では『ビッチズ・ブルー』は評価が高いけれど、『イン・ア・サイレント・ウェイ』はそこへ至る過渡期という位置付けでイマイチ評価が高くない。これは油井正一さんがそういう言い方をしている影響も大きいんだろうと思っている。『ジャズの歴史物語』でもそう書いているもんね。

 

 

昔から『イン・ア・サイレント・ウェイ』の方がいいというファンはバラカンさんみたいに一定数存在していたけど、多くはジャズ・プロパーなリスナーではなく、一般のジャズ・ファンがこれを評価し始めたのは1990年代以後。その核は『ビッチズ・ブルー』同様ロスト・クインテットだったわけだ。

 

 

でもそういうスタジオ録音では、ロスト・クインテットの真の姿というか実力は分りにくい。やっぱり1969年のライヴ音源を聴いてもらわなくちゃ。そういうライヴを収録したブート音源が多く流通し始めたのも90年代以後だから、このバンドの真価が分るようになったのは一般的にはやはりその頃からだ。

 

 

もっともライヴ音源を聴いてほしいと言っても、公式盤が『マイルス・デイヴィス・クインテット・ライヴ・イン・ユーロップ 1969』四枚組しかないし、かといって一般のファンにブートを買ってくれとも言えないし、ちょっと困っちゃうんだよなあ。せめて日本のファンの方々は一枚物の『1969 マイルス』を買ってほしい。

 

 

2016/03/24

ジャジーな「飾りじゃないのよ涙は」

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井上陽水が中森明菜に提供した1984年の「飾りじゃないのよ涙は」。明菜のヴァージョンも好きだけど、陽水自身もセルフ・カヴァーしたものがあってCDにも収録されていて、そっちの方が個人的にはより好きなのだ。初期の宇多田ヒカル同様、ソングライターとしての才能の方が歌手としてのそれより上だと思う陽水だけど。

 

 

明菜のオリジナル・ヴァージョンももちろんいいんだけど、それはみなさんよくご存知だと思うので、この陽水+安全地帯の伴奏で歌ったものを。これはフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』だなあ。

 

 

 

もっと好きなのが、陽水自身による4ビートなジャズ・アレンジの「飾りじゃないのよ涙は」だ。これは何種類か上がっているけど、スタジオ録音によるものはこれ。ベースがウッド・ベースで、それがランニング・ベースを弾いている。

 

 

 

陽水はこの曲をジャジーな雰囲気でやるのが多かったらしく、ライヴ・ヴァージョンでもこういうのがある。これ何年頃のどこでの演奏なんだろうなあ?先に貼ったスタジオ・ヴァージョンとほぼ同じアレンジだけどね。

 

 

 

僕はジャズ・ファンだからこういう感じは好きだけど、一般の明菜ファンや陽水ファンで、こういう「飾りじゃないのよ涙は」を面白がって聴く人ってどれくらいいるんだろう?陽水ファンはともかく明菜ファンには少ないような気がする。

 

 

明菜はデビュー当時からある時期までは僕も結構ファンだけど、レコードやCDは買ったことがない。もっぱらテレビの歌番組で見聴きしていただけ。その少ない体験のなかでは「飾りじゃないのよ涙は」が一番好きな曲。陽水もそんなにたくさんは聴いていない。今ではCDでベスト盤を二種類と、先に貼ったジャジーな「飾りじゃないのよ涙は」のスタジオ・オリジナルが入っている『Blue Selection』を持っているだけ。

 

 

陽水を初めて聴いたのは中学三年の時の音楽の授業。三月の年度最後の授業の一回前に女性教師が、みんなもう卒業だからその記念でみんなの好きなレコードをかけてあげるから次回持っていらっしゃいと言ったのだ。そして誰かが陽水のレコードを持ってきて「夢の中へ」がかかったのだった。

 

 

その時が陽水を聴いた初体験。「夢の中へ」だって当然初めて聴いたわけだ。その授業の際に他にもいろいろとクラスメイトが持ってきたレコードがかかったはずなのにそれらは全く憶えていない。陽水の「夢の中へ」だけを今でも憶えているというのはやはりなにか僕の印象に残ったんだろうなあ。

 

 

僕が中学三年というのは1976年。シングル盤「夢の中へ」は73年に出ている。それを聴いて強い印象を受けたものの、陽水のレコードを買おうとは全然思わなかったのはちょっと不思議。当時の僕がレコード(主にドーナツ盤)を買っていたのは、沢田研二とか山口百恵とか。

 

 

陽水が注目されるようになったのは、間違いなく1973年のアルバム『氷の世界』からだけど、その前の井上陽水名義での初アルバム『断絶』から既に玄人筋からの評価は戦ったらしい。特にこれには「傘がない」があって、同曲は現在に至るまで彼の代表曲だ。でもこれ、フォーク路線でもなんでもない。

 

 

「傘がない」はワン・コーラス目もツー・コーラス目も一見社会派風の歌詞ではじまるけれど、しばらく聴き進むと「だけども問題は今日の雨、傘がない」「行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ」と来るから、真剣に聴いているとガクッと来るんだよね。要するにただのラヴ・ソングだ。

 

 

彼は井上陽水に芸名を変更した時には吉田拓郎を意識したらしいし、陽水名義でのデビュー当時はいわゆる四畳半フォークにも通じるような雰囲気がないわけでもないし、1975年には拓郎や小室等らと一緒にフォーライフ・レコードを興したから、ちょっと誤解されているかもしれないよね。

 

 

僕のなかでの陽水は真面目で社会派なフォーク路線の人ではなく、ラヴ・ソング中心のポップな持味の人なんだよね。先に書いたように「傘がない」がそうだし、「夢の中へ」なんかはかなり明快なポップ・ソングだし、安全地帯がバック・バンドだった時代からはそれがより明確になってくる。

 

 

安全地帯が独立してからは、彼らのために「ワインレッドの心」を書き(作詞だけ)ヒットさせているし、最初に書いたように中森明菜に「飾りじゃないのよ涙は」を提供し、自身の「いっそセレナーデ」とか、まあ全部ポップなラヴ・ソングばかりだ。そういうのこそが本領の人なんじゃないかと思っている。

 

 

そもそも何度も「井上陽水名義」と書いているように、彼はこの名前でデビューしたのではない。最初アンドレ・カンドレという芸名でデビューし、デビュー曲は「カンドレ・マンドレ」だった。言葉遊びのおふざけ人間だったわけだ。しかもビートルズ狂で自身は全然フォーク歌手とは思っておらず、しかし当時の風潮でそう扱われただけ。

 

 

そういう陽水の遊び心満載のポップ路線が一番濃厚に出ているのが、井上陽水奥田民生名義でリリースされた1997年のアルバム『ショッピング』じゃないかと思うんだよね。僕はこのCDが大の愛聴盤なんだけど、きっかけは元々Puffyの「アジアの純真」で奥田民生と組んだことにあったらしい。

 

 

Puffyのシングル盤「アジアの純真」に続き、奥田民生と組んで二人自ら歌ったシングル盤「ありがとう」、この二つが『ショッピング』制作の端緒らしい。両曲とも『ショッピング』に収録されている。「アジアの純真」の方は二人によるセルフ・カヴァーで、アルバム・ラストに入っている。

 

 

「アジアの純真」は作曲が奥田民生で作詞が井上陽水。この曲の歌詞こそ陽水の持味をふんだんに発揮しまくった最高傑作なんじゃないかと僕は思っているくらい。スタジオ録音ヴァージョンはあがっていない(実は聴いてほしくて上げたんだけど、速攻でクレームがついて日本を含め世界各国で再生不可になった)ので、このライヴ・ヴァージョンを。

 

 

 

僕のブログをお読みになる方で「アジアの純真」とかお聴きの方は少ないかもしれないので、ちょっと聴いていただきたい。スタジオ・ヴァージョンとはリズムの感じや曲調がかなり異なっているけれど、陽水の書いた歌詞はそのまま。お分りのようになんの意味もなく言葉の音だけ利用した言葉遊びで埋め尽されている。

 

 

僕はこういうのこそポップ・ソングの歌詞の理想型だと思うんだ。アルバム『ショッピング』収録曲は、どれも全部そう。「アジアの純真」と「ありがとう」「侘び助」以外は、陽水と民生がそれぞれ単独に歌うんだけど、曲調も様々な米英ポップス/ロックへのオマージュで成立っている上に、無意味な歌詞が乗る。

 

 

四曲目の「ショッピング」がスウィング・ジャズ(特にベニー・グッドマンの「シング、シング、シング」を引用)、七曲目の「2500」はレッド・ツェッペリン、八曲目の「AとB」はフィル・スペクターのウォール・オヴ・サウンド、十一曲目の「ありがとう」がビートルズなどなど、全て米英ロック/ポップス路線そのまんまなのだ。

 

 

陽水はその後も21世紀に入ってから、アルバム『UNITED COVER』で「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」「銀座カンカン娘」「東京ドドンパ娘」「ウナ・セラ・ディ東京」などをカヴァーしているし、『Blue Selection』では自作曲のジャズ・ヴァージョンを披露したり。

 

 

「飾りじゃないよ涙は」のジャズ・ヴァージョンも、書いたように『Blue Selection』に入っているものだ。まあそんな具合で井上陽水というシンガー・ソングライターは社会派でも四畳半フォークでも叙情的作風でもなく、軽快で親しみやすいポップなのが持味の人だろうというのが僕の見解なんだよね。

2016/03/23

セクシーな「蜘蛛と蠅」

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ローリング・ストーンズのやったブルーズ曲で今一番好きになっているのは「ザ・スパイダー・アンド・ザ・フライ」だ。もっともこの曲の初演である1965年ヴァージョン(米盤『アウト・オヴ・アワ・ヘッズ』)で好きになったのではなく、95年の再演である『ストリップト』収録ヴァージョンで好きになった。

 

 

1965年ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=qP-iGC8pPEw

 

1995年ヴァージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=FDedLtT5sno

 

後者の『ストリップト』収録ヴァージョンは、見て分る通りスタジオ・ライヴだ。

 

 

1965年は主にエレキ・ギター、95年はアクースティック・ギターが中心になっているのが最大の違い。そもそも『ストリップト』というアルバムは、タイトルで連想できるようにMTVアンプラグド的な企画アルバムで、ストーンズ自身の過去曲をアクースティック・アレンジで聴かせるものが中心になっている。

 

 

僕の耳には1995年アクースティック・ヴァージョンの方がやや色っぽいように聞えるんだよね。元々男女関係の隠喩みたいな曲名と歌詞だし、サウンドもセクシーだし、曲調も米カントリー・ブルーズ風だし、それらを95年ヴァージョンの方がよりよく表現できている気がする。65年ヴァージョンも悪くないけどね。

 

 

アクースティック・ギターでやった方がカントリー・ブルーズのフィーリングが出やすいし、キース・リチャーズがミック・ジャガーのヴォーカルのオブリで弾くフレーズもセクシーだし、ギター・ソロ(それもキース)もいい。チャック・レヴェルの弾くフェンダー・ローズも柔らかくていいよね。ベースも大好きなダリル・ジョーンズだし。

 

 

1965年ヴァージョンでもジャック・ニッチェが鍵盤を弾いているらしいんだけど、ちょっと聞えないなあ。チャーリー・ワッツのドラミングも95年ヴァージョンではブラシを使っていて僕好み。全体的に95年ヴァージョンの方がレイド・バックした感じになっているのがセクシーな感じをよく表現しているね。

 

 

ミックの吹くブルーズ・ハープだけは1965年ヴァージョンの方がいいようは思う。ミックってブルーズ・ハープ上手いよね。専門のブルーズ・ハーピストではないけれど、この時代のUKロック・ヴォーカリストは、大抵全員ブルーズ・ハープもやる。その印象の強くないロバート・プラントだってそう。

 

 

「ザ・スパイダー・アンド・ザ・フライ」は、1965年のスタジオ録音の後、66年頃のライヴでも演奏されたらしい。アルバムなどには収録されていないというか60年代にはストーンズのライヴ・アルバムはない。66年の『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット』は疑似ライヴだし。

 

 

ストーンズ初のちゃんとしたライヴ・アルバムは1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』。そこにもたくさんブルーズ曲がある。ロバート・ジョンスンのカヴァー一曲、チャック・ベリーのカヴァー二曲、自作の「ストレイ・キャット・ブルーズ」「ミッドナイト・ランブラー」。

 

 

長年ストーンズがやったブルーズで一番好きだったのが、そこでもやっている「ラヴ・イン・ヴェイン」で、エリック・クラプトンが2004年のロバート・ジョンスン集でやっているのなんかより、比較にならないほど断然いいよね。クラプトンのは忠実なカヴァーだけどストーンズのはバラード風。

 

 

クラプトンがオリジナル通りの形でないと表現できなかったのに対し、ストーンズのはロバート・ジョンスンの原曲にあるバラード・フィーリングを自己流に見事に独自解釈していて、はるかに原曲の持つ感触を現代に活かしていると思える。クラプトンだって「ラヴ・イン・ヴェイン」じゃないけど、クリーム時代はそうしていたんだけどなあ。

 

 

『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』は、個人的好みだけなら今でも一番好きなストーンズの公式ライヴ・アルバムだ。いや、数年前に公式配信オンリーでリリースされた『ブリュッセル・アフェア』があるから、その次ということになるかなあ。あれは元々ブートで出回っていたものだけど。

 

 

公式盤『ブリュッセル・アフェア』は、今ではCDでもリリースされているけれど、それはどうやら二枚組になっているらしい。でも配信で買った同一音源は丸ごと全部CDR一枚に収る長さなんだけど、公式CDではどうして二枚に分けたんだろう?これの「ミッドナイト・ランブラー」も最高なんだよね。

 

 

『ブリュッセル・アフェア』収録の「無情の世界」は、長年この曲の最高のヴァージョンと信じられてきて僕もそう信じていた『ラヴ・ユー・ライヴ』収録ヴァージョンを上回る出来だと思う。ミック・テイラーのソロには聴惚れる。途中でプツっと突然テナー・サックス・ソロにスイッチするのだけが残念。

 

 

『ブリュッセル・アフェア』には、ミック・テイラーが最初スライドで最後は指弾きでソロを弾く極上の「ラヴ・イン・ヴェイン』が入っていない。ミック・テイラーのそういうプレイが聴ける「ラヴ・イン・ヴェイン」の公式音源は、DVD『レディース・アンド・ジェントルマン』のものだけなのだ。

 

 

だから僕はいつもストーンズの有名定番ブートCD『ナスティ・ミュージック』で「ラヴ・イン・ヴェイン」を楽しんでいる。そういう1973年頃のライヴでの「ラヴ・イン・ヴェイン」こそ、ストーンズのやったブルーズ演奏では最高のものに間違いないと信じていた。これが公式化すると嬉しいんだけどねえ。

 

 

ストーンズのライヴでのブルーズは、1977年の『ラヴ・ユー・ライヴ』二枚目A面のいわゆるエル・モカンボ・サイドも最高だよね。1977年トロントのエル・モカンボ・クラブでの収録。マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフやチャック・ベリーなど、シティ・ブルーズのカヴァーばかり四曲。

 

 

元々1960年代前半のストーンズはそんなのばっかりやっていたバンドで、最初の三枚なんか完全にそうだ。60年代半ばからオリジナル曲も増え、サイケ路線をやったり68年頃から米南部路線にドップリハマったりしているけれど、ブルーズ曲への傾倒は現在に至るまで全く変らず続いているものだ。

 

 

1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』や1977年の『ラヴ・ユー・ライヴ』エル・モカンボ・サイドや90年のライヴ・アルバム『フラッシュポイント』でクラプトンがソロを弾く「リトル・レッド・ルースター」もその一環に過ぎない。そしてそれらが95年『ストリップト』に繋がる。

 

 

『ストリップト』には「ザ・スパイダー・アンド・フライ」だけではなく「ラヴ・イン・ヴェイン」も何度目だか再演し、またこれはストーンズは初めてやったはずのハウリン・ウルフの「リトル・ベイビー」(書いたのはウィリー・ディクスン)もある。「ザ・スパイダー・アンド・ザ・フライ」がいいというのは前半で述べた通り。

 

 

『ストリップト』の「ラヴ・イン・ヴェイン」も「リトル・ベイビー」もなかなかいいよ。前者ではロニーが普通のアクースティック・ギターを膝の上に寝かせて上からスライド・バーで弦を押えてソロを弾く。ミックのブルーズ・ハープもいい。後者は普通のシカゴ・ブルーズ・スタイルでやっているから、昔取った杵柄みたいなもんだ。

 

 

『ストリップト』というアルバムが、元々その「リトル・ベイビー」とボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の二曲を除けば、全部1960〜70年代初期の過去レパートリーのアクースティック・アレンジでの再演が主眼のものだったから僕は大好きで、昔も今もよく聴くんだよね。

 

 

僕はストーンズのやったストレートなブルーズ・フォーマットの曲だけ集めたプレイリストをiTunesで作って楽しんでいる。「リトル・レッド・ルースター」なんか三つもある。しかし全部で約二時間ほどと案外少ないんだなあ。そんなもんなのか。

2016/03/22

フロントマンもドラマー次第

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ドラムセットを使う他の音楽もそうだけど、ジャズでもドラマー次第でフロントマンはどうにでも変る。地味な脇役みたいなのが本領の人が、突然派手な主役に躍出たりする。以前書いた『オーバーシーズ』でのトミー・フラナガン(ドラムスはエルヴィン・ジョーンズ)も、ハードなピアニストに変貌している。

 

 

以前書いたように、1970年代にたくさんリーダー・アルバムを録音するようになる前のトミー・フラナガンは完全なる脇役タイプで、いろんな人のリーダー・アルバムに参加して渋いプレイを聴かせるというのが持味の人で、それも別にそんなにキラリと光るような感じでもなく、ほぼ完全に地味な演奏だ。

 

 

だからエルヴィンの猛プッシュでハードなピアニストに変貌している、1970年代に入る前の唯一のリーダー・アルバム1957年の『オーヴァーシーズ』でのプレイぶりは、僕は最初にこれで知った人だったので別に意外になんでもなかったけれど、当時の彼からしたら例外中の例外なのだった。

 

 

それくらい『オーヴァーシーズ』でのエルヴィンは凄いというかとんでもなくぶっ飛んでいる。そんな具合にドラマーのプッシュ次第でフロントマンがどうにでも変貌できるというのをもっと実感したのが、1970年代のグレイト・ジャズ・トリオだ。名前通りピアノ・トリオで、ハンク・ジョーンズが主役。

 

 

ハンク・ジョーンズという人は、トミー・フラナガンに比べたら1950年代からまあまあリーダー・アルバムもある人だけど、それもだいたい全部地味な内容で、やはりハンクもどちらかというと脇役タイプの渋いピアニストだ。僕が最初にハンクを聴いたのは、キャノンボール・アダレイの『サムシン・エルス』でだった。

 

 

特に一曲目の「枯葉」。あれがマイルス・デイヴィスというトランペッターを知ったという初体験で、しかもそのハーマン・ミュートでのかなり音数の少ないソロにムチャクチャ感激して、こんな人がいるんだと驚いて、現在まで続くマイルス熱に感染した最初になった一曲だったけど、ハンクのピアノもいい。

 

 

特に終盤でマイルスがエンディング・テーマを吹く途中から突然ピアノ演奏によるインタールードになり、グッとテンポが落ちてスローになって、ハンクがソロを弾く。その部分がもうたまならなく沁みてくる内容だった。あれはたまらんよねえ。ミーハーだろうとは思うけど、今聴いても素晴しいと思う。

 

 

 

 

名義ではリーダーになっているキャノンボール・アダレイには特になにも感じなかったというか、むしろ吹きすぎだろうというか、極端に音数の少ないマイルスのソロと並ぶので饒舌すぎるように思えて、こんなに音数をたくさん吹かないと言いたいことが言えないようではダメだとすら思ったけどね。

 

 

そして「枯葉」で惚れたマイルス同様、ハンク・ジョーンズというピアニストにも惚れちゃったわけだ。まあしかしあそこでもハンクは全然派手ではなく相当に渋いプレイぶりだから、そんなものに17歳の高校生が夢中になったというのは、同様に渋いマイルス含め今考えると少し意外な気もするけれど。

 

 

1950年代のハンク・ジョーンズはサイドメンで参加したものも自身のリーダー作も、だいたい全部そんな感じで、ハードにスウィングしまくるようなタイプのピアニストではなかった。それが1977年からのグレイト・ジャズ・トリオではかなり様子が違っていて、相当激しい演奏ぶりを聴かせている。

 

 

グレイト・ジャズ・トリオのドラマーは、あのトニー・ウィリアムズ。1977年なら元気満々だから、60年代同様ハードに叩きまくっていて、ハンク・ジョーンズみたいな渋い人のバックでこんなに激しく叩きまくってもいいのか?と心配しちゃうほどのドラミング。それに乗せられてハンクもノリノリ。

 

 

1977年からと書いたけれど、これはグレイト・ジャズ・トリオが有名になった第一作『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』の出た年で、実はその前に実質的デビュー・アルバムが一つある。76年の『ラヴ・フォー・セール』で、ドラムスは同じトニーだけど、ベースがバスター・ウィリアムズだ。

 

 

グレイト・ジャズ・トリオは、ハンク・ジョーンズ+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズの三人ということになっているので、その『ラヴ・フォー・セール』はやや看過されがちだけど、これもいい内容なのだ。大学生の頃はよく聴いた一枚。でもやっぱりヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤二枚だなあ。

 

 

二枚ある『アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』。どっちも一曲目がチャーリー・パーカー・ナンバーで「ムーズ・ザ・ムーチ」と「コンファメイション」。この二曲が際立って素晴しい。アップ・テンポだからやはりトニーが激しく叩きまくって猛プッシュし、ハンクもハードに弾きまくる。

 

 

二曲ともトニーのドラムス・ソロもあるけれど、それよりもハンクのピアノ・ソロの背後での猛プッシュぶりにさすがだと唸らざるをえない。ドラマー次第で地味で渋い脇役タイプが派手なスター級に変貌するというのが、ジャズでは一番よく分る好例だ。古いビバップ・ナンバーも現代的になっている。

 

 

 

ジャズ・ピアニストとしてのハンクのデビューは1947年で、一般には翌48年から53年までエラ・フィッツジェラルドの伴奏を務めたことで名を挙げた人。その後様々な人のアルバムに参加するようになるけれど、59年から75年まではCBSスタジオのスタッフ・ミュージシャンとして活動している。

 

 

つまりその約20年間、ハンクは表舞台には出ず、もっぱらスタジオ・ワークをこなすようになっていたので、その間のジャズ・ピアニストとしてのライヴ活動はほぼない。スタジオ録音でも普通のいわゆるジャズ録音は少なくて、いろんな音楽で与えられた譜面を黙々と弾きこなす仕事に専念していた。

 

 

付記しておくと、その約20年間で一番有名なハンクのピアノ演奏は、おそらくあのマリリン・モンローが、1962年5月19日に当時の米大統領ジョン・F・ケネディに「ハッピー・バースデイ・ミスター・プレジデント」を歌った際の伴奏だろう。あの時のピアノ伴奏がハンクだった。

 

 

 

そんな具合で、普通のジャズ・ピアニストとしての活動が殆どなくなっていた1947年デビューの大先輩ハンク・ジョーンズに対し、トニー・ウィリアムズのデビューは61年にジャッキー・マクリーンのコンボでだった。それを見初めたマイルスが翌年に雇って、その後の快進撃はみなさんご存知の通り。

 

 

そして1970年代に入るとジャズ・ロック関係の活動が多くなっていたところに、76年にあのウェイン・ショーター+ハービー・ハンコック+ロン・カーター(+フレディ・ハバード)によるリユニオン企画があって、ちょっぴりストレート・アヘッドなジャズ回帰の気運もあった時期だった。

 

 

そんな具合で、1976年、いや本格的には77年からハンク・ジョーンズがロン・カーター、トニー・ウィリアムズと組んでストレート・アヘッドなジャズのピアノ・トリオをやるというのは、当時はかなり意外な気がしていたけれど、今考えれば流れがあったというか必然的なものだったんだろうなあ。

 

 

この三人によるアルバムは、1978年の『グレイト・トーキョー・ミーティング』まで計七枚。その間同じ三人で他の人の伴奏をやったものもある。その後ベーシストとドラマーが他の人に交代してからもグレイト・ジャズ・トリオの名前でアルバムを出し続けていたけど、僕は興味がなかった。

 

 

だって、やっぱりハンクのハードな演奏を弾き出して俄然派手な主役に仕立て上げていたのは、やっぱりなんといってもトニー・ウィリアムズのドラミングだったもん。それがアル・フォスターだのジミー・コブだのでは、いいドラマーではあるけれど、興味を持てという方が無理。一枚も聴いていない。

 

 

グレイト・ジャズ・トリオのアルバムは、ほぼ全て日本のレーベルであるイースト・ウィンドから出ている。これはおそらくこのトリオ結成のきっかけが、同じイースト・ウィンドからの渡辺貞夫さんの1976年作『アイム・オールド・ファッションド』の伴奏だったことが理由だったんだろうね。

2016/03/21

デルタのマディ

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以前も一度だけ書いたけど、マディ・ウォーターズのアルバムのなかで個人的に一番好みなのは、シカゴに出てくる前の1941/42年にミシシッピで録音された『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディングズ』なのだが、まあこんなマディ・ファンはいないだろう。

 

 

マディの『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディングズ』は、92年だか93年だかにCDで初めて発売されたもので、元は国会図書館用のフィールド・レコーディング。そのCD化以前に聴けたのかどうかは全く知らない。どれを聴いても完全にギター弾き語りのカントリー・ブルーズ。

 

 

シカゴに出てきてチェスなどのレーベルに録音するバンド・スタイルの代表的なブルーズマンとして有名になる前のマディが、ミシシッピでデルタ・スタイルのカントリー・ブルーズマンだったことだけは一応知ってはいた。シカゴ時代にも少しそういう曲を残しているよね。

 

 

『ザ・ベスト・オヴ・マディ・ウォーターズ』のラストに収録されている「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」もその一つ。エレキ・ギターだしウッド・ベースも入ってはいるけれど、ほぼ完全にデルタ・スタイルの弾き語りカントリー・スタイルだ。

 

 

 

こういうのは、あのアルバムの中ではどっちかというと異色のナンバーで、他は完全にバンドでやるシカゴ・ブルーズ・スタイルだからなあ。僕も最初にあのアルバムを聴いた時は「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」は、ちょっとヘンな感じがして馴染めないというかあんまり好きじゃなかった。

 

 

もっとも僕はマディより先にロバート・ジョンスンのレコード二枚を聴いていて、デルタ・カントリー・スタイルのブルーズを知ってはいたんだけど、今考えたら、ロバート・ジョンスンの録音集にはデルタ・スタイルと同じくらいシティ・ブルーズ・スタイルに影響された曲があるからなあ。

 

 

最初ロバート・ジョンスンは「ラヴ・イン・ヴェイン・ブルーズ」みたいなシティ・スタイルのブルーズ・ナンバーの方が好きで、激しいデルタ・スタイルの曲はよく分らなかった。もっと正直に言えば、だいたいロバート・ジョンスンを本当にいいと思うようになったのは、CD二枚組で聴いてからだ。

 

 

1990年のロバート・ジョンスン完全集CD二枚組が爆発的に売れて、おそらくそれがきっかけで90年代はブルーズの古い録音が実にたくさんCDリイシューされた。大学生の頃から好きだった20年代のクラシック・ブルーズ等を除けば、僕が本格的に戦前ブルーズをディグするようになったのはその頃から。

 

 

ギター弾き語りのデルタ・ブルーズマンをいろいろと聴いたのも1990年代のことで、いざ聴いてみたら実にいいのでドップリはまっちゃったんだなあ。サン・ハウスやチャーリー・パットンなどの例の30年伝説のレコーディングもそれで聴いて、サン・ハウスの「マイ・ブラック・ママ」に大感動した。

 

 

トミー・マクレナンとかロバート・ペットウェイなども大好きになった。ちょっと毛色が違うけどスキップ・ジェイムズも好きだった。そんなこんなでたくさん聴いて、1990年代半ばにはデルタ・ブルーズが大好きになっていたから、マディの『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディングズ』も即飛びついて買った。

 

 

マディの『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディングズ』は、国会図書館用のフィールド・レコーディングだから商業目的ではない。その分マディもかえって伸び伸びと演奏し歌っているようにも思える。このCDにはブルーズ演奏に混じり、かなり多くのインタヴューが収録されていて、それもなかなか興味深い。

 

 

インタヴューではロバート・ジョンスンのことも語っている。それも1941年の録音で、ジョンスンが死んだのは38年のことだから、まだそんなに時間が経っていない。でもほんのちょっと出てくるだけで、ジョンスンの音楽やマディが具体的にどんな影響を受けたのかなどは喋っていないんだなあ。

 

 

やっぱりインタヴューよりギター弾き語りのブルーズ・ナンバーがなにより雄弁に物語っているよね。聴くとギター(アクースティック)はまだ控目というかどうってことない感じで、それよりヴォーカルがいいね。1941/42年の録音にして既に相当エモーショナルだ。この時既にマディは28歳。

 

 

一曲目の「カントリー・ブルーズ・ナンバー・ワン」は、ロバート・ジョンスンでお馴染みの「ウォーキン・ブルーズ」だ(エリック・クラプトンもカヴァーしているね)。ロバート・ジョンスンのオリジナルではなく、「キャットフィッシュ・ブルーズ」などと同じく、デルタ地域一帯の伝承曲なんだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=DCL_LpOlTYA

 

 

15曲目と16曲目の「アイ・ビー・バウンド・トゥ・ライト・トゥ・ユー」は、歌詞は全然違うけど、ギターのパターンと歌のメロディは、先に貼ったシカゴ時代録音の「アイ・キャント・ビー・サティスファイド」とほぼ完全に同じ。つまりこの頃からやっていたレパートリーだったということだね。
https://www.youtube.com/watch?v=zA2qrAcOLHE

 

 

それ以外はこの『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディングズ』でしか聴けないというか知らない曲だけど、どれもギターのパターンは素朴なデルタ・カントリー・スタイルだ。シカゴ時代にエレクトリック・ギターでのスライド・プレイも有名になるマディだけど、この録音ではまだスライドはやっていない。

 

 

僕はジャズ好きなせいか、元々ブルーズでも洗練されたシティ・スタイルの方が好きで、1920年代のクラシック・ブルーズが大好きだったことは何度も書いているけど、戦後でも例えばT・ボーン・ウォーカーなどが大好きだったのに、90年代半ば以後はどっちかというとカントリー・ブルーズの方が好きになった。

 

 

ベシー・スミスなどの都会のブルーズ歌手たちがぶつけるエモーションも相当なものなんだけど、さっきも書いたサン・ハウスとか、戦後でテキサス・ブルーズマンだけどライトニン・ホプキンスとか、そういう人達の泥臭いブルージーな感じの方が、直接僕の心に訴えかけてくるようになったんだなあ。

 

 

ブルーズに限らず他のアメリカ音楽でも、南部や南部由来のものが好きになり(といっても以前書いたようにサザン・ソウルだけはなかなか聴かなかったけど)、イギリス人でもデレク&ザ・ドミノスの『レイラ』に米南部フィーリングを感じて大好きになったりした。もちろんあれは米LAスワンプ勢のリズムだ。

 

 

またこれも英国人のローリング・ストーンズ『メイン・ストリートのならず者』にもLAスワンプ勢が大勢参加していてアメリカ南部音楽の香りが充満していて、とんでもなく大好きなのだ。やはりアメリカ南部趣味の68年『ベガーズ・バンケット』以後から72年のここまでの諸作のなかでも、一番好きだなあ。

 

 

いわゆる「イナタい」感じの音楽がたまらなく大好きになって、そうするとそれまで聴いていたはずのマディのシカゴ時代バンド録音も違って聞えるようになって、理解が深まったような気がする。マディでは『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディング』が好きだと他人に言うと、相当変ってると言われるけどね。

 

 

完全なる個人的好みだけなら、『ザ・コンプリート・プランテイション・レコーディング』の次に好きなマディは、1968年のサイケデリック路線『エレクトリック・マッド』だったりするから、やっぱり僕はあまりいいマディ・ファンじゃないよなあ。

 

 

『エレクトリック・マッド』、ピート・コージーらが弾くファズの効いたエレキ・ギターが僕は大好きで、「シーズ・オールライト」の終盤部でエレベがテンプテイションズの「マイ・ガール」のリフを弾き始めると、すかさずギターがそのメロディを弾くあたり思わずニンマリなんだけど、普通のマディ・ファンやその他ブルーズ・ファンはあんなの嫌いだろうからねえ。

 

2016/03/20

音と映像

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動く映像なんか存在せず写真が少し残っているだけの古い時代の音楽の方が好きなせいかもしれないが、動画を伴う音楽作品はあまり見聴きしない僕。それでもライヴ・コンサートを収録したものは結構楽しんできたんだけど、それすら最近は観聴きするのが減ってきて、これがイメージ映像みたいなものだともう全然見ない。これは多分僕がレコードとそれを聴かせるジャズ喫茶で育ったせいもあるんだろう。

 

 

昔はライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品などは、なかなか一般的には入手できなかった。というかVHS(βでもいいけど)そのものすら一般家庭には普及していない時代に僕は育ったので、ライヴ・コンサートやその他の演唱シーンは、テレビで流れるのを観るくらいしかなかったもんなあ。

 

 

だから当のライヴ・コンサートに出掛けていくしか体験する方法が殆どなかったのだ。以前ちょっと触れたけど、レコードで聴いて頭の中にできあがったイメージが壊れるのが嫌だという理由で、なかなかライヴに行こうとしないファンだって昔は結構いたもんなあ。

 

 

何度もしつこく書くけど、僕は1979年に熱心な音楽ファンになったという、僕の世代にしてはやや遅れてきたファンだけど、その時点ですら映像作品はなかなか市販品がなかったもんね。当時松山に住んでいて、憧れの外国人ミュージシャンがライヴで来ることも少なかったので、これはなんとも悔しかった。

 

 

だからライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品が現在みたいにたくさんあれば、僕の音楽人生もちょっと違った具合になっていたかもしれないなあ。高校〜大学の頃は、ほんの少数松山に来るアメリカ人か日本人ジャズマンのライヴに行く以外は、もっぱらジャズ喫茶か自宅でレコードだけを聴きまくる日々だった。

 

 

というわけなので、もっぱらレコードから出てくる音だけを聴いて、あとはジャズ雑誌や書籍に載る写真などを参考にしながら、頭の中だけで想像を逞しくするというのが、僕(と同世代かもっと上の世代の)音楽に関する映像の楽しみ方で、おかげで音だけを聴いて映像を思い浮べるのが得意になった。

 

 

その頃からジャズでもなんでも、スタジオ録音作品よりライヴ盤の方が断然好きで聴きまくっていたから、ステージ上での演奏シーンは、今でもCDでライヴ盤を聴きながら、それを頭の中で思い浮べながら聴く。誰でもそうだろう。ライヴを観たことのない音楽家でも、写真で見る顔や演奏風景などを頼りに想像していた。

 

 

大学生の頃にMTVというものが登場して、これはアメリカで1981年に開始された音楽映像作品専門のケーブル・テレビ局。日本でも直後にそれを地上波テレビ局で(その頃はまだケーブル・テレビは日本では普及していなかった)よく流していた。その頃からは一般に音楽の聴き方がだいぶ変化したはず。

 

 

プロモーション・ヴィデオ(PV)なる言葉だって、そのものの存在自体は文字通り音楽作品の販促ヴィデオだから、かなり前から音楽業界に存在していたはずだけど、一般のファンに馴染のある言葉になるのはMTV以後だ。その頃からミュージシャンもMTVで流れるのを前提にPVを作り始める。

 

 

大学生の頃にMTVで観て今でも一番よく憶えているのは、ピーター・ゲイブリエルの「スレッジハンマー」とマイケル・ジャクスンの「スリラー」。特に後者は、LPアルバム『スリラー』収録の曲よりもはるかに長尺の物語風短編映画になっていて、何度も繰返し放送されて人気があった。

 

 

エピックに移籍した『スリラー』以後のマイケル・ジャクスンと、同じような時期に人気が出たマドンナの二人は、おそらくMTVによってというか自らMTVを最も活用して、スターダムにのし上がった歌手だろう。それ以後はほぼ全ての音楽家が似たような手法を採るようになった。

 

 

MTVなどで流れる音楽映像作品のなかには、演唱シーン(の当て振り)とかも多かったけど、なかには演奏とは無関係なイメージ映像みたいなものもたくさんあって、ピーター・ゲイブリエルの「スレッジハンマー」のPVはそうだったはずだ。はっきり言うとその手のPVは苦手だった。

 

 

音を聴いてどんな映像を思い浮べるかはリスナーの自由で、それこそリスナーの想像力が発揮される分野だろう。音についてすらここがこうなっていたらもっとよかったのにと自分の頭のなかでワガママ勝手に自動補正しながら聴いてしまう僕なんかには、最初からイメージ映像が付いてくるのは嫌だ。

 

 

もちろんライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品での演奏シーンや、スタジオ作品のPVで演奏シーンの当て振りをしていたりするのは、特になんとも感じないというか楽しめるんだけど、イメージ映像みたいなのが付いてくるのは、リスナーのヴィジュアル的想像力を最初から削いでしまうようなものだ。

 

 

だからはっきり言って余計なお世話だとしか感じていなくて、だんだん邪魔に感じるようになったので、ロックやポップス系の新曲を知りたいという目的以外では、ある時期以後MTVを見るのをやめてしまった。音を聴いてどんな映像を思い浮べるかくらいこっちの自由にさせてくれよな。

 

 

僕の場合、DVDなどでライヴ・コンサートを収録したのを観るというのにすらあまり積極的ではない。理由の一つには、音だけLPやCDなどで聴くのと違って、耳も目も両方集中しなくてはならないというか拘束されてしまうので、音楽を聴きながら他のことができにくいのがやや不自由に感じるというのもあるんだろう。

 

 

だから、音楽家もライヴDVDをリリースするのもいいけれど、僕なんかは同じものを音源だけCDでも出してくれたら有難いのになあと思ってしまう性分の人間なのだ。それでもDVDでしか聴けない音源も多いから、仕方なくDVDを買うけれど、多くの場合一回しか観ず、あとは音データだけリッピングする。

 

 

例えば2003年リリースのレッド・ツェッペリンの二枚組『DVD』。これの一枚目に入っている1970年11月のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ12曲は、おそらく彼らの公式ライヴ音源のベストに違いないのだが、これも単独で音源だけCDなどでは出ていないので、やはり音データ部分だけリッピングしているもんね。

 

 

ライヴDVDからMacに音源部分だけリッピングしてiTunesに取込んで、それをCDRに焼いてオーディオ装置で聴くという、おそらく創り手からしたら制作意図に完全に反する僕は全く嬉しくない顧客なんだろう。もうこれはどうにもならない体に染着いた習慣で抜けない。

 

 

インターネットが普及してYouTubeなどの動画共有サイトが一般的になってからは、ファンも音楽家本人もそれを活用することが急増した。新曲のPVをいち早くYouTube等で公開する音楽家やレーベルもあって、僕もそれで随分助かっている。いろんな未知の音楽家・歌手もいろいろと知った。

 

 

特にワールド・ミュージック系は、個人で現地ディストリビューターからの販路を開拓でもしない限り、ほぼ完全にエル・スールなど輸入CDショップのお世話になるばかりで、それでもCDがなかなか入手できず、しかし音源が何曲かあるいはフル・アルバムでYouTubeに上がっていることがあるもんね。

 

 

だから2015年最高の音楽作品だったヴェトナム人歌手レー・クエンの2014年作も2015年作も、CDが日本国内で買いやすくなる前にYouTubeでフル・アルバム聴けて嬉しかったのは事実。他にもこういう例は多い。しかしそれもこれも全部ダウンロードした後CDRに焼いて聴くんだよね。

 

 

つまりこと音楽に関しては、僕にとって必要なのは「音」だけなのだ。かろうじてパッケージ商品であるCD(やかつてはLPなど)に付いてくるジャケット写真やブックレット内側の写真などを眺める程度のことで、ジャケ買いというのは昔も今も多いけど、それは映像に頼るということでないだろう。

 

 

こういうのはMTVができたのが19歳の時で、ジャズ喫茶では言うに及ばずライヴ会場ですら目をつぶって聴くような客がいたりした、僕の世代くらいまでなんだろうなあ。僕より年下の40代半ば以下くらいの世代になると、映像がなかったり、あっても静止画だったりすると、つまらないという音楽ファンが結構いるもんね。

2016/03/19

ケルト発ラテン経由アフリカへ

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ケルト音楽とアフリカ音楽って繋がっているんじゃないかと僕は前々から感じていて、それは主にリズム・パターンに似通ったものがかなりあるように聞えるというのが理由。元々ケルト民族は紀元前一世紀くらいまでは欧州全土に住んでいたわけだし、アフリカ大陸とは地中海を挟むだけの近さだし。

 

 

ヨーロッパとアフリカは全然異なる文化圏で近くもなんともないというのが、ある時期以後の一般的な考えみたいだけど、書いたように地中海を挟むだけの近距離であって、実際船で頻繁に行き来していた。古代ローマが欧州と北アフリカ(と西アジア)を同一領土内とする前から、かなり往来が盛んだった。

 

 

古代ローマ以前には、フェニキア人が地中海世界において(西アジアと)欧州と北アフリカを股に掛けて商売をして各地に植民都市を作り、そのなかには北アフリカのカルタゴみたいに繁栄した場所もあった。カルタゴは三度にわたるポエニ戦争の結果、古代ローマに滅ぼされたけれどね。

 

 

その古代ローマは、それ以前に欧州に広く住んでいたケルト人をガリア人と呼び一種の野蛮人扱いして、紀元前一世紀にユリウス・カエサルによりガリア地域(だいたい現在のフランス)のケルト人は征服されてしまい、その後はブリテン諸島に渡り、なかでもウェールズやスコットランドやアイルランドにケルト文化が残った。

 

 

そういうわけだから、古代ローマが欧州と地中海世界を制覇するもっと前から欧州に広く住んでいたケルト人が、ブリテン諸島などに追いやられる前には、地中海を挟むだけの近さのアフリカ大陸との文化交流はあったはずだと思うのだ。今、汎地中海的音楽とでも呼べるようなものがあるけれど、古代からあったに違いない。

 

 

そう考えないと、6/8拍子系のリズムいわゆるハチロクがアフリカ音楽だけでなくケルト音楽にも一般的にたくさん聴かれるというのが、ただの偶然だとは僕には思えないんだよね。そしてケルトとアフリカは繋がっているというこの考えを一層強くしたのが、チーフタンズの1996年作『サンティアーゴ』を聴いた時だった。

 

 

言うまでもなくチーフタンズはケルト伝統音楽を演奏することからスタートしたアイルランドのバンド。レコード・デビューが1963年で、その頃から数字番号がアルバム・タイトルに付くだけの十枚ほどは伝統的ケルト音楽しかやっていない。彼らが多文化交流をはじめたのはいつ頃なんだろう?

 

 

僕はチーフタンズを全部は聴いてなくて、う〜ん半分ちょいくらいかなあ聴いているのは。最初に知ったのがヴァン・モリスンとやった1988年の『アイリッシュ・ハートビート』で、これもヴァンが好きだったから買っただけで、チーフタンズという名前すらそれまで知らなかったくらいだ。これも伝統音楽。

 

 

チーフタンズが多文化交流をはじめるのは、1987年の『ケルティック・ウェディング』でフランスにおけるケルト文化圏であるブルターニュの音楽を採り上げたのと、92年の『アナザー・カントリー』で、アイルランド移民が源流の米国カントリー・ミュージックとの融合を試みているあたりから?

 

 

その後はどんどんやるようになり、1995年の『ザ・ロング・ブラック・ヴェイル』には大勢のゲスト・ミュージシャンを参加させて多様な音楽性を実現させている。あのアルバムにもヴァンがいるし、ローリング・ストーンズやマーク・ノップラーやシネイド・オコーナーやライ・クーダーやその他大勢。

 

 

そのライ・クーダーが次作1996年の『サンティアーゴ』にも参加していて、非常に重要な役割を担っている。アルバム・タイトルは、チリの首都の方ではなくキューバ第二の都市サンティアーゴ・デ・クーバのこと。だから中身を聴く前からラテン音楽との繋がりを予想したわけだけど、その通りだった。

 

 

一般的に『サンティアーゴ』は、やはりケルト文化圏であるスペインのガリシア地方(パディ・モロニーによれば、「世界で最も知られていないケルト文化の国」)の音楽をフィーチャーしたものだということになっていて、それは実際その通り。それでガリシアの音楽家カルロス・ヌニェスを起用している。

 

 

カルロス・ヌニェスの名前もこの『サンティアーゴ』で初めて知ったのだったと思う。彼はマルチ楽器奏者で、ガリシアのバブパイプであるガイータの他に、ガリシアのフルートやリコーダーやオカリナやティン・ウィッスルなどを演奏する。『サンティアーゴ』には全面参加していてゲスト扱いではない。

 

 

CD附属のブックレットには「ゲスト・ミュージシャン」のページがあって大勢の名前があるけれど、そこにカルロス・ヌニェスの名前はなく、最終ページにチーフタンズのメンバー・クレジットの下に続いてヌニェスが記載されているくらいなのだ。それくらい全面的にフィーチャーされている。

 

 

なおゲスト・ミュージシャンの項に名前が記載されている音楽家のうち、ライ・クーダーやリンダ・ロンシュタットやロス・ロボスなどはお馴染みの名前だった(それだけでこのアルバムのラテン指向が分る)けれど、ケパ・フンケラはこの時初めて見た名前だった。スペインはバスク地方のアコーディオンの一種トリキティシャ奏者だ。

 

 

ケパ・フンケラもさることながら、やはりガリシアのカルロス・ヌニェスだよなあ。でも彼のガイータやティン・ウィッスルの音は、僕の耳にはパディ・モロニーのイーリアン・パイプやティン・ウィッスルと区別が付かず、どの曲のどこでヌニェスが演奏しているのかも一切書かれていないので、判然としないんだなあ。

 

 

『サンティアーゴ』の前半「サンティアーゴへの巡礼」組曲は、素晴しいけれど伝統的ケルト音楽がベースになっているから、聴き馴染のあるもので個人的はさほどの驚きはなかった。アルバムが凄いことになるのはやはり七曲目の「ガリシア序曲」からだなあ。ガリシアのオーケストラも入る11分の大作。

 

 

「ガリシア序曲」はパディ・モロニーの作曲。大変にスケールの大きなコンポジションで、彼自身もイーリアン・パイプを吹き(あるいはカルロス・ヌニェスのガイータかもしれないけれど)、実に見事な演奏を聴かせてくれる。ちょっと大上段に構えすぎの嫌いもあるけれど、感動的な一曲。

 

 

この「ガリシア序曲」が、それ以前六曲の伝統的ケルト音楽とそれ以後八曲目からのラテン音楽との橋渡し役になっている。この大作が終り次の「グァダルーペ」がはじまると、突然パッと青空が開けたような感じで、快活なラテン音楽が鳴り始めていい気分。リンダ・ロンシュタットらがスペイン語で歌う。

 

 

八曲目「グァダルーペ」以後は、一部を除きほぼ全面的にメキシコ〜中米カリブのラテン音楽指向が続く。九曲目「ミーニョ・ワルツ」はマット・モロイの見事なフルート演奏で、聴いた感じケルト風だけど、これだってヌニェスがガリシアの博物館の写本で見つけたというポルトガル由来の曲だからなあ。

 

 

私見での『サンティアーゴ』のクライマックスは、その後12曲目の「サンティアーゴ・デ・クーバ」以後の四曲だ。12曲目「サンティアーゴ・デ・クーバ」と13曲目「ガジェギータ/ツタンカーメン」は、キューバのハバナで現地のミュージシャンを起用して録音されているし、実際後者ではトレスやクラベスも鳴るキューバン・ミュージックだ。

 

 

それら二曲にはライ・クーダーも複数のラテン系弦楽器で参加しているし、スペイン語によるヴォーカル・コーラスも入り、これ一体どこでチーフタンズの面々が演奏しているんだろうと思うくらい。それらしきイーリアン・パイプの音は聞えるけど。これら二曲ではライのいろんな意味での貢献も大きいようだ。

 

 

ティン・ウィッスルによる素朴で美しいメロディ(パディ・モロニー?カルロス・ヌニェス?)で短い曲だけど感動的な「ティアーズ・オヴ・ストーン」を経て、アルバム・ラストの「ダブリン・イン・ヴィーゴ」は、その名の通りガリシア地方ヴィーゴのアイリッシュ・パブでのライヴ録音で楽しい。

 

 

それにしてもキューバ録音の二曲。アルバム・タイトルがキューバの地名なんだから、ガリシア地方云々よりこっちの方が僕にとってはこのアルバムのメインなんだけど、それらでのケルト音楽とアフロ・キューバン音楽との相性の良さ、融合の見事さを聴くと、やはり最初に書いたような考えに至るわけだ。

 

 

これだけケルト音楽とキューバ音楽の相性がピッタリであるということは、そのキューバ音楽とは旧宗主国スペインからの影響もさることながらやはりアフリカ由来の部分が大きいわけで、そうでなくてもハチロクのリズムがケルトとアフリカで似通っているんだから、やはりケルトとアフリカは繋がっているよね。

 

 

なお米墨戦争に題材を採り、ライ・クーダーがチーフタンズに全面参加した同じくラテン音楽指向の『サン・パトリシオ』も面白いんだけど、これについて書いている余裕がなくなってしまった。それはまた別記事にしよう。

2016/03/18

アドリブ・ソロという幻想〜マイルスの「ソー・ワット」

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『カインド・オヴ・ブルー』一曲目「ソー・ワット」におけるマイルス・デイヴィスのソロにはあらかじめ譜面があって、その通りに吹いているんじゃないかと前々から思っているんだけど、ある時『レコード・コレクターズ』誌にそういう意味の原稿を書いたら、掲載はされたけれど、それまで約二年間毎月のように来ていた執筆依頼がピタリと来なくなった。

 

 

しかしこの『カインド・オヴ・ブルー』での「ソー・ワット」のマイルスのソロ=譜面通り説は、僕はその原稿を書くだいぶ前からかなり本気で考えていて、しかもその譜面を書いたのが他ならぬギル・エヴァンスだったに違いないと踏んでいる。あまりに完璧な構築美をしているからだ。

 

 

マイルスという人は、これに限らずスタジオ録音では、自分のソロでもサイドメンのソロも含めた演奏全体でも、破綻一歩手前みたいなスリリングで火花を散らすアドリブのやり取りという普通一般にはジャスの魅力だと考えられているものより、むしろ全体の統一感や均整との取れた構成を大切にしている。

 

 

もちろんライヴ演奏ではこの限りではないものもかなり多い。特に1960年代のハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズのリズム・セクション時代のライヴ、なかでも65年シカゴでのライヴ録音『プラグド・ニッケル』などでは、フリー・ジャズ一歩手前みたいな逸脱しまくるソロをサイドメンに許している。

 

 

もっともその『プラグド・ニッケル』でも、特にウェイン・ショーターとトニー・ウィリアムズがムチャクチャに暴走しまくるものの、こと御大のソロに関してだけはさほど逸脱した感じでもなく美しく均整の取れたソロを心掛けているのが分る。それでもスタジオ録音に比べたらかなり崩れてはいるけれど。

 

 

マイルスはいろんなインタヴューで、スタジオでの音楽はクソなんだ、いつも終らせることばかり考えているし、同じことを何度も繰返し言わなくちゃいけないし、スタジオでの音楽は「死んで」いるんだ、ライヴ録音こそ自分に限らず音楽家の真に優れた姿を捉えたものなんだと繰返し発言している。

 

 

ある時期のマイルスのライヴ録音、特に1975年の『アガルタ』『パンゲア』などを聴くと、このマイルスの発言にある程度納得するのだが、しかしそれでもやはりマイルスという人は、スタジオでこそ真価を発揮した音楽家だったんだろうと僕は考えている。ライヴで先進的だったのは70年代だけなんだよね。

 

 

スタジオでのマイルスの方が生涯の殆どにおいて先進的で、時代を先取する気概を示しているものが多いというのは、昔からよく言われていることだ。そしてスタジオ録音でのマイルスは、パーカーのコンボから独立した初作品1949/50年録音『クールの誕生』から既に全体の構築美を重視している。

 

 

マイルスはそもそも最初からそういう指向の音楽家だった。だからサイドメンのソロもそうだけど特に自分のソロについては、スリリングで火花を散らすようなものより、よく練り込まれ美しく聞える均整の取れたものを目指している。演奏全体も統一的なグループ表現や練り込まれたアレンジを重視する傾向が強い。

 

 

しかしそういうことを大いに考慮に入れても、1959年『カインド・オヴ・ブルー』の「ソー・ワット」は整いすぎだ。ちょっとこれはオカシイというかこんなにバランスの取れたアドリブ・ソロは彼の場合でもあまりない。だからあらかじめ譜面があったんだろうと考えるのも、ジャズマンの実力を軽視しすぎかもしれないが。

 

 

しかし『カインド・オヴ・ブルー』のセッションにはギル・エヴァンスが立会っていたという、ギルの最初の妻の証言が残っているのだ。しかも、一曲目「ソー・ワット」における、あの幽玄なピアノとベースによるイントロを書いたのがギル本人に他ならないということも、彼女ははっきりと語っている。

 

 

あの幽玄なイントロは、1961年のカーネギー・ホールでのライヴ録音でも、ギルのアレンジ・指揮のオーケストラが完全にソックリそのまま再現している。僕も昔は、これは59年のスタジオ・オリジナル・ヴァージョンを、その通りにギルがオーケストラ用に拡大・編曲したのだろうと思っていたのだが。

 

 

基本的にはその通りなんだと今でも思っているが、そもそもその1959年スタジオ・オリジナルが、ギルの書いた譜面通りにビル・エヴァンスとポール・チェンバースが弾いたものだったらしい。そんな具合にギルがあの「ソー・ワット」に関わって現場にも立会っていたのなら、いろんな可能性がある。

 

 

僕はそのギルの最初の妻(ギルは二回結婚している)の証言を1998年頃に読んで、それでそれ以前から持っていた、どうもあの「ソー・ワット」のマイルスのソロにあらかじめ譜面があったのではないかという考えに、ある種の根拠を得たとまではいかないまでも、ちょっとしたヒントを得たような気分になったのは確か。

 

 

『ザ・メイキング・オヴ・カインド・オヴ・ブルー』という二枚組ブートCDがあって、タイトル通りこのアルバムのメイキング模様であるスタジオ・セッションを収録したもの。最初は一枚物で出ていたものだが、内容を拡充して二枚物になってリリースされている。これにいろんな別テイクが収録されている。

 

 

『カインド・オヴ・ブルー』について「えっ?別テイク?」と驚かれる方がまだ少し残っているかもしれない。というのも最初にこのレコードが出た際、ジャケット裏にビル・エヴァンスが解説を寄せていて、その中でエヴァンスは「この作品は東洋の墨絵の如く、やり直しの利かない一回テイクで収録されたものだ」と書いていた。

 

 

そのせいで『カインド・オヴ・ブルー』は全五曲が一発録り、ファースト・テイクで完成し収録されたものだと長年信じられてきた。いまだにこれを信じているジャズ・ファンはまずいないと思うけど、まだ一部に残っているかも。僕はといえば、最初に読んだ時からウソだろうと思っていた。

 

 

このビル・エヴァンスの言葉が真実ではないことが明白になった最初は、アルバム・ラスト「フラメンコ・スケッチズ」の別テイクが公式リリースされた時だった。1999年に『ザ・コンプリート・コロンビア・レコーディングズ 1955-1961』ボックスが出た時だったっけなあ。

 

 

その後は『カインド・オヴ・ブルー』単独盤にも収録されるようになっている「フラメンコ・スケッチズ」の別テイク、先に書いた二枚組ブート盤を聴くとテイク1であることが分る。最初にリリースされたマスター・テイクは、最後のテイク6なのだ。つまり六回テイクを繰返していたということになる。

 

 

一度のテイクで収録されたのは、セッションの最後に録音された「オール・ブルーズ」だけ。その他は録音順に「フレディ・フリーローダー」が4テイク、「ソー・ワット」が3テイク、「ブルー・イン・グリーン」が5テイク、「フラメンコ・スケッチズ」が6テイクとなっている。

 

 

もっとも「フラメンコ・スケッチズ」が完成型で2テイク存在するのに対し、その他の曲は複数回テイクを繰返してはいるものの、マスター・テイク以外は全て未完成で、演奏途中で破綻してストップしている断片ばかり。それでも「東洋の墨絵の如く全曲ファースト・テイク」という伝説は否定できる。

 

 

しかしながら、公式盤で聴ける完成品を含め三つのテイクがある「ソー・ワット」は、完成品以外の二つのテイクでも、あのピアノとベースによる幽玄なイントロは完成品と全く同じで完璧な演奏をしているんだよね。ということは、あのイントロは単なる思い付きの即興ではないことの明白な証拠だろう。

 

 

これであの幽玄なイントロはギル・エヴァンスが書いたものだというギルの(最初の)妻の証言が裏付けられる。問題は最初から僕が書いているマイルスのソロだ。メイキング模様を収録した二枚組ブートCDでも、完成テイク以外の別テイクではあのソロは聴けない、というかマイルスは全くソロを一音も吹いていない。

 

 

「ソー・ワット」以外の曲は、完成品に至る別テイクでも全てマイルスも試行錯誤しながらソロを試みているのに、「ソー・ワット」の未完成品2テイクでだけ一音たりともマイルスが吹いていないというのは、逆にオカシイんじゃないか。あらかじめ譜面が用意されていたのなら、予行練習の必要性も小さいだろう。

 

 

そして先に書いたようにイントロを書いたのがギル・エヴァンスで録音にも立会っていたのであれば、そのマイルスのソロの譜面を書いたのがギルであった可能性は高いように思える。あの均整の取れすぎた完璧な構築美に聞える「ソー・ワット」のマイルスのソロ、やはりそうなんじゃないかなあ。

 

 

なお、ブート盤『ザ・メイキング・オヴ・カインド・オヴ・ブルー』に収録されている「ソー・ワット」の完成品は、当然ながら公式盤のものと同一内容だけど、フェイド・アウトせず、演奏が完全に終了するまで聴ける。しかしながらやや締りのない終り方で、だからコロンビアもフェイド・アウトしたんだろう。

 

 

マイルスのスタジオ録音でのソロにあらかじめ譜面があったらしいものはこれだけではない。僕の知る限りではもう一つ、1969年録音『ビッチズ・ブルー』一曲目「ファラオズ・ダンス」の終盤でマイルスが吹くソロにも譜面があって、こっちはギルではなくジョー・ザヴィヌルが書いたもの。

 

 

あの「ファラオズ・ダンス」終盤で、似たようなフレーズをワン・コーラスごとに少しずつノリをディープなものに変えながら繰返して吹くマイルスのソロ(というかテーマ・メロディだと言う人が昔はいたが)も完璧な構成だし、こちらは作曲者のザヴィヌル自身があれは自分が書いたと述べている。

 

 

僕がはっきり確信しある程度根拠も見つかるのは、以上「ソー・ワット」「ファラオズ・ダンス」の二つだけだが、マイルスのスタジオ録音で彼のソロに譜面が用意されていたものは、他にもあるかも。書いたようにスタジオ録音では、なにより全体の構成と均整美に心を配っていた音楽家だからね。

 

 

譜面があるなら、それは「アドリブ」じゃないじゃないかと言われそうだけど、僕はそれはどうもジャズマンのアドリブ・ソロにというものについての盲信だと思うのだ。問題は本当に即興でその場で思い付いたまま演奏したかどうかではなく、アドリブ的、すなわち自然発生的に聞えるかどうかということだろう。

 

 

そもそもテイクを重ねるごとに毎回かなり異なる内容のソロを演奏したジャズマンは、百年以上にわたるジャズの歴史の中でも、僕の知る限りではチャーリー・パーカーただ一人。そんなパーカーは分裂症気味なのかちょっとオカシイような気もする。他のジャズメンはテイクを重ねてもほぼ同内容のソロを繰返す。

 

 

そうやって完成テイクに近づけていくというのが、ほぼ全てのジャズメンのスタジオ録音での姿だ。テイクを重ねても同内容のソロ演奏を繰返すのも、僕は「アドリブ」と呼んでいいと思うんだよね。ジャズはアドリブ音楽だということをみんな強調しすぎだろう。それは単なる思い付きとか瞬間的な閃きとか、そういうものでもないんじゃないかなあ。

2016/03/17

セロニアス・モンクとドナルド・フェイゲン

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セロニアス・モンクのオリジナル「リフレクションズ」という曲が大好きなんだけど、この曲、モンク自身のヴァージョンで、ホーンなど他の楽器入りのヴァージョンはあるのだろうか?僕はソロ・ピアノでやったのしか知らない。『ソロ・オン・ヴォーグ』とか『アローン・イン・サンフランシスコ』とか。

 

 

僕は一応セロニアス・モンクが好きでファンではあるものの、彼のリーダー・アルバムを全部聴いているわけでもないので、もっと他にたくさんモンクによる「リフレクションズ」があるんだろうし、そのなかにはひょっとしたらソロ・ピアノじゃないホーン入りのものがあるかもしれない。

 

 

もっとも「リフレクションズ」という曲、作曲者自身のソロ・ピアノ・ヴァージョンで好きになったものではない。聴いてはいたものの、昔はイマイチな印象だった。昔は「ルビー・マイ・ディア」「クレパスキュール・ウィズ・ネリー」「ブルー・モンク」などの方が好きだった。

 

 

「リフレクションズ」という曲を好きになったきっかけは、ハル・ウィルナー・プロデュースによる例の1984年のセロニアス・モンク追悼集『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール』に収録されている、スティーヴ・カーンとドナルド・フェイゲンのデュオ・ヴァージョンを聴いたこと。これがステキだったんだよねえ。

 

 

スティーヴ・カーンのアクースティック・ギターもいいけれど、なんといっても後半のドナルド・フェイゲンによる、ハーモニカみたいなサウンドで弾くシンセサイザー・ソロがカワイらしいしチャーミングだね。今聴いても、とてもステキに聞える。

 

 

 

カーン&フェイゲンによる「リフレクションズ」、Twitterで僕がフォローしているあるジャズ・ファンの方も大好きらしく、頻繁にこの音源を貼っては繰返しツイートしている。やはり僕と同じ印象を持つファンはいるんだね。そして僕の場合、恥ずかしながらこれでドナルド・フェイゲンを初めて知った。

 

 

つまり1984年の『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール』で聴くまで、スティーリー・ダンもソロ・アルバム『ザ・ナイトフライ』も全く聴いたことがなかったわけだ。大学生の頃に『ジャズ批評』という雑誌がスティーリー・ダン特集を組んだことがあったので、名前だけは見ていたけれど。

 

 

硬派な印象の『ジャズ批評』がスティーリー・ダン特集を組むとはやや意外な感じがした。もっともその後、原田和典さん編纂の『コテコテ・デラックス』みたいな、別冊特集本だけど、ああいうのも出すようになる『ジャズ批評』ではある。原田和典さんについては以前一度触れたけど、あの本は大変面白い。

 

 

僕が大学生の頃に『ジャズ批評』がスティーリー・ダン特集を組んだのは、ヴィクター・フェルドマンとかウェイン・ショーターとかスティーヴ・ガッドとかラリー・カールトンなどのジャズ(系)・ミュージシャンがいろいろ参加していたからだったのかなあ。でもその頃は読んでも聴きたいとは思わなかった。

 

 

1964〜70年の間マイルス・デイヴィスのバンドに在籍していたし、その後のウェザー・リポートでの活動でも好きだったウェイン・ショーターだけはちょっと聴いてみたいとは思ったけど、スティーヴ・ガッドとかラリー・カールトンとかはさほどは好きじゃなかったし、フェルドマンもイマイチ。

 

 

ショーターの場合、マイルス・バンドやブルーノートへの諸作ではたくさん吹いているけれど、ウェザー・リポートでは彼のソロが少なめなので、ちょっとでも聴けるなら聴きたい気持はあったんだけどね。でもわずかなショーターのソロを聴くためだけにスティーリー・ダンのLPを買おうとは思わなかったんだなあ。

 

 

というわけで全くの食わず嫌い(いや、嫌いではなかったけど)だったドナルド・フェイゲンとスティーリー・ダン。『ザッツ・ザ・ウェイ・アイ・フィール』収録の「リフレクションズ」でのシンセサイザー・ソロに感銘を受けて、大変遅ればせながら1984年にようやくスティーリー・ダンを聴いてみたら、これが素晴しかったね。

 

 

スティーリー・ダンやフェイゲンの『ザ・ナイトフライ』とかは、ガチガチの黒人音楽ファンの一部には評判が悪いらしい。だいぶ後の1990年代後半に茨城県牛久市の友人宅にて数人で『ザ・ナイトフライ』を聴いた時も、そのお宅のご主人や僕の意見に対し、こんなもの!と言放つ黒人音楽ファンがいた。

 

 

ご存知の通り、1982年の『ザ・ナイトフライ』には、R&Bグループ、ザ・ドリフターズのアトランティック盤シングルがオリジナルのリーバー&ストーラー作「ルビー・ベイビー」のカヴァーがあるし、その他多くの黒人音楽のエッセンスが詰っていたり、大勢の黒人ミュージシャンが参加しているんだけど。

 

 

そもそも『ザ・ナイトフライ』はドナルド・フェイゲンの自伝的な側面がある作品で、彼が少年時代を過した1950年代アメリカへの郷愁と、その頃に聴いた白人・黒人問わずいろんな音楽へのオマージュとトリビュートで成立っているようなアルバム。黒人音楽ファンが好きになる要素満載だけどねえ。

 

 

まあそれはいいや。ともかく僕が1984年になって初めてその『ザ・ナイトフライ』や、それ以前のスティーリー・ダンを聴いたのは確かなこと。聴いてみたら、それらにはかなりジャズの要素が入っていることに気が付いて、フェイゲン自身ジャズが好きで実に深く追求していることはすぐに分った。

 

 

例えばスティーリー・ダンの1974年作『プレッツェル・ロジック』一曲目の「リキ・ドント・ルーズ・ザット・ナンバー」(邦題はダメだから書かない)の冒頭のピアノ・フレーズが、ホレス・シルヴァーの1965年「ソング・フォー・マイ・ファーザー」そのまんまだったり、エリントン・ナンバーのカヴァーがあったり。

 

 

でもそういうのは表面的なことで、もっと深いところというかスティーリー・ダンの本質にジャズが溶け込んでいることは、熱心なジャズ・ファンである僕には分りすぎるほど分る。曲の創りにしてもスタジオ・セッション・バンドになってからのサイドメン起用にしても、フェイゲンの弾く鍵盤にしても。

 

 

もちろんそういうことは、熱心なジャズ・ファンでスティーリー・ダンを聴く人は昔から全員分っていることで、だから『ジャズ批評』も特集記事を組んだんだろう。僕も大変遅ればせながら聴いてみて、ドナルド・フェイゲンとスティーリー・ダンの大ファンになって、その後全作品を聴きまくっている。

 

 

ジャズ〜フュージョン的な視点からは、1977年の『エイジャ』と80年の『ガウチョ』が面白いということになるんだろう。ウェイン・ショーターの名ソロが聴けるのも前者のタイトル曲だし、それ以外にも大勢のジャズ(系)・ミュージシャンが参加しているし、そうでなくてもフュージョンっぽいし。

 

 

僕も最初はこの二作とフェイゲンのソロ『ザ・ナイトフライ』が一番好きで繰返し聴いていたけど、最近はそういうスタジオ・セッション・ユニットになる前の方が、どうも楽しいんじゃないかと思っている。特に1976年の『ザ・ロイヤル・スキャム』が好きだなあ。ギターがいいよね。

 

 

デビュー作1972年の『キャント・バイ・ア・スリル』の「リーリン・イン・ジ・イヤーズ」や、73年『カウント・ダウン・トゥ・エクスタシー』の「菩薩」や、76年『ザ・ロイヤル・スキャム』の「キッド・シャールマーニュ」や「グリーン・イアリングズ」など、そういう曲の方が面白くなっている。

 

 

そして、現在スティーリー・ダンの全アルバムで普段一番よく聴くのが、再結成後の初アルバムにして初ライヴ盤の1995年『アライヴ・イン・アメリカ』。これについては以前も書いたけれど、オリジナル録音当時は到底ライヴ・ステージでは再現不可能と言われた数々の曲を見事に披露していて、さすがとしか言いようがない。

 

 

それにしても、セロニアス・モンクの「リフレクションズ」と、ジャズマンがあまり参加していない、ハル・ウィルナー・プロデュースのモンク追悼盤の話をしようと思って書始めたのに、かなり違う内容になっちゃったなあ。

2016/03/16

マイ・ベスト・コンピ作成癖

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高校生の頃からマイ・ベスト・カセットを作るのが大好きな僕。パソコンの音楽アプリなんかまだなかった時代は、当然レコードやCDから入れたい曲だけ選んで入れたい順番で、カセットテープやMDにダビングしていくしか方法がなかったので、そうやっていたわけだが、これが楽しくてたまらなかった。

 

 

記憶では一番最初にそういうマイ・ベスト・カセットを作ったのは、高二の時に高知県に住むペンパル(死語?通じないかも?)に、レッド・ツェッペリンをプレゼントしようと思って、それで自分でいいと思う曲ばかり選んで入れたコンピレイション・カセットテープを作って送ったのがきっかけだった。

 

 

その作業自体が楽しかったので、その後他人にプレゼントする時はもちろん自分で楽しむだけの目的でも、どんどんそういうコンピレイション・カセットを作るようになった。最初は特定の音楽家のベストを作っていただけだったのが、ある時期以後は音楽家やジャンルの枠を超えて取混ぜたものも作るようになった。

 

 

僕が小学生低学年の頃に、祖父が浪曲のレコードを聴くために購入したステレオ装置には、カセットデッキ(それ自体まだかなり珍しかった)を接続できなかったはずなので、小さなラジカセをスピーカーの前に置いて、それで空中で音を拾っていたのだった。書いた高知県のペンパルに送ったマイ・ベスト・カセットもそうやって録った。

 

 

大学生の頃にステレオ装置に接続するカセットデッキが普及するようになって、よくよく見てみたらその祖父の買ったステレオ装置(祖父は僕が中学生の時に亡くなったが、僕はこれで大学卒業までレコードを聴いていた)に繋げることができたので、それに繋いでライン録りでカセットにダビングできるようになった。

 

 

それでどんどん作っていたのだが、一番活発にやっていたのがおそらく上京後の1980年代半ばから90年代前半くらいかなあ。その時期に、流通する音楽メディアの主流がLPからCDになったけど、そうするとCDプレイヤーにフェイドイン/フェイドアウト機能のあるものを買ったので、ますます面白くなった。

 

 

それで音楽家やジャンルの枠を超えて様々に混在するコンピレイション・カセットをたくさん作っていて、一時期100本以上あったように思う。1980年代半ば頃から買う音楽の種類が劇的に拡大したので、どんどん面白くなっていって、既製品のLPやCDを聴くより自作のコンピを聴く頻度の方が高かったくらい。

 

 

つまり以前も書いたように、僕はオリジナル・アルバムの曲順とか流れとかいうのものをあまり重視せず、曲単位で抜出して並べていたわけだから、ある意味ではちょっといわゆるDJ的な感覚を持っていたのかもしれない。DJといえばCDJだけど、ある店で一度だけやったことがある。2000年頃。

 

 

そのCDJを新宿某店でやった時も、選曲し曲単位で並べる準備をするのが楽しかったもんなあ。ジャズやソウル・ジャズやジャズ・ファンクやフュージョン系などの類のものから踊れそうなものばかり選んで並べて、その中には僕の考えではやや踊りにくいと思う1970年代のマイルス・デイヴィスも入れた。

 

 

その2000年頃には既にMacを使っていたけれど、僕はやや古めの機種とOSを長年引っ張ってしまっていたため、iTunesなどの音楽アプリはまだ使っておらず、ネット上で飛交う「CDリッピング」という言葉も、言葉の意味自体は分ってもどういう行為なのかピンと来ていなかった。

 

 

だいたい当時僕が使っていたPowerBook2400cにはCDを読込む光学ドライヴが付いておらず、アプリケイションのインストールなどにCD-ROMを読込む必要がある際には、SCSI接続の外付CDドライヴを繋げなくちゃいけなくて、音楽CDなどは再生すらできなかったもんなあ。

 

 

だからその頃はオーディオ装置だけでCDを聴き、マイ・ベスト・コンピレイションはまだカセットで作っていた。PowerBook2400cがダメになって新しいMacを購入したのが2004年で、OSがMac OS 7.6.1から一足飛びに OS X 10.3.6になり、最初からiTunesが入っていた。

 

 

光学ドライヴも標準搭載だった(これはMacでは最近標準では廃止され,、純正だけど外付になった)ので、それで僕はかなり遅れて2004年になってようやく「CDリッピング」なるもののやったのだった。まあ遅かったよね。やってみると、マイ・ベスト・コンピレイションを作るのが拍子抜けするほど簡単。

 

 

そんなに簡単になったのなら、コンピレイションを(今度はCDRで)一層たくさん作るようになったのかというとその逆で、以前ほどは熱心にやらなくなったというのはなぜだったんだろうなあ。一つにはCDを買う量も買う音楽のジャンルもどんどん拡大する一方なので、それをこなすので精一杯というのもある。

 

 

あとなんだろうなあ、普通の多くのというかおそらく僕以外のほぼ全ての音楽リスナーと違って、僕は逆にその頃からオリジナル・アルバムの有り様をじっくりと味わって聴き込みたいと思いはじめるようになって、アルバムから一曲単位で抜出して、独自に並べることにあまり積極的でなくなったのかもしれない。

 

 

それでも、例えばマイルス・デイヴィス関係やその他いろいろと出る大規模なボックス・セットなどは、一度に全部通して聴くなどは不可能に近いし、しかもそもそもアルバム単位の流れなんてものが存在しないものなんだから、何日かかけて一度通して聴いたあとは、いろいろと一曲単位で取りだして聴いている。

 

 

そしてiTunesにそういうボックス・セットを取込んだものから、自分好みの曲だけを一枚のCDR分の長さになるように抜出して並べたプレイリストを作ってCDRに焼き、普段頻繁に聴くのはボックス・セットではなくそうやって作った一枚物CDRの方なのだ。マイルスに限らずボブ・ディランでもなんでも大がかりなボックス・セットはほぼ全部そう。

 

 

どっちも同じレガシー(コロンビア系)から出るマイルスとボブ・ディランは、近年そんなボックス・セットばかりどんどん出るので、なかなか六枚組とか十枚組とか普段はそんなものは聴けないよねえ。だから僕なりにそういうボックス・セットを楽しむやり方として、コンピレイションCDRを作るというわけ。

 

 

ディランの方は、『ザ・ベースメント・テープス・コンプリート』からも『ザ・カッティング・エッジ 1965-1966』からも、それぞれ二枚組のベスト盤みたいなのが出ているけれど、それは買わずに自分でチョイスしてマイ・ベストCDRを作っているんだよね。

 

 

以前も書いた通り、アクースティック時代とエレクトリック時代に分けたマイルスのブルーズ・コンピレイションなどは、ボックス・セットからではないけれど何年も前から興味本位で作って楽しんでいるし、その他気に入った音楽家のベストなども作って他人にプレゼントすることもある。

 

 

また僕の場合、この曲だけいろんな音楽家のやったいろんなヴァージョンを聴きたいと思うことがあって、「ラ・パローマ」はこれだけ集めた商用CDが六枚出ているからそれで助かっているけど、「シボネイ」とか「ヤ・ラーヤ」とか「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」なども、大好きだから自分で集めている。

 

 

だけど「ラ・パローマ」以外の曲で、同じ曲ばかりいろんなのを集めた商用CDは売っていない(はず)なので自分で作るしかなく、従ってやはり「シボネイ」集、「ヤ・ラーヤ」集、「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」集などのプレイリストが僕のiTunesには存在する。これも一種の私家製コンピレイションだよね。

 

 

かつては音楽家の枠を超えていろんなジャンルのいろんな人の曲を混在的に並べたマイ・ベスト・カセットをたくさん作って聴いていたけど、現在音楽家の枠を超えたプレイリストを作っているのは、そういう「シボネイ」とか「ヤ・ラーヤ」とか「ベチャ・バイ・ゴーリー・ワウ」などの大好きな一曲単位のものだけになったなあ。

2016/03/15

クインシーの音楽酒場

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時差の関係で日本では今日がクインシー・ジョーンズ83回目の誕生日だから。

 

 

以前ちょっとだけクインシーの『Qズ・ジューク・ジョイント』に触れたけど、この1995年のアルバム、クインシーのリーダー作では僕が一番好きなものなのだ。これの前作89年の『バック・オン・ザ・ブロック』も相当よかったけど、『Qズ・ジューク・ジョイント』の方がはるかに好き。

 

 

なにが好きと言って『Qズ・ジューク・ジョイント』は、古いブラック・ミュージックのカヴァー中心なのだ。古いブラック・ミュージック・ナンバーが大好きでたまらない僕には、これ以上ない内容。いきなりルイ・ジョーダンの「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」をスティーヴィー・ワンダーが歌い出す。

 

 

「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」では、スティーヴィーだけでなく、U2のボノやレイ・チャールズもヴォーカルを取る。しかもこれへの導入部である「ジューク・ジョイント・イントロ」では、マイルス・デイヴィスはじめ、物故した様々なミュージシャンの声がサンプリングされ、会話を交す。

 

 

マイルスやチャーリー・パーカー、ビリー・エクスタイン、レスター・ヤングなどの物故した黒人ミュージシャンに加え、スティーヴィーやレイ・チャールズなども参加して賑やかに会話した後、ファンクマスター・フレックスが「さあ、楽しくやろうぜ(レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール)!」と叫び、演奏がはじまるという具合。

 

 

 

 

演奏本体のアレンジそのものは、レイ・チャールズの1959年『ザ・ジーニアス・オヴ・レイ・チャールズ』一曲目でのクインシー自身がやった同曲とほぼ同じなんだけど、そのレイも再び参加している『Qズ・ジューク・ジョイント』の方がもっと賑やかで楽しいように聞えるなあ。

 

 

最初にこのCDを聴いた時に、この導入部の創りだけでもう降参しちゃった。そして『Qズ・ジューク・ジョイント』というアルバムのコンセプトが、1946年のこの古い曲を取上げたことだけでなく、その導入部だけで分ってしまう。ブラック・ミュージックの遺産へのトリビュートなのだ。

 

 

二曲目がベニー・ゴルスンの「キラー・ジョー」。と思うとマイケル・ジャクスンの『オフ・ザ・ウォール』収録の「ロック・ウィズ・ユー」が来る。マイケルの『オフ・ザ・ウォール』は、クインシー自身のプロデュースだったしね。そのオリジナルを書いたロッド・テンパートンがここでも参加している。

 

 

その次がまた1953年の曲「ムーディーズ・ムード・フォー・ラヴ」で、そのオリジナル・ヴァージョン(それも元々クインシーのアレンジだった)でテナー・サックスを吹いていたジェイムズ・ムーディーが、このヴォーカル入りの新ヴァージョンでもソロを取る。なかなかいい感じだ。好きな人だし。

 

 

その次がブラザーズ・ジョンスンの「ストンプ」。これは1980年だね。ここでも様々なヴォーカリストが入れ替り立ち替り歌う。そしてデューク・エリントンの1943年のナンバー「ドゥー・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー」だ。サックス・ソロを吹くのがジョシュア・レッドマン。

 

 

ジョシュア・レッドマンというテナー・サックス奏者は個人的にはあまり評価していない人なのだが、ここでは結構いい感じに響く。フィル・コリンズが歌い、それにワーワー・ミュートを付けたジェリー・ヘイのトランペットが絡む。元々「コンチェルト・フォー・クーティー」だった曲だからね。

 

 

以上書いてきた曲以外は個人的にはさほどには知らない曲だけど、ブックレットのオリジナル英文解説を読むと、どれも全部1970〜80年代のブラック・ミュージック・ソングらしい。一番古いエリントンの1940年ナンバーからそのあたりまで、このアルバム収録曲は全部そんな感じの過去の黒人音楽なのだ。

 

 

つまりアルバム・タイトルの『Qズ・ジューク・ジョイント』とは、クインシー(Q)の好きな古いブラック・ミュージックが流れる音楽酒場とでもいうような意味なんだろう。クインシーのプロデュースとアレンジは、いつも隠し味的というか、アレンジしているのかしていないのか分らないような感じだ。

 

 

クインシーはある時期から米ポピュラー音楽界のドンのような雰囲気になってしまっていて、例のUSA・フォー・アフリカの「ウィー・アー・ザ・ワールド」でも、新旧様々な音楽家達を取りまとめプロデュース・指揮しているくらいだけど、元々出発点はジャズ・アレンジャーだった人だ。

 

 

クインシーは最初はジャズ・トランペッター(兼アレンジャー)で、1950年代初頭のライオネル・ハンプトン楽団に参加してデビュー、クリフォード・ブラウンやアート・ファーマーといった腕利き達とトランペット・セクションで席を並べていた。例の53年ブラウニーのパリ・セッションにも名前がある。

 

 

 

 

まあしかしブラウニーやアート・ファーマーといったムチャクチャに上手いトランペッターを隣で聴いていたわけだから、楽器の方は早々に見切を付けてアレンジャーに専念するようになったのは、誰でも納得できることだ。特にブラウニーみたいなのを横で聴いていたら、そりゃ誰だってトランペットをやめたくなるよねえ。

 

 

 

 

それでも1960年代前半までは、ディジー・ガレスピーのバンドその他でトランペットを吹いていたようだ。アレンジャーとしてのクインシーの大きな成功は、1962年の「ソウル・ボサ・ノーヴァ」からということになっているけど、50年代から良いアレンジを書いていて、僕も好きなものが結構ある。

 

 

 

 

1950年代のクインシーの仕事で僕が好きなものの一つに、54年録音の『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』がある。ちょっと聴くと簡単なヘッド・アレンジだけのように聞え、実際ジャズに詳しい友人も、僕が指摘する15年ほど前までクインシーのアレンジだと知らなかったくらい。

 

 

 

 

しかしよく聴くとそこはかとなくクインシーのアレンジのペンが入っていて、それが実に効果的なのだ。クインシーがアレンジしているのは、伴奏の楽器演奏部分だけではない。主役のヘレン・メリルのヴォーカル・ラインもかなりアレンジしている。普通のメロディ・ラインというより器楽的な旋律を歌う部分があるしね。

 

 

 

 

それが一番よく分るのが「ス・ワンダフル」「ワッツ・ニュー」「イエスタデイズ」の三曲。この三曲は、ヘレン・メリルの歌うメロディも原曲通りではなく、あらかじめクインシーによって相当アレンジされている。特にそれぞれ2コーラス目にそれが顕著だ。僕はいつもそれを楽しんで聴いているのだ。

 

 

 

 

この『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』で顕著なように、クインシーのアレンジのペンというのは、だいたいいつだって自然発生的な演奏に聞えるように考え抜かれているもので、誰にも譜面があるようにはっきり分るようなものより、それこそ真に優れたアレンジャーの証だろうね。

 

 

 

 

もっとも個人的にはクインシー自身のリーダー・アルバムは、一時期まで好きなものが殆どなくて、ジャズ・アルバムでは一番有名で評価も高いらしい1956年の『私の考えるジャズ』とかも、どこがいいのかいまだによく分らない。ずっと後の81年『愛のコリーダ』(The Dude)が一番最初に面白いと思ったものだった。

 

 

 

 

あの『愛のコリーダ』、リアルタイムで聴いた最初のクインシーの作品ということもあったけど、でも一般的にはあまり評価されていないみたいだ。もろディスコ・サウンドだし、ジャズ・ファンはもちろん黒人音楽ファンだってあんなの嫌いだろう。当時はジャズ喫茶でもかける店があったんだけどね。

 

 

 

 

そしてそういう個人的な体験からの思い入れを別にすると、クインシーのリーダー作で本当に評価できると思ったのが、1989年の『バック・オン・ザ・ブロック』が初だったような気がする。これに入っている「バードランド」の話は前にもしたけど(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-8eae.html)、それよりラストの「シークレット・ガーデン」がいいよね。

 

 

 

 

そしてその次の95年の『Qズ・ジューク・ジョイント』が、最初に書いたように一番好きなクインシーのアルバムなんだけど、これ以後は新録音のフル・アルバムというのがないみたいで、ちょっと寂しい気がする。クインシーももう83歳だし、そろそろ引退が近づいている歳なのかなあ?

2016/03/14

マイク・ブルームフィールドのブルーズ・ギター

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みんな大好きアル・クーパー+マイク・ブルームフィールド+スティーヴン・スティルスの1968年『スーパー・セッション』。僕も最初にこのレコードを買って聴いた時から大好きで、特にA面一曲目の「アルバーツ・シャッフル」。いろんな音楽を聴いた後にこれを聴くと、なんかホッとするんだよね。

 

 

まあやっぱり僕はブルーズ・ファンってことなんだろうね。特に最初に出るマイク・ブルームフィールドのギターはタマランね。カッコよすぎるぞ!米英日問わず非黒人ブルーズ・ギタリストでは個人的にはこの人が断然トップだ。最近のエリック・クラプトの弾くブルーズなんかよりもはるかに魅力的だよね。

 

 

 

『スーパー・セッション』はアル・クーパーの構想に基づくもので、彼はアルバム全編通してオルガンやギターなどを弾いているけれど、マイク・ブルームフィールドはA面のみで、B面はスティーヴン・スティルスと分けられている。スティルスも好きだけどやっぱりマイク・ブルームフィールドだなあ。

 

 

アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドは、おそらくボブ・ディランの1965年『追憶のハイウェイ61』で一緒に録音したのが最初の出会いだったようだ。あれっ、同年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルでのパフォーマンスの方が先だっけ?調べてみないと正確なことは分らない。

 

 

あのボブ・ディラン1965年のニューポート。僕にはアル・クーパーの印象は全然なくて(だってかすかにしか聞えないし)、完全にマイク・ブルームフィールドの弾くエレキ・ギターにやられちゃったんだよなあ。なんてカッコいいんだ!

 

 

 

この「マギーズ・ファーム」は、CDでは僕は『ノー・ディレクション・ホーム』という二枚組サウンドトラック盤で愛聴している。この当時マイク・ブルームフィールドは、バターフィールド・ブルーズ・バンドの一員で、ディランのこれにも、同バンドからサム・レイとジェローム・アーノルドも参加している。

 

 

つまり、ディランの電化路線転向(「転向」というのもちょっと違うと以前も書いたが)は、ブルーズ・ルーツあることを必然的に示してもいた。またあの時のディランのバックでドラムスを叩いたサム・レイは黒人で、それまでディランの支持層だった人達がヤジを飛ばしたのは、運動の趣旨と矛盾していた。

 

 

ディランの1965年ニューポートはともかくとして、マイク・ブルームフィールドが在籍していた時代のバターフィールド・ブルーズ・バンドは、白人ブルーズ・バンドでは個人的に最も好き。一枚目と95年リリースの未発表集『オリジナル・ロスト・エレクトラ・セッションズ』が最高に素晴しいよねえ。

 

 

そんなこんなで大好きなマイク・ブルームフィールドが、ディランとのセッションを通して知合ったアル・クーパーと組んだ『スーパー・セッション』は、アル・クーパーのオルガンも『追憶のハイウェイ 61』で気に入っていた僕には、期待度マックスだったのだった。そしてその期待値を上回る出来。

 

 

『スーパー・セッション』は、エレクトリック・ベーシストのハーヴィー・ブルックスをちゃんと知った最初。マイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』で弾いているから聴いてはいたけど、あそこでは地味で堅実な脇役に徹しているから、エレベの上手さはイマイチ分りにくい。

 

 

ハーヴィー・ブルックスのことは省略するけど、当時おそらくエレクトリック・フラッグで活動していた時期で、『スーパー・セッション』では同バンドからバリー・ゴールドバーグも起用している。全部ブラッド・スウェット&ティアーズを辞めたばかりのアル・クーパーの構想だった。

 

 

そんなわけだから、言ってみればスーパー・バンドの走りみたいなもんで、しかもあのアルバムはインストルメンタルなブルーズ、あるいはブルーズ・ルーツなナンバーが多いから、その意味でも完全に僕好み。基本六人で演奏しているけど、一部ホーン・セクションの演奏がオーヴァーダビングされている。

 

 

超カッコいい一曲目の「アルバーツ・シャッフル」でもホーン隊が入っていて、アル・クーパーのアレンジだし、ブラス・ロックのバンドにいたんだし、入れても不思議ではないけど、僕にはちょっと邪魔に聞えちゃうんだよね。ホーンさえ入ってなければ「アルバーツ・シャッフル」は文句なしだったのに。

 

 

そう思いながら長年聴いていたら、21世紀になってからのリイシューCDに、ボーナス・トラックとしてそのホーンを抜いた「アルバーツ・シャッフル」が収録されるようになって、これは嬉しかった。聴いてみたら、ホーン入りのを長年聴き慣れてしまったせいか、なんだかちょっぴり寂しいような気も(苦笑)。

 

 

 

マイク・ブルームフィールドこそが僕の目当だったので、スティーヴン・スティルスが弾くB面の方はA面ほどには聴いていない。ボブ・ディラン・ナンバーなんかもやっているけど、それより二曲目の「魔女の季節」とかラスト・ナンバーの「ハーヴィーズ・チューン」がいいんじゃないかなあ。

 

 

「ハーヴィーズ・チューン」のホーンはオーヴァーダビングじゃなくて、最初から入っているというかホーン・アレンジが主体のインストルメンタル・ナンバーで、二分程度の短い曲だけど、僕好み。これを書いたのは曲名通りハーヴィー・ブルックスだけど、ホーン・アレンジもアル・クーパーじゃなく彼なのだろうか?

 

 

やはりインストルメンタル部分が多いB面だけど、それでもA面よりはヴォーカルがあって、今聴くとB面だって悪くない。特にハーヴィー・ブルックスのエレベはB面の方が分りやすい(特に「魔女の季節」)。でもやっぱり何度聴いてもA面のマイク・ブルームフィールドのブルーズ・ギターがカッコイイ。

 

 

『スーパー・セッション』のライヴ篇とでもいうべき四ヶ月後の録音『フィルモアの奇蹟』(The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper)。ここでもアル・クーパーとマイク・ブルームフィールドが中心。この二枚組の方がより素晴しいこれをよくコピーしたという人が、かつての僕の音楽仲間にも一人いた。「フィルモアごっこ」と呼んでいたそうだ。

 

 

もちろん僕も好きなんだけど、個人的には『スーパー・セッション』の「アルバーツ・シャッフル」みたいな超カッコいい曲はあまり聴けないように思うんだなあ。ヴォーカルも取るマイク・ブルームフィールドのギターも、なんだかイマイチ調子が出ていないようにも聞えるけれど、僕の気のせいなんだろうか?

 

 

それよりこの1968年9月のライヴは、レイ・チャールズとかザ・バンドとかブッカーT&MGズとかの曲もやっているし、また直後に自分のバンドでのラテン・ロックで一世を風靡することになるカルロス・サンタナの、おそらく最も早い時期の録音として聴くのが一番面白い聴き方かもしれないよねえ。

 

 

二枚目B面一曲目の「ディア・ミスター・ファンタジー」の中では、ビートルズの「ヘイ・ジュード」のメロディがちょっと出てくる。どこにも書いていないはずだけれど、間違いない。またブルーズ演奏という点では、二枚目B面二曲目のアルバート・キング・ナンバーが一番カッコイイよね。

 

 

そんなこんなでいろいろと楽しい二枚組ライヴ・アルバム『フィルモアの奇蹟』ではあるけれど、個人的にはこれに先立つスタジオ・アルバム『スーパー・セッション』の特にA面がブルーズ一本槍な感じで、マイク・ブルームフィールドも絶好調で、ブルーズ耳な僕としてはこっちの方が好きなのだ。

2016/03/13

セレナーデな「A列車」〜グレン・ミラー再評価

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デューク・エリントン・ナンバーのなかで世間的にはおそらく一番の代表曲で有名曲であろう「A列車で行こう」(書いたのはビリー・ストレイホーンだけど)。ロックしか聴かない人だって、ローリング・ストーンズの1982年のライヴ盤『スティル・ライフ』のオープニングに使われているので、それで聴いているはず。

 

 

その「A列車で行こう」をあのグレン・ミラー楽団が録音しているものがある。これが面白いのでちょっと聴いてみてほしい。  これは1941年録音だからエリントン楽団のオリジナル録音と同年だ。元々は快活でスウィンギーなナンバーだけどね。

 

 

 

なんというか、グレン・ミラー楽団お得意のいわゆる一連の「セレナーデ」(英語だと正しくは「セレネイド」だけど、「レッド・ツェッペリン」と同じくそれだとなんとなく雰囲気が出ない気がするので)物と同じようなフワフワと浮遊するような感じのアレンジになっているよねえ。だから「A列車」という曲が本来持っているフィーリングは完全に消し飛んでいるけれど、これはこれでなかなか面白いんじゃないかなあ。

 

 

グレン・ミラー楽団は、リーダーの死後(といっても、乗った飛行機が消息不明になったのであって、死体も見つからずいつ亡くなったのかは判然としていないんだけど、1944年ということになっている)も、楽団名はそのままに続いていて、それは他の名門ビッグ・バンドと同じ。「A列車」も何度も再演しているみたいだけど。

 

 

カウント・ベイシー楽団でもデューク・エリントン楽団でも、リーダー死後のその手の存続には僕は1ミリたりとも興味はなく、だから1944年以後のグレン・ミラー楽団も同じ。音源も全く持っていない。でもYouTubeで探すと、「A列車」の再演ヴァージョンがいくつも上がっていて、快活なものもある。

 

 

しかし先ほど貼った1941年ヴァージョンみたいな面白さはないなあ。快活にスウィングする「A列車」なら、本家本元のエリントン楽団をはじめいろんなジャズマンがやっていて、その方が楽しい。やはりムーディーでセクシーなグレン・ミラー独自のサウンドでの「A列車」が魅力的だ。

 

 

以前も一度触れたように、1940年代のグレン・ミラー楽団なんか聴くようなファンはいまどきかなり減っているんだろうから、いくら面白いと言って音源を貼ってもねえ。僕は大学生の頃からのグレン・ミラー・サウンドの大ファンだけど。「イン・ザ・ムード」みたいな快活なダンス・チューンもいい。

 

 

「イン・ザ・ムード」や「チャタヌーガ・チュー・チュー」や「タキシード・ジャンクション」(アースキン・ホーキンス楽団の曲なのは、随分後になってから知って聴いた)とかのポップでスウィンギーなダンス・チューンは楽しい。けれど、その手のものならもっとスウィングするバンドがあるからね。

 

 

快活なスウィング感だけを言うなら、やはりカウント・ベイシー楽団など黒人スウィング・バンドには到底敵わないだろう。1930年代後半からアメリカ全土で大人気だったのは、白人ビッグ・バンドのベニー・グッドマン楽団やグレン・ミラー楽団だけど、現在の音楽的評価はかなり下がっている。

 

 

今の僕の耳に面白いと思えるグレン・ミラー楽団は、やはり一連の「なんちゃらセレナーデ」「ムーンライトなんちゃら」物に代表される、ムーディーでフワフワと漂うかのようなスロー・ナンバーだなあ。いろいろたくさんあってどれも面白い。当時は間違いなくそういうものでチークなどを踊ったんだね。

 

 

ちょっと貼っておこう。

 

「ムーンライト・セレナーデ」 https://www.youtube.com/watch?v=G8zDQAOLVtM

 

「セレナーデ・イン・ブルー」 https://www.youtube.com/watch?v=R0tbGIGNxYM

 

「ムーンライト・カクテル」 https://www.youtube.com/watch?v=MPF38fYkBjc

 

 

このうち「セレナーデ・イン・ブルー」という曲名は、間違いなくジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」のもじりだ。グレン・ミラー楽団はその「ラプソディー・イン・ブルー」も録音している。 1942年録音でもちろん三分。

 

 

 

ジョージ・ガーシュウィンが「ラプソディー・イン・ブルー」を書いたのは1924年だけど、ピアニストだった当時のガーシュウィン本人に管弦楽のアレンジを書く能力はなく、オーケストラ用のアレンジ譜面を書いたのはファーディー・グローフェで、ポール・ホワイトマン楽団が同年に初演した。

 

 

ポール・ホワイトマン楽団は、まあジャズ・バンドとも言いにくいようなスウィートなダンス・バンドで、しかしこの楽団をちゃんと知らないとアメリカのビッグ・バンド史を知ることにはならないので、僕もそれなりに聴いてはいるんだけど、サウンドそのものはあんまり面白くもないなあ。

 

 

それはともかくグレン・ミラー楽団のスローでセクシーな浮遊感漂うサウンド。これこそ今考えると同楽団最大の魅力だったんだろう。「ムーンライト・セレナーデ」は同楽団のトレード・マークになって、だから最初に言及したエリントンの「A列車」も、その路線でアレンジしたんだろうなあ。

 

 

スタンダード曲なども似たようなアレンジでたくさんやっていて、僕の大好きな「星に願いを」とか「イマジネイション」とか「ダニー・ボーイ」とか「ナイチンゲール・サング・イン・バークリー・スクウェア」とか、なにもかもこの種の<セレナーデ>風グレン・ミラー・サウンドでやっている。なかなか魅力的。

 

 

そんな大甘なもの、2016年の今聴いてもしょうがないだろうと思われるかもしれないが、以前ちょっとだけ触れたように、この種の浮遊感のあるスロー・ナンバーは、同時期から直後の1941〜48年の間クロード・ソーンヒル楽団の主席アレンジャーだったギル・エヴァンスがお手本にしたものなんだよね。

 

 

ギルは1912年生まれ。グレン・ミラー楽団の1940年代全盛期をリアルタイムで聴いていた世代だ。その独自のムーディーなグレン・ミラー・サウンドを、ギル独自の発想でフレンチ・ホルンやチューバなどといった、それまでジャズ・バンドでは滅多に使われない楽器を用いて再現しようとした。

 

 

例えば、クロード・ソーンヒル楽団時代のギルの代表曲である「スノーフォール」などはどうだろうか→ https://www.youtube.com/watch?v=M6K2STbSa_Q  あるいはみなさんご存知のセバスチャン・イラディエールの名曲「ラ・パローマ」→ https://www.youtube.com/watch?v=S45GYDfp6-w

 

 

「ラ・パローマ」なんか、イラディエールの原曲の持つハバネーラ風に跳ねるリズムの面白さは完全に無くなっているのはお聴きになれば分る通りなんだけど、それでもこういったブラス群による浮遊感のあるサウンドと、その合間を縫ってふわふわと漂うクロード・ソーンヒルのピアノという、なんか面白いじゃない。

 

 

以前力説したように(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-e744.html)、こういうギル・アレンジ時代のクロード・ソーンヒル楽団は、ハービー・ハンコックの名作『スピーク・ライク・ア・チャイルド』の源泉だし、まあそれは僕しか言っていないんだけど、こっちはみなさん言っている通り、マイルス・デイヴィスのあの九重奏団の源泉になった。

 

 

1948年にロイヤル・ルーストに出演し、また翌49/50年にキャピトルに録音して、その九重奏団を世に発表したマイルス。彼やその他数人がニューヨークのギルのアパートに集って、新しい実験的なサウンドのアイデアを練っていた時にお手本にしたのが、クロード・ソーンヒル楽団のサウンドだった。

 

 

このことは非常に有名だから、マイルスやギルに興味をお持ちの方ならみなさんご存知の周知の事実。レコード・アルバムになった『クールの誕生』でも、ギルのアレンジした「ムーン・ドリームズ」なんか、本当にソーンヒル楽団そのまんまだもんなあ。

 

 

 

ということはですよ、熱心なマイルス・ファンにすらあまり人気のない『クールの誕生』だけど、そのルーツがクロード・ソーンヒル楽団で、そのクロード・ソーンヒル楽団のお手本がグレン・ミラー楽団だったとなると、これはマイルスの初リーダー・アルバムの元の元を辿ると、それはグレン・ミラー・サウンドだよ。

 

 

こんな具合にグレン・ミラー・サウンドを21世紀に再評価しようなんていう意見は、僕は全く見掛けないし、実際1940年代グレン・ミラー楽団全盛期の録音は、ロクなCDリイシューがないという評価の低さだ。しかしちょっと聴直してみたらどうだろう?ブラック・ミュージック・ファンにはルイ・ジョーダン・ヴァージョンで有名な「G.I. ジャイヴ」も1944年に録音(空軍バンド時代)していたりするしねえ。

 

 

しかしそのためには、まずグレン・ミラー生存時の楽団の全録音をちゃんとした形でCDリイシューしてもらわなくちゃね。だいたい全部ブルーバードだから、なんとかホント頼みますよRCAさん。

2016/03/12

カルカベの鳴る砂漠のブルーズ

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昨年2015年暮れリリースの新作が今年初めになって日本でも買えるようになったティナリウェン。その新作『ライヴ・イン・パリ』も素晴しかったけれど、それについては荻原和也さんが紹介なさっているので、僕はもうなにも言わないことにしよう。

 

 

 

さて、今までのティナリウェンの曲で僕が一番好きなのは、『アマン・イマン』10曲目の「タマタント・ティレイ」だ。理由ははっきりしていて、この曲ではなぜかカルカベの音が聞えるから。 ティナリウェンの曲でカルカベが聞えるのはこれだけ。

 

 

 

いわゆる砂漠のブルーズに分類される音楽で、カルカベが入っているのは、僕はこの「タマタント・ティレイ」以外知らない。ご存知の通りカルカベという鉄製カスタネットは、北アフリカはモロッコのグナーワで使われる楽器で、グナーワ以外でもマグリブ音楽では使われる。

 

 

砂漠のブルーズはマグリブ音楽ではない。マリなどを拠点とするトゥアレグ族達が中心の音楽だ。といってもティナリウェンの場合は、元々リビアのカダフィ大佐のキャンプで知合った仲間達と同地で結成されたバンドらしいけれど。でも活動地はやはりサハラ以南だよなあ。音楽的にもマグリブ的なところはない。

 

 

『アマン・イマン』の一曲でだけなぜカルカベが入っているのか、ティナリウェン側の着想なのか、それともプロデューサーであるジャスティン・アダムズ側の着想なのか分らないけれど、音を聴く限りでは大成功だ。カルカベが入っているといってもマグリブ的な雰囲気は皆無だけど。

 

 

カルカベがマグリブ音楽以外でこうやって効果的に使われているのは、僕はそんなに世界中の音楽をたくさん聴いているわけじゃないから、他にあるのかどうか全く知らないけど、ティナリウェンの「タマタント・ティレイ」は意外な感じだ。ドラマーのいないバンドだけど、リズムのいいアクセントになっている。

 

 

ドラマーはもちろん、そもそもティナリウェンに打楽器奏者は少ないというか殆どいない。打楽器奏者がいても常にシンプルで、あとは手拍子。だからなのかどうなのか、ティナリウェンに惚れ込んだ僕が、英米のロックやソウルやファンク等を中心に聴く友人に勧めても、ピンと来ない人が多いみたい。

 

 

僕だって長年ドラムスが派手に入る音楽を、ワールド・ミュージックを聴くようになってからも愛聴してきたし、アフロ・ポップの多くがそうで、サリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールのバンドにもドラマーがいるし、ある時期以後惚れ込んだONBやグナワ・ディフュジオンにももちろんドラマーがいる。

 

 

それでもティナリウェンは最初に聴いた瞬間から一発で虜になってしまったのだから、分らないもんだ。ドラムスが入っていないから物足りないと感じたことは一度もない。そういう印象は最初から全く受けなかった。数本のエレキ・ギターとヴォーカル中心の音だけで充分満足できるグルーヴ感があるからなあ。

 

 

僕はティナリウェンを独力で見つけたわけでは全然ない。2004年の二作目『アマサクル』の国内盤が出て、これがその年の『ミュージック・マガジン』年間ベストテンのワールド・ミュージック部門第一位になっていたのを読んだのがこのバンドを知った最初。早速『アマサクル』を買って聴いた。

 

 

そうしたら一曲目の「アマサクル・ン・テネレ」が、これがもう最高にカッコイイのでKOされちゃった。こういう音楽はそれまで殆ど聴いたことがなかったはず。複数のエレキ・ギターが織成すカラフルな絡みなら英米にもたくさんあるし、歌のコール&リスポンスだって珍しいものじゃなかったのに。

 

 

 

だから、この「アマサクル・ン・テネレ」のなにが一体そんなに新鮮に響いたんだろうなあ。あのミドル・テンポのグルーヴ感だったんだろうか。今聴直してみてもやっぱり最高だ。今までのところのティナリウェンのベスト・トラックだと思う。この二作目『アマサクル』で一気にブレイクしたしね。

 

 

『アマサクル』で世界中で知られるようになる前に、2001年にデビュー作『ザ・レイディオ・ティスダス・セッションズ』がある。今聴直すとこれだってそんなに悪くないというか、『アマサクル』で開花するティナリウェンの音楽性の基本は既にはっきりと存在している。

 

 

ただ『ザ・レイディオ・ティスダス・セッションズ』の音楽は、まだちょっとスパイスが足りないというか、なにかが欠けているような気もするね。先の『アマサクル』一曲目のような、一瞬で聴き手を虜にしてしまって離さない麻薬的中毒性はない。かなり地味というかまだ祖型にとどまっているような感じ。

 

 

でも打楽器奏者なしで複数のエレキ・ギターがカラフルに絡み合い、そのテクスチャーの上でリード・ヴォーカルを中心にコール&リスポンスを繰広げたりといった、このバンドの基本形はちゃんとできているんんだよなあ。もっとも僕だって『アマサクル』がいいから興味を持って買ったみただけだけど。

 

 

今までのところティナリウェンのベストは、おそらく2004年の『アマサクル』か2007年の『アマン・イマン』のどちらかということになるんだろう。これ以後のスタジオ録音は『イミディワン』『タッシリ』『エンマー』と三作品あるけど、やはりこの二つを超えてはいないように思うし、この二つを一番よく聴く。

 

 

『アマサクル』に関しては、書いたように『ミュージック・マガジン』誌の年間ベストテンで知った後追いだったけど、それ以後はリアルタイムで買うようになったから、『アマン・イマン』が出た時は、同誌で確か小出斉さんが詳細な紹介記事を書いていたような記憶がある。小出さんもベタ褒めだった。

 

 

ブルーズ・ライターの小出さんだけど、ブルーズ系の英米ロックについてもたくさん文章があるし、ティナリウェンはいわゆる砂漠のブルーズに分類されるということで、小出さんに執筆依頼が行ったんだろう。彼がワールド・ミュージックのアルバムに関する記事を書いているのは、僕は他では見ない。

 

 

そもそも「砂漠のブルーズ」っていつ頃誰が言出した表現なんだろう?僕は書いたようにティナリウェンの『アマサクル』がこの種の音楽を聴いた初で、この言葉もその後このバンド関連で知ったけど、詳しいことは分らない。ロバート・プラントなど英ロック系音楽家が強い興味を抱いているとかなんとか。

 

 

上で触れた『アマン・イマン』のプロデュ−サー、ジャスティン・アダムズが英ロック・ミュージシャンだし、ちょっぴりワールド路線もあるロバート・プラントのソロ作にも参加している。アダムズが2000年から<砂漠のフェスティヴァル>を開催している辺りが、そもそものはじまりなのだろうか?

 

 

ティナリウェンの2011年『タッシリ』は高く評価する人も多くて、僕もその評価には納得してはいるんだけど、元々複数のエレキ・ギターが絡み合うサウンドが大好きなバンドだから、アクースティック・ギター中心のこのアルバムのサウンドは一度目に聴いた時に馴染めなかったし、それ以後もそんなに好きではない。

 

 

その次の2014年の『エンマー』は再びエレキ・ギター中心のサウンドに戻っている。大のティナリウェン・ファンというか虜になってしまっている僕なので、下位とはいえその年の年間ベストテンに入れたし、中身も素晴しいアルバムだったように思う。個人的には前作『タッシリ』よりも好きだ。

 

 

今後もっともっと優れたスタジオ・アルバムを創ってくれる可能性が大いにある現役バンドのティナリウェンだけど、そういうわけだから今のところは、やはり『アマサクル』と『アマン・イマン』中心に繰返し聴いている僕。いわゆる砂漠のブルーズは他に面白いものがあるけれど、このバンド以上に麻薬的中毒性を持つ存在は僕はまだ聴いたことがない。

2016/03/11

特別ゲストは、マイルス!

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『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』というCDがある。オリジナル・アルバムではなくコンピレイション盤だけど、ユニヴァーサルから出ているれっきとした公式盤(日本盤)だ。これは1981年復帰後のマイルス・デイヴィスが他の音楽家のアルバムにゲスト参加した曲ばかり集めたもの。

 

 

1975年の一時隠遁までは他人のアルバムに客演するということはまずなかったマイルスだけど、81年の復帰後はそういうゲスト参加で吹いたものが結構ある。きっかけは85年の『サン・シティ』という、南アフリカの当時のアパルトヘイトに反対する音楽アルバムに参加したことだった。

 

 

アルバム『サン・シティ』では、一曲だけ「ザ・ストラグル・コンティニューズ」という曲に参加し、往時のリズム・セクション、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズその他と共演している。といっても、トランペットをオーヴァー・ダビングしたもので、実際に顔合せはしていない。

 

 

マイルスは1986年ワーナー移籍後の第一作が『TUTU』というタイトルだし、そうでなくてもアメリカ黒人である彼が、アパルトヘイト反対が主旨のアルバムに参加するのは不思議なことではないはず。そうではあるけれど、かつてのマイルスは音楽の場に政治を持込むのを嫌ってはいたんだけどね。

 

 

確か1960年代初頭のことだったはずだけど、マイルスのカーネギー・ホールでのコンサートの最中に、マックス・ローチが人種差別に反対するかなにかのプラカードを掲げて客席からステージに上がろうとして、それに腹を立てたマイルスは、演奏を中断して袖に引っ込んでしまったことがあった。

 

 

後年この事件のことについてマイルスは、マックス・ローチの主張は理解できるけど、自分のライヴ・ステージにそれを持込まれるのは迷惑千万だったのだと語っている。曖昧な記憶だけど、ひょっとしたら実況録音盤にもなっている1961年5月のギル・エヴァンスとのコラボ・コンサートだったかもしれない。

 

 

そういうマイルスは1975年の一時隠遁までは、自分の音楽でも政治的・社会的メッセージ色の濃い曲やアルバムを発表したことはない。チャールズ・ミンガスやマックス・ローチなどとはその辺は大きく違う。音楽の場を離れさえすれば、マイルスも同じような考え・主張を持っていたとは思うのだが。

 

 

僕もそういうことをよく知っていたので、1985年の『サン・シティ』へのマイルスの参加は、やや意外な感じがしたのだった。そしてこれで歯止めがなくなったというか抵抗がなくなったのか、これ以後(政治的メッセージ色というのではなく)、他人のアルバムにどんどん客演するようになっていく。

 

 

『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』には、そういう客演曲は五曲しか入っていないので、もちろんマイルスの他人への客演曲の全部ではない。このCDの残り八曲は、ジャック・ニッチェがスコアを書きジョン・リー・フッカーやタジ・マハールなどと共演したサントラ盤『ホット・スポット』から。

 

 

前半五曲も、TOTOの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、チャカ・カーンの「スティッキー・ウィッキト」、カメオの「イン・ザ・ナイト」、ケニー・ギャレットの「ビッグ・オ・ヘッド」、シャーリー・ホーンの「ユー・ウォント・フォーゲット・ミー」で、僕はそれら全部持っているので買う必要もなかったんだけど。

 

 

『ホット・スポット』も単独のサウンドトラック盤CDを持っているし。なお、ジョン・リー・フッカーやタジ・マハールとマイルスが「共演」しているというか同時に音が聞えるけれど、全部オーヴァー・ダビングによるもので、実際にスタジオで顔合せはしていないははず。以前も書いた通りジョン・リー・フッカーが一番いい。

 

 

1985年以後のマイルスによる他人の曲へのゲスト参加は、他にもスクリッティ・ポリッティの12インチ・シングルに一曲、サントラ盤『スクルージド』に一曲、マーカス・ミラーのアルバムに一曲、クインシー・ジョーンズのアルバムに一曲、サンタナと一曲、フォーリーのアルバムに一曲など。

 

 

それらはほぼ全て単発的なもので、その後のマイルスのライヴ・ステージで定番化したのは、TOTOの『ファーレンハイト』ラストの一曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」だけ。これはインストルメンタル曲だから自分のバンドでもやりやすいだろうし、実際よく演奏していて公式アルバム収録もある。

 

 

マイルス・バンドによる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」で公式盤収録されているものは、20枚組の『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー』の1988年のと1990年のものの二つだけ。アレンジはTOTOのヴァージョンとほぼ同じだけど、どっちも七分以上の長さになっている。TOTOのオリジナルは約三分。

 

 

ブートなら一枚物CDもあるけれど、それは入手しにくいだろからなあ。YouTubeで探すと少し上がっているようなので、それをお聴きいただきたい。マトモなのはこれくらいしかないみたいだ。 もっといい演奏がいくつもあるんだけどなあ。

 

 

 

「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のオリジナルであるTOTOの『ファーレンハイト』は1986年のアルバムで、マイルスは自分のバンドで88年からやっているようだから、88年以後の来日公演で僕も生で耳にしたのかもしれないが、全く記憶がない。

 

 

これ以外の客演曲はだいたいどれもヴォーカル入りだから、専属ヴォーカリストのいないマイルス・バンドでのライヴ演奏はちょっと難しかった。しかしながら、カメオのアルバムに客演した「イン・ザ・ナイト」だけ、前述の20枚組モントルー・ボックスの1990年のものに入っている。

 

 

その1990年モントルーでの「イン・ザ・ナイト」では、ギター(リード・ベース)のフォーリーとベースのリチャード・パタースンがヴォーカルを担当している。ヴォーカルといっても、この曲はカメオのオリジナルからして本格的な歌ではなくバック・コーラスみたいなもんだから、可能だったんだろう。

 

 

「イン・ザ・ナイト」、この1990年のモントルーでの演奏が公式盤収録されているということは、おそらく当時他の場所でもやっていたんだろうと思うんだけど、YouTubeで探してもそういうものは上がっていない。カメオのオリジナルはこれ。

 

 

 

『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』というCDは、五曲だけとはいえ、そういったいろんな客演音源をまとめて続けて聴けるので、僕はまあまあ楽しいんだよね。他のも全部まとめてくれたら嬉しいんだけど、全部1986年以後とわりと最近だし全部レーベルも違うので、難しいんだろうなあ。

 

 

関係ない話だが、この文章を書くためにモントルー・ボックスの1988年以後を聴直したけど、この時期のマイルス・バンドのライヴ・レパトーリーで一番好きなのは、「ヘヴィ・メタル・プレリュード」〜「ヘヴィー・メタル」だなあ。タイトル通りハードでメタリックな曲で、フォーリーがジミヘンばりに弾きまくる。

 

 

「ヘヴィ・メタル・プレリュード」〜「ヘヴィ・メタル」は1988年の来日公演、僕が観た人見記念講堂でのライヴでも演奏されていて、当時は曲名もなにもかももちろん知らない「新曲」だったんだけど、かなり印象的だったのではっきり憶えている。公式盤ではそのモントルー箱の88年でしか聴けない。

 

 

「ヘヴィ・メタル」、YouTubeにはこれしか上がっていない。データが書いてないけれど、ベニー・リートヴェルド(ベース)とマリリン・マズール(パーカッション)が見えるので、1988年だね。

 

2016/03/10

実は全部キャロル・ケイなのかも

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ポピュラー・ミュージックを熱心にいろいろ聴くようになると、しばらく経ってだいたいみんなベースの音が大好きになるだろうと思うんだけど、もちろん僕もその一人。でもこれ、普通に前で歌う歌手だけ聴いているごく一般のみなさんはそうでもないようだ。

 

 

僕だって1979年に熱心にジャズを聴くようになるまでは全く同じで、歌謡曲でもなんでもやはり前面に出る歌手や楽器奏者しか聴いておらず、伴奏、特にベースの音なんか全然意識すらしていなかった。けれどこれは、僕を含めみなさんそれが耳に入っていないということではないだろう。

 

 

本格的に音楽を聴始めて初めて納得できたことだけど、ベースの音がしっかりしていないと演奏が締らないばかりか歌手も上手く歌いにくいものらしい。中学生の頃、玉置宏司会のテレビの歌番組(『ロッテ歌のアルバム』だっけなあ?)で、だれか女性歌手が「いつもベースの音を聴きながら歌っています」と喋っていて、当時はなにを言っているのやら分らなかった。

 

 

その女性歌手が誰だったのかは全く憶えていないんだけど、その言葉が凄く不思議だったから、それだけ今でもよく憶えているのだ。そして本格的にレコードを聴きまくるようになると、ベースがどれだけ大切なものなのかシロウトなりに分るようになってきて、その後はベースばかりに耳が行くようになった。

 

 

ベースに耳が行くといっても、それは例えばジャコ・パストリアスみたいに華麗に弾きまくり目立ちまくるようなベーシストだけではない。彼のベースはいわば主役級で、誰だって耳が行かざるを得ないようなスタイルだ。ジャコが独立して自分のビッグ・バンドをやっていた頃、ジャコは自分以外にもう一人脇役をこなすベーシストを雇うべきだと言っていた専門家がいたなあ。そういうジャコとかではなく、完全なる脇役というか縁の下の力持ち的存在こそが素晴しく思えてきた。

 

 

ブラック・ミュージックにおける黒人ベーシスト、例えばモータウンのジェイムズ・ジェマースンの貢献ぶりなどは、今ではもう最高級に素晴しいと思っている。といっても、ジェマースンだと思われているものの多くが実はキャロル・ケイだったりするんだけど、それを知ったのはかなり最近の話。

 

 

ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』でのベース演奏が、ひょっとしたら一番有名かもしれないキャロル・ケイ。彼女は自分のオフィシャル・ホーム・ページで、自分がベースやギターを弾いたヒット(の一部)をまとめてあって、それを見るとモータウンの録音のかなりの部分が彼女の演奏だ。「ユニオンの支払調書から」となっているから、客観的事実なんじゃないかな。

 

 

 

このキャロル・ケイのオフィシャル・ホーム・ページを見て驚いた僕は、我慢できずに彼女にメールを送り、するとすぐに御本人から丁寧な返信が来て、しばらくメールのやり取りをしていた。それでいろいろ面白いことが分ったんだけど、それは20世紀のことで、しかもそのメール(20通か30通はあったはず)を保存してあったPowerBook2400ののHDDがクラッシュしてしまい、バックアップも取っていなかったので、全てが完全に未来永劫消え去った(涙)。

 

 

世界で最も有名なベーシストであろうポール・マッカートニー。初期ビートルズ時代の彼のベース・スタイルに一番大きな影響を与えたのはジェイムズ・ジェマースンだけど、1967年頃からポールのベース・スタイルが変化するのはビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』の影響なんだよね。すなわちキャロル・ケイだ。

 

 

しかもその初期の最大の影響源だったジェイムズ・ジェマースンのベース(とされているもの)だって、多くが実はキャロル・ケイだったとしたならば、これは一体どういうことになるのだろうか。ビートルズ時代のポールのベースは、これ最初から最後までまでぜ〜〜んぶキャロル・ケイの影響下にあったということになっちゃうぞ。

 

 

もっとも『ペット・サウンズ』でのキャロル・ケイは、ブライアン・ウィルスンの譜面通りに弾いたわけだし、モータウンでの仕事も譜面があったんだろう。譜面を見ながら弾いているような写真があるから。その意味ではポール・マッカートニーが受けた影響とは、キャロル・ケイ(のスタイル)からのものとは言えないのかもしれないが。

 

 

ジェイムズ・ジェマースンを含むいわゆるファンク・ブラザーズにしろ、キャロル・ケイなどのセッション・ミュージシャンにしろ、一時期までのモータウンのアルバムにはほぼクレジットされない、完全なる縁の下の力持ちだった。リアルタイムではこういう人達の存在すら一般のファンには知られていなかったはず。

 

 

でも上でも書いたように、僕はそれでもいいんじゃないかと最近は思い始めている。以前はケシカランことだと考えていたんだけど、よく考え直してみたら、一般のファンだって特になんにも意識しなくても、ごく自然にベースやリズム・セクションの音を聴いている。音楽の魅力とはそういうものだ。

 

 

名前がはっきりクレジットされているもののうち、僕が一番好きなジェイムズ・ジェマースンのプレイは、マーヴィン・ゲイの『ワッツ・ゴーイング・オン』二曲目「ワッツ・ハプニング・ブラザー」でのもの。特に "war is hell, when will it end?" と歌う背後で跳ねていて、実にゾクゾクするね。しかもアルバム中でこの曲だけなぜか妙にベースが目立っているようなミックスだし。

 

 

 

『ワッツ・ゴーイン・オン』は2001年に二枚組デラックス・エディションが出て、それにアルバム全曲の<デトロイト・ミックス>というのが収録されている。それの「ワッツ・ハプニング・ブラザー」では、演奏自体は当然全く同一だけど、さほどベースが目立つようなミックスでもなくやはり聞えにくい。

 

 

だからオリジナル・アルバムのミックスがちょっとヘンなんだなあ。モータウンの元々の本拠地デトロイトでやったのでそう呼ばれるデトロイト・ミックスが最初の<完成品>だったらしい。しかしそれを聴いたマーヴィンが納得せず、ハリウッドでミックスをやり直して、それをベリー・ゴーディーも認めたようだ。

 

 

僕は2001年にそのデトロイト・ミックスを聴いた時に、なんて生々しい音なんだと驚き、最初からこっちを出せばよかったのにと、ベリー・ゴーディーの判断の方が正しかったんじゃないかと思ったものだった。デトロイト・ミックスはリズム・セクションがオーケストラの音とやや分離しているような感じで、特にドラムスとコンガの音が非常にクッキリと聞える。

 

 

でもジェマースンのベース・サウンドは、当時発売されたオリジナル・ミックスの方が聞えやすいので、その意味でだけはよかったんだけども。いずれにしても、カッコイイ音で録音されミックスされたベースやリズム・セクションの面々が、『ワッツ・ゴーイング・オン』でちゃんとクレジットされているのはいいね。

 

 

アメリカ・ポピュラー音楽におけるエレクトリック・ベースは、どう聴いてもああいったリズム&ブルーズやファンク・ミュージックのスタイルが一番カッコイイように思う。というかベース(やその他リズム隊)がしっかりしていないと成立しないような種類の音楽だし、どれもこれもベースがカッコイイ。

 

 

エレクトリックではないウッド・ベース(アップライト・ベース)の音では、ありとあらゆる全音楽ジャンル中、僕が聴いた範囲で一番凄い音で録音されていると思うのは、ジャズ・ピアニスト、ウォルター・ビショップ・Jr. の1961年録音『スピーク・ロウ』におけるジミー・ギャリスンだ。これはもう全員ビックリ仰天するはず。どうしてこんな音で?と理解できないほど凄まじいド迫力の野太い音で録れていて、腰を抜かすね。

 

 

ジミー・ギャリスンにしろポール・チェンバースにしろダグ・ワトキンスにしろチャールズ・ミンガスにしろ、その他全員いつも同じような音を出していたんだろう。あの『スピーク・ロウ』の時でだけギャリスンが普段と違った演奏をしたとも考えにくい。だからこれは完全に録音だけの問題なんだろう。

 

 

ウォルター・ビショップ・Jr. というピアニスト自体は、僕は全然好きでもなく、ジャズの本場アメリカにならそこらへんにいくらでも転がっていそうな凡庸な人だとしか思えず、『スピーク・ロウ』だって名盤との世評とは裏腹に、どうってことないものだと僕は思っているけど、野太いウッド・ベースの音を聴きたい時にだけ聴く。

 

 

ウッド・ベースの録音に関しては、1970年代の一時期ウッド・ベース本体に直接ピックアップを取付けて、それでライン録りした音をレコードに収録していた時期がある。そういうレコードがかなりあった。これはもうなんとも残念なもので、演奏内容は分りやすいけどペラペラな音で大嫌いだった。

 

 

そういうことは当時多くのジャズ・ファンが言っていた。それなのになぜか一時期どこもみんなあれをやっていたんだなあ。大好きだったアート・ペッパーのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ盤におけるジョージ・ムラーツもそう。最初はこういうもんなのかと思って聴いていたけれど、だんだん腹が立ってくる。

 

 

さすがにそういうウッド・ベースの録音方法はしばらくしたら誰もやらなくなり、普通にマイクで空中の音を拾う録音方法に戻っている。それでジョージ・ムラーツの音を聴いたら全然違うので、そりゃそうだよなと納得した次第。まあいずれにしても、ウッド・ベースにしろエレクトリック・ベースにしろ、ベースがちゃんとした音じゃないと音楽は死ぬ。

2016/03/09

ミーターズの後継者ネヴィル・ブラザーズ

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ニューオーリンズのバンド、ネヴィル・ブラザーズを僕が知ったのはメチャメチャ遅くて、なんと1990年の『ブラザーズ・キーパー』を買って聴いたのが最初。これが凄くよくて繰返し何度も聴いた。それでこのバンドの他のCDもほしいと思ってCDショップで探したのだが、他には見つけられなかったような。

 

 

『ブラザーズ・キーパー』は、ネヴィル・ブラザーズの他のいろんなアルバムを聴いた今聴くと、当時どこがそんなによくて繰返し聴いたのか、殆ど理解できないようなアルバムなんだけど、当時はこれしか知らなかったからなあ。今聴くとかろうじて「ミステリー・トレイン」のカヴァーが聴ける程度。

 

 

その1990年当時は、ネヴィル・ブラザーズのそれまでの過去作品がおそらくまだちゃんとCDリイシューされていなかったのではなく、僕の探し方が悪かっただけなんだろうけど、とにかく他のアルバムは見つからなかったんだよなあ。過去作品をCDで買ったのは、少し後のことだった。

 

 

『ブラザーズ・キーパー』だけ聴いていた頃も、このバンドが名前通り兄弟を中心に結成されているバンドだということは、確か解説に書いてあったし、ニューオーリンズのバンドだということも分っていた。一番感心したのがアーロン(エアロン)・ネヴィルのヴェルヴェット・ヴォイス。

 

 

なんて澄んだキレイな声なんだと惚れ込んじゃったんだなあ。でもブックレット附属の写真を見ても、どの人がアーロンなのかは全く分りようがなかったからなあ。随分後になってそれを知り、まさかこの一番イカツイ見た目の兄ちゃんがあんな優しい声を出しているなんて、かなり意外だったんだよねえ。

 

 

四年後の1994年にライヴ盤の『ライヴ・オン・プラネット・アース』が出て、これは即買った。これは素晴しいライヴ盤だった。やはりこのライヴ盤でもアーロンのヴォーカルが大きくフィーチャーされている。終盤にゴスペル・ナンバーの「アメイジング・グレイス」があって、この曲もアーロンが歌う。

 

 

その「アメイジング・グレイス」に続くアルバム・ラスト・ナンバーが、ボブ・マーリーの「ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ」で、このカヴァーにも感心したんだよなあ。含まれる「ピープル・ゲット・レディ」は、もちろんカーティス・メイフィールドの書いたインプレッションズ・ナンバー。

 

 

余談だけど、ボブ・マーリーがこれをジャマイカで最初に録音した時には、単に「ワン・ラヴ」のタイトルで、カーティス・メイフィールドの名前もクレジットされていなかったらしい。1977年にアルバム『エクソダス』をレコーディングした時にクレジットするようアイランドが提言したようだ。

 

 

余談の余談だけど、このボブ・マーリーの「ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ」という曲は、今教えている高校一年の英語教科書にも登場している。もちろん歌詞と曲の背景と歌っているメッセージについて説明してあるだけなんだけど、それだけ読んでもつまらないだろうからとCDで曲を聴かせている。

 

 

それはさておき、ネヴィル・ブラザーズの『ライヴ・オン・プラネット・アース』がリリースされた1994年とほぼ同じ頃に、ネヴィル・ブラザーズの過去作品もCDリイシューを普通に見つけられるようになって、それですっかりこのバンドのファンになっていた僕は、速攻で全部買った。

 

 

それで、それまで名前だけ聞いていた有名な『イエロー・ムーン』(1989)もようやく買って聴いたし、入手困難になっていたらしい、デビュー作78年『ザ・ネヴィル・ブラザーズ』も、81年の『フィヨ・オン・ザ・バイユー』も買った。84年のライヴ盤『ネヴィライゼイション』も同じ頃買った。

 

 

それでいろいろ聴くと、ネヴィル・ブラザーズでは1981年の『フィヨ・オン・ザ・バイユー』が一番いいんじゃないかと思うようになった。あのアルバムのオープニングが「ヘイ・ポッキー・ウェイ」で、これが最高にカッコイイニューオーリンズ・ファンクで、ミーターズの曲だということも知った。

 

 

当然ながらと言うべきか、その頃はネヴィル・ブラザーズの実質的前身バンドとでもいうべきミーターズについてはよく知らなかった。ただ、ドクター・ジョンの1973年のアルバム『イン・ザ・ライト・プレイス』のバックがミーターズだったので、それで辛うじてサウンドを知っていた程度だった。

 

 

ネヴィル・ブラザーズの「ヘイ・ポッキー・ウェイ」のオリジナルがミーターズのヴァージョンだということを知って、それも聴きたいと思ったのだが、1990年代にはミーターズのオリジナル・アルバムは一枚もCDリイシューされていなかったはず。ライノが二枚組CDベスト盤を出していた程度。

 

 

でも「ヘイ・ポッキー・ウェイ」は超有名なミーターズの代表曲だったので、当然そのライノの二枚組ベスト盤にも収録されていたから、それを店頭で確認して買って聴いた。そうしたら、なんだかそっちのミーターズのオリジナル・ヴァージョンの方が、ネヴィル・ブラザーズのよりずっとカッコイイように思えたんだなあ。

 

 

 

 

スカスカのサウンドなんだけど、それがミーターズ・ファンクの特徴。これにもホーンが入っているけど、『フィヨ・オン・ザ・バイユー』のネヴィルズ・ヴァージョンは、そのホーン陣をもっと強力にして、大きく目立たせたようなアレンジだね。

 

 

この「ヘイ・ポッキー・ア・ウェイ」が入っているミーターズのオリジナル・アルバムは1974年の『リジュヴネイション』。これを含め69〜76年のオリジナル・アルバムがサンデイズドから全部CDリイシューされたのは、確か2000年のこと。それで僕も遅まきながらようやく。

 

 

なお、ミーターズには1975年に『ファイアー・オン・ザ・バイユー』というアルバムがあって、先に書いたネヴィル・ブラザーズの81年作品『フィヨ・オン・ザ・バイユー』と紛らわしい。メンバーも似たようなもんだし。ミーターズの『ファイアー・オン・ザ・バイユー』は一番売れたアルバムらしい。

 

 

21世紀になって、きちんとした形で全部CDリイシューされたミーターズのアルバムをいろいろ聴いていると、このバンドが1977年に(一度)解散して、同じ年に発足したネヴィル・ブラザーズの音楽は、実質的にはミーターズの音楽的遺産の上に成立しているものだということが、非常によく分る。

 

 

バンド・メンバーが一部重なっているということもそうなんだけど、レパートリーも似ているし、なによりファンクなグルーヴ感がほぼ同じだ。ミーターズの方はドラムスのジガブー・モデリステの叩出す独特のシンコペイションがたまらないんだけど、ネヴィル・ブラザーズは、そのスカスカのサウンドを分厚くしたような感じだ。

 

 

ミーターズのサウンドはノリが独特なので、慣れていないと最初はネヴィル・ブラザーズの方が聴きやすい・とっつきやすいはず。僕だって、もし仮にネヴィル・ブラザーズと同じ時期にミーターズを聴いていたとしても、やはりネヴィル・ブラザーズの方が好きだと感じていただろう。今は完全に逆だけどね。

 

 

なおミーターズ、特にジガブーについて、レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムだったかがはっきりと言及している記事があって、大学生の頃だったかにそれを読んではいたんだけど、当時は「ミーターズ」「ジガブー」という文字列の意味するところがなんのことやらサッパリだったもんなあ。

 

 

ミーターズも1977年に解散してそのままネヴィル・ブラザーズに移行したけど、1989年頃に再結成されて、最初ファンキー・ミーターズと名乗っていたようだ。その時はジガブーは参加していなかったはず。その後、よく知らないがミーターメンになって、その後オリジナル・ミーターズと名乗るようになったらしい。

 

 

正直言ってその1989年再結成後は、ファンキー・ミーターズもミーターメンもオリジナル・ミーターズも全然追いかけていない。主にアメリカでのライヴ活動が中心のようだし、CDアルバムも数枚あるみたいだけど、全く興味がなくて買ってもいないんだなあ。ネヴィル・ブラザーズとの区別もよく分らないし。

 

 

ネヴィル・ブラザーズも1995年作『ミタクイェ・オヤシン・オヤシン/オール・マイ・リレイションズ』が面白くなくて、それからは2010年に出た89年録音のライヴ盤『オーソライズド・ブートレグ:ウォーフィールド・シアター』しか買っていない。あの二枚組は古い曲もたくさんやっているし、一番脂が乗っていた頃だし、メドレーの途中でアーロンが「バナナ・ボート」を歌い出したり。

2016/03/08

リンゴは凄いドラマーだよね

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ビートルズ最大の魅力は、ひょっとしたらリンゴのドラムスにあるんじゃないかとすら今の僕は思っているくらいなんだけど、昔は「リンゴは下手なドラマー」という声が結構あったらしい。その時代の話は僕は全く知らないんだけど、中高生の頃にはクラスメイトなどからレコードを借りて聴いていた。

 

 

でも中高生の頃には誰が上手いとか下手だとか全く分りもせず、ただメロディやハーモニーが美しいとか歌が魅力的だとか楽しいとか、そういう聴き方しかしていなかったから(今も基本的に全く同じ)、リンゴのドラムスについて上手いも下手もなんにも思わなかったのだった。

 

 

その頃は公式アルバムに収録されていないビートルズのシングル曲は、シングル盤そのものを集めない限りは、何枚かの編集盤LP(『ヘイ・ジュード』など)でしか聴けなかったので、例えば「レイン」などを聴いていたかどうか、全く記憶がない。

 

 

僕が「レイン」を初めて意識したのは、1980年代末のビートルズ初公式CD化の際、そういうオリジナル・アルバム未収録のシングル曲が全部まとめて『パスト・マスターズ』のVol.1とVol.2になってからだった。Vol.2の方は、その初CD化の際に一番最初に買ったものだった。だって有名曲ばかりだし。

 

 

『パスト・マスターズ』は2009年のリマスター盤発売の際に二枚組になったけれど、最初にCDになった1980年代末には、前半期のVol.1と後半期のVol.2がバラ売りだった。Vol.1の方は店頭で見たら馴染のある曲目が少なくて、それで有名曲ばかりのVol.2の方を先に買ったのだ。

 

 

「デイ・トリッパー」ではじまり「ユー・ノウ・マイ・ネイム」で終る『パスト・マスターズ Vol.2』。その四曲目に「レイン」があって、もうこれで完全にリンゴのドラムスにビックリしてしまったのだった。上手いよね。というか凄いド迫力だ。特にスネアが。

 

 

 

1966年のシングル曲「レイン」はジョンが書いてジョンが歌う曲だけど、リンゴのドラムスだけでなくポールのベースも凄い。この二人が一番活躍するビートルズ・ナンバーの一つだ。 驚いていろいろ聴いてみると、こういうが結構あるもんね。

 

 

半年ほどでビートルズの全公式CDを買揃えて聴きまくり、というかその1980年代末か90年代初頭頃、一年間ほどビートルズのCDしか聴いていないのではないかとすら思うほど(まあそれはウソだが)夢中で毎日のように聴いていた時期があって、それでリンゴのドラムスが凄い曲がいろいろと見つかった。

 

 

リンゴが四人の中で軽視されがちなのは、結成時のオリジナル・メンバーではなかったのも一因かもしれない。ビートルズ最初のドラマーはピート・ベストだった。彼が1962年8月に解雇されてリンゴになり、同年10月のレコード・デビュー後は、一部を除いて全部リンゴ。

 

 

最初のレコード、シングル曲の「ラヴ・ミー・ドゥー」でのドラムスはリンゴだけど、アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』収録の同曲では、セッション・ミュージシャンのアンディ・ホワイトがドラムスを叩いているから、まだこの頃はジョージ・マーティンもリンゴに納得していていなかったんだろう。

 

 

でもアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』でも、印象的な一曲目の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」や、ビートルズ・ヴァージョンでスタンダード化したアルバム・ラストの「ツイスト・アンド・シャウト」でのリンゴのドラムスは、なかなかいじゃないの。

 

 

初期の代表的なシングル曲の一つ「シー・ラヴズ・ユー」なんか、タムの連打からはじまって、その後もかなりリンゴのドラムスが活躍するというか、キレイな三声ハーモニーと並んで、この曲の最大の聴き所だと思うんだ。全米でブレイクするきっかけだった「抱きしめたい」だってそうだし、初期から結構あるよね。

 

 

1964年のシングル曲「アイ・フィール・ファイン」も、レイ・チャールズの「ワッド・アイ・セイ」みたいな、ややラテン風のちょっと変ったリズムで、あれのドラミングはなかなか難しいと思うんだけどね。リンゴはそれを難なくこなしているもんね。

 

 

 

リンゴは曲を創らずヴォーカルを担当することも少なかったから、それも一因で評価が低いのか、あるいはプロ・ドラマーなのにロールができないから評価が低いのか分らないけど、ロックにロールは必要ない(レッド・ツェッペリンの有名曲の歌詞みたいになってしまった)。ジャズじゃないんだから、アート・ブレイキーみたいなロールが入ったらオカシイぞ。

 

 

リンゴのドラミングに一層磨きがかかってくるのが中期以後で、『リヴォルヴァー』以後はとんでもないことになっている。『リヴォルヴァー』一曲目の「タックスマン」や「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」やラストの「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」とか、凄まじいじゃないか。

 

 

「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」なんか、バーナード・パーディが自分が影武者でドラムスを叩いたとホラを吹いたくらいだもんね。「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」のスネアも凄まじい。リンゴのドラミングって「レイン」もそうだけど、スネア・ワークに最大の特徴があるよね。

 

 

後に『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録されたのが、アメリカだけなく英アップルも認めて、CD化の際にオリジナル・アルバム中の一曲として世界標準化した「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のスネア・ワークによるグルーヴ感なんか、絶対にリンゴ以外のドラマーでは不可能だ。

 

 

 

『ホワイト・アルバム』収録の「グラス・オニオン」とか「バースデイ」とか「ヤー・ブルーズ」とかは、リンゴのドラムスばっかり聴いちゃうぞ。ヘヴィ・メタル第一号みたいな僕の大好きな「ヘルター・スケルター」だって、ファズの効いたエレキ・ギターとポールのシャウトに負けていないドラミングだ。

 

 

 

1968年のシングル・ヴァージョン「リヴォルーション」だってハードにドライヴするし、初期から決して悪くないリンゴのドラムスは、特に66/67年以後のビートルズでは際立っていて、バンド最大の魅力というか聴き所というか、これでどうして下手という意見になるのかサッパリ分らない。

 

 

 

録音順ではビートルズのラスト・アルバム『アビー・ロード』のラスト(ではなくその後に「ハー・マジェスティ」があるけど)「ジ・エンド」では、珍しいリンゴのドラムス・ソロが聴ける。でもあれは僕はリンゴのドラミングを聴く曲ではないように思う。ああいうのより、歌のバックで真価を発揮するよね。

 

 

1995年に出た二曲の”新曲”「フリー・アズ・ア・バード」と「リアル・ラヴ」でも、前者では冒頭のスネア二発が物凄い存在感で、あれ(と直後に出るジョージのスライド)で心を奪われてしまう。あの時に改めてリンゴの凄さを実感したのだった。リンゴはやっぱり凄いドラマーだよ。

 

2016/03/07

スティール・ギターによるゴスペル・ミュージック

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アメリカの黒人宗教音楽にセイクリッド・スティールというジャンルがある。ある時期以後日本でもリスナーが随分増えたようなので、ご存知の方も多いと思う。ジャンル名通り、ペダル・スティール・ギターを使うのが最大の特徴で、ペンテコステ派教会で1930年代から存在するものらしい。

 

 

そんなに古くから存在するジャンルであることは、僕はこれを聴くようになって以後いろいろと調べていて初めて知ったことで、僕は確か21世紀になってからセイクリッド・スティールを聴始めたのだった。きっかけは、これもご多分に漏れずロバート・ランドルフの活躍によってだった。

 

 

日本でも、そしておそらくアメリカ本国でも、セイクリッド・スティール界ではロバート・ランドルフが一番有名なペダル・スティール奏者だろう。ファースト・アルバムが2002年の『ライヴ・アット・ザ・ウェットランズ』で、これがとんでもなく凄いという噂をなにかで見て、試しに聴いたらぶっ飛んだ。

 

 

『ライヴ・アット・ザ・ウェットランズ』は、ロバート・ランドルフ&ザ・ファミリー・バンド名義のアルバムで、彼はこのバンド名義でこれ以後も何枚もアルバムを出している。一作目『ライヴ・アット・ザ・ウェットランズ』が凄まじかったので、次作以後も買っているけど、それらはちょっとねえ。

 

 

ロバート・ランドルフはペダル・スティール・ギターのジミ・ヘンドリクスとか言われることがあるらしい。確かにとんでないというか、こんなペダル・スティールは全く耳にしたこともなく、想像すらできなかった革命的なものだ。ペダル・スティールであるという先入観は、音を聴けば消し飛ぶね。

 

 

 

今となっては、繰返し聴き続けているのは、その一作目の『ライヴ・アット・ザ・ウェットランズ』だけで、これですらかなりポップというか、もはや全然セイクリッドな音楽ではなく完全に世俗化したもので、言ってみればゴスペル音楽の世界からソウル音楽の世界に旅立ったサム・クックのようなもの。

 

 

完全にソウル〜ファンク化したロバート・ランドルフ。一般的にはそういうアルバムの方が人気があるようだ。そういう意見を多く見掛けるし評価も高いけど、個人的に好きなのはバンド結成後は第一作目だけ。そしてこれ以前のいろんなセイクリッド・スティール・アンソロジーでの演奏はもっと好き。

 

 

ロバート・ランドルフで、こんなペダル・スティールの弾き方があるんだとビックリした僕は、それがセイクリッド・スティールというものだと知って、セイクリッド・スティールのCDをいろいろと買漁るようになった。アメリカ本国でも1990年代になって再発見され録音されるようになったものらしい。

 

 

買漁ったといってもそんなに大した数ではない。ライヴ・アルバム中心に十枚程度。探せばもっとあるんだろう。どれも20世紀から21世紀への変り目あたりに録音されたものばかり。ロックやソウル、ファンクっぽいアプローチの弾き方から、トラディショナルなゴスペル・スタイルまで様々。

 

 

そういう世紀の変り目あたりにライヴ録音されたセイクリッド・スティールのアンソロジーの中に、ファミリー・バンド結成前のロバート・ランドルフも入っていて、これがなかなかいいんだよなあ。既に彼のペダル・スティールはファミリー・バンド結成後のものに近いから、こういう人なんだろうね。

 

 

ロバート・ランドルフ以外の、わりとトラディショナルなゴスペル・スタイルで弾くペダル・スティール奏者も、だいたいエレベとドラムスが付いてバンド編成になっている。さらにヴォーカルが入る場合もあって、ヴォーカルが入ると普通のゴスペル音楽に聞えるね。伴奏がペダル・スティールというだけで。

 

 

なかにはブギウギっぽいシャッフル・ビートを使ったスタイルのセイクリッド・スティールも結構あって、何度も書いているように、アメリカ黒人音楽でのブギウギ・ビートが大好きな僕にとっては大変親しみやすい。録音されるようになったのが20世紀の終り頃だから、世俗音楽の影響も強いんだろう。

 

 

21世紀に入る頃には、普通のというか従来からよく知られているゴスペル音楽はかなり聴くようになっていたので、そういうものに近いスタイルのセイクリッド・スティールについては、特別どうということもない感じがする。まあアメリカの黒人ゴスペル音楽なんだから、根本的な違いはないはず。

 

 

元々セイクリッド・スティールは、教会で音楽の伴奏に普通使われているオルガンなどが貧乏で買えない教会が、オルガンの代用品としてラップ・スティール・ギターを使い始めたのが発祥らしい。それが先に書いた1930年代のことで、そしてすぐに熱狂的に用いられるようになって全米に拡大した。

 

 

普通の黒人ゴスペル音楽同様に、その1930年代誕生直後頃のセイクリッド・スティールの録音が残っていれば大変興味深いところなんだけど、存在しないみたいだなあ。書いたように本国でも再発見されたのが1990年代だったようで、録音された輸入盤CDが日本に入ってきたのが20世紀末のはず。

 

 

そういうわけだから、トラディショナルなセイクリッド・スティールの姿はほぼ分らない。聴けるCDに微かに香る伝統スタイルの名残から想像を逞しくするしかないんだなあ。でもほぼ全部エレベとドラムスが入っているからなあ。ポピュラー音楽ファンには聴きやすいけど、興味は拡大しにくいんだなあ。

 

 

いろいろと聴けるライヴ録音のセイクリッド・スティールのなかで、一番凄いなあと思うのが『トレイン・ドント・リーヴ・ミー:1st・アニュアル・セイクリッド・スティール・コンヴェンション』の中にあるオーブリー・ゲント(Aubrey Ghent)の、アルバム・タイトルになっている曲で、約12分間熱狂的な演奏が続く。

 

 

オーブリー・ゲントは、ロバート・ランドルフやキャンベル・ブラザーズ同様、セイクリッド・スティールの世界では有名人らしく、単独のCD/DVDもリリースしているらしいけど僕は持っていない。ロバート・ランドルフよりも伝統的なスタイルを残している人で、黒人教会での熱狂ぶりもよく分る。

 

 

ちょっと調べてみたら、オーブリー・ゲントはウィリー・イートンの甥で、祖父ヘンリー・ネルスンも50年以上にわたってセイクリッド・スティールを弾き、かつてはシスター・ロゼッタ・サープやマヘリア・ジャクスンとステージで共演したことがあるらしいから、アメリカ宗教界では有名一族なんだろう。

 

 

シスター・ロゼッタ・サープやマヘリア・ジャクスンは、アメリカ宗教音楽を聴く人なら知らぬ人はいない存在だけど、彼女達がセイクリッド・スティールのギタリストと共演したことがあるというのは、調べるまで全く知らなかった。もし音源などが残っていれば最高に面白そうだけどなあ。ないんだろうね。

 

 

なかにはハワイアンなペダル・スティールを弾く人も入っていて、ペダル・スティールはハワイ音楽で使われる楽器だから、こういうのはセイクリッド・スティールに馴染がない人でも聴きやすいだろう。ビートルズの「カム・トゥゲザー」にインスパイアされたようなものもある。リフがそのまんまなのだ。

 

 

CDアルバムもそう何十枚もはないまま、日本では若干下火になっているのかもしれない(僕だけ?)セイクリッド・スティール。アメリカ本国では、主に南部の黒人教会内で相変らず熱狂的に続けられているはず。他の宗教音楽同様真の姿は教会現場でしか分らないけど、商品化されたものもなかなか楽しいよ。

 

 

なお ”Sacred Steel”という言葉、これだけでネット検索すると、ドイツのヘヴィ・メタル・ロック・バンドが全くの同名で、そっちもたくさん出てくるので、ヘヴィ・メタルも好きな僕だけど(レッド・ツェッペリン・ファンには多いはず)、興味のない方は要注意(笑)。

2016/03/06

ブラス群の咆哮とR&Bフィーリング〜『アトミック・ベイシー』

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1930年代デッカ録音集など戦前ものに比べたら、カウント・ベイシー楽団の戦後録音作品はあまり聴いていない僕。それでも昔大学生の頃は戦後録音も結構レコードを買って聴いてはいた。特にパブロ・レーベルからかなりたくさんレコードが出ていて、全部追掛けられないくらいだった。

 

 

ところでベイシーの戦前ものでもデッカ録音は、現在CDでは三枚組の完全集になっていて、その三枚組デッカ録音集は、例の小出斉さんの『ブルースCDガイド・ブック』にも掲載されているくらいなのに、コロンビア系録音は、『アメリカズ・#1・バンド』という四枚組ボックスだけだよなあ。全集ではないはず。

 

 

コロンビアという会社は、LP時代から自社の戦前古典音源のリイシューについてはかなり冷淡で、一部の有名人を除きロクなリイシューをしていない。あのデューク・エリントン楽団みたいにムチャクチャ評価の高い超有名音楽家についてすら、1930年代コロンビア系録音をいまだに全集では出していないほどだ。

 

 

全集で出ているのは、ジャズ系音楽家では、ルイ・アームストロングとビリー・ホリデイくらいじゃないのかなあ、戦前コロンビア系録音は。カウント・ベイシー楽団についても、LP時代はタイトルは忘れたがなにか二枚組レコードがあっただけだから、それに比べたらCDでは多少マシではあるんだろう。

 

 

戦前録音はともかく、ベイシー楽団の戦後録音は本当にあまり聴いていなくて、大学生の頃に結構レコードを買っていたけれど、戦前録音に比べたらイマイチな魅力しか感じなかったし、今でも似たような考えだ。昔一番好きでよく聴いていたのが『シナトラ・アット・ザ・サンズ』だったというくらいだから、ダメだこりゃ。

 

 

『シナトラ・アット・ザ・サンズ』はタイトル通り、フランク・シナトラがフロントで歌い、クインシー・ジョーンズのアレンジでベイシー楽団が伴奏をするという1966年のリプリーズ盤二枚組。これだって、現在では完全に興味をなくしCDでは買っていないので、全然聴かないもん。

 

 

現在CDで買い直しているもののうち、戦後のベイシー楽団の作品で一番好きなのは、1956年のライヴ盤『ベイシー・イン・ロンドン』と58年の俗称『アトミック・ベイシー』だね。どっちも現在では完全集CDのような形で、LP時代には収録されていなかった曲もたくさん入ってリイシューされている。

 

 

どっちも大好きなんだけど、どっちかというとルーレット盤『アトミック・ベイシー』の方をよく聴くなあ。レーベル名通り、アナログLPではレーベル面がルーレット状になっていて、ターンテーブルに載せて廻すと、まさに回転するルーレットに見えてそれも面白かった。もちろん音楽も最高だ。

 

 

『アトミック・ベイシー』は全曲ニール・ヘフティの作編曲。エリントンとは違ってベイシーは自分で作編曲することは少なくて、それでも戦前はかなりシンプルなリフばっかりのバンドだったので、誰がアレンジャーかなんてことは全然意識しなかったんだけど、戦後はいろんなアレンジャーを使っている。

 

 

一番有名なのは、パブロ盤その他でアレンジをしているサミー・ネスティコだろう。でもまあ彼のアレンジは僕には特段どうってこともないように聞えていた。その後全然聴直していないので、今聴けばまた違った感想を持つかもしれない。それに比べて『アトミック・ベイシー』のニール・ヘフティは凄い。

 

 

『アトミック・ベイシー』では、特にブラス(金管)群のド迫力のドライヴ感が凄まじい。それこそがこのアルバムの真骨頂だね。一曲目の「ザ・キッド・フロム・レッド・バンク」なんかたまらんよねえ。ソロを取るのはベイシーのピアノだけで、それもちょっとだけ。ブラス群の咆哮が中心のアレンジだ。

 

 

 

この「ザ・キッド・フロム・レッド・バンク」でのベイシーのピアノ・ソロは、モロにストライド・ピアノ・スタイルで弾いていて、図らずも彼のルーツを如実に示している。戦前から戦後を通していろんなところでそれが散見されるベイシーのピアノ演奏だけど、これほど露骨なものは少ない。

 

 

B面一曲目の「ワーリー・バード」(アーリー・バードのもじりだろう)もそんなブラス群の咆哮が中心だけど、こちらではテナーのエディ・ロックジョウ・デイヴィスがソロを吹く。大好きなテナー・ブロワーなんだよね。1940年代後半のクーティー・ウィリアムズ楽団での演奏はその随分後になって知った。

 

 

 

ジャンプ・ミュージックをやっていたその1940年代後半のクーティー・ウィリアムズ楽団でのエディ・ロックジョウ・デイヴィスを聴いたらますます大好きになったんだけど、僕はこのテナー・ブロワーは『アトミック・ベイシー』で初めて聴いた人で、それで大好きになったのだ。

 

 

何度か書いているように1930年代のベイシー楽団はプリ・ジャンプ・バンドみたいな存在で、ブルーズ・シャウターだって雇っていたんだから、その後本格的なジャンプ・ミュージック楽団で活躍したエディ・ロックジョウ・デイヴィスが戦後のベイシー楽団でブロウするのは、不思議でもなんでもない。

 

 

エディ・ロックジョウ・デイヴィスは、『アトミック・ベイシー』で一番たくさんソロを任されてて、特にいいのがA面三曲目の「アフター・サパー」。出だしのブワ〜〜ッと唸るようなテナー・サウンドは、リズム&ブルーズなどのリスナーにもアピールするはず。この曲全体がそんなフィーリングだしね。

 

 

 

その他「ダブル・O」なんかもかなり真っ黒けだし、ここでもエディ・ロックジョウ・デイヴィスのテナーが咆哮するし、『アトミック・ベイシー』というアルバムは、戦後のベイシー楽団の作品では最もリズム&ブルーズに接近しているものだ。元々カンザスのブルーズ・バンドなんだから当然だね。

 

 

 

B面二曲目の「ミッドナイト・ブルー」は、タイトル通り真夜中に寛ぐいわばレイド・バックしたような雰囲気の気怠いブルーズ・ナンバーで、これもはっきり言ってジャズ・ファンよりリズム&ブルーズなどのファンの方にアピールしやすいような曲調なんだよね。サックス群やトロンボーン群のムードが最高。

 

 

 

B面ラストの「リル・ダーリン」もそんなレイジーな雰囲気の曲で、ここでは非常に珍しくギターのフレディ・グリーンの単音弾きがはっきり聴けるというかフィーチャーされているような感じで、最初に聴いた時は驚いた。単音弾きといってもソロではなく、アンサンブルに溶け込むアルペジオだけど。

 

 

 

アナログLPでの『アトミック・ベイシー』はこれで終りだった。「リル・ダーリン」はラストを締め括るのにこれ以上ない完璧な曲だから、現行の完全盤CDでは、この後に未発表曲五曲が収録されているのは、なんか勘狂っちゃうんだよなあ。ラストのジョー・ウィリアムズが歌う曲は好きではあるけれど。

 

 

しかもその五曲のアレンジはニール・ヘフティじゃなくジミー・マンディだから、『アトミック・ベイシー』の一部として認めにくいけど、まあいいや。ビッグ・バンド録音で、これの次に好きなのが『ベイシー・イン・ロンドン』で、それは「シャイニー・ストッキング」「コーナー・ポケット」の二曲があるため。

 

 

そして戦後のベイシー関連で一番好きでよく聴くのは、実はビッグ・バンドものではなく、1962年のコンボ録音『アンド・ザ・カンザス・シティ・7』なのだ。なぜかというと特にフレディ・グリーンとリズム・セクションの上手さが一番良く分るから。一曲目「オー、レディ、ビー・グッド」冒頭のピアノ・ソロの背後での動きとか絶妙すぎる。

 

 

 

戦前からコンボ録音もかなりあるベイシーだけど、全時代通して彼のコンボ録音では、この1962年インパルス盤が一番いいように個人的には思っている。人数が少ないのと録音がいいせいで、戦前録音ではイマイチ分りにくいいろんなことがはっきり聞えるんだよね。

 

 

一度だけ大学生の時に、当時住んでいた松山でベイシー楽団のライヴを体験したのだが、その時もフレディ・グリーンのギターがよく聞えた。ピックアップのないアンプリファイしないアクースティック・ギターで、個別のマイクも立っていないようだったのに、どうしてビッグ・バンド・サウンドに混じってあんなに明瞭に聞えるのか不思議でたまらなかった。絶対にマジックだ。

 

 

ちなみに生で見聴きしたそのベイシー楽団、セット・リストなどはあらかじめ決っていなかったようで、どの曲もベイシーがピアノでイントロを弾き始めると、バンドのメンバーがああこの曲かと慌てて譜面をめくり、それでバンドの演奏がはじまるという具合。誰がソロを吹くかも、適宜ベイシーが指で指示していたなあ。

2016/03/05

豊穣なゴアの大編成ヴォーカル・ミュージック〜『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』

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荻原和也さんのブログで(http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-01-07)、ライスから日本盤が出ることを知った『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』(ア・ヴィアージェム・ダス・ソンス)シリーズ。今年一月リリースの第一弾の「ゴア篇」と第二弾の「ポルトガル領インド篇」を買って聴いてみた。

 

 

 

 

そうしたら「ゴア篇」があまりに素晴しくて、一回聴いただけで一発でノックアウトされちゃったんだなあ。このシリーズは、ポルトガルが世界中を航海し植民地支配をしていた時代に世界中に遺した音楽的痕跡を聴くという眼目のもので、インド西部の都市ゴアも1961年までポルトガル領だった。

 

 

僕はゴアの音楽に関しては全くなにも知らない状態だったと言うべきで、以前やはりライスから出ていたタイトルは忘れたなにか一枚物アンソロジーしか聴いたことしかない。それもさほど強い印象に残っていない(からタイトルも憶えていない)。だから今回の『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』で驚いた。

 

 

『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズの「ゴア篇」に収録されている音楽も、誰がなにをやっているのかサッパリ分らないんだけど、音を聴いたらその素晴しさには誰だって一発で参ってしまうはず。何年の録音か分らないが、演奏しているガヴァーナというグループは1988年結成らしい。

 

 

だから古い伝統音楽だとか民俗音楽だとかではなく、完全なる現代ポピュラー・ミュージックだね。そのことは音だけ聴いてもよく分る。聴いた感じ、ガヴァーナはかなりの大所帯グループのようで、音は基本的にギター(族弦楽器)+打楽器+ストリングス+大編成ヴォーカル・コーラスで形成されている。

 

 

ギター(族弦楽器)や打楽器やストリングスや、たまに入るピアノやオルガンなどといった楽器の演奏よりも、なにより一番強く感銘を受けるのが大編成ヴォーカル・コーラスだ。そのコーラス・ワークは、どう聴いても明らかにキリスト教会での賛美歌合唱の強い影響下にあるから、ポルトガル由来だ。

 

 

ハーモニーの創り方は、ゴアを植民地支配したポルトガルが持込んだキリスト教会のものだけど、旋律はヨーロッパ由来のものとだけは言えない。長調と短調を細かく行き来しながら進む独特のエキゾティックなメロディは、明らかに東南アジア〜南洋歌謡のそれだ。インドネシアのクロンチョンにも似ている。

 

 

インドネシアのクロンチョンだって、元はポルトガルが持込んだギターやその他の弦楽器を使って成立したポピュラー音楽なんだから、インドネシアとインドはさほど地理的な距離も文化的な距離も離れていないし、同じポルトガル領だったインド西部のゴアの音楽との共通性が聴けても、不思議じゃない。

 

 

ただクロンチョンはかなり洗練され完成された音楽であるのに対し、『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』の「ゴア篇」で聴けるガヴァーナは、もっと素朴でプリミティヴな雰囲気。とはいえ大編成ヴォーカル・コーラスのハーモニー・ワークは超絶品というか、世界でも一級品だろうと感じるけれどね。

 

 

なかでも一番いいと思うのが五曲目の「ゴア」で、ピアノの音に導かれ、ギター(?)のような弦楽器とシンプルな打楽器の音も入り、それに続いて「ごあ〜、ごあ〜、ごあ〜」と輪唱が出てくる瞬間に、なんて素晴しいんだと感動してしまう。歌手一人の単独歌唱部分もあって、それが合唱と入混じって進む。

 

 

ライス盤の日本語ライナーノーツを書いている田中昌さんによれば、この「ゴア」という曲はちょっと特別なものらしく、中村とうようさんが解説を書いた山内雄喜の『ハワイ・ボノイ』に入っていたらしい。僕はそれを持っていて聴いたはずなのに、完全に忘れていて、初めて聴く曲のように思ってしまった。

 

 

ハワイアン・スラック・キー・ギターの山内雄喜のアルバムに「ゴア」を入れたのは、もちろんポルトガルを通じて繋がるゴアとハワイの関係性を示すためだろう。ご存知の通り、ハワイのウクレレの原型はポルトガル人が持込んだものだし、ギターだって北米メキシコ由来(それもルーツはスペインだが)とだけは言えないような気がしている。

 

 

 

ゴアのギター系弦楽器は、というよりポルトガル(とスペイン)は、世界中にギターやそれに類する弦楽器とそれを使う音楽を持込んでいるわけで、例えば南北アメリカ、特に北米合衆国のポピュラー・ミュージックでは必須の楽器であるギターなんかも、北米大陸で発明されたものなんかじゃないわけだ。

 

 

北米アメリカン・ミュージックとの共通性といえば、やはりゴアのガヴァーナの大編成コーラス・ワークがキリスト教会由来のものであるのと同様、北アメリカ合衆国のゴスペル・クワイアやそれに影響されている世俗音楽の大編成ヴォーカル・コーラスなども当然ながらそうで、だから僕などはとっつきやすかった。

 

 

僕が大感動した五曲目の「ゴア」は、「ごあ〜、ごあ〜、ごあ〜」とリピートしているあたりからして、どうやら現地ゴアを称えるような歌なんだろう。これまた日本語解説の田中昌さんによれば、この曲はトマース・ダキーノ・セケイラという1953年生まれの人が創ったものらしい。かなり最近の人だよね。

 

 

しかもそのセケイラという人は、この音楽集団ガヴァーナの音楽ディレクター、すなわりリーダー的存在らしい。ということは、東南アジア南洋歌謡であるゴア現地の音楽的伝統とポルトガルが持込んで遺したヨーロッパ的音楽的遺産を合体させ、20世紀後半という現代に活かした曲なんだろうね。

 

 

なお、そのあたりのことも含めもっと詳しくいろんな情報が、ポルトガル語解説と並び、ポルトガル原盤にも付いているであろう英文解説に非常に詳しく書かれてあるので、お買いになった方は是非ご一読いただきたい。それによれば、僕が褒めている五曲目の「ゴア」をセケイラが書いたのは1990年となっている。

 

 

五曲目の「ゴア」や、大編成ヴォーカル・コーラスのハーモニー・ワークばかり褒めているような感じになっているけれど、他の曲も全て素晴しすぎる。ギター(族楽器)やシンプルな打楽器に乗って歌うヴォーカルのリズムは、ヨーロッパ由来のものではないね。東南アジア音楽のリズムだ。

 

 

なんだかゆったりと揺れる、まるで船に乗って大海を旅しているような雰囲気のノリを思わせる各曲のリズムを聴いていると、とても心地よくていい気分なんだよね。大編成ヴォーカル・コーラスが細かいリズムを刻みながら、でも全体としては大きなウネリを産んでいるような進み方は、素晴しいの一言。

 

 

ギター(族弦楽器)やシンプルな打楽器やよく聞えるストリングスや、たまに入るピアノやオルガンなどの鍵盤楽器など、いわゆる普通の楽器の演奏は、あくまでスパイス的とでもいうか添物的な音響効果で伴奏に徹していて、決して前面に出て目立ったりソロを弾いたりするようなことはない。

 

 

やはりゴアの音楽集団ガヴァーナの主役は大編成ヴォーカル・コーラスだね。この文章で採り上げている『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』でしか聴いていないので、普段からそうなのか、あるいは他にもっと別種の音楽があるのか全く分らないけれど、こんなに素晴しいならもっとたくさん聴いてみたいなあ。

 

 

分りやすかったし、あまりに素晴しくて、こんなに豊穣な音楽には滅多に耳にできるもんじゃないと、一回聴いて大感動してしまった「ゴア篇」に比べて、一月に同時リリースされた「ポルトガル領インド篇」の方は、僕は最初なかなか馴染めなかったけれど、繰返し聴くうちこちらも味わい深くなってきた。

 

 

荻原さんのブログに拠れば、1998年リスボン万博のポルトガル・パヴィリオンの公式CDとしてリリースされた全12タイトルである『ザ・ジャーニー・オヴ・サウンズ』シリーズ。ライスはその全てをリリーする模様。嬉しいね。次は三月にまた二つリリースされる。二ヶ月に二枚というペースなら買いやすい。

2016/03/04

ソニー・レガシーはマイルスの未発表スタジオ・セッションを全部出してほしい

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少し前に1967年頃からのマイルス・デイヴィスのスタジオ録音の話をしたけど、実際この頃からのスタジオ録音には未発表だった音源がかなりあった。マイルスの生前にもそれは遅れて少しリリースされていた。『ビッグ・ファン』『ウォーター・ベイビーズ』は隠遁前から出ていた未発表集だ。

 

 

『ビッグ・ファン』は1974年、『ウォーター・ベイビーズ』は1976年(アレッ?隠遁後だ^^;;)に出ている。前者が69〜72年録音の未発表集二枚組で、各面一曲ずつ計四曲。後者はもうちょっと前の67/68年の録音集一枚物。僕にはどっちもなかなか面白く、なぜお蔵入りしたのか理解できないほど。

 

 

中山康樹さんは『ビッグ・ファン』をかなり酷評していたけど、一枚目A面の1969年録音「グレイト・エクスペクテイションズ」は、後半がウェザー・リポートの一枚目でお馴染みの「オレンジ・レディ」で、しかもウェザー・リポートのヴァージョンより録音時期も早いし面白い。でも当時は未発表のままだったので、ウェザー・リポート・ヴァージョンしかなかった。

 

 

当時発売されていた日本盤LPは、英語でも日本語のライナーでも、それが「オレンジ・レディ」であることはどこにも書いていなかった。誰でも一聴即分るものだから、これは1974年時点では敢て触れていなかったんだろう。ザヴィヌルの曲なのにそのクレジットがどこにもなかったから。現行CDにははっきり書いてある。

 

 

一枚目B面の「イフェ」は、これで初めてスタジオ録音のオリジナルがリリースされた1972年録音なわけだけど、75年のライヴ『アガルタ』『パンゲア』で知っている曲だった。しかしこのスタジオ・ヴァージョンでは、まだたいしたことはない。これが魅力的なナンバーに変貌し始めるのは74年のライヴからだ。

 

 

二枚目A面の1970年録音「ゴー・アヘッド・ジョン」は、ジョン・マクラフリンが弾くまくる曲だけど、これはまあ中山さんも言うように笑うしかないようなものだ。しかしB面の69年録音「ロンリー・ファイア」はお馴染みのスパニッシュ・スケールを使った曲で、それが得意なチック・コリアのエレピもいい。

 

 

この『ビッグ・ファン』の四曲は、全てレギュラー・メンバー以外に大幅に人員を拡充して臨んだスタジオ録音。そうなるのは1968年末にいわゆるロスト・クインテットを結成した頃からで、75年一時隠遁までのスタジオ・セッションは全部そう。そういう姿勢もやはりマイルスはあまりジャズ的ではないのかも。

 

 

それに比べたら1976年リリースの『ウォーター・ベイビーズ』は、67/68年のほぼレギュラー・バンドによる未発表録音集。A面の三曲は全て67年のマイルス+ウェイン・ショーター+ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズのクインテット。B面の二曲は68年録音でエレピでチックが参加、ベースがデイヴ・ホランドに交代している。

 

 

『ウォーター・ベイビーズ』で面白いのは、断然A面の三曲「ウォーター・ベイビーズ」「カプリコーン」「スウィート・ピー」。これらの曲名を見てピンと来た人はショーター・ファン。そう、これらは三曲ともショーターの作曲で、69年録音のショーターのリーダー・アルバム『スーパー・ノヴァ』に再演ヴァージョンが収録されている。

 

 

マイルス・ヴァージョンのこれら三曲は76年までリリースされなかったから、ファンはみんなショーターの『スーパー・ノヴァ』で知っていたのだった。そしてマイルス・ヴァージョンを聴いてみると、『スーパー・ノヴァ』での演奏は、相当にアヴァンギャルドでフリーな雰囲気だったのがよく分る。

 

 

僕は『スーパー・ノヴァ』のヴァージョンは、以前は全然理解できず馴染めなかったから、マイルス・ヴァージョンでその三曲を聴くと、そっちの方が面白いと感じたのだった。マイルス・ヴァージョンでは、マイルスもショーターもストレートにメロディを吹いているもんね。

 

 

ショーターの書いたテーマ・メロディの美しさもマイルス・ヴァージョンの方がよく分る(『スーパー・ノヴァ』ヴァージョンではバラバラに解体されているから)し、しかもかなりいい演奏だから、当時なぜお蔵入りにしたのかやはり理解しにくい。ショーターも不満だったんだろう。だから自分のアルバムで再演した。

 

 

この二作に加え、以前書いた1979年の『サークル・イン・ザ・ラウンド』と81年の『ディレクションズ』の全四作が、マイルスの生前にリリースされていた未発表スタジオ録音集だった。『ビッグ・ファン』『ウォーター・ベイビーズ』が傑作なのに比べたら、それら二つはやはり残り物集と呼ぶしかない内容。

 

 

そしてマイルスのコロンビア時代のスタジオ未発表録音は、それら四作だけでは全然カヴァーできていない。相当な量が残っていることを、ファンはみんな知っていた。ある時期以後のマイルスのスタジオ・セッションは、ほぼ全部テープに残しているという話だったし、それなら全部出せと思っていた。

 

 

テオ・マセロによれば、マイルスのスタジオ・セッションをほぼ全部録音するようになったのは、1967年6月の『ネフェルティティ』の録音以後。テオの話では、そのアルバム・タイトル曲はリハーサル・テイクが一番出来がよかったにも関わらず録音していなかったので、マイルスに厳しく叱責されたようだ。

 

 

それでそれ以後は、リハーサル/本番に関係なく、マイルスがスタジオに足を踏み入れた瞬間にテープを廻し始め、彼がスタジオを出るまで廻しっぱなしにしていたらしい。それがテオがマイルスをプロデュースした最後の1983年『スター・ピープル』まで続いたようだから、膨大な未発表音源があるはずだ。

 

 

かつてのサイドメン、確かデイヴ・ホランドだったように思うけど、彼によれば、自分が参加しているアルバムはどれも凄く編集されていると語るとともに、マイルスに呼ばれてスタジオに行き、一緒に音を出した、何回かやったけど、リハーサルだと思っていたら、それがアルバムになっていたと語っていた。

 

 

デイヴ・ホランドが参加しているマイルスのスタジオ・アルバムは、一部だけ参加の『キリマンジャロの娘』を除く全面参加は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブルー』の二つだけ。編集されまくっていることは誰でも聴けば分るけど、これらがリハーサルだったとは、もし本当ならかなり驚きだね。

 

 

もう1968年末頃からのマイルスのスタジオ録音では、リハーサルも本番もない、全ては本番であるという状態になっていたということか。これはマイルス自身の発言とも一致する。マイルスは、何度やってもいい演奏が残せるわけではない、一回目が一番いいことが多いんだから、全部録音したと語っていた。

 

 

そうやってマイルスらがスタジオで演奏して録音したまま放ったらかしにしていた音源から、プロデューサーのテオ・マセロが適宜ピックアップし編集して、アルバムに仕立て上げていたわけだ。1969/70年頃からのスタジオ・セッションは新作発表を全く前提にしていなかったことは、前も書いた通り。

 

 

マイルスが1991年に死んでからレガシーがたくさんリリースした一連のボックス・セットで、生前はあまり出ていなかったそういう未発表スタジオ音源が、かなりたくさん発表されている。それはもちろん嬉しいんだけど、まだまだ出ていないものがたくさんあるはずだ。実際ブートではそれらが聴ける場合があるもん。

 

 

『ビッチズ・ブルー』の一連の未発表テイク集とか、完成品が『ゲット・アップ・ウィズ・イット』に収録されている「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」セッションとか、「カリプソ・フレリモ」セッションとか、いろいろとブートで聴けるから、コロンビアの倉庫に残っているはずだ。全てを公式に出してほしいんだよね。

 

 

そんな未完成のテイク集を聴いてどうするんだという意見もあるだろうけど、マイルス・マニアとしては、純粋かつ単純に「マイルスの全て」を聴いてみたいのと、そしてそれ以上に、アルバムになった完成品ができあがるプロセスを知ることで、その完成品に対するより深い理解も期待できるんじゃないかなあ。

2016/03/03

ルイ・ジョーダンのジャイヴ風味

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僕には楽しいジャズに聞えるルイ・ジョーダンは、一般的はジャンプ・ミュージシャンということになっているけど、ジャイヴな感覚もかなりあるよねえ。彼のヴォーカルもアルト・サックスもそうだ。そんなことを書いてある文章があるのかどうか知らないけれど、間違いないように思う。

 

 

中村とうようさん編纂のMCAジェムズ・シリーズの一つ『ルイ・ジョーダン 1939〜1951』という一枚物があるけれど、あれには同シリーズの他のCDに収録されている二曲はダブりを防ぐために入っていないのが難点で、だからあれを引っ張り出すのは、とうようさんの解説を読みたい時だけだ。

 

 

そのダブりを防ぐために入っていない二曲とは、「カルドニア」(『ブラック・ミュージックの歴史』収録)と「ラン・ジョー」(『ブラック・ビートの火薬庫』収録)で、どっちも大好きな曲だから困っちゃうんだよなあ。この二曲があのアンソロジーに入ってさえいれば、もうそれだけを聴くのになあ。

 

 

だから僕のMacのiTunesでのプレイリストでは、あのとうようさん編纂の一枚物アンソロジーに、その二曲を追加してあって、Macで聴く時はそれを流しているんだよなあ。でもそれはCDR一枚には入らない長さだから、焼いては聴けない。CDで聴く時はいつも二枚組の『レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール:ジ・アンソロジー 1938-1953』。ベア・ファミリーの九枚組なんてものは、普段はなかなか聴けない。

 

 

さて、ルイ・ジョーダンのヴォーカルにキャブ・キャロウェイ的なジャイヴ風味を感じる僕。キャブの楽団だって、以前書いたように僕は大学生の頃から、エリントン楽団と並べて同じような黒人スウィングだと思って愛聴していた。エリントン楽団がツアーで不在の時は、キャブの楽団がコットン・クラブに出演していたしね。

 

 

だから1930年代当時、エリントンもキャブも同じような種類のジャズとして扱われていたわけで、これがシリアスなジャズと芸能色の強いジャイヴとして分離してしまうのは、もっと後年のことだ。30年代に僕が生きていたわけじゃないが、昔も今も僕は同じように両者を区別せずに聴いている。

 

 

そしてキャブの楽団のようなビッグ・バンドでのジャイヴ・ミュージックと、同様にビッグ・バンドでやっていたジャンプ・ミュージックの両方をゴッタ混ぜにして、そのままコンボ編成に転化したようなのがルイ・ジョーダンの音楽だ。彼が後の黒人音楽に大影響を与えたのは、両方の要素があったからだろう。

 

 

ブギウギ・ベースのジャンプ方面からのルイ・ジョーダン評価はもう語り尽くされているだろうから、僕なんかがいまさら言うことなんかなんにもないはず。問題はジャイヴ方面からのルイの評価だ。コミカルな持味とはよく言われるけど、本格的にこれに触れてある文章は、まだ少ないんじゃないかなあ。

 

 

歌い方だってルイ・ジョーダンのものは、それまでの一般的なジャズ歌手やあるいはブルーズ寄りのジャンプ系歌手のものとは、だいぶ違う。この点においては、ルイがジャンプ歌手と言われるのに、僕はやや違和感があったりする。むしろ、さっき書いたようにキャブなどジャイヴ系歌手に近い資質だ。

 

 

例えば以前も一度書いたような気がするけど、上でも触れた「カルドニア」。あれで喋るように歌い出したかと思うと、途中で突然「きゃるど〜にゃ!きゃるど〜にゃ!」と珍妙な声でシャウトしたりするのなんかは、キャブによく似ているじゃないか。

 

 

 

声質はスムースだけど歌い廻しのフレイジングは独特で、そういうスムースな声質でジャイヴ風に歌うといえば、僕は1940年代初期のナット・キング・コールに近いものを感じることがある。この時期、特にキャピトルよりデッカ録音のナット・キング・コールも、ジャイヴに分類されることがあるしね。

 

 

もちろんルイ・ジョーダンの音楽にはブギウギ・ベースのブルーズ・ナンバーが多く、軽快にジャンプするリズムだ。だけど、1950年代のリズム&ブルーズや直後のロックンロールには、そういうブギウギ・ベースのリズムが多いとはいえ、ヴォーカリストの歌い方にはコミカルなものがかなりあるよね。

 

 

ジャズ系音楽でのそういうコミカルな持味のヴォーカルの系譜を辿ると、同じルイであるルイ・アームストロングに行着くように僕は思うんだよねえ。以前も書いたけど、1920年代のサッチモの歌にはかなりジャイヴな味がある。こういうことを書いてある文章には全く出会わないけど、間違いない。

 

 

サッチモにジャンプな味は全くないけど、ジャイヴな味は強くあって、ひょっとしたらキャブ・キャロウェイの歌い方なんかもその辺から影響を受けていたのかもしれないよ。ということは、孫世代くらいになるのかもしれないけど、ルイ・ジョーダンのジャイヴな歌い方は、あるいはサッチモ系統なのかも。

 

 

音による証拠が全くないわけじゃない。ルイ・ジョーダンの「ライフ・イズ・ソー・ペキュリアー」という1950年録音には、なんとサッチモ本人がゲスト参加していて、トランペットはもちろんヴォーカルでルイ・ジョーダンと共演して、二人とも楽しくジャイヴな味で掛合いを披露しているんだよね。

 

 

 

こういうのを聴くと、やはりルイ・ジョーダンのコミカルな歌い方のルーツはサッチモだったんじゃないかと思う。二人の共演で録音が残っているのはその一曲だけだけど、これで僕には充分だ。共演音源がなくても、1925〜28年頃のサッチモの歌い方が、巡り巡ってルイ・ジョーダンに行着いているのは確かだ。

 

 

ルイ・ジョーダンのユーモア感覚はヴォーカルだけじゃなく、アルト・サックスにもかなりあると感じる。ああいうサックスの吹き方は、彼以前のジャズ・サックス奏者にはあまりない。音色だってジョニー・ホッジズみたいに湿って重たい感じではなく、むしろ後年の白人サックス奏者さえ想起させる軽くてソフトなものだ。

 

 

ルイ・ジョーダンが後年のポピュラー音楽界に絶大な影響を持ったのは、そのソングライティングとコンボ編成でのジャンプなリズムだろうと思うし、僕は初めて聴いたルイの曲は、B.B. キングがやる「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」だったりして、ジャイヴな味はあまり継承されていない。

 

 

ルイ・ジョーダンのジャイヴな味を継承していると僕が感じるのは、チャック・ベリーの日常生活に根ざしたソングライティングと歌い方と、あとは時々コミカルになることがあるソニー・ロリンズのサックス(ロリンズ幼少時代のアイドルがルイ・ジョーダンだったことは以前も書いた)くらいじゃないかなあ。

 

 

1940年代のルイ・ジョーダンは黒人最大のヒットメイカーで、マイケル・ジャクスンがスーパー・スターになるまでは、黒人では最も売れた存在だったかもしれない。もう少し生きていれば、80年の映画『ブルース・ブラザース』に出演したキャブ・キャロウェイみたいな仕事があったんじゃないかと思うんだよね。

 

 

そんなに売れまくったというのは、コンボ編成での分りやすいジャンプ・ミュージックだったということだけでは説明しにくいような気がしてしまう。やはりコミカルなというかユーモラスなというか、ジャイヴ感覚を強く兼ね備えたジャンプ系ポップ・ミュージックだということを考慮に入れないといけないんじゃないかなあ。

2016/03/02

歌詞の意味なんてものは・・・

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文学作品でも音楽作品でも、それは作者からの<メッセージ>なのだという言い方をする人が昔から結構いるけど、大学生の頃から僕はそういう発想が嫌いだった。ただ単に楽しいもの・美しいものを味わいたいという一心で、音楽だっていろいろと聴いているだけで、メッセージだとか考えたことがない。

 

 

メッセージ・ソングとかプロテスト・ソングとかそういうもの、もちろん歌詞がそういう意味合いを持っているものがあることは分ってはいるものの、そういう場合でも僕はメロディやサウンドやリズムを聴いているのであって、歌詞でしか伝わってこない意味なんて、殆ど聴いていないと言ってもいい。

 

 

だからメッセージ・ソングの代表的存在のように言われるジョン・レノンの「イマジン」だって、僕はピアノ伴奏とそれに乗って歌われるメロディ・ラインがキレイだなと思っているだけ。英語の理解にはあまり困らない僕だけど、あの曲の歌詞の中身はほぼ無視していつも聴いている。

 

 

だから「イマジン」は歌手が歌っているものより、ジャズマンがインストルメンタル演奏しているものの方が好き。そちらの方がメロディの美しさが分りやすい。1991年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルに出演したゴンサロ・ルバルカバがトリオ編成でやっていた。ジョン・パティトゥッチ+ジャック・ディジョネットとやったその時の演奏はCDにもなっている。

 

 

ジョン・レノンの、特にビートルズ解散後の作品には、歌詞の意味にも重きを置いたものが多いのが分っているので、ビートルズ解散後はどっちかというとポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのソロ・アルバムの方をよく聴くくらい。ビートルズ時代でも「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな言葉遊びのようなのが大好きだ。あの頃のジョンの曲には、そういうのがいろいろあるよね。

 

 

「アイ・アム・ザ・ウォルラス」については、こないだTwitterで自称音楽評論家の岩田由記夫氏から、直接僕宛に(なぜかダイレクト・メールで)あれはアメリカの極右の知事に対するメッセージ・ソングなんだぞと言われたんだけど、リンゴの叩出すグルーヴ感の面白さではなく言葉の問題を言うなら、そんなことよりルイス・キャロル関連の方が、よほど大事じゃないの?

 

 

やっぱり歌詞の意味が非常に重要であるUSA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」だって、クインシー・ジョーンズ指揮の下、入れ替り立ち替り現れて歌う様々な歌手の声質や歌い方の違いが楽しくて聴いていただけなのだ。あれはCDでは持っていないし、もう聴くこともないだろう。

 

 

歌詞のある音楽の、歌詞の意味を無視して聴くのは、その音楽の半分しか聴いていないということだと、以前言われたことがある。僕は全くそうは思っていない。もちろん歌詞が付いている以上、なんらかの意味というものがあるはずだけど、ポピュラー音楽の歌詞なんて、一部を除きだいたいどれも似たようなもんだ。

 

 

だいたい歌詞の意味でなにかを伝えたいと、そんなに強く思うのであれば、音楽作品なんかにせずに、文字だけ印刷して本かなにかで出版した方がいい。音楽なんか聴かない人だって多いんだし、その方が言葉の意味は伝わりやすい。音楽にするとメロディやリズムやサウンドが付いて、意味はやや伝わりにくくなる。

 

 

以前の音楽関係の友人の一人で、やはり音楽の歌詞は意味なんか聴いていない、聴いているのは言葉の織りなす音だけだという人がいて、その友人とはいろいろあって結局仲違いしてしまったんだけど、その<言葉の音>だけ聴くという点では、完全に僕と聴き方が一致していた。日本語の歌詞だってそうなんだよね。

 

 

その友人と僕とあと一人の三人で、その点意見が一致していたのが、サザンオールスターズの「愛の言霊」。あの曲の歌詞は、最初聴いた時にはフランス語にしか聞えなかった。全て完全に日本語でできていると知った時は、若干驚いたものだった。そもそも桑田佳祐の作る曲には、そういうのが多いよね。

 

 

サザンオールスターズの曲は「勝手にシンドバッド」でデビューした時からそんな感じだった。高校二年の時に、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』で最初に見聴きした時は衝撃だった。日本語で歌うバンドとしては当時異例なことに、画面に歌詞のテロップが出ていた。今では当り前に全部の歌手に出ているけどさ。

 

 

奥田民生だって「僕の創る曲の歌詞に意味なんてない」と発言している。その奥田民生が井上陽水と組んで創りPuffyが歌った「アジアの純真」。大好きな曲なんだけど(Puffyのもいいけれど、『ショッピング』に入っている井上陽水奥田民生ヴァージョンがもっと好き)、歌詞の意味なんて皆無だよね。

 

 

ちなみに、その井上陽水奥田民生の『ショッピング』。愛聴盤なんだけど、どの曲もサウンドやメロディやリズムが面白く、しかもビートルズ風、レッド・ツェッペリン風、フィル・スペクターのウォール・オヴ・サウンド風など、古い洋楽ファンにはたまらない内容。その上どの曲も歌詞に意味なんてないぞ。

 

 

たまに音と切離して歌詞だけを取りだしていろいろ言う人がいるけど、もちろん研究家・批評家の方々は、そういう探求の仕方もするだろう。それは無意味なことだとは思わない。しかし聴く時は、歌詞の意味というものは、聴きながら同時にリアルタイムで捉えられないと無意味だろう。

 

 

ましてや英語やその他外国語の歌詞の言葉だけを取りだして、それを日本語に訳して、さらにTwitterなどでは字数制限があるから、それを要約してツイートするアカウントが人気があったりして、その上困ったことにそういうアカウントのツイートがたくさんリツイートされて、僕にも見えたりする。

 

 

そういうのはほぼ意味のないことだろう。シリアスな政治的・社会的意味を持った歌詞ならまだしも、ポピュラー・ミュージックの歌詞の九割方を占める「好きだ」「愛している」「行かないでくれ」みたいなただの色恋沙汰をそんなに熱心にツイートしても、果してそれに何の意味があるのだろうか?

 

 

音楽というものは、エリック・ドルフィーの有名な台詞を待つまでもなく、聴いた瞬間からどんどん空中に消えていってしまう時間作品なのだから、歌詞だってそのどんどん流れ来ては消え去る中にあるわけで、その瞬間瞬間に捉えられないと意味のないものだ。聴かずに歌詞だけ読むとかバカバカしい。

 

 

近年ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補に挙っていると噂では聞く。僕には冗談だとしか思えない。彼の書く歌詞には、確かに含蓄のある素晴しいものが多いけど、ディランはやはりロック・ミュージシャンだ。言葉の意味ではあまり勝負していない。ディランの歌詞集なども出版されてはいるけどさ。

 

 

音楽の説得力とは、歌詞の意味にあるのではなく、やはり(メロディやリズムなども全て含んだ意味での)サウンドや歌手の歌う声の魅力にあるんだろう。そうじゃなかったら、歌詞の意味が全く分らないパキスタンの歌手ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを聴いて、強い感動は覚えないはずだ。

 

 

僕の場合、日本語と英語の歌しか知らなかった頃からそうだけど、その後ワールド・ミュージックを聴くようになり、歌詞はもちろん曲名の意味も分らない音楽を聴くようになったから、一層この考えが強くなった。最初にキング・サニー・アデを聴いた時に体に電流が走った、あの感覚を大事にしていきたい。

 

 

僕がこうしていろいろと書いてきたことは、完全に僕個人の考えにすぎないので、歌詞の意味を大切にしながら聴いているファンの方々や、意味を伝えようと真剣にやっている作詞家や歌手の方々に、これを押しつけるつもりは毛頭ない。ヘンだなとは思うものの、それも音楽の一つのあり方ではあるだろう。

 

 

ただ、一般のいちシロウト・リスナーの僕個人としては、ロック音楽小説『グリンプス』の最初の方のページに出てくる「ロックというものは歌詞の意味ではなく、ギターやドラムスのサウンドで、なにかを語るものなのだ」という、誰だったか忘れたけど音楽批評家の言葉に、全面的に同意しているだけなんだよね。

 

 

そういうわけだから、サウンドじゃなく歌詞の意味でモノを言うジャンルであるシャンソンとかフォークとかは、大胆にアレンジされてサウンドが面白いことになっているものを除き、今では殆ど聴かなくなった。

2016/03/01

ジャジーなジャニス・イアンとメル・トーメ〜「シリー・ハビッツ」

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シンガー・ソングライター、ジャニス・イアンという人については、僕は殆どなにも知らないし特別ファンでもないんだけど、唯一「シリー・ハビッツ」という曲が大好き。恋人との別れをジャジーなピアノ・トリオ伴奏で歌うのがなんとも沁みるので、これが入ったアルバムだけ持っている。

 

 

「シリー・ハビッツ」が入ったジャニスのアルバムは、1978年のコロンビア盤『ジャニス・イアン』。ジャニスは67年のデビュー・アルバムがやはり『ジャニス・イアン』というタイトルらしいので、区別するために78年盤の方は『ジャニス・イアン II』と呼ばれるようだ。邦題は『愛の翳り』。

 

 

僕が持っているその『ジャニス・イアン〜愛の翳り』では、「シリー・ハビッツ」はそのまんま「わるい癖ね」という邦題になっている。僕がこの曲を知ったのは、そのジャニス自身のヴァージョンではない。ジャズ歌手メル・トーメの1981年の二枚組ライヴLP『ライヴ・アット・マーティーズ』でだった。

 

 

僕はメル・トーメが好きというわけでもなく、この(当時)二枚組以外には、1960年の『スウィングズ・シューバート・アリー』しか持っていない。これだって、昔から名盤としてよく名前が挙るから買ってみただけなのであって、聴いたらよかったから今でもCDで買い直しているけど、この二つ以外は持っていない。

 

 

1981年の二枚組『ライヴ・アット・マーティーズ』は、当時の最新盤だったのでどんなのかなと興味を持ったのと、二枚組なのとライヴ盤であることと、レコード屋の店頭で見たら、僕の大好きなビリー・ジョエルの名曲「ニューヨークの想い」が入っているので、それでほしくなって買ったのだった。

 

 

お目当てのビリー・ジョエル・ナンバー「ニューヨークの想い」は、聴いてみたら素晴しい解釈だった。特に “out of touch with the rhythm and blues” という部分で、伴奏がR&B風になるところもイイネ。

 

 

 

ビリー・ジョエル自身のオリジナル・ヴァージョンが元々ジャジーな雰囲気を持った曲なので、こういうジャズのピアノ・トリオでジャズ歌手が歌うのにピッタリだ。数多くのカヴァー・ヴァージョンがある名曲だけど、個人的にはこの1981年メル・トーメのライヴ・ヴァージョンが一番好きだなあ。

 

 

そして、この二枚組の五曲目に「シリー・ハビッツ」が入っていた。それまで全く見たことも聴いたこともなかった曲で、ジャニス・イアンという存在すら知らなかったけど、このライヴ盤ではそのジャニスがゲスト参加して、メル・トーメとデュエットで歌っているのが凄くいい感じだったから、大好きになった。

 

 

 

これならジャズ・ファンだって好きになるんじゃないかなあ。現に僕がアップしたこのYouTube音源をいろんなジャズ・ヴォーカル・ファンに薦めると、みんな気に入ってくれる。ジャジーなピアノ・トリオ伴奏でジャズ歌手が歌うということだけでもないはず。

 

 

でもこれで、この曲を書き一緒に歌ってもいるジャニス・イアンという人について興味を持ってレコードを買ってみようとは思わなかったのは、ちょっと不思議だ。何度も書いているけど、大学生の頃はこんなことばかりで、ジャズ以外は本格的には追掛けておらず、興味を持っても多くは単発的だった。

 

 

ただ「シリー・ハビッツ」だけは、ジャニス自身のヴァージョンを聴いてみたかったので、探してそれが入っていると分った『ジャニス・イアン〜愛の翳り』だけ買ってみた。そうすると「ストリートライフ・セレネイダーズ」があるので、ビリー・ジョエルの曲を歌っているのかと思ったけど、違う曲だった。

 

 

よく見たらビリー・ジョエルの1974年作は「ストリートライフ・セレネイダー」で、ジャニスの方は「ストリートライフ・セレネイダーズ」と、微妙に曲名も違っている。ジャニスの方は78年のアルバムだから、可能性はあると思って期待したんだけどなあ。期待通りならちょっぴり嬉しかったけど。

 

 

『ジャニス・イアン〜愛の翳り』はCDリイシューされたのをすぐに買っている。なぜかというと、メル・トーメの『ライヴ・アット・マーティーズ』がなかなかCD化されず、というか僕が見つけられなかっただけのようだけど、そういうわけで、どうしても「シリー・ハビッツ」だけ聴きたかったからだ。

 

 

『ライヴ・アット・マーティーズ』のリイシューCDは一枚物で、元の二枚組LPからオミットされている曲がある。CDには、元のLPのB面終盤のジェリー・マリガン・ナンバー三曲のメドレーが入っていない。マイルス・デイヴィスが『クールの誕生』でやった「ミロのヴィーナス」もあったんだけど。

 

 

それでも『ライヴ・アット・マーティーズ』の一枚物リイシューCDは約79分という収録時間ギリギリいっぱいに詰込んでいて、そのマリガン・ナンバー三曲のメドレー以外は全部入っているから、まあまあいいんじゃないかな。「ミロのヴィーナス」は、メル・トーメの楽器的唱法が聴けて面白かったけどねえ。

 

 

マリガンの曲は全部で四曲やっていて、オミットされているのはメドレー三曲。「リアル・シング」一曲だけはCDにも入っていて、マリガンがバリトン・サックスで客演しソロを吹いている。このライヴ盤のフル・タイトルは『メル・トーメ・アンド・フレンズ〜ライヴ・アット・マーティーズ』なのだ。

 

 

つまり、何人か<フレンズ>がゲスト参加している。マリガンだけでなく、先に書いたジャニス・イアンだってそうなんだろう。他の<フレンズ>は、サイ・コールマンとジョナサン・シュウォーツの二人。専門のピアニストが伴奏する以外に、メル・トーメ自身がピアノを弾きながら歌うメドレーもある。

 

 

それが約八分の「ポーギー&ベス・メドレー」。 ちょっと面白いよねえ。メル・トーメがこんなピアノが弾ける人だったとはね。僕にとってジャズ版『ポーギー・アンド・ベス』はマイルス&ギルのだけで、歌手が歌っているのはこれしか聴いていない。

 

 

 

もちろんクラシック版の『ポーギー・アンド・ベス』ならいくつか聴いてはいる。元々ガーシュウィンのこの作品はオペラなんだし、クラシックの人がやっているのが本来の姿なはずだしね。まあクラシック声楽の発声法がどうも馴染めないというか好きになれない僕だけど、この作品だけは聴く。

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