ソニー・レガシーはマイルスの未発表スタジオ・セッションを全部出してほしい
少し前に1967年頃からのマイルス・デイヴィスのスタジオ録音の話をしたけど、実際この頃からのスタジオ録音には未発表だった音源がかなりあった。マイルスの生前にもそれは遅れて少しリリースされていた。『ビッグ・ファン』『ウォーター・ベイビーズ』は隠遁前から出ていた未発表集だ。
『ビッグ・ファン』は1974年、『ウォーター・ベイビーズ』は1976年(アレッ?隠遁後だ^^;;)に出ている。前者が69〜72年録音の未発表集二枚組で、各面一曲ずつ計四曲。後者はもうちょっと前の67/68年の録音集一枚物。僕にはどっちもなかなか面白く、なぜお蔵入りしたのか理解できないほど。
中山康樹さんは『ビッグ・ファン』をかなり酷評していたけど、一枚目A面の1969年録音「グレイト・エクスペクテイションズ」は、後半がウェザー・リポートの一枚目でお馴染みの「オレンジ・レディ」で、しかもウェザー・リポートのヴァージョンより録音時期も早いし面白い。でも当時は未発表のままだったので、ウェザー・リポート・ヴァージョンしかなかった。
当時発売されていた日本盤LPは、英語でも日本語のライナーでも、それが「オレンジ・レディ」であることはどこにも書いていなかった。誰でも一聴即分るものだから、これは1974年時点では敢て触れていなかったんだろう。ザヴィヌルの曲なのにそのクレジットがどこにもなかったから。現行CDにははっきり書いてある。
一枚目B面の「イフェ」は、これで初めてスタジオ録音のオリジナルがリリースされた1972年録音なわけだけど、75年のライヴ『アガルタ』『パンゲア』で知っている曲だった。しかしこのスタジオ・ヴァージョンでは、まだたいしたことはない。これが魅力的なナンバーに変貌し始めるのは74年のライヴからだ。
二枚目A面の1970年録音「ゴー・アヘッド・ジョン」は、ジョン・マクラフリンが弾くまくる曲だけど、これはまあ中山さんも言うように笑うしかないようなものだ。しかしB面の69年録音「ロンリー・ファイア」はお馴染みのスパニッシュ・スケールを使った曲で、それが得意なチック・コリアのエレピもいい。
この『ビッグ・ファン』の四曲は、全てレギュラー・メンバー以外に大幅に人員を拡充して臨んだスタジオ録音。そうなるのは1968年末にいわゆるロスト・クインテットを結成した頃からで、75年一時隠遁までのスタジオ・セッションは全部そう。そういう姿勢もやはりマイルスはあまりジャズ的ではないのかも。
それに比べたら1976年リリースの『ウォーター・ベイビーズ』は、67/68年のほぼレギュラー・バンドによる未発表録音集。A面の三曲は全て67年のマイルス+ウェイン・ショーター+ハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズのクインテット。B面の二曲は68年録音でエレピでチックが参加、ベースがデイヴ・ホランドに交代している。
『ウォーター・ベイビーズ』で面白いのは、断然A面の三曲「ウォーター・ベイビーズ」「カプリコーン」「スウィート・ピー」。これらの曲名を見てピンと来た人はショーター・ファン。そう、これらは三曲ともショーターの作曲で、69年録音のショーターのリーダー・アルバム『スーパー・ノヴァ』に再演ヴァージョンが収録されている。
マイルス・ヴァージョンのこれら三曲は76年までリリースされなかったから、ファンはみんなショーターの『スーパー・ノヴァ』で知っていたのだった。そしてマイルス・ヴァージョンを聴いてみると、『スーパー・ノヴァ』での演奏は、相当にアヴァンギャルドでフリーな雰囲気だったのがよく分る。
僕は『スーパー・ノヴァ』のヴァージョンは、以前は全然理解できず馴染めなかったから、マイルス・ヴァージョンでその三曲を聴くと、そっちの方が面白いと感じたのだった。マイルス・ヴァージョンでは、マイルスもショーターもストレートにメロディを吹いているもんね。
ショーターの書いたテーマ・メロディの美しさもマイルス・ヴァージョンの方がよく分る(『スーパー・ノヴァ』ヴァージョンではバラバラに解体されているから)し、しかもかなりいい演奏だから、当時なぜお蔵入りにしたのかやはり理解しにくい。ショーターも不満だったんだろう。だから自分のアルバムで再演した。
この二作に加え、以前書いた1979年の『サークル・イン・ザ・ラウンド』と81年の『ディレクションズ』の全四作が、マイルスの生前にリリースされていた未発表スタジオ録音集だった。『ビッグ・ファン』『ウォーター・ベイビーズ』が傑作なのに比べたら、それら二つはやはり残り物集と呼ぶしかない内容。
そしてマイルスのコロンビア時代のスタジオ未発表録音は、それら四作だけでは全然カヴァーできていない。相当な量が残っていることを、ファンはみんな知っていた。ある時期以後のマイルスのスタジオ・セッションは、ほぼ全部テープに残しているという話だったし、それなら全部出せと思っていた。
テオ・マセロによれば、マイルスのスタジオ・セッションをほぼ全部録音するようになったのは、1967年6月の『ネフェルティティ』の録音以後。テオの話では、そのアルバム・タイトル曲はリハーサル・テイクが一番出来がよかったにも関わらず録音していなかったので、マイルスに厳しく叱責されたようだ。
それでそれ以後は、リハーサル/本番に関係なく、マイルスがスタジオに足を踏み入れた瞬間にテープを廻し始め、彼がスタジオを出るまで廻しっぱなしにしていたらしい。それがテオがマイルスをプロデュースした最後の1983年『スター・ピープル』まで続いたようだから、膨大な未発表音源があるはずだ。
かつてのサイドメン、確かデイヴ・ホランドだったように思うけど、彼によれば、自分が参加しているアルバムはどれも凄く編集されていると語るとともに、マイルスに呼ばれてスタジオに行き、一緒に音を出した、何回かやったけど、リハーサルだと思っていたら、それがアルバムになっていたと語っていた。
デイヴ・ホランドが参加しているマイルスのスタジオ・アルバムは、一部だけ参加の『キリマンジャロの娘』を除く全面参加は、『イン・ア・サイレント・ウェイ』と『ビッチズ・ブルー』の二つだけ。編集されまくっていることは誰でも聴けば分るけど、これらがリハーサルだったとは、もし本当ならかなり驚きだね。
もう1968年末頃からのマイルスのスタジオ録音では、リハーサルも本番もない、全ては本番であるという状態になっていたということか。これはマイルス自身の発言とも一致する。マイルスは、何度やってもいい演奏が残せるわけではない、一回目が一番いいことが多いんだから、全部録音したと語っていた。
そうやってマイルスらがスタジオで演奏して録音したまま放ったらかしにしていた音源から、プロデューサーのテオ・マセロが適宜ピックアップし編集して、アルバムに仕立て上げていたわけだ。1969/70年頃からのスタジオ・セッションは新作発表を全く前提にしていなかったことは、前も書いた通り。
マイルスが1991年に死んでからレガシーがたくさんリリースした一連のボックス・セットで、生前はあまり出ていなかったそういう未発表スタジオ音源が、かなりたくさん発表されている。それはもちろん嬉しいんだけど、まだまだ出ていないものがたくさんあるはずだ。実際ブートではそれらが聴ける場合があるもん。
『ビッチズ・ブルー』の一連の未発表テイク集とか、完成品が『ゲット・アップ・ウィズ・イット』に収録されている「ヒー・ラヴド・ヒム・マッドリー」セッションとか、「カリプソ・フレリモ」セッションとか、いろいろとブートで聴けるから、コロンビアの倉庫に残っているはずだ。全てを公式に出してほしいんだよね。
そんな未完成のテイク集を聴いてどうするんだという意見もあるだろうけど、マイルス・マニアとしては、純粋かつ単純に「マイルスの全て」を聴いてみたいのと、そしてそれ以上に、アルバムになった完成品ができあがるプロセスを知ることで、その完成品に対するより深い理解も期待できるんじゃないかなあ。
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