« セクシーな「蜘蛛と蠅」 | トップページ | 69年マイルスの核はロスト・クインテット »

2016/03/24

ジャジーな「飾りじゃないのよ涙は」

Blueselection

 

51mchzojmtl_sx355_










井上陽水が中森明菜に提供した1984年の「飾りじゃないのよ涙は」。明菜のヴァージョンも好きだけど、陽水自身もセルフ・カヴァーしたものがあってCDにも収録されていて、そっちの方が個人的にはより好きなのだ。初期の宇多田ヒカル同様、ソングライターとしての才能の方が歌手としてのそれより上だと思う陽水だけど。

 

 

明菜のオリジナル・ヴァージョンももちろんいいんだけど、それはみなさんよくご存知だと思うので、この陽水+安全地帯の伴奏で歌ったものを。これはフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』だなあ。

 

 

 

もっと好きなのが、陽水自身による4ビートなジャズ・アレンジの「飾りじゃないのよ涙は」だ。これは何種類か上がっているけど、スタジオ録音によるものはこれ。ベースがウッド・ベースで、それがランニング・ベースを弾いている。

 

 

 

陽水はこの曲をジャジーな雰囲気でやるのが多かったらしく、ライヴ・ヴァージョンでもこういうのがある。これ何年頃のどこでの演奏なんだろうなあ?先に貼ったスタジオ・ヴァージョンとほぼ同じアレンジだけどね。

 

 

 

僕はジャズ・ファンだからこういう感じは好きだけど、一般の明菜ファンや陽水ファンで、こういう「飾りじゃないのよ涙は」を面白がって聴く人ってどれくらいいるんだろう?陽水ファンはともかく明菜ファンには少ないような気がする。

 

 

明菜はデビュー当時からある時期までは僕も結構ファンだけど、レコードやCDは買ったことがない。もっぱらテレビの歌番組で見聴きしていただけ。その少ない体験のなかでは「飾りじゃないのよ涙は」が一番好きな曲。陽水もそんなにたくさんは聴いていない。今ではCDでベスト盤を二種類と、先に貼ったジャジーな「飾りじゃないのよ涙は」のスタジオ・オリジナルが入っている『Blue Selection』を持っているだけ。

 

 

陽水を初めて聴いたのは中学三年の時の音楽の授業。三月の年度最後の授業の一回前に女性教師が、みんなもう卒業だからその記念でみんなの好きなレコードをかけてあげるから次回持っていらっしゃいと言ったのだ。そして誰かが陽水のレコードを持ってきて「夢の中へ」がかかったのだった。

 

 

その時が陽水を聴いた初体験。「夢の中へ」だって当然初めて聴いたわけだ。その授業の際に他にもいろいろとクラスメイトが持ってきたレコードがかかったはずなのにそれらは全く憶えていない。陽水の「夢の中へ」だけを今でも憶えているというのはやはりなにか僕の印象に残ったんだろうなあ。

 

 

僕が中学三年というのは1976年。シングル盤「夢の中へ」は73年に出ている。それを聴いて強い印象を受けたものの、陽水のレコードを買おうとは全然思わなかったのはちょっと不思議。当時の僕がレコード(主にドーナツ盤)を買っていたのは、沢田研二とか山口百恵とか。

 

 

陽水が注目されるようになったのは、間違いなく1973年のアルバム『氷の世界』からだけど、その前の井上陽水名義での初アルバム『断絶』から既に玄人筋からの評価は戦ったらしい。特にこれには「傘がない」があって、同曲は現在に至るまで彼の代表曲だ。でもこれ、フォーク路線でもなんでもない。

 

 

「傘がない」はワン・コーラス目もツー・コーラス目も一見社会派風の歌詞ではじまるけれど、しばらく聴き進むと「だけども問題は今日の雨、傘がない」「行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ」と来るから、真剣に聴いているとガクッと来るんだよね。要するにただのラヴ・ソングだ。

 

 

彼は井上陽水に芸名を変更した時には吉田拓郎を意識したらしいし、陽水名義でのデビュー当時はいわゆる四畳半フォークにも通じるような雰囲気がないわけでもないし、1975年には拓郎や小室等らと一緒にフォーライフ・レコードを興したから、ちょっと誤解されているかもしれないよね。

 

 

僕のなかでの陽水は真面目で社会派なフォーク路線の人ではなく、ラヴ・ソング中心のポップな持味の人なんだよね。先に書いたように「傘がない」がそうだし、「夢の中へ」なんかはかなり明快なポップ・ソングだし、安全地帯がバック・バンドだった時代からはそれがより明確になってくる。

 

 

安全地帯が独立してからは、彼らのために「ワインレッドの心」を書き(作詞だけ)ヒットさせているし、最初に書いたように中森明菜に「飾りじゃないのよ涙は」を提供し、自身の「いっそセレナーデ」とか、まあ全部ポップなラヴ・ソングばかりだ。そういうのこそが本領の人なんじゃないかと思っている。

 

 

そもそも何度も「井上陽水名義」と書いているように、彼はこの名前でデビューしたのではない。最初アンドレ・カンドレという芸名でデビューし、デビュー曲は「カンドレ・マンドレ」だった。言葉遊びのおふざけ人間だったわけだ。しかもビートルズ狂で自身は全然フォーク歌手とは思っておらず、しかし当時の風潮でそう扱われただけ。

 

 

そういう陽水の遊び心満載のポップ路線が一番濃厚に出ているのが、井上陽水奥田民生名義でリリースされた1997年のアルバム『ショッピング』じゃないかと思うんだよね。僕はこのCDが大の愛聴盤なんだけど、きっかけは元々Puffyの「アジアの純真」で奥田民生と組んだことにあったらしい。

 

 

Puffyのシングル盤「アジアの純真」に続き、奥田民生と組んで二人自ら歌ったシングル盤「ありがとう」、この二つが『ショッピング』制作の端緒らしい。両曲とも『ショッピング』に収録されている。「アジアの純真」の方は二人によるセルフ・カヴァーで、アルバム・ラストに入っている。

 

 

「アジアの純真」は作曲が奥田民生で作詞が井上陽水。この曲の歌詞こそ陽水の持味をふんだんに発揮しまくった最高傑作なんじゃないかと僕は思っているくらい。スタジオ録音ヴァージョンはあがっていない(実は聴いてほしくて上げたんだけど、速攻でクレームがついて日本を含め世界各国で再生不可になった)ので、このライヴ・ヴァージョンを。

 

 

 

僕のブログをお読みになる方で「アジアの純真」とかお聴きの方は少ないかもしれないので、ちょっと聴いていただきたい。スタジオ・ヴァージョンとはリズムの感じや曲調がかなり異なっているけれど、陽水の書いた歌詞はそのまま。お分りのようになんの意味もなく言葉の音だけ利用した言葉遊びで埋め尽されている。

 

 

僕はこういうのこそポップ・ソングの歌詞の理想型だと思うんだ。アルバム『ショッピング』収録曲は、どれも全部そう。「アジアの純真」と「ありがとう」「侘び助」以外は、陽水と民生がそれぞれ単独に歌うんだけど、曲調も様々な米英ポップス/ロックへのオマージュで成立っている上に、無意味な歌詞が乗る。

 

 

四曲目の「ショッピング」がスウィング・ジャズ(特にベニー・グッドマンの「シング、シング、シング」を引用)、七曲目の「2500」はレッド・ツェッペリン、八曲目の「AとB」はフィル・スペクターのウォール・オヴ・サウンド、十一曲目の「ありがとう」がビートルズなどなど、全て米英ロック/ポップス路線そのまんまなのだ。

 

 

陽水はその後も21世紀に入ってから、アルバム『UNITED COVER』で「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」「銀座カンカン娘」「東京ドドンパ娘」「ウナ・セラ・ディ東京」などをカヴァーしているし、『Blue Selection』では自作曲のジャズ・ヴァージョンを披露したり。

 

 

「飾りじゃないよ涙は」のジャズ・ヴァージョンも、書いたように『Blue Selection』に入っているものだ。まあそんな具合で井上陽水というシンガー・ソングライターは社会派でも四畳半フォークでも叙情的作風でもなく、軽快で親しみやすいポップなのが持味の人だろうというのが僕の見解なんだよね。

« セクシーな「蜘蛛と蠅」 | トップページ | 69年マイルスの核はロスト・クインテット »

演歌歌謡曲、日本」カテゴリの記事

コメント

明菜は2002年に「Utahime D.D.」というセルフ・カバーアルバムを出してるんですが、「飾りじゃ~」はビッグ・バンド・スタイルのジャズ・アレンジで歌っています。陽水アレンジを参考にしたのかもしれません。絶対聴くべきってほどのもんじゃありませんけど。

陽水は詳しくありませんが、ナンセンスな歌詞でさえあの美声で歌われれば意味ありげに聴こえるという意味では、歌手としての魅力も群を抜いていますよね。

Astralさん、その『Utahime D.D.』ってのは、他の曲もジャズ・アレンジなんでしょうか?もしそうなら聴いてみたいですね。陽水は、例えば「アジアの純真」なんかを歌っているのは、どう聴いても全然意味ありげには聞えません(笑)。「傘がない」だって・・・。

アマゾンで見てみたら、中古が396円だったから買っちゃった。人生で初めて中森明菜を買いました。

「TATOO」もジャズ・アレンジで、「ミ・アモーレ」なんかは本格的サルサ・アレンジで歌ってます。デビュー曲の「スローモーション」はボサノバです。アルバムとしては、とてもよくできてますよ。
2006年のライブ・ヴァージョンですが、これです。
https://www.youtube.com/watch?v=DtCj6wk7jhM
この時の映像は全部アップされてるようなので、「TATOO」などもどうぞ。

この2006年のライヴ・ヴァージョン、明菜の歌い方にジャジーなフィーリングは薄くしか感じないですね。でもこの時期の明菜としてはかなりいいんじゃないかなあ。というか、21世紀に入ってからの明菜は殆ど諦めちゃってたので。バックのサウンドは確かにジャジーですが、むしろパーカッションがラテン・タッチになっているところの方が気に入りました。

『歌姫ダブル・ディケイド』ヴァージョンは、調べてみたら、村田陽一のアレンジですね。ご存知と思いますが、名のあるジャズ・トロンボーン奏者です。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ジャジーな「飾りじゃないのよ涙は」:

« セクシーな「蜘蛛と蠅」 | トップページ | 69年マイルスの核はロスト・クインテット »

フォト
2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
無料ブログはココログ