ケルト発ラテン経由アフリカへ
ケルト音楽とアフリカ音楽って繋がっているんじゃないかと僕は前々から感じていて、それは主にリズム・パターンに似通ったものがかなりあるように聞えるというのが理由。元々ケルト民族は紀元前一世紀くらいまでは欧州全土に住んでいたわけだし、アフリカ大陸とは地中海を挟むだけの近さだし。
ヨーロッパとアフリカは全然異なる文化圏で近くもなんともないというのが、ある時期以後の一般的な考えみたいだけど、書いたように地中海を挟むだけの近距離であって、実際船で頻繁に行き来していた。古代ローマが欧州と北アフリカ(と西アジア)を同一領土内とする前から、かなり往来が盛んだった。
古代ローマ以前には、フェニキア人が地中海世界において(西アジアと)欧州と北アフリカを股に掛けて商売をして各地に植民都市を作り、そのなかには北アフリカのカルタゴみたいに繁栄した場所もあった。カルタゴは三度にわたるポエニ戦争の結果、古代ローマに滅ぼされたけれどね。
その古代ローマは、それ以前に欧州に広く住んでいたケルト人をガリア人と呼び一種の野蛮人扱いして、紀元前一世紀にユリウス・カエサルによりガリア地域(だいたい現在のフランス)のケルト人は征服されてしまい、その後はブリテン諸島に渡り、なかでもウェールズやスコットランドやアイルランドにケルト文化が残った。
そういうわけだから、古代ローマが欧州と地中海世界を制覇するもっと前から欧州に広く住んでいたケルト人が、ブリテン諸島などに追いやられる前には、地中海を挟むだけの近さのアフリカ大陸との文化交流はあったはずだと思うのだ。今、汎地中海的音楽とでも呼べるようなものがあるけれど、古代からあったに違いない。
そう考えないと、6/8拍子系のリズムいわゆるハチロクがアフリカ音楽だけでなくケルト音楽にも一般的にたくさん聴かれるというのが、ただの偶然だとは僕には思えないんだよね。そしてケルトとアフリカは繋がっているというこの考えを一層強くしたのが、チーフタンズの1996年作『サンティアーゴ』を聴いた時だった。
言うまでもなくチーフタンズはケルト伝統音楽を演奏することからスタートしたアイルランドのバンド。レコード・デビューが1963年で、その頃から数字番号がアルバム・タイトルに付くだけの十枚ほどは伝統的ケルト音楽しかやっていない。彼らが多文化交流をはじめたのはいつ頃なんだろう?
僕はチーフタンズを全部は聴いてなくて、う〜ん半分ちょいくらいかなあ聴いているのは。最初に知ったのがヴァン・モリスンとやった1988年の『アイリッシュ・ハートビート』で、これもヴァンが好きだったから買っただけで、チーフタンズという名前すらそれまで知らなかったくらいだ。これも伝統音楽。
チーフタンズが多文化交流をはじめるのは、1987年の『ケルティック・ウェディング』でフランスにおけるケルト文化圏であるブルターニュの音楽を採り上げたのと、92年の『アナザー・カントリー』で、アイルランド移民が源流の米国カントリー・ミュージックとの融合を試みているあたりから?
その後はどんどんやるようになり、1995年の『ザ・ロング・ブラック・ヴェイル』には大勢のゲスト・ミュージシャンを参加させて多様な音楽性を実現させている。あのアルバムにもヴァンがいるし、ローリング・ストーンズやマーク・ノップラーやシネイド・オコーナーやライ・クーダーやその他大勢。
そのライ・クーダーが次作1996年の『サンティアーゴ』にも参加していて、非常に重要な役割を担っている。アルバム・タイトルは、チリの首都の方ではなくキューバ第二の都市サンティアーゴ・デ・クーバのこと。だから中身を聴く前からラテン音楽との繋がりを予想したわけだけど、その通りだった。
一般的に『サンティアーゴ』は、やはりケルト文化圏であるスペインのガリシア地方(パディ・モロニーによれば、「世界で最も知られていないケルト文化の国」)の音楽をフィーチャーしたものだということになっていて、それは実際その通り。それでガリシアの音楽家カルロス・ヌニェスを起用している。
カルロス・ヌニェスの名前もこの『サンティアーゴ』で初めて知ったのだったと思う。彼はマルチ楽器奏者で、ガリシアのバブパイプであるガイータの他に、ガリシアのフルートやリコーダーやオカリナやティン・ウィッスルなどを演奏する。『サンティアーゴ』には全面参加していてゲスト扱いではない。
CD附属のブックレットには「ゲスト・ミュージシャン」のページがあって大勢の名前があるけれど、そこにカルロス・ヌニェスの名前はなく、最終ページにチーフタンズのメンバー・クレジットの下に続いてヌニェスが記載されているくらいなのだ。それくらい全面的にフィーチャーされている。
なおゲスト・ミュージシャンの項に名前が記載されている音楽家のうち、ライ・クーダーやリンダ・ロンシュタットやロス・ロボスなどはお馴染みの名前だった(それだけでこのアルバムのラテン指向が分る)けれど、ケパ・フンケラはこの時初めて見た名前だった。スペインはバスク地方のアコーディオンの一種トリキティシャ奏者だ。
ケパ・フンケラもさることながら、やはりガリシアのカルロス・ヌニェスだよなあ。でも彼のガイータやティン・ウィッスルの音は、僕の耳にはパディ・モロニーのイーリアン・パイプやティン・ウィッスルと区別が付かず、どの曲のどこでヌニェスが演奏しているのかも一切書かれていないので、判然としないんだなあ。
『サンティアーゴ』の前半「サンティアーゴへの巡礼」組曲は、素晴しいけれど伝統的ケルト音楽がベースになっているから、聴き馴染のあるもので個人的はさほどの驚きはなかった。アルバムが凄いことになるのはやはり七曲目の「ガリシア序曲」からだなあ。ガリシアのオーケストラも入る11分の大作。
「ガリシア序曲」はパディ・モロニーの作曲。大変にスケールの大きなコンポジションで、彼自身もイーリアン・パイプを吹き(あるいはカルロス・ヌニェスのガイータかもしれないけれど)、実に見事な演奏を聴かせてくれる。ちょっと大上段に構えすぎの嫌いもあるけれど、感動的な一曲。
この「ガリシア序曲」が、それ以前六曲の伝統的ケルト音楽とそれ以後八曲目からのラテン音楽との橋渡し役になっている。この大作が終り次の「グァダルーペ」がはじまると、突然パッと青空が開けたような感じで、快活なラテン音楽が鳴り始めていい気分。リンダ・ロンシュタットらがスペイン語で歌う。
八曲目「グァダルーペ」以後は、一部を除きほぼ全面的にメキシコ〜中米カリブのラテン音楽指向が続く。九曲目「ミーニョ・ワルツ」はマット・モロイの見事なフルート演奏で、聴いた感じケルト風だけど、これだってヌニェスがガリシアの博物館の写本で見つけたというポルトガル由来の曲だからなあ。
私見での『サンティアーゴ』のクライマックスは、その後12曲目の「サンティアーゴ・デ・クーバ」以後の四曲だ。12曲目「サンティアーゴ・デ・クーバ」と13曲目「ガジェギータ/ツタンカーメン」は、キューバのハバナで現地のミュージシャンを起用して録音されているし、実際後者ではトレスやクラベスも鳴るキューバン・ミュージックだ。
それら二曲にはライ・クーダーも複数のラテン系弦楽器で参加しているし、スペイン語によるヴォーカル・コーラスも入り、これ一体どこでチーフタンズの面々が演奏しているんだろうと思うくらい。それらしきイーリアン・パイプの音は聞えるけど。これら二曲ではライのいろんな意味での貢献も大きいようだ。
ティン・ウィッスルによる素朴で美しいメロディ(パディ・モロニー?カルロス・ヌニェス?)で短い曲だけど感動的な「ティアーズ・オヴ・ストーン」を経て、アルバム・ラストの「ダブリン・イン・ヴィーゴ」は、その名の通りガリシア地方ヴィーゴのアイリッシュ・パブでのライヴ録音で楽しい。
それにしてもキューバ録音の二曲。アルバム・タイトルがキューバの地名なんだから、ガリシア地方云々よりこっちの方が僕にとってはこのアルバムのメインなんだけど、それらでのケルト音楽とアフロ・キューバン音楽との相性の良さ、融合の見事さを聴くと、やはり最初に書いたような考えに至るわけだ。
これだけケルト音楽とキューバ音楽の相性がピッタリであるということは、そのキューバ音楽とは旧宗主国スペインからの影響もさることながらやはりアフリカ由来の部分が大きいわけで、そうでなくてもハチロクのリズムがケルトとアフリカで似通っているんだから、やはりケルトとアフリカは繋がっているよね。
なお米墨戦争に題材を採り、ライ・クーダーがチーフタンズに全面参加した同じくラテン音楽指向の『サン・パトリシオ』も面白いんだけど、これについて書いている余裕がなくなってしまった。それはまた別記事にしよう。
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