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2016/03/02

歌詞の意味なんてものは・・・

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文学作品でも音楽作品でも、それは作者からの<メッセージ>なのだという言い方をする人が昔から結構いるけど、大学生の頃から僕はそういう発想が嫌いだった。ただ単に楽しいもの・美しいものを味わいたいという一心で、音楽だっていろいろと聴いているだけで、メッセージだとか考えたことがない。

 

 

メッセージ・ソングとかプロテスト・ソングとかそういうもの、もちろん歌詞がそういう意味合いを持っているものがあることは分ってはいるものの、そういう場合でも僕はメロディやサウンドやリズムを聴いているのであって、歌詞でしか伝わってこない意味なんて、殆ど聴いていないと言ってもいい。

 

 

だからメッセージ・ソングの代表的存在のように言われるジョン・レノンの「イマジン」だって、僕はピアノ伴奏とそれに乗って歌われるメロディ・ラインがキレイだなと思っているだけ。英語の理解にはあまり困らない僕だけど、あの曲の歌詞の中身はほぼ無視していつも聴いている。

 

 

だから「イマジン」は歌手が歌っているものより、ジャズマンがインストルメンタル演奏しているものの方が好き。そちらの方がメロディの美しさが分りやすい。1991年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルに出演したゴンサロ・ルバルカバがトリオ編成でやっていた。ジョン・パティトゥッチ+ジャック・ディジョネットとやったその時の演奏はCDにもなっている。

 

 

ジョン・レノンの、特にビートルズ解散後の作品には、歌詞の意味にも重きを置いたものが多いのが分っているので、ビートルズ解散後はどっちかというとポール・マッカートニーやジョージ・ハリスンのソロ・アルバムの方をよく聴くくらい。ビートルズ時代でも「アイ・アム・ザ・ウォルラス」みたいな言葉遊びのようなのが大好きだ。あの頃のジョンの曲には、そういうのがいろいろあるよね。

 

 

「アイ・アム・ザ・ウォルラス」については、こないだTwitterで自称音楽評論家の岩田由記夫氏から、直接僕宛に(なぜかダイレクト・メールで)あれはアメリカの極右の知事に対するメッセージ・ソングなんだぞと言われたんだけど、リンゴの叩出すグルーヴ感の面白さではなく言葉の問題を言うなら、そんなことよりルイス・キャロル関連の方が、よほど大事じゃないの?

 

 

やっぱり歌詞の意味が非常に重要であるUSA・フォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」だって、クインシー・ジョーンズ指揮の下、入れ替り立ち替り現れて歌う様々な歌手の声質や歌い方の違いが楽しくて聴いていただけなのだ。あれはCDでは持っていないし、もう聴くこともないだろう。

 

 

歌詞のある音楽の、歌詞の意味を無視して聴くのは、その音楽の半分しか聴いていないということだと、以前言われたことがある。僕は全くそうは思っていない。もちろん歌詞が付いている以上、なんらかの意味というものがあるはずだけど、ポピュラー音楽の歌詞なんて、一部を除きだいたいどれも似たようなもんだ。

 

 

だいたい歌詞の意味でなにかを伝えたいと、そんなに強く思うのであれば、音楽作品なんかにせずに、文字だけ印刷して本かなにかで出版した方がいい。音楽なんか聴かない人だって多いんだし、その方が言葉の意味は伝わりやすい。音楽にするとメロディやリズムやサウンドが付いて、意味はやや伝わりにくくなる。

 

 

以前の音楽関係の友人の一人で、やはり音楽の歌詞は意味なんか聴いていない、聴いているのは言葉の織りなす音だけだという人がいて、その友人とはいろいろあって結局仲違いしてしまったんだけど、その<言葉の音>だけ聴くという点では、完全に僕と聴き方が一致していた。日本語の歌詞だってそうなんだよね。

 

 

その友人と僕とあと一人の三人で、その点意見が一致していたのが、サザンオールスターズの「愛の言霊」。あの曲の歌詞は、最初聴いた時にはフランス語にしか聞えなかった。全て完全に日本語でできていると知った時は、若干驚いたものだった。そもそも桑田佳祐の作る曲には、そういうのが多いよね。

 

 

サザンオールスターズの曲は「勝手にシンドバッド」でデビューした時からそんな感じだった。高校二年の時に、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』で最初に見聴きした時は衝撃だった。日本語で歌うバンドとしては当時異例なことに、画面に歌詞のテロップが出ていた。今では当り前に全部の歌手に出ているけどさ。

 

 

奥田民生だって「僕の創る曲の歌詞に意味なんてない」と発言している。その奥田民生が井上陽水と組んで創りPuffyが歌った「アジアの純真」。大好きな曲なんだけど(Puffyのもいいけれど、『ショッピング』に入っている井上陽水奥田民生ヴァージョンがもっと好き)、歌詞の意味なんて皆無だよね。

 

 

ちなみに、その井上陽水奥田民生の『ショッピング』。愛聴盤なんだけど、どの曲もサウンドやメロディやリズムが面白く、しかもビートルズ風、レッド・ツェッペリン風、フィル・スペクターのウォール・オヴ・サウンド風など、古い洋楽ファンにはたまらない内容。その上どの曲も歌詞に意味なんてないぞ。

 

 

たまに音と切離して歌詞だけを取りだしていろいろ言う人がいるけど、もちろん研究家・批評家の方々は、そういう探求の仕方もするだろう。それは無意味なことだとは思わない。しかし聴く時は、歌詞の意味というものは、聴きながら同時にリアルタイムで捉えられないと無意味だろう。

 

 

ましてや英語やその他外国語の歌詞の言葉だけを取りだして、それを日本語に訳して、さらにTwitterなどでは字数制限があるから、それを要約してツイートするアカウントが人気があったりして、その上困ったことにそういうアカウントのツイートがたくさんリツイートされて、僕にも見えたりする。

 

 

そういうのはほぼ意味のないことだろう。シリアスな政治的・社会的意味を持った歌詞ならまだしも、ポピュラー・ミュージックの歌詞の九割方を占める「好きだ」「愛している」「行かないでくれ」みたいなただの色恋沙汰をそんなに熱心にツイートしても、果してそれに何の意味があるのだろうか?

 

 

音楽というものは、エリック・ドルフィーの有名な台詞を待つまでもなく、聴いた瞬間からどんどん空中に消えていってしまう時間作品なのだから、歌詞だってそのどんどん流れ来ては消え去る中にあるわけで、その瞬間瞬間に捉えられないと意味のないものだ。聴かずに歌詞だけ読むとかバカバカしい。

 

 

近年ボブ・ディランがノーベル文学賞の候補に挙っていると噂では聞く。僕には冗談だとしか思えない。彼の書く歌詞には、確かに含蓄のある素晴しいものが多いけど、ディランはやはりロック・ミュージシャンだ。言葉の意味ではあまり勝負していない。ディランの歌詞集なども出版されてはいるけどさ。

 

 

音楽の説得力とは、歌詞の意味にあるのではなく、やはり(メロディやリズムなども全て含んだ意味での)サウンドや歌手の歌う声の魅力にあるんだろう。そうじゃなかったら、歌詞の意味が全く分らないパキスタンの歌手ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを聴いて、強い感動は覚えないはずだ。

 

 

僕の場合、日本語と英語の歌しか知らなかった頃からそうだけど、その後ワールド・ミュージックを聴くようになり、歌詞はもちろん曲名の意味も分らない音楽を聴くようになったから、一層この考えが強くなった。最初にキング・サニー・アデを聴いた時に体に電流が走った、あの感覚を大事にしていきたい。

 

 

僕がこうしていろいろと書いてきたことは、完全に僕個人の考えにすぎないので、歌詞の意味を大切にしながら聴いているファンの方々や、意味を伝えようと真剣にやっている作詞家や歌手の方々に、これを押しつけるつもりは毛頭ない。ヘンだなとは思うものの、それも音楽の一つのあり方ではあるだろう。

 

 

ただ、一般のいちシロウト・リスナーの僕個人としては、ロック音楽小説『グリンプス』の最初の方のページに出てくる「ロックというものは歌詞の意味ではなく、ギターやドラムスのサウンドで、なにかを語るものなのだ」という、誰だったか忘れたけど音楽批評家の言葉に、全面的に同意しているだけなんだよね。

 

 

そういうわけだから、サウンドじゃなく歌詞の意味でモノを言うジャンルであるシャンソンとかフォークとかは、大胆にアレンジされてサウンドが面白いことになっているものを除き、今では殆ど聴かなくなった。

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