カルカベの鳴る砂漠のブルーズ
昨年2015年暮れリリースの新作が今年初めになって日本でも買えるようになったティナリウェン。その新作『ライヴ・イン・パリ』も素晴しかったけれど、それについては荻原和也さんが紹介なさっているので、僕はもうなにも言わないことにしよう。
さて、今までのティナリウェンの曲で僕が一番好きなのは、『アマン・イマン』10曲目の「タマタント・ティレイ」だ。理由ははっきりしていて、この曲ではなぜかカルカベの音が聞えるから。 ティナリウェンの曲でカルカベが聞えるのはこれだけ。
いわゆる砂漠のブルーズに分類される音楽で、カルカベが入っているのは、僕はこの「タマタント・ティレイ」以外知らない。ご存知の通りカルカベという鉄製カスタネットは、北アフリカはモロッコのグナーワで使われる楽器で、グナーワ以外でもマグリブ音楽では使われる。
砂漠のブルーズはマグリブ音楽ではない。マリなどを拠点とするトゥアレグ族達が中心の音楽だ。といってもティナリウェンの場合は、元々リビアのカダフィ大佐のキャンプで知合った仲間達と同地で結成されたバンドらしいけれど。でも活動地はやはりサハラ以南だよなあ。音楽的にもマグリブ的なところはない。
『アマン・イマン』の一曲でだけなぜカルカベが入っているのか、ティナリウェン側の着想なのか、それともプロデューサーであるジャスティン・アダムズ側の着想なのか分らないけれど、音を聴く限りでは大成功だ。カルカベが入っているといってもマグリブ的な雰囲気は皆無だけど。
カルカベがマグリブ音楽以外でこうやって効果的に使われているのは、僕はそんなに世界中の音楽をたくさん聴いているわけじゃないから、他にあるのかどうか全く知らないけど、ティナリウェンの「タマタント・ティレイ」は意外な感じだ。ドラマーのいないバンドだけど、リズムのいいアクセントになっている。
ドラマーはもちろん、そもそもティナリウェンに打楽器奏者は少ないというか殆どいない。打楽器奏者がいても常にシンプルで、あとは手拍子。だからなのかどうなのか、ティナリウェンに惚れ込んだ僕が、英米のロックやソウルやファンク等を中心に聴く友人に勧めても、ピンと来ない人が多いみたい。
僕だって長年ドラムスが派手に入る音楽を、ワールド・ミュージックを聴くようになってからも愛聴してきたし、アフロ・ポップの多くがそうで、サリフ・ケイタやユッスー・ンドゥールのバンドにもドラマーがいるし、ある時期以後惚れ込んだONBやグナワ・ディフュジオンにももちろんドラマーがいる。
それでもティナリウェンは最初に聴いた瞬間から一発で虜になってしまったのだから、分らないもんだ。ドラムスが入っていないから物足りないと感じたことは一度もない。そういう印象は最初から全く受けなかった。数本のエレキ・ギターとヴォーカル中心の音だけで充分満足できるグルーヴ感があるからなあ。
僕はティナリウェンを独力で見つけたわけでは全然ない。2004年の二作目『アマサクル』の国内盤が出て、これがその年の『ミュージック・マガジン』年間ベストテンのワールド・ミュージック部門第一位になっていたのを読んだのがこのバンドを知った最初。早速『アマサクル』を買って聴いた。
そうしたら一曲目の「アマサクル・ン・テネレ」が、これがもう最高にカッコイイのでKOされちゃった。こういう音楽はそれまで殆ど聴いたことがなかったはず。複数のエレキ・ギターが織成すカラフルな絡みなら英米にもたくさんあるし、歌のコール&リスポンスだって珍しいものじゃなかったのに。
だから、この「アマサクル・ン・テネレ」のなにが一体そんなに新鮮に響いたんだろうなあ。あのミドル・テンポのグルーヴ感だったんだろうか。今聴直してみてもやっぱり最高だ。今までのところのティナリウェンのベスト・トラックだと思う。この二作目『アマサクル』で一気にブレイクしたしね。
『アマサクル』で世界中で知られるようになる前に、2001年にデビュー作『ザ・レイディオ・ティスダス・セッションズ』がある。今聴直すとこれだってそんなに悪くないというか、『アマサクル』で開花するティナリウェンの音楽性の基本は既にはっきりと存在している。
ただ『ザ・レイディオ・ティスダス・セッションズ』の音楽は、まだちょっとスパイスが足りないというか、なにかが欠けているような気もするね。先の『アマサクル』一曲目のような、一瞬で聴き手を虜にしてしまって離さない麻薬的中毒性はない。かなり地味というかまだ祖型にとどまっているような感じ。
でも打楽器奏者なしで複数のエレキ・ギターがカラフルに絡み合い、そのテクスチャーの上でリード・ヴォーカルを中心にコール&リスポンスを繰広げたりといった、このバンドの基本形はちゃんとできているんんだよなあ。もっとも僕だって『アマサクル』がいいから興味を持って買ったみただけだけど。
今までのところティナリウェンのベストは、おそらく2004年の『アマサクル』か2007年の『アマン・イマン』のどちらかということになるんだろう。これ以後のスタジオ録音は『イミディワン』『タッシリ』『エンマー』と三作品あるけど、やはりこの二つを超えてはいないように思うし、この二つを一番よく聴く。
『アマサクル』に関しては、書いたように『ミュージック・マガジン』誌の年間ベストテンで知った後追いだったけど、それ以後はリアルタイムで買うようになったから、『アマン・イマン』が出た時は、同誌で確か小出斉さんが詳細な紹介記事を書いていたような記憶がある。小出さんもベタ褒めだった。
ブルーズ・ライターの小出さんだけど、ブルーズ系の英米ロックについてもたくさん文章があるし、ティナリウェンはいわゆる砂漠のブルーズに分類されるということで、小出さんに執筆依頼が行ったんだろう。彼がワールド・ミュージックのアルバムに関する記事を書いているのは、僕は他では見ない。
そもそも「砂漠のブルーズ」っていつ頃誰が言出した表現なんだろう?僕は書いたようにティナリウェンの『アマサクル』がこの種の音楽を聴いた初で、この言葉もその後このバンド関連で知ったけど、詳しいことは分らない。ロバート・プラントなど英ロック系音楽家が強い興味を抱いているとかなんとか。
上で触れた『アマン・イマン』のプロデュ−サー、ジャスティン・アダムズが英ロック・ミュージシャンだし、ちょっぴりワールド路線もあるロバート・プラントのソロ作にも参加している。アダムズが2000年から<砂漠のフェスティヴァル>を開催している辺りが、そもそものはじまりなのだろうか?
ティナリウェンの2011年『タッシリ』は高く評価する人も多くて、僕もその評価には納得してはいるんだけど、元々複数のエレキ・ギターが絡み合うサウンドが大好きなバンドだから、アクースティック・ギター中心のこのアルバムのサウンドは一度目に聴いた時に馴染めなかったし、それ以後もそんなに好きではない。
その次の2014年の『エンマー』は再びエレキ・ギター中心のサウンドに戻っている。大のティナリウェン・ファンというか虜になってしまっている僕なので、下位とはいえその年の年間ベストテンに入れたし、中身も素晴しいアルバムだったように思う。個人的には前作『タッシリ』よりも好きだ。
今後もっともっと優れたスタジオ・アルバムを創ってくれる可能性が大いにある現役バンドのティナリウェンだけど、そういうわけだから今のところは、やはり『アマサクル』と『アマン・イマン』中心に繰返し聴いている僕。いわゆる砂漠のブルーズは他に面白いものがあるけれど、このバンド以上に麻薬的中毒性を持つ存在は僕はまだ聴いたことがない。
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