特別ゲストは、マイルス!
『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』というCDがある。オリジナル・アルバムではなくコンピレイション盤だけど、ユニヴァーサルから出ているれっきとした公式盤(日本盤)だ。これは1981年復帰後のマイルス・デイヴィスが他の音楽家のアルバムにゲスト参加した曲ばかり集めたもの。
1975年の一時隠遁までは他人のアルバムに客演するということはまずなかったマイルスだけど、81年の復帰後はそういうゲスト参加で吹いたものが結構ある。きっかけは85年の『サン・シティ』という、南アフリカの当時のアパルトヘイトに反対する音楽アルバムに参加したことだった。
アルバム『サン・シティ』では、一曲だけ「ザ・ストラグル・コンティニューズ」という曲に参加し、往時のリズム・セクション、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムズその他と共演している。といっても、トランペットをオーヴァー・ダビングしたもので、実際に顔合せはしていない。
マイルスは1986年ワーナー移籍後の第一作が『TUTU』というタイトルだし、そうでなくてもアメリカ黒人である彼が、アパルトヘイト反対が主旨のアルバムに参加するのは不思議なことではないはず。そうではあるけれど、かつてのマイルスは音楽の場に政治を持込むのを嫌ってはいたんだけどね。
確か1960年代初頭のことだったはずだけど、マイルスのカーネギー・ホールでのコンサートの最中に、マックス・ローチが人種差別に反対するかなにかのプラカードを掲げて客席からステージに上がろうとして、それに腹を立てたマイルスは、演奏を中断して袖に引っ込んでしまったことがあった。
後年この事件のことについてマイルスは、マックス・ローチの主張は理解できるけど、自分のライヴ・ステージにそれを持込まれるのは迷惑千万だったのだと語っている。曖昧な記憶だけど、ひょっとしたら実況録音盤にもなっている1961年5月のギル・エヴァンスとのコラボ・コンサートだったかもしれない。
そういうマイルスは1975年の一時隠遁までは、自分の音楽でも政治的・社会的メッセージ色の濃い曲やアルバムを発表したことはない。チャールズ・ミンガスやマックス・ローチなどとはその辺は大きく違う。音楽の場を離れさえすれば、マイルスも同じような考え・主張を持っていたとは思うのだが。
僕もそういうことをよく知っていたので、1985年の『サン・シティ』へのマイルスの参加は、やや意外な感じがしたのだった。そしてこれで歯止めがなくなったというか抵抗がなくなったのか、これ以後(政治的メッセージ色というのではなく)、他人のアルバムにどんどん客演するようになっていく。
『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』には、そういう客演曲は五曲しか入っていないので、もちろんマイルスの他人への客演曲の全部ではない。このCDの残り八曲は、ジャック・ニッチェがスコアを書きジョン・リー・フッカーやタジ・マハールなどと共演したサントラ盤『ホット・スポット』から。
前半五曲も、TOTOの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、チャカ・カーンの「スティッキー・ウィッキト」、カメオの「イン・ザ・ナイト」、ケニー・ギャレットの「ビッグ・オ・ヘッド」、シャーリー・ホーンの「ユー・ウォント・フォーゲット・ミー」で、僕はそれら全部持っているので買う必要もなかったんだけど。
『ホット・スポット』も単独のサウンドトラック盤CDを持っているし。なお、ジョン・リー・フッカーやタジ・マハールとマイルスが「共演」しているというか同時に音が聞えるけれど、全部オーヴァー・ダビングによるもので、実際にスタジオで顔合せはしていないははず。以前も書いた通りジョン・リー・フッカーが一番いい。
1985年以後のマイルスによる他人の曲へのゲスト参加は、他にもスクリッティ・ポリッティの12インチ・シングルに一曲、サントラ盤『スクルージド』に一曲、マーカス・ミラーのアルバムに一曲、クインシー・ジョーンズのアルバムに一曲、サンタナと一曲、フォーリーのアルバムに一曲など。
それらはほぼ全て単発的なもので、その後のマイルスのライヴ・ステージで定番化したのは、TOTOの『ファーレンハイト』ラストの一曲「ドント・ストップ・ミー・ナウ」だけ。これはインストルメンタル曲だから自分のバンドでもやりやすいだろうし、実際よく演奏していて公式アルバム収録もある。
マイルス・バンドによる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」で公式盤収録されているものは、20枚組の『ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー』の1988年のと1990年のものの二つだけ。アレンジはTOTOのヴァージョンとほぼ同じだけど、どっちも七分以上の長さになっている。TOTOのオリジナルは約三分。
ブートなら一枚物CDもあるけれど、それは入手しにくいだろからなあ。YouTubeで探すと少し上がっているようなので、それをお聴きいただきたい。マトモなのはこれくらいしかないみたいだ。 もっといい演奏がいくつもあるんだけどなあ。
「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のオリジナルであるTOTOの『ファーレンハイト』は1986年のアルバムで、マイルスは自分のバンドで88年からやっているようだから、88年以後の来日公演で僕も生で耳にしたのかもしれないが、全く記憶がない。
これ以外の客演曲はだいたいどれもヴォーカル入りだから、専属ヴォーカリストのいないマイルス・バンドでのライヴ演奏はちょっと難しかった。しかしながら、カメオのアルバムに客演した「イン・ザ・ナイト」だけ、前述の20枚組モントルー・ボックスの1990年のものに入っている。
その1990年モントルーでの「イン・ザ・ナイト」では、ギター(リード・ベース)のフォーリーとベースのリチャード・パタースンがヴォーカルを担当している。ヴォーカルといっても、この曲はカメオのオリジナルからして本格的な歌ではなくバック・コーラスみたいなもんだから、可能だったんだろう。
「イン・ザ・ナイト」、この1990年のモントルーでの演奏が公式盤収録されているということは、おそらく当時他の場所でもやっていたんだろうと思うんだけど、YouTubeで探してもそういうものは上がっていない。カメオのオリジナルはこれ。
『スペシャル・ゲスト・イズ...マイルス』というCDは、五曲だけとはいえ、そういったいろんな客演音源をまとめて続けて聴けるので、僕はまあまあ楽しいんだよね。他のも全部まとめてくれたら嬉しいんだけど、全部1986年以後とわりと最近だし全部レーベルも違うので、難しいんだろうなあ。
関係ない話だが、この文章を書くためにモントルー・ボックスの1988年以後を聴直したけど、この時期のマイルス・バンドのライヴ・レパトーリーで一番好きなのは、「ヘヴィ・メタル・プレリュード」〜「ヘヴィー・メタル」だなあ。タイトル通りハードでメタリックな曲で、フォーリーがジミヘンばりに弾きまくる。
「ヘヴィ・メタル・プレリュード」〜「ヘヴィ・メタル」は1988年の来日公演、僕が観た人見記念講堂でのライヴでも演奏されていて、当時は曲名もなにもかももちろん知らない「新曲」だったんだけど、かなり印象的だったのではっきり憶えている。公式盤ではそのモントルー箱の88年でしか聴けない。
「ヘヴィ・メタル」、YouTubeにはこれしか上がっていない。データが書いてないけれど、ベニー・リートヴェルド(ベース)とマリリン・マズール(パーカッション)が見えるので、1988年だね。
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