音と映像
動く映像なんか存在せず写真が少し残っているだけの古い時代の音楽の方が好きなせいかもしれないが、動画を伴う音楽作品はあまり見聴きしない僕。それでもライヴ・コンサートを収録したものは結構楽しんできたんだけど、それすら最近は観聴きするのが減ってきて、これがイメージ映像みたいなものだともう全然見ない。これは多分僕がレコードとそれを聴かせるジャズ喫茶で育ったせいもあるんだろう。
昔はライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品などは、なかなか一般的には入手できなかった。というかVHS(βでもいいけど)そのものすら一般家庭には普及していない時代に僕は育ったので、ライヴ・コンサートやその他の演唱シーンは、テレビで流れるのを観るくらいしかなかったもんなあ。
だから当のライヴ・コンサートに出掛けていくしか体験する方法が殆どなかったのだ。以前ちょっと触れたけど、レコードで聴いて頭の中にできあがったイメージが壊れるのが嫌だという理由で、なかなかライヴに行こうとしないファンだって昔は結構いたもんなあ。
何度もしつこく書くけど、僕は1979年に熱心な音楽ファンになったという、僕の世代にしてはやや遅れてきたファンだけど、その時点ですら映像作品はなかなか市販品がなかったもんね。当時松山に住んでいて、憧れの外国人ミュージシャンがライヴで来ることも少なかったので、これはなんとも悔しかった。
だからライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品が現在みたいにたくさんあれば、僕の音楽人生もちょっと違った具合になっていたかもしれないなあ。高校〜大学の頃は、ほんの少数松山に来るアメリカ人か日本人ジャズマンのライヴに行く以外は、もっぱらジャズ喫茶か自宅でレコードだけを聴きまくる日々だった。
というわけなので、もっぱらレコードから出てくる音だけを聴いて、あとはジャズ雑誌や書籍に載る写真などを参考にしながら、頭の中だけで想像を逞しくするというのが、僕(と同世代かもっと上の世代の)音楽に関する映像の楽しみ方で、おかげで音だけを聴いて映像を思い浮べるのが得意になった。
その頃からジャズでもなんでも、スタジオ録音作品よりライヴ盤の方が断然好きで聴きまくっていたから、ステージ上での演奏シーンは、今でもCDでライヴ盤を聴きながら、それを頭の中で思い浮べながら聴く。誰でもそうだろう。ライヴを観たことのない音楽家でも、写真で見る顔や演奏風景などを頼りに想像していた。
大学生の頃にMTVというものが登場して、これはアメリカで1981年に開始された音楽映像作品専門のケーブル・テレビ局。日本でも直後にそれを地上波テレビ局で(その頃はまだケーブル・テレビは日本では普及していなかった)よく流していた。その頃からは一般に音楽の聴き方がだいぶ変化したはず。
プロモーション・ヴィデオ(PV)なる言葉だって、そのものの存在自体は文字通り音楽作品の販促ヴィデオだから、かなり前から音楽業界に存在していたはずだけど、一般のファンに馴染のある言葉になるのはMTV以後だ。その頃からミュージシャンもMTVで流れるのを前提にPVを作り始める。
大学生の頃にMTVで観て今でも一番よく憶えているのは、ピーター・ゲイブリエルの「スレッジハンマー」とマイケル・ジャクスンの「スリラー」。特に後者は、LPアルバム『スリラー』収録の曲よりもはるかに長尺の物語風短編映画になっていて、何度も繰返し放送されて人気があった。
エピックに移籍した『スリラー』以後のマイケル・ジャクスンと、同じような時期に人気が出たマドンナの二人は、おそらくMTVによってというか自らMTVを最も活用して、スターダムにのし上がった歌手だろう。それ以後はほぼ全ての音楽家が似たような手法を採るようになった。
MTVなどで流れる音楽映像作品のなかには、演唱シーン(の当て振り)とかも多かったけど、なかには演奏とは無関係なイメージ映像みたいなものもたくさんあって、ピーター・ゲイブリエルの「スレッジハンマー」のPVはそうだったはずだ。はっきり言うとその手のPVは苦手だった。
音を聴いてどんな映像を思い浮べるかはリスナーの自由で、それこそリスナーの想像力が発揮される分野だろう。音についてすらここがこうなっていたらもっとよかったのにと自分の頭のなかでワガママ勝手に自動補正しながら聴いてしまう僕なんかには、最初からイメージ映像が付いてくるのは嫌だ。
もちろんライヴ・コンサートを収録したヴィデオ作品での演奏シーンや、スタジオ作品のPVで演奏シーンの当て振りをしていたりするのは、特になんとも感じないというか楽しめるんだけど、イメージ映像みたいなのが付いてくるのは、リスナーのヴィジュアル的想像力を最初から削いでしまうようなものだ。
だからはっきり言って余計なお世話だとしか感じていなくて、だんだん邪魔に感じるようになったので、ロックやポップス系の新曲を知りたいという目的以外では、ある時期以後MTVを見るのをやめてしまった。音を聴いてどんな映像を思い浮べるかくらいこっちの自由にさせてくれよな。
僕の場合、DVDなどでライヴ・コンサートを収録したのを観るというのにすらあまり積極的ではない。理由の一つには、音だけLPやCDなどで聴くのと違って、耳も目も両方集中しなくてはならないというか拘束されてしまうので、音楽を聴きながら他のことができにくいのがやや不自由に感じるというのもあるんだろう。
だから、音楽家もライヴDVDをリリースするのもいいけれど、僕なんかは同じものを音源だけCDでも出してくれたら有難いのになあと思ってしまう性分の人間なのだ。それでもDVDでしか聴けない音源も多いから、仕方なくDVDを買うけれど、多くの場合一回しか観ず、あとは音データだけリッピングする。
例えば2003年リリースのレッド・ツェッペリンの二枚組『DVD』。これの一枚目に入っている1970年11月のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ12曲は、おそらく彼らの公式ライヴ音源のベストに違いないのだが、これも単独で音源だけCDなどでは出ていないので、やはり音データ部分だけリッピングしているもんね。
ライヴDVDからMacに音源部分だけリッピングしてiTunesに取込んで、それをCDRに焼いてオーディオ装置で聴くという、おそらく創り手からしたら制作意図に完全に反する僕は全く嬉しくない顧客なんだろう。もうこれはどうにもならない体に染着いた習慣で抜けない。
インターネットが普及してYouTubeなどの動画共有サイトが一般的になってからは、ファンも音楽家本人もそれを活用することが急増した。新曲のPVをいち早くYouTube等で公開する音楽家やレーベルもあって、僕もそれで随分助かっている。いろんな未知の音楽家・歌手もいろいろと知った。
特にワールド・ミュージック系は、個人で現地ディストリビューターからの販路を開拓でもしない限り、ほぼ完全にエル・スールなど輸入CDショップのお世話になるばかりで、それでもCDがなかなか入手できず、しかし音源が何曲かあるいはフル・アルバムでYouTubeに上がっていることがあるもんね。
だから2015年最高の音楽作品だったヴェトナム人歌手レー・クエンの2014年作も2015年作も、CDが日本国内で買いやすくなる前にYouTubeでフル・アルバム聴けて嬉しかったのは事実。他にもこういう例は多い。しかしそれもこれも全部ダウンロードした後CDRに焼いて聴くんだよね。
つまりこと音楽に関しては、僕にとって必要なのは「音」だけなのだ。かろうじてパッケージ商品であるCD(やかつてはLPなど)に付いてくるジャケット写真やブックレット内側の写真などを眺める程度のことで、ジャケ買いというのは昔も今も多いけど、それは映像に頼るということでないだろう。
こういうのはMTVができたのが19歳の時で、ジャズ喫茶では言うに及ばずライヴ会場ですら目をつぶって聴くような客がいたりした、僕の世代くらいまでなんだろうなあ。僕より年下の40代半ば以下くらいの世代になると、映像がなかったり、あっても静止画だったりすると、つまらないという音楽ファンが結構いるもんね。
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ぼくも演奏を想像しながら生きてきちゃった方だけどね、PVじゃないんだけどさ、昔、読売ホールで見た「真夏の夜のジャズ」で動いているチャーリー・パーカーやエリック・ドルフィーを見て泣いたね。
想像するのも当然いいんだけど、昔からパーカーなんかの動画が見られる環境にあったら、アンブシュアや運指、間合いの取り方とかもっとみんな勉強になったろうね。
投稿: hideo_na | 2016/03/21 17:31
まあねえ、本文中で書いてあるように、そういう動画が昔からたくさんあったら、ひでぷ〜や僕らの音楽ライフも違っていたよねえ。僕の最大のアイドルはマイルスだけど、僕はひでぷ〜と違ってトランペッターじゃないから、1981年以後何度も何度も生で観たマイルスから、演奏法を学ぶということはなかったんだけどね。でも生で観られて、そりゃもう天にも昇る嬉しさだったさ。
まあでも僕らはかえってその分「音」だけに真剣に向合って。一音たりとも疎かにすまいと聴き込んできたわけだけどね。どっちがいいのか、よく分かんないよ。
ところで、僕はマイルスが最大のアイドルなのに、どうしてひでぷ〜みたいにトランペットをやらなかったんだろう?
投稿: としま | 2016/03/21 17:56
そりゃ、ぼくがパーカー好きなのにラッパ吹いてるみたいなものだろ。
ラッパはじめたときには、すでにパーカーはこの世にいなかった。それでもパーカーの相棒としてラッパがやりたいという欲求があったね。パーカーが凄すぎて、自分がパーカーを追随する気なんて起こらなかったんだ。
とんちんは、マイルスが好き過ぎて楽器やるより聴き惚れたって感じじゃないの?
投稿: hideo_na | 2016/03/21 18:17
マイルスみたいにトランペットが吹けたらいいなと思ったことは一度もないんだよね。みんなそうじゃないかな。その証拠に、ディジー・ガレスピーやクリフォード・ブラウンやリー・モーガンなんかの真似をする人はいろいろいるのに、マイルスのフォロワーって一人も出てこないじゃん。ああいうのは、リズム・セクションがよほど立派じゃないと成立しないスタイルだもんね。一人で真似ようとしても無理なんだ。
投稿: としま | 2016/03/21 18:28
ウォレス・ルーニーっているなぁ、マイルス好きなペッター…。
何から何まで残念過ぎて昔CD買って後悔した…。
誰かのブログ、貼り付けとくよ。
ウォレス・ルーニー(どんだけマイルス!?) - whisper's jazz http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1320010/1334398/79872289
投稿: hideo_na | 2016/03/21 18:35
ウォレス・ルーニーがマイルスに似ちゃったのは、1991年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで、往年のギル・エヴァンスのスコアを、クインシー・ジョーンズ指揮のオーケストラで再現しようとして、その際マイルス一人じゃもう無理だったので、影武者役としてウォレスも同席させて起用してからなんだよね。
投稿: としま | 2016/03/21 18:52