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2016/03/27

サッチモとブルーズ

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同じようなことばかり何度も書いて申し訳ないけど、第二次大戦前の古いジャズとブルーズはまだ分離していないというか不可分一体になっていて、それも僕が戦前ジャズに惹かれる大きな理由の一つ。これは戦前ジャズをたくさん聴いているファンの方ならみなさんご存知のことだろう。

 

 

これはよく言われる「ブルーズはジャズの重要な発生要因の一つだった」ということとは違う。そもそも19世紀から20世紀の変り目あたりにジャズが産まれた時、その構成要因にブルーズはなかった。このことはどうもやや勘違いされがちなんじゃないかと思う。

 

 

以前も書いた通り、誕生時のジャズは元々は南軍由来の管楽器を使ってのホーン・アンサンブル、つまりブラス・バンドだった。ということは西洋由来の音楽なのであって、よく言われる「ヨーロッパ的要素とアフリカ的要素との合体」によってジャズが誕生したというのは間違っていると僕は思っている。

 

 

ジャズが産まれた当初は南部の黒人は自分で楽器を買える人がまだ少なかったらしい。ニューオーリンズで誕生当時のジャズを担っていたは黒人と言うよりクリオールだった。奴隷解放以後はクリオールも黒人の一種となってしまったわけだし、ジャズは奴隷解放後に産まれた音楽ではあるけれどね。

 

 

ニューオーリンズのクリオール達の文化は、アフリカ由来の血が流れているとはいえそんなに黒くはないというか欧州白人的な文化だったようだ。誕生当時のジャズを担っていたのはそういう白い文化の持主達だったのだ。その当時の録音というのが残っていないので音では検証できないけどね。

 

 

最近はジャズの発生を「ヨーロッパとアフリカの融合」的な視点から考えるよりも、むしろアイリッシュ・ミュージックや欧州大陸のブラス・バンドなどと関連づけて考える視点がかなり出てきているようで、それはそれで喜ばしいことだろう。初期ジャズがそんなに黒くないように感じるのはそのせい?

 

 

そんな具合で発生当時のジャズにブルーズはなかったのではあるけれど、しかしそれでもほぼ同時期か少し前に誕生していた黒人ブルーズを誕生直後のジャズは取込んで、すぐに必要不可欠で重要なファクターにしたというのは間違いない。本当に早かったので最初からあったように思っているだけ。

 

 

そしてジャズメンによるレコード吹込みがはじまる1910年代には、既にジャズにおけるブルーズは完全に切離せない要素となっていたので、録音で辿る限りでは最初からジャズとブルーズは不可分一体なのだ。そしてブルーズが本来持っている猥雑さを感じる戦前ジャズこそ僕には一番魅力的な音楽。

 

 

ジャズ初期のというより全ジャズ界で最大の巨人であるルイ・アームストロングの1920年代録音には、ご存知の通りブルーズ形式の曲がかなり多いというかそればっかりで、曲名も「なんちゃらブルーズ」というものが相当ある。特に独立後ソロで活動をはじめた1925〜27年の録音はそうなのだ。

 

 

この頃のサッチモの音源には生粋のブルーズ・ファンでも惹き付けられるはず。ご存知の通りサッチモは主に1920年代にいわゆるクラシック・ブルーズの女性歌手の伴奏を実に数多く務めている。僕は『ルイ・アームストロング・アンド・ザ・シンガーズ』という四枚セットのCDを持っている。

 

 

そのバラ売り四枚のCDセット、マ・レイニーやベシー・スミスをはじめ有名・無名取揃えてクラシック・ブルーズの歌手の伴奏を務めたサッチモの全音源を録音順に集大成したものだ。これはかなりの愛聴盤なんだけど、聴くと分るのは、歌手達もサッチモもジャズとブルーズの区別などしていないこと。

 

 

そのCD四枚を聴くと、サッチモが主役の歌手以上に雄弁でトランペットで実によく歌っている。以前ベシー・スミスについて書いた時に、脇役のはずなのに主役を食わんばかりの存在感を示すサッチモの伴奏をベシーは好きじゃなかったらしいと書いたけど、他の歌手もそうだったかもしれない。

 

 

いわゆるクラシック・ブルーズでサッチモが伴奏を務めたものは、大学生の頃はベシー・スミスしか知らなかったんだけど、CDで全四枚分もあるとはやや意外というか嬉しいというか。マ・レイニー、マギー・ジョーンズ、クララ・スミス、トリクシー・スミス、バーサ・チッピー・ヒル、シッピー・ウォレスなどなど、全90曲計四時間以上、楽しくてたまらない。

 

 

余談だけどこの四枚を聴いていると、サッチモの吹く音が時々1970年代マイルス・デイヴィスの電気トランペットみたいに聞えることがあるんだけど、おそらくワーワー・ミュートを付けている音なんだろうなあ。20年代のクラシック・ブルーズを聴いて70年代マイルスを連想するとかヘンかもしれないけど、70年代マイルスってのは要するにそういうことだよな。

 

 

1920年代にはジャズと都会のブルーズの区別はもはやつけられない状態にまでなっていた。むろん同時期のカントリー・ブルーズなどは、これはまた違った音楽だけど、ニューオーリンズやシカゴやカンザス・シティやニューヨークといった都会で発展・洗練されたブルーズはジャズと不可分のものだった。

 

 

それはもっぱら同時代のジャズメンが伴奏者だったいわゆるクラシック・ブルーズの世界だけの話じゃないのかと言われそうだけど、ちょっと違うんだなあ。例えばサッチモの1927年録音「ホッター・ザン・ザット」には、ブルーズ・ギタリストのロニー・ジョンスンが参加していて全く違和感がない。

 

 

ロニー・ジョンスンはブルーズ・ギタリストではあるけれど、ジャズの世界にも片足突っ込んでいるような音楽性の持主だったので、サッチモのバンドとの共演もソツなくこなすことができたのだろう。サッチモのスキャットと互角に渡り合い、大変スリリングだ。

 

 

 

戦前のブルーズ・ギタリストではテディ・バンなんかもジャズと区別できない音楽性の持主だ。ジャイヴ・ギタリストと言われることもあるテディ・バンはおそらくブルーズ・ファンが愛聴していると思うんだけど、ジャズ・ファンで彼を好んで聴く人って今どれくらいいるんだろう?かなり少ない気がするね。

 

 

サッチモとかはピュア・ジャズというか芸術ジャズというかそういう世界の巨匠だと見做されているわけだけど、僕に言わせればピュアでも芸術でもなんでもないね。芸能であり聴き手を楽しませることだけを念頭に置いてひたすらそれを追求したエンターテイナーに間違いない。

 

 

そういう芸能性というかエンタテイメント性を、ビバップ以後のモダン・ジャズはかなり失ってしまった。失ってしまったがゆえに、逆にかえってある意味より多くの(芸術嗜好の)ファンを獲得できもしたわけだ。それが悪いとは絶対に言えない。そういう種類の音楽としてモダン・ジャズは進んでいった。

 

 

悪いとは絶対に言えないのではあるけれど、現在の僕にとってよりチャーミングに響くのは、何度も書いている通りブルーズの猥雑さ・下世話さと不可分一体になっているビバップ以前の戦前ジャズの方なんだよなあ。そして戦前戦後全部含め米大衆音楽全体を見渡すと、そういう猥雑な音楽の方が主流だ。形式としてのブルーズ・ナンバーはモダン・ジャズでも相変らず多いけれど、猥雑さはほぼ完全に消え失せている。

 

 

(元々はジャズの一部から派生したはずの)リズム&ブルーズからロック・ミュージックが誕生し瞬く間にアメリカ大衆音楽のメイン・ストリームがジャズ系からロック系になったのも、ジャズが大衆にアピールできるエンターテイメント性を失って一部だけにウケる芸術になってしまったからだろう。

 

 

戦前、主に1920年代にたくさんブルーズをやりブルーズ歌手の伴奏もやったルイ・アームストロングはというと、戦後もW・C・ハンディ集を録音したり、まあそれは普通のジャズだけど、ジャズでもないようなポップ・ソングをたくさん歌い、また最晩年70年録音の『ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・フレンズ』でR&Bに接近し、R&Bアレンジの「ウィ・シャル・オーヴァーカム」やジョン・レノンの「ギヴ・ピース・ア・チャンス」をやったりしている。やっぱりサッチモはさすがだよなあ。

 

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