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2016年4月

2016/04/30

ラシッド・タハで知ったアラブ歌謡の名曲「ヤ・ラーヤ」

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アルジェリアの大歌手ダフマーン・エル・ハラシの名曲「ヤ・ラーヤ」。以前触れたように他の二曲同様、これもいろんな人がやっているのを集めたプレイリストを作って楽しんでいるんだけど、僕の場合この曲を知ったのは、同じ在仏アルジェリア歌手ラシッド・タハの『テキトワ』に入っていたからだった。

 

 

 

『テキトワ』は2004年だからかなり遅いよねえ。これに<ボーナス・トラック>と銘打って「ヤ・ラーヤ」が入っている。『テキトワ』が初めて買ったラシッド・タハのアルバムだったんだけど、どうしてこれを買ったかというと、ザ・クラッシュの「ロック・ザ・カスバ」をやっているからだった。

 

 

今日の文章の本題にはあまり関係ないのだが書いておくと、タハはザ・クラッシュのそれを「ロック・エル・カスバ」というタイトルでアラブ風にカヴァーしている。冒頭でネイのような笛の音が聞え、それがアラブ風の旋律を奏で、それに続いて出てくる本編はアラビアン・ロックとでも言うべき感触のサウンドだ。

 

 

 

そして『テキトワ』にボーナス・トラックとして入っていた「ヤ・ラーヤ」。これでこの名曲を知って惚れちゃったんだなあ。でもよ〜く思い出してみると、1998年のハレド+タハ+フォーデルの例のパリでのライヴ・イヴェント収録盤『1、2、3、ソレイユ』に入っていて、これはリリース直後に買っていたはず。

 

 

 

それなのにどうしてだか全く憶えていなかった。ホントどうしてだったんだろう?この曲は故郷を出たアルジェリア移民・放浪者・亡命者の賛歌的なものなんだから、そのパリでのライヴ・イヴェントでやるのは当然の流れ。だけどそういう曲だということはかなり後で知ったのだ。

 

 

とにかくその1998年に聴いた時は印象に残らず憶えてなくて、六年後のタハの『テキトワ』に入っているのを聴いて、なんて素晴しい曲なんだと感動したわけなのだった。それでタハの他のアルバムを買ってみると、『テキトワ』収録の「ヤ・ラーヤ」は『ディワン』収録ヴァージョンと同一だった。

 

 

そしてタハはこのシャアビの名曲「ラ・ラーヤ」を、一番最初は自身二作目の1993年のセルフ・タイトル・アルバム『ラシッド・タハ』でやっていた。ということはタハはそれ以後98年の『ディワン』にも2004年の『テキトワ』にも収録し、ライヴでも繰返し歌っているということになる。

 

 

タハの他のアルバムやカルト・ド・セジュールなども聴いてみたら、1998年の『ディワン』はルーツともいうべきアラブ回帰のような作品なのだと分り、だからその一曲目でダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」をやっているのも納得なのだった。だってアルジェリア大衆歌謡シャアビ最大の名曲だもんね。

 

 

タハは2006年にも続編『ディワン 2』を創っているよね。こっちもアラブ風味の強い作品だけど、サウンドは『ディワン』とはかなり違う。でもまあルーツ的と言えるんだろう。タハってトラディショナルな音楽家でもなく現代風アラブ・ロッカーとでもいうような人で、そういう作品が多いけれど。

 

 

タハはライヴでも繰返し「ヤ・ラーヤ」を採り上げて歌っていて、僕が知っている限りアルバム収録されているのは2001年の『ラシッド・タハ・ライヴ』のだけ。それがちょっと見つからないんだけど、ライヴでは繰返しやっていたからたくさんYouTubeに上がっているので、代りにこれを。

 

 

 

『ラシッド・タハ・ライヴ』での「ヤ・ラーヤ」は九分近くあって、それも含めアレンジというかスタイルは伝統的シャアビ・マナーに則ったもので僕は大好き。まあだけどあれだ、タハのヴォーカルというものはいつでもそうだけどニワトリの首を絞めたような発声だよねえ。

 

 

だからタハの歌は好き嫌いが分れると思うんだよね。僕は伝統的なものでも現代風なものでも彼の姿勢は非常に高く評価するけれど、あの発声だけはちょっと苦手なのだ。声が朗々と伸びるような発声じゃないし、アラブ音楽のコブシ廻しはやはり朗々とした声でやってくれた方がいいんじゃないかなあ。

 

 

そういう好みの問題はともかくとして、タハがスタジオ作でもライヴ作でも何度もやってくれているおかげで、21世紀の現代にもダフマーン・エル・ハラシの「ヤ・ラーヤ」は聴かれているんだろうと思うのだ。かくいう僕だってタハのヴァージョンで知ったんだからやはり恩人なんだよね。

 

 

タハは2007年のベスト盤『ザ・ディフィニティヴ・コレクション』にも「ヤ・ラーヤ」を、しかも一曲目に持ってきているくらいだから、やはりこだわりがあるんだろう。現代風ロッカーとしてのタハに興味を持ったファンが、こういうベスト盤からでも「ヤ・ラーヤ」を聴いてイイネと思ってくれたら嬉しい。

 

 

「ヤ・ラーヤ」がアルジェリアの歌手ダフマーン・エル・ハラシ(アムラーニ・アブデルラハマーン)の曲だということは分ったものの、しかしそのダフマーン本人のヴァージョンがなかなか聴けなかったんだなあ。僕が知ったのがかなり遅くてもう入手可能なCDがなかったということなのかどうなのか分らないけれど。

 

 

僕がダフマーン本人の歌う「ヤ・ラーヤ」のオリジナル・ヴァージョンを聴いたのは、田中勝則さん入魂の二枚組CDアンソロジー『マグレグ音楽紀行 第一集〜アラブ・アンダルース音楽歴史物語』のラストに収録されているのが初。これは2008年リリースだもんなあ。メチャメチャ遅かったけど素晴しかった。

 

 

 

その『アラブ・アンダルース音楽歴史物語』附属ブックレットの田中勝則さんの解説文によれば、パリにあるアラブ音楽世界研究所の出した『アルジェリア音楽集大成』(Trésors de la musique algérienne)にも、ダフマーンの歌う「ヤ・ラーヤ」がフェイド・アウトしているけれど入っているとあって、慌ててそれを取りだして聴直したというわけだった。

 

 

見てみたら『アルジェリア音楽集大成』、僕の持っているフランス盤は2003年のリリースになっているなあ。この時直後に買って何度か聴いたはずなのに、全然憶えていなかったなんてオカシイなあ。もちろんオカシイのは僕。

 

 

まあそれくらい『アラブ・アンダルース音楽歴史物語』の田中勝則さんの編纂ぶりが見事だったということなんだろうと一人で勝手に納得しておこう。マンドーラの伴奏に導かれ歌が出てきて、その後コーラスとストリングスが入ってくるというアレンジは、ラシッド・タハその他多くの音楽家が継承している。

 

 

「ヤ・ラーヤ」のいろんなヴァージョンを20個ほど集めてプレイリストを作り楽しんでいるけど、アラブ系音楽家はもちろんそれ以外の他のほぼ全ての人も、楽器を他のものに置換えなどはしても、アレンジのメロディや基本線はダフマーン・エル・ハラシのヴァージョンほぼそのままだ。

 

 

20個ほど持っている「ヤ・ラーヤ」のうち、ダフマーンのオリジナル以外のカヴァーで僕が一番いいんじゃないかと思うのが、オルケストル・アンダルー・ド・ディスラエルによるヴァージョン。誰が歌っているのか知らないが、素晴しく伸びやかな声だよね。

 

 

 

特にこのヴァージョンではヴォーカリストが中盤で歌詞のないメロディを即興で歌い廻している部分があって、そこでの朗々とした声の張りとアラブ風のコブシ廻しはもうたまらん。素晴しいの一言だ。国家体制としてのイスラエルは大嫌いだけど、イスラエルの音楽家には素晴しい人達がいる。

 

 

もう一つ面白いのが、以前も書いたギリシア人歌手ヨルゴス・ダラーラスのベスト盤に入っているヴァージョン。曲の題名が英語で「Even If Wanted You」になっているから聴いてみるまで分らなかったんだけど、紛れもなく「ヤ・ラーヤ」だ。アレンジだって前述の通りそのままだし。

 

 

「ヤ・ラーヤ」の歌詞のアラビア語は聴いてもさっぱり分らない僕だけど、田中勝則さん編纂の『アラブ・アンダルース音楽歴史物語』では「故郷を追われて」という邦題になっているから、やはりアルジェリアを出てフランスで活動するようになったダフマーンの望郷の歌なんだろう。だけどそれを超えた普遍的な意味合いを持ったものだよね。

 

 

それはそうと、ダフマーン・エル・ハラシが「ヤ・ラーヤ」を書いて最初に歌ったのは何年なんだろう?いくら調べても、紙でも電子データでもちゃんとしたことを書いてある情報に出会わない。そんなに古いことでもなく1970年代らしいんだけど。ダフマーンは1980年に亡くなっている。どなたか正確なことをご存知の方、教えてください!

2016/04/29

マイルスもよくパクる

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マイルス・デイヴィスの書いたオリジナル曲ではおそらく世界で一番有名な「ソー・ワット」。これはボビー・ティモンズの書いた「モーニン」のパクリなんじゃないかと前々から思っているんだけど、そんなこと誰も言わないし、僕は熱心なマイルス・ファンだし周囲にも信者が多かったので、遠慮して言ってこなかった。

でも間違いないよねと思いながら長年聴いていたら、五・六年前だったったけなあ、どなただったかプロのライターの方が全く同じことを書いているのをネット上で見掛けたことがある。

「モーニン」https://www.youtube.com/watch?v=Cv9NSR-2DwM
「ソー・ワット」https://www.youtube.com/watch?v=ylXk1LBvIqU

どうだろう?聴き比べたらテーマ部分のコール&リスポンスがソックリじゃないだろうか。他人の空似みたいなものとは思えない。アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」が入った同タイトルのアルバムは1958年10月発売。マイルスの「ソー・ワット」は翌59年3月録音だもんね。

だからマイルスは間違いなく「モーニン」を聴いていたはずだ。「モーニン」と「ソー・ワット」はピアノとベースの違いはあるものの、どっちもそれが主旋律(コール)を演奏しそれに続いてホーン・リフ(リスポンス)が出てくる。そのホーン・リフのリスポンス部分が「アーメン」に聞えるよね。

ボビー・ティモンズの書いた「モーニン」はゴスペル・タッチの曲だから、そのリスポンス部分は誰にだって「アーメン」に聞えるだろうけど、マイルスの書いた「ソー・ワット」の方だって僕には同じように聞えるんだよね。前者の発売が後者の録音より半年も早いんだからおそらく間違いない。

「ソー・ワット」は誰もそんなこと言っていないんだけど、ちょっぴりそんな風なゴスペル・タッチで黒くてファンキーな曲に聞えなくもない。この曲は一般的にはジャズにおけるモード手法を用いての作曲・演奏方法を確立した代表曲ということになっていて、実際そういう研究・分析のされ方しかされていないけどさ。

1970年代電化マイルスは僕は昔からファンク・ミュージックだと思っているから、もちろんどれもこれも殆ど全部真っ黒けなんだけど、それ以前からマイルスはよくファンキーなブルーズをやる人で、アルバムによっては片面そればっかりだったり。特に1950年代のアルバムにはブルーズ形式の曲が実に多い。

みなさんご存知の通りマイルスは黒人でしかもアメリカ黒人としてのプライドが非常に高く、場合によっては逆人種差別とも受取れるような発言を白人に対してしているものがある。しかしそれは全てインタヴューなどでのもので、こと音楽の場ではマイルスに人種意識は全くなかったと言っていい。

そもそも黒人にしては白い音楽性(はっきり言えば西洋クラシック音楽的な)の持主だったマイルス。雇ったミュージシャンだって白人がかなり多い。そもそもファースト・リーダー作品1949/50年録音の『クールの誕生』が白人ギル・エヴァンスとのコラボがメインで、同じく白人のリー・コニッツやジェリー・マリガンも参加している。

『クールの誕生』には一曲だけブルーズ形式の曲があって、かつてのアナログLPではB面ラストだったジョニー・キャリシ作曲のマイナー・ブルーズ「イズリール」(イスラエル)がそれ。しかしこれ、後のマイルスからは考えられない真っ白さで、アレンジもソロも全てどこを切取っても全く黒くないものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=gfqQVvA9LsI

もちろんチャーリー・パーカー・コンボ時代からたくさんブルーズを(特にサヴォイ録音で)吹いているマイルスだけど、その頃のマイルスはまだ自分の表現を確立しておらず全然魅力がないからあんまり参考にはならないんだなあ。ブルーズならかろうじて「ビリーズ・バウンス」と「ナウ・ザ・タイム」くらいがまあまあ聴けるかなと思う程度。

そして自分の初リーダー作で初めて録音したブルーズがジョニー・キャリシの「イズリール」だったわけだけど、やっぱり全然黒くないよねえ。ちなみにこの曲はいろんな白人ジャズメンがやっていて、ビル・エヴァンスの1961年作『エクスプロレイションズ』でもこれが一曲目。やはり当然真っ白けだ。
https://www.youtube.com/watch?v=WGdr93tnNMk

ビル・エヴァンスはどんなにファンキーなブルーズをやらせても真っ白けにしか演奏できないピアニストだから、これは当然。「イズリール」はその他ジェリー・マリガンも自分のビッグ・バンドで演奏している。それではマリガンが『クールの誕生』ヴァージョンのマイルスのソロをそのままホーン・アンサンブルにアレンジして再現している。
https://www.youtube.com/watch?v=Esa01Rxiik0

そんな具合で最初からかなり白い音楽性の持主だったマイルス。『クールの誕生』で白人リー・コニッツを起用したことについても、いろんな黒人仲間から「どうして白人なんか雇うんだ?」と言われ反論して「リー・コニッツみたいに吹けるサックス奏者がいるなら、肌の色が紫でも緑でも雇うぞ」と。

その後もカナダ生れの白人ギル・エヴァンスとの音楽的な深い交流は、ギルが1988年に亡くなるまで絶えることなく続いていたし、また多くの白人を自分のバンドのレギュラー・メンバーに雇い、そのなかには58年のビル・エヴァンスみたいに非常に強い影響をマイルスに残し続けたような人だっているわけだ。

そのビル・エヴァンスが『カインド・オヴ・ブルー』で一曲を除きピアノを弾いていて、しかも曲創りの面での貢献も大きかった。パクリの話に関連するとB面ラストの「フラメンコ・スケッチズ」。これはビル・エヴァンスの1958年作「ピース・ピース」そのまんまなんだよね。

「ピース・ピース」(Peace Piece)は1958年のアルバム『エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス』のB面二曲目。そしてそのアルバム・ジャケットには、エヴァンスを称賛するような言葉が他の数人のジャズメンのものと並びマイルスのものだって載っているんだよね。

ちょっと貼っておこう。
「ピース・ピース」https://www.youtube.com/watch?v=Q4R9l2AJ3og 
「フラメンコ・スケッチズ」https://www.youtube.com/watch?v=F3W_alUuFkA
これはパクリというものではないだろう。だって当のビル・エヴァンス本人が演奏に参加しているわけだから。

いつ頃だったか記憶がはっきりしないんだけど、マイルス自身が「フラメンコ・スケッチズ」はビル・エヴァンスの「ピース・ピース」を聴いて凄くいいと思ったから自分のバンドでも演奏してみたかったんだとインタヴューで発言していた。つまりパクリではなく直接のインスピレイション源だったいうことだ。

もちろんビル・エヴァンスの「ピース・ピース」は一つのモードだけに基づくピアノでの即興演奏なのに対し、マイルスの「フラメンコ・スケッチズ」はそれを冒頭でそのまま使うものの、演奏全体では五つのモードが出てきて、その四つ目がスパニッシュ・スケールであるフリジアン・ドミナント・モードだ。

その四つ目のスパニッシュ・スケールの部分があるために「フラメンコ・スケッチズ」の曲名があるわけだし、五つのモードを各人のソロで同じ順番で使い、それぞれのモードを使って演奏する長さも各人に任せるというのもマイルスの独創だから、この曲がビル・エヴァンスの「ピース・ピース」のパクリだ云々とは言えない。刺激されて創ったオリジナルだと言うべき。

まあしかし先ほど貼った両者の音源を聴いていただければ分るように、冒頭部分は同じビル・エヴァンスが弾くとはいえ、そっくりそのまんまで何一つ音も変えずに同一パターンを再現しているもんなあ。最初聴いた時こりゃ完全なるパクリじゃん!?マイルスよくやれたもんだな!と僕は思ってしまったくらい。

また人気の高いA面三曲目の「ブルー・イン・グリーン」。これは『カインド・オヴ・ブルー』ではマイルスとビル・エヴァンスの共作名義になっているけれど、実質的にはエヴァンス一人の作曲によるもの。実際エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』収録の同曲ではエヴァンスの名前しかクレジットされていないもんね。

ただし「ブルー・イン・グリーン」に関しては、マイルスがビル・エヴァンスに二つのコードを示して「この二つでなにができるか考えろ」とテーマを出して、それに基づいてエヴァンスが書いたものだから、マイルスもヒントは出したわけだ。そうなると<作曲>という行為の定義が難しいことになっちゃうね。

長くなりすぎてしまうので今日は『カインド・オヴ・ブルー』の話だけにしておくけれど、マイルスは終生結構いろんな他人の曲をパクって使っている。書いたようにかなり白い音楽性の持主だったのが1960年代末から黒くファンキーなものになるにつれ、ジェイムス・ブラウンら黒人音楽家からもいろいろとパクっている。

やめておくと言いながら最後に一例だけ挙げておくと、1970年4月録音の「イエスターナウ」(『ジャック・ジョンスン』B面)でのエレベ・リフは、ジェイムス・ブラウンの68年8月リリースのシングル盤「セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」からそのままパクっているもんね。
マイルス「イエスターナウ」https://www.youtube.com/watch?v=WfLvNwxnj6g
JB「セイ・イット・ラウド」https://www.youtube.com/watch?v=j0A_N-wmiMo

2016/04/28

エリントンのジャズ・ロック

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デューク・エリントン楽団の作品にジャズ・ロック・アルバムがある、なんて言うとごく一般のジャズ・ファンはエエ〜〜ッ!?と思うだろうけれど、『ニュー・オーリンズ組曲』のこと。これは1970年のアトランティック盤で、エリントンは74年に亡くなっているので最晩年の作品の一つ。

 

 

以前カウント・ベイシー楽団について、戦前ものに比べたら戦後ものはあまり聴いていないと書いたんだけど、エリントン楽団についても似たような感じでやはり1920〜40年代のSP時代の音源に比べたら、戦後のLPレコードでの作品はやはりどうもイマイチ聴き込みが足りない僕ではある。

 

 

それでも戦前から大活躍しているビッグ・バンドのなかでは戦後ものもたくさん愛聴しているナンバー・ワンがエリントン楽団なのだ。エリントンの場合もどう聴いても楽団のピークは1940年前後だったけれど、生涯を通して創造のレベルが落ちることがなく一貫して見事な作品を創り続けていたから。

 

 

エリントンは1924年にワシントニアンズ名義で初録音したというキャリアの持主にしては意外に(というと失礼だけど)戦後も新しい音楽の潮流を意識して自分の音楽に取込んでいた音楽家で、例えば60年代半ばにはサイケデリックな感じの作品があったりする。67年前後はサイケ全盛期だったからね。

 

 

そういう人だから1970年録音の『ニュー・オーリンズ組曲』でジャズ・ロックをやっていてもさほど驚くことはないんだろうけど、やっぱり最初に聴いた時は僕もビックリした。というのは大ウソで大学生の頃に最初にこのレコードを聴いた時はジャズ・ロックだなんて全然気付いていなかった。

 

 

というかそもそもその頃の僕は『ニュー・オーリンズ組曲』のどこが面白いのかよく分らなかった。最初に買ったエリントン楽団のレコードは以前も触れたように1963年録音73年リリースの『グレイト・パリ・コンサート』二枚組だったんだけど、それ以後は主に1940年頃のものばっかり聴いていたからなあ。

 

 

ブルージーでエキゾティックなジャングル・サウンドと西洋印象派風な作風が合体した1940年頃の一連のヴィクター録音こそがエリントンが残した最高の宝石だと信じていた。今でもそれは基本的に全く変っていないが、そればかり称揚するジャズ・ファンや評論家達の言い方だけでは捉えきれない音楽家だね。

 

 

エリントン楽団に印象派やそれ由来のモダンなハーモニーとサウンドを持込んだのは、どっちかというと主にビリー・ストレイホーンだったと僕は思っているんだけど、ストレイホーンは1967年に亡くなっている。そしてそれ以後のエリントン楽団はストレイホーン加入以前のサウンドに回帰しているような部分があるんだなあ。

 

 

このことは以前も詳しく書いたんだけど(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-0f67.html)1939年にビリー・ストレイホーンが加入する前、もっと正確には20年代の初期エリントン楽団のサウンドはかなりブルージーで、実際ブルーズ形式のナンバーも多く真っ黒けなサウンドなんだなあ。

 

 

その真っ黒けな初期エリントン楽団のサウンド・カラーを決定づけたのが、1926年頃に確立したジャングル・サウンドで、トランペットやトロンボーンといったブラス群がワーワー・ミュートを付けてグロウルする独特のエキゾティックで卑猥なもの。バッバー・マイリーやトリッキー・サム・ナントンなどが活躍した。

 

 

そこへ西洋印象派由来のモダンなハーモニーを(おそらく主に)ビリー・ストレイホーンが持込んで、エリントンはそれをストレイホーン以前に確立していたジャングル・サウンドと合体させて、あの「ジャック・ザ・ベア」「ココ」「コンチェルト・フォー・クーティー」など1940年録音の一連の大傑作に繋がった。

 

 

そのストレイホーンが1967年に亡くなって以後は、もちろん基本的にその路線はもはや抜きがたいエリントン・カラーなので継承はしているものの、1939年ストレイホーン加入以前の真っ黒けな黒人音楽路線に回帰したと考えられるアルバムがいくつかある。『ニュー・オーリンズ組曲』はその代表的存在。

 

 

なんたって一曲目の「ブルーズ・フォー・ニュー・オーリンズ」を聴いてみてよ。ここではアルバム中この曲でだけワイルド・ビル・デイヴィスがオルガンを弾いているんだけど、それがもうとんでもなく真っ黒けというかファンキーなんだなあ。エリントン楽団でこんなファンキー・オルガンは他では聴けない。

 

 

 

タイトル通りブルーズ形式の曲だからワイルド・ビル・デイヴィスのオルガンもブルージーでファンキーに煽りまくっていて、僕みたいに黒いサウンド信奉者にはこたえられない旨みを感じるんだなあ。ワイルド・ビル・デイヴィスはこの1970年頃エリントン楽団と行動をともにしていて、他にもオルガン弾いているものがある。

 

 

エリントン楽団でワイルド・ビル・デイヴィスがオルガンを弾く一番面白いものは、その「ブルーズ・フォー・ニュー・オーリンズ」以外では、昨2015年に発掘・リリースされた同じく1970年録音の『ザ・コニー・プランク・セッション』だ。二曲を3テイクずつ計6トラックだけで30分もないけど、凄く面白い。

 

 

ジャズ・ファンはコニー・プランクなんて名前は知らない人が多いだろうけど、ロック・ファンなら一連のクラウト・ロックものでお馴染みというか有名すぎるドイツのエンジニア/プロデューサー。エリントン楽団を録音していたなんてことすら僕は去年まで全く知らなかったからかなり驚いたんだよね。

 

 

その『ザ・コニー・プランク・セッション』でも前半3トラックの「アレラード」3ヴァージョンと後半3トラックの「アフリーク」3ヴァージョンの全てでワイルド・ビル・デイヴィスのファンキーなオルガンをフィーチャーしている。音楽的に面白いのは後半の「アフリーク」で特に3テイク目が凄い。

 

 

「アフリーク」の3テイク目は誰だか分らない女性ヴォーカリストもフィーチャーしていて、ワイルド・ビル・デイヴィスのオルガンとともに、こりゃなんなんだ?というジャズでもない正体不明の一種のプログレッシヴ・ロックみたいな演奏なんだよね。

 

 

 

こういうのを聴いてもやはりエリントンという音楽家はジャズマンじゃないだろう、と言うのが言い過ぎならばシンプルなジャズの枠に収りきらないかなり幅広い音楽性の持主だっただろうと思えるんだよね。それはクラシック音楽の側にというのではなくR&Bやロックの側に接近していると言うべきだ。

 

 

まあしかしクラシック・ファンにも多いらしいエリントン愛好家の大半は、こういうエリントンの音楽性を理解できないだろうなあ。一般の多くのジャズ・ファンだって理解していないはず。やはりR&Bやロックなどのファンの方がちゃんとエリントン・ミュージックの先進性を分っているだろうと思うし、実際今まで僕もそういうファンの方々に出会ってきた。

 

 

話がやや横道に入ってしまった。『ニュー・オーリンズ組曲』一曲目の「ブルーズ・フォー・ニュー・オーリンズ」。ワイルド・ビル・デイヴィスのオルガンだけでなく、この録音を最後に亡くなってしまうジョニー・ホッジズのアルト・サックスも大きくフィーチャーしていて、しかもリズムが8ビートだ。

 

 

ブルーズにおける8ビートのシャッフル・ナンバーは戦前からエリントン楽団は結構やっていて、それはやはりビリー・ストレイホーン加入前の1920〜30年代半ばまで。「ロック」という言葉をジャズ曲のタイトルに冠したおそらく史上初の作品「ロッキン・イン・リズム」(1931年)がその典型例。他にも結構ある。

 

 

というわけでいきなり一曲目の「ブルーズ・フォー・ニュー・オーリンズ」から8ビートのジャズ・ロック全開な『ニュー・オーリンズ組曲』。もっと明確にジャズ・ロックだと分るのが四曲目の「サンクス・フォー・ザ・ビューティフル・ランド・オヴ・ザ・デルタ」。これはもうブラス・ロックだね。

 

 

 

「サンクス・フォー・ザ・ビューティフル・ランド・オヴ・ザ・デルタ」はポール・ゴンザルヴェスのテナー・サックス・ソロをフィーチャーした8ビートナンバーで、一曲目の「ブルーズ・フォー・ニュー・オーリンズ」はブルーズだからシャッフルになるのは自然だけど、これはそうじゃないからなあ。

 

 

続く五曲目「ポートレイト・オヴ・ウェルマン・ブロウド」は、曲名通り1920年代初期エリントン楽団のベーシストに捧げたナンバーだけど、これも細かい8ビートをドラマーのルーファス・ジョーンズがシンバルで刻んでいるもんなあ。演奏全体は曲名通りウッド・ベースをフィーチャーしたものだけど。

 

 

 

「ポートレイト・オヴ・だれそれ」という曲は『ニュー・オーリンズ組曲』に四曲あって、ウェルマン・ブロウドの他にルイ・アームストロングとシドニー・ベシェとマヘリア・ジャクスン。「ポートレイト・オヴ・ルイ・アームストロング」でサッチモそっくりに吹くのはクーティー・ウィリアムズだろうね。

 

 

 

またポートレイトもののうち、アルバム・ラストの「ポートレイト・オヴ・マヘリア・ジャクスン」はノーリス・ターネイがフルートを吹くこれもまた8ビート・ナンバー。ノーリス・ターネイってこの時期のエリントン楽団でしか僕は聴いていないリード奏者なんだけど、フルートの音色は大変美しくていいね。

 

 

 

というわけでアルバムの全九曲中半分は8ビートのジャズ・ロック作品であるエリントン楽団の『ニュー・オーリンズ組曲』。残り半分は4ビートのジャズだけどそれも普通じゃない真っ黒けなフィーリングで、その濃密な黒さはR&Bに近いフィーリングだ。たくさんあるエリントンの『なんちゃら組曲』ものでは一番好きだ。みんなちょっと聴直してみて!

2016/04/27

英米スワンプ・ロック名盤二枚

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ロックにもいろいろあるけれど、米LAスワンプ勢を起用したUKロックが個人的には一番好きかもしれない。これは最近のことではなくかなり前からそうなのだ。どうしてそうなのかは自分でも分らないんだけど、一番最初に聴いたのはおそらくデレク・アンド・ザ・ドミノスの『レイラ』。

デレク・アンド・ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の1970年『レイラ』は、米LAスワンプ勢を起用したUKロック名盤のなかでは最初に好きになったもの。これも例によって(こればっかりで申し訳ない)ロック好きの弟が買ってきた二枚組LPを僕も借りて大学生の頃から愛聴していた。

『レイラ』では、最初はエリック・クラプトンとデュエイン(かドゥエインにしてくれ、「デュアン」表記はそろそろ撲滅してくれ)・オールマンの二人にしか僕は耳が行ってなくて、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの三人のことは殆どなにも分っていなかったし注目もしていなかった。

でも大いに楽しんでいたからなんとなくの米南部臭みたいなものは当時から感じていたということなのかそうでもないのかちょっと分らないなあ。この三人のアメリカ人リズム・セクションのことを自覚的に聴き意識するようになったのは、おそらく大学生の終り頃かもうちょっと後のこと。

意識するようになったきっかけはこれもクラプトン経由で知って買って聴いたディレイニー(これも「デラニー」表記はもうやめてくれ)・アンド・ボニー&フレンズの『オン・ツアー・ウィズ・クラプトン』だったように思う。このアルバムにはクラプトンの他デイヴ・メイスン、そして2001年のデラックス盤で初出のジョージ・ハリスンも参加。

そしてこれのリズム・セクションがまさにボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの三人だった。その他ボビー・キーズ&ジム・プライスという数年後にローリング・ストーンズのこれまたスワンプ・ロック名盤である『メイン・ストリートのならず者』に参加するホーン奏者も入っている。

さらにリタ・クーリッジも参加しているよね。リタ・クーリッジもスワンプ系ヴォーカリストと言っていいだろうけれど、個人的にはさほどの思い入れはない。個人的には彼女自身のアルバムよりも、ジョー・コッカーの『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』に参加していたり、あるいはマーク・ベノを起用したとか。

そのジョー・コッカーの1970年『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』は米LAスワンプ勢を起用したUKロックという意味では僕にとって理想的な一枚。これにもボビー・キーズ&ジム・プライス、そしてカール・レイドルやジム・ゴードン、そしてなによりリオン・ラッセルがいる。

そしてそのリオン・ラッセルこそロサンジェルスを拠点として活動した米スワンプ勢の総帥みたいな存在だ。彼はオクラホマ州タルサで活動をはじめたいわゆるタルサ・サウンドが出発で、ロックンロールとそのルーツでもあるブルーズ、R&B、ゴスペルなどを渾然一体とさせた音楽を創り出していた。

リオン・ラッセルがセッション参加した音楽家は挙げていくとキリがないと思うほど多い。ディレイニー&ボニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、エリック・クラプトンなどLAスワンプの影響をモロにこうむった人達だけでなく、グラム・パースンズ、フランク・シナトラ、レイ・チャールズもいる。

リオン・ラッセルが一般的に名を挙げるのはやはり1958年にロサンジェルスに移り住んで当地で活動をはじめ、その後1969〜70年頃ディレイニー&ボニー&フレンズの一員としてアルバムに参加してツアーに帯同し、さらに前述のジョー・コッカーが「デルタ・レディ」を録音してヒットさせてからなんだろう。

「デルタ・レディ」は当初ジョー・コッカーの1969年作『ジョー・コッカー!』に収録されたものだけど、翌70年のライヴ録音『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』でもやっている。この時のライヴの音楽監督的役割を果したのがリオン・ラッセルだった。名曲「スーパースター」もやっている。

「スーパースター」はもちろんカーペンターズでヒットした曲で、カーペンターズも好きな僕(意外だろうか?)だけど、『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』ではリオン・ラッセルのピアノに乗せてリタ・クーリッジが歌っている。カーペンターズ・ヴァージョンの方がいいようには思うけれどね。

先にリタ・クーリッジで忘れられないといえばと言ってマーク・ベノの名前を挙げた。といっても僕は有名な1971年の『雑魚』(Minnows)しか聴いていないんだけど、あれは名盤だよなあ。名盤といっても地味極まりない内容で凄く目立たないアルバムだけど、味わい深いよなあ。

マーク・ベノの『雑魚』をLAスワンプ名盤に入れてもいいのかどうかちょっと僕はよく分らないんだけど、入れてもいいのであれば、あれは米LAスワンプ・ロック・アルバムのなかでは一番のフェイヴァリットだ。マーク・ベノはドアーズの「L.A. ウーマン」でギターを弾いたのが一番有名かも。

マーク・ベノもまたまたリオン・ラッセルのバンドで活動をはじめた人だから、LAスワンプ勢とは繋がりが深い。『雑魚』は一曲毎の詳しいパーソネルが載っていないし調べても分らないんだけど、一つはっきりしているのは聞えるスライド・ギターが名手ジェシ・エド・デイヴィスだということ。

その他マーク・ベノ自身の歌とギターの他、クラレンス・ホワイトやジェリー・マギーがギターを弾いているとか、ウッド・ベースがチャック・ドモニコ(カーメン・マクレエで知った人)、エレベがカール・レイドル、ドラムスがジム・ケルトナー、バック・ヴォーカルにリタ・クーリッジ、クライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズなど。

つまり参加メンバーを見ればやはりこれはLAスワンプ・ロック・アルバムなんだと言っていいんだろうけど、聞えてくるサウンドからはディレイニー&ボニー系やそこから強い影響を受けたUKロック勢などのような強烈なスワンプ臭は薄いように思う。もっとすご〜〜く地味なサウンドだよなあ。

でも『雑魚』も音を聴けば、マーク・ベノその他多くが黒人ではないにもかかわらず米黒人ブルーズ〜R&B〜ゴスペルを基盤としたフィーリングが強く感じられるのは確か。特にジェシ・エド・デイヴィスのスライドのほか、スライドではないエレキ・ギターのソロに良いのが多いんだけど、誰が弾いているんだろうなあ。

ジェシ・エド・デイヴィスがスライドではないギター・ソロを弾いているのか、それともマーク・ベノ本人なのか分らないし、あるいはボビー・ウォマックが弾いているという説もある。そう言われてみれば確かにウォマックらしい新感覚派ソウル・ギターのような気もするなあ。二曲目「プット・ア・リトル・ラヴ・イン・マイ・ソウル」はグッと重心の低いグルーヴ感のあるソウル・ナンバーで、ここでのギター・ソロもかなり黒いからウォマックなのか?
https://www.youtube.com/watch?v=GaPrY4OZbxk

 

A面四曲目の「スピーク・ユア・マインド」はソウル・バラード、A面ラストの「バック・ダウン・ホーム」もソウルだし、やはりギターはウォマック?
https://www.youtube.com/watch?v=yUaFAY1eZw4
https://www.youtube.com/watch?v=LYzl2xymcXc


それら二つも歌に絡むオブリガートのギターがいい感じだし、女性バック・コーラスが入るのもスワンピーな雰囲気で最高だよねえ。かと思うとB面では一曲目「グッド・タイムズ」やラストの「ドント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン」なんかはイーグルズを先取りしたようなカントリー・ロック路線。
https://www.youtube.com/watch?v=EAzAXRcg7Sw
https://www.youtube.com/watch?v=xwKxa_Lg9A8

B面二曲目のブルーズ・ロック・ナンバー「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」で聞えるファズとワウの効いたギター・ソロは誰なんだ?そのおかげでちょっとサイケデリックな雰囲気もある。続くB面二曲目「ベイビー・アイ・ライク・ユー」もブルーズ・ロックだけど、オルガンが効いていてドアーズみたいだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ivSAhz6MPYo
https://www.youtube.com/watch?v=UJXAwCGJwAg

続くB面四曲目「ビフォー・アイ・ゴー」はまるでこの頃のハリウッド製青春映画のワン・シーンにピッタリ似合いそうな美メロ・バラードで、これだけは女性バック・コーラスの美しい響き以外は黒人音楽臭/LAスワンプ臭が殆どしない。ここではマーク・ベノの歌がいい感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=h2ySy5WLV8U

なんだかマーク・ベノの『雑魚』について話したかっただけみたいになってしまったけれど、それくらい米LAスワンプ名盤では『雑魚』が、そしてLAスワンプ勢を起用したUKロック名盤ではジョー・コッカーの『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』が、僕のなかでは最大のフェイヴァリットなんだよね。

2016/04/26

<モンキー>とクラーベ

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O.V. ライトの『エイト・メン・アンド・フォー・ウィミン』の10曲目「モンキー・ドッグ」。これのリズムはどう聴いてもいわゆるボ・ディドリー・ビートすなわち3−2クラーベなのだが、O.V. の残した録音でこんなのは他にないはず。

 

 

 

O.V. といわずいわゆるサザン・ソウル歌手の歌った曲でこういうボ・ディドリー・ビートを使ったものって他にあるのだろうか?僕はソウル・ミュージックの世界にはかなり疎いから知らないだけで他にもきっとあるんだろうね。「モンキー・ドッグ」は曲調全体もややふざけたユーモラスな感じだ。

 

 

「モンキー・ドッグ」というタイトルは、チャック・ベリーの「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」やスモーキー・ロビンスン&ザ・ミラクルズの「ミッキーズ・モンキー」やルーファス・トーマスの「キャン・ユア・モンキー・ドゥー・ザ・ドッグ」などを個人的には連想させるもの。

 

 

このうちチャック・ベリーの1956年チェス録音の「トゥー・マッチ・モンキー・ビジネス」は全然ボ・ディドリー・ビートではなく普通のロックンロール・ナンバーだ。この曲は初期ビートルズもカヴァーしていて『ライヴ・アット・ザ・BBC』に収録されている。それも普通のロックンロール。

 

 

スモーキー・ロビンスン&ザ・ミラクルズの「ミッキーズ・モンキー」を書いたのは例のモータウンの有名ソングライター・チーム、ホランド・ドジャー・ホランドで、ミラクルズがタムラに1963年に録音している。これはボ・ディドリー・ビートだ。

 

 

 

ルーファス・トーマスの「キャン・ユア・モンキー・ドゥー・ザ・ドッグ」はスタックスに1964年にレコーディングされたファンキー・ソウル。ボ・ディドリー・ビートとも言いにくい感じだけど、でもかなりラテン・フィーリングを感じる仕上り。

 

 

 

ルーファス・トーマスには有名な「ウォーキング・ザ・ドッグ」が1963年にあるし、69年には「ドゥー・ザ・ファンキー・チキン」があったりして、どっちもファンキーでユーモラスでちょっとふざけたようなフィーリングだよね。ドッグとかモンキーとかチキンとか全部そんな曲に付けられている。

 

 

ルーファス・トーマスは最初から最後までそういうのが持味の人だったからなんとも思わないけれど、O.V ライトなどサザン・ソウル歌手はやはりシリアスな感じがしていたから、そういう人の歌った曲に「モンキー・ドッグ」なんていうタイトルの曲があってユーモラスでボ・ディドリー・ビートなのは僕には意外。

 

 

以前米英大衆音楽におけるクラーベ(ボ・ディドリー)のリズムについて書いた際にも触れておいたけれど(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-e7d0.html)、アメリカ黒人音楽でこのビートが使われるようになったのは1940年代末〜50年代初頭で、その後急速に全米に拡散して使われている。

 

 

だから1967年のO.V. ライトの曲にこのビートが使われていても不思議ではないはず。こういうラテンなビートやふざけたようなユーモラスな曲調とは無縁の人だと思っていけれど、そんなことはないというほどにボ・ディドリー・ビートはアメリカ大衆音楽の世界に浸透しているんだろう。

 

 

元々ドラッグ関係のスラングである<モンキー>といえば、ビートルズの『ホワイト・アルバム』に「エヴリバディズ・ガット・サムシング・トゥ・ハイド・イクセプト・ミー・アンド・マイ・モンキー」があるよね。雑多で多様な曲が入っているこのアルバムのなかでもやや異色で派手な曲だ。

 

 

あるいはローリング・ストーンズの1969年『レット・イット・ブリード』に「モンキー・マン」があって、こっちは別にユーモラスでもなければ彼らにとって異色でもない普通のロック・ナンバーだけれど、聴直してみたら歌詞内容はやはりドラッグと関係があるようなものだなあ。

 

 

僕が持っている音源で「モンキー」という言葉が曲名や歌詞に入るもので一番録音が早いものは、おそらくジミー&ママ・ヤンシーの「モンキー・ウーマン・ブルーズ」だ。もちろんかのブギウギ・ピアニストと女性ブルーズ歌手との共演だけど、何年の録音なのか書いてないし調べても分らないのが残念。

 

 

あるいは同じくブギウギ・ピアニストのクリップル・クラレンス・ロフトンの「モンキー・マン・ブルーズ」も持っていて、音だけ聴くとこっちの方がジミー・&ママ・ヤンシーの「モンキー・ウーマン・ブルーズ」よりも録音が古いような感じだけど、こっちも録音年などのデータが分らないんだなあ。

 

 

それらブギウギ・ピアニスト(と歌手)による二曲を聴直すと、どっちもドラッグというよりも直接的にはセックスに関係しているような歌詞内容だ。でもセックスとドラッグは大衆音楽の世界では密接な関係があるものだから、直接的にはセックスにしか言及していなくともドラッグにも関係していたかも。

 

 

キャプテン・ビーフハートの1980年作『ドク・アット・ザ・レイダー・ステイション』にも「メイキング・ラヴ・トゥ・ア・ヴァンパイア・ウィズ・ア・モンキー・オン・マイ・ニー」があり、曲名通りそのままセックスに関係した内容だね。ドラッグとどう関係あるのかは聴直してもちょっと分らない。

 

 

ローラ・ニーロがラベルとやった1971年の『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』にもカーティス・メイフィールドが書いた「ザ・モンキー・タイム」(メイジャー・ランス)があって、これはセックスとかドラッグというのではなく単なるダンスの名称だ。「ダンシング・イン・ザ・ストリート」とのメドレー。

 

 

話が全然逸れるけれど『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』は、ローラ・ニーロのアルバムのなかでは僕の最も好きな一枚。だって黒人リズム&ブルーズ・ナンバーばっかりカヴァーしていてグルーヴィーだし、持っている2002年のリイシューCDには大好きなキャロル・キングの「アップ・オン・ザ・ルーフ」もある。

 

 

ああいう『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』みたいなアルバムなら普段はローラ・ニーロ不感症の僕でも楽しく聴ける。いろんな方々が素晴しいというローラ・ニーロは同じコロンビア所属だったマイルス・デイヴィスだって褒めているんだけど、これ以外のアルバムはどう聴いても僕にはちょっとなあ。

 

 

話を戻してイースト・ロサンジェルスのチカーノ・ロック・バンド、ロス・ロボスに「アイ・ワナ・ビー・ライク・ユー(ザ・モンキー・ソング」)」とか、スティーリー・ダンに「モンキー・イン・ユア・ソウル」とか、トラヴェリング・ウィルベリーズに「トゥウィーター・アンド・ザ・モンキー・マン」とかある。

 

 

それらもやはり全部ダンスの名称として<モンキー>を曲名に入れ、歌詞のなかにも出てくるような感じだ。ドラッグやセックスとどう関係があるのか聴直しても分らないけれど、全部ダンサブルな曲調だからやはりダンスの方なんだろうね。いわゆるモンキー・ダンスとは関係ないような。

 

 

また2015年に四枚組アンソロジーが出たのでそれを買って聴きまくったガーナのハイライフ・キング、E.T. メンサーにも「ザ・トゥリー・アンド・ザ・モンキー」という曲があるんだけど、これは別にドラッグでもセックスでもダンスでもないようだ。単に木に猿が登っているというだけかなあ。

 

 

また曲名に入ってなくても<モンキー>が歌詞に出てくる曲なら凄く多いからイチイチ挙げていくとキリがないというか憶えてなんかいられない。僕が瞬時に思い出すのはレッド・ツェッペリンの『プレゼンス』B面一曲目の「ノーバディーズ・フォールト・バット・マイン」に出てくる。

 

 

そんなこんなでE.T. メンサーを除き英語圏大衆音楽ではドラッグだったりセックスだったりダンスだったりする<モンキー>。ファンキーで激しくハードなダンサブルな曲調のものばかりだから、最初に書いたようにこれがボ・ディドリー(クラーベ)・ビートと結合しても全然不思議じゃないよね。

2016/04/25

考え直せよベイビー

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「リシンシダー・ベイビー」というブルーズ・ナンバーはエルヴィス・プレスリーで憶えた。エルヴィス・ヴァージョンではテナー・サックスがフィーチャーされていて、僕好みのいい感じだなあ。今聴いても大好きだ。

 

 

 

このロウエル・フルスン・ナンバー、上で貼ったのは1960年の『エルヴィス・イズ・バック!』のヴァージョンで、一般に知られているエルヴィス・ヴァージョンでは一番早い時期の録音。でもエルヴィスはこれ以前にサン・スタジオで1956年に録音しているらしい。それは発売されているのか?

 

 

1956年のサン・スタジオ・ヴァージョンの「リコンシダー・ベイビー」は、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイスらいわゆるミリオン・ダラー・カルテットでジャム・セッションしたものらしい。う〜ん、凄く聴きたいぞ。もし発売されてるのであればどなたか教えていただきたい。

 

 

エルヴィスは1960年に「リコンシダー・ベイビー」を録音したあとの60〜70年代に、ライヴではかなり頻繁にこのブルーズ・ナンバーを歌っている。YouTubeでちょっと見てみただけでもいろいろと上がっている。これもなかなかいいね。

 

 

 

僕はエルヴィスの1960年『エルヴィス・イズ・バック!』でこのブルーズ・ナンバーを聴いたのではない。同じヴァージョンだけど、最初に聴いたのは『ウィ・ラヴ・エルヴィス』というベスト盤CDボックスでだった。どういうわけかそれが手許にちょっとしか残っていないので、もう詳しいことは分らない。

 

 

記憶がもう曖昧なんだけど、渋谷東急プラザ内にあった新星堂で買った『ウィ・ラヴ・エルヴィス』。確かCD三枚組が三つだったような。すなわち全部でCD九枚。ネットで調べてもなぜだか情報が全然出てこないので実態を確かめることができないけれど、日本のファンが選んだベスト曲集というものだったはず。

 

 

そしてその『ウィ・ラヴ・エルヴィス』ボックス・セットがCDで初めて買ったエルヴィスだったのは間違いない。記憶ではサン時代の録音も入っていたような気がする。CDで全九枚だから結構たくさんいろいろと聴けて楽しくて、これでエルヴィスという歌手の魅力をおそらく初めて理解した。

 

 

ベスト盤ボックスなんかと思われるかもしれないが、エルヴィスという人はデビューから亡くなるまで一曲単位で音楽を考えていた人で、LPアルバムを出すようになってからもシングル盤をたくさん発売しているしね。そうでなくたって『ウィ・ラヴ・エルヴィス』で惚れたという僕の実感は抜きがたい。

 

 

そういう個人的な思い出話はともかく、「リコンシダー・ベイビー」はもちろんロウエル・フルスンの1954年チェッカー(チェス)録音がオリジナルのロウエル自身が書いたブルーズ・ナンバー。ロウエルの書いたオリジナル・ブルーズ・ナンバーではおそらく最も有名なものだ。

 

 

 

どうです、最高だよね。CDでは二枚組の『ザ・コンプリート・チェス・マスターズ』の一曲目に入っているのを僕は愛聴している。その二枚組には「アイム・グラッド・ユー・リコンシダード」という続きものみたいな曲もあって笑う。

 

 

「リコンシダー・ベイビー」は1954年の発売後ビルボードのR&Bチャートで三位まで上昇しチャート内に15週とどまるという大ヒットになったので、それで続編をというおそらく会社側からの要求だったんだろう。あるいはロウエル自身の希望だったのか分らないが、それで創ったのが「考え直してくれてうれしいよ」だったんだね。

 

 

それくらいヒットした「リコンシダー・ベイビー」だからエルヴィスだけでなく実に多くの音楽家が取上げてカヴァーしている。ロバート・Jr・ロックウッド、ボビー・ブランド、リトル・ミルトン、マジック・サム、アイク&ティナ・ターナー、フレディ・キングといった米黒人ブルーズ〜R&B歌手はもちろん、エリック・クラプトンもやっている。

 

 

クラプトンの「リコンシダー・ベイビー」はあの悪評高い1994年のブルーズ・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』にあるもの。ギターはロウエル・フルスンのオリジナルをソックリそのままカヴァーしている。例によってのクラプトンのガナリ声は感心しない。絶対エルヴィスの方がイイよね。

 

 

 

ロウエル・フルスンというブルーズマンについては僕はあまり熱心には聴いていないし、現在持っているCDも前述の『ザ・コンプリート・チェス・マスターズ』以外は、Pヴァイン盤『トランプ』とそれを含む『ザ・コンプリート・ケント・レコーディングズ 1964-1968』四枚組だけだ。

 

 

チェッカー(チェス)時代は1950年代でケント時代の前。ロウエル・フルスンはだいたい常に西海岸を拠点に活動していた人だけど、例の「リコンシダー・ベイビー」をチェッカーに吹込んだのはなぜかダラスでだった。この曲に入っているサックスはレイ・チャールズのバンドから借りたらしい。

 

 

サックスといえば以前書いたモダン・ジャズ・テナー奏者スタンリー・タレンタインはロウエル・フルスンのバンドで活動をはじめている。道理でタレンタインは泥臭いブルーズが得意なわけだよね。ロウエル・フルスンがサックス奏者を借りたレイ・チャールズだって1940年代にフルスンのバンドに参加している。

 

 

一般的にはロウエル・フルスンはケント時代のイメージが強い人なんだろう。特に僕がなぜだかこれだけ単独盤を持っている『トランプ』(と『ソウル』との2in1)なんかやっぱり最高だよねえ。特に一曲目のアルバム・タイトル曲はファンク・ナンバーに聞えるくらいだ。

 

 

 

リズムがこれはもうファンクなんじゃないの?1967年録音だからファンクをやっていても全然おかしくないもんね。ロウエル・フルスンの歌も歌というより語り・喋りみたいな感じでなかなか面白いよねえ。かなりモダンな感じだ。まあこれ一曲だけなんだけど。

 

 

こういうロウエル・フルスンの「トランプ」を聴くと、ブルーズとファンクは親子関係というかほぼ不可分一体というか音楽の本質としては全く同じようなもんだと分るよね。いまさらなにを当り前のことを書いているんだと言われそうだけど、ブルーズもファンクも大好きな僕には最高の一曲だ。

 

 

こういうロウエル・フルスンこそ最高だと実感はするものの、個人的な好みだけなら僕はチェッカー(チェス)時代の録音集の方が好きでよく聴くんだよね。大好きな「リコンシダー・ベイビー」を聴きたいという理由の他に、やはり僕はこういう生粋のブルーズ・ミュージックが好きなのかなあ?

 

 

そんなことを言っていると1999年に亡くなったロウエル・フルスンに、なにを言っているんだケント時代だってラウンダー時代だってそれ以外だってオレの吹込んだブルーズはファンキーで全部いいじゃないか、ちゃんと聴け、考え直せよベイビーと、草葉の陰から言われちゃうかもしれないけれどさ。

2016/04/24

シナトラのトーチ・ソング集

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ジャズに対してシビアな見方をしている方じゃないかと自分では思っているけれど、そのわりには僕はフランク・シナトラがかなり好き。これは大学生の初め頃からそうだった。しかし既にその頃には硬派なジャズ・リスナー、例えば粟村政昭さんなどはシナトラなど全く眼中にないという感じだった。

 

 

眼中にないというかシナトラを酷評していたんじゃないかという記憶があるなあ、粟村さんの場合は。直接言及したことすら一度もなかったはずで(その価値すらないと見做していたに違いない)、他のジャズ歌手やジャズ演奏家の話題のなかでさりげなく貶すというようだったと記憶している。

 

 

むろん熱狂的なシナトラ・ファンもたくさんいて、日本にも三具保夫さんがいて、三具さんはシナトラ・ソサエティ・オヴ・ジャパンの代表だし、最近も確か『シナトラ・コンプリート』というとんでもない完全ディスコグラフィーを出した。三具さんのシナトラへのとんでもない熱情の賜物だった。

 

 

その三具さんのコンプリート・ディスコグラフィーを見なくても、シナトラの全音楽キャリアで録音したレーベルは三つだけ、コロンビア、キャピトル、リプリーズとみんな知っている。もろろんこれは独立後の彼名義ものという意味で、トミー・ドーシー楽団在籍時の音源はRCAから出ている。

 

 

以前から何度か触れているように僕はコロンビア時代(1946〜52)が意外に好きで、今でもCDでコンプリートに持っていて愛聴しているくらい。でもLP時代は全集としては出ていなかったはずなので、四枚か五枚かのレコードで聴いていた。それでもやはり最初に知ったシナトラはやはりキャピトル時代。

 

 

はっきりと憶えているけれど最初に買ったシナトラのレコードはキャピトル盤の『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』と『スウィング・イージー』の2in1だった。えっ?LPで2in1?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれないが、1950年代初期のLPは10インチが多かったんだよね。

 

 

『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』も『スウィング・イージー』も1954年のキャピトル盤で、最初はそれぞれ10インチLPで出ている。前者も後者も10インチだから当然八曲しか収録されていない。それを僕が知っている普通の12インチLPで再発する際に2in1にしたというわけ。

 

 

『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ/スウィング・イージー』はそれこそ擦切れるほど繰返し聴いた愛聴盤LPだった。発売順とは逆に『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』がなぜかB面、『スウィング・イージー』がA面で、よく知っているスタンダード曲が多くて楽しめたんだよね。

 

 

このレコードはジャズ系歌手のものとしてはかなり早い時期に買ったので、それまでインストルメンタル演奏で聴き馴染んでいたスタンダード曲のヴォーカル・ヴァージョンをこれで初めて聴いたものも多かった。「コートにすみれ」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ア・フォギー・デイ」などなど。

 

 

特に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だなあ。この曲はアクースティック・ジャズ時代のマイルス・デイヴィスのオハコだったので非常によく知っているものだったのだが、『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録のシナトラが歌うのを聴いたら、なんだかそっちの方がチャーミングに思えた。

 

 

その後マイルス・ヴァージョンの方もよく聴直しシナトラ・ヴァージョンも聴き込むと、この曲を1956年にプレスティッジに初録音したマイルスは、どうやらシナトラの歌い方、フレイジングなどにかなり影響を受けていることも分ってきたのだった。シナトラの方が二年先に発売されているもんね。

 

 

その頃はマイルスとシナトラの関係についてはなにも知らず、ただ「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」一曲だけ両者ともやっていて、しかもマイルスがシナトラのバラード表現をハーマン・ミュートでやろうとしたんじゃないかと漠然と感じていただけだった。マイルスがシナトラ好きだったことも知らなかった。

 

 

その後シナトラのキャピトル時代の他のレコードや、あるいはその前のコロンビア時代のレコードも数枚買って聴くようになると、シナトラの方が先に歌って発売し、その後マイルスがハーマン・ミュートで採り上げるというバラードが他にも何曲かあることが分ってきた。まあそんなには多くはないんだけど。

 

 

例えばマイルスが1954年にブルーノートに初録音した「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」。そこではトレード・マークのハーマン・ミュートではなくカップ・ミュートなんだけど、同曲はシナトラが1949年コロンビア時代の『フランクリー・センティメンタル』で歌っているもんね。

 

 

また同じくブルーノートにマイルスが1952年に録音した「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン?」。これもシナトラがコロンビア時代1947年の『ソングズ・バイ・シナトラ』のなかで歌っているし、マイルス1962年録音の「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」もシナトラが先に歌っている。

 

 

そういうバラードだけじゃないんだよね。マイルスの『リラクシン』収録の1956年録音「アイ・クッド・ライト・ア・ブック」はミドル〜アップ・テンポの快活なナンバーに仕上っているけれど、これだってシナトラがコロンビア時代の52年にシングル盤で発売している(その後LPにも収録された)。

 

 

シナトラが先に歌ってその後マイルも採り上げたというのは以上で全部だけど、双方のヴァージョンをじっくり聴くと、マイルスがシナトラからかなり影響を受けているのがよく分る。ひょっとしてマイルスがハーマン・ミュートを使うようになったのはシナトラ的表現を試みてのことじゃないかとすら思うほど。

 

 

そんなことに気付きはじめていた頃にマイルスのなにかのインタヴューで「オレはシナトラが好きなんだ、シナトラは良い歌手でよく聴いている、彼が歌ったものをオレも吹いてみたいと思ったんだ」とはっきりと発言しているのを読み、ああ〜なるほどね、確かにそりゃそうだよねと膝を打ったという次第。

 

 

マイルスがブルーノート録音ではカップ・ミュートで吹いている「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も、二年後1956年のプレスティッジ録音(『ワーキン』)ではやはりハーマン・ミュートだもんね。特にバラード吹奏におけるマイルスのフレイジングにはシナトラを感じる。

 

 

そういう理由もあってかなくてか、シナトラという歌手は僕の個人的趣味ではやはりバラードを歌ったものの方がいいなあ。だってアップ・テンポの快活でスウィンギーな曲ではシナトラはどうもスウィング感がイマイチ足りないようなところがあって、そのあたりもジャズ・ファンにウケが悪いのかもね。

 

 

だからバラードばかり歌っている『シングズ・フォー・オンリー・ザ・ロンリー』という1958年のキャピトル盤が今では一番の愛聴盤。ただしこれは正確にはバラードではなくトーチ・ソング集だ。トーチ・ソングとは実らない片思いの恋や失恋を歌った内容の曲のことで、最近あまり見なくなった言葉だ。

 

 

今ではそんな片思いや失恋関係含め色恋沙汰をスローなテンポで歌うのはなんでも全部「バラード」と呼んでいるような気がする。それでもいいかなと僕も思ってはいるんだけど、しかしトーチ・ソングという種類の存在を知らないとシナトラの『オンリー・ザ・ロンリー』とかはちょっと分りにくいだろう。

 

 

オリジナルLPでは全12曲だった『オンリー・ザ・ロンリー』。全曲かなりスローなテンポで落ちこむような暗い雰囲気で(まあそんな曲ばかりなわけだから当然)、深刻そうな雰囲気でシナトラが歌う。伴奏のオーケストラ・アレンジはこの時期のシナトラの例に漏れずネルスン・リドルでやはり暗い感じ。ジャケット・デザインも上掲右のような感じだし。

 

 

そんなどんよりと落ちこむような深刻で暗い曲調と歌詞内容のものばかり続けて12曲聴いて、聴いている側のこっちの気持が落ちこまないのかと言われるかもしれないが、そこがやはり一流歌手の芸の力というものは恐ろしいもんだなあ、全部聴終えると一種のカタルシスみたいなものがある。

 

 

『オンリー・ザ・ロンリー』のなかでは、おそらくマット・デニスの「エンジェル・アイズ」、ボブ・ハガートの「ワッツ・ニュー?」、アン・ロネルの「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」あたりが一番有名だろうけど、僕が一番好きなのはハロルド・アーレンの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(・アンド・ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」だね。

 

 

 

『オンリー・ザ・ロンリー』のLPレコードではB面ラストだった「ワン・フォー・マイ・ベイビー」。オーケストラの音はかなり小さく控目でピアノ伴奏中心でシナトラが歌うのがなんとも言えずいい雰囲気なんだなあ。この曲自体僕は大好きなものだし。

 

 

「ワン・フォー・マイ・ベイビー」はシナトラ自身お気に入りのナンバーで、コロンビア時代にも録音・発売しているし、キャピトルを離れ1960年に自らリプリーズ・レコードを設立してからも歌っている。しかし僕の耳には58年の『オンリー・ザ・ロンリー』ヴァージョンが一番いいように聞えるね。

2016/04/23

チャーリー・ヘイデンのスペイン民俗音楽

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チャーリー・ヘイデンという音楽家についてはあまり熱心に聴いていない僕で、いろんなジャズマンの作品にサイドマンとして参加しているのを聴いているだけで、おそらくオーネット・コールマンの一連のアルバムでベースを弾いているのがヘイデンを聴いた最初に間違いない。『ジャズ来たるべきもの』などなど。

 

 

もちろんそういったオーネットのフリー・ジャズ・アルバムでのヘイデンのベースはなかなか良くて僕も気に入っているのに、ヘイデンのリーダー・アルバムを殆ど聴いていないのはどうしてなんだろうなあ。それでも『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』だけは大好きでたまらない。

 

 

ヘイデンの『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』は1969年録音で翌70年リリース。しかしこれ、大学生の頃に最初に聴いた時はなにがなんやらサッパリ理解できなかったなあ。いろんな名盤選で名前が挙る作品だからそれでちょっと買ってみただけで、聴いてもどこが面白いのやら。

 

 

今は面白くて大好きな『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』。これを当時全く理解できなかったのは、今聴直して考えるとその理由はよく分る。これはジャズではなくスペイン民俗音楽なんだよね。ヘイデンはジャズ・ミュージシャンでこのアルバムも一応ジャズ作品ということになってはいるけれども。

 

 

フリーなアヴァンギャルド・ジャズに分類されているらしいねこのアルバムは。大学生当時からフリー・ジャズも好きだった僕で、以前書いたようにオーネットもアルバート・アイラーも非常に明快で分りやすく聞えていたのに、『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』が分らなかったのはジャズじゃないからだ。

 

 

参加しているミュージシャンはほぼ全員フリー系のジャズ・ミュージシャンばかりで、ドン・チェリーとかデューイ・レッドマンとかラズウェル・ラッド(ジャズ漫画家ラズウェル細木さんのペン・ネームはここから)とか、まあそんな人達が中心だし、彼らの取るソロもアヴァンギャルドだし。

 

 

だけどそれだけなら当時の僕が理解できなかったような作品に仕上っているというのは理解できないんだよね。当時から『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』はスペイン内戦(1936−39)に題材を採った作品だというのはよく知られていて、僕もそういう文章を読んではいたんだけど。

 

 

しかしながらスペイン内戦については世界史的な知識はちょっと持っていたものの、音楽的な経験は皆無だったもんなあ。そもそも内戦を題材にしたスパニッシュ・フォーク・ソングを一秒たりとも聴いたことがなかったし、そうでなくてもスペイン音楽全般についてもパコ・デ・ルシアくらいしか知らなかった。

 

 

余談だけどそのパコ・デ・ルシア。僕が大学生の時におそらくただ一人熱心に聴いていたスペイン人音楽家で、フラメンコ・ギタリスト。ジャズ・ファンにはアル・ディ・メオラやジョン・マクラフリンと組んだ例のスーパー・ギター・トリオで有名だろうけれど、あのギター・トリオは僕はさほど好きではなかった。

 

 

ああいうのより僕はパコが自分の本領であるフラメンコをやっているものの方が圧倒的に好きで、当時松山で彼のコンサートがあって出掛けていったら、あまりの素晴しさに絶句・口あんぐりだったもんね。その時のパコのグループはほぼ全員ナイロン弦ギタリストだったような。他に少しの楽器奏者もいた。

 

 

そのナイロン弦のスパニッシュ・ギターを弾くパコの指さばきも見事の一言。ナイロン弦ギターであれだけアヴァンギャルドに弾くまくる人は僕は他にあんまり知らないんだなあ。完全にフラメンコ音楽だったグループのサウンドも凄く魅力的で、しかし会場は超ガラガラ。ほぼ誰もいないというのに近かった。

 

 

あと大学生の頃には、何度も書いているようにマイルス・デイヴィスやチック・コリアなどがやるスパニッシュ・スケールを使った曲と演奏は大好きだったんだけど。でもまあ彼らはスペインの音楽家ではないからなあ。スペイン音楽とその旋律に魅了されそれ風に仕立てたあくまでジャズ作品だったからなあ。

 

 

大学生の頃はその程度のものだったんだから、今聴くとスペイン民俗音楽作品だとしか思えないヘイデンの『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』の面白さがちっとも分らなかったのも当然だったんだろう。今聴くと最高に面白い。政治や社会的メッセージ性のことはやはりあまりよく分らないけれど。

 

 

A面一曲目「ジ・イントロダクション」からしてもはや普通のフリー系モダン・ジャズの雰囲気ではない。これを書いたのはカーラ・ブレイでピアノも弾いている。ホーン群などのアレンジも間違いなくカーラ・ブレイだ。ビバップ以後のモダン・ジャズではあまり使われない普通のクラリネットも聞えたりする。

 

 

カーラ・ブレイは『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』最大のキー・パースンで、名義がチャーリー・ヘイデンのリーダー・アルバムということになっているだけじゃないのかと思うくらい重要な役割を果している。全八曲中三曲のオリジナルを書き、それ以外の曲も全てカーラ・ブレイによるアレンジなんだよね。

 

 

ってことはこのアルバム、カーラ・ブレイの作品といっても過言じゃないくらいだなあ。彼女は自分名義のリーダー作でも1980年の『ソーシャル・スタディーズ』に「リアクショナリー・タンゴ」みたいな作品があるし、それは曲名通りタンゴなんだけど、だから旋律はスパニッシュだし、一体何者なんだろうこの人?

 

 

一体何者なんだろう?って僕もカーラ・ブレイは大好きでアルバムをたくさん持っていて愛聴しているんだけどね。でも大学生の頃はヘイデンの『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』での大きすぎる貢献のことは全く頭に入っていなかった。書いたように音楽自体が理解できなかったから。

 

 

『リベレイション・ミュージック・オーケストラ』A面二曲目の三部構成の組曲「エル・キント・レヒミエント」〜「ロス・クワトロ・ヘネラーレス」〜「ヴィヴァ・ラ・キンセ・ブリガーダ」は全てスペインの伝承民俗曲。これらも全てカーラ・ブレイのアレンジだ。21分もあるんだからこれがハイライトだね。

 

 

「エル・キント・レヒミエント」ではいきなりナイロン弦のスパニッシュ・ギター(サム・ブラウン)が鳴り始め、ナイロン弦ギターというのはジャズで使われることは多くない楽器だし、弾いているメロディも全然ジャズじゃないスペイン民俗音楽だし、やはりこりゃジャズじゃなくてスペイン音楽だよなあ。

 

 

ナイロン弦のスパニッシュ・ギターに続きカーラ・ブレイのアレンジしたホーン・アンサンブルが入り、その後トランペット・ソロ(ドン・チェリー?マイク・マントラー?)になる。そのトランペット・ソロは一応少しスパニッシュな雰囲気があるものの、全体的にはやはりフリー・ジャズな吹き方だなあ。

 

 

21分におよぶ三部構成の組曲のなかでは途中でヴォーカルというか人の声が聞えるけれど、録音に参加して誰かが歌っているような感じではなく、今で言えばサンプリング、当時ならおそらくテープかなにかに録ってあるものを挿入しているように聞える。スペイン語だからやはりなにか内戦関係かなあ?

 

 

なおサム・ブラウンの弾くナイロン弦(あるいは1969年当時ならまだガットだったかもしれないが)のスパニッシュ・ギターによる完全なスペイン民俗音楽的旋律は、この組曲全体にわたってほぼ途切れることなく聞えていて、ヘイデンのベース・ソロの時に消えている程度で全面的にフィーチャーされている。

 

 

三部構成の組曲は曲名もスペイン語だし(日本語にすれば「第五連隊」「四人の将軍」「第十五旅団万歳」となるからやはりスペイン内戦に関連したスパニッシュ・フォーク・ソングなんだろう)、曲調も楽器の使い方も完全にスペイン音楽で、これがアルバムの目玉だからかつて理解できなかったのも無理はない。

 

 

なお書いたようにトランペット・ソロだけでなく、ラズウェル・ラッドのトロンボーン・ソロもフリー・ジャズな手法だし、ガトー・バルビエリ(デューイ・レッドマンじゃなくガトーだと思うんだけど)のテナー・サックス・ソロもまあフリー・ジャズだよねえ。そのあたりはやはりジャズメンだ。

 

 

壮大な三部構成の組曲があるA面に比べたらB面はやや小粒。ベース・ソロではじまる一曲目のヘイデンのオリジナル「ソング・フォー・チェ」は、曲名通りチェ・ゲバラにに捧げられたもの。やはりナイロン弦(ガット?)のスパニッシュ・ギターも聞える。後半のホーン・アレンジはやはりカーラ・ブレイだね。

 

 

二曲目の「ワー・オーファンズ」はヘイデンもかつて共演したオーネット・コールマンのオリジナル曲でアレンジはやはりカーラ・ブレイ。彼女のピアノ・ソロが活躍するけれど、これは特にスペイン風な曲ではない。「戦争孤児」という曲名がスペイン内戦関連であることを示唆している程度のことだなあ。

 

 

僕にとってB面で一番印象深いのはラストの「ウィ・シャル・オーヴァーカム」。ピート・シーガーでみなさんご存知の古い伝承ゴスペルで、1969年当時なら公民権運動のアンセムのような名残があった。これが入っているのはやはり時代というものだろうなあ。翌70年にはルイ・アームストロングだって歌っているもんね。

 

 

その1970年録音のサッチモ・ヴァージョンの「ウィ・シャル・オーヴァーカム」(『ルイ・アームストロング・アンド・ヒズ・フレンズ』)が僕はこの有名曲を聴いた最初だったのだ。それには大勢のバック・コーラス勢が参加していて、そのなかにマイルス・デイヴィスやオーネット・コールマンもいるんだよね。

2016/04/22

Prince (1958 - 2016), Requiescat in pace

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In remembrance of two greats.

 

 

 

 

Miles Davis and Prince in Paisley Park, Minneapolis, on 31th December 1987.

 

 

The song starts with a heavy James Brown-esque funk jam: "It's Gonna Be A Beautiful Night"; then Miles (in purple!) makes it on stage at around 5:30 for a long solo and interplay with Prince. He leaves the stage while the band goes on (and the excerpt ends there).

 

 

The bootleg is well-known but I can't help watching it again from time to time. That was almost 30 years ago, but still a killer (unless of course one is not into Miles' post-retirement funk stuff).

 

 

To my knowledge, this is the unique pictured trace of the two together.

 

 

One may only wonder what they could have produced together, had they the opportunity to collaborate. May them both rest in peace — and jam !

2016/04/21

もっと聴きたかったラテンなブラウニー

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リズム・セクションの伴奏がしっかりしていないとマトモな演奏ができないという音楽家と、それに頓着せずほぼ無関係にいい演奏ができる音楽家がいる。モダン・ジャズ・トランペッターの世界で言えば、前者の典型がマイルス・デイヴィスで、後者の典型ならクリフォード・ブラウンだろう。

 

 

マイルスについてはいつも散々書きまくっているので、今日はクリフォード・ブラウンの話。1973年に初めてLPレコードになったブラウニー最初期と最後期の音源集『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』を聴いていると、書いたようなある種唯我独尊的なことを実感する。

 

 

唯我独尊は違うか。ブラウニーの場合そのトランペット・スタイルがあまりに完成されているために、たとえバックのリズム・セクションが上手くなくても関係なく自分の世界を自在に表現することができたと言うべきなんだろう。特に「ジ・エンド」部分すなわち最後期1956年の演奏は凄いよなあ。

 

 

『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』に収録されてるブラウニー最後期、1956/6/25、フィラデルフィアでの録音は三曲。いずれもジャズ・ファンなら全員よく知っているスタンダード・ナンバーで「ウォーキン」「チュニジアの夜」「ドナ・リー」。この日付は亡くなるわずか数時間前だ。

 

 

ブラウニーが自動車事故でリッチー・パウエルとともにこの世から永遠に姿を消してしまうのが1956/6/26の早朝のことだから、この三曲はまさにその前夜、数時間前だということになる。ただし英語原盤解説にも書いてあるこの録音年月日には異説もあり、一部のディスコグラフィーでは55/5/31となっている。

 

 

1955年なのか56年なのか今では正確なことが分らなくなっているので、多くの場合両説が併記されるのが通例。しかし音だけ聴いてブラウニーのトランペット・スタイルの完成度から判断するに、僕の耳には55年の演奏には聞えない。どう聴いてもその完成度は56年のものだ。

 

 

ブラウニーの実働期間はわずか四年。その初期から完成されていた人だけど、その四年という短い間にもその完成度の高い演奏スタイルにどんどん磨きがかかり徐々に高められていたことが全録音を録音順にじっくり聴き返すとよく分る。最晩年1956年の演奏はこりゃもうとんでもなく天下一品だった。

 

 

だから『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』における後半三曲は、単に死の直前にしかも交通事故死だからなんの前触れもなくごく普通に演奏されたセッションだったという神話的物語性というかロマンティシズムに基づくだけでなく、実際の音を耳で聴いて判断すれば1956年録音なんだよね。

 

 

この1956年フィラデルフィアでのライヴ・セッションは、ブラウニー以外のサックス、ピアノ、ベース、ドラムスの全員がローカル・ミュージシャンで、四人のうちピアノのサム・ドッカリーだけは後年アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに加入し有名になったのでご存知の方も多いはず。

 

 

他の三人もそれなりにまあまあ活動してはいた人だけど、ピアノのサム・ドッカリー以外のその三人の腕前はやはり二流半か三流どころなのがその三曲(でしかその三人は僕は聴いたことがないが、サックスのビリー・ルートは確かディジー・ガレスピーのなにかで吹いていたような)を聴くと分る。ピアノのサム・ドッカリーだって僕の耳には一流には聞えないもんなあ。

 

 

三曲ともブラウニー以外のサックスとピアノがソロを取るもののやはり聴応えはないし、バックに廻った時の演奏だってそれまでブラウニーのバックでやってきた、例えばアート・ブレイキーとかマックス・ローチとかホレス・シルヴァーとかそういう人達とは全然比較にもならないもん。

 

 

そういうこともあって三曲ともメインのソロはやはりブラウニーで、彼一人がテーマを吹きソロだって彼一人の時間が圧倒的に長い。そしてそれら三曲でのブラウニーのソロが超絶品だから、最初に書いたように彼は伴奏者の腕前とは無関係に自在に吹きまくれた人だったと実感するんだよね。

 

 

「ウォーキン」でのソロはブラウニーほどのトランペッターにしては大したことはないように僕の耳には聞えるんだけど、それだって1956年のブラウニーにしてはという判断基準であって、一流どころでも他のジャズ・トランペッターなら生涯最高の出来映えだと言いたくなるほどの内容。

 

 

それに「ウォーキン」ではテナー・サックスのビリー・ルートがまあまあ長めにソロを取り、しかもそれがつまらない内容だから聴いていてダレちゃうんだよなあ。ブラウニーのソロだけならよかったのにと思ったりするんだけど、フィラデルフィアでセッションが行われた現地ミュージシャンだからそうもいかんよな。

 

 

それに比べ残る二曲「チュニジアの夜」と「ドナ・リー」は文句の付けようのない絶品だ。この二曲が『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』LPレコードではB面だったから、昔の僕はB面ばっかり繰返し聴いていた。特に「チュニジアの夜」でのソロなんか聴いていて溜息をつくことしかできない。

 

 

なんの楽器でもすぐに高音部に行っちゃうような人はあまり好きじゃない性分の僕で、それは中音域ばかりで演奏するマイルスみたいな人が一番好きだからかもしれないけれど、やっぱりなにを演奏してもすぐに高音域でやっちゃうような人はなあ。しかしそれでもこの「チュニジアの夜」でのブラウニーは例外。

 

 

この「チュニジアの夜」でのブラウニーのソロは、高音を楽々としかも極めて正確な音程で繰返しヒットし、さらにそれは単なる技巧の披露ではなく音楽的に豊かな表現の必要不可欠な一部として機能しているもんねえ。ありとあらゆる「チュニジアの夜」の全ての人のソロのなかで疑いなくナンバー・ワンだ。

 

 

 

同じブラウニーによる「チュニジアの夜」を二年前1954年のバードランドでのアート・ブレイキーのバンドでの演奏(『バードランドの夜 Vol.1』)と比較すれば、その違いというかブラウニーの二年間での進歩ぶりが非常によく分るはず。伴奏は断然アート・ブレイキーのバンドの方がいいのにね。

 

 

ってことはやはり書いているようにブラウニーは伴奏者の腕前とは関係なく自分だけで自分の演奏ができる人だったってことだよなあ。もちろん1954年アート・ブレイキーのバンドでの「チュニジアの夜」でだって全然悪くないどころか大変素晴しいものなんだけど、56年のが素晴しすぎるから。

 

 

トランペットの音色自体がもう違うもんねえ。聴き慣れない方には同じようにしか聞えないだろうけど1956年の「チュニジアの夜」でのブラウニーの音色はこれ以上なく輝いているものだ。しかもこの時の三曲の録音は私家録音みたいな形でテープに残っていただけだから録音状態は悪いのに。

 

 

続くアルバム・ラストの「ドナ・リー」なんか、ご存知の通りテーマを譜面通りに正確に演奏すること自体に苦労する難曲(そんなものをあのマイルスが書いたとはね)で、しかもパーカーによるオリジナルとは違ってアップ・テンポでやっているからますます難しいのを完璧に吹きこなしているもんね。

 

 

 

「ドナ・リー」のテーマをこのテンポでこれだけ完璧に演奏できるジャズマンは、楽器を問わず歴史上ほぼ存在しないはず。ライヴ・ステージでは同様のテンポでいろんなジャズマンが果敢にチャレンジしてはいるものの、だいたい全員見事にコケちゃっているものしか知らないもんね僕は。

 

 

と長々と書いてはきたものの、今の僕の耳にもっと面白く聞えるのは「ザ・ビギニング」部分すなわち最初期1952年録音の二曲なんだよね。リズム・アンド・ブルーズ・バンド、クリス・パウエル・アンド・ザ・ファイヴ・ブルー・フレイムズでの演奏で、これが完全なラテン調でかなり面白い。

 

 

1952/3/21録音でこの時四曲録音されている。ブラウニーのどのディスコグラフィーでもそれが一番最初に載っているから、間違いなくその四曲がブラウニーの初録音なんだろう。そのクリス・パウエルのバンドでのオーケー録音四曲のうち「ダーン・ザット・ドリーム」「ブルー・ボーイ」は『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』には収録されていない。

 

 

「ダーン・ザット・ドリーム」「ブルー・ボーイ」の二曲にはブラウニーのソロがないからだ。クリス・パウエル名義のものとしてはCDでも1949〜52年の録音集の一部として発売されているけれど。ブラウニーのソロが入っている「アイ・カム・フロム・ジャメイカ」「アイダ・レッド」だけが『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』に収録されている。

 

 

重要なのは、処女録音にしてブラウニーは既に成熟しているいうこと(しかライナーノーツの粟村政昭さんは書いていないけど)よりも、この二曲がリズム・アンド・ブルーズ・バンドのやるラテン・ナンバーだということだ。「アイ・カム・フロム・ジャメイカ」はジャマイカというよりキューバという曲調で、クラベスが3−2クラーベを刻み、それに乗せてブラウニーが見事なソロを吹く。

 

 

 

「アイダ・レッド」もやはりラテンな曲調でコンガの音も目立ち、ブラウニーはハーマン・ミュートを付けてソロを吹いている。二曲ともリード・ヴォーカルはリーダーのクリス・パウエル。こういったブラウニーのラテンなトランペット・ソロはなかなか面白いんじゃないだろうか。こんなブラウニー、他では絶対に聴けないぜ。

 

 

 

専門のライターさん達もファンのみなさんも誰一人としてこれら二曲がラテン調で面白いなんて言っていないし、昔も今も言及されるのは「ジ・エンド」である1956年録音の三曲の方だけなんだけど、今の僕にはそれより「ザ・ビギニング」である52年録音のラテンな二曲の方が楽しい。こういうブラウニーをもっと聴きたかったな!

2016/04/20

ハイレゾってなんぞ?

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最近ハイ・レゾルーション、いわゆるハイレゾとかいう高音質の配信音源が人気らしいが、僕はほぼなんの興味もない。音質は良いが値段の高いものを買うのなら、そのお金で一枚でも多く普通のCDを買いたい。それに僕が普段一番よく聴く種類の音楽ではハイレゾ音源がリリースされる可能性はゼロだし。

 

 

ここ一年ほどかなあ僕には音質とか録音状態とかいうものがはっきり言ってどうでもよくなっていて、というとちょっと言過ぎだけどこだわりが殆どなくなってきていて、そこそこの音で聴ければなんだっていいんだよね。CDでもFLACでもmp3配信でもなんでも聴けさえすればそれで。

 

 

僕は高級オーディオというもので音楽を聴いたという体験は大学生の頃にジャズ喫茶でそれを体験していただけ。なかでも松山にあったジャズ・メッセンジャーズという店にはマッキントッシュの真空管のパワー・アンプとJBLパラゴンのスピーカーを設置してあって、かなりの良い音で聴けたのだ。

 

 

ジャズ・メッセンジャーズという店は女性マスターすなわちママがやっていたんだけど、僕の話に頻繁に出てくるケリーという戦前ジャズしかかけなかった店の次によく通っていた店だった。ケリーの方もかなりいいアンプ(確かマーク・レヴィンスン)とサンスイ LT-8のスピーカーだった。

 

 

そんな具合でジャズ喫茶ではいいオーディオでいい音を聴いていたので、ジャズのLPレコードをいい音で再生するとどう聞えるかということは一応知ってはいるつもりなんだけど、自宅には当然そんな高級オーディオを当時から現在に至るまで買えるはずもないので、そこそこのもので満足している。

 

 

菅野邦彦氏というオーディオ評論家が「百万円以下の装置で聴くのは音楽に失礼だ」と発言したことがある。鼻で笑うしかないような発言だよねえ。こういう発言こそ「音楽に対して失礼」なんじゃないかと僕なんかは確信するわけだけど、菅野氏と似たような発想を持つ音楽ファンはそこそこいるらしい。

 

 

現在の僕が聴いているオーディオ装置は2000年から全く変っていないんだけど、当時の価格でおそらく合計30万円くらいだったかなあ。それも全部一度に買ったのではなくアンプとかプレイヤーとかスピーカーとか一つダメになっては買換えてというのを繰返してそうなった。ヘッドフォンはもう六年ほど使っていない。

 

 

かつてネット上で付合いのあった知人からは「オモチャのよう」だと言われたことがある僕のオーディオ装置だけど、その知人の聴く音楽とそれについて発言する内容はといえばこれがおよそつまらないものでしかなかった。もちろんこれは僕自身の耳と文章が稚拙であることは棚上げして言っているわけだけどね。

 

 

高級オーディオでつまらない音楽ソフトを聴いてなにが面白いんだろう?それならチープなCDラジカセやミニ・コンポで素晴しい音楽を聴く方がはるかに豊かな音楽ライフを送れるはずだ。それに僕は音楽に夢中になってすぐに戦前の古いSP音源の大ファンになっちゃったしなあ。

 

 

あっ、思い出したぞ、その僕のオーディオ装置を「オモチャ」だと言ったその知人はチャーリー・パーカーのサヴォイやダイアル録音集を、録音状態が悪いので良さが分らないと言放って売飛ばしてしまったのだった。これには僕は開いた口が塞がらなかった。あんなに素晴しいジャズはないのにね。

 

 

しかもパーカーのサヴォイやダイアル録音はSP時代といっても1940年代後半だから、僕に言わせればかなり「音がいい」部類に入るんだよね。パーカーのアルト・サックスの音の生々しさなんかまるで生唾が飛んできそうなこれでもかというほどの迫力で迫ってくるよねえ。

 

 

じゃああれか、そういう1940年代後半のパーカーの録音が古くて音が悪くて聴けないなんていうファンは、僕が大好きでよく聴くルイ・アームストロングの20年代録音や、それより数年前のこれまた大好きでよく聴くフレッチャー・ヘンダースン楽団の録音やなんかは聴いたらどう思うだろうなあ。

 

 

さらに古く蝋管時代の録音も含む『グレイト・シンガーズ・オヴ・ザ・リパヴリック・オヴ・アゼルバイジャン』や、19世紀末〜20世紀初頭のエジプト人歌手ユスフ・アル・マンヤーラウィの十枚組とか、そういうのも僕は大好きでよく聴くんだけど、録音状態は悪いなんてもんじゃないんだよね。

 

 

アゼルバイジャン古典ムガーム二枚組もユスフ・アル・マンヤーラウィの十枚組(一体エル・スールで何セット売れたのか?)。録音状態は最悪なんだけど、音楽内容は極上でこんなに素晴しい音楽はないんだ。ジャズでもブルーズでもワールド・ミュージックでも普段からこんなものばっかり聴いている僕。

 

 

もちろん戦前のSP音源でもオッ!これは!と思うものもあって、ロバート・ジョンスンの『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』(第一集の方)のある時のCDリイシュー盤がとんでもない素晴しい音だった。何年リリースとかなに一つ情報が書かれていないんだけど、米盤で金色のCD。

 

 

ジャケット・デザインもアルバム・タイトルも収録曲目も何もかも全て通常盤の『キング・オヴ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』第一集と同一だから、CD再生面が金色であることが、裏ジャケットの一部が半円形にくり抜かれてて見えていなかったら、絶対に気が付かなかったね。

 

 

これを新宿丸井地下のヴァージンメガストアで見つけ、既に二枚組完全集が出ていたので買う必要なんてなかったはずだけど、なんだかただならぬ雰囲気を感じた僕が買って帰って聴いてみて、そうしたらぶっ飛んだ。ビックリ仰天した僕は友人に聴かせまくったんだけど、全員一様にひっくり返っていた。

 

 

これは一体全体なにをどうしたらこんな音になるんだ?とか、なにか細工をしてあるだろうしかしオリジナル音源自体はどうにもいじりようがないはずだからマスタリングの際に一体なにをやったのか?とか謎だらけの金色ロバート・ジョンスンだったんだけど、ああいう極上音質で二枚組全集を出せないのかなあ?

 

 

また2015年に荻原和也さんのブログで知って買って聴いて感動したギリシア人ヴァイオリニスト、アレヒス・ズンバスのアメリカ録音『ア・ラメント・フォー・エピルス 1926-1928』。黙って音だけ聴かせたら、1920年代録音だとは誰も信じないはずの生々しい音でこれも驚いたなあ。

 

 

これら二つは例外だろうけれど、音質の悪さなんてものは音楽の中身の良し悪しを判断するのにはなんの障壁にもならないんだよね、少なくとも僕はね。それにSPの音って聴き慣れないファンには意外に思われるかもしれないが、かなりふくよかで中音域が豊かで「いい音」なんだよね。

 

 

そういう僕だから、音質(含む録音状態)の良し悪しとかいうものと音楽内容の良し悪しを聴き分ける耳は全くの別物だと考えるようになった。大学生の頃からSP音源のLPリイシューによる古いジャズを中心に聴いていたから耳が慣れているということもあるんだろう、古い録音になんの抵抗もない。

 

 

またLP時代は現在みたいにデジタル装置でノイズ・リダクションを行うような技術がまだなかったので、SP音源のリイシューLPはだいたい全部スクラッチ・ノイズまみれだった。自宅でそんなレコードを聴いていると、父親に「こんなにパチパチ雑音が出まくるようなレコードに値打ちはない」と言われたこともある。

 

 

今はノイズを取除く技術も進んできているのでスクラッチ・ノイズまみれみたいなSP音源リイシューCDは少ないんだけど、LP時代に聴き慣れていた僕なんかにはノイズすら音楽的というか必要不可欠な音楽の一部であるかのような聴き方をしていたからなあ。ちょっと懐かしい気分が失われている。

 

 

別に古いものばっかりじゃないよ。1960年代のいわゆるモータウン・サウンドはハイ・ファイ再生なんてことは頭になく、当時のチープなカー・ラジオから流れる時に一番ピッタリ来るような音の創り方をしていたもんね。そういうミキシングだったもん。高級オーディオで聴かなくちゃなんて方がオカシイんだ。

 

 

カー・ラジオから流れてくるチープなサウンドや、安いラジカセで聴くカセット・テープや、DACを使ってオーディオ装置に繋いだりせずパソコンの内蔵スピーカーでそのまま再生して聴くYouTube音源やそういう諸々のものに思わぬ大きな感動を覚えるってことがあるだろう?みんな?

 

 

生前の中山康樹さんが言っていたことなんだけど、十代の頃にオンボロのオーディオ装置でペラペラの薄い日本盤LPレコードを聴いて、それで大感動して人生が180度変っちゃったんだから、大人になってお金に少し余裕ができたからといってあんまり高音質にこだわりすぎるのはどこかオカシイと。音楽の感動とは別のなにかなんじゃないかと。

 

 

別に高級オーディオや高音質音源そのものを否定しているわけではない。音楽とは「音」そのものでしかないんだから、情報量が豊かである方がいいに決っている。だけれども僕ならそれにかける高額な費用で一つでも多くの音楽ソフトを買ってたくさん聴きたい。聴きたい音楽が世界中に無限に存在するからさあ。

2016/04/19

マイケル・ジャクスンはモータウン時代の方がいいよ

 

 

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ジャクスン5以外のマイケル・ジャクスンを初めて聴いたのは、大学生の頃に買った『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』で、というのは正確に言えば間違いで、MTVで流れるなにかのプロモーション・ヴィデオだったように思う。それで興味を持ってその二枚のLPアルバムを買った。

 

 

「ジャクスン5以外の」と言っても、ジャクスン5だってレコードを買っていたわけではない。彼らの「ABC」とか「アイル・ビー・ゼア」とか「アイ・ウォント・ユー・バック」などの超有名曲をなんとなく聴き憶えていただけで、多分テレビかラジオから流れてくるのを聴いていただけだろう。

 

 

ある世代以上のファンにはマイケル・ジャクスンはジャクスン5のイメージが強いらしい。僕の世代だとそのイメージは全くない。アナログ盤では一枚も聴いておらず、CDで少し買っているだけ。マイケル在籍時だけのジャクスン5の全集があればいいのに。ジャクスン5全体の全集ならあるみたいだけど、それはちょっとなあ。

 

 

ジャクスン5から独立後のソロ時代だって、モータウン時代に関しては僕は完全に後追いで、リアルタイムではエピック移籍後のマイケルしか知らず、書いたように『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』が最初に買ったレコードだった。これらがリリースされた当時は大変なマイケル・ブームだった。

 

 

特に『スリラー』だよねえ。これが大ヒットしたのはやはりMTVの影響が大きいんだろう。物語というかショート・ムーヴィー的な作りのタイトル曲のプロモーション・ヴィデオなんか見ない日がなかったくらいバンバン流れていたし、「ビート・イット」や「ビリー・ジーン」のPVだってそうだった。

 

 

僕はクインシー・ジョーンズ・ファンなんだけど、『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』(これ以後は聴いていないから)は彼のプロデュースだったというのも好きになった大きな理由だった。そしてこれ以後マイケルは<キング・オヴ・ポップ>となって大きすぎる存在になった。

 

 

大学生の頃は本当に繰返し聴いた『オフ・ザ・ウォール』と『スリラー』の二枚。CDでも買い直していて、現行CDではデモ・テイクとか、クインシーやこの二作で大きな役割を果しているロッド・テンパートンの二人のインタヴューとかも収録されているんだけど、聴き返すことは全くなくなった。

 

 

現在マイケルでよく聴くのはもっぱらモータウン時代だ。もうジャクスン5時代とモータウン時代のソロ・アルバムしか聴かない。今ではそれらこそマイケルの一番よかったものだと心の底から信じるようになった。ジャクスン5時代も最高だけど、個人的にはモータウン時代のソロ作品がいいなあ。

 

 

アナログは一枚も持っていなかったモータウン時代のマイケルのソロ・アルバム。モータウン音源のリイシューを手がけるHip-Oから2009年に『ハロー・ワールド:ザ・モータウン・ソロ・コレクション』という三枚組全集が出たので、それで一気にアルバムもシングル盤音源も揃って聴きやすくなった。

 

 

その『ハロー・ワールド』三枚組は現在の僕にとってはもう宝石のようなもので、最高の愛聴盤なのだ。本当にチャーミングだよねえ。独立後のマイケルに関して商業的に大成功したのはエピック移籍後だけど、その時代よりモータウン時代の方が好きだというファンは実は結構いるらしい。

 

 

パソコン通信時代に参加していた音楽フォーラムのシスオペ(運営管理者)だったえねまさん(の前々任者が萩原健太さんだった)もマイケル・ジャクスンはモータウン時代が一番いい、特に『ベン』が最高だとことあるごとに発言していた。20年ほど前の話だ。現在の僕も、曲単位だと「ベン」が一番いいように思う。

 

 

 

アルバム『ベン』の一曲目のタイトル・ナンバーであるこの「ベン」。アクースティック・ギターもいい響きだし、流麗なストリングスに乗って歌うマイケルの歌も伸び伸びしていて魅力的だ。曲自体が素晴しいよね。このアルバムにはテンプテイションズの「マイ・ガール」のカヴァーもあってそれもいい。

 

 

 

ただ個人的には、ソロ二作目の『ベン』よりも、ビル・ウィザーズの「エイント・ノー・サンシャイン」カヴァーではじまる一作目の『ガット・トゥ・ビー・ゼア』の方が好きなのだ。全体的に曲も粒揃いだしアレンジもいいしマイケルの歌もキラキラと輝いている。アルバム・ジャケットも大好き。

 

 

『ガット・トゥ・ビー・ゼア』にはラストにキャロル・キングのオリジナル曲「ユーヴ・ガッタ・ア・フレンド」のカヴァーも入っていて、これがまた最高なんだよねえ。この曲のカヴァー・ヴァージョンではダニー・ハサウェイのライヴ・ヴァージョンと並び僕が一番好きなものだ。こんな声で「困ってるんならすぐ行くよ」とか言われたらそりゃもう・・・。

 

 

 

エピック移籍後はオリジナル曲しか歌わないマイケルだけど、モータウン時代のソロ・アルバムには結構カヴァー曲がある。既に書いた「マイ・ガール」「エイント・ノー・サンシャイン」「ユーヴ・ガッタ・ア・フレンド」だけでなく「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」もある。

 

 

やや意外なところではジャズメンがよく取りあげるスタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」もモータウン時代には歌っている。ちょっとアレンジが大袈裟で個人的にはあまり好みではないけれど。要するにモータウン時代のマイケルはソウル寄りのポップ歌手だったのがイイ。

 

 

モータウン時代は伴奏のアレンジがデジタルな電子楽器のない完全に生楽器と電気楽器だけなのも個人的にはポイントが高い。僕はシンセサイザーや打込みなどの電子サウンドにはなんの抵抗もなく、そういう音で好きなものもたくさんあるんだけど、どうも最近はちょっと趣味が変ってきているかも。

 

 

あとマイケル自身のヴォーカルもエピック移籍後はやや人工的な感触があって、実際スタジオで録音後に加工しているんじゃないかと思うくらいで、別にそれはある時期以後いろんな歌手で当り前のことになってはきてはいるけれど、僕の耳が古いせいなのかモータウン時代の方がナチュラルに聞えるんだなあ。

 

 

ステージ・パフォーマーとしては、これはもう誰がどう見てもエピック移籍後の方がマイケルは凄みを増している。そういうヴィデオも(ブカレストでのライヴだっけなあ?)かつてはよく観ていたし、今でも観たら観たで素晴しいと思う。エピック移籍後のマイケルはいちシンガーではなくトータル・パフォーマーとして評価すべきなんだろう。

 

 

しかし聞えてくる「音」でしか判断できない僕みたいな音楽リスナーには、そういうのはちょっとピンと来ないような部分が少しあるのも確かなことなのだ。そして現在残っていて聴ける「音」だけで判断したら、僕にはモータウン時代の方が圧倒的にマイケルは素晴しく響くというのが個人的真実。

 

 

ところで音楽の真実にあまり関係ないことだろうけど、ジャクスン5にしろソロ時代にしろモータウン時代のマイケルの音源では、伴奏の楽器奏者のクレジットが殆ど書いてない。ジャクスン5の一部の曲では去年亡くなったウィントン・フェルダーがベースを弾いていたりするらしいのだが。

 

 

例えば「アイ・ウォント・ユー・バック」。この曲ではエレベが目立っていてしかもファンキーでかなりカッコイイので、昔から誰が弾いているんだろうと思っていたんだけど、これが実はウィントン・フェルダーだということを、去年彼が亡くなった時に話題になっていたので初めて知ったのだ。

 

 

なお現在僕が一番よく聴くマイケル・ジャクスンは前述の『ハロー・ワールド』三枚組ではなく『メロウ・マイケル』という二曲だけジャクスン5ものを含むモータウン時代の一枚物コンピレイション盤。タイトルに反し結構アッパーな曲もある。三枚組完全集は大きくて聴きにくいし値段も高いしちょっとねえという方には格好のオススメ盤!

 

2016/04/18

異次元のフレーズ発想力〜ジェフ・ベック

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ジェフのベック(「ベック」だけだと1990年代にデビューした『メロウ・ゴールド』や『オディレイ』の人がいるので紛らわしい)の独立後のソロ・アルバムでは、嫌いだという人もいるらしいんだけど、僕はやっぱり『ブロウ・バイ・ブロウ』が一番好きだなあ。『ワイアード』よりも断然こっちだ。

 

 

『ブロウ・バイ・ブロウ』は1974年録音75年発売。セカンド・ソロ・アルバムということになっているけれど、ファーストなんじゃないの?これ以前にソロ・アルバムが一つあるのか?と思って調べてみたら68年の『トゥルース』がそうらしい。でもそれはジェフ・ベック・グループじゃないのか?

 

 

1968年の『トゥルース』はヴォーカルがロッド・ステュアートでベースがロニー・ウッドだから、やっぱりこれはジェフ・ベック・グループだよなあと思ってさらに調べてみると、ジェフ・ベック・グループとして正式発足したのは次作69年の『ベック・オラ』かららしい。でもメンバーは事実上同じだよね。

 

 

メンバーもドラマー以外は全員同じだし、内容的にもどっちもほぼ完全にブルース・ロックで、だから僕にとっては『トゥルース』はやはりジェフ・ベック・グループの第一作目なんだなあ。まあどうでもいいようなことだけど。それら『トゥルース』と『ベック・オラ』では僕は前者が好みだ。

 

 

フル・アルバムとしてはヤードバーズ脱退後初の作品である『トゥルース』。これは昔は本当によく聴いた。大好きなレッド・ツェッペリンのファーストと印象的にほぼ全く同じで、実際どっちにもマディ・ウォーターズの「ユー・シュック・ミー」(ウィリー・ディクスン作曲)が入っているからなあ。

 

 

ジェフ・ベック『トゥルース』の録音は1968年5月。ツェッペリンのファーストの方は同年9/10月録音。リリースも『トゥルース』の方が先だけど、同じ曲をやっているのは全くの偶然らしい。ジミー・ペイジが「ユー・シュック・ミー」をチョイスした時ジェフ・ベックが録音したとは知らず、後でかぶったと知ったようだ。

 

 

それでジミー・ペイジはしまった!と後悔したらしいんだけど、後の祭りだったようだ。でもこういうことは、当時のUKブルーズ・ロック勢はだいたいみんなシカゴ・ブルーズをベースにしていて、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどのナンバーをたくさんやっていたから、偶然というよりある種の必然だった。

 

 

もっともその「知らなかったんだ」「偶然だったんだ」というペイジの言葉は信じがたい面もある。というのも録音が約半年早いジェフ・ベック・ヴァージョンの「ユー・シュック・ミー」でもオルガンを弾いているのはジョン・ポール・ジョーンズだからだ。

 

 

ってことはツェッペリンでこれをやろうとペイジが思い付いた時は確かに偶然だったんだろうけど、メンバーにそれを告げていざ録音となった際には、ジョン・ポール・ジョーンズはエッ?と思ったはずで、だからペイジになにか言ったんじゃないかなあ。だからこれは知らなかったということに「しておきたい」ということなんだろう。

 

 

僕は高校生の頃からの熱心なツェッペリン・リスナーなもんだから、やはり思い入れがあるのは彼らのファーストの方だけど、今聴直してみるとジェフ・ベックの『トゥルース』の方がほんのちょっぴり好きかもしれない。取っ散らかっているような気がするし、ヴォーカリストの技量も似たようなもんだろうけど、ギタリストの腕とコクみたいなものが違うもんね。

 

 

それにジェフ・ベックの『トゥルース』はブルーズ・ロックばかりでもなく、A面ラストに「オール・マン・リヴァー」やB面トップに「グリーンスリーヴズ」や三曲目に「ベックズ・ボレロ」なんかがあって、それらも昔はどこがいいのか分らなかったけど、今聴くとなかなか面白いように感じるんだなあ。

 

 

それら三曲のうち「ベックズ・ボレロ」は『トゥルース』本体の録音よりも二年も前に録音されていて、シングル盤で発売されているギター・インストルメンタル。元々ヤードバーズ在籍時代にアイデアがあって、その頃既にレコーディング・セッションがはじまっていたらしい。モーリス・ラヴェルの有名な「ボレロ」によく似ている。キューバの歌曲スタイルの一つボレーロとは関係ない。

 

 

また「オール・マン・リヴァー」は僕らジャズ・ファンならよく知っている、ジェローム・カーンが1927年に書いた古い曲。いろんなジャズ系のポップ・ヴォーカリストがその頃からたくさん録音している。大学生の頃はビング・クロスビーで愛聴していた。今は一枚もCDでは買っていない歌手だけどね。

 

 

「オール・マン・リヴァー」はジャズ系の歌手だけでなく本当にいろんな人が歌っていて、そのなかにはレイ・チャールズやスクリーミング・ジェイ・ホーキンスなどもいたりするんだけど、この曲の話をはじめるとこれまた長くなってしまい、ジェフ・ベックとなんの関係もなくなるのでやめておく。

 

 

もう一曲「グリーンスリーヴズ」はお馴染み英国の伝承バラッドで、この名のブロードサイド・バラッドは16世紀から存在する。これも実にいろんなミュージシャンがやっていて、ジャズマンによるものだとジョン・コルトレーンのヴァージョンなども有名なはず。実を言うとさほど好きな曲ではない。

 

 

そんな具合で今聴くとかなり面白い『トゥルース』なんだけど、これの面白さがブルーズ・ロック的側面以外は分らなかった時代には、やはり最初に書いたように『ブロウ・バイ・ブロウ』こそがジェフ・ベックでは最大の愛聴盤だったし、先に聴いたのもそっちだった。『ブロウ・バイ・ブロウ』はロック好きの弟がレコードを買ってきたもの。

 

 

その弟が買ってきた日本盤のタイトルは『ギター殺人者の凱旋』になっていた。原題が『Blow By Blow』だからなんだこりゃ?と思ったんだけど、後で知ったらアメリカでのこのアルバムの宣伝文句 “The Return of Axe Murderer” を直訳したものだった。

 

 

念のために書いておくと ”axe” とはギターの隠喩でしばしば使われる。だから “Axe Murderer” は「ギター殺人者」になるわけだけど、大学生の頃はこの隠喩を知らなかったので、どうして斧がギターになるんだ?と頭の中にハテナ・マークしか浮んでなかったんだなあ。恥ずかしい。

 

 

さてそのロック好きの弟が買ってきた『ギター殺人者の凱旋』。この時だけなぜだか弟がジャズ・ファンである兄の僕と一緒にまずは最初に聴きたいと言出して、それでリヴィングのオーディオ装置の前で並んでレコードをかけたのだった。今考えたらこれはジャズ・ロック作品ともされるせいだったからなのかもしれない。

 

 

でも一回目は弟と一緒に並んで聴いた『ブロウ・バイ・ブロウ』には、当時の僕はジャズ・ロックというかジャズ的なニュアンスはほぼ全く感じなかった。今聴いても薄いように思う。普通のいや一流のロック・ギター・インストルメンタルじゃないかなあ。その時から愛聴盤なのでなにか感じているのかもしれないが。

 

 

弟と一緒に聴いた時は、僕はジェフ・ベックの名前はジミー・ペイジ関連で知っていただけ。ヤードバーズ時代のギタリストとしてのペイジの前任者で、なんでもエリック・クラプトンの後任としてペイジに声がかかったらしいが、彼が無理だったのでジェフ・ベックを推薦したとかなんとかそんな話だけ。

 

 

だから演奏そのものは全く聴いたことがなかったので、『ブロウ・バイ・ブロウ』がジェフ・ベック初体験で、だからこれはビックリしたなんてもんじゃなかったんだなあ。なんて上手いギタリストなんだと。全曲インストルメンタルだから、彼のギター・ヴァチュオーゾぶりが非常によく分るよね。

 

 

ギターのフレイジングの多彩さといい、様々なエフェクターを用いてのサウンド・カラーリングの変化といい、どの曲も素晴しいの一言。おそらく『ブロウ・バイ・ブロウ』中それが一番よく分るのが、A面ラストの「スキャターブレイン」だろうなあ。おそらく僕以外のファンも同意見なんじゃないだろうか。

 

 

ある時期以後現在までのジェフ・ベックは、どういう理由からか知らないがピックを使わず指で弦を弾くようになっているのだが、「スキャターブレイン」をやる時だけは今でもピックを使うらしい。そうじゃなかったらいくら達人ジェフ・ベックでも弾きにくいだろうことは素人の僕でも分る。

 

 

B面一曲目の「哀しみの恋人達」(コーズ・ウィーヴ・エンディッド・アズ・ラヴァーズ)もかなり好き。スティーヴィー・ワンダーの書いた曲。スティーヴィーが元々はジェフ・ベックのために書いた「迷信」をモータウンに反対されジェフ・ベックが当時録音できなかったのが、これを提供した遠因らしい。

 

 

しかし「悲しみの恋人達」、最初のテーマ演奏時に一瞬クリーン・トーンにしてすぐにまた戻すんだけど、あれ一体なんのためにやっているんだろうなあ?昔からあれだけが『ブロウ・バイ・ブロウ』のなかで必然性が感じられないプレイで、不思議なんだよなあ。

 

 

書いたようにこのレコードを最初は弟と一緒に聴いたのだが、その時アルバム・ジャケットを見て僕はB面二曲目の「セロニアス」というのがいいかもしれないぞと言うと、弟は「兄ちゃん、知らんのになんでそんなこと分るんや?」と訝しがったが、単にあのジャズ・ピアニストの名前を連想しただけだった。

 

 

聴いてみたらその「セロニアス」がなかなかいいので、弟の僕を見る目が少し変ったみたいだけど、ホントなんの根拠もない単なる連想だったので(苦笑)。ジェフ・ベックの曲の方は「Thelonius」、ジャズ・ピアニストの方は Thelonious とスペリングも違うから、もちろん見当外れだ。

 

 

その「セロニアス」ではスティーヴィー・ワンダーがクラヴィネットを弾いている。当時も今もどこにも名前がクレジットされていないのはどうしてなんだろう?そのクラヴィネットのおかげもあってかなかなかファンキーで好きなのだ。その他ビートルズ・ナンバーのレゲエ・アレンジもある。

 

 

フィル・チェンのベースもイイ。例のロッド・ステュアートの「ホット・レッグズ」のベースの人だから相当に好きだし、またマックス・ミドルトンのキーボード、特にフェンダー・ローズも大好き。次作『ワイアード』でも弾いているけど、あれには僕にはイマイチなヤン・ハマーもいるからなあ。

 

 

また『ブロウ・バイ・ブロウ』は今年亡くなったジョージ・マーティンのプロデュース。何曲かでストリングスなどをアレンジ・指揮してもいて、特にアルバム・ラスト「ダイアモンド・ダスト」での仕事ぶりは見事だ。ともかくやはりジェフ・ベックというギタリストのフレイジング発想力は群を抜いているね。

 

 

例の1983年のARMSチャリティー・ライヴ・コンサートでは、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのヤードバーズ三人衆が、コンサート・ラストの「タルサ・タイム」と「レイラ」で勢揃いして三人が代る代る弾くんだけど、ジェフ・ベックだけがなんじゃこりゃ?一体全体どこからこんなフレーズが湧出てくるんだ?というような異次元のプレイぶりで一人突出しているもんなあ。

2016/04/17

セカンド・ライン・ビートの発祥を聴く

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宗教と音楽について書いた際(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-bbf1.html)に書いておこうかと思いつつ長くなりすぎてしまうからやめたんだけど、誕生当時のニューオーリンズ・ジャズのレパートリーには宗教曲が多い。しかしこれは商業録音開始当時の録音ではどうも分りにくい。

 

 

ブラス・バンドを伴うニューオーリンズの葬儀(ジャズ・フューネラル)では、墓地までの行き途はおごそかで静かな曲をバンドが演奏し埋葬後の帰り途では賑やかで楽しい演奏をして、それがいわゆる<セカンド・ライン・ビート>のはじまりだとか大学生の頃文献で読んでいただけで、実際の音では最初は実感できなかった。

 

 

かろうじてルイ・アームストロング、彼の初録音は1923年でその後しばらくはやはり宗教関係のレパートリーは少ないのだが、30年代半ばから40年代までのデッカ時代(戦後もデッカ録音はあるが)に録音した宗教曲ばかりを集めて一枚のLPレコードにしたものがあった程度。

 

 

そのサッチモのLPレコード、楽しくてよく聴いていたはずなのにもはやアルバム・タイトルもジャケット・デザインも忘れてしまい、確か一曲目が超有名「聖者の行進」で、バンド演奏に乗っての出だしが「は〜いみなさん、こちらサッチモ牧師ですよ」という語りにはじまっていたとかその程度しか憶えていない。

 

 

あと「南部の黄昏時」(When It's Sleepy Time Down South)とかも入っていたようなかすかな記憶があるんだけど、他は完全に忘れてしまった。それらかすかな記憶を頼りに探したけれどどうやら当時のそのLPレコードそのままではCDリイシューされていないようだ。

 

 

サッチモの戦前デッカ録音はCD四枚組で完全集としてリリースされていて、僕もそれを持ってはいるももの、それ以前のオーケー(コロンビア)時代に比べたら全然熱心には聴いていないんだよなあ。だからその中から宗教関係の曲だけをピックアップするのもちょっと面倒。

 

 

それでもiTunes Storeで『ハレルヤ!ゴスペル 1930-1941』というコンピレイション・アルバムが見つかったので、それをダウンロードして聴いてみたら、当時のそういうサッチモの戦前録音による宗教曲ばかりが17トラック入っていて少し懐かしい気持が蘇ってくる。前述の「聖者の行進」も「南部の黄昏時」もある。

 

 

「聖者の行進」といえば話が逸れるけれど、僕はどういうわけだかこの曲を小学生の頃からよく知っていて歌えた。どうして憶えたのか全く記憶がないんだけど、おそらく小学校の音楽の授業で出てきたんじゃないかなあ。そんな気がするけれど確かな記憶ではない。まあそれくらいの超有名曲ではある。

 

 

ますます話が逸れてしまうが、小学校の音楽の時間で唯一憶えているのは僕はリコーダーが大の苦手で、どの穴をどの指でどう押えたら(あるいは離したら)なんの音が出るのかを憶えられず、穴もうまく押えられず特に小指が全くダメで運指がおぼつかず、上手く演奏できなくて苦労していた。

 

 

そんな話はどうでもいい。とにかくサッチモの『ハレルヤ!ゴスペル 1930-1941』。この中には「聖者の行進」の他、これまた有名な「誰も知らない我が悩み」とか、あるいは聖書の記述に基づく「オールド・マン・モーゼ」とか「カイン(英語ではケインだが)とアベル」とか「ヨナ(これも英語ではジョナ)と鯨」とか、あるいは「ガブリエル(英語ではゲイブリエル)は私の音楽を気に入ってくれるかな」とかいう曲名もある。

 

 

また横道に入るけど、大天使ガブリエルを知ったのは高校生の時に聴いたレッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』一枚目A面ラストの「死にかけて」。あのなかでロバート・プラントが "Oh, Gabriel, let me blow your horn" と歌っている(その他何人か出てくるね)。

 

 

その後これはボブ・ディランが1962年のデビュー・アルバムでやった伝承ゴスペルであることを知り、だからこれも宗教曲だ。録音されている一番早いものは、おそらくギター・エヴァンジェリスト、ブラインド・ウィリー・ジョンスンの1927年ヴァージョンだろう。

 

 

サッチモの『ハレルヤ!ゴスペル 1930-1941』の場合はもちろんそういうテーマでまとまられたコンピレイションだからそうなっているだけで、録音当時はいくつか単発的に録音されたもので、特に宗教的なテーマがあったとかいうわけでもなくそういうレパートリーが何曲かあったというだけのことだろう。だから戦前のジャズ録音で宗教を感じるのはちょっと難しい。

 

 

初期ニューオーリンズ・ジャズに宗教的レパートリーが実に多かったというのが文献資料でなく実際の音で確かめられるようになったのは、1942年のバンク・ジョンスンの再発見と録音開始に端を発する例の40年代ニューオーリンズ・リヴァイヴァル以後のことだ。これで多くの古老達が録音した。

 

 

昔はそういう再発見された古老達が録音したレコードがかなりたくさんリリースされていて、僕も大学生の頃はそういったニューオーリンズ古老達の音楽が大好きでどんどん買って聴きまくっていた。そうするとこれがまあ宗教関係の曲ばっかりなんだよね。というと大袈裟だけどかなり多かったのは事実。

 

 

きっかけになったバンク・ジョンスンの録音にも宗教曲がたくさんある。一番有名な「聖者の行進」もあるし(これをやっていないレコードはなかったんじゃないかと思うくらいみんなやっていた)、「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」などなど。

 

 

特に「聖者の行進」と並び「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」が多く録音されていた。以前書いたように(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-ea59.html)この曲を僕が知ったのはグラント・グリーンの『フィーリン・ザ・スピリット』という黒人スピリチュアルズ集でだった。

 

 

ニューオーリンズ・リヴァイヴァルで録音したジャズメンのなかで最も成功した一人であるクラリネット奏者、ジョージ・ルイス。彼のアルバムは今でも大好きだから何枚かCDでも買い直していて時々聴き返すんだけど、そのなかの一枚に『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』がある。

 

 

CDにもなっているその『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』がニューオーリンズのジャズメンによる宗教的レパートリーを録音したものでは一番分りやすいものなんじゃないかと思う。1953年録音で全八曲。すべて宗教的レパートリーだ。葬送ジャズ音楽の再現だから当然だけどね。

 

 

『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』だけでなくニューオーリンズ・リヴァイヴァルでの古老達の録音には個人のソロ演奏もたくさんフィーチャーされているから、もちろん誕生当時のジャズの姿ではないはずだけど、かなりの部分こんな雰囲気だったのかなと想像を逞しくするんだよね。

 

 

ジョージ・ルイスの『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』にはもちろん「聖者の行進」も「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」も「ダウン・バイ・ザ・リヴァーサイド」もあるし、その他バンク・ジョンスンもよくやった「パナマ」とか、あるいは葬送の際の語りも入って面白い。

 

 

こういう『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』などを聴くと、最初に書いたようなニューオーリンズでの葬送の墓地までの行き途はおごそかで静かな演奏、埋葬後は楽しい賑やかな演奏をやったというのが手に取るようによく分る。そして宗教曲こそが初期ニューオーリンズ・ジャズの重要な要素だった。

 

 

そういうのがジョージ・ルイスの『ジャズ・フューネラル・イン・ニュー・オーリンズ』で一番はっきりと分るのが、この「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」だ。  おごそかな雰囲気だなと思い聴いていると、終盤一転快活で賑やかになるからね。

 

 

 

「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」は、ジャズではないが同じニューオーリンズのダーティ・ダズン・ブラス・バンドの2004年作『フューネラル・フォー・ア・フレンド』でも一曲目だ。これは同年に亡くなった同地のチューバ奏者チューバ・ファッツに捧げたアルバムだから。

 

 

そのダーティ・ダズン・ブラス・バンドの「ジャスト・ア・クローサー・ウォーク・ウィズ・ジー」でも、やはり前半は静かでおごそかな雰囲気の演奏、中盤から一転賑やかで楽しい演奏になる。そのアルバムのヴァージョンはYouTubeにないので代りに同バンドの同曲のこれを。

 

 

 

ダーティ・ダズン・ブラス・バンドの『フューネラル・フォー・ア・フレンド』は21世紀の新しい録音だし、これからニューオーリンズの葬送音楽や当地の音楽に多い宗教的レパートリーを知りたいと思うファンの方々には格好のオススメ盤。ジャズではないけれど、発生当時のニューオーリンズ音楽の様子を垣間見ることができる。

2016/04/16

ショーロ入門にこの一枚〜『カフェ・ブラジル』

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『カフェ・ブラジル』という主に古いショーロ・ナンバーを現代のショーロ演奏家達が再演したアルバムがある。これがなかなかいいんだよね。2000年録音で翌2001年リリースのアルバムで、演奏の中心はコンジュント・エポカ・ヂ・オウロ。ジャコー・ド・バンドリンが1966年に結成したバンドだ。

 

 

そのジャコー・ド・バンドリン最大の名曲と僕が思っている「リオの夜」が一曲目。シヴーカのアコーディオンがフィーチャーされている。その他バンドリン、七弦ギター、ギター、カヴァキーニョ、パンデイロといった伝統的なショーロ・バンドの編成で、実にいいフィーリングの「リオの夜」を聴かせる。

 

 

ジャコー・ド・バンドリンの曲はあと二つ入っていて、一つは八曲目の「ジャマイス」。ここではレイラ・ピニェイロがヴォーカルを取り、その伴奏はやはりコンジュント・エポカ・ヂ・オウロ。ジャコーのヴァージョンならこのエリゼッチ・カルドーゾとやったのが僕は好き。

 

 

 

もう一つは11曲目の「トレーメ・トレーメ」。ここではロナウド・ド・バンドリンのバンドリンが大きくフィーチャーされていて、ロナウド・ド・バンドリンは『カフェ・ブラジル』というアルバム全体で活躍しているんだけど、この曲での演奏がやはり一番の聴き物。六人編成というシンプルな伴奏で妙技を聞かせる。

 

 

さらに「リオの夜」と並び僕の最も愛する古いショーロ・ナンバーがあって、それは五曲目のピシンギーニャ・ナンバー「1×0」。ピシンギーニャとベネジート・ラセルダのオリジナル・ヴァージョン通りフルートとテナー・サックスが絡み合いながら演奏が進むというニンマリなアレンジなのだ。

 

 

さらに古いであろう曲は三曲目のエルネスト・ナザレー・ナンバー「ブレジェイロ」。ナザレーがこれを何年に書いたのか僕は知らないんだけど、彼は活躍したのが19世紀末〜20世紀初めで1934年に亡くなっている。『カフェ・ブラジル』ではバンドリンとクラリネットをフィチャーした現代風。

 

 

さらに時代を遡る古典ショーロが13曲目の「メウ・プリメイロ・アモール」。これはパッターピオ・シルヴァの書いた曲で、これも何年の作曲なのか知らないんだけど、彼は1907年に亡くなっているので19世紀に創った曲だったんだろう。『カフェ・ブラジル』ではフルートとピアノのデュエット演奏だ。

 

 

そのワルツ・リズムの「メウ・プリメイロ・アモール」を聴いていると、ショーロというかポピュラー・ソングなのかはたまたクラシックの曲なのか分りにくく、その境界線の引きにくさを感じるよね。世界最古のポピュラー・ミュージックの一つであるショーロの成立ちとはそういうもの。

 

 

同じようにポピュラー・ソングなのかクラシック音楽の曲なのか分らないのがもう一つあって、15曲目の「ビオーネ」がそれ。これはチキーニャ・ゴンザーガの作曲をマリア・テレザ・マデイラがピアノ独奏しているんだけど、これはポピュラー?クラシック?ブラジルではこの両者の距離はかなり近いのは確かで、日本やアメリカでのそれを想像してはいけない。

 

 

さほど古くもなく元々はショーロ・ナンバーとも言いにくい曲もあって、二曲目の「オンデ・アンダラス」もそれだ。これはカエターノ・ヴェローゾが1968年に創った曲。これをマリーザ・モンチが歌っているんだけど、伴奏のコンジュント・エポカ・ヂ・オウロは伝統的な伴奏だから仕上りはショーロ風だ。

 

 

もっと新しい曲もあって六曲目の「ショーロ・ショラーオ」がそれ。これは1976年にマルティーニョ・ダ・ヴィラが書いて歌ったもの(アルバム『ローザ・ド・ポーヴォ』収録)で、このアルバムでもマルティーニョ本人が歌っている。なかなかいい感じに仕上っていてオリジナルより好きなくらいだ。

 

 

続く七曲目「ブラジレイリーニョ」は現代ブラジル最高のカヴァキーニョの名手エンリッキ・カゼスが超絶技巧で弾きまくるショウケース。エンリッキのカヴァキーニョにジョエル・ド・ナシメントのバンドリンが絡み、二人の対話で演奏が進む。超速テンポで弾きまくるエンリッキには今更ながら舌を巻く。この曲はヴァルジール・アゼヴェードのオリジナルからカヴァキーニョ超絶技巧のためのような曲だ。

 

 

ショーロの女王とも言われるらしいアジミルジ・フォンセカの曲も二つあって、一つは十曲目の「チツロス・ヂ・ノブレザ」。これは1975年に彼女が歌ったものだけど、『カフェ・ブラジル』では男性歌手のジョアン・ボスコがヴォーカルを取りギターも弾いている。伴奏はやはりコンジュント・エポカ・ヂ・オウロ。

 

 

もう一曲は12曲目の「ガロ・ガルニゼ」で、これはアジミルジ・フォンセカがオリジナルじゃないはずなんだけど、『カフェ・ブラジル』ではアジミルジが歌っている。これを録音した2000年当時はアジミルジは結構なお歳だったはずだけど、枯れた歌声ではあっても元気な感じで聴かせている。

 

 

14曲目「サラウ・パラ・ラダメス」はポーリーニョ・ダ・ヴィオラの古典ショーロをハーモニカをフィーチャーして演奏していてなかなか面白い。ショーロでハーモニカが聴けるというものは僕は殆ど知らないんだけど、元々哀感を伴う曲調には似合う楽器だし、いい雰囲気の演奏になっている。

 

 

『カフェ・ブラジル』の締め括り16曲目はやはり古いショーロ・コンポーザーでピシンギーニャの師匠でもあったイリネウ・ジ・アルメイダ(1890-1916)の曲「マリアーナ」。これをコンジュント・エポカ・ヂ・オウロだけの演奏で聴かせてくれる。ショーロの歴史全体を見渡すような演奏ぶり。

 

 

何曲か入っているショーロ創生期〜初期の古典曲など当時の録音がないものもあったりするから、コンジュント・エポカ・ヂ・オウロが中心になってそういう曲を現代に蘇らせてくれている『カフェ・ブラジル』はこんなに嬉しいことはないというアルバムなんだよね。ブラジル大衆音楽の伝統が活きているのを実感する。

 

 

古くは19世紀の(であろう)曲から新しくは1970年代半ばの曲まで新旧取混ぜたショーロの名曲の数々を、現代の最新録音でしかも瑞々しい演奏と歌唱ぶりで聴かせてくれる『カフェ・ブラジル』。SP時代の古い録音が苦手という方々には格好のショーロ入門になるだろう一枚。クラシック・ファンもジャズ・ファンも是非どうぞ!

2016/04/15

マイケル・ヘンダースンのファンク・ベース

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マイルス・デイヴィスの雇った歴代全ベーシストのなかで僕が一番好きなのがエレベのマイケル・ヘンダースン(在籍1970〜75年)。マイルスのアルバムに参加しているもので、スタジオ作では1970年の『ジャック・ジョンスン』でのプレイが一番好き。72年の『オン・ザ・コーナー』以後もなかなか凄いけれども。

 

 

『オン・ザ・コーナー』も本当に彼のエレベがいいんだけど、あのアルバムはなにしろ参加メンバーが多くて、しかもタブラ奏者やシタール(といってもギター型のエレクトリック・シタール)奏者などもいて、出てくるサウンドの印象が相当にゴチャゴチャしているから、マイケル・ヘンダースンのエレベに集中したい時にはイマイチ向かない。エレベにエフェクターがかかっていて音が目立ち、編成も比較的シンプルなB面はまだいいけど。

 

 

1970年の『ジャック・ジョンスン』以外では、72年の『オン・ザ・コーナー』と74年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』しかマイケル・ヘンダースン参加のマイルスのスタジオ・オリジナル・アルバムはなく、それ以外にかなり多くのライヴ・アルバムがある。ライヴ録音では一部を除きちょっと分りにくいんだよなあ。

 

 

というわけで編成がシンプル(リズム・セクションがドラムス+エレベ+エレキ・ギターの三人だけ)な『ジャック・ジョンスン』、なかでもA面の「ライト・オフ」がマイケル・ヘンダースンのエレベのカッコよさが一番分りやすいように思う。マイルスもこのレコードに寄せた文章でそれを絶賛している。

 

 

 

「ライト・オフ」の録音は1970年4月7日で、同日にB面の「イエスターナウ」も録音されている。この録音がマイケル・ヘンダースンがマイルスと一緒に音を出した最初の機会で、このベーシストのオーディションも兼ねていたらしい。当時のレギュラー・バンドのベーシストはご存知デイヴ・ホランドだった。

 

 

デイヴ・ホランドは1970年のマイルスのライヴ・ステージではエレベも弾いてはいるけれど、それはバンド・サウンドの必然的要請によるものであって、彼は基本ウッド・ベーシストだ。70年のマイルス・ライヴでもエレベだけでなくウッド・ベースも弾いている。

 

 

マイルスの録音でエレベ奏者が初めて参加したのは1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』で、ハーヴィー・ブルックスが弾いているけれど、同時にデイヴ・ホランドもウッド・ベースで参加していてツイン・ベース体制。前作69年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではホランドのウッド・ベース一本だった。

 

 

何度も書いているけど1968年末〜71年頃はマイルスの音楽が一番大きく変化した時期で、鍵盤奏者もフェンダー・ローズなどを弾くようになりリズム・セクションも大幅に強化されたから、ウッド・ベースからエレベへの移行も必然だった。だからデイヴ・ホランドだけではダメだとマイルスは感じていたようだ。

 

 

それで『ビッチズ・ブルー』にはハーヴィー・ブルックスを参加させたんだろう。ハーヴィー・ブルックスはジャズ・ファンには馴染の薄い人だね。実際1990年代後半にパソコン通信をやっていた頃も、『ビッチズ・ブルー』での彼を「こういうベースしか弾けない人なのか」と言う人すらいた。

 

 

ロック・ファンにはボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』や、アル・クーパー+マイク・ブルームフィールド+スティーヴン・スティルスの『スーパー・セッション』や、キャス・エリオットやエレクトリック・フラッグやドアーズで弾いたり、ジミヘンともやったことがあるらしく有名人だよね。

 

 

マイルスの『ビッチズ・ブルー』参加時の1969年には、ハーヴィー・ブルックスはコロンビアのスタッフ・プロデューサーという立場にもなっていて、マイルスやテオ・マセロはハーヴィーのベーシストとしての腕前もさることながら、そういうこともあって彼にセッション参加を要請したんだろう。

 

 

もちろん『ビッチズ・ブルー』(例のウッドストック・フェスティヴァルの翌日から始った三日間のセッション)でのハーヴィー・ブルックスは実に堅実なエレベ職人ぶりに徹していて、だから「こういうベースしか弾けない人なのか」と知らない人から言われても、まあ仕方がないんだろうとも思えるシンプルさ。

 

 

以前『ビッチズ・ブルー』のセッション参加時のハーヴィー・ブルックスの述懐をなにか読んだような気がするのだが、完全に忘れてしまっていてネットで探してもこれだと思えるものに出会わない。まあできあがった音だけ聴く限りでは本当地味で目立たないエレベを弾いているよね。

 

 

『スーパー・セッション』(1968年7月録音)などでのハーヴィー・ブルックスを知っていると、『ビッチズ・ブルー』での彼のエレベは物足りない感じがするのだが、そういうのがこの時のマイルスの指示だったんだろうなあ。セッション・マンとして人に合わせられるベーシストだ。

 

 

しかしこれ以後もマイルスはレギュラー・バンドではデイヴ・ホランドを雇い続け、『ビッチズ・ブルー』録音後の1969年ロスト・クインテットでのライヴでも彼はウッド・ベースしか弾いていない(チック・コリアの鍵盤はエレピだけど)。スタジオ・セッションでエレベ奏者を本格的に使ったのはやはり『ジャック・ジョンスン』が初だった。

 

 

その1970年4月の『ジャック・ジョンスン』の録音に参加したマイケル・ヘンダースンはその時19歳。モータウンのジェイムス・ジェマースンが最も大きな影響源で、マーヴィン・ゲイ、アリサ・フランクリン、スティーヴィー・ワンダーなどとの録音歴がある完全なるR&B〜ソウル系の人材だった。

 

 

『ジャック・ジョンスン』でのエレベがあまりに素晴しく聞えるので、なぜマイルスがすぐにマイケル・ヘンダースンを雇わず、その後もレギュラー・バンドでは半年ほどデイヴ・ホランドを使い続けたのかちょっと理解に苦しむ。マイケル・ヘンダースンが正式にレギュラー参加するのは1970年10月頃。

 

 

『ジャック・ジョンスン』を聴くと分るけど、マイケル・ヘンダースンはR&B〜ソウル〜ファンク系のセッション・マンらしいファンキーなリフやオスティナートを催眠的に延々と繰返し弾く人で(だからジャズ・ファンにはややウケが悪いかも)、ジャズからファンクへというマイルス・ミュージックの変化に好適だった。

 

 

『ジャック・ジョンスン』ではビリー・コブハムのドラムスもジョン・マクラフリンのエレキ・ギターも完全にR&B〜ロック系のサウンドだし、催眠的なマイケル・ヘンダースンのエレベと相俟って、ジャズ風な面影は全くない。それで油井正一さんなどは「例外的作品」としか思えなかったんだろう。

 

 

言うまでもなくファンク・ミュージックは同一パターン反復という手法を主な制作原理にしていて、マイルスにしてもそう。だからマイケル・ヘンダースンのプレイ・スタイルはこれ以上なくフィットするものだったはず。それで彼をレギュラー・バンド・メンバーとして結局1975年の一時隠遁まで使い続けた。

 

 

スタジオ録音では『ジャック・ジョンスン』でのプレイがマイケル・ヘンダースンのエレベのカッコよさ一番分りやすいと思う僕だけど、ライヴ録音では『アガルタ』、特に一枚目(旧)A面が一番カッコイイと思っている。大学生の頃にこっちを先に聴いて好きになっていた。録音もいいからクッキリ聞えるしね。

 

 

ところでマイケル・ヘンダースンのエレベに関してだけは、『アガルタ』の全てのリイシューCDよりもCBSソニーから出ていたアナログ盤の方が聞えやすかったんだけど、これはどういうことだろうなあ?ノン・ストップの一続きのライヴ演奏が両面に分断されてしまうアナログ盤は、もうあまり聴きたくないんだけど。

 

 

『アガルタ』よりも音楽内容としては同日録音の『パンゲア』の方が凄いんだろうと僕も思ってはいるけれど、個人的はジェイムズ・ブラウン的な感じがする『アガルタ』の方、特に一枚目が最高に好み。(旧)A面中盤で一回目のピート・コージーのソロが終っていったんバンドのサウンドが落着いた後、レジー・ルーカスが空間を刻み始める。

 

 

そのレジー・ルーカスのギター・カッティングがはじまった次の瞬間に入ってくるマイケル・ヘンダースンのエレベ・リフが最高にファンキー!その同じエレベ・リフを何度も繰返し弾いていて、レジー・ルーカスのカッティングとともにバンドがグルーヴしはじめたと思ったら、マイルスが切込んでくる。

 

 

そして電気トランペットを吹くマイルスはマイケル・ヘンダースンのエレベをよく聴いていて、エレベのフレーズに即応しながらソロを吹く。テーマが出てくるまでのこの数分間が1945〜91年の全マイルス・ミュージックの中で僕が一番最高にゾクゾクする時間なのだ。最初に聴いた時はたまらずイキそうになったね。この音源では18:22〜21:53。

 

 

 

マイルスのスタジオ・オリジナル・アルバムでは参加しているアルバムが少ないマイケル・ヘンダースンだったけど、2003年の『コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』五枚組と2007年の『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』六枚組のおかげで、今ではたっぷり聴けるようになって嬉しい限り。ライヴ音源に関しても公式盤でもちょぴり充実しつつある。

2016/04/14

最も壮絶な「ライク・ア・ローリング・ストーン」

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ボブ・ディランの一連の<ブートレグ・シリーズ>で今まで出ているライヴ・アルバムで、一番楽しくて一番よく聴くのは『ライヴ 1975:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』なんだけど、時代の記録として一番壮絶だと思うのは『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』の二枚目だ。

 

 

『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』は、<ブートレグ・シリーズ>の第四弾として1998年にリリースされた二枚組ライヴ・アルバム。ファースト・セットを収録した一枚目はフォーク時代そのままのディラン一人によるアクースティック・ギター(とハーモニカ)弾き語り。

 

 

その一枚目はリリース当時には何度も聴いたけれど、その後はあまり聴かなくなった。といっても一枚目の収録曲も全て電化ロック路線転向後の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』以後に発表されているもので、「廃墟の街」(デソレイション・ロウ)や「ヴィジョンズ・オヴ・ジョハナ」みたいな好きな曲もある。

 

 

その完全アクースティック弾き語りでやっている一枚目では、観客の反応も良くて暖かく拍手している。しかしこれ1966/5/17のライヴ録音で、既に『追憶のハイウェイ61』までリリースされていたし、その次の『ブロンド・オン・ブロンド』だってリリースされたかされないかという時期。

 

 

ちょっと話が逸れるけど、その『ブロンド・オン・ブロンド』は1966年5月16日リリースのロック界初の二枚組LPレコードだった。こっちが初の二枚組だという説を唱える人もいるフランク・ザッパの『フリーク・アウト』が同年6月27日リリースだから、ディランの方がほんのちょっぴり先なのだ。誤差ほどのもので、実質同時のようなもんだけど。

 

 

ディランの『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』はそんな時期のライヴ・コンサートだったんだから、セカンド・セットでのザ・ホークスを従えたエレクトリック路線の方がウケが悪く、ブーイングというか批難されたりする声が聞えるのはやや意外な感じもする。

 

 

僕はどう聴いても二枚目のエレクトリック・セットの方が大好きなんだよね。これはリリース当時から現在に至るまで変っていない。1998年の公式リリース前に、『ロイヤル・アルバート・ホール』という名称で同内容のブートレグCDが流通していたので、それで聴き馴染んでいたものだった。

 

 

そのブートCD、おそらくアナログ時代からあったものなんだろう。アナログ・ブートは大学生の頃にマイルス・デイヴィスのライヴ音源を買った以外では、レッド・ツェッペリンのライヴ音源を弟がなにか一枚か二枚買ってきたことがあるだけで、CDでもマイルス関係以外は僕は殆ど買ったことがない。

 

 

1995年にパソコン通信をはじめたと同時にるーべん(佐野ひろし)さんと出会って、彼はその頃『レコード・コレクターズ』誌デビューし、現在までボブ・ディラン関係の記事を実にたくさん書いている。そのるーべんさんに、これが一番凄い「ライク・ア・ローリング・ストーン」だぞと教えてもらったのだった。

 

 

それでその最も壮絶だとるーべんさんの言う「ライク・ア・ローリング・ストーン」が入っているブートCD『ロイヤル・アルバート・ホール』を西新宿に買いに行った。それで買って帰って聴いてみたらこれが物凄くてぶっ飛んでしまったんだなあ。このアルバム・タイトルはミスリーディングだけど。

 

 

というのはこういうタイトルになっているものの、音源はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで収録されたものではなく(どうしてこのタイトルだったのかご存知の方教えてください!)、同じ英国のマンチェスター・フリー・トレード・ホールでのライヴ・ステージを収録したものだからだ。

 

 

しかし1998年にファースト・セットも含め二枚組でこれが公式発売された際も、副題に『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』の名を冠したのは、ブート音源があまりに有名になってしまっていたせいで、まあ本歌取りみたいなものだったんだろう。アルバム・ジャケット・デザインもそうだよねえ。

 

 

公式盤を買ったので、愛聴していたブートCDの『ロイヤル・アルバート・ホール』は聴きたいという友人にプレゼントした。もし気に入ったら公式盤を買ってほしいと言添えて。その後そのブラック・ミュージック・ファンの友人からはこれに関しては何の音沙汰もないので気に入らなかったのかもしれない。

 

 

二枚目のエレクトリック・セット、書いたようにザ・ホークス(後の名をザ・バンド)がバック・バンドなんだけど、ドラマーだけがリヴォン・ヘルムじゃなくミッキー・ジョーンズだ。漏れ聞く話ではこの頃リヴォンはディランとのツアーでのストレスから精神的に参っていてそれで参加していないとか。

 

 

そのリヴォン以外はお馴染みの面々。ロビー・ロバートスンの変態ギターも聴けるし、ベースだけでなく一部でバック・コーラスを担当するリック・ダンコも、印象的なオルガンを弾くガース・ハドスンや、リチャード・マニュエルのピアノも聴ける。ドラマーもリヴォン・ヘルムではなくミッキー・ジョーンズで正解だったと思える力強さだ。

 

 

一曲目の「テル・ミー、ママ」から大好きなんだよね。ところでこの曲はこのアルバムでしか聴けないように思うんだがどうなんだろう?少なくともスタジオ録音はないはず。ライヴ録音も僕の知る限りでは他には収録されていないから、この1966年のツアーでだけ演奏された曲だったのかもしれない。

 

 

二曲目の「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー(シー・アクツ・ライク・ウィ・ネヴァー・ハヴ・メット)」は、『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』の収録曲だから、そのオリジナルは当然アクースティック・ギター弾き語りのフォーク・スタイルだけど、ここでは完全に電化ロック路線に変貌している。

 

 

曲に入る前に、次の曲は「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」、あんな感じだったけれど今日はこんな感じでやるよ、とディランが言っている。これだけじゃなく他の曲でも演奏に入る前に少し喋っている。ファースト・セットではそれが全然ないから、ディラン自身もまだ少しその必要を感じていたのかな。

 

 

三曲目「ベイビー、レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン」は1961年録音翌62年リリースのデビュー・アルバム『ボブ・ディラン』でやっていたもの。1930年代からある古いフォーク・ブルーズで、これも1966年のこのライヴでは電化路線のブルーズ・ロックに変貌している。ロビーのギターがいい。

 

 

五曲目の「ジャスト・ライク・トム・サムズ・ブルーズ」と六曲目の「レパード・スキン・ピル・ボックス・ハット」は、それぞれ『追憶のハイウェイ61』と『ブロンド・オン・ブロンド』でやっている曲だから、特に変貌もしておらず驚きはない。当時の現場の観客だってそうだったんじゃないかなあ。

 

 

その六曲目が終って七曲目「ワン・トゥー・メニー・モーニングズ」に入る前、どういうわけか観客の(おそらく皮肉というか批難の)拍手が大きくて鳴止まないので、ディランが意味不明の言葉を羅列しはじめる。しばらくするとそれに気付いて客が拍手を止め聴入ると、「そんなに強く拍手するな」と言う。

 

 

その「ワン・トゥー・メニー・モーニングズ」も『時代は変る』に収録されているフォーク路線のアクースティック・ナンバーだったのが完全に姿を変えている。次の八曲目「バラッド・オヴ・ア・シン・マン」は『追憶のハイウェイ61』で既にオルガンやエレキ・ギターの伴奏入りでやっているものだ。

 

 

その「バラッド・オヴ・ア・シン・マン」が終るといよいよ問題のシーンになるわけだ。観客から「ユダ!(英語だから「ジューダ」だけど)」との叫び声が挙る。ユダとはイエス・キリストを裏切った人物だから、キリスト教世界では<裏切者>の代名詞なのだ。つまり電化ロック路線など裏切りだというわけ。

 

 

この「ユダ!」という叫び声とそれに呼応した拍手に対し、即座にステージ上のディランはエレキ・ギターを鳴らしながら「お前なんか信じないよ、お前はウソつきだ!」と切り返し、振返ってバック・バンドに「バカデカい音でやれ!」と指示して「ライク・ア・ローリング・ストーン」がはじまる。

 

 

こういう曲前のやり取りとそれに続く轟音の「ライク・ア・ローリング・ストーン」を(最初はブートCDで)聴いた時は鳥肌ものだった。音楽的な出来を言うならもっといいヴァージョンがあるだろうけど、1966年のディランやロック・ミュージックにとっての貴重な記憶なんだよね。

2016/04/13

ロニー・バロン版『ガンボ』

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ドクター・ジョンの『ガンボ』で、「アイコ・アイコ」以外に大学生の頃大好きだったのがB面に入っていたアール・キング・ナンバーの「ゾーズ・ロンリー・ロンリー・ナイツ」。 もっともその頃アール・キングという名前は知らなかったけれども。

 

 

 

間奏のギター・ソロがアール・キングというよりギター・スリムそっくりだよね。もちろんギター・スリムという名前も当時は全く知らない。ただなんとなく面白いなと思っていただけだった。このギター・ソロはドクター・ジョンが自分で弾いているらしい。そのことも当時は気付いていなかった。

 

 

そもそも大学生の頃に『ガンボ』を買って聴いた時は、彼はピアノとヴォーカルの人だとばかり思い込んでいた。クレジットもちゃんと見ていなかったわけだ。A面ラストにもアール・キング・ナンバーの「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」(「カム・オン」)があって、そこでのギターもドクター・ジョン。

 

 

アール・キングの「レット・ザ・グッド・タイムズ・ロール」、ルイ・ジョーダンにも同名の曲があって(僕はB.B. キング・ヴァージョンで知った)、一応それと関係あるみたいなんだけど、できあがったものは別の曲だね。紛らわしいなあ。だからアール・キングの曲の方は「カム・オン」と呼ぶことも多い。

 

 

ところでドクター・ジョンという人、ピアノ以外にギターも弾くというより、そもそも最初はギタリストとして出発した人だったというのは相当後になって知ったことだった。なんでも1961年に同郷の音楽仲間ロニー・バロンをかばって拳銃で左手を撃たれ、それでギタリストは断念したらしい。

 

 

ギター・スリムやアール・キングはギタリストを目指していた頃のドクター・ジョンのアイドルだったんだろう。そもそもアール・キングはギター・スリムのイミテイターとして出発した。「ゾーズ・ロンリー・ロンリー・ナイツ」だって「シングズ・ザット・アイ・ユースト・トゥ・ドゥー」に似ている。

 

 

断念したとはいっても結構いろんなアルバムでギターも弾いているんだけどね。ドクター・ジョンのギタリストぶりで僕が印象に残っているのは、1994年のクレセント・シティ・ゴールド名義の『ジ・アルティミット・セッション』。ニューオーリンズの音楽仲間によるニューオーリンズ・クラシック集。

 

 

『ジ・アルティミット・セッション』には、これまたアール・キング・ナンバーの「トリック・バッグ」が入っているけど、この曲を僕が知ったのは大学生の頃に買った、先に名前を出したロニー・バロンのソロ三作目『ブルー・デリカシーズ Vol.1』。原盤は1979年だけど、僕が買ったのは81年ヴィヴィド・リリースの日本盤だった。

 

 

 

僕はこのアルバム一曲目でいきなりロニー・バロンの大ファンになった。これがロニー・バロンを聴いた最初(と言っても『ガンボ』でちょっと弾いてはいる)。ポール・バターフィールズ・ベター・デイズとかもまだ全然知らなかったのにどうしてこのLPを買ったのかは、これはもう絶対にジャケ買いだね。凄くチャーミングに見えたもん。

 

 

『ブルー・デリカシーズ Vol.1』は、今考えたらロニー・バロン版『ガンボ』みたいなもんでニューオーリンズ・クラシック集だった。アール・キング以外にもプロフェッサー・ロングヘアも二曲やっている(「ビッグ・チーフ」「ヘイ・ナウ・ベイビー」)し、パーシー・メイフィールド・ナンバーもある。

 

 

一番面白いと思っていたのが「ライツ・アウト」という曲で、大学生の頃は歌のバックのリズム・ブレイクがなんとなく面白いと感じていたけど、これは完全に3−2クラーベだね。『ガンボ』の「アイコ・アイコ」と同じ。まさにニューオーリンズ的ラテン・テイスト。

 

 

 

「アイコ・アイコ」とか「ライツ・アウト」とか3−2クラーベ・リズムの曲が大好きだったんだから、やっぱり子供の頃に父親の運転するクルマでラテン音楽の8トラばかり聴かされていた素地が生きていたってことだろうなあ。今でも同様のリズムを使った音楽を聴くとムズムズするもんなあ。

 

 

アルバム・ラストの「リヴァーズ・インヴィテイション」でも、パーシー・メイフィールドのタンジェリン版(https://www.youtube.com/watch?v=G1AWqidjGA0)そっくりのラテン風味の強いアレンジになっている→ https://www.youtube.com/watch?v=WREHPBx1Agc 間奏のテナー・サックス・ソロもいい感じ。

 

 

最初に聴いたロニー・バロンがこういう感じだったから、その後ポール・バターフィールズ・ベター・デイズを聴いても、その音楽自体は凄く大好きになったんだけど(僕はだいたいハーモニカが大好き)、ピアノなど鍵盤で参加しているロニー・バロンのプレイについては特に強い印象は抱かなかった。

 

 

余談だけどベター・デイズではロニー・バロンがどうこうというより、エイモス・ギャレットを知り彼のギターに惚れた。特に二曲目のパーシー・メイフィールド・ナンバー「愛する人が欲しくて」でのギター・ソロは今聴いても泣きそうになってしまう。みんなそうなんじゃないかなあ。

 

 

 

普通はベター・デイズでロニー・バロンを知ったという人の方が多いんだろう。僕は特殊な例だったのかも。その後ロニー・バロンの他のソロ・アルバム(三つしかないけど)も聴いてみたものの、どれもさほどいいとは思えなかったから、『ブルー・デリカシーズ Vol.1』だけが傑出していたのか?

 

 

『ブルー・デリカシーズ Vol.1』もいろんなタイトルかついろんなジャケットでCDリイシューされている。僕はやっぱりこのタイトルと上掲画像のジャケットだなあ。 これもオリジナルじゃないんだけど、このヴィヴィド盤ジャケットに思い入れがあるんだよね。でもこのジャケットとアルバム・タイトルでは、いまだに一度もCDリイシューされていない。

 

 

言うまでもないけれど1981年に『ブルー・デリカシーズ Vol.1』を買って聴いてライナーを読んでも、そこに書いてあるアール・キングとかパーシー・メイフィールドとかそういう文字列の意味するところは全く分らなかったし探求もしなかった。ディグするようになったのは随分と後になってから。

 

 

もっともそのライナーノーツ、誰が書いていたのかは全然憶えていないけど、四曲目のカルテット・スタイルのゴスペル・ナンバー「シンギング・イン・マイ・ソウル」のオリジナルが誰だか分らないとあった。僕なんかが当時知るわけないんだけど、その後これはスワン・シルヴァートーンズの曲だということを知った。

 

 

ロニー・バロン版→ https://www.youtube.com/watch?v=atQxThrB_Q8

 

スワン・シルヴァートーンズ版→ https://www.youtube.com/watch?v=K3Qr7QoCXpQ

 

 

ほぼ同じだね。ロニー・バロン版のバック・コーラスはチェンバーズ・ブラザーズ。ちなみにロニー・バロンの『ブルー・デリカシーズ Vol.1』の全ての曲でベースを弾きプロデュースもしているのは、キャンド・ヒートのラリー・テイラーなんだよね。

2016/04/12

電化サウンドを嫌わないで

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保守的なジャズ・ファンのなかにはエレクトリック・サウンドを毛嫌いする人が昔は結構いて、さすがにもう絶滅しただろうと思っていたら、今でもちょっといるらしい。かつて粟村政昭さんなどはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』について「電化サウンドに対する生理的嫌悪感を超える説得力はないと思いたい」と書いていたくらいだったもんなあ。

 

 

粟村さんはその一方で、同じようにフェンダー・ローズをたくさん使う初期ウェザー・リポートは評価するようなことを書いていたのがイマイチ分りにくかったけど。ミロスラフ・ヴィトウスはエレベも弾いているしなあ。1960年代フリー・ジャズの総括的意味合いというなら『ビッチズ・ブルー』だってそうだし。

 

 

これは世代の問題ではないはず。粟村さんよりもっと年上の油井正一さんは『ビッチズ・ブルー』を最高に高く評価していたし、その後も1970年代マイルスは概して高評価だった。油井さんの世代で同じような人は結構いるし、粟村さんよりもっと年下でも電気楽器を毛嫌いする人はいる。

 

 

まあでもある程度世代もあるのかもなあ。1962年生まれの僕の世代は、生まれた頃から電化サウンドの音楽が世の中に溢れていたからなんの抵抗もないし、歌謡曲でも演歌でも電化サウンドばかり。演歌なんかイーグルズの「ホテル・カリフォルニア」ばりにツイン・リードのエレキ・ギターが炸裂するものだってあるぞ。

 

 

演歌の伴奏って知らない人は意外に思うかもしれないがかなり電気・電子楽器を使うんだよね。というか演歌を含めた歌謡曲全般そうだよね。いまどきエレキ・ギターやシンセサイザーが入らない演歌や歌謡曲なんてまずない。ベースなんか完全にエレベしか使っていないだろう。意識せずにみんな聴いているんだよね。

 

 

NHK日曜午後ののど自慢番組。昔は生楽器も使っていたはずだけど、最近は電子楽器の発達に伴ってほぼどんな音でもシンセサイザーで出せるようになったので、伴奏はドラムスとエレベとエレキ・ギター以外は、二人か三人のシンセサイザー奏者だけになっている。(音楽的)保守層にも人気の番組だけどね。

 

 

一般にフェンダー・ローズやシンセサイザーがいつ頃から使われはじめたのか、調べないと正確なことは言えないけれど、ポピュラー音楽ではおそらく1960年代からじゃないかなあ。ジャズやロックで広く一般的に使われるようになったのは60年代後半頃からだったはず。エレキ・ギターはもっとかなり古い。

 

 

アンプで増幅するエレキ・ギターはもちろん戦前からあって、たくさんのギタリストが弾いていてレコードにもなっている。その頃はまだロックなどが存在しない時代なので主にジャズやブルーズの世界での話だが、いろんなエレキ・ギタリストがいるんだよね。完全なクリーン・トーンではあるけれど。

 

 

だからそういうエレキ・ギターの音は古い保守的なジャズ・ファンだって聴いていたし、ビバップ以後のモダン・ジャズの世界でも、バーニー・ケッセルもケニー・バレルもタル・ファーロウもウェス・モンゴメリーもその他も全員エレキ・ギタリストだ。共鳴する空洞のあるボディのものだけどね。

 

 

そういうモダン・ジャズ・ギタリストの元祖とされているチャーリー・クリスチャンの音を初めて聴いたファンが、これはサックスの音なのかと思ってしまったというエピソードが残っているよね。まあこれは眉唾というか大袈裟だろうけれど、それくらいアクースティック・ギターの音とはかけ離れている。

 

 

毛嫌いする人が言うのはそういう共鳴胴のあるホロウ・ボディにピックアップが付いた(フル/セミ・)アクースティックなものではなく、ソリッド・ボディのエレキ・ギターの音なんだろう。この二つは同じエレキ・ギターといってもかなり音が違う。しかもある時期以後ファズなどのエフェクターも出てきた。

 

 

電化サウンドを毛嫌いするファンにとっては、1960年代後半以後のファズを使って音を歪めたエレキ・ギターの音はもってのほかというか生理的に受付けないようなものなんだろうね。僕みたいな歪みに歪みまくったエレキ・サウンドの方が好き・美しいと感じるような人間の神経は理解できないんだろう。

 

 

演歌などはやや保守的な世界なのかと思われがちだけれど、エレキ・ギターの音は結構歪んでいたりすることもあって、しかも先に書いたようにそれがツイン・リードみたいな形で弾きまくるようなものもあったりするからね。お年寄のみなさんもそういうものは特に意識せずに聴いているわけだよねえ。

 

 

電気・電子楽器を意識せずに聴いていて特に抵抗もないというのが、普通のというか一般的な音楽リスナーの耳なんだろうと思うんだ。なんだかちょっと意識して自覚的に聴き込みはじめると、突然そういう音を毛嫌いするようになったりする人が出てくるのはどうしてなんだろうなあ。

 

 

創り手の音楽家自身の世界はちょっと別なんだろうと思うけどね。音楽を創る方々にはそれぞれこだわりがあって、21世紀に活動する若手ミュージシャンだって生楽器しか使わない人は結構いるもんね。電気・電子楽器もいろいろと使う現代音楽を除く伝統的クラシック音楽は言うまでもない。

 

 

生楽器しか使わないそういう音楽家の方々が、電気・電子楽器を使った音楽を聴いていないとか毛嫌いしているとかいうと全然そんなことはないんだよね。みなさんロックやファンクなどもいろいろと好きで聴いている。音大に通っているような人も、僕が話をしたことがある人は全員ファズで歪んだエレキ・サウンドのロックも好きだった。

 

 

有名人ではかの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンがレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を聴いて、自分がアレンジしても直すところは全くないと語ったのはよく知られている。誰かが聴かせたか自分から進んで聴いたのか知らないが。もっともあの曲はアクースティック・ギターではじまるけどね。

 

 

「天国への階段」では終盤ファズの効いたエレキ・ギターのソロが出てくるし、ツェッペリンはそんなのばっかりだけれど、そういうのに比べたらマイルスの『ビッチズ・ブルー』なんてエレキ・ギターも約三台のフェンダー・ローズも全然クリーン・トーンで、まあおとなしいというかキレイな音だよ。

 

 

「天国への階段」はアクースティック・ギターではじまって、その後も終盤の派手なソロまではエレキ・ギターもクリーン・トーンでかなりおとなしい静かなサウンドだから、カラヤンもすんなり聴けたということなのか、あるいはそんなことは関係なくなんでも聴いていいものはいいと評価したのか、おそらく後者だったんだろうと思いたい。

 

 

カラヤンは超有名人だからクラシック門外漢の僕だって知っているけれど、これはほんの一例に過ぎないと思うんだよね。音楽の創り手は聴き手が思うほどには狭量にこういうのしか聴かないなんてことはなく、実にいろいろと聴いているもんだ。そのなかで自分の音楽に吸収できるものは吸収している。

 

 

主に21世紀に入ってからかなあ、かつてシンセサイザーなどの電子楽器で創っていたようなサウンドを生楽器で演奏する人達が出てきているように思う。そういう試みの走りは1971年録音のウェザー・リポート一作目一曲目の「ミルキー・ウェイ」だろう。シンセサイザーみたいな音をアクースティック・ピアノの残響音だけで創っている。

 

 

エレキ・サウンドからもたくさん吸収し、それをそのままエレキ・サウンドではなくアクースティックな生楽器の音楽に応用しているわけだよね。自分の創る音楽では生楽器しか使わなくても、電気楽器の歪んだ音を別に毛嫌いなんかしていない音楽家が殆どのはずだ。聴き手も見習ったらどうだろうか?

 

 

僕はこれまた例外的にというか、電気で歪みまくった音の方が澄んだ音より「美しい」と感じる性分(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-8644.html)だからアレかもしれないけれど、電気・電子楽器を毛嫌いしていると、聴ける音楽の幅が著しく狭まってしまう。その中には凄く面白い音楽がたくさんあるけどねえ。

2016/04/11

キャプテン・ビーフハートはブルーズマン

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キャプテン・ビーフハートの最高傑作は1969年の『トラウト・マスク・レプリカ』だということになっている。これには僕も異論は全くない。このアルバムのプロデューサーは盟友フランク・ザッパ。最初に聴いた時はなにがなんやらワケが分らなかったけど、今では最高に楽しめる。

 

 

ただ個人的な好みだけで言えば『トラウト・マスク・レプリカ』ではなく、1967年のデビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』が一番のフェイヴァリットなんだよね。そしてこれが一番最初に好きになったビーフハートだった。これは明快なブルーズ・アルバムで、ライ・クーダーも参加している。

 

 

どの曲でライ・クーダーが弾いているのかちゃんとしたことが載っていないし調べても情報が出てこないんだけど、アルバム一曲目のミシシッピ・デルタ〜シカゴ・スタイルなストレート・ブルーズ「シュア・ナフ・ン・イエス・アイ・ドゥ」冒頭から聞える印象的なスライド・ギターはライなんだろうか?

 

 

 

この一曲目なんかはそのまんまなブルーズなわけだけど、『セイフ・アズ・ミルク』はホワイト・ブルーズマンであるというビーフハートの特徴というか本質というか拠って来たるところを分りやすく明確に示しているから、ブルーズ好きの僕は一回聴いて即大好きなアルバムになった。

 

 

白人ブルーズ・シンガーといえる音楽家で僕が一番好きなのはエルヴィス・プレスリーとボブ・ディランの二人なんだけど、長年キャプテン・ビーフハートは彼らに次ぐ三位だった。この三人のうちエルヴィスとビーフハートが白人ブルーズ歌手だというのは分りやすいはずだけど、ディランは分りにくいかもしれない。

 

 

ディランがどういう具合にブルーズを消化して自分の音楽の本質の一部として活かしているかはまた別の記事にしたいと思う。エルヴィスはデビュー当時から亡くなるまでブルーズ・ナンバーばっかり歌っているし、元々「黒人みたいにブルーズ〜R&Bを歌える白人」という触込みだったわけだし。

 

 

そしてビーフハートは歌い方というか声質はハウリン・ウルフそっくりの濁声だよねえ。何度も強調しているように濁った音・声が澄んだキレイな音・声より好みな僕なんかにとっては最高なんだよねえ。彼がどうやってああいう声・歌い方になったのか知らないが、あるいはウルフを意識したのかもしれない。

 

 

『セイフ・アズ・ミルク』でというよりビーフハートの全アルバムでストレートなブルーズ形式の曲は案外多くなくて、『セイフ・アズ・ミルク』でも前述の「シュア・ナフ・ン・イエス・アイ・ドゥ」くらいなんだけど、その他殆どの曲がブルーズ・オリエンティッドであることは聴けば分るはず。

 

 

もちろんビーフハートの音楽のベースになっているのはブルーズだけではない。ガレージ・ロックやサイケデリック・ロックな雰囲気もあるし、なかには彼にしては珍しくポップな曲だって混じっている。さらに『トラウト・マスク・レプリカ』ではパンクやフリー・ジャズ的な要素も聞取れるわけだし。

 

 

『セイフ・アズ・ミルク』ではB面三曲目だった「プラスティック・ファクトリー」も相当にブルージーだというかこれもストレート・ブルーズだね。ちょっとハウリン・ウルフの「スプーンフル」に似ているし。この曲ではリトル・ウォルターみたいなブルーズ・ハープが聞えるけれど、ビーフハート本人によるもの。

 

 

 

こういうのを聴いているとやっぱりビーフハートはブルースマンなんだと実感するし、だからもろデルタ〜シカゴ・ブルーズな『セイフ・アズ・ミルク』は最高だよなと思ってしまう。デビュー・アルバムだからまだブルーズを自己の音楽の中に完全に消化しきれずストレートに出ているということかもしれないけれどね。

 

 

『セイフ・アズ・ミルク』にはタジ・マハールも参加していることになっているんだけど、ギターではなくタンバリンとパーカッションらしく、しかもどこで演奏しているのかは聴いてもちっとも分らない。このアルバムでのタジはまあ無視してもいいんだろうというかタジだと分るものが聞えないもんなあ。

 

 

僕はブルーズ好きだから書いたように「シュア・ナフ・ン・イエス・アイ・ドゥ」や「プラスティック・ファクトリー」が大好きなんだけど、一般的にビーフハート・ミュージックのオリジナリティを発揮していると言えるのは、A面ラストだった「エレクトリシティ」とかだろう。テルミンも聞えて面白い。

 

 

 

ビーフハートの声も「エレクトリシティ」が一番歪んでいるような気がするし、曲調もサイケデリックでアヴァンギャルドだし、こういうのが後にもっと大きく開花するビーフハート・ミュージックを形成したんだろうね。「ドロップアウト・ブギ」とか「アバ・ザバ」みたいな時代の象徴みたいな曲もある。

 

 

語りからはじまるB面一曲目だった「イエロー・ブリック・ロード」なんかは相当にポップで、ちょっとおかしな表現だと思うけど、ビーチ・ボーイズを連想させるようなところがあるような気がする。ビーフハートとビーチ・ボーイズを結びつける人なんていないだろうけど、他にもポップな曲はある。

 

 

 

それにしても『セイフ・アズ・ミルク』の次作1968年の『ストリクトリー・パーソナル』二曲目に「セイフ・アズ・ミルク」という曲が入っていて、リイシューCDでは『セイフ・アズ・ミルク』のボーナス・トラックとして同曲の別テイクが入っていたり、三曲目の「トラスト・アス」も同様だったりするけど。

 

 

これは『ストリクトリー・パーソナル』は『セイフ・アズ・ミルク』のセッション時の曲群の再録音が多いことに原因があるらしい。そしてやはりブルーズ中心ではあっても、前者の方が後者よりもサイケデリックな要素が強く出ていて、次作『トラウト・マスク・レプリカ』への前兆みたいに聞える。

 

 

『セイフ・アズ・ミルク』や『ストリクトリー・パーソナル』と同じくらい好きなのが1971に出た『ミラー・マン』。99年にブッダ・レコーズが出したCD『ザ・ミラー・マン・セッションズ』で愛聴しているけど、これが一番ストレートにブルーズ・オリエンティッドなジャムをやっている。

 

 

『ザ・ミラー・マン・セッションズ』収録曲もやはり1967年のセッションでの録音らしく「トラスト・アス」「セイフ・アズ・ミルク」の別テイクが入っているし、多くが『ストリクトリー・パーソナル』に再録音したものが収録されているから、ブルーズ・ファンの僕が大好きなのは当然だ。

 

 

19分ある一曲目の「タロットプレイン」とか、15分ある(現行CDでは)三曲目の「ミラー・マン」とか延々とブルーズ・ジャム・セッションを繰広げていて最高なんだよね。ライヴでは同じように長尺ブルーズ・ジャムをやっていたほぼ同時期の英バンド、クリームとかよりもいいかもしれないね。

 

 

 

それら初期録音三作をじっくり何度も聴き込んでからじゃないと、リアルタイム・リリースでは三作目の最高傑作『トラウト・マスク・レプリカ』の面白さは僕にはなかなか分らなかった。ビーフハートがブルーズマンだということが分ってからは『トラウト・マスク・レプリカ』も楽しめるようになった。

 

 

ビーフハートの『トラウト・マスク・レプリカ』に至る初期音源という点でかなり面白かったのが、1999年に出たCD五枚組『グロウ・フィンズ:レアリティーズ  1965–1982』。タイトル通り未発表のレア音源集だけど、最初の二枚が66〜68年のセッションでそのまんまのブルーズばかり。

 

 

二枚目に入っている1968年のライヴでは「ローリン・アンド・タンブリン」もやっている。もちろん多くの黒人/白人ブルーズマンがやっているあのミシシッピ・デルタ由来のブルーズ・スタンダードで、マディ・ウォーターズみたいなスライドとハウリン・ウルフなビーフハートの歌が最高だ。

 

 

 

ビーフハートの音楽にはいわゆる<ソロ>というものがない。全く一つもないんじゃないかなあ。前述の『ザ・ミラー・マン・セッションズ』収録の長尺二曲ですらソロがない。演奏全体を通してビーフハート含めバンドの全員が一斉に演奏していて、いわば全員が同時にソロをやっているとも言える。

 

 

こういう楽器のソロが一切ないような音楽は、ソロこそ命であるジャズのリスナーである僕には最初かなりとっつきにくかった。ジャズだけでなくブルーズやロックなどでも、多くの場合は歌の前や間奏などで楽器のソロが入ったりするしなあ。ビーフハートと彼のマジック・バンドは完全なる集団合同演奏だ。

 

 

そんな感じで『トラウト・マスク・レプリカ』に至る初期ビーフハートのブルーズのことを書いていたら、肝心のその大傑作『トラウト・マスク・レプリカ』や、2012年になってようやくオリジナル通りの姿を現した76年録音の傑作『バット・チェイン・プラー』について書く余裕がなくなってしまったなあ。また別記事にしようっと。

2016/04/10

モンクのブギウギ

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セロニアス・モンクの『ライヴ・アット・ザ・ジャズ・ワークショップ・コンプリート』。これの一枚目九曲目の「エピストロフィー」がちょっと面白い。なにが面白いって冒頭で弾くモンクのピアノの左手が完全なるブギウギ・スタイルなのだ。このアルバムは1964年のライヴ録音でカルテット編成。

 

 

この1964年のライヴ録音は82年にLPレコードで発売されているが、僕はその時には買っておらず『コンプリート』と銘打ったCD二枚組が2001に出たのを買った。調べてみるとLP未収録のものがたくさんあるようだ。その「エピストロフィー」が最初からLPでも出ていたのかどうかは分らない。

 

 

YouTubeでちょっと探してみても見つからないので紹介できないのが残念だ(自分で上げりゃいいんだけど)。もっとも冒頭でブギウギ・ピアノ・スタイルで弾くものの、すぐにチャーリー・ラウズのテナーがテーマ・メロディを演奏しはじめるのでそんなに長くは聴けない。そしてモンクがブギウギ・スタイルで弾くのは不思議ではない。

 

 

モンクのレコード初吹込み、1947/10/15に録音された四曲のうちの一つ「セロニアス」(コンボ編成)でも、途中やはり一瞬だけど左手がブギウギ・スタイルになるところが聴ける。これはもちろんSP盤で発売されたもので、今では何種類かのCDになっているので簡単に聴くことができる。

 

 

以前書いたように(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-5dac.html)モンクのピアノ・スタイルは、ジェイムズ・P・ジョンスンなどストライド・ピアノ直系で、直接的にはやはりストライド・スタイルからスタートしたデューク・エリントンから学んでいるものなのだから、ブギウギだって弾くだろう。

 

 

モンクはいつ頃プロのジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたんだろう?有名なのはマンハッタンのミントンズ・プレイハウスのハウス・ピアニストになった1940年代半ばで、その頃様々なジャズメンといわゆる「カッティング・コンペティション」(競い合い)を繰広げていたんだろう。

 

 

ミントンズ・プレイハウス時代にはかのチャーリー・クリスチャンのセッションに参加してピアノを弾いたのが録音されてレコードにもなっている。全四曲。でもあれは僕は昔からチャーリー・クリスチャンもモンクもその他もどこがいいのかイマイチ分らず、CDでは買ってすらいない有様。

 

 

1940年代半ばにそういうキャリアがあるということは、もっと前おそらく30年代半ばか末頃にはプロ活動をはじめていたんだろう。そしてその頃からオリジナル曲も書始めていたようだ。いわゆるブギウギ・ピアノの大流行は30年代後半だったので、モンクはリアルタイムで聴いていた。

 

 

モンクはストライド・ピアノから出発したと書いたけれど、ストライド・ピアノとブギウギ・ピアノは密接な関係がある。これは別にアメリカ大衆音楽におけるピアノ・スタイルの変遷・歴史などを調べなくても、音だけ聴いていれば、左手のパターンに共通するものがあることは誰だって聞取れるはずだろう。

 

 

ストライド・ピアノもブギウギ・ピアノもラグタイム・ピアノから派生・発展したスタイルだ。商業録音もほぼ同時期から存在する。ストライド・ピアノの方がちょっと古いんじゃないかと思われているようだけれど、それは全米でのブギウギ・ピアノの流行の方がちょっと遅かったというだけの話。

 

 

モンクのピアノはそういう古いスタイルを残していて、それはLP時代になってからの録音でも分るんだけど、もっとはっきり聞取れるのが、やはりさっき書いた最初期のブルーノート録音だ。1947年から52年まで。LPでもCDでもいろんな形でバラバラに出ていたんだけど、今では完全集にまとめられている。

 

 

別テイクも含めブルーノートに録音されたシングル曲は全部で47トラック。それが『ラウンド・ミッドナイト:ザ・コンプリート・シングルズ(1947-1952)』というセットに録音順にまとめて収録されている。ほぼ全て管楽器入りのコンボ・セッションだけど、モンクのピアノもたくさんソロを弾いている。

 

 

モンクの重要な代表曲が既にたくさんあるんだよね。一番有名な「ラウンド・ミッドナイト」、僕の大好きな「ルビー、マイ・ディア」(これはピアノ・トリオ)も「ウェル・ユー・ニードゥント」も「エピストロフィー」も「エヴィデンス」も「モンクス・ムード」も「ストレート、ノー・チェイサー」も。

 

 

スタンダードも数多くやっていて、「エイプリル・イン・パリ」とか「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」とか「オール・ザ・シングス・ユー・アー」とか「アイ・シュド・ケア」とか様々。それらのうち最後の二曲はヴォーカリストが歌っているもので、ヴォーカル入りのモンクの録音はその後なくなる。

 

 

といっても僕はモンクの全録音を聴いているというファンでもないので、僕が知らないだけでその後のLP時代になってからもヴォーカリストが参加したセッションがあるのかもしれない。モンクのピアノだってブギウギ・スタイルな左手が聴けるものが他にもきっといろいろあるに違いないね。

 

 

モンクはレコード・デビューがビバップ全盛期真っ只中で、実際典型的なビバップ・ピアニストの代表格バド・パウエルの師匠格だし、マイルス・デイヴィスだってクラブでモンクが弾くコードを聞取ってマッチ箱の裏にメモし、翌日ジュリアードのピアノ室で確かめてみたとかいう逸話が残っているくらい。

 

 

それなのにモンク自身のピアノは、モダンな和声は使っているもののビバップらしさが全くない。そして指摘した通り古いストライド・ピアノやブギウギ・ピアノの痕跡が明確に残っていて、モダン時代のジャズ・ピアニストとしてはかなり特異な例外的存在だ。世代的には不思議ではないんだけど。

 

 

モダン・ジャズ・ピアニストでこんな人は他に一人もいないんじゃないだろうか。唯一ジャッキー・バイアードがそんな古いスタイルをモダン時代に持込んで、それをアヴァンギャルドな録音でも披露する人だ。まあこの二人くらいだよなあ。僕はストライド・ピアノやブギウギ・ピアノが大好きだからなあ。

 

 

ジャッキー・バイアードの方は正直言って僕はそんな特別ファンというわけでもない。リーダー・アルバムは一枚も持っておらず、他の人のサイドマンとしてやったもの、エリック・ドルフィーとかブッカー・アーヴィンとかチャールズ・ミンガスとかのアルバムで聴いているだけ。特にミンガスのバンドでの録音がいい。

 

 

それに比べたらモンクの方は書いたように全部持っている/聴いているわけじゃないんだけど、それでも大ファンだからCDでもたくさん持っていて愛聴盤が何枚もあるし、聴く度にいいなあと実感する。ひょっとしたらモダン・ジャズ・ピアニストでは最大のフェイヴァリットかもしれない。

 

 

何度も書くようだけどジェイムズ・P・ジョンスンとかウィリー・ザ・ライオン・スミスとかファッツ・ウォラーとか、またアール・ハインズとかテディ・ウィルスンとかアート・テイタムとか、そういう主に戦前に大活躍したジャズ・ピアニストのスタイルの方がモダンなものより断然好みの僕だもんなあ。

 

 

モンクは華麗でテクニカルに弾きまくるような人じゃないから、さほど上手いようには聞えないはずだ。そしてコンポーザーとしての魅力の方がはるかに大きい人なんだろうというのはおそらく間違いないだろうと僕も確信している。だけれどもいちピアニストとしても僕はかなり好きなんだよね。

2016/04/09

トンコリが奏でる21世紀型最新音楽〜『UTARHYTHM』

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いやあビックリした、というのも失礼だけど、凄いものが出たもんだ。カラフト・アイヌ伝承の弦楽器トンコリ奏者であるOKIさんのバンド、OKI DUB AINU BANDの新作『UTARHYTHM』が大傑作だ。このバンドやその他OKIさんの音楽は今までもまあまあ聴いてはいたものの、安東ウメ子やマレウレウに関わっているもの以外はピンと来なかった。

 

 

2011年の前作『HIMALAYAN DUB』も面白さが僕には掴めなかったのはなぜだったんだろう?これは僕がレゲエやダブ不感症なせいなんだろうか?レゲエが苦手で、今までいいなと思うレゲエ・ミュージシャンは複数いるものの、これがダブとなると面白さが分りにくいものばかりだった。

 

 

ローリング・ストーンズの1980年作『エモーショナル・レスキュー』がやはりダブ手法を採り入れていて、79年にバハマはナッソーのコンパス・ポイント・スタジオで録音されたものだけど、これはかなり面白い。それも含めこのアルバムはストーンズでは最も過小評価されているものだから、一度しっかり考えて書きたいと思っている。

 

 

それとなんだったけなあ確かブラック・ウフルのダブ・アルバムを聴いて、これはなかなかいいぞ!と思ったのも例外みたいなもんで、それ以外は音楽の制作手法としてのダブの面白さみたいなものは頭では理解できるものの、本当に素晴しいと体で実感できるようなものが殆どなかったのが正直なところ。

 

 

もちろんこれは完全に僕の個人的趣味嗜好によるワガママ勝手な判断で、(スカやロック・ステディや)レゲエやダブなどに不感症なだけなんで、世界中にそして日本にもファンがかなり多いその種の音楽に素晴しいものがたくさんあることを否定するつもりなんかもちろんない。オカシイのは僕の耳だ。

 

 

そういうわけで前作『HIMALAYAN DUB』も何回か聴いて放り出したままだったんだけど、その後マレウレウのライヴでOKIさんの生演奏によるトンコリを聴いてその素晴しさに感動し、その後のマレウレウのアルバムでの伴奏とプロデュースも見事だったと感心したので、新作も迷わず買った。

 

 

そうして聴いてみたOKIさんの『UTARHYTHM』、これがもう一度聴いただけで完全にノックアウトされちゃったんだなあ。おそらく十年に一枚出るか出ないかというとんでもない作品に間違いないと一度聴いて直感し、何度も繰返し聴き込んだ今は心の底からそれを確信している。

 

 

Astralさんがブログでお書きになっているように(http://astral-clave.blog.so-net.ne.jp/2016-03-09)、僕も一種のグルーヴ馬鹿みたいなところがあって、楽しく踊れるか、思わず腰が動くか、ノレるかどうかという基準でポピュラー音楽を判断する人間で、『UTARHYTHM』はその点最高だ。

 

 

『UTARHYTHM』のリズム・セクションである中條卓のベースと沼澤尚のドラムスが創り出すグルーヴ感のカッコよさといったら、世界中見渡しても最近の音楽では比肩しうるものがあまりないんじゃないかなあ。それが一番よく分るのがアルバム・ラストのインスト・ジャム「NT Special」。

 

 

「NT Special」でのリズム・セクションとHAKASE SUNのキーボード、そしてトンコリを弾くOKIさんらが創り出すグルーヴ感は、21世紀では疑いなく最高のものの一つだ。ファンクとしては1960年代末〜70年代前半のジェイムズ・ブラウンに負けているだけだろう。

 

 

「NT Special」でもそうだし他のほぼ全ての曲でそうなんだけど、この新作アルバムでOKIさんがトンコリで出す音は、僕の耳には2011年の大傑作『オイ!リンバ』におけるサカキマンゴーさんの親指ピアノに非常に似ているように聞える。両者の音楽的共通性はよく分らないけど、近いね。

 

 

OKIさんのトンコリとサカキマンゴーさんの親指ピアノが近いというのは、単にその楽器の音だけというんじゃない。バンドの創り出すポリリズミックなグルーヴ感と一体になっているという点でも音楽的に通底するものがあるんじゃないかなあ。『UTARHYTHM』にはアフリカも感じるしね。

 

 

アフリカ的といえば、『UTARHYTHM』九曲目の「Wenko Rock」にはブラジル人パンデイロ奏者のマルコス・スザーノが参加しているんだけど、マルコスを加えてバンドとOKIさんが出しているポリリズミックなサウンドは、一種のアフロビートみたいなものなんじゃないかなあ。

 

 

ジェイムズ・ブラウンらのファンク・ミュージックとフェラ・クティらのアフロビートは、今更言うまでもなく密接な関係があるわけだけど、『UTARHYTHM』にはそれら両方を感じるんだなあ僕は。まあ基本的にはこのアルバムはファンクなんだろうと思うんだけど、かなりアフリカ的でもある。

 

 

OKIさんが果してアフリカ音楽を意識して『UTARHYTHM』を創ったのかどうかは僕には分らないんだけど、OKIさんはもちろんアフロビートはじめアフリカ音楽も間違いなくたくさんお聴きのはずだから、やはりなにか彼の音楽の血肉になって活きているんだろう。音を聴けばそれは分る。

 

 

最高の名手であるトンコリやムックリなどの演奏に比べたら、OKIさんのヴォーカルははっきり言ってやや弱いようには思う。その点でも親指ピアノの名手にして歌は少し弱いサカキマンゴーさんに似ている。しかしOKIさんの乱暴に吐出して投げつけるような歌い方にはかなりの迫力がある。

 

 

『UTARHYTHM』ではヴォーカルもさることながらOKIさんのトンコリやムックリが大きくフィーチャーされていて、ヴォーカル・ナンバーでもインスト演奏部分がかなり長いものが多いというのは正解だったと思える。その方が僕にはノリやすいしバンドのグルーヴ感もたっぷりと味わえる。

 

 

アルバム中一番長い六分の二曲目「City of Aleppo」でもやはりそうで、最初無伴奏でOKIさんのトンコリ演奏がしばらく続くなと思って聴いていると、それが止った瞬間にバンドの演奏が入ってきて、レゲエのビートを叩出す。ここでもHAKASE SUNのキーボードがいい感じ。

 

 

「City of Aleppo」もトンコリをフィーチャーしたインストルメンタルなんだけど、レゲエのビートとダブ的な音処理と相俟って独特の雰囲気を出しているね。六分のトンコリ演奏があっと言う間に感じるくらい心地良い。あとリズム・セクションもさることながらHAKASE SUNのキーボードがやはり肝。

 

 

沈み込むようなヘヴィーな感じではじまる三曲目「Hekuri Sarari」は、途中からリズムがグルーヴィーに跳ねてやはりこれもファンクだなあ。ポリリズミックでもある。先にリンクを貼ったブログでAstralさんはリー・ドーシーの「イエス・ウィ・キャン」を感じると書いていらした。

 

 

僕は「Hekuri Sarari」にリー・ドーシーは薄くしか感じないんだけど、それでもAstralさんのおっしゃりたいことは分るつもり。ソウルやファンクやアフロなグルーヴとフィーリングが、カラフト・アイヌ由来の楽器と音楽と融合して言うことない現代最高の音楽に昇華されている。

 

 

四曲目の「Arahuy」の途中でトンコリとヴォーカルが奏でる旋律は、まるで日本本土の民謡そっくりに聞えるんだけど、これもやはりアイヌの伝承曲ではあるんだろうなあ。この日本民謡そっくりなマイナー・メロディを現代のポリリズミックなファンク・グルーヴに乗せて演唱するもんだから、こりゃもうたまらん。

 

 

リズム・セクションとキーボードを中心にしたバンドの出すグルーヴ感といい、それに乗せてOKIさんが弾くトンコリの魅惑的な響きといい、やはりこれは2011年のサカキマンゴーさんの大傑作『オイ!リンバ』にも共通する<21世紀性>を感じる最高の音楽だ。これを聴かない手はないよ。ジャズ・ファンもJTNC系やなんかにうつつを抜かしてないで、こういうのを聴いてよね。こういうのこそが最新型の音楽だぞ。

2016/04/08

マイルスとプリンスの知られざる関係

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1986年ワーナー移籍後のマイルス・デイヴィスが、同社所属だったプリンスとの音楽的交流を深めていくことになったのは有名なことだけど、あまり知られていないと思うのはマイルスのワーナー移籍第一作が、プロデューサー、トミー・リピューマの当初の構想ではプリンスとの合作だったらしいということだ。

 

 

トミー・リピューマが一体どんな具合のアルバム企画を練っていたのか、今となっては全然分るわけもないんだけど、この話が本当ならば1986年のマイルスのワーナー移籍は、そもそも最初からプリンスと共演するのが目的だったということになる。僕もこれを知ったのはかなり最近のことなのだ。

 

 

1986年のプリンスといえばアルバム『パレード』をリリースした時期で、これと次作87年の『サイン・オ・ザ・タイムズ』こそプリンスのスタジオ・アルバムではいまだに最高作だろうと僕は考えているので、一番脂が乗っていた時期だ。マイルスとの共作が創れれば最高だったんだけどなあ。

 

 

マイルスはその前からプリンスに注目していていろいろと聴いてはいたようだ。例えば1984年の『パープル・レイン』ラストのタイトル曲をえらく褒めていて、自分でも演奏してみたいと当時のインタヴューで語っていたくらいだった。僕の知る限りではそれがマイルスがプリンスに言及した最初。

 

 

1985年のコロンビア最終作『ユア・アンダー・アレスト』にはマイケル・ジャクスンの「ヒューマン・ネイチャー」とシンディ・ローパーの「タイム・アフター・タイム」があり、この二曲はその後91年に死ぬまでずっとライヴでは欠かせないレパートリーだったから、既にポップ化の兆しがあった。

 

 

しかもいまだに未発表のままだけど、同じコロンビア時代末期に、ティナ・ターナーの復帰作『プライヴェイト・ダンサー』からの一曲「ワッツ・ラヴ・ガット・トゥ・ドゥー・ウィズ・イット」(愛の魔力)もスタジオ録音している。ライヴでも演奏していて聴けるブートCDが一枚だけある。

 

 

プリンスの「パープル・レイン」関連のマイルス発言はその一年くらい前のことだったし、1986年には同じワーナーに移籍したんだし、当時も今もプリンスは現役バリバリで活動中なんだから、正式共演が一度も実現しなかったのがどうしてだったのか、むしろかなり不思議に思えてくるくらい。

 

 

同じように1969年頃にジミ・ヘンドリクスとの交流がマイルスにはあって、共演が実現しなかったのはジミヘンが70年に死んでしまったからなんだけど、それとは全然事情が違うもんなあプリンスとの場合は。まあ超大物同士の共演というのは、僕ら素人が望むように簡単には実現しないものなんだろう。

 

 

正式共演こそ実現しなかったものの、ワーナー移籍後のマイルスとプリンスの交流はかなり活発で、テープで音源のやり取りなども盛んに行っていたようだ。その頃もマイルスはテープで送られてきたプリンスの音源を聴いて、ギターもキーボードも最高に上手いぞとインタヴューで発言している。

 

 

マイルスの方から一体どんな音源をプリンスの方に送っていたのかは全く想像が付かないというか、送らなかったんじゃないかなあ。当時からはるかに売れていてビッグ・スターなのはプリンスの方だけど、アメリカ音楽業界ではマイルスの方が随分と先輩だから、プリンスからしたら仰ぎ見るような心持だったかもしれないから。

 

 

だから自分の音源をマイルスが聴いてもしそれをマイルスが気に入ってひょっとして正式録音でもしてアルバム収録してくれるようなことがあったならば、プリンスとしては望外の喜びというものだったんだろう。マイルスの方が自分の曲をプリンスに演奏してほしいなんてことは思わなかったかもしれない。

 

 

マイルスのワーナー移籍第一作『TUTU』(というタイトルも、全レコーディングが終了してから付いたものだけど)が、当初の構想とは違って結局プリンスとの合作とはならず、同じマルチ楽器奏者マーカス・ミラーとの全面的共作になったのは、できあがったアルバムを聴くと成功したんだろうね。

 

 

『TUTU』こそ1981年復帰後のマイルスのスタジオ作品では僕が一番高く評価するものだ。確か発売当時にピーター・バラカンさんも同じ意見をラジオで述べていた。一時期のプリンス的なスタジオ密室作業でのマーカス・ミラーによる一人多重録音に、マイルスがトランペットをかぶせたもの。

 

 

一曲だけB面トップの「バックヤード・リチュアル」が、マーカスではなくジョージ・デュークの曲で、エレベとパーカッション以外全部ジョージ・デュークの一人多重録音に、オーヴァー・ダビングしたマイルスのトランペット。他のマーカスによる曲でも、一部でオマー・ハキムやポーリーニョ・ダ・コスタらが参加している。

 

 

そういう『TUTU』だって最初からマイルスのアルバムとしてレコーディングがはじまったものではない。最初はマーカス・ミラーが自分の作品用にとスタジオでコツコツと一人多重録音を繰返していたもので、スタジオを訪問したかつて(1981〜83)のボスが気に入ってしまっただけなのだ。

 

 

これに自分のトランペットをかぶせたいとマイルスが言出して、マーカス・ミラーもそれならと新たにマイルスの作品用にと曲も創り直したりなどして、アルバム制作がはじまったものだ。1983年1月のスタジオ録音「イット・ゲッツ・ベター」(『スター・ピープル』)を最後にマイルス・バンドを脱退して以後はこれが初の再共演。

 

 

そしてこの『TUTU』が音楽的に評価され商業的にも成功したので、その後のワーナーでのスタジオ・アルバムは、イージー・モー・ビーとのコラボによる遺作『ドゥー・バップ』以外は、全部マーカス・ミラーとのコラボ・アルバムになったというわけなのだ。『シエスタ』と『アマンドラ』の二枚しかないけどね。

 

 

もっともマーカスとマイルス以外には極少数の例外的ゲストしか参加していない『TUTU』と『シエスタ』に比べたら、1989年の『アマンドラ』には当時のマイルス・レギュラー・バンドの面々をはじめ、結構多くのミュージシャンが参加して、なかにはアル・フォスターがドラムスを叩くものもある。

 

 

アル・フォスターがドラムスを担当するのは、アルバム・ラストの「ミスター・パストリアス」だけど、この曲名はそもそも作曲者マーカス・ミラーの敬愛する亡くなった先輩ベーシストの名前なんだし、これ以外もほぼ全部の曲をマーカスが書きアレンジし多くの楽器を多重録音している。

 

 

プリンスとの交流の方はどうだったかというと、三曲だけマイルスが採用して演奏したプリンスの曲がある。1988年にプリンスがミネソタのペイズリー・パーク・スタジオで録音した「17」「19」「ア・ガール・アンド・ハー・パピー」。これをプリンスは91年1月にマイルスに提供している。

 

 

これら三曲にマイルスがトランペットをかぶせた上で送り返してほしいとプリンスは添えたらしいのだが、マイルスは送り返さず、その三曲を「17」は「ペネトレイション」、「19」は「ジェイルベイト」と改題し、もう一曲と併せ、当時のレギュラー・バンドに教えて同年三月にスタジオ録音している。

 

 

三曲ともいまだに未発表のままなので、僕みたいなマイルスとプリンス双方の熱心なファンにしたらどうして早く出さないんだと歯ぎしりするばかりなのだが、ライヴでは演奏していたようなので聴けるブートが一つだけある。それでかろうじて喉の渇きを癒している程度。ワーナーさん、早く出せよ!

 

 

一曲だけライヴ録音されているものとは、以前も触れた1991/710のパリ同窓会セッション・ライヴで、当時のレギュラー・バンドが「ペネトレイション」を演奏しているものだ。僕の憶測では他の二曲も演奏されたんじゃないかという気がする。

 

 

 

しかしながら、現在この時のライヴが聴けるブート二枚組『ブラック・デヴィル』にも「ペネトレイション」しか入っていないし、ブートでも他の二曲を聴けるものは存在しない。なおそれら三曲のスタジオ録音は、マイルスの死後に出た遺作『ドゥー・バップ』に、追加録音して収録しないかとワーナーがプリンス側に打診したようだけど、プリンスは断っている。

 

 

また時代が戻るけど、マイルスは1987年7月の東京公演一曲目の「ワン・フォーン・コール〜ストリート・シーンズ」の中で、プリンスの『サイン・オ・ザ・タイムズ』二枚目B面の「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」でのホーン・リフをそのまま借用して使っている。『サイン・オ・ザ・タイムズ』は同年三月リリース。

 

 

 

プリンスは頑迷偏屈なYouTube否定人間だから、「イッツ・ゴナ・ビー・ア・ビューティフル・ナイト」の方はこれまた音源を貼って参照していただけないのが残念だ。それにしても熱心なマイルス・リスナーにして熱心なプリンス・リスナーという人は日本にも結構いるはずだけど、当時も今もこのことに触れてある文章を全く見掛けないのはなぜだろう?

2016/04/07

White Beauty?

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こんなブログ・タイトルだし、毎日の記事内容も殆どが黒人音楽関連だし、熱心な中村とうよう信者だし、僕はカントリーとかブルーグラスとかのアメリカ白人音楽は、とうようさん同様に嫌いなんじゃないかと思われていそうだよね。

 

 

実はそんなに嫌いでもなく、カントリーやブルーグラスなどもまあまあ聴くのだ。というかそういうのを聴かないとロックなどのことはよく理解できないんだろうと思う。つまり僕の場合はロックを積極的にどんどん聴くようになって、そうするとその中に白人音楽の要素がかなりあることに気が付いた。

 

 

例えばエルヴィス・プレスリーの初期サン・レーベルへの録音集。現在ではCD二枚組でコンプリートな形で聴けるけれど、あれなんか相当にヒルビリー(この言葉はもう使われないらしいのだが)の要素があることは黒人音楽ばかり聴いているリスナーでも分ることだろう。

 

 

サン時代のエルヴィスの最高傑作であろう「ザッツ・オール・ライト」もウッド・ベースのスラップが聞えるし、リズムを刻むのはアクースティック・ギターで、ドラマーなし、エレキ・ギターのソロはあるけれど実に素朴なヒルビリー・サウンドだよねえ。曲の形式はブルーズだから黒人音楽的というかそもそもアーサー・クルダップのカヴァーだ。

 

 

 

R&B歌手ワイノニー・ハリスの「グッド・ロッキン・トゥナイト」もサン時代にカヴァー録音(というかサン時代は全部カヴァーなんだけど)しているけれど、エルヴィスのをワイノニーのヴァージョンと聴き比べればもう真っ白けで、これでどこが「黒人みたいにR&Bを歌える白人歌手」なのか。

 

 

ワイノニー・ハリス→ https://www.youtube.com/watch?v=Xo9auUfitVA

 

 

 

全然違うよね。エルヴィスの歌い方は1954年時点での白人歌手としてはブラック・フィーリングがあるんだろうけれど、バックのサウンドはもう全然真っ白け。

 

 

サン時代のエルヴィスはどれもこれもこんな感じで歌っているのは全部黒人R&Bナンバーでエルヴィスの歌い方だけがちょっぴり黒いかなと思うだけで、サウンド全体は全然黒くない。それでもこれがさっき貼ったワイノニー・ハリスみたいなサウンドだったら売れなかったんだろうからね。

 

 

しかし1956年にメジャーのRCAに移籍すると、より黒さが増しているように感じるからよく分らない。というのはメジャー・レーベルの方がより多くの一般白人聴衆にアピールすべく腐心するはずだから。サン・レーベルはメンフィスのインディペンデントだ。

 

 

RCA移籍後第一作の「ハートブレイク・ホテル」などは強烈なエコーがかかっているせいもあってブルージーに聞えるせいか、もうどこをどう切取っても黒人音楽だとしか思えない。  これなら黒人音楽ファンにも好かれそうだよね。

 

 

 

実際以前お付合いのあった白人音楽大嫌いで熱烈な黒人音楽ファンの友人男性は、エルヴィスは「ハートブレイク・ホテル」だけならいいと言っていたもんね。しかしながらRCA移籍後で一番いいというかこの年しか聴けないとすら思う1956年録音でもかなりカントリーっぽいフィーリングは聞取れる。

 

 

ヒルビリーからの造語でロカビリーと呼ばれるそんな初期エルヴィスのカントリー・ミュージック要素に導かれいろいろとアメリカ白人音楽も聴くようになると、これが結構楽しいんだよね。手許にハンク・ウィリアムズの『オリジナル・シングルズ・コレクション』という三枚組ボックスがあって愛聴盤だ。

 

 

ハンク・ウィリアムズのその三枚組ボックスは米ナッシュヴィルのCDショップで見つけて買って帰ったもの。もちろん日本でだって普通に売っていただろうけれど、ナッシュヴィルで見つけて買ったというのがなにかこう因縁めいていていいじゃないか(←アホ)。

 

 

だってナッシュヴィルはカントリーなどアメリカ白人音楽のメッカだもん。18年ほど前に僕が旅行した時も食事をしたレストランではカントリー・ミュージックの生演奏バンドが入っていることが多かったし、そうでなくても街中を歩いていてもよくそんな音楽がどこからともなく聞えてきたもんね。

 

 

ザ・カントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイムにも行って楽しかった。そんなこんなでどうして行ったのかよく憶えていないナッシュヴィルでかなりカントリー・ミュージックに興味を持って、名前だけはよく知っていたハンク・ウィリアムズのCDボックスも買ってのめり込むようになった。

 

 

以前ストリング・チーズ・インシデントというブルーグラス系ジャム・バンドの話をしたことがある。彼らに興味を持ったのはその時書いたようにウェザー・リポートの「バードランド」を何度も繰返し録音しているからだけど、CDを通して聴くと彼らの超高度な演奏力に引込まれてしまったんだなあ。

 

 

カントリー(とちょっと違うらしいブルーグラスも含め)はアメリカ人の心の歌だという説がある。演歌が日本の心だとかいうのと同じくこの手の表現は信用しないことにしているんだけれど(大好きなものもたくさんある演歌はごく最近成立したもので「伝統文化」なんかじゃない)、カントリー・ミュージックは少なくともアメリカ大衆音楽の世界で抜きがたいエッセンスであることは確か。

 

 

カントリーがロックの重要な母胎にもなったというだけではない。ロックは白人音楽なんだろうけれど黒人音楽の粋みたいなソウル・ミュージックにだって白人音楽の要素が溶け込んでいるもんね。サザン・ソウル歌手キャンディ・ステイトンの代表曲「スタンド・バイ・ユア・マン」は元はカントリー・ナンバー。

 

 

あるいはメンフィスのサザン・サウンドの代表的なスタジオであるリック・ホールのフェイム・スタジオのミュージシャンだって全員白人で、彼らが多くの黒人サザン・ソウル歌手の伴奏をやった。もちろんある時期からのいわゆるフェイム・ギャングには黒人ミュージシャンが何人も加わっているけれどね。

 

 

こういうのは黒人音楽視点からの白人音楽ということだけど、白人カントリー・ミュージックそれ自体楽しい。アクースティック・ギター+ペダル・スティール・ギター+フィドル程度でドラムレス編成で歌うことが多く、ハンク・ウィリアムズの録音集だってだいたい全部そう。

 

 

ペダル・スティール・ギターの音を聴くと和田弘とマヒナスターズなどを連想する日本人が多いように思うけれど、僕が連想するのはセイクリッド・スティール以外では、ローリング・ストーンズの例えば「ファー・アウェイ・アイズ」などのカントリー・ナンバーでロン・ウッドが弾くペダル・スティールだなあ。

 

 

ボブ・ディランだってペダル・スティールやヴァイオリンをよく使っているよね。ディランの音楽にも相当な質・量のカントリー・ミュージックが混じり込んでいる。彼はよくナッシュヴィルで当地のミュージシャンを起用して録音するし『ナッシュヴィル・スカイライン』みたいなカントリー・アルバムだってあるし。

 

 

ハンク・ウィリアムズには「モーニン・ザ・ブルーズ」(Moanin’ The Blues)という曲があって、曲形式はブルーズでもなんでないしフィーリングとしても特にブルーズは感じないんだけれど、歌い方がちょっと面白いんだよね。

 

 

 

「ホンキー・トンク・ブルーズ」というタイトルの曲だってあるよ。これもブルーズではないけれどハンクの歌い方がやはり「モーニン・ザ・ブルーズ」みたいなちょっと声が裏返って震わせるような感じでちょっと面白いんだよね。

 

 

 

またハンクは「ジャンバラヤ」という曲のオリジネイター。ケイジャン料理について歌った曲(ジャンバラヤという料理は僕もガンボとともにニューオーリンズでよく食べた)だから、プロフェッサー・ロングヘアはじめニューオーリンズの黒人ミュージシャンもよくやっている。

 

 

 

しかしこんな記事タイトルをつけて白人音楽も好きだとかなんだかんだ言いながら、ハンク・ウィリアムズとかストリング・チーズ・インシデントとかの黒いフィーリングのあるのが好きなのか僕は(苦笑)。もちろんブラック・ミュージックに比べたら全然聴いていないのは確かだが。

2016/04/06

『サージェント・ペパーズ』は持上げられすぎだ

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大学院生〜助手時代に大変お世話になった篠田一士さん(先生と呼ぶべきかもしれないが、とにかく学校内ですら学生からそう呼ばれるのを極端に嫌って絶対に許さなかった人だから)。英文学の大学教授にして文芸批評家だったわけだけど、大変なクラシック音楽リスナーでもあった。

 

 

篠田さんが僕の助手三年目に亡くなったあと、よく分らないからと遺された本とレコードの整理を奥様に頼まれてご自宅に伺うと、膨大なクラシックのレコード・コレクションのなかに一枚だけロックのレコードがあった。

 

 

それがビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』。篠田さんはクラシックばかり聴いていて、英文学の授業中にも例えばチェコ生れフランス在住の小説家ミラン・クンデラとヤナーチェクのオペラとの関係を語ったり、助手時代にも研究室や食事の席でいろんな音楽の話を伺っていたりした。

 

 

それなのにどうして一枚だけビートルズの『サージェント・ペパーズ』のレコードを持っていたのかは、なんとなく分るような気がする。なんといってもポピュラー・ミュージックの歴史を変えたとまで言われるエポック・メイキングな作品だから、篠田さんも興味があったはずだ。

 

 

英文学者にしてクラシック・リスナーの篠田さんが『サージェント・ペパーズ』をどう聴いていたのかは全然分らないし、このレコードの話なんかは全く聞いたこともない。ポピュラー・ミュージックのレコードはこれ一枚しかお持ちでなかったようだから、やはり単発的な興味にとどまっていたのだろう。

 

 

僕もビートルズを知った頃から『サージェント・ペパーズ』こそビートルズの最高傑作にしてロック史上に燦然と輝く金字塔だというような評価が定着していたので、まあそうなんだろうなと思い込み、実際日本語でも英語でもそういうことが書いてある文章を実に頻繁に目にしていた。

 

 

LPレコードで出てくる音だけを聴いても、やはりそういう作品なんだろうと長年実感していた。でもまあ『サージェント・ペパーズ』についてはあまりに高評価な言説が流布しまくっていたので、完全に先入見を捨てて「音」だけ聴いて判断するのもやや難しかったのも事実だった。

 

 

1987/88年にビートルズの全公式オリジナル・アルバムがCDリイシューされた時に買揃え、それでしばらく聴きまくっていた頃から、どうも僕の中でこの『サージェント・ペパーズ』に関する評価がかなり変り始めてきた。エポック・メイキングな作品ではあるものの最高傑作ではないだろうと。

 

 

一般に『サージェント・ペパーズ』はロックがアルバム単位の「芸術作品」としての聴取に値する音楽だと見做されるようになった最初のようなものだと言われる。だけど今聴くとアルバム全体を通しての流れとか統一性とか一貫性みたいなものは大したことはないというか薄いように思うんだよねえ。

 

 

アルバム単位での構成を特に主導的役割を果したポールは意識したらしいのだが、そして実際<ペパー軍曹のロンリー・ハーツ・クラブ・バンド>という架空のバンドのステージを収録するという一種のメタ・フィクション的な構成で創られた作品ではあるけれど、今聴き返すとその目論見は成功していないような。

 

 

前作『リヴォルヴァー』までと大して変らないような曲群の寄せ集めにしか今の僕には聞えないんだなあ。そして一曲ずつ取出せば一つ一つの楽曲の出来は『ラバー・ソウル』『リヴォルヴァー』などの方が粒揃いだ。この二枚の収録曲中の優れた曲に匹敵する『サージェント・ペパーズ』収録曲は少ない。

 

 

「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」と「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」くらいじゃないかなあ傑作曲と言えるのは。もちろん他の曲だって別に嫌いだとか優れていないとか凡曲だとか言いたいわけじゃなく好きなものばかりなんだけど、傑作曲とも言いにくいように思う。

 

 

その二曲だって、それらに先立つ「ドライヴ・マイ・カー」「ミッシェル」「イン・マイ・ライフ」「タックスマン」「エリナ・リグビー」「ヒア、ゼア&エヴリウェア」「アンド・ユア・バード・キャン・シング」「フォー・ノー・ワン」「トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ」などなどに比べたら・・・。

 

 

アルバム全体の構成という意味でも、その後の『ホワイト・アルバム』や『アビー・ロード』(の特にB面)のこの曲順以外は考えられないと思える絶妙極まりない構築美に比べたら、『サージェント・ペパーズ』は緩いというか緊密ではないというか、もっとはっきり言えばダメなんじゃないかなあ。

 

 

そう考えると一曲一曲の魅力でもアルバム全体の構成美でも、ビートルズの他のアルバムに劣っているとしか思えない『サージェント・ペパーズ』の優れた点というのは、単なる一音楽作品という意味合いではないもっと他のポピュラー文化的な影響力においてしか考えられないように思えてくるよね。

 

 

何度も書いているように僕は「聞えてくる音」でしか判断できないという音楽リスナーで、時代・社会・文化的な側面とかいうものはそれら全て音を聴いての感動や非感動を説明するためにだけの補完要素としてしか考えない人間だ。そして『サージェント・ペパーズ』の場合そういう補完要素が多すぎる。

 

 

『サージェント・ペパーズ」だけでなくいわゆる世間的に名盤といわれるものは、聴く前から入ってくる情報が多すぎてなかなか虚心坦懐に「音」だけに向合うということができにくい。僕は音楽の「真実」とは音にしか存在しないと思っているので、聴く前になるべく情報を入れないようにしている。

 

 

『サージェント・ペパーズ』はただの音楽作品というだけではなく、その世界を越えてポピュラー文化全般に大きな影響を与えた記念碑的作品ということになっているから、ますます音だけに向合いことが難しい。もちろん音楽作品は時代や社会や文化などと切離すことは絶対に不可能なものだけど。

 

 

書いたように僕は聞えてくる音だけで判断する人間だけど、それでも音楽に政治や社会の問題を持込むななどという昔から結構な数がいる人達の意見にはちっとも賛成できない。音楽作品は社会的産物であって、そしてできあがった音楽作品がまた社会に影響を及す。社会や政治や時代を無視して理解はできない。

 

 

最近も『ミュージック・マガジン』がSEALDs特集を組んだ際、音楽と政治を混ぜるなという意見がネット上に溢れたけれどもアホらしかった。1970年代のマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダーやカーティス・メイフィールドは(ヴェトナム)戦争や米国社会の闇とかそんなことばっかり歌っているぞ。

 

 

音楽と政治・社会問題をまぜこぜにするななどと言出したら、聴ける音楽なんて殆どなくなっちゃうね。一見そういう問題と関係が薄いように見える一部のクラシック音楽やジャズ音楽なども、実は創られた時代や社会と密接に結びついている。マックス・ローチやチャールズ・ミンガスだけじゃないんだ。

 

 

だからビートルズの『サージェント・ペパーズ』を1967年という時代を抜きにしては聴くこともできないんだけれど、それもこれも全部ひっくるめた上で2016年の現在、音だけを聴いて判断する限りでは、どうもこの作品は持上げられすぎなんじゃないかとと思う。60年代なら違ったんだろうけどね。

 

 

『サージェント・ペパーズ』は凡作だとかそんなことを言っているのではないし、今だって聴けば僕も大好きなのだ。そもそもビートルズに嫌いな作品や凡作なんて一つも存在しない。全てが傑作だ。だけど今の僕の耳にはさらにもっと音楽的魅力のあるアルバムや曲があるように聞える。

 

 

過去の言説に惑わされにくい10代・20代の若いファンの方々のなかには、『サージェント・ペパーズ』より『リヴォルヴァー』とかの方がいいと発言する人が多くいて、僕はそういう耳と判断の方が真っ当だと思う。僕は何十年もかかったけれど、「定説」抜きで音だけ聴けば、若くなくたってそうなるはず。

 

 

ジャズ・ファンである僕は、B面のポールが歌う「ウェン・アイム・シックスティー・フォー」がディキシーランド・ジャズ風で楽しいねと思ったりすることはある。ビートルズ時代のポールには、こういった古いジャズ・ポップ風な曲がいろいろあるよね。

 

 

今の僕が『サージェント・ペパーズ』で一番好きなのは、アルバム・ラスト「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の前の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」だ。二分もない曲だけどカッコイイ。レッド・ツェッペリンの「移民の歌」のギター・リフはこれからパクったに違いないと思っている。

 

 

また「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプリーズ)」は、ステレオ版とモノラル版で終盤でのポールの歌い方が異なっている。モノラル版の方にはステレオ版にはないポールのワイルドなシャウトが入っていて、こっちの方がいい。僕は2009年リリースのモノ・ボックスで初めて聴いた。

2016/04/05

モダン・ジャズの器楽曲と歌は水と油

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ヴォーカリーズというものがある。ヴォーカル曲ではないジャズの楽器奏者によるテーマやアドリブに歌詞を付けて歌うことを指す。意味のある歌詞のない音だけの歌はスキャット、意味のある歌詞のついたものがヴォーカリーズ。そして僕はこのヴォーカリーズがイマイチ好きではないというか苦手なのだ。

 

 

以前エラ・フィッツジェラルドについての文章で、スキャット・ヴォーカルが(ルイ・アームストロングなどの一部例外を除き)イマイチ好きではないと書いたけど、スキャットはまだ器楽的唱法だけが目的だから聴ける。それに対してヴォーカリーズとなるとこれはもうどこがいいんだか。

 

 

一番有名なヴォーカリーズの人はおそらくランバート、ヘンドリクス&ロスだろう。1957年結成のヴォーカル・トリオ。最初のレコードがカウント・ベイシー曲集で、62年にアーニー・ロスが脱退するまで七枚のレコード・アルバムがある。デイヴ・ランバートが66年に亡くなって完全に終焉した。

 

 

ランバート、ヘンドリクス&ロスのレコードは大学生の頃にジャズ喫茶でかなり聴いた。がしかしその当時は、どこがいいのかサッパリ理解できず、耳を塞ぎたくすらなってしまうような気分だった。器楽的でメカニカルな旋律に歌詞を付けて歌い廻すというのがもうどうにも生理的に無理だった。

 

 

ランバート、ヘンドリクス&ロスの録音は別に全部が全部そんなメカニカルなヴォーカリーズではない。普通の歌ものもたくさんあってそういうのは好きだった。以前書いたようにある時期以後はコーラスで歌うアメリカン・ヴォーカルが大好きな僕だから、普通の歌ものコーラスは楽しい。

 

 

でも元々楽器で演奏するために創られたメロディや楽器によるアドリブ・ラインに意味のある歌詞を付けてコーラスで歌うというのは、どこが面白いんだろう?そういうものなら楽器演奏を聴けばいいんじゃないか?歌手はやはり普通のというか美しいメロディのある歌を歌ってほしいぞとそんな気持だった。

 

 

ランバート、ヘンドリクス&ロスにはかなりのジャズ器楽曲があって、先に書いたベイシー曲集以外にも「エアジン」(ソニー・ロリンズ)、「フォー」(マイルス・デイヴィス)、「モーニン」(ボビー・ティモンズ)、「ミスター PC」(ジョン・コルトレーン)、「ナウ・ザ・タイム」(チャーリー・パーカー)などなど。

 

 

しかしそれらはどれを聴いても現在でもピンと来ないのだ。唯一感心するのがアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ・ナンバー「モーニン」における、テーマのコール&リスポンスのリスポンス部分が「イエス、ロード!」となっていることだけ。この曲はゴスペル・タッチだからこの歌詞でのやり取りは理解できる。

 

 

それ以外はどれもちょっとなあ。楽器のアドリブ部分などもメロディを忠実に再現しているけれど、そもそもビバップ以後のモダン・ジャズのメカニカルな楽器フレーズとヴォーカルというのは水と油なんじゃないかと思っている僕だからなあ。非常に細かいフレーズを歌いこなす技巧は最高だと感心はするけどね。

 

 

「ナウ・ザ・タイム」なんかもパーカーのサヴォイ録音におけるマイルス・デイヴィスのソロも全くそのまま再現しているけど、ああいうのを聴くならマイルスの1958年『マイルストーンズ』収録の「ストレート、ノー・チェイサー」におけるレッド・ガーランドによるゴマスリを聴く方がまだマシだ。

 

 

ひょっとしてご存知ない方がいらっしゃるかもしれないので書いておくと、あのマイルス1958年「ストレート、ノー・チェイサー」でのレッド・ガーランドは、ピアノ・ソロの終盤で、パーカーの45年サヴォイ録音「ナウ・ザ・タイム」におけるマイルスのソロをソックリそのままブロック・コードで再現している。

 

 

レッド・ガーランドのそれはボスの目の前でそれを弾いてみせたというのが、僕はちょっとどうにもその神経が理解できないというか、いや理解はできるけれど好きになれないんだよなあ。1958年というとレッド・ガーランドはクビ寸前状態だったので、やっぱりゴマスリだとしか思えないんだよね。

 

 

それに比べたらランバート、ヘンドリクス&ロスの「ナウ・ザ・タイム」には、そういったややこしい心情は存在しないのだから素直に聴けるけれど、楽器のアドリブ・パートに歌詞を付けてそのままヴォーカルでやってしまうというのが面白くないと感じてしまう。パーカーのソロもあるいは他の曲でも全部そうだ。

 

 

カルメン・ミランダの多くの曲や美空ひばりの「お祭りマンボ」みたいな、楽器で演奏するような細かいフレーズを速射砲のように繰出す歌は大好きなのに、どうしてなんだろうなあ?ヴォーカリーズも似たような感じだとは思うのに。最初からヴォーカル曲として書かれた曲とはやはり違うのか?

 

 

ジャズ歌手じゃないけれど、ジョニ・ミッチェルの歌う「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」は別に全然嫌な感じはしない。あれはチャールズ・ミンガスの曲だからやはりモダン・ジャズの器楽曲だけど、元々メカニカルな旋律ではないバラードだからかなあ?あれも一種のヴォーカリーズなんじゃないのかな。

 

 

ヴォーカリーズ的唱法はかなり古くからあって、先に書いたように歌詞のあるなしだけでスキャットと本質的には同じようなものだから、スキャットはルイ・アームストロングが初めてやったということになっていて、それは1926年の「ヒービー・ジービーズ」。だから長い歴史があるよね。

 

 

また一部のジャイヴ系歌手、例えばキャブ・キャロウェイやスリム・ゲイラードやレオ・ワトスンなどはヴォーカリーズの先駆的存在だったとも言えるだろう。もっとはっきり分っているものでは1930年代末からのエディ・ジェファースンによるものが実質的なヴォーカリーズのはじまり。

 

 

またジャズの器楽曲に歌詞がついて歌手が歌うことは昔からかなり一般的で、例えばデューク・エリントンの有名曲にはその後歌詞がついたものが多い。その際に曲名が変更されることもある。「ネヴァー・ノー・ラメント」→「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニー・モア」など。

 

 

また「コンチェルト・フォー・クーティー」が「ドゥー・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー」になったりなどなど。あるいは曲名はそのままで歌詞がついたエリントンの有名曲もかなり多くて、いろんな歌手がそれを歌ってきているのだが、それらはヴォーカリーズとは言われないよね。

 

 

ランバート、ヘンドリクス&ロスもエリントンの曲を少しやっていて、「オール・トゥー・スーン」や「キャラヴァン」「イン・ア・メロウ・トーン」「コットン・テイル」など。それらはジョー・ヘンドリクス自身が歌詞を書加えて改訂した「コットン・テイル」を除けばどれも不自然な感じはしない。

 

 

だからやはり以前も書いた通りビバップ以前の古いジャズでは、器楽曲のメロディもまださほどメカニカルではなく、ヴォーカル用に転用しやすい明快でメロディアスな旋律を持っていたのが、ビバップ以後は完全に楽器奏法による機械的に上下するようなラインになって歌とは馴染まなくなったということじゃないかなあ。

 

 

だから歌に馴染みやすい戦前の古典曲ならともかく、モダン・ジャズの器楽曲に歌詞を付けて歌うというヴォーカリーズはやはり僕には違和感があるというのが正直なところ。まあこれは別にランバート、ヘンドリクス&ロスその他ヴォーカリーズの方々はダメだと言いたいわけではないのでご容赦を。

 

 

それでも大学生の頃ははっきり言って嫌いだったそういうヴォーカリーズも、今では聴けば聴いたでそんなに嫌いでもなくというかかなり楽しめるようになったので、少しは僕の耳もマシにはなってきているんだろう。ランバート、ヘンドリクス&ロスだって流し聴きしている分にはそんなに嫌じゃない。

 

 

彼ら三人の残した録音で現在一番好きなのは1961年録音の『ザ・リアル・アンバサダーズ』だ。ランバート、ヘンドリクス&ロスのリーダー作ではなく、ルイ・アームストロングとデイヴ・ブルーベックの共作名義作品にカーメン・マクレエとともに参加したもの。ここではメカニカルな唱法はあまりなくて普通の歌ものだ。

 

 

ランバート、ヘンドリクス&ロスに混じってカーメン・マクレエの粘っこい歌声や、またやっぱりサッチモの声が聞えてくると心の底から安心する。やっぱり僕は根っからのパップス・ファンなんだよなあ。作曲家としてはかなり好きなブルーベックは、ピアニストとしてはどこがいいのか僕には分らないけどね。

 

 

ブルーベックの曲では一番好きな「ザ・デューク」(ここでは「ユー・スウィング・ベイビー」という曲名になっている)と「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」や、またブルーベックの曲ではないが彼が関わったものでは一番有名な「テイク・ファイヴ」もやっている。後者二つは本編とは関係ないCD化の際のボーナス・トラックだけど、三曲とも不自然ではない。もっともそれらではランバート、ヘンドリクス&ロスは歌っていない。

2016/04/04

スヌークス・イーグリンの摩訶不思議なトニー谷奏法

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スヌークス・イーグリンというニューオーリンズのブルーズ〜R&Bのギタリスト兼シンガーを知ったのは、1995年の新宿パークタワー・ブルース・フェスティヴァルでだった。恥ずかしながらそれまで名前すら全く聞いたことがなく、ただ単にパークタワー・ブルース・フェスティヴァルに毎年行っていたというだけ。

 

 

新宿のパークタワー(東京ガス)で毎年12月に開催されていたパークタワー・ブルース・フェスティヴァル、いつ頃から開催されていたものなのかちょっと憶えていないけど、僕はそのスヌークス・イーグリンが出演した前年1994年からなくなってしまう最終年まで毎年行っていた。楽しかったなあ。

 

 

それも理由の一つで1999年にFC東京がサッカーJリーグに加盟してからは、東京在住時代の僕はFC東京のサポーターだったくらいだ。当時はまだJ2所属だったけど、FC東京の母胎は東京ガス・サッカー・チームだったから。そのせいで今でもFC東京のあだ名は「瓦斯」。FC東京サポだったもう一つの理由はフランチャイズが僕の住んでいた地元調布市だから。

 

 

1990年だかのロバート・ジョンスンの二枚組CD完全集をきっかけに、90年代はブルーズのCDが(戦前の古いものも含め)たくさんリイシューされまくっていた時期で、僕もそういうのをたくさん買って聴いていて、一種のブルーズ・ブームみたいなものがあったような記憶がある。

 

 

1995年のパークタワー・ブルース・フェスティヴァルに出演したスヌークス・イーグリンもかなり古くから活動して録音もある人だというのは、もっと後になってから知ったことで、最初に書いたようにこのフェスティヴァルで初めて彼の名前を知った程度だった僕。当然どんな音楽家なのかは全くの手探り状態。

 

 

盲目の人だということも知らなかったんだけど、いざスヌークスの生演奏を聴いたら、これが物凄くてぶっ飛んじゃったんだなあ。特にギターは音だけ聴いていても大変素晴しいものだと実感するんだけど、目の当りにするとこれがもうどうやって弾いているのかサッパリワケが分らない珍妙さ。

 

 

この感想はこの時スヌークスの生演奏を実際に観た多くの人に共通するものだったようだ。なんというかソロバンを弾くトニー谷(古い?)みたいというか、弦をはじく右手がグーとパーを繰返しながらコードとシングル・トーンを交互にというか同時に出すような感じ。僕はかなりの至近距離で観たんだけど全く理解できなかった。

 

 

しかもそのグーとパーを猛烈な速さで繰返して弦を弾きシングル・トーンとコードを出しながら、どうやら同時に親指では低音弦を弾いているようにも見えた。ちょっとワケが分らなかったというか人間業とは思えなかった。今CDで音だけ聴いて確認しても、その親指低音弦弾きは僕には分らない。

 

 

その後スヌークスのライヴ(パークタワーの時のではない)を収録したVHSヴィデオを当時の友人宅で見せてもらってじっくり観察したんだけど、それでも具体的にどのようにして右手で弦を弾いているのかやっぱり把握できなかった。今でもあれはなんだったんだと不思議な思いだけが残っている。

 

 

1995年のパークタワー・ブルース・フェスティヴァルでやった時のスヌークスのバンドはスヌークスのギター&歌、ジョン・オーティンのオルガン&ピアノ、ジョージ・ポーター・Jrのベース、ジェフリー・ジェリービーンズ・アレクサンダーのドラムスという編成だった。みんな初来日だったのだろうか?

 

 

このメンツを僕は憶えていたわけではない。この時のライヴを収録したライヴ盤CD『ソウル・トレイン・フロム・ノーリンズ』が出ていて、そのライナーを読返したら書いてあったというだけ。だけどベースのジョージ・ポーター・Jr とドラムスのジェリービーンズのことはよく憶えている。

 

 

ジョージ・ポーター・Jr は言うまでもなくミーターズで活躍した実力者で、この時のスヌークスのライヴでも実に堅実なサポートぶりだったのと、演奏面以外でもスヌークスを助けていたのを憶えている。そしてそれ以上にスヌークス同様驚いたのがジェリービーンズのドラムスだった。凄かった。

 

 

他のメンバーに比べたら若そうに見えたジェリービーンズ、ドラムス演奏技術の詳しいことは分らない僕だけど、ジェリービーンズのドラムスはアフタービートの効いた実によく跳ねてスウィングするもので、ニューリーンズ・ファンク・ベースのジョージ・ポーター・Jr と絶妙なリズムを創り出していた。

 

 

この時のスヌークスの演奏に大変感銘を受けた僕は、すぐにCDショップに行って彼のアルバムを探したんだけど、彼のこれ以前のアルバムはあまり見つけられなかった。買えたのはブラック・トップから出ていた『ティージン・ユー』だけで、翌年に新録音の『ソウルズ・エッジ』が出てそれも買った。

 

 

そして1995年のパークタワー・ブルース・フスティヴァルでのライヴを収録した『ソウル・トレイン・フロム・ノーリンズ』も翌96年に出て、内容を思い出し噛みしめるようにしながらじっくり聴直した。CDで音だけ聴くと極めて真っ当なブルーズ〜R&B系のギタリストだね。

 

 

それら1990年代に録音したアルバムだけでなく、50〜80年代の過去のアルバムもCDリイシューされて、そういうのも買ったはずなんだけど、自室を探しても殆ど出てこないのが不思議だ。今すぐ手に取れるスヌークスのCDは前述の三枚だけ。それら三枚の中では『ソウルズ・エッジ』が一番好き。

 

 

当時読みかじっていた情報によれば、スヌークスはなんでも「人間ジュークボックス」ともあだ名されるほどで、すぐに演奏し歌えるレパートリーがなんと千曲以上もあったらしい。幼少時に失明したようだから、当然盲目者用のもの以外の普通の譜面は読めない。全部レコードとラジオで聴き憶えたらしい。

 

 

余談だけど盲目者用の点字譜面というものがあることを知ったのは、例の「ウィ・アー・ザ・ワールド」のメイキング・ヴィデオを観た時で、そこではスティーヴィー・ワンダーがレイ・チャールズにこういうものがありますよと点字譜面の読み方を教える場面がある。スヌークスが読めたかどうかは知らない。

 

 

さてスヌークスが1995年のパークタワー・ブルース・フェスティヴァルでもプロフェッサー・ロングヘアの曲などやっていたのは、ニューオーリンズの先輩ミュージシャンだから当然だとしても、スティーヴィー・ワンダーの「ブギ・オン・レゲエ・ウーマン」もやったりしたのにはちょっと驚いたんだよなあ。

 

 

前述の不思議なトニー谷的奏法のギターをどのようにして憶えたのか全く分らないんだけど、ああいう弾き方はちょっと他には思い当らないよなあ。音だけ聴くとその奏法は分らないから、普通のというか上質のニューオーリンズR&Bに聞える。ヴォーカルはちょっとレイ・チャールズっぽいような。

 

 

スヌークスのヴォーカルがレイ・チャールズの影響を受けていることは、CDで聴直すとほぼ間違いないように思う。レイほど上手くはないけれど飄々とした持味があっていいね。そしてやっぱりなんといってもギターだなあ。シングル・トーン弾きの時は少しT・ボーン・ウォーカーを髣髴させるものだ。

 

 

しかしT・ボーンほど完全に洗練されているというのでもなく、まあ彼みたいな都会派のブルーズ・ギターというより、店を歩き渡りながら流しで演奏してお金をもらうようなそんなストリートのミュージシャンを思わせる田舎っぽさがあるね。そのあたりはニューオーリンズ的とでも言うべきか。

 

 

ニューオーリンズ現地ではスヌークスは往年のプロフェッサー・ロングヘアとも共演したことがあるそうだ。もし録音でも残っているのなら是非聴きたいもんだなあ。ニューオーリンズといえばマルディ・グラ・インディアンのワイルド・マグノリアスの1990年作にスヌークスが参加しているね。

 

 

今でも『ティージン・ユー』『ソウルズ・エッジ』『ソウル・トレイン・フロム・ノーリンズ』の三枚は時々聴くんだけど、スヌークス・イーグリンの音楽ってホント楽しい。本人の明るい人柄が音からもよく伝わってくるように聞えて、聴いていて微笑ましい気持になる。最高に和める音楽だよね。

 

 

今は亡くなってしまった人だし、ライヴで観て友人宅でヴィデオでも観たあの摩訶不思議な右手のギター奏法も今は記憶の中にあるだけで、それでも強烈な印象だったから、今でもCDで音だけ聴きながらそんな演奏風景を想像してしまう。それもだいぶ薄れてはきているんだけどね。

2016/04/03

三分間のダンス・ミュージック

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SP時代の約三分間というこれはどうにもならない物理的制約だったわけだけど、LPメディア出現後も多くのジャンルでほぼ同じ長さのシングル曲を発売したり、LP収録曲でも一曲がその程度の長さだったりするのは、ポップ・ミュージックのある真実を表しているような気がする。

 

 

もちろんこれはクラシック音楽の世界のことは全く考慮に入れていない。その世界で約三分間なんて曲は例外的小品であってまあ少ないよね。あくまでポピュラー・ミュージックの世界の話だ。後者の世界では磁気テープによる長時間録音が可能になった1950年代以後もやはり三分程度の曲が多い。

 

 

そんなことはないモダン・ジャズがあるじゃないかプログレッシヴ・ロックがあるじゃないかと言われそうだ。僕もかつては主にモダン・ジャズなど(プログレは正直に言うと面白さがよく分らないものが多い)での長尺曲がかなり好きだった。LP片面で一曲、つまり20〜30分程度のものがたくさんある。

 

 

ときにはLP片面の枠すら越えて両面続けて一曲とか、場合によっては二枚組四面全部通して一曲とか、そういうものもあるわけだ。こういうのはLP時代に入ってはじめられたことでもなく、実は戦前のSP時代から同種の「実験」をする人はいた。誰あろうデューク・エリントンその人だ。

 

 

エリントンもSP時代は殆どの曲がSPフォーマットに沿って約三分間にまとめられていたわけだけど、彼はジャズも単なるダンス音楽というだけでなく、純粋な聴取に値する一種の「芸術作品」になるべきだという考えの持主で、彼のそういう指向がモダン・ジャズ以後の上昇指向に大きな影響を与えた。

 

 

中村とうようさんが『大衆音楽の真実』のなかで、1920年代のルイ・アームストロングとデューク・エリントンの姿勢を比較して、どっちも立派だがその後のジャズはどっちかというとエリントン的な方向に進んだのだと書いたことがあった。まさにビバップ以後の芸術指向という点では当っている。

 

 

鑑賞音楽を目指すエリントンは、従って当然ながらSPの約三分間という制約に我慢できず、SP両面にわたって一曲という作品をいくつか発表している。一番早い例が1931年ヴィクター録音の「クリオール・ラプソディ」で、SP両面で一曲だった。同曲は同年ブランズウィックにも同形式で録音・発売している。

 

 

もっと極端なのが1935年オーケー録音の「リミニッシング・イン・テンポ」。SP四枚の計八面にわたって一曲という作品だった。これはエリントンの母の死に際しそれを悼む曲として創られたもの。発売当時は非難囂々だったらしい。今聴いても正直言ってあんまり面白くはないとしか思えない。

 

 

ところでオーケー・レーベルの親会社コロンビアは、この時期(1932〜40年)のエリントン録音をいまだにコンプリート集としてまとめては発売していない。したがって「リミニッシング・イン・テンポ」だってCDでは正規には聴けないのだ。僕はややブートっぽい全40枚組の脱レーベルの戦前エリントン完全集で聴いている。

 

 

1930年代エリントン音源全集をリリースしないコロンビアというかその再発担当であるレガシーはなにを考えているのか。もう2016年なんだけどなあ。まあそれをグチグチ言ってもしょうがない。とにかくエリントンという人はそういった人だったので三分間なんて枠は大嫌いだったわけだ。

 

 

従ってエリントンはLPメディアの出現と同時にLP用の長時間録音を開始する。彼はジャズ界初のLP作品をリリースした音楽家なのだ。まあしかしこういうエリントンみたいのは例外というか、今考えると果してポップ・ミュージックの音楽家として相応しい姿勢だったのかどうか判断が難しいように思う。

 

 

ジャズの世界ではLP出現後はほぼ全員が三分とか四分なんて枠を越えた長時間の曲を創り録音するようになったけれど、ジャズ以外のポップ・ミュージックの世界では、1950年代以後もみんながみんなそんな10分とか15分とかいった曲はやらない。やってはいるが少ない。LP収録曲でもだいたいそんな感じだ。

 

 

さらにLP収録曲でもそうでなくても、三分程度のシングル曲を発売したり長めの曲は短く編集してシングル盤にしていたりするから、やはりジャズ以外のポップ・ミュージックの世界での録音作品というのは、どうやらこの数分程度の長さというのが最もピッタリ来るものなんじゃないかな。

 

 

おそらくロック界最初にして最大のジャイアント、エルヴィス・プレスリーはレコード・デビューが1954年だから既にLPメディアは存在していた。しかし当初サン・レーベルにはシングル曲しか残していない。『サンライズ』というサン時代の完全集CD二枚組には当時のライヴ録音もあるが、やはり三分程度。

 

 

そしてエルヴィスは1956年にメジャーのRCAに移籍して大成功して以後も、やはり殆どの曲がその程度の長さだし、オリジナルLP収録曲もほぼ全部そうだ。死ぬまでそうだった。僕が一番好きなエルヴィスのライヴ盤は1970年の『エルヴィス・オン・ステージ』だけど、ライヴなのにほぼ全部同じなんだよね。

 

 

『エルヴィス・オン・ステージ』収録曲で一番長いのがトニー・ジョー・ホワイトのカヴァー「ポーク・サラダ・アニー」だけど、これが5分24秒。その次が「サスピシャス・マインド」の5分04秒。エルヴィスはライヴ録音ですらこの程度なのだ。この二曲以外は全て三分もない。

 

 

ロック・ミュージシャンでもエルヴィス以後の人達はライヴではかなり長い演奏をする人もいる。今ではロック界最古参のバンドになってしまっているローリング・ストーンズも、初のちゃんとしたライヴ盤1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』でも「ミッドナイト・ランブラー」が約九分ある。

 

 

約九分というのはその後のストーンズのライヴを考えたらまだ短い方で、1973年頃からの「無情の世界」はいつも常に10分から20分くらいあるし、LPやCDでは短めに編集してあるけどライヴ現場では「サティスファクション」や「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」など代表曲は延々とやっている。

 

 

だけれどもそういうストーンズだって、スタジオ作品では現在でもやはり五分もない曲ばかりなんだよね。さらにストーンズはシングル曲もよく発売する(現在では四曲程度入ったCDシングル)し、そういうシングル盤ではさらに短くなっていたりするからね。他のロッカーも多くは似たようなもんだろう。

 

 

もちろん何度も触れているように、ロック系の音楽家でもスタジオ/ライヴともに長尺曲こそ命みたいな人達も大勢いたりはするし、あるいはスタジオでもライヴでも常に長いモダン・ジャズやその他似たような傾向の音楽家達もいるんだけど、そういうのはどうもポップ・ミュージックの本質からやや離れているのかもと最近では思う。

 

 

三分以上の長さの曲を創り録音したりするのは、エリントンが端緒をつけたようにやはり一種の芸術指向だ。ダンス音楽ではなく鑑賞音楽だという考え。僕は最近この考えには賛成しかねるような気分なのだ。ポップ・ミュージックはやっぱりダンス音楽なんじゃないの?

 

 

最初は聴きながらその場で人達が体を揺すったり踊ったりするものだったポップ・ミュージック。それが結果的に鑑賞(この言葉、「アーティスト」という言葉と並び大嫌いなので、こういう場合以外では使わない)に値するものだと見做されるようになっただけで、本質はやはりダンス・ビートだ。

 

 

ロックンロールが出てきた頃に、あのカウント・ベイシーは嫌うどころかその逆に「ロックンロールは凄くいい音楽だと思うよ、その証拠に若者達がまた踊り始めているじゃないか」と言ったことがある。ジャズも鑑賞音楽になってしまう前は完全にダンス音楽だったんだよね。これを忘れちゃイカンよね。

 

 

そういうのはジャズやロックやブルーズやソウルやファンクなどアメリカ産ポップ・ミュージックだけの話じゃないのかと言われるかもしれないが、そんなこともないんだよね。以前マレウレウのライヴで踊る客がいたし、去年のアラトゥルカ・レコーズの方々によるトルコ古典歌謡のライヴでも踊っている子供がいたもんね。

2016/04/02

「ワールド・ミュージック」っておかしな呼称だな

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僕の場合1986年にキング・サニー・アデに出逢ってから聴始め、その後90年代に入ってからどんどん聴くようになったワールド・ミュージック。この「ワールド・ミュージック」というジャンル名は相当にオカシイよね。日本語にすれば「世界音楽」ということだからなんでも全部入ってしまう。

 

 

このワールド・ミュージックという名称に馴染がない人には、これがなんのことやら分らないみたいで、昨年父親の一周忌法要で家族が集った時、法事の後の食事会でロック好きの弟から「兄ちゃん、最近なに聴きよるん?」と言われたので「ワールド・ミュージックとかかなあ」と答えるとやはりキョトンとされた。

 

 

「兄ちゃん、なにそれ、ワールド・ミュージックって世界音楽いう意味やん、ロックもジャズも全部入ってしまうし、なんのことやら分らん」と言われたのだった。僕がジャズのレコードばかり買っていた時期の記憶が弟には強く残っているようで、まだジャズばかり聴いていると思っていたかもしれない。

 

 

余談だけど僕には弟が二人いて、上の弟はビートルズとかビリー・ジョエルみたいなポップなのが好きだったけど、下の弟はクリームとかレッド・ツェッペリンとかマイケル・シェンカーなどハードなギター・ロックが好きで自分でもギターを弾き、僕と話が合っていてよくレコードを借りていたのはその下の弟の方。

 

 

それはともかく熱心なワールド・ミュージック・リスナーになって以後の僕ですら、やはりこの言葉はちょっとヘンだ、全く実態を表現していないよなと思える。非欧米日のポピュラー・ミュージック全般を全部ひっくるめてそう呼んでいるだけのことだし、かといって西洋でもギリシア歌謡やポルトガルのファドなんかは入ってしまう。

 

 

ワールド・ミュージック、一体誰がいつ頃から使い始めた用語なんだろうと思ってちょっと調べてみたら、アメリカ人民族音楽学者ロバート・エドワード・ブラウンが1960年代初頭に造り出した言葉らしい。ロバート・E・ブラウンといえばインドネシア民族音楽のレコーディングで知られている。

 

 

ロバート・E・ブラウンは大学で教鞭を執っていた人なので、インドネシアだけでなく広く非欧米のポピュラー・ミュージックを手っ取り早く学生に認識させる手段として、ワールド・ミュージックという造語を捻り出したんだろう。1960年代前半ならまだまだ一般的には聴始められていない時期だから。

 

 

世間一般にワールド・ミュージックという言葉が広まるようになったのは、1980年代に入ってからじゃないかなあ。ピーター・ゲイブリエルがWOMADを開催しはじめたのが1982年で、その後80年代半ば〜後半あたりから急速に認知されるようになったはず。WOMADもその頃が全盛期だった。

 

 

むろん1970年代にサルサの大流行などがあったので、流行音楽としてもその頃からワールド・ミュージックに親しんでいた方々がかなりいたはず。そもそもサルサに限らずラテン音楽は戦前から世界中で人気のある分野で、30年代のルンバや50年代のマンボなどが大流行してはいた。

 

 

何度も書いているように僕が小学生低学年の頃(1960年代後半)、父親がペレス・プラードなどマンボの大ファンで、運転するクルマのなかでマンボの8トラ・カセットばかりかけまくっていて、僕も助手席でそれを聴いていたのが、全くなんの自覚もなかったんだけど初体験だったと言えるかも。

 

 

そんな具合に日本でも大流行で僕も子供時分から自覚なしに親しんでいたので、ラテン音楽をいわゆるワールド・ミュージックに含めてもいいのかどうか、僕個人はちょっと微妙な気分がしているのは確か。中米でもジャマイカ発のレゲエは普通ワールド・ミュージックには入れないような。

 

 

要するに「非欧米の大衆音楽」という一点でしか定義できない、というかそもそも定義なんてことの難しいジャンル名だし、非欧米なんてことを言出せば世界中なんでも全部入っちゃうわけだし、しかもその非欧米の大衆音楽も民俗音楽から発展してポップ化する際に西洋音楽の影響を強く受けているしなあ。

 

 

そう考えるとワールド・ミュージックという言葉は、非欧米という地理文化的な視点以外は何一つ言表わしていない用語なんじゃないかと思えてくる。少なくともアフロ・ポップとかラテン音楽とかアラブ歌謡とかトルコ古典歌謡とかアゼルバイジャン・ムガーム音楽その他様々な個別ジャンル名とは全然違う。

 

 

アラブ歌謡とかトルコ古典歌謡とか言われれば僕はなんらかの音楽的実態が想像できるんだけれど、ワールド・ミュージックと言われてもなんのことやら正直言ってピンと来ないというのが正直なところ。とはいえ現在一番熱心に聴いている種類の音楽をこれ以外の言葉では表現できないのも確かだ。

 

 

亡くなった中村とうようさんや、その他深沢美樹さん、原田尊志さん、荻原和也さんなど、みなさんやはりこのワールド・ミュージックとしか呼びようのない種類の音楽をたくさんお聴きだし、そういう活躍されている方々だけでなく、僕も含め多くの一般素人リスナーもやはり同じようなことになっている。

 

 

だからやはりワールド・ミュージックとしか呼びようのない言葉に当てはまる音楽一般に、なにか「共通する」魅力があるということなんだろうなあ。それがなんなのか、かつてよく目にしていた「第三世界の虐げられた民衆の魂の叫び」だとか、以前大批判を展開した「周辺音楽」「辺境音楽」だかというようなものでないことだけは確かなんだけど、じゃあなんなのかよく分らない。

 

 

しかし音楽のジャンル名なんてのは、大きくなればだいたいどんなものだって似たようなものではある。ブルーズだってジャズだってロックだってソウルだって、全て元々は音楽の実態とはあまり関係のないような言葉であって、なんとなくのフィーリングや身体運動(セックス)を表しているだけのものだよね。

 

 

フランスのシャンソンにいたっては単に「歌」というだけの意味の言葉だから、これは音楽用語としては全くなにも説明していない。しかしそれでもシャンソンと言われれば明確な実態が想像できて、こういう種類の音楽なのだとはっきりアイデンティファイできる。

 

 

西洋近代音楽を言表わすクラシック(英語ではClassical Music)なども単に「古典」というだけの意味だし、20世紀以後のものを現代音楽と呼んだりするのも全くなにも実態を表現しておらず、だからまあ西洋近代音楽でも欧米/非欧米の大衆音楽でも、ジャンル名なんてものはそんなもんだ。

 

 

僕が一番たくさん知っているジャンルはジャズだけど、「ジャズ」とだけ言われただけではやはりなんのことかはっきりしないのだ。ニューオーリンズとかスウィングとかジャイヴとかジャンプとかビバップとかハードバップとかフリーなどど言われて、初めその言葉で表現する音楽の実態が具体的に脳裏に浮ぶ。

 

 

ジャンル名なんてものは音楽とはなんの関係もない便宜的なものに過ぎないとは、音楽家も聴き手も昔から大勢の人が言っている。古くは1930年代にデューク・エリントンがそう言っていて「ジャズじゃない、ブラック・ミュージックと呼べ」と。その後マイルス・デイヴィスにも同種の発言が繰返しある。

 

 

マイルスの場合は主に商業的な理由での発言だった。つまりジャズに分類しちゃうからオレのレコードは売れないんだ、白人連中のロックのレコードと同じ場所に並べればもっと売れるんだというのが発言の主旨だったんだけど、しかしまさにその流通用途こそがジャンル名存在の唯一の意義なんだよね。

 

 

ブルーズでもジャズでもロックでもソウルでもワールド・ミュージックでもクラシックでも、いわばそうやって(マイルスの大嫌いな)レッテル貼りをしてレコード会社も発売しレコード・ショップでもそう分類して並べないと、どうにも売りようのないものだろう。マイルスの発言は皮肉なことだった。

 

 

多くの熱心な音楽好きがそうであるように、僕もジャンルなんかどうでもいい、そんなものになんの関係もなく、米黒人ジャズやブルーズとギリシアの古いレンベーティカとアラブ歌謡やトルコ古典歌謡を同列に並べて続けて聴いていたりするわけだけど、聴き手の側でそうする以外には音楽ジャンルを取っ払う手段はないと思う。

 

 

ブルーズ愛好家、ジャズ愛好家、その他様々と同じく、ワールド・ミュージック愛好家も愛好するジャンルに特別な思い入れがあって他の音楽とは違うんだという意識を持っているリスナーが多いようだけど、僕の場合そういう意識は全くない。そもそもジャズばっかり聴いていたのを脱却した時にそれは捨てた。

 

 

ただマイルス・デイヴィスについてだけ僕は異常に強いこだわりがあるんだけれど、以前から書いているように、そもそも彼をジャズマンだとは思っていないんだよね。脱ジャンルの音楽家だしそういう人を一番好きになったからこんな発想になったのかもね。

2016/04/01

テオのやりすぎ編集はマイルスのせいもある

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マイルス・デイヴィスの1958年作『ポーギー・アンド・ベス』の制作途中からプロデュースにかかわるようになり、その後83年の『スター・ピープル』までコロンビアでの全てのマイルスのアルバムをプロデュースしたテオ・マセロ。テオは別にマイルス専属プロデューサーというわけではない。

 

 

そもそもテオはジャズ・サックス奏者で作曲もやっていた。なんだったか忘れてしまったのがマイルス・マニアの僕にしてはアレだけど、マイルスのアルバムでもちょっとだけテナー・サックスを吹いているものがあったはずだ。調べても全然出てこないので僕の記憶違いだったのかもしれない。

 

 

テオがコロンビアとプロデューサー契約を結んだのが1957年で、彼自身の述懐によれば彼がプロデュースをしたアルバムで一番成功したのは、サイモン&ガーファンクルなどが入っている映画『卒業』のサウンドトラック盤だったらしい。あれは1968年リリースだからマイルスのプロデュースもやっていた時期のことだ。

 

 

マイルス・ファンやその他大勢のジャズ関係のファンには、テオはやはりマイルスのプロデューサーとして名前が知られている存在なんだろう。一般的にテオが大胆な編集作業をマイルスによる録音後に行うようになるのは、1969年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』からだろう。

 

 

しかしそのもっと前からテオはいろんな編集・切貼り作業はやっている。僕が分る範囲での一番早い例は1961年のブラックホークでのライヴ盤二枚。あれの『フライデイ』の方に入っている「ウォーキン」は異なる二つのテイクを繋ぎ合せている。あまり知られていないかもしれない。

 

 

僕も最初にあのブラックホークの『フライデイ』での「ウォーキン」を聴いた時、そんなことには全く気付いておらず、随分と後になってあれでドラムスを叩いたジミー・コブがそう言っているので初めて知って、えっ!?と思って改めて聴直してみて納得したという次第。途中でほんのちょっとだけテンポが変るもんね。

 

 

テンポが変るといっても実に微妙なもので本当に気付かれにくいものだ。そんな誰にでも分るような違いなら当時から指摘されていたはずだからね。ジミー・コブはドラマーなのであの「ウォーキン」でのテンポの揺らぎの責任を問われることがたまにあったらしく、それで自分じゃないんだテオなんだと指摘したというわけ。

 

 

そのジミー・コブの発言を受けて、テオ・マセロも「ウォーキン」の途中で別のテイクを繋いだと認めたのだった。繋いだ後半の別テイクでのソロの方が出来がいいと思ったかららしい。しかもこれはスタジオ録音じゃないからねえ。ライヴ録音でそういうことをやったかなり早い例じゃないかなあ。

 

 

その後はマイルスのスタジオ録音ではもちろんライヴ録音でも、レコード作品にする際にテオが短めに編集したりすることはよくあった。1960年代半ばにたくさんあるハービー・ハンコック+ロン・カーター+トニー・ウィリアムズのリズム・セクションによるライヴ盤でもそういう痕跡は散見される。

 

 

しかしそれらはどれも目立たない地味なもので、録音時の姿を大きく変えてしまうような編集作業ではなかった。録音時のオリジナル・セッション・テープからテオが跡形なく編集しまくるようになるのは、やはり最初に書いたように『イン・ア・サイレント・ウェイ』からだ。これはもうホントやりすぎ。

 

 

テオが『イン・ア・サイレント・ウェイ』をああいう形にしたのにはマイルス自身の責任もある。実を言うとテオが編集をする前に、マイルス自身がコンソールで指示を出してオリジナル・セッション・テープから編集しまくって片面九分ずつ程度にしてしまい、しかも「これでアルバムだ」と言放ったらしい。

 

 

しかし片面九分ではアルバムになるわけがないので、それを受けたテオがもう一度編集をやり直して現在聴けるような片面20分程度のものになるまで「引き延した」のだった。あのアルバムでは両面ともリピートが多いのはそれも一因。B面のジョー・ザヴィヌルが書いた「イン・ア・サイレント・ウェイ」だって二度出る。

 

 

ザヴィヌルの「イン・ア・サイレント・ウェイ」も元々のセッション・テープ(2テイク聴ける)では四分程度のものだ。これは2001年リリースの公式盤『コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』に入っているから誰でも簡単に買って聴くことができるので確かめてほしい。

 

 

その『コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』収録の2テイクを聴くと、ファースト・テイクはトニー・ウィリアムズがハイハットとリム・ショットで一定のテンポを叩くややミドル・テンポに近いもので、お馴染みのメロディをマイルスだけが吹く。セカンド・テイクで現在聴けるような形になっている。

 

 

もちろんながら「イン・ア・サイレント・ウェイ」の録音はそれら二つで全部ではないので、真の意味では「コンプリート」ではない。最初にザヴィヌルが書いて持ってきた曲はもっと複雑なコードがたくさん使ってある難しい曲だったらしい。その通りに演奏してみたけれど納得できなかったようだ。

 

 

そのことは以前も書いた(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-877d.html)ので繰返さない。公式発売されているセカンド・テイクは現在聴けるものと全く同じもので、そのままアルバムに収録されたわけだけど、最初にマイルスが編集した時は「イン・ア・サイレント・ウェイ」は一回しか出てこないような形だったらしい。

 

 

しかしそのマイルス編集の九分では短すぎるので、テオは後半に全く同じものを最後にもう一回リピートすることにしたわけだ。すなわち「イッツ・アバウト・ザット・タイム」が終った後に。これはしかし絶妙な効果を生んでいるのではないだろうか。素晴しい編集だよね。

 

 

「イッツ・アバウト・ザット・タイム」はもちろん録音時には全く別の曲として別個に演奏されている。これもオリジナル・テイクが完全盤ボックスにある。それ抜きで完成品の『イン・ア・サイレント・ウェイ』アルバムだけ聴いていた頃から分っていたことだけど、オリジナル演奏はギター・ソロからはじまる。

 

 

1969年7月に発売された『イン・ア・サイレント・ウェイ』B面の「イッツ・アバウト・ザット・タイム」はマイルスのソロではじまっているが、これもテオによる編集だ。リピートされて全く同じソロがもう一度出てくる。オリジナル演奏では、エレピとベースがリフを弾くなかマクラフリンが弾くところからはじまる。

 

 

A面の「シー/ピースフル」でもマイルスによる同じソロが前半と後半で二度出てくるもんね。以前誰だったかアメリカ人(名誉のために名前を伏せるのではなく本当に忘れた)が書いたマイルス本で、後半に出てくるソロの方が出来がいいように思うとあったけれど、完全に同じものだ。『コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』収録のオリジナル演奏では、終盤に一回出てくるだけ。

 

 

もっともそう書いた人の耳がオカシイとは言えない。同じものだとは気付いていなかったようだけど、それでも二回目に出てくるものの方がいいように聞えるのは確かで、それこそ編集が功を奏してるということだからね。(マイルスと)テオの目論見通りなのだ。

 

 

それはそうと「シー/ピースフル」で二回出てくるマイルスの同じソロ、二回とも同じ箇所でカウベルみたいな音が一回チンと鳴るんだけど、あれなんだろうなあ?オリジナル録音から既に入っている。大学生の頃からあれがなんの音なのか、なんのために入っているのか、気になって仕方がない。

 

 

それはともかく『イン・ア・サイレント・ウェイ』は両面ともそんな感じでリピート編集が多いアルバム(マイルスのアルバムでは一番多い)なのだが、それもこれも全部元はマイルス自身が片面九分にしてしまって「これでアルバムだ」と言ってしまったせいなのだ。その結果テオによる編集が功を奏して見事な作品になっているけど。

 

 

マイルスのアルバムでの編集作業はなにもかも全部テオがやっていた全部テオの仕業のように以前は言われていたけれど、実はマイルス本人もかなり関わっていたことが分っている。音楽家本人なんだから考えてみたらそれが当然なんだけどね。大部分がマイルスとテオの共同作業だったのだろう。

 

 

なお『コンプリート・イン・ア・サイレント・ウェイ・セッションズ』には編集前のオリジナル音源(の一部)が収録されているが、『コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』にはそれが一切収録されていない。そのせいで、このタイトルは詐欺だ!レガシーは金返せ!と散々言われまくっていた。

 

 

その批判があまりに強かったせいなのか関係ないのか、その後の『イン・サイレント・ウェイ』ボックス、『ジャック・ジョンスン』ボックス、『オン・ザ・コーナー』ボックスには全部編集前の元音源(の一部)が収録されるようになった。『ビッチズ・ブルー』に関しても早くオリジナル音源を出してくれないかなあ。

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