ラシッド・タハで知ったアラブ歌謡の名曲「ヤ・ラーヤ」
アルジェリアの大歌手ダフマーン・エル・ハラシの名曲「ヤ・ラーヤ」。以前触れたように他の二曲同様、これもいろんな人がやっているのを集めたプレイリストを作って楽しんでいるんだけど、僕の場合この曲を知ったのは、同じ在仏アルジェリア歌手ラシッド・タハの『テキトワ』に入っていたからだった。
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マイルス・デイヴィスの書いたオリジナル曲ではおそらく世界で一番有名な「ソー・ワット」。これはボビー・ティモンズの書いた「モーニン」のパクリなんじゃないかと前々から思っているんだけど、そんなこと誰も言わないし、僕は熱心なマイルス・ファンだし周囲にも信者が多かったので、遠慮して言ってこなかった。
でも間違いないよねと思いながら長年聴いていたら、五・六年前だったったけなあ、どなただったかプロのライターの方が全く同じことを書いているのをネット上で見掛けたことがある。
「モーニン」https://www.youtube.com/watch?v=Cv9NSR-2DwM
「ソー・ワット」https://www.youtube.com/watch?v=ylXk1LBvIqU
どうだろう?聴き比べたらテーマ部分のコール&リスポンスがソックリじゃないだろうか。他人の空似みたいなものとは思えない。アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」が入った同タイトルのアルバムは1958年10月発売。マイルスの「ソー・ワット」は翌59年3月録音だもんね。
だからマイルスは間違いなく「モーニン」を聴いていたはずだ。「モーニン」と「ソー・ワット」はピアノとベースの違いはあるものの、どっちもそれが主旋律(コール)を演奏しそれに続いてホーン・リフ(リスポンス)が出てくる。そのホーン・リフのリスポンス部分が「アーメン」に聞えるよね。
ボビー・ティモンズの書いた「モーニン」はゴスペル・タッチの曲だから、そのリスポンス部分は誰にだって「アーメン」に聞えるだろうけど、マイルスの書いた「ソー・ワット」の方だって僕には同じように聞えるんだよね。前者の発売が後者の録音より半年も早いんだからおそらく間違いない。
「ソー・ワット」は誰もそんなこと言っていないんだけど、ちょっぴりそんな風なゴスペル・タッチで黒くてファンキーな曲に聞えなくもない。この曲は一般的にはジャズにおけるモード手法を用いての作曲・演奏方法を確立した代表曲ということになっていて、実際そういう研究・分析のされ方しかされていないけどさ。
1970年代電化マイルスは僕は昔からファンク・ミュージックだと思っているから、もちろんどれもこれも殆ど全部真っ黒けなんだけど、それ以前からマイルスはよくファンキーなブルーズをやる人で、アルバムによっては片面そればっかりだったり。特に1950年代のアルバムにはブルーズ形式の曲が実に多い。
みなさんご存知の通りマイルスは黒人でしかもアメリカ黒人としてのプライドが非常に高く、場合によっては逆人種差別とも受取れるような発言を白人に対してしているものがある。しかしそれは全てインタヴューなどでのもので、こと音楽の場ではマイルスに人種意識は全くなかったと言っていい。
そもそも黒人にしては白い音楽性(はっきり言えば西洋クラシック音楽的な)の持主だったマイルス。雇ったミュージシャンだって白人がかなり多い。そもそもファースト・リーダー作品1949/50年録音の『クールの誕生』が白人ギル・エヴァンスとのコラボがメインで、同じく白人のリー・コニッツやジェリー・マリガンも参加している。
『クールの誕生』には一曲だけブルーズ形式の曲があって、かつてのアナログLPではB面ラストだったジョニー・キャリシ作曲のマイナー・ブルーズ「イズリール」(イスラエル)がそれ。しかしこれ、後のマイルスからは考えられない真っ白さで、アレンジもソロも全てどこを切取っても全く黒くないものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=gfqQVvA9LsI
もちろんチャーリー・パーカー・コンボ時代からたくさんブルーズを(特にサヴォイ録音で)吹いているマイルスだけど、その頃のマイルスはまだ自分の表現を確立しておらず全然魅力がないからあんまり参考にはならないんだなあ。ブルーズならかろうじて「ビリーズ・バウンス」と「ナウ・ザ・タイム」くらいがまあまあ聴けるかなと思う程度。
そして自分の初リーダー作で初めて録音したブルーズがジョニー・キャリシの「イズリール」だったわけだけど、やっぱり全然黒くないよねえ。ちなみにこの曲はいろんな白人ジャズメンがやっていて、ビル・エヴァンスの1961年作『エクスプロレイションズ』でもこれが一曲目。やはり当然真っ白けだ。
https://www.youtube.com/watch?v=WGdr93tnNMk
ビル・エヴァンスはどんなにファンキーなブルーズをやらせても真っ白けにしか演奏できないピアニストだから、これは当然。「イズリール」はその他ジェリー・マリガンも自分のビッグ・バンドで演奏している。それではマリガンが『クールの誕生』ヴァージョンのマイルスのソロをそのままホーン・アンサンブルにアレンジして再現している。
https://www.youtube.com/watch?v=Esa01Rxiik0
そんな具合で最初からかなり白い音楽性の持主だったマイルス。『クールの誕生』で白人リー・コニッツを起用したことについても、いろんな黒人仲間から「どうして白人なんか雇うんだ?」と言われ反論して「リー・コニッツみたいに吹けるサックス奏者がいるなら、肌の色が紫でも緑でも雇うぞ」と。
その後もカナダ生れの白人ギル・エヴァンスとの音楽的な深い交流は、ギルが1988年に亡くなるまで絶えることなく続いていたし、また多くの白人を自分のバンドのレギュラー・メンバーに雇い、そのなかには58年のビル・エヴァンスみたいに非常に強い影響をマイルスに残し続けたような人だっているわけだ。
そのビル・エヴァンスが『カインド・オヴ・ブルー』で一曲を除きピアノを弾いていて、しかも曲創りの面での貢献も大きかった。パクリの話に関連するとB面ラストの「フラメンコ・スケッチズ」。これはビル・エヴァンスの1958年作「ピース・ピース」そのまんまなんだよね。
「ピース・ピース」(Peace Piece)は1958年のアルバム『エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス』のB面二曲目。そしてそのアルバム・ジャケットには、エヴァンスを称賛するような言葉が他の数人のジャズメンのものと並びマイルスのものだって載っているんだよね。
ちょっと貼っておこう。
「ピース・ピース」https://www.youtube.com/watch?v=Q4R9l2AJ3og
「フラメンコ・スケッチズ」https://www.youtube.com/watch?v=F3W_alUuFkA
これはパクリというものではないだろう。だって当のビル・エヴァンス本人が演奏に参加しているわけだから。
いつ頃だったか記憶がはっきりしないんだけど、マイルス自身が「フラメンコ・スケッチズ」はビル・エヴァンスの「ピース・ピース」を聴いて凄くいいと思ったから自分のバンドでも演奏してみたかったんだとインタヴューで発言していた。つまりパクリではなく直接のインスピレイション源だったいうことだ。
もちろんビル・エヴァンスの「ピース・ピース」は一つのモードだけに基づくピアノでの即興演奏なのに対し、マイルスの「フラメンコ・スケッチズ」はそれを冒頭でそのまま使うものの、演奏全体では五つのモードが出てきて、その四つ目がスパニッシュ・スケールであるフリジアン・ドミナント・モードだ。
その四つ目のスパニッシュ・スケールの部分があるために「フラメンコ・スケッチズ」の曲名があるわけだし、五つのモードを各人のソロで同じ順番で使い、それぞれのモードを使って演奏する長さも各人に任せるというのもマイルスの独創だから、この曲がビル・エヴァンスの「ピース・ピース」のパクリだ云々とは言えない。刺激されて創ったオリジナルだと言うべき。
まあしかし先ほど貼った両者の音源を聴いていただければ分るように、冒頭部分は同じビル・エヴァンスが弾くとはいえ、そっくりそのまんまで何一つ音も変えずに同一パターンを再現しているもんなあ。最初聴いた時こりゃ完全なるパクリじゃん!?マイルスよくやれたもんだな!と僕は思ってしまったくらい。
また人気の高いA面三曲目の「ブルー・イン・グリーン」。これは『カインド・オヴ・ブルー』ではマイルスとビル・エヴァンスの共作名義になっているけれど、実質的にはエヴァンス一人の作曲によるもの。実際エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』収録の同曲ではエヴァンスの名前しかクレジットされていないもんね。
ただし「ブルー・イン・グリーン」に関しては、マイルスがビル・エヴァンスに二つのコードを示して「この二つでなにができるか考えろ」とテーマを出して、それに基づいてエヴァンスが書いたものだから、マイルスもヒントは出したわけだ。そうなると<作曲>という行為の定義が難しいことになっちゃうね。
長くなりすぎてしまうので今日は『カインド・オヴ・ブルー』の話だけにしておくけれど、マイルスは終生結構いろんな他人の曲をパクって使っている。書いたようにかなり白い音楽性の持主だったのが1960年代末から黒くファンキーなものになるにつれ、ジェイムス・ブラウンら黒人音楽家からもいろいろとパクっている。
やめておくと言いながら最後に一例だけ挙げておくと、1970年4月録音の「イエスターナウ」(『ジャック・ジョンスン』B面)でのエレベ・リフは、ジェイムス・ブラウンの68年8月リリースのシングル盤「セイ・イット・ラウド・アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」からそのままパクっているもんね。
マイルス「イエスターナウ」https://www.youtube.com/watch?v=WfLvNwxnj6g
JB「セイ・イット・ラウド」https://www.youtube.com/watch?v=j0A_N-wmiMo
ロックにもいろいろあるけれど、米LAスワンプ勢を起用したUKロックが個人的には一番好きかもしれない。これは最近のことではなくかなり前からそうなのだ。どうしてそうなのかは自分でも分らないんだけど、一番最初に聴いたのはおそらくデレク・アンド・ザ・ドミノスの『レイラ』。
デレク・アンド・ザ・ドミノス(エリック・クラプトン)の1970年『レイラ』は、米LAスワンプ勢を起用したUKロック名盤のなかでは最初に好きになったもの。これも例によって(こればっかりで申し訳ない)ロック好きの弟が買ってきた二枚組LPを僕も借りて大学生の頃から愛聴していた。
『レイラ』では、最初はエリック・クラプトンとデュエイン(かドゥエインにしてくれ、「デュアン」表記はそろそろ撲滅してくれ)・オールマンの二人にしか僕は耳が行ってなくて、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの三人のことは殆どなにも分っていなかったし注目もしていなかった。
でも大いに楽しんでいたからなんとなくの米南部臭みたいなものは当時から感じていたということなのかそうでもないのかちょっと分らないなあ。この三人のアメリカ人リズム・セクションのことを自覚的に聴き意識するようになったのは、おそらく大学生の終り頃かもうちょっと後のこと。
意識するようになったきっかけはこれもクラプトン経由で知って買って聴いたディレイニー(これも「デラニー」表記はもうやめてくれ)・アンド・ボニー&フレンズの『オン・ツアー・ウィズ・クラプトン』だったように思う。このアルバムにはクラプトンの他デイヴ・メイスン、そして2001年のデラックス盤で初出のジョージ・ハリスンも参加。
そしてこれのリズム・セクションがまさにボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの三人だった。その他ボビー・キーズ&ジム・プライスという数年後にローリング・ストーンズのこれまたスワンプ・ロック名盤である『メイン・ストリートのならず者』に参加するホーン奏者も入っている。
さらにリタ・クーリッジも参加しているよね。リタ・クーリッジもスワンプ系ヴォーカリストと言っていいだろうけれど、個人的にはさほどの思い入れはない。個人的には彼女自身のアルバムよりも、ジョー・コッカーの『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』に参加していたり、あるいはマーク・ベノを起用したとか。
そのジョー・コッカーの1970年『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』は米LAスワンプ勢を起用したUKロックという意味では僕にとって理想的な一枚。これにもボビー・キーズ&ジム・プライス、そしてカール・レイドルやジム・ゴードン、そしてなによりリオン・ラッセルがいる。
そしてそのリオン・ラッセルこそロサンジェルスを拠点として活動した米スワンプ勢の総帥みたいな存在だ。彼はオクラホマ州タルサで活動をはじめたいわゆるタルサ・サウンドが出発で、ロックンロールとそのルーツでもあるブルーズ、R&B、ゴスペルなどを渾然一体とさせた音楽を創り出していた。
リオン・ラッセルがセッション参加した音楽家は挙げていくとキリがないと思うほど多い。ディレイニー&ボニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、エリック・クラプトンなどLAスワンプの影響をモロにこうむった人達だけでなく、グラム・パースンズ、フランク・シナトラ、レイ・チャールズもいる。
リオン・ラッセルが一般的に名を挙げるのはやはり1958年にロサンジェルスに移り住んで当地で活動をはじめ、その後1969〜70年頃ディレイニー&ボニー&フレンズの一員としてアルバムに参加してツアーに帯同し、さらに前述のジョー・コッカーが「デルタ・レディ」を録音してヒットさせてからなんだろう。
「デルタ・レディ」は当初ジョー・コッカーの1969年作『ジョー・コッカー!』に収録されたものだけど、翌70年のライヴ録音『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』でもやっている。この時のライヴの音楽監督的役割を果したのがリオン・ラッセルだった。名曲「スーパースター」もやっている。
「スーパースター」はもちろんカーペンターズでヒットした曲で、カーペンターズも好きな僕(意外だろうか?)だけど、『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』ではリオン・ラッセルのピアノに乗せてリタ・クーリッジが歌っている。カーペンターズ・ヴァージョンの方がいいようには思うけれどね。
先にリタ・クーリッジで忘れられないといえばと言ってマーク・ベノの名前を挙げた。といっても僕は有名な1971年の『雑魚』(Minnows)しか聴いていないんだけど、あれは名盤だよなあ。名盤といっても地味極まりない内容で凄く目立たないアルバムだけど、味わい深いよなあ。
マーク・ベノの『雑魚』をLAスワンプ名盤に入れてもいいのかどうかちょっと僕はよく分らないんだけど、入れてもいいのであれば、あれは米LAスワンプ・ロック・アルバムのなかでは一番のフェイヴァリットだ。マーク・ベノはドアーズの「L.A. ウーマン」でギターを弾いたのが一番有名かも。
マーク・ベノもまたまたリオン・ラッセルのバンドで活動をはじめた人だから、LAスワンプ勢とは繋がりが深い。『雑魚』は一曲毎の詳しいパーソネルが載っていないし調べても分らないんだけど、一つはっきりしているのは聞えるスライド・ギターが名手ジェシ・エド・デイヴィスだということ。
その他マーク・ベノ自身の歌とギターの他、クラレンス・ホワイトやジェリー・マギーがギターを弾いているとか、ウッド・ベースがチャック・ドモニコ(カーメン・マクレエで知った人)、エレベがカール・レイドル、ドラムスがジム・ケルトナー、バック・ヴォーカルにリタ・クーリッジ、クライディ・キング、ヴェネッタ・フィールズなど。
つまり参加メンバーを見ればやはりこれはLAスワンプ・ロック・アルバムなんだと言っていいんだろうけど、聞えてくるサウンドからはディレイニー&ボニー系やそこから強い影響を受けたUKロック勢などのような強烈なスワンプ臭は薄いように思う。もっとすご〜〜く地味なサウンドだよなあ。
でも『雑魚』も音を聴けば、マーク・ベノその他多くが黒人ではないにもかかわらず米黒人ブルーズ〜R&B〜ゴスペルを基盤としたフィーリングが強く感じられるのは確か。特にジェシ・エド・デイヴィスのスライドのほか、スライドではないエレキ・ギターのソロに良いのが多いんだけど、誰が弾いているんだろうなあ。
ジェシ・エド・デイヴィスがスライドではないギター・ソロを弾いているのか、それともマーク・ベノ本人なのか分らないし、あるいはボビー・ウォマックが弾いているという説もある。そう言われてみれば確かにウォマックらしい新感覚派ソウル・ギターのような気もするなあ。二曲目「プット・ア・リトル・ラヴ・イン・マイ・ソウル」はグッと重心の低いグルーヴ感のあるソウル・ナンバーで、ここでのギター・ソロもかなり黒いからウォマックなのか?
https://www.youtube.com/watch?v=GaPrY4OZbxk
A面四曲目の「スピーク・ユア・マインド」はソウル・バラード、A面ラストの「バック・ダウン・ホーム」もソウルだし、やはりギターはウォマック?
https://www.youtube.com/watch?v=yUaFAY1eZw4
https://www.youtube.com/watch?v=LYzl2xymcXc
それら二つも歌に絡むオブリガートのギターがいい感じだし、女性バック・コーラスが入るのもスワンピーな雰囲気で最高だよねえ。かと思うとB面では一曲目「グッド・タイムズ」やラストの「ドント・レット・ザ・サン・ゴー・ダウン」なんかはイーグルズを先取りしたようなカントリー・ロック路線。
https://www.youtube.com/watch?v=EAzAXRcg7Sw
https://www.youtube.com/watch?v=xwKxa_Lg9A8
B面二曲目のブルーズ・ロック・ナンバー「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」で聞えるファズとワウの効いたギター・ソロは誰なんだ?そのおかげでちょっとサイケデリックな雰囲気もある。続くB面二曲目「ベイビー・アイ・ライク・ユー」もブルーズ・ロックだけど、オルガンが効いていてドアーズみたいだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ivSAhz6MPYo
https://www.youtube.com/watch?v=UJXAwCGJwAg
続くB面四曲目「ビフォー・アイ・ゴー」はまるでこの頃のハリウッド製青春映画のワン・シーンにピッタリ似合いそうな美メロ・バラードで、これだけは女性バック・コーラスの美しい響き以外は黒人音楽臭/LAスワンプ臭が殆どしない。ここではマーク・ベノの歌がいい感じ。
https://www.youtube.com/watch?v=h2ySy5WLV8U
なんだかマーク・ベノの『雑魚』について話したかっただけみたいになってしまったけれど、それくらい米LAスワンプ名盤では『雑魚』が、そしてLAスワンプ勢を起用したUKロック名盤ではジョー・コッカーの『マッド・ドッグズ&イングリッシュメン』が、僕のなかでは最大のフェイヴァリットなんだよね。
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