ハイレゾってなんぞ?
最近ハイ・レゾルーション、いわゆるハイレゾとかいう高音質の配信音源が人気らしいが、僕はほぼなんの興味もない。音質は良いが値段の高いものを買うのなら、そのお金で一枚でも多く普通のCDを買いたい。それに僕が普段一番よく聴く種類の音楽ではハイレゾ音源がリリースされる可能性はゼロだし。
ここ一年ほどかなあ僕には音質とか録音状態とかいうものがはっきり言ってどうでもよくなっていて、というとちょっと言過ぎだけどこだわりが殆どなくなってきていて、そこそこの音で聴ければなんだっていいんだよね。CDでもFLACでもmp3配信でもなんでも聴けさえすればそれで。
僕は高級オーディオというもので音楽を聴いたという体験は大学生の頃にジャズ喫茶でそれを体験していただけ。なかでも松山にあったジャズ・メッセンジャーズという店にはマッキントッシュの真空管のパワー・アンプとJBLパラゴンのスピーカーを設置してあって、かなりの良い音で聴けたのだ。
ジャズ・メッセンジャーズという店は女性マスターすなわちママがやっていたんだけど、僕の話に頻繁に出てくるケリーという戦前ジャズしかかけなかった店の次によく通っていた店だった。ケリーの方もかなりいいアンプ(確かマーク・レヴィンスン)とサンスイ LT-8のスピーカーだった。
そんな具合でジャズ喫茶ではいいオーディオでいい音を聴いていたので、ジャズのLPレコードをいい音で再生するとどう聞えるかということは一応知ってはいるつもりなんだけど、自宅には当然そんな高級オーディオを当時から現在に至るまで買えるはずもないので、そこそこのもので満足している。
菅野邦彦氏というオーディオ評論家が「百万円以下の装置で聴くのは音楽に失礼だ」と発言したことがある。鼻で笑うしかないような発言だよねえ。こういう発言こそ「音楽に対して失礼」なんじゃないかと僕なんかは確信するわけだけど、菅野氏と似たような発想を持つ音楽ファンはそこそこいるらしい。
現在の僕が聴いているオーディオ装置は2000年から全く変っていないんだけど、当時の価格でおそらく合計30万円くらいだったかなあ。それも全部一度に買ったのではなくアンプとかプレイヤーとかスピーカーとか一つダメになっては買換えてというのを繰返してそうなった。ヘッドフォンはもう六年ほど使っていない。
かつてネット上で付合いのあった知人からは「オモチャのよう」だと言われたことがある僕のオーディオ装置だけど、その知人の聴く音楽とそれについて発言する内容はといえばこれがおよそつまらないものでしかなかった。もちろんこれは僕自身の耳と文章が稚拙であることは棚上げして言っているわけだけどね。
高級オーディオでつまらない音楽ソフトを聴いてなにが面白いんだろう?それならチープなCDラジカセやミニ・コンポで素晴しい音楽を聴く方がはるかに豊かな音楽ライフを送れるはずだ。それに僕は音楽に夢中になってすぐに戦前の古いSP音源の大ファンになっちゃったしなあ。
あっ、思い出したぞ、その僕のオーディオ装置を「オモチャ」だと言ったその知人はチャーリー・パーカーのサヴォイやダイアル録音集を、録音状態が悪いので良さが分らないと言放って売飛ばしてしまったのだった。これには僕は開いた口が塞がらなかった。あんなに素晴しいジャズはないのにね。
しかもパーカーのサヴォイやダイアル録音はSP時代といっても1940年代後半だから、僕に言わせればかなり「音がいい」部類に入るんだよね。パーカーのアルト・サックスの音の生々しさなんかまるで生唾が飛んできそうなこれでもかというほどの迫力で迫ってくるよねえ。
じゃああれか、そういう1940年代後半のパーカーの録音が古くて音が悪くて聴けないなんていうファンは、僕が大好きでよく聴くルイ・アームストロングの20年代録音や、それより数年前のこれまた大好きでよく聴くフレッチャー・ヘンダースン楽団の録音やなんかは聴いたらどう思うだろうなあ。
さらに古く蝋管時代の録音も含む『グレイト・シンガーズ・オヴ・ザ・リパヴリック・オヴ・アゼルバイジャン』や、19世紀末〜20世紀初頭のエジプト人歌手ユスフ・アル・マンヤーラウィの十枚組とか、そういうのも僕は大好きでよく聴くんだけど、録音状態は悪いなんてもんじゃないんだよね。
アゼルバイジャン古典ムガーム二枚組もユスフ・アル・マンヤーラウィの十枚組(一体エル・スールで何セット売れたのか?)。録音状態は最悪なんだけど、音楽内容は極上でこんなに素晴しい音楽はないんだ。ジャズでもブルーズでもワールド・ミュージックでも普段からこんなものばっかり聴いている僕。
もちろん戦前のSP音源でもオッ!これは!と思うものもあって、ロバート・ジョンスンの『キング・オヴ・ザ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』(第一集の方)のある時のCDリイシュー盤がとんでもない素晴しい音だった。何年リリースとかなに一つ情報が書かれていないんだけど、米盤で金色のCD。
ジャケット・デザインもアルバム・タイトルも収録曲目も何もかも全て通常盤の『キング・オヴ・デルタ・ブルーズ・シンガーズ』第一集と同一だから、CD再生面が金色であることが、裏ジャケットの一部が半円形にくり抜かれてて見えていなかったら、絶対に気が付かなかったね。
これを新宿丸井地下のヴァージンメガストアで見つけ、既に二枚組完全集が出ていたので買う必要なんてなかったはずだけど、なんだかただならぬ雰囲気を感じた僕が買って帰って聴いてみて、そうしたらぶっ飛んだ。ビックリ仰天した僕は友人に聴かせまくったんだけど、全員一様にひっくり返っていた。
これは一体全体なにをどうしたらこんな音になるんだ?とか、なにか細工をしてあるだろうしかしオリジナル音源自体はどうにもいじりようがないはずだからマスタリングの際に一体なにをやったのか?とか謎だらけの金色ロバート・ジョンスンだったんだけど、ああいう極上音質で二枚組全集を出せないのかなあ?
また2015年に荻原和也さんのブログで知って買って聴いて感動したギリシア人ヴァイオリニスト、アレヒス・ズンバスのアメリカ録音『ア・ラメント・フォー・エピルス 1926-1928』。黙って音だけ聴かせたら、1920年代録音だとは誰も信じないはずの生々しい音でこれも驚いたなあ。
これら二つは例外だろうけれど、音質の悪さなんてものは音楽の中身の良し悪しを判断するのにはなんの障壁にもならないんだよね、少なくとも僕はね。それにSPの音って聴き慣れないファンには意外に思われるかもしれないが、かなりふくよかで中音域が豊かで「いい音」なんだよね。
そういう僕だから、音質(含む録音状態)の良し悪しとかいうものと音楽内容の良し悪しを聴き分ける耳は全くの別物だと考えるようになった。大学生の頃からSP音源のLPリイシューによる古いジャズを中心に聴いていたから耳が慣れているということもあるんだろう、古い録音になんの抵抗もない。
またLP時代は現在みたいにデジタル装置でノイズ・リダクションを行うような技術がまだなかったので、SP音源のリイシューLPはだいたい全部スクラッチ・ノイズまみれだった。自宅でそんなレコードを聴いていると、父親に「こんなにパチパチ雑音が出まくるようなレコードに値打ちはない」と言われたこともある。
今はノイズを取除く技術も進んできているのでスクラッチ・ノイズまみれみたいなSP音源リイシューCDは少ないんだけど、LP時代に聴き慣れていた僕なんかにはノイズすら音楽的というか必要不可欠な音楽の一部であるかのような聴き方をしていたからなあ。ちょっと懐かしい気分が失われている。
別に古いものばっかりじゃないよ。1960年代のいわゆるモータウン・サウンドはハイ・ファイ再生なんてことは頭になく、当時のチープなカー・ラジオから流れる時に一番ピッタリ来るような音の創り方をしていたもんね。そういうミキシングだったもん。高級オーディオで聴かなくちゃなんて方がオカシイんだ。
カー・ラジオから流れてくるチープなサウンドや、安いラジカセで聴くカセット・テープや、DACを使ってオーディオ装置に繋いだりせずパソコンの内蔵スピーカーでそのまま再生して聴くYouTube音源やそういう諸々のものに思わぬ大きな感動を覚えるってことがあるだろう?みんな?
生前の中山康樹さんが言っていたことなんだけど、十代の頃にオンボロのオーディオ装置でペラペラの薄い日本盤LPレコードを聴いて、それで大感動して人生が180度変っちゃったんだから、大人になってお金に少し余裕ができたからといってあんまり高音質にこだわりすぎるのはどこかオカシイと。音楽の感動とは別のなにかなんじゃないかと。
別に高級オーディオや高音質音源そのものを否定しているわけではない。音楽とは「音」そのものでしかないんだから、情報量が豊かである方がいいに決っている。だけれども僕ならそれにかける高額な費用で一つでも多くの音楽ソフトを買ってたくさん聴きたい。聴きたい音楽が世界中に無限に存在するからさあ。
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