最も壮絶な「ライク・ア・ローリング・ストーン」
ボブ・ディランの一連の<ブートレグ・シリーズ>で今まで出ているライヴ・アルバムで、一番楽しくて一番よく聴くのは『ライヴ 1975:ザ・ローリング・サンダー・レヴュー』なんだけど、時代の記録として一番壮絶だと思うのは『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』の二枚目だ。
『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』は、<ブートレグ・シリーズ>の第四弾として1998年にリリースされた二枚組ライヴ・アルバム。ファースト・セットを収録した一枚目はフォーク時代そのままのディラン一人によるアクースティック・ギター(とハーモニカ)弾き語り。
その一枚目はリリース当時には何度も聴いたけれど、その後はあまり聴かなくなった。といっても一枚目の収録曲も全て電化ロック路線転向後の『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』以後に発表されているもので、「廃墟の街」(デソレイション・ロウ)や「ヴィジョンズ・オヴ・ジョハナ」みたいな好きな曲もある。
その完全アクースティック弾き語りでやっている一枚目では、観客の反応も良くて暖かく拍手している。しかしこれ1966/5/17のライヴ録音で、既に『追憶のハイウェイ61』までリリースされていたし、その次の『ブロンド・オン・ブロンド』だってリリースされたかされないかという時期。
ちょっと話が逸れるけど、その『ブロンド・オン・ブロンド』は1966年5月16日リリースのロック界初の二枚組LPレコードだった。こっちが初の二枚組だという説を唱える人もいるフランク・ザッパの『フリーク・アウト』が同年6月27日リリースだから、ディランの方がほんのちょっぴり先なのだ。誤差ほどのもので、実質同時のようなもんだけど。
ディランの『ライヴ 1966:ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』はそんな時期のライヴ・コンサートだったんだから、セカンド・セットでのザ・ホークスを従えたエレクトリック路線の方がウケが悪く、ブーイングというか批難されたりする声が聞えるのはやや意外な感じもする。
僕はどう聴いても二枚目のエレクトリック・セットの方が大好きなんだよね。これはリリース当時から現在に至るまで変っていない。1998年の公式リリース前に、『ロイヤル・アルバート・ホール』という名称で同内容のブートレグCDが流通していたので、それで聴き馴染んでいたものだった。
そのブートCD、おそらくアナログ時代からあったものなんだろう。アナログ・ブートは大学生の頃にマイルス・デイヴィスのライヴ音源を買った以外では、レッド・ツェッペリンのライヴ音源を弟がなにか一枚か二枚買ってきたことがあるだけで、CDでもマイルス関係以外は僕は殆ど買ったことがない。
1995年にパソコン通信をはじめたと同時にるーべん(佐野ひろし)さんと出会って、彼はその頃『レコード・コレクターズ』誌デビューし、現在までボブ・ディラン関係の記事を実にたくさん書いている。そのるーべんさんに、これが一番凄い「ライク・ア・ローリング・ストーン」だぞと教えてもらったのだった。
それでその最も壮絶だとるーべんさんの言う「ライク・ア・ローリング・ストーン」が入っているブートCD『ロイヤル・アルバート・ホール』を西新宿に買いに行った。それで買って帰って聴いてみたらこれが物凄くてぶっ飛んでしまったんだなあ。このアルバム・タイトルはミスリーディングだけど。
というのはこういうタイトルになっているものの、音源はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで収録されたものではなく(どうしてこのタイトルだったのかご存知の方教えてください!)、同じ英国のマンチェスター・フリー・トレード・ホールでのライヴ・ステージを収録したものだからだ。
しかし1998年にファースト・セットも含め二枚組でこれが公式発売された際も、副題に『ザ・ロイヤル・アルバート・ホール』の名を冠したのは、ブート音源があまりに有名になってしまっていたせいで、まあ本歌取りみたいなものだったんだろう。アルバム・ジャケット・デザインもそうだよねえ。
公式盤を買ったので、愛聴していたブートCDの『ロイヤル・アルバート・ホール』は聴きたいという友人にプレゼントした。もし気に入ったら公式盤を買ってほしいと言添えて。その後そのブラック・ミュージック・ファンの友人からはこれに関しては何の音沙汰もないので気に入らなかったのかもしれない。
二枚目のエレクトリック・セット、書いたようにザ・ホークス(後の名をザ・バンド)がバック・バンドなんだけど、ドラマーだけがリヴォン・ヘルムじゃなくミッキー・ジョーンズだ。漏れ聞く話ではこの頃リヴォンはディランとのツアーでのストレスから精神的に参っていてそれで参加していないとか。
そのリヴォン以外はお馴染みの面々。ロビー・ロバートスンの変態ギターも聴けるし、ベースだけでなく一部でバック・コーラスを担当するリック・ダンコも、印象的なオルガンを弾くガース・ハドスンや、リチャード・マニュエルのピアノも聴ける。ドラマーもリヴォン・ヘルムではなくミッキー・ジョーンズで正解だったと思える力強さだ。
一曲目の「テル・ミー、ママ」から大好きなんだよね。ところでこの曲はこのアルバムでしか聴けないように思うんだがどうなんだろう?少なくともスタジオ録音はないはず。ライヴ録音も僕の知る限りでは他には収録されていないから、この1966年のツアーでだけ演奏された曲だったのかもしれない。
二曲目の「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー(シー・アクツ・ライク・ウィ・ネヴァー・ハヴ・メット)」は、『アナザー・サイド・オヴ・ボブ・ディラン』の収録曲だから、そのオリジナルは当然アクースティック・ギター弾き語りのフォーク・スタイルだけど、ここでは完全に電化ロック路線に変貌している。
曲に入る前に、次の曲は「アイ・ドント・ビリーヴ・ユー」、あんな感じだったけれど今日はこんな感じでやるよ、とディランが言っている。これだけじゃなく他の曲でも演奏に入る前に少し喋っている。ファースト・セットではそれが全然ないから、ディラン自身もまだ少しその必要を感じていたのかな。
三曲目「ベイビー、レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン」は1961年録音翌62年リリースのデビュー・アルバム『ボブ・ディラン』でやっていたもの。1930年代からある古いフォーク・ブルーズで、これも1966年のこのライヴでは電化路線のブルーズ・ロックに変貌している。ロビーのギターがいい。
五曲目の「ジャスト・ライク・トム・サムズ・ブルーズ」と六曲目の「レパード・スキン・ピル・ボックス・ハット」は、それぞれ『追憶のハイウェイ61』と『ブロンド・オン・ブロンド』でやっている曲だから、特に変貌もしておらず驚きはない。当時の現場の観客だってそうだったんじゃないかなあ。
その六曲目が終って七曲目「ワン・トゥー・メニー・モーニングズ」に入る前、どういうわけか観客の(おそらく皮肉というか批難の)拍手が大きくて鳴止まないので、ディランが意味不明の言葉を羅列しはじめる。しばらくするとそれに気付いて客が拍手を止め聴入ると、「そんなに強く拍手するな」と言う。
その「ワン・トゥー・メニー・モーニングズ」も『時代は変る』に収録されているフォーク路線のアクースティック・ナンバーだったのが完全に姿を変えている。次の八曲目「バラッド・オヴ・ア・シン・マン」は『追憶のハイウェイ61』で既にオルガンやエレキ・ギターの伴奏入りでやっているものだ。
その「バラッド・オヴ・ア・シン・マン」が終るといよいよ問題のシーンになるわけだ。観客から「ユダ!(英語だから「ジューダ」だけど)」との叫び声が挙る。ユダとはイエス・キリストを裏切った人物だから、キリスト教世界では<裏切者>の代名詞なのだ。つまり電化ロック路線など裏切りだというわけ。
この「ユダ!」という叫び声とそれに呼応した拍手に対し、即座にステージ上のディランはエレキ・ギターを鳴らしながら「お前なんか信じないよ、お前はウソつきだ!」と切り返し、振返ってバック・バンドに「バカデカい音でやれ!」と指示して「ライク・ア・ローリング・ストーン」がはじまる。
こういう曲前のやり取りとそれに続く轟音の「ライク・ア・ローリング・ストーン」を(最初はブートCDで)聴いた時は鳥肌ものだった。音楽的な出来を言うならもっといいヴァージョンがあるだろうけど、1966年のディランやロック・ミュージックにとっての貴重な記憶なんだよね。
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