「ワールド・ミュージック」っておかしな呼称だな
僕の場合1986年にキング・サニー・アデに出逢ってから聴始め、その後90年代に入ってからどんどん聴くようになったワールド・ミュージック。この「ワールド・ミュージック」というジャンル名は相当にオカシイよね。日本語にすれば「世界音楽」ということだからなんでも全部入ってしまう。
このワールド・ミュージックという名称に馴染がない人には、これがなんのことやら分らないみたいで、昨年父親の一周忌法要で家族が集った時、法事の後の食事会でロック好きの弟から「兄ちゃん、最近なに聴きよるん?」と言われたので「ワールド・ミュージックとかかなあ」と答えるとやはりキョトンとされた。
「兄ちゃん、なにそれ、ワールド・ミュージックって世界音楽いう意味やん、ロックもジャズも全部入ってしまうし、なんのことやら分らん」と言われたのだった。僕がジャズのレコードばかり買っていた時期の記憶が弟には強く残っているようで、まだジャズばかり聴いていると思っていたかもしれない。
余談だけど僕には弟が二人いて、上の弟はビートルズとかビリー・ジョエルみたいなポップなのが好きだったけど、下の弟はクリームとかレッド・ツェッペリンとかマイケル・シェンカーなどハードなギター・ロックが好きで自分でもギターを弾き、僕と話が合っていてよくレコードを借りていたのはその下の弟の方。
それはともかく熱心なワールド・ミュージック・リスナーになって以後の僕ですら、やはりこの言葉はちょっとヘンだ、全く実態を表現していないよなと思える。非欧米日のポピュラー・ミュージック全般を全部ひっくるめてそう呼んでいるだけのことだし、かといって西洋でもギリシア歌謡やポルトガルのファドなんかは入ってしまう。
ワールド・ミュージック、一体誰がいつ頃から使い始めた用語なんだろうと思ってちょっと調べてみたら、アメリカ人民族音楽学者ロバート・エドワード・ブラウンが1960年代初頭に造り出した言葉らしい。ロバート・E・ブラウンといえばインドネシア民族音楽のレコーディングで知られている。
ロバート・E・ブラウンは大学で教鞭を執っていた人なので、インドネシアだけでなく広く非欧米のポピュラー・ミュージックを手っ取り早く学生に認識させる手段として、ワールド・ミュージックという造語を捻り出したんだろう。1960年代前半ならまだまだ一般的には聴始められていない時期だから。
世間一般にワールド・ミュージックという言葉が広まるようになったのは、1980年代に入ってからじゃないかなあ。ピーター・ゲイブリエルがWOMADを開催しはじめたのが1982年で、その後80年代半ば〜後半あたりから急速に認知されるようになったはず。WOMADもその頃が全盛期だった。
むろん1970年代にサルサの大流行などがあったので、流行音楽としてもその頃からワールド・ミュージックに親しんでいた方々がかなりいたはず。そもそもサルサに限らずラテン音楽は戦前から世界中で人気のある分野で、30年代のルンバや50年代のマンボなどが大流行してはいた。
何度も書いているように僕が小学生低学年の頃(1960年代後半)、父親がペレス・プラードなどマンボの大ファンで、運転するクルマのなかでマンボの8トラ・カセットばかりかけまくっていて、僕も助手席でそれを聴いていたのが、全くなんの自覚もなかったんだけど初体験だったと言えるかも。
そんな具合に日本でも大流行で僕も子供時分から自覚なしに親しんでいたので、ラテン音楽をいわゆるワールド・ミュージックに含めてもいいのかどうか、僕個人はちょっと微妙な気分がしているのは確か。中米でもジャマイカ発のレゲエは普通ワールド・ミュージックには入れないような。
要するに「非欧米の大衆音楽」という一点でしか定義できない、というかそもそも定義なんてことの難しいジャンル名だし、非欧米なんてことを言出せば世界中なんでも全部入っちゃうわけだし、しかもその非欧米の大衆音楽も民俗音楽から発展してポップ化する際に西洋音楽の影響を強く受けているしなあ。
そう考えるとワールド・ミュージックという言葉は、非欧米という地理文化的な視点以外は何一つ言表わしていない用語なんじゃないかと思えてくる。少なくともアフロ・ポップとかラテン音楽とかアラブ歌謡とかトルコ古典歌謡とかアゼルバイジャン・ムガーム音楽その他様々な個別ジャンル名とは全然違う。
アラブ歌謡とかトルコ古典歌謡とか言われれば僕はなんらかの音楽的実態が想像できるんだけれど、ワールド・ミュージックと言われてもなんのことやら正直言ってピンと来ないというのが正直なところ。とはいえ現在一番熱心に聴いている種類の音楽をこれ以外の言葉では表現できないのも確かだ。
亡くなった中村とうようさんや、その他深沢美樹さん、原田尊志さん、荻原和也さんなど、みなさんやはりこのワールド・ミュージックとしか呼びようのない種類の音楽をたくさんお聴きだし、そういう活躍されている方々だけでなく、僕も含め多くの一般素人リスナーもやはり同じようなことになっている。
だからやはりワールド・ミュージックとしか呼びようのない言葉に当てはまる音楽一般に、なにか「共通する」魅力があるということなんだろうなあ。それがなんなのか、かつてよく目にしていた「第三世界の虐げられた民衆の魂の叫び」だとか、以前大批判を展開した「周辺音楽」「辺境音楽」だかというようなものでないことだけは確かなんだけど、じゃあなんなのかよく分らない。
しかし音楽のジャンル名なんてのは、大きくなればだいたいどんなものだって似たようなものではある。ブルーズだってジャズだってロックだってソウルだって、全て元々は音楽の実態とはあまり関係のないような言葉であって、なんとなくのフィーリングや身体運動(セックス)を表しているだけのものだよね。
フランスのシャンソンにいたっては単に「歌」というだけの意味の言葉だから、これは音楽用語としては全くなにも説明していない。しかしそれでもシャンソンと言われれば明確な実態が想像できて、こういう種類の音楽なのだとはっきりアイデンティファイできる。
西洋近代音楽を言表わすクラシック(英語ではClassical Music)なども単に「古典」というだけの意味だし、20世紀以後のものを現代音楽と呼んだりするのも全くなにも実態を表現しておらず、だからまあ西洋近代音楽でも欧米/非欧米の大衆音楽でも、ジャンル名なんてものはそんなもんだ。
僕が一番たくさん知っているジャンルはジャズだけど、「ジャズ」とだけ言われただけではやはりなんのことかはっきりしないのだ。ニューオーリンズとかスウィングとかジャイヴとかジャンプとかビバップとかハードバップとかフリーなどど言われて、初めその言葉で表現する音楽の実態が具体的に脳裏に浮ぶ。
ジャンル名なんてものは音楽とはなんの関係もない便宜的なものに過ぎないとは、音楽家も聴き手も昔から大勢の人が言っている。古くは1930年代にデューク・エリントンがそう言っていて「ジャズじゃない、ブラック・ミュージックと呼べ」と。その後マイルス・デイヴィスにも同種の発言が繰返しある。
マイルスの場合は主に商業的な理由での発言だった。つまりジャズに分類しちゃうからオレのレコードは売れないんだ、白人連中のロックのレコードと同じ場所に並べればもっと売れるんだというのが発言の主旨だったんだけど、しかしまさにその流通用途こそがジャンル名存在の唯一の意義なんだよね。
ブルーズでもジャズでもロックでもソウルでもワールド・ミュージックでもクラシックでも、いわばそうやって(マイルスの大嫌いな)レッテル貼りをしてレコード会社も発売しレコード・ショップでもそう分類して並べないと、どうにも売りようのないものだろう。マイルスの発言は皮肉なことだった。
多くの熱心な音楽好きがそうであるように、僕もジャンルなんかどうでもいい、そんなものになんの関係もなく、米黒人ジャズやブルーズとギリシアの古いレンベーティカとアラブ歌謡やトルコ古典歌謡を同列に並べて続けて聴いていたりするわけだけど、聴き手の側でそうする以外には音楽ジャンルを取っ払う手段はないと思う。
ブルーズ愛好家、ジャズ愛好家、その他様々と同じく、ワールド・ミュージック愛好家も愛好するジャンルに特別な思い入れがあって他の音楽とは違うんだという意識を持っているリスナーが多いようだけど、僕の場合そういう意識は全くない。そもそもジャズばっかり聴いていたのを脱却した時にそれは捨てた。
ただマイルス・デイヴィスについてだけ僕は異常に強いこだわりがあるんだけれど、以前から書いているように、そもそも彼をジャズマンだとは思っていないんだよね。脱ジャンルの音楽家だしそういう人を一番好きになったからこんな発想になったのかもね。
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「ワールド・ミュージック」はジャンル名ではなく、世界のポピュラー音楽を聴くアティチュードだというのが、熱心な愛好家の共通認識だという気がしているんですけれどね。
ただ、世間一般には、欧米のプロデューサーが関わった非西欧世界ポップスみたいな理解をされているので、「ワールド・ミュージック」という用語は、ぼくはほとんど使いません、というより避けています。
投稿: bunboni | 2016/04/02 21:21
bunboniさん、「アティテュード」だと言われると、なんとなく腑に落ちるような気はしますし、bunboniさんが「いわゆる」ワールド・ミュージックだけだけでなく、ジャズやファンクなど大勢ファンがいる分野の音楽ついてもたくさんお書きなのも、納得が行く気はします。その点では、ジャズ・ファンの僕がいわゆるジャズに向う姿勢も似たようなものなのかもしれません。
投稿: としま | 2016/04/02 21:50