マイケル・ヘンダースンのファンク・ベース
マイルス・デイヴィスの雇った歴代全ベーシストのなかで僕が一番好きなのがエレベのマイケル・ヘンダースン(在籍1970〜75年)。マイルスのアルバムに参加しているもので、スタジオ作では1970年の『ジャック・ジョンスン』でのプレイが一番好き。72年の『オン・ザ・コーナー』以後もなかなか凄いけれども。
『オン・ザ・コーナー』も本当に彼のエレベがいいんだけど、あのアルバムはなにしろ参加メンバーが多くて、しかもタブラ奏者やシタール(といってもギター型のエレクトリック・シタール)奏者などもいて、出てくるサウンドの印象が相当にゴチャゴチャしているから、マイケル・ヘンダースンのエレベに集中したい時にはイマイチ向かない。エレベにエフェクターがかかっていて音が目立ち、編成も比較的シンプルなB面はまだいいけど。
1970年の『ジャック・ジョンスン』以外では、72年の『オン・ザ・コーナー』と74年の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』しかマイケル・ヘンダースン参加のマイルスのスタジオ・オリジナル・アルバムはなく、それ以外にかなり多くのライヴ・アルバムがある。ライヴ録音では一部を除きちょっと分りにくいんだよなあ。
というわけで編成がシンプル(リズム・セクションがドラムス+エレベ+エレキ・ギターの三人だけ)な『ジャック・ジョンスン』、なかでもA面の「ライト・オフ」がマイケル・ヘンダースンのエレベのカッコよさが一番分りやすいように思う。マイルスもこのレコードに寄せた文章でそれを絶賛している。
「ライト・オフ」の録音は1970年4月7日で、同日にB面の「イエスターナウ」も録音されている。この録音がマイケル・ヘンダースンがマイルスと一緒に音を出した最初の機会で、このベーシストのオーディションも兼ねていたらしい。当時のレギュラー・バンドのベーシストはご存知デイヴ・ホランドだった。
デイヴ・ホランドは1970年のマイルスのライヴ・ステージではエレベも弾いてはいるけれど、それはバンド・サウンドの必然的要請によるものであって、彼は基本ウッド・ベーシストだ。70年のマイルス・ライヴでもエレベだけでなくウッド・ベースも弾いている。
マイルスの録音でエレベ奏者が初めて参加したのは1969年8月録音の『ビッチズ・ブルー』で、ハーヴィー・ブルックスが弾いているけれど、同時にデイヴ・ホランドもウッド・ベースで参加していてツイン・ベース体制。前作69年2月録音の『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではホランドのウッド・ベース一本だった。
何度も書いているけど1968年末〜71年頃はマイルスの音楽が一番大きく変化した時期で、鍵盤奏者もフェンダー・ローズなどを弾くようになりリズム・セクションも大幅に強化されたから、ウッド・ベースからエレベへの移行も必然だった。だからデイヴ・ホランドだけではダメだとマイルスは感じていたようだ。
それで『ビッチズ・ブルー』にはハーヴィー・ブルックスを参加させたんだろう。ハーヴィー・ブルックスはジャズ・ファンには馴染の薄い人だね。実際1990年代後半にパソコン通信をやっていた頃も、『ビッチズ・ブルー』での彼を「こういうベースしか弾けない人なのか」と言う人すらいた。
ロック・ファンにはボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』や、アル・クーパー+マイク・ブルームフィールド+スティーヴン・スティルスの『スーパー・セッション』や、キャス・エリオットやエレクトリック・フラッグやドアーズで弾いたり、ジミヘンともやったことがあるらしく有名人だよね。
マイルスの『ビッチズ・ブルー』参加時の1969年には、ハーヴィー・ブルックスはコロンビアのスタッフ・プロデューサーという立場にもなっていて、マイルスやテオ・マセロはハーヴィーのベーシストとしての腕前もさることながら、そういうこともあって彼にセッション参加を要請したんだろう。
もちろん『ビッチズ・ブルー』(例のウッドストック・フェスティヴァルの翌日から始った三日間のセッション)でのハーヴィー・ブルックスは実に堅実なエレベ職人ぶりに徹していて、だから「こういうベースしか弾けない人なのか」と知らない人から言われても、まあ仕方がないんだろうとも思えるシンプルさ。
以前『ビッチズ・ブルー』のセッション参加時のハーヴィー・ブルックスの述懐をなにか読んだような気がするのだが、完全に忘れてしまっていてネットで探してもこれだと思えるものに出会わない。まあできあがった音だけ聴く限りでは本当地味で目立たないエレベを弾いているよね。
『スーパー・セッション』(1968年7月録音)などでのハーヴィー・ブルックスを知っていると、『ビッチズ・ブルー』での彼のエレベは物足りない感じがするのだが、そういうのがこの時のマイルスの指示だったんだろうなあ。セッション・マンとして人に合わせられるベーシストだ。
しかしこれ以後もマイルスはレギュラー・バンドではデイヴ・ホランドを雇い続け、『ビッチズ・ブルー』録音後の1969年ロスト・クインテットでのライヴでも彼はウッド・ベースしか弾いていない(チック・コリアの鍵盤はエレピだけど)。スタジオ・セッションでエレベ奏者を本格的に使ったのはやはり『ジャック・ジョンスン』が初だった。
その1970年4月の『ジャック・ジョンスン』の録音に参加したマイケル・ヘンダースンはその時19歳。モータウンのジェイムス・ジェマースンが最も大きな影響源で、マーヴィン・ゲイ、アリサ・フランクリン、スティーヴィー・ワンダーなどとの録音歴がある完全なるR&B〜ソウル系の人材だった。
『ジャック・ジョンスン』でのエレベがあまりに素晴しく聞えるので、なぜマイルスがすぐにマイケル・ヘンダースンを雇わず、その後もレギュラー・バンドでは半年ほどデイヴ・ホランドを使い続けたのかちょっと理解に苦しむ。マイケル・ヘンダースンが正式にレギュラー参加するのは1970年10月頃。
『ジャック・ジョンスン』を聴くと分るけど、マイケル・ヘンダースンはR&B〜ソウル〜ファンク系のセッション・マンらしいファンキーなリフやオスティナートを催眠的に延々と繰返し弾く人で(だからジャズ・ファンにはややウケが悪いかも)、ジャズからファンクへというマイルス・ミュージックの変化に好適だった。
『ジャック・ジョンスン』ではビリー・コブハムのドラムスもジョン・マクラフリンのエレキ・ギターも完全にR&B〜ロック系のサウンドだし、催眠的なマイケル・ヘンダースンのエレベと相俟って、ジャズ風な面影は全くない。それで油井正一さんなどは「例外的作品」としか思えなかったんだろう。
言うまでもなくファンク・ミュージックは同一パターン反復という手法を主な制作原理にしていて、マイルスにしてもそう。だからマイケル・ヘンダースンのプレイ・スタイルはこれ以上なくフィットするものだったはず。それで彼をレギュラー・バンド・メンバーとして結局1975年の一時隠遁まで使い続けた。
スタジオ録音では『ジャック・ジョンスン』でのプレイがマイケル・ヘンダースンのエレベのカッコよさ一番分りやすいと思う僕だけど、ライヴ録音では『アガルタ』、特に一枚目(旧)A面が一番カッコイイと思っている。大学生の頃にこっちを先に聴いて好きになっていた。録音もいいからクッキリ聞えるしね。
ところでマイケル・ヘンダースンのエレベに関してだけは、『アガルタ』の全てのリイシューCDよりもCBSソニーから出ていたアナログ盤の方が聞えやすかったんだけど、これはどういうことだろうなあ?ノン・ストップの一続きのライヴ演奏が両面に分断されてしまうアナログ盤は、もうあまり聴きたくないんだけど。
『アガルタ』よりも音楽内容としては同日録音の『パンゲア』の方が凄いんだろうと僕も思ってはいるけれど、個人的はジェイムズ・ブラウン的な感じがする『アガルタ』の方、特に一枚目が最高に好み。(旧)A面中盤で一回目のピート・コージーのソロが終っていったんバンドのサウンドが落着いた後、レジー・ルーカスが空間を刻み始める。
そのレジー・ルーカスのギター・カッティングがはじまった次の瞬間に入ってくるマイケル・ヘンダースンのエレベ・リフが最高にファンキー!その同じエレベ・リフを何度も繰返し弾いていて、レジー・ルーカスのカッティングとともにバンドがグルーヴしはじめたと思ったら、マイルスが切込んでくる。
そして電気トランペットを吹くマイルスはマイケル・ヘンダースンのエレベをよく聴いていて、エレベのフレーズに即応しながらソロを吹く。テーマが出てくるまでのこの数分間が1945〜91年の全マイルス・ミュージックの中で僕が一番最高にゾクゾクする時間なのだ。最初に聴いた時はたまらずイキそうになったね。この音源では18:22〜21:53。
マイルスのスタジオ・オリジナル・アルバムでは参加しているアルバムが少ないマイケル・ヘンダースンだったけど、2003年の『コンプリート・ジャック・ジョンスン・セッションズ』五枚組と2007年の『コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』六枚組のおかげで、今ではたっぷり聴けるようになって嬉しい限り。ライヴ音源に関しても公式盤でもちょぴり充実しつつある。
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