電化サウンドを嫌わないで
保守的なジャズ・ファンのなかにはエレクトリック・サウンドを毛嫌いする人が昔は結構いて、さすがにもう絶滅しただろうと思っていたら、今でもちょっといるらしい。かつて粟村政昭さんなどはマイルス・デイヴィスの『ビッチズ・ブルー』について「電化サウンドに対する生理的嫌悪感を超える説得力はないと思いたい」と書いていたくらいだったもんなあ。
粟村さんはその一方で、同じようにフェンダー・ローズをたくさん使う初期ウェザー・リポートは評価するようなことを書いていたのがイマイチ分りにくかったけど。ミロスラフ・ヴィトウスはエレベも弾いているしなあ。1960年代フリー・ジャズの総括的意味合いというなら『ビッチズ・ブルー』だってそうだし。
これは世代の問題ではないはず。粟村さんよりもっと年上の油井正一さんは『ビッチズ・ブルー』を最高に高く評価していたし、その後も1970年代マイルスは概して高評価だった。油井さんの世代で同じような人は結構いるし、粟村さんよりもっと年下でも電気楽器を毛嫌いする人はいる。
まあでもある程度世代もあるのかもなあ。1962年生まれの僕の世代は、生まれた頃から電化サウンドの音楽が世の中に溢れていたからなんの抵抗もないし、歌謡曲でも演歌でも電化サウンドばかり。演歌なんかイーグルズの「ホテル・カリフォルニア」ばりにツイン・リードのエレキ・ギターが炸裂するものだってあるぞ。
演歌の伴奏って知らない人は意外に思うかもしれないがかなり電気・電子楽器を使うんだよね。というか演歌を含めた歌謡曲全般そうだよね。いまどきエレキ・ギターやシンセサイザーが入らない演歌や歌謡曲なんてまずない。ベースなんか完全にエレベしか使っていないだろう。意識せずにみんな聴いているんだよね。
NHK日曜午後ののど自慢番組。昔は生楽器も使っていたはずだけど、最近は電子楽器の発達に伴ってほぼどんな音でもシンセサイザーで出せるようになったので、伴奏はドラムスとエレベとエレキ・ギター以外は、二人か三人のシンセサイザー奏者だけになっている。(音楽的)保守層にも人気の番組だけどね。
一般にフェンダー・ローズやシンセサイザーがいつ頃から使われはじめたのか、調べないと正確なことは言えないけれど、ポピュラー音楽ではおそらく1960年代からじゃないかなあ。ジャズやロックで広く一般的に使われるようになったのは60年代後半頃からだったはず。エレキ・ギターはもっとかなり古い。
アンプで増幅するエレキ・ギターはもちろん戦前からあって、たくさんのギタリストが弾いていてレコードにもなっている。その頃はまだロックなどが存在しない時代なので主にジャズやブルーズの世界での話だが、いろんなエレキ・ギタリストがいるんだよね。完全なクリーン・トーンではあるけれど。
だからそういうエレキ・ギターの音は古い保守的なジャズ・ファンだって聴いていたし、ビバップ以後のモダン・ジャズの世界でも、バーニー・ケッセルもケニー・バレルもタル・ファーロウもウェス・モンゴメリーもその他も全員エレキ・ギタリストだ。共鳴する空洞のあるボディのものだけどね。
そういうモダン・ジャズ・ギタリストの元祖とされているチャーリー・クリスチャンの音を初めて聴いたファンが、これはサックスの音なのかと思ってしまったというエピソードが残っているよね。まあこれは眉唾というか大袈裟だろうけれど、それくらいアクースティック・ギターの音とはかけ離れている。
毛嫌いする人が言うのはそういう共鳴胴のあるホロウ・ボディにピックアップが付いた(フル/セミ・)アクースティックなものではなく、ソリッド・ボディのエレキ・ギターの音なんだろう。この二つは同じエレキ・ギターといってもかなり音が違う。しかもある時期以後ファズなどのエフェクターも出てきた。
電化サウンドを毛嫌いするファンにとっては、1960年代後半以後のファズを使って音を歪めたエレキ・ギターの音はもってのほかというか生理的に受付けないようなものなんだろうね。僕みたいな歪みに歪みまくったエレキ・サウンドの方が好き・美しいと感じるような人間の神経は理解できないんだろう。
演歌などはやや保守的な世界なのかと思われがちだけれど、エレキ・ギターの音は結構歪んでいたりすることもあって、しかも先に書いたようにそれがツイン・リードみたいな形で弾きまくるようなものもあったりするからね。お年寄のみなさんもそういうものは特に意識せずに聴いているわけだよねえ。
電気・電子楽器を意識せずに聴いていて特に抵抗もないというのが、普通のというか一般的な音楽リスナーの耳なんだろうと思うんだ。なんだかちょっと意識して自覚的に聴き込みはじめると、突然そういう音を毛嫌いするようになったりする人が出てくるのはどうしてなんだろうなあ。
創り手の音楽家自身の世界はちょっと別なんだろうと思うけどね。音楽を創る方々にはそれぞれこだわりがあって、21世紀に活動する若手ミュージシャンだって生楽器しか使わない人は結構いるもんね。電気・電子楽器もいろいろと使う現代音楽を除く伝統的クラシック音楽は言うまでもない。
生楽器しか使わないそういう音楽家の方々が、電気・電子楽器を使った音楽を聴いていないとか毛嫌いしているとかいうと全然そんなことはないんだよね。みなさんロックやファンクなどもいろいろと好きで聴いている。音大に通っているような人も、僕が話をしたことがある人は全員ファズで歪んだエレキ・サウンドのロックも好きだった。
有名人ではかの指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンがレッド・ツェッペリンの「天国への階段」を聴いて、自分がアレンジしても直すところは全くないと語ったのはよく知られている。誰かが聴かせたか自分から進んで聴いたのか知らないが。もっともあの曲はアクースティック・ギターではじまるけどね。
「天国への階段」では終盤ファズの効いたエレキ・ギターのソロが出てくるし、ツェッペリンはそんなのばっかりだけれど、そういうのに比べたらマイルスの『ビッチズ・ブルー』なんてエレキ・ギターも約三台のフェンダー・ローズも全然クリーン・トーンで、まあおとなしいというかキレイな音だよ。
「天国への階段」はアクースティック・ギターではじまって、その後も終盤の派手なソロまではエレキ・ギターもクリーン・トーンでかなりおとなしい静かなサウンドだから、カラヤンもすんなり聴けたということなのか、あるいはそんなことは関係なくなんでも聴いていいものはいいと評価したのか、おそらく後者だったんだろうと思いたい。
カラヤンは超有名人だからクラシック門外漢の僕だって知っているけれど、これはほんの一例に過ぎないと思うんだよね。音楽の創り手は聴き手が思うほどには狭量にこういうのしか聴かないなんてことはなく、実にいろいろと聴いているもんだ。そのなかで自分の音楽に吸収できるものは吸収している。
主に21世紀に入ってからかなあ、かつてシンセサイザーなどの電子楽器で創っていたようなサウンドを生楽器で演奏する人達が出てきているように思う。そういう試みの走りは1971年録音のウェザー・リポート一作目一曲目の「ミルキー・ウェイ」だろう。シンセサイザーみたいな音をアクースティック・ピアノの残響音だけで創っている。
エレキ・サウンドからもたくさん吸収し、それをそのままエレキ・サウンドではなくアクースティックな生楽器の音楽に応用しているわけだよね。自分の創る音楽では生楽器しか使わなくても、電気楽器の歪んだ音を別に毛嫌いなんかしていない音楽家が殆どのはずだ。聴き手も見習ったらどうだろうか?
僕はこれまた例外的にというか、電気で歪みまくった音の方が澄んだ音より「美しい」と感じる性分(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-8644.html)だからアレかもしれないけれど、電気・電子楽器を毛嫌いしていると、聴ける音楽の幅が著しく狭まってしまう。その中には凄く面白い音楽がたくさんあるけどねえ。
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