シナトラのトーチ・ソング集
ジャズに対してシビアな見方をしている方じゃないかと自分では思っているけれど、そのわりには僕はフランク・シナトラがかなり好き。これは大学生の初め頃からそうだった。しかし既にその頃には硬派なジャズ・リスナー、例えば粟村政昭さんなどはシナトラなど全く眼中にないという感じだった。
眼中にないというかシナトラを酷評していたんじゃないかという記憶があるなあ、粟村さんの場合は。直接言及したことすら一度もなかったはずで(その価値すらないと見做していたに違いない)、他のジャズ歌手やジャズ演奏家の話題のなかでさりげなく貶すというようだったと記憶している。
むろん熱狂的なシナトラ・ファンもたくさんいて、日本にも三具保夫さんがいて、三具さんはシナトラ・ソサエティ・オヴ・ジャパンの代表だし、最近も確か『シナトラ・コンプリート』というとんでもない完全ディスコグラフィーを出した。三具さんのシナトラへのとんでもない熱情の賜物だった。
その三具さんのコンプリート・ディスコグラフィーを見なくても、シナトラの全音楽キャリアで録音したレーベルは三つだけ、コロンビア、キャピトル、リプリーズとみんな知っている。もろろんこれは独立後の彼名義ものという意味で、トミー・ドーシー楽団在籍時の音源はRCAから出ている。
以前から何度か触れているように僕はコロンビア時代(1946〜52)が意外に好きで、今でもCDでコンプリートに持っていて愛聴しているくらい。でもLP時代は全集としては出ていなかったはずなので、四枚か五枚かのレコードで聴いていた。それでもやはり最初に知ったシナトラはやはりキャピトル時代。
はっきりと憶えているけれど最初に買ったシナトラのレコードはキャピトル盤の『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』と『スウィング・イージー』の2in1だった。えっ?LPで2in1?と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれないが、1950年代初期のLPは10インチが多かったんだよね。
『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』も『スウィング・イージー』も1954年のキャピトル盤で、最初はそれぞれ10インチLPで出ている。前者も後者も10インチだから当然八曲しか収録されていない。それを僕が知っている普通の12インチLPで再発する際に2in1にしたというわけ。
『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ/スウィング・イージー』はそれこそ擦切れるほど繰返し聴いた愛聴盤LPだった。発売順とは逆に『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』がなぜかB面、『スウィング・イージー』がA面で、よく知っているスタンダード曲が多くて楽しめたんだよね。
このレコードはジャズ系歌手のものとしてはかなり早い時期に買ったので、それまでインストルメンタル演奏で聴き馴染んでいたスタンダード曲のヴォーカル・ヴァージョンをこれで初めて聴いたものも多かった。「コートにすみれ」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ア・フォギー・デイ」などなど。
特に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」だなあ。この曲はアクースティック・ジャズ時代のマイルス・デイヴィスのオハコだったので非常によく知っているものだったのだが、『ソングズ・フォー・ヤング・ラヴァーズ』収録のシナトラが歌うのを聴いたら、なんだかそっちの方がチャーミングに思えた。
その後マイルス・ヴァージョンの方もよく聴直しシナトラ・ヴァージョンも聴き込むと、この曲を1956年にプレスティッジに初録音したマイルスは、どうやらシナトラの歌い方、フレイジングなどにかなり影響を受けていることも分ってきたのだった。シナトラの方が二年先に発売されているもんね。
その頃はマイルスとシナトラの関係についてはなにも知らず、ただ「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」一曲だけ両者ともやっていて、しかもマイルスがシナトラのバラード表現をハーマン・ミュートでやろうとしたんじゃないかと漠然と感じていただけだった。マイルスがシナトラ好きだったことも知らなかった。
その後シナトラのキャピトル時代の他のレコードや、あるいはその前のコロンビア時代のレコードも数枚買って聴くようになると、シナトラの方が先に歌って発売し、その後マイルスがハーマン・ミュートで採り上げるというバラードが他にも何曲かあることが分ってきた。まあそんなには多くはないんだけど。
例えばマイルスが1954年にブルーノートに初録音した「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」。そこではトレード・マークのハーマン・ミュートではなくカップ・ミュートなんだけど、同曲はシナトラが1949年コロンビア時代の『フランクリー・センティメンタル』で歌っているもんね。
また同じくブルーノートにマイルスが1952年に録音した「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン?」。これもシナトラがコロンビア時代1947年の『ソングズ・バイ・シナトラ』のなかで歌っているし、マイルス1962年録音の「アイ・フォール・イン・ラヴ・トゥー・イージリー」もシナトラが先に歌っている。
そういうバラードだけじゃないんだよね。マイルスの『リラクシン』収録の1956年録音「アイ・クッド・ライト・ア・ブック」はミドル〜アップ・テンポの快活なナンバーに仕上っているけれど、これだってシナトラがコロンビア時代の52年にシングル盤で発売している(その後LPにも収録された)。
シナトラが先に歌ってその後マイルも採り上げたというのは以上で全部だけど、双方のヴァージョンをじっくり聴くと、マイルスがシナトラからかなり影響を受けているのがよく分る。ひょっとしてマイルスがハーマン・ミュートを使うようになったのはシナトラ的表現を試みてのことじゃないかとすら思うほど。
そんなことに気付きはじめていた頃にマイルスのなにかのインタヴューで「オレはシナトラが好きなんだ、シナトラは良い歌手でよく聴いている、彼が歌ったものをオレも吹いてみたいと思ったんだ」とはっきりと発言しているのを読み、ああ〜なるほどね、確かにそりゃそうだよねと膝を打ったという次第。
マイルスがブルーノート録音ではカップ・ミュートで吹いている「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も、二年後1956年のプレスティッジ録音(『ワーキン』)ではやはりハーマン・ミュートだもんね。特にバラード吹奏におけるマイルスのフレイジングにはシナトラを感じる。
そういう理由もあってかなくてか、シナトラという歌手は僕の個人的趣味ではやはりバラードを歌ったものの方がいいなあ。だってアップ・テンポの快活でスウィンギーな曲ではシナトラはどうもスウィング感がイマイチ足りないようなところがあって、そのあたりもジャズ・ファンにウケが悪いのかもね。
だからバラードばかり歌っている『シングズ・フォー・オンリー・ザ・ロンリー』という1958年のキャピトル盤が今では一番の愛聴盤。ただしこれは正確にはバラードではなくトーチ・ソング集だ。トーチ・ソングとは実らない片思いの恋や失恋を歌った内容の曲のことで、最近あまり見なくなった言葉だ。
今ではそんな片思いや失恋関係含め色恋沙汰をスローなテンポで歌うのはなんでも全部「バラード」と呼んでいるような気がする。それでもいいかなと僕も思ってはいるんだけど、しかしトーチ・ソングという種類の存在を知らないとシナトラの『オンリー・ザ・ロンリー』とかはちょっと分りにくいだろう。
オリジナルLPでは全12曲だった『オンリー・ザ・ロンリー』。全曲かなりスローなテンポで落ちこむような暗い雰囲気で(まあそんな曲ばかりなわけだから当然)、深刻そうな雰囲気でシナトラが歌う。伴奏のオーケストラ・アレンジはこの時期のシナトラの例に漏れずネルスン・リドルでやはり暗い感じ。ジャケット・デザインも上掲右のような感じだし。
そんなどんよりと落ちこむような深刻で暗い曲調と歌詞内容のものばかり続けて12曲聴いて、聴いている側のこっちの気持が落ちこまないのかと言われるかもしれないが、そこがやはり一流歌手の芸の力というものは恐ろしいもんだなあ、全部聴終えると一種のカタルシスみたいなものがある。
『オンリー・ザ・ロンリー』のなかでは、おそらくマット・デニスの「エンジェル・アイズ」、ボブ・ハガートの「ワッツ・ニュー?」、アン・ロネルの「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」あたりが一番有名だろうけど、僕が一番好きなのはハロルド・アーレンの「ワン・フォー・マイ・ベイビー(・アンド・ワン・モア・フォー・ザ・ロード)」だね。
『オンリー・ザ・ロンリー』のLPレコードではB面ラストだった「ワン・フォー・マイ・ベイビー」。オーケストラの音はかなり小さく控目でピアノ伴奏中心でシナトラが歌うのがなんとも言えずいい雰囲気なんだなあ。この曲自体僕は大好きなものだし。
「ワン・フォー・マイ・ベイビー」はシナトラ自身お気に入りのナンバーで、コロンビア時代にも録音・発売しているし、キャピトルを離れ1960年に自らリプリーズ・レコードを設立してからも歌っている。しかし僕の耳には58年の『オンリー・ザ・ロンリー』ヴァージョンが一番いいように聞えるね。
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