過去をよく振返っていたマイルス
1981年復帰後のマイルス・デイヴィスが元通りマトモに吹けるようになったのは1983年の『スター・ピープル』からだ。油井正一さんなどはこのアルバムはただそれを示しただけの作品だと言っていたくらい。復帰第一作の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』は確かに非常に弱々しい。
そして同年に初めて生で観たマイルスの来日公演も、これでグッバイ・マイルスと言った人も多かったというくらいボロボロで、僕自身は憧れのマイルスを初めて生で観たという感動だけで胸が一杯で、どういう音楽だったのかなんて殆ど憶えていない。かなり後になって出た東京公演をフルで聴くと確かにダメだ。
しかしながらその来日の翌年に出た(その東京公演からも収録されている)二枚組ライヴ盤の『ウィ・ウォント・マイルス』を聴くとそんなに悪くもないんだよなあ。特に二枚目ボストン公演の「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」と「キックス」はかなりいい。やっぱりダメだというファンも多いんだけどね。
「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」はジョージ・ガーシュウィン・ナンバーで、ご存知の通りマイルスはギル・エヴァンスとのコラボで1958年に吹込んでいる(『ポーギー・アンド・ベス』)。20年以上も前にやった曲を取上げるというのは69年以後のマイルスでは初めてだから当時様々な憶測を呼んだ。
前年に亡くなったピアニストのビル・エヴァンス追悼なのだとか(これはインタヴューでマイルス本人は否定していた)、本当のところは結局誰にも分りはしないんだけど、1981年カム・バック・バンドでの演奏もなかなかいい。特に『ウィ・ウォント・マイルス』ヴァージョンではサックスのビル・エヴァンス(同姓同名だから紛らわしい)のソロがいい。
油井正一さんはこの後いくらダメになってもこの「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」でのソプラノ・サックス・ソロがある限りビル・エヴァンス君のことは一生忘れないぞと書いていた。実際それくらいいいんだよね。そしてサックスのビル・エヴァンスはこれ以外にはいい演奏があまりないように僕には思える。
さてそれでその次の1983年の『スター・ピープル』はB面一曲目の18分以上もあるアルバム・タイトル曲の長いブルーズのせいで、一般的にはマイルスのブルーズ回帰アルバムだと捉えられている。ストレートなブルーズ進行の曲はこれだけなんだけど、他にもブルーズだろうと思える曲が多い。
一曲目の「カム・ゲット・イット」は当時マイルスがオーティス・レディングの曲(なにかは知らない)のコード進行に基づいていると語っていた。ちょっとそれは本当なのかなと疑ってしまうけれど、1983年のライヴ・ステージでのオープニング・ナンバーであったことは確かで、『スター・ピープル』のもライヴ収録なのだ。
『スター・ピープル』はライヴ・アルバムとは銘打ってないものの、音源の半分はライヴ収録。それをスタジオで編集したり音を加工したりしている。一曲目だけなく三曲目の「スピーク」もライヴ音源で、1984年頃からオープニングで使っていた「ジャック・ジョンスンのテーマ」からの抜粋。
「ジャック・ジョンスンのテーマ」であるということはその当時は分らなかった。1985年の来日公演の一曲目でそれをやって、その冒頭でバンドが70年録音の「ライト・オフ」でジョン・マクラフリンが繰返し弾くリフを演奏し、それに続いて中盤で「スピーク」のリフが出てくるので気が付いた。
もちろん1985年の来日公演直前に出た当時の最新作『ユア・アンダー・アレスト』の一曲目「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」が「ジャック・ジョンスンのテーマ」に基づくものというかそのまんまで、同年の来日公演でもそれをそのままやっただけ。87年までそれを続けて使っていた。
油井正一さんは『ジャズの歴史物語』のなかで、『ジャック・ジョンスン』がロック的なのはサウンドトラック盤だから例外なのだと書いているけど、あれはサントラとして録音されたものでもないし、「ライト・オフ」は1970年代のライヴでもよく演奏していた(『アガルタ』二枚目冒頭もこれ)し、復帰後もそうやって約三年間も常用していたのだったから。
それで分ったことだが『スター・ピープル』の「スピーク」でテーマみたいになっているリフは、元はライヴ・ステージでギターのジョン・スコフィールドが即興で弾いたメロディをそのまま転用しているだけだった。そして「スピーク」で聴ける彼のギター・ソロの一部をその後再びリフにして使っている。
この頃からのマイルスの曲には「作曲」というよりそうやってライヴ・ステージでサイドメンが即興で演奏したメロディの一部をそのまま転用して曲のテーマというかリフにしているものがかなり増えている。全ての公式アルバムと相当数のライヴ・ブート音源を聴き、復帰後の来日公演も東京分は全部行ったから分る。
一例を挙げれば1996年になってリリースされたマイルスの晩年1988〜91年のライヴ音源セレクト集『ライヴ・アラウンド・ザ・ワールド』その他各種で頻繁に聴ける「リンクル」という曲。これは元々『スター・ピープル』ラストの「スター・オン・シシリー」に他ならない。テンポを変えたりはしているけど。
だから1988年の東京公演でこれを生で聴いた時に、「スター・オン・シシリー」をやっていると僕は思ったんだけど、公式ライヴ・アルバムが出てみると全て「リンクル」という曲名になっているからアレッ?と思ったのだった。ってことはマイルスは自身のライヴ録音のテープをよく聴いていたということだ。
実際『スイングジャーナル』誌かなにかで読んだのだったと記憶しているけど、1985年の来日公演の際、前日のライヴを録音したテープをホテルの部屋で一緒に聴きながら、甥で当時のドラマーのヴィンス・ウィルバーンに「どうしてお前はここをこう叩けないんだ?」と、コップの水をかけながら<教育>していたということだった。
マイルスは(主に1975年の隠遁まで)「オレは過去を決して振返らない」などと頻繁に語っているけど、実はそんなことは全然なくて、先ほど書いたように1958年の「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」を81年のカム・バック・バンドでやったり、70年の「ジャック・ジョンスンのテーマ」を84〜87年に使ったり。
話を戻して1983年の『スター・ピープル』。B面一曲目のストレート・ブルーズだけでなく、A面二曲目の「イット・ゲッツ・ベター」も完全にブルーズだ。ジョン・スコーフィールドが気怠い感じのブルージーなギターを弾く。ギターが二本入っていることになっているけど一本しか聞えない。
アルバムの中ではB面二曲目の「ユー&アイ」だけが1983年当時としてはかなり異色なポップ・ソングで、最初はどうしてこんなのが入っているんだろうと思っていた。今聴くとそんなに悪くもないように思えるけどリリース当時は嫌いだった。これは87/88年頃のライヴでよくやった「ミー&ユー」とは全く別の曲。
アルバム・ラストの「スター・オン・シシリー」は当時も今もどこにも書いていないけれど、ギル・エヴァンスがアレンジで協力していることが判明している。シシリーとはご存知当時の妻シシリー・タイスンのこと。音楽ファン以外にはマイルスより『ルーツ』のシシリーの方がはるかに有名人だろう。
なんたってシシリー出演の『ルーツ』シリーズは日本の地上波テレビでも放映していたもんね。僕も高校生の頃(?)に自宅で見たような記憶がうっすらと残っているくらいだ。なおマイルスは1960年代末ベティ・メイブリーと付き合いはじめる前にもシシリーと付合っていて、ご存知67年の『ソーサラー』のジャケ写が彼女だ。
「スター・オン・シシリー」を聴くと中盤から終盤にかけてバンド・メンバーが何度かユニゾンで演奏するリフが出てきて、譜面なしでは若干難しいような感じなので、おそらくそこをギルがアレンジしたんだろう。翌1984年の『デコイ』の「ザッツ・ライト」でもそういう部分があってやはりギルのアレンジだ。
1973年以来続いたギター中心のレギュラー・バンド編成はこの『スター・ピープル』が最後になった。次作84年の『デコイ』からはシンセサイザー奏者のロバート・アーヴィング III が大々的に参加して、以前のように鍵盤楽器中心のサウンド創りに戻ることになる。このことは以前詳説したので。
そんなわけでギター・バンド時代のマイルス・ミュージックこそが彼の音楽的生涯では一番好き(特に1973〜75年)な僕にとっては、『スター・ピープル』はそんな時代のラストを締め括るものとして今でもよく聴く。特にアルバム・タイトル曲の長尺ブルーズはマイク・スターンのギター・ソロもなかなかいいんだよね。
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