マイルス・バンドのドラマーはみんなやかましい
マイルス・デイヴィスがその全音楽人生で自分のバンドに雇ったレギュラー・ドラマーは、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ジミー・コブ、トニー・ウィリアムズ、ジャック・ディジョネット、アル・フォスター、リッキー・ウェルマンで全部。短期間の繋ぎ役としてあと二名いるけれど例外的存在だろう。
マイルスの音楽的キャリアの長さのわりには全部で六人というのは少ないような気もするけれど、ドラマーに関してはあまり交代させない人だった。ドラマーだけでなく本当に気に入ったサイドメンはなかなかクビにしない人で、自ら辞めると言出しても慰留することが多かった。
ビル・エヴァンスが脱退後も『カインド・オヴ・ブルー』で使っているし、ジョン・コルトレーン脱退後も『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』で使い、またコルトレーンの場合マイルスは相当こだわって、コルトレーンが辞めると言出してからも、残るように執拗に説得し続けたらしい。
ドラマーに関しても最初に雇ったフィリー・ジョー・ジョーンズ。彼の場合はかねてからのドラッグ乱用癖と、それもあってか1958年頃にはライヴ現場に遅刻したり全く現れなかったりで、それでマイルスも呆れてクビにしたんだけど、その後も録音で使うことはなくてもかなり密に連絡を取っている。
1962年に雇った当時17歳のトニー・ウィリアムズのプレイぶりに感心したマイルスは、フィリー・ジョー・ジョーンズを呼んでどうだオレのバンドの新しいドラマーは?なかなかいいだろう?と自慢していたし、63年のライヴ盤『イン・ヨーロッパ』をフィリー・ジョーに電話で聞かせて自慢したりしている。
そしてその六人のマイルス・バンドの歴代レギュラー・ドラマーは全員非常にやかましいドラミングをするよね。これはマイルスのこだわりだったらしい。マイルスは生涯通して常々フロントで吹くトランペッターにはうるさいドラマーが必要なんだ、それ次第で演奏が良くも悪くもなるんだと強調していた。
六人のうち1958〜61年のジミー・コブ一人だけが例外的にさほどやかましくもないドラマーだけど、これは当時のマイルス・ミュージックの方向性と合致していたからね。特に『カインド・オヴ・ブルー』。あれはかなりスタティックでおとなしいサウンドのアルバムだからジミー・コブでいい。
マイルス・ミュージックは静かだったり荒々しかったりと振幅が大きいけれど、1949年の『クールの誕生』、その10年後の『カインド・オヴ・ブルー』、そのまた10年後の『イン・ア・サイレント・ウェイ』と、時代を形作ったエポック・メイキングな作品はかなりスタティックなんだよねえ。
1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』はマイルスの音楽人生でおそらく一番やかましかったドラマー、トニー・ウィリアムズが叩いているとは思えない静かさだ。A面全体にわたってそうだし、B面は「イン・ア・サイレント・ウェイ」では叩かず、「イッツ・アバウト・ザット・タイム」でも静か。
「イッツ・アバウト・ザット・タイム」ではトニーにスネアのリム・ショットとハイハットだけしか叩かせず、だから役割をメチャクチャ限定して、それであの独特のグルーヴ感を出している。成功しているんだけど、ソロ終盤でマイルスが高音をヒットした瞬間にトニーが辛抱たまらず爆発しているよね。
そのトニー爆発の瞬間こそが「イッツ・アバウト・ザット・タイム」の、そしてアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』のクライマックスだ。しかしその一瞬の爆発の後はトニーはまたすぐにリム・ショットとハイハットだけという与えられた役割に戻っているから、相当窮屈だっただろうなあ。
メチャクチャやかましい音を出すトニーをああやって役割限定するあたりがマイルスの音楽的な目論見の確かさなんだけど、そういうのはこの一曲だけでそれ以外ではトニーは常に非常にやかましい。特にトップ・シンバルを派手に鳴らす。1960年代のライヴ録音ではいつもそうだから確認しやすい。
トニーの鬼のようなドラミングのおかげで超絶名演になっていると評判の1964年のライヴ盤『フォア&モア』一曲目の「ソー・ワット」でもやはりとんでもなくうるさい。ここではシンバル、ハイハット、スネア、タム、バスドラ総動員でマイルスがソロを吹く背後でプッシュしまくっている。
ライヴでの「ソー・ワット」で個人的にもっと凄いと思うのが、1965年12月、シカゴのプラグド・ニッケルでのライヴ録音だ。この時の全録音が八枚組ボックス・セットになってリリースされている(今は廃盤で入手しにくいようだ)。でもボックスでなくてもハイライト盤や二枚組がある。
プラグド・ニッケルでの「ソー・ワット」は12/23のセカンド・セットでしかやっておらず、八枚組完全ボックスでは五枚目だけど、一枚物(http://www.amazon.co.jp/dp/B0012GMYOG/)や二枚組(http://www.amazon.co.jp//dp/B00L9EL88O/)にも収録されているから確認しやすい。
ちなみに後者の二枚組は僕が大学生の時にLPレコード二枚で発売されたものをそのままCD化したもので、アルバム・ジャケットもそのまま再現。これを30年以上前に初めて聴いた時にその「ソー・ワット」のあまりの壮絶さにぶっ飛んでしまった記憶がある。
ところで八枚組完全ボックスなんてものはそういつもいつもは聴けないので、僕が普段から聴く『プラグド・ニッケル』はその二枚組なのだ。特にマイルス・ファンではない一般のファンの方々にはこれで充分なんじゃないかと思うし、マイルス・マニアの僕だってそうだもん。
上記YouTube音源での説明文にもあるようにウェイン・ショーターのソロとトニーのソロが異常なんだよね。正確にはショーターがあまりにぶっ飛んだソロを吹くので、バックで叩いていたトニーもその後半から我慢できなくなって叩きまくりはじめ、ショーターが吹き終ると無理矢理自分のソロに持っていく。
ショーターが吹き終るとお聴きになれば分るようにハービー・ハンコックが予定通りピアノ・ソロを弾きはじめるのに、トニーが派手にシンバルを鳴らして「オレだ!オレが叩くんだ!」と主張するので、ハービーが諦めてソロをトニーに譲っているんだよね。予定外の行動だった。
この「ソー・ワット」でこれが入ったプラグド・ニッケルでのライヴ盤二枚(二枚組ではない)に痺れてしまい、これこそがアクースティック時代のマイルスのライヴ・アルバムでは一番凄いものだと思うようになった。だから何十年か経って最初は日本盤七枚組、次いで真の意味での完全箱米盤八枚組が出た時は嬉しかった。
ファースト・クインテットのドラマーだったフィリー・ジョー・ジョーンズだって相当にやかましいんだよね。マイルス・バンドで彼が一番派手に活躍するのは『スティーミン』収録の「ソルト・ピーナツ」だけど、この曲は元々そういうドラマーのショウケースみたいな曲だから、別に意外性はない。
これよりも個人的に好きなのが『ワーキン』A面二曲目の「フォア」だね。冒頭からフィリー・ジョーの派手なドラミングに導かれてテーマが出てくる快活なナンバーで、「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」二曲のバラードより好きなんだよね。
キース・ジャレットのスタンダーズとかでしか聴いてなければどっちかというと控目なドラマーの印象だろうジャック・ディジョネットだって、1969〜71年のマイルス・バンド時代は相当にやかましく叩きまくっているもんね。そういうのを聴いているから僕はスタンダーズでの彼なんか物足りない。
1969年にたくさんあるライヴ録音(ほぼ全部ブート)。あのバンドでのジャック・ディジョネットは例えば11/5のストックホルム公演での「ディレクションズ」でのショーターのソロ後半から爆発しはじめ、そのままドラムス・ソロになる。
また1970/12/19のライヴ録音から編集されて公式盤『ライヴ・イーヴル』一曲目になった「シヴァッド」(「ディレクションズ」)なんかも、このシンバルの派手な叩き方を聴くと、これどこが控目なドラマーなんだ?メチャメチャやかましい。
ディジョネットの後任アル・フォスターについては、僕がなにも言わなくても1973〜75年のバンドでのやかましさは全員承知のはず。ハード・ロックじゃないんだぞと当時は悪口を言うファンも多かったらしいが、アルとマイケル・ヘンダースンとレジー・ルーカスの三人こそ当時のマイルス・ファンクの肝だったよね。
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