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2016/05/15

これが中間派ジャズだ

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もはやとうの昔に死語になっているんじゃないかと思う「中間派」ジャズなる言葉。僕の世代でも1979年にジャズを聴始めた頃には既に目にすることがかなり少なくなっていたので、もうこの言葉を理解している人は間違いなく50代半ばより上か、それ以下なら古い日本のジャズ・ジャーナリズムに関心のあるファンだけだね。

 

 

中間派という言葉はジャズ評論家時代の大橋巨泉の造語らしく、一時期はよく使われていたらしい。しかし僕がこれを知ったのは油井正一さんの『ジャズの歴史』(東京創元社)のなかで触れてあったからだった。そのなかで油井さんはやや批判的に古くもなく新しくもないから「中間」と呼ぶだけだろうと書いていた。

 

 

すなわちニューオーリンズやディキシーランドほど古いスタイルではなく、かといってモダン・ジャズのような新しいものでもないという意味でしかないわけだから、巨泉の言う中間派ジャズとは要するにスウィング・ジャズのことに他ならないじゃないかと油井さんは書いていたように記憶している。

 

 

しかしその後いろんなジャズのレコードをたくさん聴いてみると、なかなかどうしてこの中間派という言葉、これでしか言表わせないような種類の作品があるんだなあ。といっても一部のファンがレスター・ヤングなどのコンボ・セッションをそう呼ぶのは感心しない。それは普通のスウィングだ。

 

 

そういうものではなく、今ではどれだけCDリイシューされているのか確認もしていないんだけど、一時期コモドア・レーベルその他にたくさん録音されていた主に1940年代末〜50年代のスウィング・スタイルのコンボ・セッションは僕もいろいろとレコードを愛聴していたんだけど、まさに中間派と呼べるものだ。

 

 

中間派ジャズとは1930年代末から40年代初頭のスウィング時代末期のジャム・セッションに端を発し、そして40年代半ばに勃興したビバップという新しいジャズの奔流やその後の50年代のハード・バップ時代に適応できないジャズメンによる伝統的スタイルのコンボ・セッションのこと。

 

 

一番重要なのはあくまでモダン・ジャズ時代に行われたトラディショナルなスウィング・セッション、しかもビッグ・バンドではなくスモール・コンボものだけを中間派と呼ぶのであって、コンボものでも30年代後半までのスウィング全盛期に録音されたものは決して中間派ではない。大橋巨泉もそのつもりだったはず。

 

 

この「モダン・ジャズ時代に行われた」という点が最も重要なのであって、すなわち伝統的なジャズのスタイルを愛するファンに一種の郷愁のようなものをもたらすものだというのが肝心。そしてそのような多くのスウィング・スタイルのコンボ・セッションは実に寛いだ雰囲気でリラックスできる。

 

 

ジャズメン側も古くから活動している人達はビバップ以後の新しいスタイルに馴染めず、かといって大昔のジャズ・スタイルに逆戻りすることもできえない新しいモダン・ジャズ時代に、ちょうどその「中間」的なスタイルでリラックスしたコンボでのジャム・セッションを繰広げたのだった。それが中間派。

 

 

もちろんブラック・ミュージックとしてのジャズの本質を理解する真に先進的なジャズメンは、例えばルイ・アームストロングやデューク・エリントンみたいに1920年代初頭から活動していても、戦後はジャズの枠すら一気に飛越えてリズム・アンド・ブルーズをやったりロックに接近したりしたわけだけど、誰もがそんな真似はできないんだからさ。

 

 

僕の記憶では中間派ジャズのレコードはどれもこれも簡単なヘッド・アレンジだけで複雑な譜面などはなく、打ち合せだけでせ〜の!で音を出しているような感じだった。そして既にLPレコードが存在していた時代だったので、参加メンバーが長めのアドリブ・ソロをたっぷり聴かせてくれていたのだった。

 

 

1950年代のそういった中間派ジャズの代名詞的アルバムがヴィク・ディキンスンの『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』という二枚組LPレコード。CDでもそのまま二枚組でリイシューされている(といっても米盤は『ジ・エッセンシャル・ヴィク・ディキンスン』という抜粋の一枚物CDしかない)から、もし現在「中間派ってな〜に?」と興味を持つファンにはこれこそピッタリ。

 

 

JTNC系などに夢中になっているジャズ・ファンの方々は例外なくそんなものに興味を示したりはしないんだろうけどさ。それでも僕だっていつもいつも緊張感に満ちたスリリングな音楽ばかりでは疲れちゃうので、時々『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』みたいなものを聴きたいんだ。

 

 

『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』は一枚目が1953/12/29録音、二枚目が54/11/29録音のヴァンガード盤。元々ヴァンガードというのはクラシック音楽専門のレコード・レーベルとして発足したのだが、50年代半ばにジャズ部門を設立するに際しジョン・ハモンドに制作を一任した。

 

 

ジョン・ハモンドはジャズその他古いアメリカン・ミュージックに関心のあるファンなら知らぬ人はいない有名プロデューサーで目利きの達人。楽団の人気が出る前のベニー・グッドマンにフレッチャー・ヘンダースンを紹介し、譜面を買う手助けをし、だからいわばスウィング黄金時代を創り出した影の立役者で、当時の多くの録音をプロデュースした。

 

 

ジョン・ハモンドがプロデュースしたのは例のビリー・ホリデイのコロンビア系録音セッション全てや、それと事実上同じセッションであるテディ・ウィルスンのブランズウィック録音もそうで、それら両者にベニー・グッドマンがたくさん参加しているのもジョン・ハモンドの肝煎に他ならないんだよね。

 

 

またカンザス・シティのビッグ・バンド、カウント・ベイシー楽団のニューヨーク進出を手助けしたのもジョン・ハモンドなら、例の1938/39年の『フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング』コンサート・イヴェントも、38年ベニー・グッドマン楽団のカーネギー・ホール・コンサートもジョン・ハモンドの企画。

 

 

そんな戦前のスウィング・ジャズ系の仕事ばかりじゃないよ。ピート・シーガーと契約したり、あるいはゴスペルを歌っていた若き日のアリサ・フランクリンを<発見>し1961年にコロンビアと契約させたのもジョン・ハモンドなら、ボブ・ディランを同じくコロンビアに紹介したのもやはりジョン・ハモンド。

 

 

新しいところではブルース・スプリングスティーンだってスティーヴィー・レイ・ヴォーンだってジョン・ハモンドが見出してレコード会社に紹介し契約させなかったら、デビューはちょっぴり遅れていたところだったに違いない。1987年に亡くなるまでジョン・ハモンドこそアメリカ・ポピュラー音楽界最大の目利きだった。

 

 

ちょっと話が中間派ジャズから逸れちゃった。そんなジョン・ハモンドにヴァンガードがプロデュースを一任してできあがった『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』。リーダー名義のヴィク・ディキンスンはもちろんトロンボーン奏者。その他数人を除き一枚目と二枚目ではメンバーが微妙に違う。

 

 

一枚目ではトランペットがルビー・ブラフで二枚目ではシャド・コリンズ。ドラムスも一枚目ではレス・アースキンで二枚目はジョー・ジョーンズ。でもそれ以外はエドモンド・ホールのクラリネット、スティーヴ・ジョーダンのギター、サー・チャールズ・トンプスンのピアノ、ウォルター・ペイジのベースで同じ。

 

 

このギター+ピアノ・トリオのリズム・セクションこそが『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』の肝にして最大の聴き所。ホーン奏者三人のソロ廻しもさることながら、このアルバムでは僕はいつもリズム・セクションを聴いているのだ。手本にしているのは1930年代カウント・ベイシー楽団のそれ。

 

 

<オール・アメリカン・リズム・セクション>と称えられたその1930年代カウント・ベイシー楽団のリズム・セクションこそスウィング全盛期のバンドではもっともグルーヴしたものだった。それはファンクの遠い祖先だよ!そこからベースのウォルター・ペイジと(二枚目だけ)ドラムスのジョー・ジョーンズを起用している。

 

 

これは間違いなくプロデューサーのジョン・ハモンドの目論見だったはず。書いたようにベイシー楽団のニューヨーク進出を手助けしたのがハモンドだったもんね。できればフレディ・グリーンも使いたかったかもしれないが、彼は1950年代当時もベイシー楽団に在籍していたので不可能だった。

 

 

その代りと言ったらなんだけど、『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』で弾くスティーヴ・ジョーダンのギターはまるでフレディ・グリーンそっくりなんだよね。彼が元からそういうスタイルの持主なのかあるいはジョン・ハモンドの指示だったのか分らないけれど、意識していることは間違いない。

 

 

だってどの曲を聴いたってリズム・セクション四人の動き方はまるでカウント・ベイシー楽団のそれとソックリだもんなあ。一番分りやすいのが一枚目三曲目の「サー・チャールズ・アット・ホーム」だろう。ピアノだってベイシー的奏法じゃないのさ。

 

 

 

この「サー・チャールズ・アット・ホーム」は曲名通りピアノのサー・チャールズ・トンプスンをフィーチャーしたものだし、彼は元々ベイシー・スタイルなピアニストだから余計にクッキリと鮮明に分るけど、これ以外も全ての曲でホーン奏者のソロの背後でのリズムが快活にスウィングしているもんね。

 

 

LP時代の録音だから長めにたっぷり聴けるホーン奏者三人のアドリブ・ソロはいまさら言うまでもない職人芸。なかでもクラリネットのエドモンド・ホールは僕の大のお気に入りで、彼もまたいろんなレコードでのいわゆる中間派セッションで吹いている、ニューオーリンズ出身で同地のスタイルの持主なのだ。

 

 

ニューオーリンズ・スタイルといえば『ザ・ヴィク・ディキンスン・ショウケース』では、ホーン・アンサンブルの殆どのパートがニューオーリンズ・イディオムで演奏されている。一本のホーン奏者が主旋律をリードして、他の二本のホーン奏者がそれに絡むという例の奴だ。そのあたりはまあ古いスタイル。

 

 

しかしながらそういう伝統的ニューオーリンズ・イディオムを用いながらも、リズムの感じは書いたようにカウント・ベイシー楽団のスタイルそのまんまだもんなあ。そのあたりの新・旧(新はない?)折衷様式が、言ってみれば中間派ジャズの「中間」なスタイルの神髄なんだろうね。

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コメント

2023/6/16 NHKFM  Jazztonight の聞き逃しで中間派jazzを特集しているのを聞き"いいなあ、リラックスできるなあ"と感じ、検索してこのサイトを知りました。ここで紹介してくれた楽曲、聴いてみますね。ありがと。70になろうとするじじいより

お力になれましたらたいへんうれしく思います。

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