多重録音嫌いのザヴィヌル
ウェザー・リポートでの活躍が一番有名であろうジョー・ザヴィヌルという人はオーヴァー・ダビングが嫌いだったらしい。ウェザー・リポート前のソロ・アルバムでもウェザー・リポートでも解散後のソロ活動でも殆どオーヴァー・ダビングしていない。あるいはひょっとして全くやっていないかも。
特にウェザー・リポートのスタジオ・アルバムでオーヴァー・ダビングなしだというのは、やや意外に感じる方もいらっしゃるかもしれないが、ヘボ耳ながら僕が聴いた判断ではそうかもねと思うし、確かザヴィヌル自身も生前なにかのインタヴューで同じようなことを言っていたような記憶があるんだよね。
何度も書いている通りオーヴァー・ダビングという作業が可能になったのは現実的には1950年代半ばからで、その後60年代からはどんなジャンルでも盛んに行われるようになってもう当り前過ぎるというか、一部の伝統音楽を除けばこれなしのスタジオ作業は考えられないくらい。ライヴ録音だってそう。
ライヴ収録した音源にスタジオで音を追加したり修正したり加工したりして「作品」として出すということも当り前だし、基本的には一回性の演奏こそ身上であるはずの伝統的クラシック音楽の録音ですらピンポイントで音を差替えるなんてこともやるらしいね。
だから1970〜86年が活動期間のウェザー・リポートがオーヴァー・ダビング作業をしていてもよさそうなのに、どうしてザヴィヌルはやらなかったんだろうなあ。どうも残された作品をじっくり聴いたりザヴィヌルの諸言動から判断すると、彼はハプニングというか一回性のライヴ感を重視したのかもしれない。
スタジオ録音アルバムでも、ロック系の音楽家がやるように少しずつ音を足していって完成型に近づける(ジャズ系でもマイルス・デイヴィスなんかはこっち)のでなく、ウェザー・リポートの場合は、ザヴィヌルが最初から完璧な譜面を用意して、その通りに綿密にリハーサルを繰返し、最終的に一発録音だったらしい。
その結果できあがって現在残されているアルバム群を聴くと完璧な仕上り具合だから、これが一切オーヴァー・ダビングなしの一発録音だったとはやや信じがたいのだが、それがザヴィヌルとメンバーの力量というものなんだろうね。ウェザー・リポートの場合別テイクなども殆ど存在しない。
ザヴィヌルが2007年に亡くなった後も、未発表だったライヴ録音が出ることはあるものの(これについてはまだ相当出せるはずで、なんたってザヴィヌルは、フランク・ザッパやジミー・ペイジ同様殆どのライヴ・ステージを録音していた)、スタジオ・アウト・テイクなどは出ないもんね。
正直言うとウェザー・リポート・ファンの僕だってあまり好きじゃないアルバムもいくつかあって、例えば『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』のA面とか『ミスター・ゴーン』とか『プロセッション』とか、あるいは実質的にはこのバンドの作品とはいえないラスト・アルバム『ディス・イズ・ディス』とか。
だからこれらについては他のアルバムほどは聴き込んでいないのでイマイチ自信がないのだが、それでも聴き返してみるとやはりこれはオーヴァー・ダビングなしの一発録音だっただろうと思う。似たような時期に活動し似たような音楽性かもねとも思うスティーリー・ダンとは大違いだね。
もちろんこれはどっちが良いとか優れているとかいう話ではない。創り方が違ったというだけだ。ウェザー・リポートの音楽をいわゆる「ジャズ」に分類するべきなのか、あるいはそうでないとしたらなんなのか、僕にはちょっと分らないんだけど、ザヴィヌルはやはりジャズマン的資質の持主だったのかも。
ジャズマン的資質といっても、ザヴィヌルはジャズ的な一回性のライヴ感を大切にはするけれど、ジャズのアドリブ・ソロというものは殆ど信じていない人だった。サイドメン(ショーターはサイドマンじゃないかもだけど)にも自由なソロを許していない。この点ではややデューク・エリントンにも近いものがあった。
ある時期までのウェザー・リポートは、二作目『アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック』のB面が東京でのライヴ録音を短く編集したものだったのを除けば(まあこれははっきりライヴだと書いてあったし)、スタジオ作品にライヴ音源を混ぜ込んだりはしていなかったのだが、これもある時期以後やるようになった。
と言ってもザッパみたいにスタジオ録音音源の一つの曲のなかに、ライヴで収録した同じ曲の音源を部分的に差込んだりというのではなく、特にライヴ盤と銘打ってなくてもライヴでの一発録りであるものが増えたという意味だ。
僕が知る限りでは、1980年の『ナイト・パッセージ』がどこにもクレジットはないもののロサンジェルスのコンプレックス・スタジオでのスタジオ・ライヴで、250人ほどの観客を入れて録っているから、曲によっては歓声や拍手がかすかに聞えたりする。もちろんこれもオーヴァー・ダビングは一切なし。
『ナイト・パッセージ』ではラストの「マダガスカル」だけが大阪での正真正銘のライヴ録音で、これは明記されていたし音を聴いても全然録音状態が違うので、誰でもすぐに分るはず。このアルバム以後は、スタジオ・アルバムとなっているものでもスタジオ・ライヴのようにして録音することが多くなった。
『ナイト・パッセージ』はジャコ・パストリアス〜ピーター・アースキン時代のベストだろうけど、ヴィクター・ベイリー〜オマー・ハキム体制になってからもザヴィヌルのこういう姿勢は全く変っていない。だからライヴ・ステージでもそのままの形で演奏できたのがライヴ盤を聴くと分る。
ウェザー・リポートのライヴでダメな演奏なのは以前も書いた通り「バードランド」だけで、ライヴではシャッフル・ビートになってしまっている。しかしこれはこのバンドの最大のヒット曲で代表曲だから、この曲だけがライヴではダメだというのはなんとも残念な限り。だから『8:30』などに収録しなければよかったのに。
「バードランド」ただ一曲を除けば、ほぼ全ての曲がスタジオでもライヴでも殆ど形が変らず完璧なんだよね。しかし同じ形ならスタジオ作品を聴けばいいんだから、ライヴでは完璧でなくてもいいからライヴならではの演奏を聴きたいというのが、多くのファンの気持なんじゃないかなあ。僕もそう。
でも完璧主義者ザヴィヌルはいい意味でも悪い意味でもそうはしなかった。昨2015年にリリースされた未発表ライヴ四枚組『レジェンダリー・ライヴ・テープス 1978〜1981』はまだ聴いていないんだけど、聴かなくてもどんな感じか想像できちゃうね。
ウェザー・リポートのライヴでは、スタジオ作品曲以外にもウェイン・ショーターやジャコ・パストリアスやピーター・アースキンのソロ演奏などが聴けたりするのだけは楽しみだけど、オマケみたいなもんだからなあ。あとこのバンドでのスタジオ録音はない「イン・ア・サイレント・ウェイ」もよくやった。
そういうもの以外は、ウェザー・リポートのライヴ・アルバムはほぼどの曲も聴いてもスタジオ・ヴァージョンと違いが殆どないので最近はあまり聴かなくなった。といっても僕の持っているのは『8:30』と『ライヴ・アンド・アンリリースト』の二つだけ。ブートでは結構出ているらしいけれど一つも持っていない。
現場ではそれができないライヴ演奏を収録したものにやらなかったのはもちろん、スタジオ録音作品でもほぼ全くオーヴァー・ダビングしないザヴィヌルのライヴ感重視の姿勢は、その一方での完璧主義と一見やや相容れないようなものに思えるけれど、これらが同居していたのがウェザー・リポートだったんだよね。
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