マイルスのクウェラ・アルバム
マイルス・デイヴィスのアルバムで一番明快に分りやすくアフリカ音楽に近いのは、実は1968年の『キリマンジャロの娘』じゃないかという気がしている。これは聴けば誰でもそう感じるんじゃないだろうか。一曲目「フルロン・ブラン」なんかクウェラだとしか思えないし。
「フルロン・ブラン」でエレピを弾いているのはチック・コリアで、僕は長年これをウーリッツァーだと思って聴いてきた。だけどちょっと調べてみたらどうも違うらしいが、しかしじゃあなんなのかもよく分らない。アクースティック・ピアノだという情報もあるけど、絶対にそうではない。
大学生の頃は『キリマンジャロの娘』というアルバムがどうも好きではないというかよく分らなかった。普通のジャズには聞えないけど、かといって電化ロック〜ファンク路線でもないし、これは一体なんなんだと。わりと最近までそうで、前作『マイルス・イン・ザ・スカイ』の方が好きなくらいだった。
かつて油井正一さんは『イン・ア・サイレント・ウェイ』〜『ビッチズ・ブルー』と続くその後のマイルス・ミュージックの変革を考えると、『キリマンジャロの娘』は『マイルス・イン・ザ・スカイ』よりむしろ一歩後退しているようにすら思えると書いていた。昔は僕もこの意見に賛同していた。
もっとも油井さんは『ビッチズ・ブルー』を非常に高く評価して、その前作『イン・ア・サイレント・ウェイ』ですらそれに至る過渡期時な作品でかなりスパイスが足りないと書いているくらいだ。油井さんは『イン・ア・サイレント・ウェイ』を聴いて、次にマイルスが変るのはリズムですよと<予言>したという話なんだけどね。
僕の場合、ジャズに関しては油井さん、その他に関しては中村とうようさん、このお二人の仕事をただなぞってきているだけに過ぎないんだけど、それでもやはり時々アレッ?と思うことはお二人ともあるなあ。それはオカシイとかいうのではなく、限界というものなんだろう。誰にでもある。
油井さんの意見とは違って、『イン・ア・サイレント・ウェイ』は今では『ビッチズ・ブルー』とはまた全然違う種類の音楽として高く評価されるようになっているよね。僕みたいにマイルス・ファンク第一作という意見(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-cdf0.html)は見ないけれど。それに比べたら『キリマンジャロの娘』なんか今でも全然評価されていない。
どなたかが書いていたのか忘れちゃったんだけど、かなり前に『キリマンジャロの娘』一曲目の「フルロン・ブラン」がクウェラっぽいと書いているのを読んだことがあって、当時はその<クウェラ>という言葉は意味不明の謎の暗号にしか見えなかったから必死で調べて、アフリカの音楽らしいということしか分らなかったんだよなあ。
言うまでもなくクウェラは全然聴いたことがなかった。かなり最近までそうだった。初めてこのクウェラとかムバカンガといった南アフリカの音楽を聴いたのが10年くらい前のこと。素朴なサウンドなんだけど、元々クウェラはアメリカのジャズに影響されて出来上った音楽らしいということも分ってきた。
それでもってクウェラのサウンドに少し馴染んでくると、マイルスの「フルロン・ブラン」がクウェラにしか聞えないんだなあ。果してマイルスはクウェラを聴いて知っていたのだろうか?チック・コリアが参加した「フルロン・ブラン」と「マドモワゼル・メイブリー」の録音は1968年9月。
何度か書いているけど、マイルスはコロンビア本社から世界民族音楽全集みたいなLPセットをもらってよく聴いていたらしいから、1968年9月ならクウェラを知っていた可能性はあるよね。チックのエレピだけでなくトニーのドラムスもアフリカっぽい香りがするから、サイドメンにも聴かせたのかもしれない。
『キリマンジャロの娘』ではA面一曲目の「フルロン・ブラン」だけだなく、B面一曲目のアルバム・タイトル曲もかなりアフリカ音楽っぽい香りがする。こっちは1968年6月の録音で、フェンダー・ローズがハービー・ハンコック、ベースはロン・カーターでしかもエレベ。前作『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」でロンは初めてエレベを弾いた。
B面一曲目の「キリマンジャロの娘」がアフリカ音楽の何に近いかという判断は僕みたいな人間にはちょっと難しい。ただ明らかにアフリカっぽい響きがしていることだけは分る。トニーのドラムスもロンのエレベもハービーのエレピも彼らが一体となって出すリズムもマイルスのフレイジングも。
ただアフリカ音楽に近いと思うのは、アルバム中その「フルロン・ブラン」と「キリマンジャロの娘」の二曲だけ。だけといってもA・B面トップだからかなり印象が強くて、アルバム全体のイメージを支配していることは確かだね。それにしてもこんなにはっきりとアフリカっぽいマイルスは他にはない。
もちろん『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』がアフリカのムビラ演奏にも通じる同一パターン反復のミニマル・ミュージック的な創りになっていることは以前も強調した通りで、だから音楽の本質は『キリマンジャロの娘』以後もマイルスはアフリカ的な音創りをしている。
だけどリズムや旋律が「直截的に」アフリカ的なのは1968年の『キリマンジャロの娘』だけで、これ以前にも以後にもこんなのはマイルス・ミュージックの中には存在しないはず。僕はマイルスに関しては全公式アルバムとかなりの数のブート盤を聴き込んでいるけど見当らない。
そういうわけだから手法としてアフリカ的である『イン・ア・サイレント・ウェイ』や『ビッチズ・ブルー』は聴き込まないとアフリカ的であることが分りにくいのに比べて、『キリマンジャロの娘』は一聴して非常に明快だからアフリカ音楽が大好きなワールドミュージック・リスナーにはウケるはずだ。
アルバムのなかで「フルロン・ブラン」と「キリマンジャロの娘」以外の収録曲は、アフリカ的というよりアメリカ産R&Bのフィーリングに近い。二曲目「急いでね」のイントロでハービーが弾くフェンダー・ローズは相当ディープに黒い。元々そういう資質のピアニストで得意分野だね。
またハービーではなくチックだけど、アルバム・ラストの「マドモワゼル・メイブリー」もスローなR&Bバラードだ。ここでもブラック・フィーリングが横溢している。ハービーと違ってチックはそんなに黒い音楽性の持主ではないように思うのだが、この曲では真っ黒けなエレピを弾いているね。
以前ブルーズ形式とブルーズ・フィーリングの話をしたけど、「急いでね」と「マドモワゼル・メイブリー」は形式はブルーズ形式ではないけれど、フィーリングとしてはブルーズそのものだとしか今では聞えない。特に後者におけるマイルスのトランペット・プレイにそれを強く感じるんだなあ。
これ以外のマイルスのアルバムでもウェザー・リポートでもはたまた自分のリーダー作でも、普段あまり黒いとは感じないウェイン・ショーターのテナー・サックスも、「マドモワゼル・メイブリー」ではかなりブラック・フィーリング横溢なソロを吹いているように感じる。彼にしては珍しいよねえ。
もう一曲アルバムA面ラストの「プチ・マシャン」は一応マイルスの名前が作曲者としてクレジットされていて、それ以外に一言も書いてないけれど、実はマイルスとギル・エヴァンスとの共作。というかまあはっきり言うとギルの曲なんだろう。ギルは自分のアルバムでは自作曲としてクレジットしているもんね。
ギルのリーダー作ではこの曲は「イレヴン」という曲名になっていて、公式盤でも何度か録音が残されている。『キリマンジャロの娘』の「プチ・マシャン」でも作曲だけでなくアレンジもやっていて、一言くらい書いておいてあげたらよかったのにと思う。こういう例はマイルスとギルの関係では実に多い。
マイルス1983年の『スター・ピープル』でも84年の『デコイ』でも、それぞれ一曲ずつギルがアレンジで参加しているんだけど、当時も今もそんなことは全くどこにも書いていない。セッションに参加していくら協力してもマイルスやコロンビア側から一円も支払われないことすらあったらしい。
「プチ・マシャン」は全然アフリカ的でもなければR&B風でもなく、ごく普通のジャズ・ナンバーだね。ウィントン・マルサリス賛美者として有名な批評家のスタンリー・クロウチは、『キリマンジャロの娘』をマイルス最後のジャズ・アルバムだと書いている。もちろんそれはそれ以後のマイルスを批判してのことなんだけど、しかし僕はこの曲だけだと思うんだよなあ、ジャズは。
もちろん『キリマンジャロの娘』は全曲テーマ・メロディがあってそれに基づくソロ廻しが続くという従来のジャズ演奏のパターンを踏襲していて、しかもそれは次作の『イン・ア・サイレント・ウェイ』以後はほぼなくなっていくものだから、クロウチがマイルス<最後のジャズ・アルバム>だと言うのは分らないでもないんだけどね。
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