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2016/05/27

マイルス・ミュージックにストリート感覚はない

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Unknown

 

Doobop









1970年代のマイルス・デイヴィスは「ストリート・ミュージックをやっているんだ」とか言っているんだけども、こんなのを真に受けるファンはいないだろう。70年代といわずマイルスの音楽がストリート・ミュージックだったことなんてただの一度もない。全て座って聴くような音楽だ。

 

 

ストリート・ミュージックってのは要はそれに合わせて踊れるってことであって、マイルスの音楽は踊りにくいのばっかりだ。1972年の『オン・ザ・コーナー』についてもマイルスは「このアルバムはジェイムズ・ブラウンやスライからの影響で創ったものだから踊れるだろう」などと言ってはいるけれど。

 

 

しかしそのマイルスの言葉とは裏腹に『オン・ザ・コーナー』はダンサブルではない。僕が思い出すのは大学四年の頃、モダン・ダンス部所属の女性同級生に「としま君たくさんレコード持ってるんでしょ、なにかジャズで踊れるものがあったら貸してくれない、公演で使いたいから」と言われたことがあった。

 

 

当時の僕はジャズは芸術で座って聴くべき音楽だと信じ込んでいたから、踊れるジャズと言われても全然分らず、それでこんなのじゃ絶対に踊れないよな、でもパーカッシヴだからモダン・ダンスならなんとかなるかとマイルスの『オン・ザ・コーナー』を貸してみた。でも絶対に公演で使うわけないだろうと思っていた。

 

 

その女性同級生から公演のチケットをタダでもらったので行ってみたら、なんとステージで『オン・ザ・コーナー』の一曲目(と言ってもどこまでが「一曲目」なんだ?とにかくA面の最初の約20分)がかかって、それを伴奏にモダン・ダンス部の女性ダンサー達がかなり抽象的な踊りを披露していた。

 

 

よくあんな『オン・ザ・コーナー』みたいな音楽を、いくらモダン・ダンスだとはいえ踊りの伴奏として使う気になったもんだなあ。1990年代あたりから現在まではクラブ・ミュージックとしての再評価も高いアルバムだけど、1983年頃はまだそんな気運はなく、僕も予想だにしていなかった。

 

 

しかしモダン・ダンス部が抽象的な踊りを展開したというあたりがやっぱり『オン・ザ・コーナー』らしいよなあ。あの音楽では少なくとも当時はそういう踊り方しかできなかったはずだ。と書いてしまうのはやはり僕にダンス感覚が欠如しているせいだろう。最近はあれで明快に踊る人も多いらしいから。

 

 

僕が大好きなアラブ湾岸地域で近年流行の音楽ハリージ。あれもダンスの名称として使われはじめたのが最初で、その際伴奏で演奏されるパーカッシヴな音楽をハリージと呼ぶようになったわけだから、やはりハリージもダンス音楽なんだけど、あんなヘンテコなヨレて突っかかるようなものでよく踊れるよなあ。

 

 

しかしよく踊れるよなあと思ってしまう僕の感覚がダンス音痴なだけであって、ネットでいろんな動画を見ると、アラブ湾岸地域のみなさんはああいうハリージでどんどん踊っている。だからそれに比べたらマイルスの『オン・ザ・コーナー』はまだかなり明快で踊りやすい音楽ということになるのかもね。

 

 

『オン・ザ・コーナー』は以前どたかだったか忘れちゃったけど「知的ファンク」と呼んでいたことがあった。これは褒めているんじゃなくて皮肉なんだよね。ファンクってのは知的に頭で考えて組立てるのではなく、汗や体臭(funk はそういう意味)みたいに体の中から自然に湧出てくるような肉体派音楽なのに、それをマイルスは・・・、って意味だ。

 

 

マイルスという人は以前から何度か指摘しているように、元々そんなに黒くてファンキーな音楽性の持主ではなく、西洋クラシック音楽指向の強い人。クラシック作品ばかり聴いていたし、それは1970年代中頃のファンキーなギター・バンド時代ですらサイドメンにそういうものを聴かせていたくらいだ。

 

 

ファンキーなブルーズも1950年代中頃からよくやっていたから、そういう面だってもちろん持ち合せていた人ではある。ブルーズは言うまでもなく元々ストリート・ミュージックでダンス音楽だ。しかしマイルスの音楽全体に占める割合は必ずしも大きくはなかった。それが変りはじめるのが60年代末頃から。

 

 

これも何度か書いているが1968年頃から付き合いはじめその後結婚するベティ・メイブリー(ベティ・デイヴィス)の勧めでジェイムズ・ブラウンやスライやジミ・ヘンドリクスなどその他同時代のファンキーなブラック・ミュージックをたくさん聴くようになり、その影響がマイルスの音楽に徐々に出はじめる。

 

 

マイルスいわくそういうジェイムス・ブラウンやスライの影響が最も強く出ているのが『オン・ザ・コーナー』なんだそうだ。しかしこれ、どこにJBやスライがあるのか?粉々に砕いて消化し抽象化した形でしか分らない。しかもこのアルバムの録音セッションにはポール・バックマスターが参加しているんだよね。

 

 

ポール・バックマスターはジャズ・ファンには馴染のない名前だろう。知っている方もマイルス関連で知っているだけのはずだけど、ロック・ファンなら一連のエルトン・ジョンの作品でお馴染みのオーケストラ・アレンジャー、コンダクターで、楽器はチェロが専門。

 

 

一体どういう経緯でそんなポール・バックマスターがマイルスの録音セッションに呼ばれたのか(『オン・ザ・コーナー』だけでなく1970年代にはしばしば顔を出していたようだ)、あるいは『オン・ザ・コーナー』でバックマスターがどんな音楽的役割を果しているのか、ちょっと聴いても分らないよね。

 

 

一部情報では『オン・ザ・コーナー』ではバックマスターがアレンジやサウンド創りだけでなくチェロも弾いていることになっているけれど、どんなに音量を上げて耳をそばだてても僕にはチェロらしき音は聞えない。あるいは演奏はしたが、それがミキシングの際に除去されたという可能性はある。もしそうならダブの手法だね。

 

 

『オン・ザ・コーナー』でダブを連想する人が世界中にどれだけいるのか分らないけれど、あながち見当外れの連想でもないように思う。というのもB面の三曲はレゲエで言ういわゆる<ヴァージョン>って奴なんだよね。全てA面ラストの「ブラック・サテン」のヴァージョン。同じものなんだよね。

 

 

と書くと誤解を招くというか間違いだ。レゲエで言うヴァージョンとはベーシック・トラックは全く同じ録音物を使い、その上に乗るヴォーカルを抜いたり変えたり楽器の音を調節したりして「別の曲」にしてしまうもの。日本の歌謡曲(含む演歌)のCDシングルに付いてくる歌なしカラオケ・ヴァージョンみたいなものだと言えば分りやすいかも。

 

 

同じ録音・同じトラックを使い、その上にいろんな別々のシンガーの歌やDJを乗せたりして、アルバム一枚全部がそういうヴァージョンだけで構成されているものだって存在する。レゲエやダブで使われはじた手法で、それが他の音楽にも拡散・普及して、今ではいろんなダンス・ミュージックで用いられるやり方だ。

 

 

マイルスの『オン・ザ・コーナー』B面が全てA面ラストの「ブラック・サテン」のヴァージョンだと言っても、それは同じトラックを使っているのではなく、演奏は全く別に行われているから、正確にはヴァージョンではないんだけど、しかしリズム・セクションの演奏と基本構造は全く同一のものの反復だよね。

 

 

つまりレゲエやダブやその後他のいろんな音楽で一般的になるヴァージョンの手法を、言ってみれば人力の生演奏でやっているのがマイルスの『オン・ザ・コーナー』のB面だということなんだよね。これは1972年の作品だから、そんな発想を実行したポピュラー・ミュージック最初の例だろう。

 

 

ヴァージョン云々の話がしたかったわけではない。問題は一見ファンクなどブラック・ミュージックとはなんの関係もなさそうなイギリスの音楽家ポール・バックマスターの参加だ。彼がマイルスの『オン・ザ・コーナー』の録音セッションに参加して貢献したものとは、西洋クラシック音楽的な<トーン・クラスター>の考え方じゃないかなあ。

 

 

トーン・クラスターは西洋現代音楽の概念。音塊とか音響の固まりみたいな意味で、ピアノで言えば白鍵も黒鍵も一緒くたにしてゲンコツで叩いて全部鳴らしてしまうような感じのもの(山下洋輔のあれが欧州公演でウケたのはそのせいもある)。だから現代音楽の楽譜では真っ黒に塗りつぶされているような状態になる。不協和音と言うもおろかもはやノイズに近い。

 

 

そういうトーン・クラスターの考え方をポール・バックマスターがマイルスの『オン・ザ・コーナー』その他1970年代音楽に持込んだのは、できあがったものを聴くと間違いないように思う。『オン・ザ・コーナー』での音の洪水もそうだけど、一番顕著に分るのが74年リリースの『ゲット・アップ・ウィズ・イット』一枚目B面ラスト「レイティッド X」。

 

 

「レイティッド X」はリリースされたのは1974年だけど録音は72年9月で、『オン・ザ・コーナー』になった録音セッションと三ヶ月しか違わないんだよね。これがトーン・クラスターであることはなにも説明しなくても、音を聴けば誰だって分る。

 

 

 

ご存知の通りマイルス・ミュージックは本来相当に間が多くスカスカで、リズム・セクションに乗ってマイルスがかなり音数の少ないソロを吹くとかそんなもので、電化路線後もそうだった。『ビッチズ・ブルー』中のベストであろう二枚目B面一曲目の「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」だって、『ジャック・ジョンスン』だってそう。

 

 

それが1972年頃から突如変化して空間を音で塗りつぶすようになり、『オン・ザ・コーナー』も『ゲット・アップ・ウィズ・イット』も、あるいはそれらになったものも含めた72〜75年の録音セッションは全部そんな感じの音塊の洪水のようなものになっているのは、トーン・クラスター的発想に基づいているに違いない。

 

 

要するにマイルスは『オン・ザ・コーナー』とか『ゲット・アップ・ウィズ・イット』その他1970年代の真っ黒けなファンク・ミュージックを創る際ににも西洋白人音楽の助けを借りて、体から沁み出てくるような肉体派ではなく頭のなかで知的に考えて練り込んで、それを実行に移すというやり方をしたわけだよね。

 

 

ある方が「知的ファンク」だと『オン・ザ・コーナー』を呼んだのはそういう意味で、だからマイルス本人の言葉に反しストリート・ミュージックでもなければ踊りやすくもない。中山康樹さんは『オン・ザ・コーナー』が踊りにくいのはシタールやタブラといったインド楽器が入っているせいだと言っていたけれど、違うね。それらが入っていようといまいと、本質的にダンス・ミュージックじゃないんだ、マイルスはいつも。

 

 

マイルスのアルバムでは遺作になった『ドゥー・バップ』がイージー・モー・ビーとのコラボで、唯一ダンサブルかなと思う程度。それだってイージー・モー・ビーの創ったベーシック・トラックはヒップホップ風だけど、マイルスのトランペットが聞えはじめた途端にインテリ臭みたいなものが立ちこめるもんねえ。1970年代に電気トランペットを使ったのは、そういう西洋白人音楽的な雰囲気を消したかったのかもよ。

 

 

なお、JTNC系の某大先生が盛んに持上げるのであまり好きではなくなったロバート・グラスパーがマイルスの音素材を使ってリミックスしたという新作はまだ届いていない。日本盤は数日前に出たけれど、価格の安い米盤もそろそろ発売されるはず。それを聴いて思うところがあれば、またなにか書きたい。

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コメント

いつも興味深く拝見させて頂いています。
「ストリートミュージックにはなり得ない知的ファンク(否定的なニュアンスだったとしても)」それこそがマイルスデイビスの音楽に感じていた一番の魅力だと思います。
JB、スライ、Pファンク、プリンスも大好きですが、それらの中には感じられない汗臭さ肉体感の無さこそがマイルスをワン&オンリー足らしめている要因かと思います。
毎日夕方の更新楽しみにしています。

タメさん、そうなんですよね。マイルス・ファンクはいつもカラリと乾いていて、そういう乾いて硬い質感が僕も昔から好きなんです。

編集しまくりで、連続性がないので汗臭さを感じないんですかね。人の声が入ってないからですか?確かに、マイルスファンクはなんか乾いていて、角がありますよね。
すかすかと言えば、「アガパン」も後半、ホントにすかすかですね。気持ち良いですけど。
ロバート・グラスパーのマイルスのリミックス。全曲プレビューで聞いてみたんですが、マイルスのトランペット部分がボーカルに置き換わってませんか?それを聴いて買うのやちゃいました。サントラの「マイルスアヘッド」はつい、買っちゃいましたが。

TTさん、『オン・ザ・コーナー』は殆ど編集されていません。従って連続性はあります。これは以前もはっきり指摘しました。2007年に『ザ・コンプリート・オン・ザ・コーナー・セッションズ』が出て、それにオリジナルの元音源が収録されてますので、編集されていないことは誰でも容易に確認できます。ヴォーカルが入っているか入ってないかは全然なんの関係もないです。マイルスは元々そういう資質の音楽家です。

ロバート・グラスパーの『エヴリシングズ・ビューティフル』ははっきり言ってダメですね。毒にも薬にもならない退屈さで、どうしようもないですね。買うのをおやめになって正解です。よほどのマイルス・マニア以外には一文の価値もないアルバムです。まあだいたいグラスパーはそんなのばっかりですけど。2015年のピアノ・トリオ編成によるライヴ盤『カヴァード』だけがマシだと思うだけですね。

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