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2016/05/29

レスター・ヤングはジェフ・ベックだ

 

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いろんなジャズ評論家の方々が言っていたことなんだけど、ビバップ以後のジャズメンが<本格的>なインプロヴィゼイションをやるようになったのに比べ、それ以前の古典ジャズメンのそれはテーマ・メロディのフェイクみたいなのが中心だったという説。僕はこれが昔から現在に至るまで納得できない。

 

 

これは油井正一さんもそう書いていたはず、というか一番憶えているのが油井さんの文章だ。しかしこれ、戦前ジャズメンのインプロヴィゼイションはテーマ・メロディのフェイクみたいなもんだなんてどう聴いてもオカシイ。僕の耳にはそうは聞えないジャズメンの方が多いんだけどなあ。

 

 

念のために書いておくとフェイク(fake)とは、音楽ではメロディをそのままではなく少し変化させたり崩したりして演奏することを意味する。これに対しモダン・ジャズのアドリブはテーマのコード進行に基づいて全然違う音列を並べるようになったということになっているけれども。

 

 

コード進行に基づいて、しかもそのコードをいろいろ置換したりして、それに従ってテーマ・メロディとはなんの関係もないフレイジングを演奏するようになったのがビバップ以後だというのは一般的には当っているのかもしれないね。しかしそれ以前のジャズメンだって似たようなもんなんだけどなあ。

 

 

何度も繰返しているけれど、ジャズにおけるアドリブ・ソロの概念を確立したということになっているルイ・アームストロング。彼がフレッチャー・ヘンダースン楽団から独立してソロで活動をはじめた1925年から絶頂期28年までの録音集を聴いてもやはりコード進行に基づいて自由にアドリブしているもんね。

 

 

独立後のサッチモの音源で素晴しい演奏をしている一番早い例は1925年11月録音の「ガット・バケット・ブルーズ」だろうと思うんだけど、これだってサッチモ以下、トロンボーンのキッド・オーリーもクラリネットのジョニー・ドッズも、みんなテーマとは無関係な音を並べているけどなあ。

 

 

 

スキャット唱法というものの最も早い例だとされる1926年2月録音の「ヒービー・ジービーズ」でもサッチモ以外の楽器奏者もそうだし、サッチモだって歌詞のあるテーマ・メロディ部分を歌い終った後のスキャット部分ではテーマとは無関係なフレーズを歌っているよ、コード進行に基づいて。

 

 

 

こんなのは実にたくさんあるわけで、例を挙げていたらキリがないどころかほぼ全部そうなんだが、これ、どこがフェイクなんだろう?1925〜28年のサッチモの録音で僕が最も愛するものは27年5月録音の「ポテト・ヘッド・ブルーズ」で、これは絶頂期とされる28年の全録音より好きなのだ。

 

 

「ポテト・ヘッド・ブルーズ」でもやはりサッチモ以下全員テーマなんて関係ないフレイジングを連発しているぞ。というかこの曲のテーマってどれなんだ?ブルーズ形式の曲だから(といっても32小節構成)、キーをなにでやるかだけを決めてあとは全く自由に吹いているはず。

 

 

 

同じく大好きな1927年12月録音の「ホッター・ザン・ザット」。これの中間部ではサッチモのスキャットとブルーズ・ギタリストのロニー・ジョンスンの単音弾きがアドリブでの掛合い・応酬を聴かせるのがスリリング。二人ともテーマ・メロディのフェイクなんかじゃなく、独立したフレイジングだなあ。

 

 

 

ジャズマンであるサッチモだけだなくブルーズマンのロニー・ジョンスンもそうだったということは、これは1920年代から既にポピュラー・ミュージックのアドリブは、やはりコード進行に基づいて自由闊達にメロディを展開するやり方だったってことだよなあ。フェイクだったなんて誰が言出したんだ?

 

 

同じくジャズの花形楽器であるサックス界では、その分野における吹き方を確立した人物だということになっているテナーのコールマン・ホーキンス(実はソプラノだけどシドニー・ベシェの方がちょっとだけ早くスタイルを確立している)。ホークの初期録音だって全く同様のことになっている。

 

 

僕が持っているホーキンスのリーダー名義による最も早い録音は、1933年9月NY録音の「ジャマイカ・シャウト」と「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」のSP盤両面二曲。どちらもホーク以下ヘンリー・レッド・アレン、J・C・ヒッギンボッサム、ヒルトン・ジェファースン、みんな自由に吹いている。

 

 

この二曲のうち「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」は僕の大の愛聴曲。この曲は大学生の頃、なんだったかのLPレコード一曲目に入っていて、SP音源集だからどんなLPも言うまでもなく全てコンピレイションなんだけど、愛聴盤だった。といっても一曲目のそれしか聴いていなかったが。

 

 

一曲目の「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」しか印象に残っていないというか聴いていなかったために、そのLPアルバムのタイトルも忘れてしまったが、なんだたったか中古のレコードでジャケットもボロボロに破れているもので、でも普通に再生できた。

 

 

 

今貼った音源をお聴きなれば分るように短調の哀感のあるメロディで、これを書いたアーサー・ジョンストンという人は僕は知らない。だけどアレンジはピアノも弾いているホレス・ヘンダースンがやっていて、まあホレスの貢献が大きいんじゃないかなあ。フレッチャー・ヘンダースン楽団時代が長いホークだし。

 

 

いつものようにどうでもいい横道に逸れるけど、大学院博士課程を中退して研究室の助手になった際、僕はそれまでの院生時代に住んでいた寮を出てアパートを借りたのだが、その時に買った留守番機能のある電話機の留守電メッセージのBGMに、しばらくこの「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」を使っていた。

 

 

当時の留守電機能はマイクロカセットテープを使っていて、メッセージの録音なども当然アナログ方式だったので、部屋で「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」のレコードを鳴らして、同時に電話機に向って自分で喋り録音するというやり方だった。それくらいこの曲が大好きだったわけだなあ。

 

 

しかし貼った音源をお聴きになれば分る通りの雰囲気だから、ある時僕の不在時にかけてきた研究室の先輩に、いきなりあれが流れるもんだから「間違ってキャバレーかどこかにかけてしまったのかと思ったぞ!」と言われてしまったことがあった。あんなのを留守電のBGMにするとかまあ狂ってたね。

 

 

本当にこういう戦前の古典ジャズ作品が昔から大好きなわけだから許してほしい。それにしてもこれまた<アドリブ/フェイク>論から離れちゃうけど、先の「ザ・デイ・ユー・ケイム・アロング」みたいな情緒ってビバップ以後のモダン・ジャズでは跡形なく消えちゃったなあ。ワールド・ミュージックの世界には今でもたくさんある。

 

 

かなり横道に逸れちゃったので話を戻して、コールマン・ホーキンスはフレッチャー・ヘンダースン楽団時代(1923〜34)にサッチモに出会い、サッチモのトランペット(コルネットだけど殆どは)・スタイルに感銘を受けて、ああいったテナー・サックスの吹き方になったというのが定説になっている。

 

 

サッチモのヘンダースン楽団時代は1924/25年のわずか二年間。当然ホークもいた頃。だから最初から書いているように戦前の古典ジャズマンだってコード進行に基づいて自由にアドリブを展開していたのだというのも、ホークはサッチモのスタイルに感化されてそうなったんだろう。

 

 

ホークのキャリアは1921年にメイミー・スミスというヴォードヴィル・シンガーの伴奏ではじまっているが、その当時の録音があるのかどうか僕は知らないし、あっても聴いたことがない。僕が聴いているホークの一番早い録音はやはり前述のフレッチャー・ヘンダースン楽団でのものだ。

 

 

一般にホークの戦前録音の最高作とされているのが1939年10月録音の「ボディ・アンド・ソウル」。だけど僕はこれは素晴しいとは思うものの、ホークの代表的名演だと断言するのにはちょっぴり違和感もある。そこでのホークはみなさんの言うようにフェイク中心のアドリブ展開だからだ。

 

 

その「ボディ・アンド・ソウル」ではテーマ・メロディを少しずつニュアンスを変え音を装飾しながら、言わば変奏しているわけだ。これなんかは昔からよく言われる戦前ジャズメンのアドリブはフェイク中心だったという説を裏付ける典型例の一つ。

 

 

 

ホーク以後に登場し、全く違ったスタイルで後世にやはり甚大な影響を与えたレスター・ヤングになると、これはもう完全にフェイクなんて部分は微塵もなく、完全にコード進行だけに基づいて全く自由なメロディを吹いていて、しかも一般にビバップ以後とされるコード分解だってやっているもんなあ。

 

 

例えばカウント・ベイシー楽団の1937年7月録音「ワン・オクロック・ジャンプ」。ここでのレスターも37年にして既にブルーズのコード進行から自由にコードを置換して奔放なメロディ展開を聴かせる。これなんかどこがフェイクなの?

 

 

 

この曲もブルーズだからキーだけ決めて自由にやっているはず(最初のピアノ・ソロからハーシャル・エヴァンスのテナー・ソロになる瞬間に転調するだけ)。しかもテーマがないもんね。最後にホーン・リフが出てきて、昔タモリは『オールナイトニッポン』のなかであれがテーマだ(けど憶えられなかった)と言っていたけど、違うんだよ、タモリさん。

 

 

またテディ・ウィルスン名義のブランウィック録音でビリー・ホリデイが歌う1938年1月の「ウェン・ユア・スマイリング」におけるレスターのソロもぶっ飛んでいるよなあ。原メロディのかけらも聴かれない奔放なアドリブじゃないか。

 

 

 

レスターのこういうのは全部ホークの最高の名演とされる1939年の「ボディ・アンド・ソウル」よりも録音時期は早いからなあ。僕はレスターのこういうフレイジングを聴くと、全然違うジャンルだけどロック・ギタリストのジェフ・ベックを連想するんだなあ。フレイジングのかっとび具合がちょっと似ているんじゃない?

 

 

レスター・ヤングとジェフ・ベックを結びつける人は結構いるはずだ。なぜかってジェフ・ベックは「グッドバイ・ポーク・パイ・ハット」をやっているもんね。最初『ワイアード』でやり、その後のライヴでもよく演奏している。あのチャールズ・ミンガスの曲はレスター哀悼曲だからさ。

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