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2016/06/11

1950年代のキューバのラジオから〜昭和エロ歌謡まで

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なんだかよく分らないのだが、自室のCD棚に『ラジオ・キューバ』という二枚のCDがある。ゴールデン・ウィークの時期にちょっとCD棚の整理をしていたら出てきたんだけど、全く聴いたような憶えがない。おそらく買ってから一回も聴いてないんじゃないかなあ。間違いなくジャケ買いだね。上掲のような感じだもん。

 

 

それでようやく初めて聴いてみた『ラジオ・キューバ』のヴォルメン・ウノとドスの二枚。これ、最高じゃないか。どうして今まで聴いていなかったんだ?僕の持っているのは輸入盤。ジャケット裏のクレジットを見ると Universal Music Venezuela のリリースになっている。

 

 

リリース年は二枚とも2000年だ。しかしキューバ音楽のCDを2000年にどうしてヴェネスエーラの会社が出しているんだろう?ラテン・アメリカの音楽マーケットについてはなにも知らない僕なので、どなたかお分りになる方に教えていただきたい。簡単な(なぜか)英語の解説文があるだけ。

 

 

その英文解説を読むと、この『ラジオ・キューバ』二枚に収録されている音源は、どうやらキューバのラジオ・プログレーソというラジオ局が1950年代に放送した音源なんだそうだ。チェ・ゲバラやフィデル・カストロらによるキューバ革命が成功したのが1959年だから、それ以前のものだ。音楽的には爛熟期にあたる。

 

 

もちろん革命前のキューバは名目的には旧宗主国スペインから独立した国であったけれど、実質的にはアメリカの属国のようなもので、政治的・経済的にアメリカの一部で庭みたいなもの。アメリカ人のためのリゾート地として観光産業は賑わっていたので、ホテルやクラブで多くのバンドが観光客向けに演奏していた。

 

 

政治的・経済的にアメリカの属国状態をようやく抜出して真の意味での独立国としてキューバが歩み始めるのは1959年の革命成功後なんだけど、ことキューバのポピュラー・ミュージックの世界に限って言えば、それ以前の時代のものが魅力的だったりするから、なんとも複雑な気分だよなあ。

 

 

1959年革命後のキューバ音楽が再び面白くなるのは、私見では1990年代からじゃないかなあ。かろうじて1960年代はじめまでフィーリンがあったくらいで、そのフィーリンだって1950年代が最盛期だったわけだしなあ。90年代には例の『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』があった。

 

 

全世界にキューバ音楽の楽しさを大きく拡散し、世界中でそして日本でもキューバ音楽のファンが増えたのがやはり1997年の『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』によってなんだろう。だって普段キューバ音楽とは縁の薄そうな北米合衆国ブルーズ〜ロック・ライターの陶守さんだってよく話をするくらいだもんなあ。

 

 

でもあの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』はもちろん音楽的にも悪くないんだけど(だって全員このプロジェクトなんか関係なく活動していたキューバ人音楽家で、コンパイ・セグンドなんか1907年生まれだもんね)、「これこそがキューバ音楽だ」みたいなことを言う人がいるのには困惑する。

 

 

確かに『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の音楽は悪くはないし、特に同名映画の方は普段あまり観られないキューバ国内の風景や演唱シーンがたくさん観られたので僕も楽しかった。そしてそれと関係あるのかどうか知らないがEGREMの音源がいろいろCDリリースされたりして、1990年代後半は賑わってきたのは確か。

 

 

そしてそういう流れで1990年代以後キューバ音楽が耳目を集めるようになったのは喜ばしいことだと思うけれど、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』とそれに関連する音楽家のCDを聴いて事足れりとするのではちょっと寂しい。キューバ音楽には昔からいいものがたくさんあるんだ。

 

 

そういうわけで書いたように政治・経済事情的には複雑な気分なんだけど、やはりキューバの大衆音楽がチャーミングだったのは1959年の革命前だ。ちょっと前置が長くなったけれど、CD『ラジオ・キューバ』二枚は革命前50年代のラジオ・プログレーソの放送音源だから、こりゃホント魅力的。

 

 

もちろんこんなCD二枚を出せたのも、かの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』以後の盛上がりと、それがきっかけでそれ以前のキューバ音楽にも多くの人の目が向くようになったおかげではあるんだろうけれどね。でも『ブエナ・ビスタ』がきっかけなら『ラジオ・キューバ』みたいなのも聴いてほしい。

 

 

『ラジオ・キューバ』の二枚。一枚目はどっちかというとアップ・ビートなキューバン・リズムが効いたものが多く、マンボみたいなのやチャチャチャみたいなのが多い。それに対し二枚目の方はボレーロ風なものが中心になっているように僕の耳には聞える。そういう主旨で二枚に分けてコンパイルされたのかもしれない。

 

 

『ラジオ・キューバ』一枚目の一曲目「ケ・テ・ペディ」はネロ・ソーサと彼のコンフントによるいかにもキューバ音楽というリズムのボレーロ。これがいきなり魅力的で、買ってからなぜだか長年聴いていなかった僕はもう完全に惚れちゃった。ネロ・ソーサの歌も伴奏のビッグ・バンドもいいね。

 

 

そのネロ・ソーサが在籍していたコンフント・カシーノが二曲目で「アヴェントゥレーラ」。ハバナで活躍した人気バンドだよね。これもいいリズムだ。三曲目の「ノ・テ・インポルテ・サベール」はレネ・トゥーゼの名曲だからご存知の方も多いはず。これはフィーリンだね。つまりモダンなボレーロ。

 

 

そのフィーリン・ナンバー「ノ・テ・インポルテ・サベール」を歌うカルロス・ディアスの伴奏をしているのがエルマノス・カストロの楽団で、解説文に書いてある曲目一覧を見ると『ラジオ・キューバ』二枚の音源でかなり多くの曲の伴奏をしている。ってことはラジオ・プログレーソのハウス・バンドだったのだろうか?

 

 

エルマノス・カストロの楽団、『ラジオ・キューバ』のクレジットでは二種類の記述のされ方をしていて、単にロス・エルマノス・カストロとなっているのと、ラ・オルケスタ・デ・ロス・エルマノス・カストロとなっているのがあるんだけど、音を聴くとどっちも同じカストロの楽団と見て間違いないだろう。

 

 

『ラジオ・キューバ』収録音源のうち、そのカストロの楽団が伴奏しているもので世界でも日本でも一番有名なのは間違いなく二枚目14曲目の「ミ・オンブレ」だ。最初に聴いた時に、あっ、これは知っている曲だぞ、確か誰か北米女性ジャズ歌手が歌っていたぞと思ったんだけど、でも誰の歌うどの曲なのか思い出せなかった。

 

 

本当に旋律だけよく聴き憶えのある「ミ・オンブレ」。もどかしくて仕方がないので、なんの手がかりもないけれど、スペイン語の「ミ・オンブレ」は英語にしたら「マイ・マン」だから、ひょっとしてビリー・ホリデイの得意曲だったあれか?と当りを付けて聴いてみたらビンゴだった。まさに同じ曲だ。

 

 

ビリー・ホリデイの「マイ・マン」は元は「モン・オム」というフランスの曲だけど、有名にしたのは間違いなくビリー・ホリデイ・ヴァージョン。彼女はブランズウィック(コロンビア)時代の1937年、デッカ時代の49年、ヴァーヴ時代の53年とライヴで56/57年と頻繁に録音している。

 

 

『ラジオ・キューバ』に入っているカストロ楽団の伴奏でロシータ・フォルネスが歌う「ミ・オンブレ」が何年の録音か分らない(というかこの二枚の音源は全部録音年や放送年月日が書かれていない)んだけど、間違いなくビリー・ホリデイよりは後だから、やはりそのカヴァーなんだろうね。

 

 

なお、これはカストロ楽団が伴奏をしたもののうちの最有名曲という意味であって、そうでなければ一枚目六曲目の「エル・マニセロ」、すなわち「南京豆売り」が間違いなく世界的に最も有名な曲。1931年にエリントン楽団も録音したり、その他世界中でカヴァーされたキューバ音楽の古典中の古典だもんね。

 

 

『ラジオ・キューバ』の二枚目にはもう一つ日本の歌謡曲ファンには馴染み深い曲があって、12曲目の「コラソン・デ・メロン」。この曲名でお分りの通り森山加代子が「メロンの気持」という直訳題で1960年(昭和35年)に歌ってヒットさせているから、古いものが好きなファンならみんな知っている曲だ。

 

 

「メロンの気持」はゴールデン・ハーフ(憶えていらっしゃるでしょうか?)が1974年にカヴァーしているから、僕の世代だとこっちだ。でも森山加代子ヴァージョンの方が魅力的なんだよね。ゴールデン・ハーフはデビュー・シングルが「黄色いサクランボ」でこれもスリー・キャッツのカヴァー。

 

 

スリー・キャッツだって僕はリアルタイムでは全然知らず(森山加代子も「白い蝶のサンバ」から)、ゴールデン・ハーフの歌う「黄色いサクランボ」を面白いなあと思ってテレビで見聴きしていた世代なんだけど、後になってスリー・キャッツのを聴いたら断然そっちの方がいいもんね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=DRfogTcWCS4
(今確認したらこのYouTube音源は再生できなくなっているし、探しても他に上がっていないのが残念極まりない。最高にスケベなんだけどなあ。)

 

 

どうだろうこのエロ歌謡は?最高じゃないか。なんでもあまりにも色情的だというので発売禁止だったか放送禁止だったかになったとかいう話も伝え聞いている。そりゃこんな雰囲気だもんねえ。しかもこれ、ラテン的というかキューバ歌謡じゃないかなあ。

 

 

昭和エロ歌謡と今日の本題である『ラジオ・キューバ』がどうにかこうにか繋がっただろうか?というよりですね、こういう1960年代の日本の歌謡曲にはラテンやキューバなフィーリングのものがたくさんあって、実際「メロンの気持」みたいに日本語詞を付けてそのままカヴァーしたりしていたわけだよね。

 

 

そしてそういう日本のラテン風歌謡曲のベースになっていたのが、『ラジオ・キューバ』CD二枚などその他で聴ける1950年代のキューバン・ミュージックだったと思うのだ。『ラジオ・キューバ』の二枚目には僕の最愛曲「シボネイ」もあって、50年代とは思えないレトロなチャランガで、これもイイね。

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