1970年代にはガレスピーも教えを乞うたマイルスのトランペット
マイルス・デイヴィスが本当に魅力的なトランペッターになるのは1956年からだ。もちろんそれ以前にも優れた演奏はある。例えば54年録音の『ウォーキン』もそう。素晴しい吹奏ぶりで僕も愛聴しているんだけど、マイルスにしかできえない表現はまだ確立していないように思う。
実は僕がアクースティック・マイルスのコンボ録音で一番好きなのが翌1955年録音の『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』。熱心なファンの間でも全く話題に上らないアルバムなんだけど、個人的には隠れた名盤だと思っている。
僕が『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』が大好きな最大の理由はヴァイブラフォンのミルト・ジャクソンとピアノのレイ・ブライアントというブルーズの上手い二人が参加しているということであって、マイルス自身のトランペットについてはまあこんなもんかという感じ。
この頃のマイルスのブルーズ演奏といえば最初に書いた1954年の『ウォーキン』のアルバム・タイトル曲でのプレイは大変に評判が高い。僕も大学生の頃は大好きでアルバム・ジャケットも好きな愛聴盤だった。三連符を頻用したルイ・アームストロング以来のジャズ・トランペットでのブルーズ吹奏の伝統に則ったものだ。
「ウォーキン」という曲のマイルスによる演奏では、中山康樹さんはこの初演時はまだ大したことはない、凄くなるのは1960年代の一連のライヴだと書いていた。これはブルーズ・フィーリングというものを理解しない発言だね。中山さんはマイルスも参加したサントラ盤『ホット・スポット』でのジョン・リー・フッカーについても・・・(以下略)。
かつて油井正一さんは、この1954年の『ウォーキン』をマイルスが自分のトランペット・スタイルを確立した最初のアルバムだと書いたことがある。これはヘロイン常習癖から脱却してからの初レコーディングで、その意味でもマイルスにとっての記念碑的作品だという意味でもあったんだろう。
その『ウォーキン』と『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』(後者は常にミルト・ジャクスンを聴くわけだけど)は大好きな個人的愛聴盤ではあるものの、油井さんの言うような評価は僕にはちょっとできにくい。良い演奏だけどマイルスじゃないとできないようなものじゃない。
やはり1955年にジョン・コルトレーン+レッド・ガーランド+ポール・チェンバーズ+フィリー・ジョー・ジョーンズのファースト・クインテットを結成してからだなあ、マイルスがトランペッターとして魅力的になるのは。このバンドの初録音は当時所属していたプレスティッジではなく、コロンビアへの55年10月年録音。
その1955年10月のコロンビア録音では「トゥー・ベース・ヒット」「アー・リュー・チャ」「リトル・メロニー」「バドゥー」の四曲を吹込んでいるけど、もちろん秘密裏に行われたもの。そのなかから「アー・リュー・チャ」だけがコロンビア移籍後の57年に『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』に収録され、残りはお蔵入り。
同じ1955年に当時所属していたプレスティッジにもアルバム一枚分録音している(『マイルス』)。これが56年にリリースされこのファースト・クインテットのリアルタイムでの初リリース作品になった。しかしながらコロンビアでもプレスティッジでも、55年録音には僕はイマイチ魅力を感じないんだよなあ。なにかが足りない。
このファースト・クインテット、そしてボスのマイルス自身のトランペットが本当に面白くなるのは、1956年5月と10月のプレスティッジでのいわゆるマラソン・セッションからだね。この頃には既に当時のトレード・マークだったハーマン・ミュートを使っての繊細なトランペット・プレイを聴かせる。
マイルスがハーマン・ミュートを初めて使ったのは、先に書いた1955年録音の『マイルス・デイヴィス・アンド・ミルト・ジャクスン』ラストの「チェンジズ」だったはず。これ以前はミュートを使っていても全てカップ・ミュートだ。カップ・ミュートはチャーリー・パーカー・コンボ時代から時々使っている。
カップ・ミュートといえば『ウォーキン』B面の三曲が全部それを使って吹いたもので、それはそれでなかなか魅力的なのだ。昔はオープン・ホーンで吹いたA面のブルーズ二曲ばかり聴いていた僕も、ある時期以後はB面の方がチャーミングだと思うようになっている。
カップ・ミュートとハーマン・ミュートの違い。マイルスによる分りやすい例が「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」だね。1954年ブルーノート録音(カップ)→ https://www.youtube.com/watch?v=1VRC48dEh_c 56年プレスティッジ録音(ハーマン)→ https://www.youtube.com/watch?v=-Np8PJDGq_A
僕はカップ・ミュートを使った1954年ブルーノート録音の方もなかなか好きなんだけど、普通はどう聴いてもハーマン・ミュートでの56年プレスティッジ録音(『ワーキン』)の方が出来は上だろう。この頃のマイルスのハーマン・ミュートを使ったバラード吹奏はまさに玉に露。素晴しいの一言だ。
そしてこういうのがマイルスが自分のトランペット・スタイルを彼自身だけの独自のものとして確立したものだったんだろうと思う。最初に書いたようにマイルスのトランペットは1956年からだと僕が述べた最大の理由だ。どういう理由でその前後からハーマン・ミュートを頻用するようになったのかはイマイチ判然としない。
バラード・ナンバーだけでなく、例えばマラソン・セッションから誕生したなかの一枚『リラクシン』では一曲を除いて全曲ハーマン・ミュートで吹いていて、アップ・テンポでもミドル・テンポでもそれが実にチャーミングに響く。個人的には『リラクシン』がこの四部作では一番好きな作品だ。
マイルス=ハーマン・ミュートのイメージを決定づけたのはコロンビア移籍第一作の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』のタイトル曲だと言われているが、あの曲のレコーディングはプレスティッジでのマラソン・セッション第一回目の四ヶ月後。しかしながらあのプレスティッジ四部作はコロンビア移籍後にリリースされたものだから、「ラウンド・ミッドナイト」が記念碑のように考えられたわけだ。
オープン・ホーンでのトーンもこの頃明らかに向上している。同じプレスティッジの四部作でも例えば『クッキン』の「ブルーズ・バイ・ファイヴ」とか『ワーキン』の「フォー」とか音色がブリリアントだよね。もっとも個人的な見解ではマイルスのオープン・ホーンの音色は1958年に格段に向上する。
良い例がギル・エヴァンスと組んだ1958年の『ポーギー・アンド・ベス』だ。このアルバムでのマイルスのオープン・ホーンの音色は素晴しい。そして次作である59年の『カインド・オヴ・ブルー』での「ソー・ホワット」や「フレディ・フリーローダー」などでのオープンは文句の付けようがない。
オープン・ホーンに関してはその後も向上を続け、例えば1964年のライヴ盤『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』もほぼ全てオープン・ホーンのトランペットなんだけど、音色が非常に丸くて柔らかでまろやかなため、日本盤LPライナーノーツを担当した方がフリューゲル・ホーンだろうと書いたほどで、アクースティック時代ではこのアルバムの音色が一番美しい。
そしてマイルスのオープン・ホーンの音色が頂点に達するのが私見では1969/70年だ。特に69年8月録音の『ビッチズ・ブルー』、70年2月録音の『ジャック・ジョンスン』、70年6月ライヴ録音の『マイルス・アット・フィルモア』、この三つのアルバムは全部オープン・ホーンだけど、マイルスの生涯で最高の音色だろう。特に『フィルモア』が美しい。
アクースティック時代もエレクトリック時代も、マイルスのオープン・ホーンの音色が一番美しく聞えるのがどっちもライヴ・アルバムだというのはなんだかちょっと興味深い。『マイルス・アット・フィルモア』は四日間の完全盤が公式盤でも出ているけれど、あの公式盤四枚組は<完全>ではない欠陥商品だからちょっとオススメしにくい。
その『マイルス・アット・フィルモア』を録音した1970年頃、なんとディジー・ガレスピーが「トランペットのトーンを向上させる方法を教えてくれ」とマイルスに電話してきたらしい。マイルスの自叙伝に書いてあった。これには笑ってしまうよねえ。だってディジーはマイルスの憧れの存在だったんだぜ。これにはさすがのマイルスもビックリしてしまったようだ。
若い頃一体どれだけアンタから学んだと思っているんだとマイルスはディジーの電話に内心呆れたらしいが、「とにかくその膨らんだほっぺたの空気を送込まないと音は良くならないぞ」とかまあ適当に返事したらしい。でもディジーがそういう相談をしたくなるほど1970年頃のマイルスの音色は美しいものだ。
『ビッチズ・ブルー』や『ジャック・ジョンスン』(特に「ライト・オフ」)はYouTubeに上がっているし、1970年6月のフィルモア四日間については、真の完全ヴァージョンを僕が上げておいたので、是非聴いてほしい。フィルモア四日間の完全版はブート盤からだけど公式盤以上の音質だからね。
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