


僕が一番好きな音楽家マイルス・デイヴィス。彼のことはあまり好きじゃないとか、あるいはかなり積極的に嫌いだとかアンチだとか、そういう音楽ファンは結構たくさんいて、僕も昔からそういう人に大勢出会ってきたので、そういうことを面と向ってはっきり言われても今では別になんとも思わない。
音楽の好みなんてのは本当に十人十色、人それぞれバラバラなんだから、自分がどんなに愛している音楽家についてだって嫌いだ、アンチだという人はいるわけで、その逆にこんなものどこがいいんだ?と自分では思うような音楽についてだって大好きだというファンは必ず存在する。そんなの当り前のことじゃないか。
僕のマイルス愛は異常なわけだけど、みんな人それぞれ他人から見たら狂っているだろうというような愛好具合の音楽家がいるはずだ。マイルスの場合はジャズだけではなくアメリカ・ポピュラー音楽界での存在の大きさゆえに、アンチなファンも無視はできず、それがかえって一層苛立ちのもとになっているはず。
1990年代後半にネット上で頻繁にやり取りしていた小川真一さんもマイルスはどこがいいんだか分らない、好きなのは『マイルス・イン・ザ・スカイ』と『ドゥー・バップ』だけだとか、椿正雄さんははっきり言ってかなり嫌いだけどこの評価の高さ具合からしてきっとなにかあるんだろうとか言っていたもんね。
これが同じモダン・ジャズ・トランペッターでもクリフォード・ブラウンとかになると嫌いだとかアンチだとかいう人はいないはずだ。そうなりようがないジャズマンだね、ブラウニーは。ブラウニーが嫌いだという人がもし仮にいるんだとすれば、それは単に音楽嫌いだというだけの話だろう。
マイルスの場合は、嫌いだとかアンチだとかいう人の多くはきっと1969〜75年までの電化ロック〜ファンク路線のあの時代がかなり積極的に嫌いなんじゃないかという気がする。それは僕もなんとなく分る気がするのだ。そういえば以前菊地成孔が「マイルスは69〜75年の間狂ってただけの人です」と言っていたなあ。
普段は頷けるマトモな発言が少ない菊地成孔だけど、この発言には僕も全面同意。菊地の言う「狂ってた」というのはもちろん褒め言葉で、それは彼の音楽作品を聴けばよく分る。菊地の一部の作品、特にデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンなんかは電化マイルスそのまんまだもんね。
以前の繰返しになるけれど菊地成孔は音楽作品はいいものがあるんだ。デートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンもいいよね。僕も菊地成孔も大の電化マイルス・ファンで、菊地は1969〜75年のマイルスに私淑しているような音楽家なんだから、そのせいもあって僕には一層悪くないように聞えるんだなあ。
菊地成孔の話はおいといてマイルスの、特に1969年8月録音翌70年3月リリースの二枚組『ビッチズ・ブルー』。あれなんかはアンチ・マイルス・ファンを産み出す最大の原因となっているアルバムじゃないかなあ。全体的にどうも大上段に構えすぎみたいな大袈裟なところがあるし、嫌いな人が多いはず。
音を聴けば嫌いなのに評価があまりにも高すぎて、しかも当時かなり売れた(ビルボードのジャズ・チャート一位、ポップ・チャートですら二位)から、そのせいで無視して通り過ぎることもできず、目障りで目障りで仕方がないだろう。その気持は分るんだ、僕にとってのキング・クリムズンがそうだから。
キング・クリムズンは僕はかなり積極的に嫌いで、特に記念碑的作品とされる『クリムゾン・キングの宮殿』が大嫌い。どこがいいんだかサッパリ分らない。『太陽と戦慄』とか『レッド』とかライヴ盤の『USA』とかの方がまだマシなように思う。でもあれらもやっぱりイマイチだなあ。いや、キング・クリムズンの話をするつもりはない。
マイルスの『ビッチズ・ブルー』。日本のジャズ・マスコミの間でも「ジャズの世界を大きく変革した超大傑作」で、ジャズだけでなくその後のポピュラー音楽全般に甚大な影響を与えた時代を超える普遍的作品とされてきている。僕が熱心に音楽を聴きはじめた1979年にはこの評価は定着していた。
でもいろんな方のいろんな文章を読んでも、どうも『ビッチズ・ブルー』はちゃんと理解されていないのではないかと思えてならなかった。それはこの二枚組を最高に高く評価していた油井正一さんの書くものですらそういう印象があった。特に『ジャズの歴史物語』のなかでの文章はオカシイね。
同書での油井さんいわく、このアルバムのリズムはロックのリズムではない、トニー・ウィリアムズ時代にビートというより一種のパルス感覚にまで行着いたマイルスがロックなんかに手を出すはずがない、マイルスはそんな野暮天(という言葉を油井さんは使っている)じゃないんだと強調しているよね。
そして油井さんは『ビッチズ・ブルー』のリズムはロックではなく、二枚目B面一曲目のタイトルにあるように、寄せては返すヴードゥーのリズムなんだと『ジャズの歴史物語』のなかで書いているんだけど、いくら敬愛する油井さんの言葉でもこりゃちょっと受入れがたいものがあるなあ。
同じ本のなかで油井さんは「ビバップとR&Bには共通項がある」とまで書いている慧眼なのに、どうしてロックやファンクが理解できなかったんだろう?ちょっと不思議だ。『ビッチズ・ブルー』はどう聴いたって1969年8月という<あの時代>の、同時代的共振の産物なんだとしか思えないんだなあ、僕には。
それに比べたら言っている中身は全然共感できないんだけど、「電化サウンドに対する生理的嫌悪感を越えてあまりある説得力は『ビッチズ・ブルー』にもないと思いたい」と『ジャズ・レコード・ブック』のなかで書いていた粟村政昭さんの方がまだ素直で正直で理解しやすいような気がしちゃう。
その粟村さんも「思いたい」ってことは、『ビッチズ・ブルー』の評価の高さや存在の大きさを無視し切れないという意味ではあるんだろう。そして油井さんや粟村さんのこの種のメンタリティは、表現のスタイルを変えてもその後ずっと続いているんだよね。あの中山康樹さんだってそうなんだなあ。
中山さんも著書『マイルスを聴け!』の『ビッチズ・ブルー』の項でわざわざ「怖がることはない」などと書いてあるところを見ると、中山さんのなかに畏怖の念みたいなものがあるか、あるいはそれがないとしても、一般のファンがいまだにその種の気持をあのアルバムに対して抱いているのを意識したってことに他ならない。
しかし中山さんよりちょうど十歳年下の僕にだって似たような気分はある。僕が1979年に熱心にジャズを聴きはじめた頃には、まだ1960〜70年代前半あたりの日本のジャズ・ファンやジャズ・ジャーナリズムの残滓が強く残っていて、僕も好むと好まざるにかかわらずその衣をまとっってきたのは間違いない。
その証拠に1998年に『ザ・コンプリート・ビッチズ・ブルー・セッションズ』ボックスのリリースに伴って『レコード・コレクターズ』誌が特集を組んだ際、編集部の方に『ビッチズ・ブルー』について書いてくれないかと依頼された僕は、ちょっとそれだけは勘弁してくれと断ってしまったんだよね。
『ビッチズ・ブルー』について公の雑誌に載る文章を書くのを怖がるってことは、あのアルバムについてちゃんと語れるような人間はいまだに日本にはいないはずだというような畏怖の念を間違いなく僕も持っているってことだ。少なくとも1998年頃までそうだったことは疑いえない事実だ。
しかしながらこれは『ビッチズ・ブルー』が難解で恐ろしく全く楽しめないアルバムだと思っている(いた)という意味ではない。「理解している人間は日本にはまだいないんだ」というようなことを書いたけれど、僕は僕なりに理解して楽しんでいるつもりなんだよね。大学四年生の終りの三月お彼岸の頃からそうなんだ。
三月お彼岸ってえらい具体的だなと思われるだろうけど、ある種の目覚めみたいなものがあったのを今でも鮮明に憶えているからなんだよね。先祖の墓参りを済ませたよく晴れた三月の午後、自宅に戻ってきてなぜだか『ビッチズ・ブルー』が聴きたくなって二枚目をかけてみて、突然その瞬間がやってきた。
『ビッチズ・ブルー』二枚目A面一曲目の「スパニッシュ・キー」。その時あれを聴いて、こりゃいいね!凄くファンキーでグルーヴィーでカッコイイじゃないか!と激しく感動したんだよね。なんだか曲全体が好きになったし、特にそのなかでマイルスが吹くオープン・ホーンのトランペットが素晴しいと。
「スパニッシュ・キー」はスパニッシュ・スケールを使った曲で、だからこの曲名なんだけど、しかし聴いた感じは特にスペイン風な感触はない。『スケッチズ・オヴ・スペイン』以来のマイルスお得意のスペイン風味は薄くしか感じないなあ。ボス同様にスパニッシュ好きなチック・コリアの弾くエレピが若干そうかなと思う程度。
しかしなんだかホント突然だったんだなあ、お彼岸のお墓参りを終えた後の自宅で突然。それでなんだかピンと来てみたら、二枚目B面の「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」もこりゃ最高のファンク・ナンバーじゃんと聞えるようになった。今ではこの曲こそが『ビッチズ・ブルー』のクライマックスだと思うね。
「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」では、アルバム中この曲でだけドン・アライアスがドラムスの主導権を握っている。アルバムの全曲で右チャンネルがジャック・ディジョネット、左チャンネルがアライアスなので判別は容易。「ヴードゥー・ダウン」では左チャンネルのドラムスから曲の演奏がはじまって、その後も最後までリードしているもんね。
アライアスの回想では「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」でだけなぜだかディジョネットがマイルスのほしいフィーリングが出せず、それでお前が叩いてみろと言われたんだそうだ。ブート盤でオリジナル・セッション音源を聴くとそれはよく分る。ディジョネットが主導権を握って叩く未完成テイクでは全然ノリが違う。
「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」は1969年8月のスタジオ録音前からいわゆるロスト・クインテットのライヴで頻繁に演奏されてきた曲。もちろんドラムスは全部ディジョネット一人。聴き慣れない人がボーッと聴いていると『ビッチズ・ブルー』収録のと同じ曲だと分らないかも。特にリズム・パターンとノリのグルーヴィーさ加減がガラリと違う。例えばこういうの。
『ビッチズ・ブルー』ヴァージョンの「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」の方も貼っておこう。 冒頭のドン・アライアスのドラミングを聴いてくれ。同じ1969年頃のミーターズのジガブー・モデリステによく似ているじゃないか。
ジガブーみたいな間の多いスカスカな独特のグルーヴ感で、実際マイルスは「ニューオーリンズ的フィーリングがほしかったんだけど、ディジョネットにはそれが出せなかったからアライアスにしてみた」と語っている。この曲ならファンク・ファンにもウケそうじゃないか。
というわけで中山康樹さんの真似をして言うと、みなさん怖がらずに『ビッチズ・ブルー』(『ビッチェズ・ブリュー』じゃないよ!ソニーの関係者さん、そろそろちゃんとしてください!)を、特に二枚目を聴いてほしい。一枚目がまだ従来のジャズ風な面影を引きずっているのに比べ、二枚目は明快にロック〜ファンクな音楽になっているもんね。
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