読譜能力
譜面の読み書きがよく分らない僕だけど、音楽家じゃないので特に困らない。プロの音楽家だって楽譜の読み書きができない人はいる。もちろん視覚障害者でない限りクラシック音楽の世界には一人もいないだろう。あの世界は読譜能力がなかったらどうにもならないはずだ。
作曲家ならもちろん楽譜が書けないクラシック界の人間なんてちょっと想像できない。耳が聞えなくたって壮大で立派な作品を書いた作曲家だっているくらいだ。しかしこれがポピュラー・ミュージックの世界となると、楽譜が読めない・書けないミュージシャンってのが結構いるんだなあ。
僕がいますぐパッと思い浮べるのはエロール・ガーナー、ウェス・モンゴメリー、ジェフ・ベックの三人だ。ジミ・ヘンドリクスもそうだっけなあ。ピアニストのエロール・ガーナーについては評価が分れるところだろうけれど(僕は大好き)、ギタリストのその三名については歴史に名を残す偉大な音楽家だという評価が定着している。
ところで僕が楽譜楽譜と言っているのは西洋音楽で使われはじめたいわゆる五線譜のことなんだけど、しかし世界中には実にいろんな記譜システムがあって、日本にだって三味線や大正琴の楽譜などは独自の伝統的なものがある。僕は大学生の頃に、大正琴を習っていた近所のおばさんに見せてもらったことがある。
五線譜以外で僕が実際に見たことのある楽譜はその大正琴の譜面と、あとはギター用のタブ譜だけ。タブ譜の話はあとでしたい。それはそうと大正琴はウェザー・リポート時代のジョー・ザヴィヌルが気に入って使ってある曲が少しあるね。即座にパッと思い出すのは「ポート・オヴ・エントリー」(『ナイト・パッセージ』)と「ウェン・イット・ワズ・ナウ」(『ウェザー・リポート 82』)の二曲だ。
その他世界中に様々な独自の記譜システムがあるはずだけど、西洋音楽の影響力拡散とともに五線譜が広く普及したので、それが従来の伝統的記譜法を駆逐してしまい、今はどんな国でも五線譜を使うことが多いんだそうだ。あるいは伝統的独自記譜法と五線譜とを併用したり使い分けたりしているのかなあ。
この前アラブ・ヴァイオリニストの及川景子さんと話をしていて、「五線譜を使っているんですよ」と言われた時はちょっぴり意外な感じがしたのだった。きっかけは及川さんが「新幹線のなかで楽譜を書くと酔うんだ」とツイートされていたこと。それでお尋ねしてみたら五線譜なんだとお答が返ってきた。
五線譜は「基本的には」半音までしか存在しない西洋クラシック音楽のために開発された記譜法なので、言うまでもなく半音以下の音は書きにくい。ところがアラブ音楽はもちろん世界中のいろんな音楽は半音より細かい音をよく使うもんね。そんなのどこの国のどの音楽がそうだなんて例を挙げるのがバカらしいほどだ。
だからアラブ・ヴァイオリニストの及川さんが五線譜をお使いになるというのがちょっぴり意外だったんだけど、でも御本人いわく五線譜が一番手っ取り早いんだそうだ。そしてアラブ圏よりも例えばトルコ古典歌謡などの方が五線譜導入は早かったはずだとのこと。そうだったのかあ。
その際及川さんが強調されていたのは、当然ながら五線譜に記すことができず漏れ出る部分がある、というかアラブ音楽では漏れ出る部分の方がはるかに大きいので、未知の曲を未知の音楽家と共演する際には便宜的に五線譜を使うんだけれど、楽譜外の音を読取る力のない人との共演は困難だそうだ。
しかしそれは西洋クラシック音楽ですら同じだろうなあ。録音技術発明前に成立し開花した音楽なので、生演奏で実際の音を聴く以外に音のイメージを伝え共有するには楽譜しかなかったわけだけど、そんな西洋音楽ですら記譜できないニュアンスはかなりある。特に歌の場合はそうだなあ。
だから西洋音楽のシステムで成立っていないアラブ音楽その他世界中の民俗音楽やポピュラーなワールド・ミュージックの世界では、五線譜なんかでは全然表現できない部分の方がはるかに大きいはずなのに、それでも未知の曲を未知の音楽家と共演する際にそれを使うというのは、それ以外にやり方がないんだね。
及川さんのお話はアラブ音楽の音楽家同士での共演についてだったんだけど、これが他ジャンルの音楽家との<他流試合>となると、おそらく最初はやはり五線譜に頼る以外に方法がないだろう。最近では録音して相手にあらかじめ渡しておくという方法もありはするけれど、五線譜の方が容易で効率的で共有しやすい。
西洋音楽の五線譜システムがいつ頃成立したのかは調べないと分らないけれど、それ以前から、聞いた話では古代ギリシアの時代から音楽を書き記す方法は存在したらしい。しかしそれは世界的に見たら一部だろう。世界中の伝承民俗音楽では記譜法なんて存在しなかった国・時代の方が多く長いはず。
だからそういう場合には音を伝えるのは全て生演奏の口承だ。安価で簡易なテープ・レコーダーが普及して録音することが誰でも容易になるまでは、世界中で口承以外の音伝達方法はなかったはず。そもそも文字(記号)すらない地域だってたくさんあったので、様々な物語を憶え口伝する人達だって存在した。
そういう人達を西アフリカではグリオと呼ぶ。セネガル人で世界的に有名な歌手ユッスー・ンドゥールもグリオの出自だし、20世紀以後のアフロ・ポップ歌手のなかには他にも結構いるよね。録音も文字記号もない時代に、歴史上の英雄譚や部族の系譜などを楽器を弾きながらメロディにして歌い伝達した。
音楽ってのは要するに「音」でしかないわけで、ってことはつまり空気の振動なんであって、エリック・ドルフィーの有名な台詞によらなくたって、音楽は生れ出たと同時に次々と空間に消えていってしまう時間的存在物。だからこれを本当に正確に把握し他人に伝えるには、21世紀の現在でも口承が最適の方法に違いない。
口承というとアレだけど、レコードが商品化され大量生産・大量消費されるようになった20世紀以後は、レコードなどの録音物やラジオ放送などを聴いて耳でコピーするということが可能になった。ようやく話を戻せるけれど、エロール・ガーナーもウェス・モンゴメリーもジェフ・ベックもジミ・ヘンドリクスもそうしたはず。
ピアノの世界のことはサッパリ分らない僕なのでギターの話に限定すると、その世界には前述の通りタブ譜というものがある。普通の五線譜が五本なのに対し、ギター用のタブ譜はギターの六本の弦に合わせ楽譜の線が六本で、いわば通常のギターのフレット上の様子をそのまま転写したようなもの。
タブ譜の六本の線の上に数字が書いてあって、それは何フレット目を押えるかということを表している。つまりタブ譜を見れば何弦の何フレット目の音かが分るので、そのまま弾けるという代物。ギターをはじめたばかりの初心者はみんな使うんだよね。
楽器店や一般の書店でロックやジャズなどの有名曲のタブ譜本が普通に売ってあって、僕らもそれを買ってレコードを聴きながら、ああこの部分はここを押えるのかと理解しながらコピーした。僕がはじめた頃は通常の五線譜とタブ譜が上下に併記されているというギター譜。
さてウェス・モンゴメリーやジェフ・ベックなどはいわゆる五線譜の読譜能力はないらしんだけど、タブ譜は使っているだろうか?そもそもギター用のタブ譜っていつ頃から存在するんだろう?ウェスは1940年代後半、ジェフ・ベックは60年代初頭にプロ活動をはじめている。どうだったんだろうなあ?
ただ五線譜が読めずタブ譜も存在しなかったのだとしても、コード譜というものが昔からあることは知られている。一般の素人ギタリスト用にも販売されている五線譜やタブ譜の上にも通常はコード・ネームが記されている。素人だってそれを見てコード進行を憶える。
ブルーズやジャズやロックその他ポピュラー音楽の世界ではコード進行を把握することが非常に重要なので、ウェスもジェフ・ベックもコード譜が読めないなんてことはありえない。そもそもコード表記はAからGまでの(Mとかmajorとかdimとかsusなどはあるが)アルファベットと、7とか9とかの数字と、若干の記号だけのものだし、このコード・ネームならどこをどう押えればいいかはみんな分る。
またウェス・モンゴメリーもジェフ・ベックもあのレベルになると恐ろしく耳がいい。耳がいいというのはもちろん医学的聴力のことではなく、音を聴いた際の直感的な洞察力を含む音楽的反射能力の高さのこと。一流音楽家はみんな同様にそんな具合に耳がいいわけだけど、ウェスやジェフ・ベックならなおさらだ。
もちろんウェスもジェフ・ベックも全て耳で聴いてコピーしていたとは僕にはちょっと思えない部分がある。録音作品のなかにはかなり入組んだアレンジが施されているものだってあるからなあ。ウェスもジェフ・ベックもオーケストラ伴奏で複雑なアレンジ下での演奏を難なくこなしている(としか僕には聞えない)もんなあ。
ウェスなんか一連のA&Mレーベル作品など到底直感的に演奏したとは思えないもんね。おそらく耳慣れないものだったであろうロック系のポップ・ソングに大がかりなオーケストラ・アレンジが施されていて、その合間を縫って縦横に弾いているのだが、これを完成したアレンジを誰かが演奏して聴かせて憶えさせたとは思えない。
ジェフ・ベックだってジェフ・ベック・グループを解散した後の『ブロウ・バイ・ブロウ』以後のソロ・アルバムでは結構複雑なアレンジ、なかにはオーケストラ伴奏入で入組んだ演奏をしているものがあるからなあ。あの『ブロウ・バイ・ブロウ』がそうじゃないか。あのアルバムでのアレンジャーはジョージ・マーティン。
ジョージ・マーティンがこんな感じだぞと言葉で伝達した部分があるんだろうけど、ジェフ・ベック自身の「僕が楽譜が読めないのがコンプレックスなんだ」という言葉をそのまま額面通りには受取りにくいよなあ。少なくとも僕にはそんな額面通りは受取れない演奏に聞える。ある程度は読譜できのかもしれないよ。
そういえば思い出した。そのジョージ・マーティンがプロデュースしたビートルズ。ポールはこんな感じのアレンジがほしいと具体的に弾いたり楽譜にして示してくれるのでやりやすかったけれど、ジョンは抽象的な言葉でイメージを伝えるだけなので、それを音でどう具体化するのか難しかったんだそうだ。
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