ジャズ・ピアノ史上最高のテクニシャン
単に指が高速かつ正確に動くという技巧面だけでなく、多彩で豊かな音楽的表現という点でもジャズ・ピアノ史上最高のテクニシャンだったに違いないアート・テイタム。このブログでも何度か強調しているように、この世界ではアール・ハインズこそがオリジネイターではあるんだけどね。
アート・テイタムも右手でシングル・トーンを弾くのが中心であるということを考えれば、やはりジャズ・ピアノの父アール・ハインズの影響下にあるわけだけど、テイタムの場合は他のハインズ門下生とは違ってもっとずっと多彩でヴァリエイション豊かな表現方法を早くに確立している。
テイタムの初録音は1932年。30年代の彼の録音はいろんな形のLPやCDや配信になっていて、どれとどれを買えば「全部」ということになるのか僕も分りきっていないのでそこそこで満足しているわけだけど、その頃のソロ・ピアノ録音はどれもこれもホント凄いよね。
特に有名なのは「タイガー・ラグ」だろう。テイタムは同曲を戦前には1932年と33年と35年の三回録音している。どれも素晴しく甲乙付けがたいけれど、僕の耳には32年初演がちょっぴりいいように聞える。テイタムの生涯初ソロ・ピアノ録音。
次のYouTube音源の方は1932年ヴァージョンと35年ヴァージョンを並べてあるので比較しやすい。やはり32年録音の方が少しだけいいよね。この生涯初レコーディングの時点で、既に完全に自分のピアノ・スタイルを確立している。
1930年代初頭でこれだけ自由闊達に弾きまくれたジャズ・ピアニストはテイタム以外には存在しなかったはず。次のようなデジタル処理でスピード・ダウンさせたサンプルが上がっているくらいだから、やはりこの「タイガー・ラグ」は衝撃なんだよね。
これは70%スピードのものだけど、同じ音源から60%とか30%とか20%とかのものもYouTubeに上がっているので興味を持った方は聴いてみていただきたい。70%とかのスピードでも並のピアニストには弾くのが困難なはず。それほどテイタムの「タイガー・ラグ」は凄い。
テイタムの場合本当に凄いと思うのは、単なる高速・正確な指さばきという技巧面をひけらかすようなところではなく、いやもちろんそれだけでも充分凄いんだけど、それが音楽的表現と一体になっていて聴き手の感動を呼ぶところだよなあ。指が速く正確に動くというだけなら僕などはなんとも思わない人間だ。
テイタムはもちろんソロ・ピアノ録音が一番いい。彼のヴァチュオーゾぶりがよく分るし、そもそもビバップ以前にはピアノ・トリオという概念がまだ存在していなかったので、殆どのジャズ・ピアニストはソロで弾くかバンドのなかの一員としてやるかのどちらかだった。トリオ編成が主流になるのはバド・パウエル以後。
余談だけどジャズ・ピアノの世界で「トリオ」というと今はほぼ全員ピアノ+ベース+ドラムスだと思っているだろう。しかしかつてピアノ・トリオとはピアノ+ギター+ベースという編成がスタンダードだった。1940年代初頭に録音を開始したナット・キング・コール・トリオが典型的な存在。
テイタムもそういうギターとベースを伴うトリオ編成での録音もある。だけど彼の場合はやはりリズム・セクションは不要だなあ。第一どんなギタリストやベーシストもテイタムのレベルには到底ついていけないし、それに戦前古典ジャズ・ピアニストの例に漏れずやはり両手のバランスが取れているからだ。
ましてや管楽器奏者と共演した録音は、入門盤としてよく推薦されたりする(戦後録音だけど)ベン・ウェブスターとやったものなど、僕はあまり評価しないんだなあ。別に嫌いではないというか好きだけど、ああいうのならテイタムじゃなくてもいいだろうと思うんだなあ。
1930年代のテイタムの録音には、ほんのちょっぴり歌手と共演してバンド形式で歌伴をやっているものがある。僕の知る限りではアデレイド・ホールの歌う1932年の「ストレインジ・アズ・イット・シームズ」と、同じ歌手による同年の「アイル・ネヴァー・ビー・ザ・セイム」がそれ。
二曲ともスモール・コンボ編成での録音で、チャーリー・ティーガーデンのトランペット、ジミー・ドーシーのクラリネットなどのオブリガートも聞えるが、ソロはテイタムのピアノだけが取っているから彼が中心のバンドなんだろう。32年当時のアデレイド・ホールはテイタムと一緒に活動していたらしい。
さらにもう二曲、やはりアデレイド・ホールが歌う1932年録音の「ユー・ゲイヴ・ミー・エヴリシング・バット・ラヴ」と「ディス・タイム・イッツ・ラヴ」があって、それらはコンボではなくテイタムのピアノ伴奏だけで歌ったもの。僕の知る限りテイタムと歌手との共演はこれら四曲だけのはず。
最近の僕はジャズでもインストルメンタル演奏よりもヴォーカルの入る曲の方がどっちかというと好きだから、テイタムの録音でもそれらアデレイド・ホールが歌う四曲も好きなんだよね。でもまあテイタムのピアノを聴く音源ではないなあ。楽しくて好きだけどテイタムである必要はない。
そういうわけだからやはりテイタムはソロ・ピアノ演奏に限る。戦前のそういう録音集でCDで持っているもののうち僕が一番よく聴くのは『ピアノ・スターツ・ヒア』。戦前のコロンビア系録音を集めた全13曲で、得意曲だった「ユーモレスク」もあり、また半分がライヴ音源なのも僕好みだ。
でもねえ、前述の通り戦前のテイタムのソロ・ピアノ音源はちゃんとした形で全集みたいなものとしてはリリースされていないんだよなあ。僕が知らないだけなのか?どこか早く集大成してほしいんだけど、全然リリースされる気配がないから、僕も複数のCDや配信でバラバラに持っていて、中身も一部ダブっている。
その点、戦後ノーマン・グランツのパブロ・レーベルに吹込んだ膨大なソロ・ピアノ録音全124曲は、現在CD七枚組ボックス『ザ・コンプリート・パブロ・ソロ・マスターピーシズ』に集大成されていて、まとめてたっぷり聴けるのが嬉しい。テイタムの技巧も音楽的表現力も殆ど衰えを見せていないしね。
パブロやヴァーヴといったノーマン・グランツのレーベルには、テイタムもやはり多くのコンボ編成録音があるんだけど(前述のベン・ウェブスターとの共演盤もそう)、それらは多くがノーマン・グランツお得意のオール・スター・セッションで、しかも殆どが全盛期を過ぎたジャズメンとの共演だからイマイチ惹かれない。
そこいくとテイタムのピアノの腕だけはほぼ衰えていないので、やはりソロ・ピアノ録音集がいいんだよね。パブロへの膨大なソロ・ピアノ録音集はアナログLP時代から全集になっていて、確かLP10枚のバラ売りだったっけなあ、愛聴盤だった。
それらがCD時代になって、確か1990年代前半に全部まとめてボックス・セットになったのは嬉しかった。まあCD七枚のソロ・ピアノ録音集を全部通して集中して聴くなんてことは全くないわけだけど、部屋の中でなにかをしながら流しっぱなしにしていると、これがなかなかいい雰囲気になる。
テイタムのパブロへのソロ・ピアノ録音は1953〜56年録音で、最後のハリウッド・ボウルでのライヴ録音四曲を除き全てハリウッドでのスタジオ録音。ほぼ全てが有名スタンダード・ナンバーだから、ソロ・ピアノ演奏によるスタンダード・ソングブックとしてもオススメ。
以前書いたエラ・フィッツジェラルドの同じヴァーヴへのソングブック集が、歌手によるアメリカン・ソングブックの宝石箱なわけだけど(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/post-b4fa.html)、似たような規模のボックスでソロ・ピアノ演奏によるこれは、やはり珠玉のアメリカン・ソングブック集だなあ。
腕は衰えていないとは書いたものの、1930年代の「タイガー・ラグ」などで聴けるような寄らば切るぞみたいな凄みに満ちたスリリングな演奏は戦後パブロのソロ・ピアノ集にはない。そういう緊張感に代ってパブロ録音ではかなりリラックスした雰囲気でゆったりと演奏していて、僕はそういうものもかなり好きなんだよね。
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