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2016/06/03

マイルス・バンドのサックス奏者はイモだらけ

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マイルス・デイヴィスがレギュラー・バンドに雇ったサックス奏者って、よく考えてみると結局ジョン・コルトレーンとウェイン・ショーターしか聴ける人がいないような気がする。短期間キャノンボール・アダリーがいたのと、かろうじてデイヴ・リーブマンがマシかと思う程度で、あとは全部ダメだ。

 

 

本格的にはチャーリー・パーカーのような史上空前の超天才サックス奏者のコンボでデビューしたマイルス(録音はないがビリー・エクスタイン楽団でプロ・キャリアをスタートさせている)だから、これは意外だよなあ。これは僕の耳がオカシイというか厳しすぎるだけなのか。

 

 

例えば最初のレギュラー・サックス奏者ジョン・コルトレーンが辞めたあとのハンク・モブリー(その間ちょっとだけソニー・スティットを使っていて録音もあるけれど、例外として除外していいだろう)。彼は二流とかB級の人ではないけれど、やっぱり聴き劣りしちゃうんだよなあ。

 

 

ハンク・モブリーのアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ時代の録音やホレス・シルヴァーの作品に参加したものなどには僕も好きなものがいくつかあって、モブリーは曲創りでも才能を発揮しているように思うんだけど、1961年のマイルス・バンド時代はコルトレーンの後任だったせいもあってイモに聞える。

 

 

モブリーのマイルス・バンドでの初録音は1961/3/7の「ドラッド・ドッグ」と「ノー・ブルーズ」の二曲。前者は『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』に収録されて即座にリリースされ、後者も同アルバムに「プフランシング」というタイトルで収録されている。もちろん当時の妻フランシスにちなんだ曲名。

 

 

マイルスの当時の妻フランシスといえば、『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』のジャケ写が彼女だよね。その他1965年の『E.S.P.』のジャケットにも映っているし、他にも何枚かある。結構な美人だよなあ。マイルスは最初58年に「フラン・ダンス」という曲を創り録音している。

 

 

1958/5/26録音では「フラン・ダンス」とともに「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」「ステラ・バイ・スターライト」「ラヴ・フォー・セール」が録音されていて、当時は「ラヴ・フォー・セール」を除き同年リリースの『ジャズ・トラック』というアルバムのB面に収録されて発売された。

 

 

『ジャズ・トラック』はA面が例の『死刑台のエレベーター』サウンドトラックで、上記B面三曲と全く無関係な内容だから、ちょっと違和感があるアルバムなんだよなあ。ところで『ジャズ・トラック』というレコードは、僕がマイルスを知った頃には既に入手困難でその後もなかなかCD化されなかった。

 

 

だから僕がそれら1958年録音のビル・エヴァンスのマイルス・バンド・レギュラー在籍時代唯一のスタジオ録音を聴けたのは、1974年に日本のCBSソニーがリリースした『1958 マイルス』でのこと。これには「ラヴ・フォー・セール」も収録されている。一曲だけ当時出なかった理由ははっきりしている。

 

 

というのは同じ1958年にキャノンボール・アダリー名義でブルーノートにも「ラヴ・フォー・セール」を録音していて、それはご存知『サムシン・エルス』に収録されて即発売されたからだ。だからコロンビア側は同曲の同年同社録音はリアルタイムではリリースしなかったに違いない。あくまで僕の推測だけどね。

 

 

もう一つ、マイルスがやる時の「ラヴ・フォー・セール」はハードにスウィングしたいような曲調だから、ビル・エヴァンスじゃ物足りないんだよね→ https://www.youtube.com/watch?v=-i6wNgg5kq4『サムシン・エルス』ヴァージョン(ピアノはハンク・ジョーンズ)との違いは明白→ https://www.youtube.com/watch?v=4tSYXpq2kW0

 

 

それはそうと『1958 マイルス』はラストに「リトル・メロネー」があるけれど、これだけ1955年録音なんだよね。サックスは同じコルトレーンだけど、どうしてこれ一曲だけ55年のを入れちゃったんだろうなあ?当時はみんな混乱していて、ライナーノーツの油井さんもひょっとしてこれは55年じゃないだろうか?と書いていた。

 

 

今はコロンビアが1955年録音だとはっきりデータを出しているけれど、当時はそれがなかったからなあ。でも耳のいい油井さんでなくても、当時の僕のヘボ耳にもあの「リトル・メロネー」は録音状態もコルトレーンのスタイルの完成度からも1958年の音には聞えなかった。ピアノがレッド・ガーランドなんだけど、彼は58年まで在籍したから紛らわしい。

 

 

ちなみに『ジャズ・トラック』は現在でも単独の一枚物としてはCDリリースされていない。唯一2013年リリースの九枚組ボックス『ジ・オリジナル・モノ・レコーディングズ』のなかに中身もジャケットもオリジナルのまま入っている。CDではこれしかないから、単独でほしいマニアはみんなアナログを探す。

 

 

マイルス・バンドのサックス奏者にイモが多いというのから話が逸れているようかのようだけど、そうではない。『1958 マイルス』収録の1958/5/26録音のそれら四曲は、コルトレーンとキャノンボールが同時在籍していた時期の録音で、マイルスの音楽生涯で最もサックスが充実していたんだよね。

 

 

コルトレーン+キャノンボールのツイン・サックス体制が聴けるスタジオ・アルバムは『マイルストーンズ』『1958 マイルス』『カインド・オヴ・ブルー』の三つ。さらに公式盤なら『マイルス・アンド・モンク・アット・ニューポート』と『ジャズ・アット・ザ・プラザ』の二つのライヴ・アルバムがある。充分じゃないだろうか。

 

 

ファースト・クインテットのテナー・サックス奏者だったコルトレーンを再起用するとほぼ同時にどうしてマイルスがアルトのキャノンボールを雇おうと思ったのか分らないんだけど、マイルス自身の回想ではこの時期サックスを二人にしてサウンドを分厚くしたいという着想があったらしい。

 

 

サウンドを分厚くといってもハーモニーの垂直構造をという意味ではない。ツイン・サックスにした1958年頃からのマイルスは垂直的和音はどんどんシンプリファイしていき、逆に水平的なスケール(モード)に基づいてアドリブを展開するという方向性だった。三管によるテーマ演奏は重厚だけれども。

 

 

コルトレーンはご存知の通り1957年のセロニアス・モンク・バンドでの修行を経て素晴しいテナー・サックス奏者になっていて、それに比べたら58年加入当時のキャノンボールはちょっぴり聴き劣りする。実際58年録音のバラード・ナンバーではキャノンボールは吹かせてもらえておらずコルトレーンのみだ。

 

 

1958年録音の「フラン・ダンス」でだって「ステラ・バイ・スターライト」でだってサックス・ソロはコルトレーンのみ。59年録音でだって『カインド・オヴ・ブルー』のA面ラスト「ブルー・イン・グリーン」ではやはりコルトレーンだけで、キャノンボールは外されている。

 

 

これは1956年のプレスティッジへの一連のいわゆるマラソン・セッションで吹込んだ数々のバラードでは、やはり当時まだ未熟だったコルトレーンは外されているのを思い出す。『ワーキン』の「イット・ネヴァー・エンタード・マイ・マインド」も『クッキン』の「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」もそう。

 

 

マイルスはリリカルなバラードについては相当にこだわりの強いジャズマンだったし、特にそういうのをハーマン・ミュートを付けて吹く1950年代はそうだから、そういう曲で未熟な演奏者が入るのを嫌ったんだろう。しかしブルーズ・ナンバーやその他快活な曲ではキャノンボールもかなりいい演奏だ。

 

 

リリカルなバラードでだって『カインド・オヴ・ブルー』ラストの「フラメンコ・スケッチズ」でのキャノンボールのソロはかなりいい。正直言ってこの曲(とA面のファンキー・ブルーズ「フレディ・フリーローダー」)ではコルトレーンのソロより僕は好きなくらい。特に前者のスパニッシュ・スケールの部分が好き。自分でも意外なんだけど。

 

 

音楽家としてのキャノンボールという人は、その後1960年代のスーパー・ファンキー時代の録音の方が僕は好きで、特にウィーン生れでクラシック音楽の教育を受けた白人が弾いているとは到底思えないジョー・ザヴィヌルの真っ黒けなエレピが聴ける曲群なんか最高だよね。でも多くのジャズ・ファンには評判が悪い。『ミュージック・マガジン』界隈のザヴィヌル嫌いの方々は、あのあたりの彼をどう聴いているんだろう?

 

 

それはともかく1958/59年のツイン・サックス時代はボスのマイルスも最高だったと思っているらしく、81年復帰後は隠遁前には考えられないくらい昔の思い出話をインタヴューなどでもよくするようになっていて、そのなかであのツイン・サックス時代のサウンドがいかに素晴しかったか頻繁に語っている。

 

 

そういう時代があったからこそ、その後のハンク・モブリー時代の物足りなさといったら半端じゃないんだよね(ようやく話を戻せた)。一番露骨に分るのが『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』一曲目のタイトル・ナンバー。飛入りゲスト参加のコルトレーンも吹くから、あまりの違いに愕然としてしまう。

 

 

 

どうだろう?このコルトレーンとモブリーの違いは?同じテナー・サックスだからひょっとしてご存知ない方のために書いておくと、最初のソロがモブリー、次がコルトレーン。モブリーも自分の後でのコルトレーンのソロを聴き、自信を喪失したらしい。

 

 

また同アルバムB面のスパニッシュ・ナンバー「テオ」ではモブリーは全く吹かせてもらえず、サックス・ソロはコルトレーンのみ。実力差を考えたら当然だけど、しかしレギュラー・メンバーに対する扱いだもんなあこれが。同アルバムの現行CDには「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の別テイクがあってそれのサックス・ソロはモブリーのみ。

 

 

その「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」の別テイクでテナー・ソロがモブリーのみの演奏を聴くと、確かにこりゃダメ演奏だ。だからモブリーの後任としてのジョージ・コールマンの次にウェイン・ショーターが来た時にはマイルスは本当に嬉しかったと思うんだよね。以前書いた通りその数年前から着目していたサックス奏者だったから。

 

 

ショーターのマイルス・バンドでの初録音は1964/9/25録音の『マイルス・イン・ベルリン』。既に際立ちはじめているけれど、スタジオ録音作の65年『E.S.P.』〜68年『ネフェルティティ』あたりまでのショーターの演奏と作曲両方面での大活躍はいまさら僕が繰返すまでもないことだ。

 

 

個人的な好みだけなら、1965〜67年のこの俗に言う黄金のクインテットではライヴ録音の方がはるかに好きで、以前から繰返している通り65年シカゴのプラグド・ニッケルでのライヴ録音とか、2011年にようやく公式化した67年のヨーロッパでのライヴ録音四枚組ボックスとかホント最高。

 

 

その後電気楽器を使ってジャズよりロックやファンクに近い音楽になって以後のマイルス・バンドにロクなサックス奏者はいない。デイヴ・リーブマンがまあマシかと思う程度で、残りは全部イモだ。熱心なファンク愛好家の友人も「マイルス・ファンクにサックスは全く不要だ」と言っていた。僕も同感なんだよね。ただジャジーな香りがするのがサックス・ソロ部分だけだから、ジャズ・ファンはそこを聴くんだそうだ。

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