フィル・スペクターは音楽界に復帰できるのか?
2003年だったか女優ラナ・クラークスンを殺害したということで、いまだに刑務所に収監されたままのフィル・スペクター。最高の音楽家だったんだけど出所できるのは2028年の見込だから、その時スペクターは88歳になる。音楽界に復帰できるかどうかちょっと分らないよなあ。
素晴しい音楽的才能と人格の素晴しさは全くなんの関係もないと以前も強調した(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-781e.html)。その時はチャーリー・パーカーの話が中心だったけれど、もっとよく分るのがフィル・スペクターだよなあ。最高の音楽家にして極悪人のフィル・スペクター。
音楽界に復帰できたとしても2028年のフィル・スペクターに仕事があるかどうか分らないような気がする。彼の創るサウンドは既に時代遅れかもしれないから。いやあでもそんなこともないか。あれだけ魅力的な音楽を次々と創り出し今でも聴続けられているから、やはり新作を望む人もいるだろう。
今の日本にだってフィル・スペクターのファンは多いし、音楽家のなかにも大瀧詠一(はもう死んじゃったけれど)や山下達郎のようにスペクターからの絶大な影響を隠さない人達だっているもんなあ。だからやはり88歳で出所したら音楽界に復帰して新作を創ってほしいと思う人が世界中にいるだろうね。
そんなどうなるか分らない先の話はおいといて、音楽家フィル・スペクターのやった仕事を手っ取り早く知るにはCD三枚組の『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』というアンソロジーが一番いいと思う。三枚組と言っても、もう一枚例のクリスマス・アルバムが入っているので正確には四枚組だ。
ただ『バック・トゥ・モノ』部分はCD三枚目までなんだよね。僕はその三枚よりも附属する『ア・クリスマス・ギフト・フォー・ユー・フロム・フィル・スペクター』の方が好きで、彼のやったアルバム単位での仕事では一番いいんじゃないかと思っているんだけど、これは個人的趣味嗜好だけの話だ。
フィル・スペクターの『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』は1991年にabkcoがリリースしたボックスだから、スペクターがまだ現役の頃だ。スペクター自身のバンド、テディ・ベアーズの1958年「トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム」にはじまる。これはヒットした曲だ。
テディ・ベアーズの1958年「トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム」はフィル・スペクターの処女録音。これがビルボードのチャートで一位になって、曲もアレンジも書きドラムス以外の全ての楽器を担当したスペクターの名前を一躍有名にした。このヒットで人気音楽家の仲間入りしたわけだ。
それでその後どんどんといろんな歌手のレコードで曲を書きアレンジしたりプロデュースしたりと超多忙な音楽家になり、特にロネッツとかクリスタルズなどのいわゆるガール・グループをたくさん手がけてヒットさせた。ロネッツもクリスタルズも『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』に何曲も入っている。
一番有名なのは間違いなくロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だ。『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』ボックスでは二枚目の一曲目に収録されている代表的スペクター・サウンド。1963年に自身の所有するハリウッドのゴールド・スター・スタジオでフル・オーケストラを使った録音。
ウォール・オヴ・サウンドというスペクターの創る音に対する形容も、こういった1960年代前半のヴォーカル・グループでの仕事に対して使われるようになった。「ウォール・オヴ・サウンド」をいまさら説明する必要はないと思うけど、多くの楽器を複数用いてそれを多重録音(したかのように聞える)し、それをエコー処理した。
あの独特のエコーはもっぱらゴールド・スター・スタジオの独自の音響特性がもたらしたもので、あのスタジオはかなり狭いのに、そこに大勢の、場合によっては20人以上のミュージシャンを集めて一斉に録音させるから音が廻って、マイクが本来拾うべきではない余計な音も拾ってしまって、結果的にエコーになった。
だからあれは厳密にはエコー処理ではないのだ。スペクター・サウンドのほぼ全てを手がけたエンジニアのラリー・レヴィンも「あれはエコーではないんだ」と語っている。さらに本当は多重録音でもなかったらしい。同じ楽器の奏者を複数用いてユニゾンで演奏させたためにそう聞えるだけなんだとか。
フィル・スペクターはおそらく充分な音量と音圧がほしいと思って、そういう同じ楽器の複数奏者にユニゾンで演奏させる手法を思い付いたんだろう。多重録音を繰返したみたいなそんな分厚いサウンドと、あの独特のエコーみたいなものとが相俟って「ウォール・オヴ・サウンド」と呼ばれたわけだね。
ここまではほぼ誰でも知っているスペクター・サウンドの常識だ。僕が例えば彼の代表作品とされる前述のロネッツ「ビー・マイ・ベイビー」などを聴いて魅力的だなと思うのは、実はそういうスペクターの重厚なサウンド創りとか、コピーされまくったドラムスの音ではじまる例のパターンとかではないんだよね。
いやもちろんそれも大変魅力的だけれど、もっといいと思うのが曲のメロディーのカワイらしさとロニー・スペクター(ヴェロニカ・ベネット)のチャーミングな歌声だ。歌詞はどこにでも転がっているようなごく普通のラヴ・ソングなんだけど、メロディがいいよね。
それを歌うロニー・スペクターの声のカワイくてチャーミングなことと言ったらないよね。「うぉううぉううぉううぉう」と繰返すあたりなんかタマランのだ。「ビー・マイ・ベイビー」一曲だけでロニー・スペクターは全米を、そして世界中を虜にしてファンを獲得した。それくらい魅力的なヴォーカルだ。
もちろんそれを引出したのが曲を書いたフィル・スペクターを含む三人と、アレンジャーのジャック・ニッチェと、ゴールド・スター・スタジオのエンジニアだったラリー・レヴィンだったことは言うまでもない。しかしロニーの声がああまでチャーミングじゃなかったら、世界中を虜にはしていないはずだ。
しかし僕はいつどこでロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を初めて聴いたんだろう?全く憶えていないのだが、とにかく強く意識しはじめた頃には既によく知っている曲のような気がしていたから、それだけ大ヒットしたのが流れて耳に届いていたんだろう。今ではロネッツの単独盤CDも愛聴している僕。
『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』ボックスの中にはロネッツもう一つの代表曲「ベイビー、アイ・ラヴ・ユー」も当然入っているし、他に何曲もある。また前述の通り僕の大好きなフィル・スペクターによるクリスマス・アルバムでも数曲歌っている。最高にチャーミングなガール・グループだ。
『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』にはクリスタルズも数曲入っているし、あるいはやはりフィル・スペクターの代表的な仕事であるライチャス・ブラザーズの「ユーヴ・ロスト・ザット・ラヴィン・フィーリン」なども入っている。ちょっと面白いのはアイク&ティナ・ターナーだなあ。
特にティナ・ターナーが「ラスト・ダンスはわたしに」を歌っているのは僕は『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』で聴くまで知らなかった。しかもそれがフィル・スペクターの仕事だったなんてね。でもこれはドク・ポーマスが書きドリフターズがオリジナルの曲だから、考えたら不思議じゃない。
というのはそのドリフターズ・ヴァージョンの「ラスト・ダンスはわたしに」をプロデュースしたのは例の高名なリーバー&ストーラーのコンビで、それが1950年代末の話。そしてその録音セッションには当時まだ無名で修業時代のフィル・スペクターが弟子のようにして立会っていたという話だからね。
そしてドリフターズのシングル盤「ラスト・ダンスはわたしに」でのリード・ヴォーカルはベン・E・キングで、フィル・スペクターは独立後のベン・E・キングの代表曲「スパニッシュ・ハーレム」を1960年に書いているもんね。それも『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』に収録されているよ。
『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』に入っているフィル・スペクターの仕事で僕が個人的に一番好きなのが、一枚目三曲目にあるそのベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」なのだ。素晴しい曲だよねえ。そしてこれのエンジニアが若き日のフィル・ラモーンなんだよね。
どうしてフィル・ラモーンの名前を出すかというと、彼は1970年代後半以後にビリー・ジョエルを手がけ成功させたプロデューサーだ。ビリー・ジョエルにはやはりフィル・ラモーンのプロデュースで1983年に『アン・イノセント・マン』というアルバムがあるよね。黒人音楽トリビュート・アルバムだ。
そのビリー・ジョエルの『アン・イノセント・マン」A面二曲目のアルバム・タイトル・ナンバーがまるでベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」そっくりなんだよね。間違いなくビリー・ジョエルとフィル・ラモーンは意識しているね、これは。
ベン・E・キングの「スパニッシュ・ハーレム」はこれ→ https://www.youtube.com/watch?v=OGd6CdtOqEE 非常によく似ているじゃないか。ビリー・ジョエルの「アン・イノセント・マン」はこれへのオマージュ曲に間違いない。前者のエンジニアもフィル・ラモーンの仕事で、後者のプロデュースも同じ人なわけだし。
ってことは『バック・トゥ・モノ(1958-1969)』三枚組(あるいは四枚組)ボックスで非常によく分るフィル・スペクターのやった仕事は、(フィル・ラモーンを通し)1983年のビリー・ジョエルまで繋がっているってことだよ。やっぱり絶大な影響力を持つ音楽家だった(過去形?)よねえ。
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