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2016/07/11

AORをバカにするな

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用語それ自体は好きではないAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)。しかしこれに分類される音楽はかなり好きな僕ではある。言葉だけがどうして好きではないのかというと、音楽にオトナもコドモもないし、だいたいティーネイジャーにウケるような音楽こそいいものなんじゃないかと思ったりするからだ。

 

 

10代半ば〜20代前半あたりの世代こそ一番音楽的感受性が敏感で、ポップ・エンターテイメントである大衆音楽を最も楽しんでいる人達なんじゃないかと思うんだよね。そしてもっと歳を重ねると余計なことをいろいろ考えはじめたりして、シンプルに音を聴いて体を揺すったりするだけじゃなくなったりする。

 

 

ジャンルを問わず歌手や演奏家だって10代前半でデビューするのは当り前。美空ひばりもエスター・フィリップス(リトル・エスター)も鄧麗君も12〜14歳くらいでレコード・デビューして、そういう<子供>の歌に大人が心を揺さぶられたりしたわけだ。音楽は大人(だけ)のものじゃないってことだよね。

 

 

そういうわけだから、あんまり「大人のロック」だとか、そんなタイトルの音楽雑誌もあったりするらしいのだが、そういうものは個人的にはあまり信用できないなと思っているんだけど、それに分類されて扱われている音楽それ自体には罪はない。大好きなものがたくさんあるのだ。

 

 

だいたい僕は大のフュージョン好きで、1979年に熱心に音楽を聴きはじめた頃はまだまだフュージョンが流行していて、そういう音楽をたくさん聴いてきた人間なんだから、AORが嫌いなんてことは有り得ない。歌が入るか入らないかの違いだけで、ほぼ同じような音楽だろうと思う。

 

 

そしてAOR歌手の代表のように言われているのがお馴染みボズ・スキャッグズ。僕もかなり好き。と言ってもその路線のアルバムは、恥ずかしながら超有名な『シルク・ディグリーズ』一枚しか聴いていないんだけど、いいアルバムだよねえ。しかしこのボズ・スキャッグズは最初はAORの人ではなかったということになっている。

 

 

最初はAORの人じゃなかったという例証として必ず名前が挙るのが1969年のファースト・ソロ・アルバム『ボズ・スキャッグズ』だね。この前に一枚あるので正確にはセカンド・ソロ・アルバムなんだけど、それはスティーヴ・ミラー・バンド前だからなあ。

 

 

それにその1965年の『ボズ』はスウェーデンでレコーディングされ最初は同国でだけリリースされたもので、その後ヨーロッパでは流通したがそれ以外の地域では発売されず、いまだにCDリイシューすらされていない(はず)。だから幻のデビュー・アルバムで、ボズもスティーヴ・ミラー・バンドで名を上げた人だからなあ。

 

 

だから実質的にはメンフィスのマスル・ショールズ・スタジオで1969年にレコーディングされ発売された『ボズ・スキャッグズ』がファースト・ソロだと言ってもいいだろう。しかしこれ、発売当初は売れずすぐに廃盤になってしまったらしい。これが知られるようになったのは70年代半ば以後だ。

 

 

いわゆるAOR路線の1976年『シルク・ディグリーズ』が大ヒットしたのを受けて、77年にアトランティックが『ボズ・スキャッグズ』をリイシューしたのが、おそらくはこのデビュー・ソロ・アルバムが広く知られた最初。でもこの際のリイシューにはちょっと問題もあった。ミックスを変えちゃったのだ。

 

 

1969年オリジナル『ボズ・スキャッグズ』のミックスはスタックスのエンジニア、テリー・マニング。しかし77年アトランティックのリイシューLPは別のミキサーがやり直して、デュエイン・オールマンのギターを前面に出した新ミックスで発売されたのだった。その後はリイシューCDも全部それ。

 

 

だから僕も長年1977年ミックスでしか『ボズ・スキャッグズ』を聴いていなかった。オリジナル・ミックスを初めて聴いたのが今年2016年発売の日本盤リイシューCDでのことで、だからいまごろこの文章を書いているという次第。そのオリジナル・ミックスは2013年に初めてCDになったそうだ。

 

 

というようなことが2016年リイシューの日本盤『ボズ・スキャッグズ』のライナーノーツを書いている五十嵐正さんの文章にある。そういうわけで現在僕の手許には1977年ミックスの旧盤との両方がある。改めて聴き比べてみたが、評判が悪いとされているらしい旧盤との違いは言われるほど大きくもないような。

 

 

だからどっちもでいいような気がしないでもないのだが、どっちでもよくないと思うのはこのデビュー・ソロ・アルバムの日本盤タイトルがいまだに『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』になっていることだ。デュアンはデュエインかドゥエインだということではない。どうして共作みたいな感じになっているんだ?

 

 

硬派な黒人音楽〜ロック・リスナーにとってはデュエインのギターこそが聴き物で、1977年ミックスもそれを大きめにするというもので、それこそがこのアルバムのウリとされてきたから、日本盤も昔の初回盤以来現在に至るまで『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』表記になっているのは分らないでもない。

 

 

だけどこりゃ今ではちょっとあんまりじゃないだろうか。まるでそうでもしないと売れないとでも言いたげじゃないか。ボズのヴォーカルだってかなりいいぞ。デュエインは1969年当時マスル・ショールズの常駐ミュージシャンだったから参加しただけで、彼をフィーチャーしたわけじゃない。

 

 

アルバム中一番有名な、オリジナルLPではB面二曲目の「ローン・ミー・ア・ダイム」が12分以上もあるもので、確かにこの曲はデュエンのギターが大活躍するもの。ブルーズ〜R&Bっぽいこの曲こそ多くのファンにとっては『ボズ・スキャッグズ』の聴き物で、彼がAORの人じゃないという好例になるんだろう。

 

 

しかも「ローン・ミー・ア・ダイム」は黒人ブルーズマン、フェントン・ロビンスンの1967年「サムバディ・ローン・ミー・ア・ダイム」のカヴァー(だけどクレジットはされなかった)だから、余計に一層ボズ・スキャッグズはブルーズ〜R&B オリエンティッドな音楽家だという例証になっちゃうんだな。

 

 

もっともボズ自身はエルヴィン・ビショップ・ヴァージョンでこの曲を知って採り上げたらしく、しかもエルヴィン自身が誰のオリジナル曲なのか知らなかったんだそうだから、当時のボズがクレジットできなかったのも無理はない。一般にフェントン・ロビンスン・ヴァージョンが有名になるのは1974年の再演以後だろう。

 

 

そして「ローン・ミー・ア・ダイム」という曲を大きく世に普及させたのがやはりデュエインのギターなんだろうから、この曲だけが大きく注目されて、デュエインの名前がまるでアルバムの共作者みたいにクレジットされ、ボズはAOR歌手じゃない、ブルーズ歌手だという主張もでてくることになる。

 

 

しかしアルバム『ボズ・スキャッグズ』全体をよく聴くと必ずしも黒人音楽要素ばかりじゃないんだよね。というかそれはむしろ多くないと言った方が適切なんじゃないかなあ。ブルーズ〜R&B風な曲は「アイム・イージー」「アイル・ビー・ロング・ゴーン」「ルック・ワット・アイ・ガット」くらいだ。

 

 

それらに加え前述の「ローン・ミー・ア・ダイム」とそれら四曲だけが黒人音楽的な曲で、しかもそれらだって「ローン・ミー・ア・ダイム」以外は全部泥臭くもなくソウルフルでもなくブラック・フィーリングも強くなく、かなり洗練された都会風サウンドだよなあ。南部的ではあるけれど、ファンキーさは僕は感じない。

 

 

南部的と言えば『ボズ・スキャッグズ』には二曲のカントリー・ナンバーがある。「ナウ・ユーヴ・ゴーン」と「ウェイティング・フォー・ア・トレイン」の二つ。カントリー・ミュージックそのまんまなペダル・スティール・ギターやフィドルも聞えるし、リズムもサウンドもボズの歌い方もカントリー風なんだよね。

 

 

「ナウ・ユーヴ・ゴーン」はボズのオリジナルだけど、「ウェイティング・フォー・ア・トレイン」はかの有名なカントリー・ミュージシャン、ジミー・ロジャーズのカヴァーで、ボズもジミー・ロジャーズそっくりなヨーデルを聴かせるくらいだ。ボズはオハイオ生れだけど育ちはテキサスの南部人だからなあ。

 

 

そしてデュエインもそれらカントリー・ナンバー二曲ではリゾネイター・ギターをスライドで弾くというような具合。アルバム・ラストの「スウィート・リリース」は今まで書いたようなブルーズ〜R&B〜カントリーなど様々なアメリカ南部音楽をゴッタ混ぜにしたような同時期のザ・バンドに少し似ている。

 

 

そして『ボズ・スキャッグズ』というデビュー・アルバム全体をボズの洗練された都会風な感性が貫いていて、それこそがそういった種々のゴッタ煮要素を一つにまとめあげているものなのだ。そう考えてくるとこの人が1976年に『シルク・ディグリーズ』みたいなアルバムを創った素地は既にあったわけだよ。

 

 

だからボズはブルーズ〜R&B歌手だ、1970年代半ば以後にAORをやり出したのは時代の流行に乗っただけで、いっときの転向だ、まさかの変節だみたいな言い方をするのは実はちょっとオカシイんじゃないかと僕は思っている。でも今だにこの種の言説は日本でも非常に強くはびこっているよねえ。

 

 

そういうことを言う人の心の根底には妙な選民意識というか優越感みたいなものがあるんじゃないだろうか?フュージョンとかAORとかそういうものは商業主義だ、「ニセモノ」の音楽だ、シリアスでハードなジャズ〜ブルーズやR&Bやソウル〜ロック・ミュージックこそ「ホンモノ」だみたいな意識がね。

 

 

そんなメンタリティはクソ食らえだよなあ。こんなことだから1970〜80年代当時もそして現在でもフュージョンなどはちゃんとその音楽性を理解して評価し、それを述べる音楽批評が殆どないんじゃないのかなあ。良いものがいっぱいあるのになあ。AORだって良いものがたくさんあるんだぞ。

 

 

AORの代表作みたいに言われるボズの『シルク・ディグリーズ』のバックを務めたミュージシャンのうち三人がTOTOになったわけだけど、そしてTOTOもAORに分類されるけれども、しかし1981年復帰後のマイルス・デイヴィスがTOTOの『ファーレンハイト』にゲスト参加しているもんね。

 

 

マイルス・デイヴィスなんか硬派でシリアスなジャズ芸術の人間だという認識なんじゃないのか?そのマイルスが「軟派な」AORバンドの1986年作に一曲だけとはいえ参加してトランペットを吹き、しかもその前後からマイケル・ジャクスンの「ヒューマン・ネイチャー」をやるようになっていた。

 

 

「ヒューマン・ネイチャー」はTOTOのスティーヴ・ポーカロが書いた曲だ。まあそれがきっかけでTOTOの『ファーレンハイト』にゲスト参加することになったわけだけどね。マイルスは1950年代から同時代のポップ・ソングをたくさんやっているんだけど、81年復帰後のマイルスは別人だとでも?

 

 

フュージョンやAORを軟派な音楽だとして見下げて評価せず、ちゃんとその音楽性を聴きすらもしない人達は、マイルスのそのあたりもボズ・スキャッグズのことも全部含めて一回ちゃんと考え直してもらいたい。僕の耳には『ボズ・スキャッグズ』も『シルク・ディグリーズ』も大して変らない音楽だ。

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コメント

ハードロックからaor好きになったものです。
ポップだからダサいっていうロック業界の村社会的発想が嫌いです、むしろみんな同じようにデスヴォイスで叫ぶバンドばかりのラウドロックやデスメタル(好きなバンドもいますが)の方が無個性で同じようなのばかりでダサい、それこそ流行り(もう下火かな?)に乗っかってるだけでロックじゃないでしょと突っ込みたいです。

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