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2016/07/05

戦前黒人スウィングはファンクのおじいちゃん

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オール・アメリカン・リズム・セクションと称えられたあの三人を擁する1930年代のカウント・ベイシー楽団のスウィング。あれはいわばその後60年代後半からのファンク・ミュージックの祖先に他ならないわけだけど、ファンクの熱心なファンがその頃のベイシーを熱心に聴くという話もその逆も見たことがない。

 

 

1930年代のベイシー楽団の熱心なリスナーやそれを含む戦前黒人ジャズ・ファンも、あるいはジェイムズ・ブラウンやスライ&ザ・ファミリー・ストーンなどその他60年代後半からのファンク・ミュージックのファンも、誰一人としてそういうことは言っていないよなあ。

 

 

ってことは例によっていつもの僕だけの妄想なのか?そうじゃないという実感が僕にはあるんだけど、今日のこの文章でそれを説得力あるように書けるかどうかは全く自信がない。がしかしなんとかやってみよう。ベイシー楽団の1930年代デッカ録音集はCD三枚組の完全集としてリリースされている。

 

 

カウント・ベイシー楽団のその『ジ・オリジナル・アメリカン・デッカ・レコーディングズ』は、例の小出斉さんの『ブルースCDガイド・ブック』にだって掲載されている。その紹介文で小出さんはこの頃のベイシー楽団はいわば<準ジャンプ>的な位置付けの存在だと書いているが、これは僕もほぼ同感。

 

 

小出さんは準ジャンプと言うんだけど、でも僕にとっては同じカンザス・シティのバンドであるジェイ・マクシャン楽団その他となんら違いのない完全なジャンプ・バンドだろうとしか聞えないんだよね。ジェイ・マクシャン楽団ももちろん小出さんの前述ガイド・ブックに掲載されている。

 

 

あるいはもっとはっきりジャンプ・バンドだとされているアースキン・ホーキンス楽団や1940年代のライオネル・ハンプトン楽団やラッキー・ミリンダー楽団などなどビッグ・バンドによるジャンプ・ミュージックと、カウント・ベイシー楽団との本質的な違いは僕には聞取れない。若干ビート感を強くした程度のことじゃないかなあ。

 

 

実際アナログ・レコードではそういった1940年代のジャンプ・バンドだってレコード・ショップでは普通にジャズの棚に並んでいたもんなあ。といっても90年代以後のようにたくさんCDリイシューされてはいなかったけれど、そこそこあったんだよね。僕は普通のスウィング・ジャズだと思って聴いていた。

 

 

正直に言うと、今までも何度か繰返しているように1930年代後半からの黒人スウィングとジャンプとの根本的な区別は僕にはできない。そんな区別はおそらく誰にとっても不可能だろう。同種の音楽だし、そもそもライオネル・ハンプトンみたいに普通のジャズマンだったのがジャンプ・バンドを率いたりしているしね。

 

 

「黒人スウィング=ジャンプ」であるというのが僕の持論。だからある時期に中村とうようさんがこの二つを截然と区別して、ジャンプこそアメリカ黒人音楽芸能史において重要なもので、その後のリズム&ブルーズを産み、結果的にロックの誕生にも繋がったことを強調したのは、僕にはやや合点がいかない面がないでもない。

 

 

とうようさんも黒人スウィングとジャンプは特に違わないというのが本音だったんだろうと僕は確信している。敢てこの二つを分けて、その一方であるジャンプを強調してその意義を繰返し述べたのは故意の戦略だっただろうと思うのだ。ジャズ・ファンが軽視・敵視し続けてきた黒人音楽芸能史に目を向けるためのね。

 

 

というのは例えば粟村政昭さんなど多くの<ジャズ=音楽芸術>論のピュアな信奉者の批評家の方々は、例えばジャンプ・ミュージックをやっていた1940年代後半のクーティ・ウィリアムズ楽団を「黒人音楽の悪しき伝統」などと罵って、そして多くの日本のジャズ・ファンもそれに追随していたからだ。

 

 

その1940年代後半のクーティ・ウィリアムズ楽団ではテナー・サックス奏者のエディ・ロックジョウ・デイヴィスが活躍し豪快なテナー・ブロウを聴かせてくれていた。多くのジャズ・ファンはああいうのこそ「悪しき伝統」だと思うんだろうけど、彼はその後カウント・ベイシー楽団に加入している。

 

 

以前も述べた通り(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/rb-6086.html)カウント・ベイシー楽団1958年の『アトミック・ベイシー』は、戦後ベイシーが最もリズム&ブルーズに接近している真っ黒けなアルバムなんだけど、この作品ではエディ・ロックジョウ・デイヴィスが大活躍している。

 

 

ベイシーはもちろん1940年代後半のクーティ・ウィリアムズ楽団でのエディ・ロックジョウ・デイヴィスを聴いていたに違いない。その豪快なテナー・ブロウ(ルーツはジャンプの聖典であるライオネル・ハンプトン楽団1942年の「フライング・ホーム」におけるイリノイ・ジャケー)ゆえに彼を雇ったに違いないんだよね。

 

 

そのジャンプの聖典とされる「フライング・ホーム」をやったライオネル・ハンプトン楽団のボスはジャズマンだし、他ならぬとうようさんが『大衆音楽の真実』のなかで、同じくジャンプ・クラシックであるアースキン・ホーキンス楽団の「アフター・アワーズ」と並べて、どっちも立派なジャズ作品であると述べているじゃないか。

 

 

ってことはとうようさんだって本音の部分では黒人スウィング・ジャズとジャンプ(「フライング・ホーム」も「アフター・アワーズ」も後者の先駆的古典とされている)とを区別なんかしていなかったってことだよなあ。以前一度だけ触れたんだけど、とうようさんの功罪みたいなものをちょっぴり感じちゃうんだなあ。

 

 

とうようさんのあの『ブラック・ミュージックの伝統』LPセット上下巻以後、黒人ジャンプ(やジャイヴ)を聴くファンが飛躍的に増えたわけだけど、それは主にブルーズ〜R&B〜ロック・ファンの間でのことで、それがジャズ・ファンと分離してしまい、現在までそれが続いているんだよね。

 

 

多くのジャズ・ファンはジャズ(に他ならないと僕は思っているよ)のなかでも特に猥雑で下世話で芸能色の強いブルーズ寄りのジャンプやジャイヴを毛嫌いして白眼視して無視し続け、一方とうようさんの手引でそれらの楽しさを知り聴くようになったファンは、そうではないシリアスな古典ジャズは聴かないという具合だもん。

 

 

どっちも同じようなジャズ音楽として区別せずに聴いてきた僕にとっては、こうした分断状態が歯がゆくてたまらないんだ。ひょっとしたらとうようさんの招いた事態だったんじゃないかと思ってしまうんだなあ。もちろんとうようさんがそれをやらなかったら、ジャンプやジャイヴを聴く人なんて全くいなくなってしまっていたんだろうけれどさ。

 

 

これは別にとうようさんの悪口を言っているんじゃないつもり。とうようさんがああいう仕事をやらなかったら、日本で芸能色の強いブルーズ寄りの下世話なジャズを聴くファンは、僕みたいにとうようさんの手引とは無関係にジャズならなんでも聴くファンなど極々一部の好事家だけのものになっていたかもしれない。

 

 

だからとうようさんの功績は本当に大きくて、僕も最大限に敬意を払っているつもりなんだけど、一度どこかで「黒人スウィングとジャンプはなにも違いません、同じものです、だからどっちも区別せずに聴きましょう」と書いておいてくれたらもっと良かったんじゃないかと思っちゃうんだなあ。

 

 

とうようさんのことはこれくらいにしておいて、前述のテナー・ブロワー、エディ・ロックジョウ・デイヴィスが在籍した1940年代後半のクーティ・ウィリアムズ楽団。もちろんジャンプ〜R&Bバンドだったけれど、クーティだってご存知の通りそれ以前はデューク・エリントン楽団で活躍した。

 

 

エリントン楽団なんて言わば「芸術ジャズ」の最高峰みたいな存在であって、芸能色の強いジャンプなんかとかすりもしないように思っているファンが多いはず。ところがそんなことは全然ないんだなあ。クーティ・ウィリアムズのような存在を輩出したのみならず、エリントン・スウィングの本質はファンクなんだよね。

 

 

それを強烈に実感したのが以前から何度か書いているドクター・ジョンの1999年作『デューク・エレガント』。エリントン曲集にして、それが全部ファンク・チューンに変貌しているというもので、このアルバムの音楽は誰が聴いたってファンクだと思うものだけど、実はエリントンの原曲に最初からそのフィーリングがあるもんね。

 

 

このことは以前ドクター・ジョンの『デューク・エレガント』について詳述した際に強調した(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-4585.html)ので繰返さない。このアルバムに多い戦前のエリントン楽曲がファンクなら、同時期1930年代のカウント・ベイシー楽団の楽曲にファンク・フィーリングを感じたってちっともオカシくなんかないじゃないか。

 

 

ご存知の通り戦前のベイシー楽団はブルーズ・ナンバーばっかりの、いわばブルーズ・バンドであって、しかもそのリズムは強く跳ねて(ジャンプして)いて、さらにベイシーの弾くピアノ・イントロや間奏などでは明確にブギウギのパターンが聴けるものが多い。要はジャンプだ。

 

 

ブギウギのリズム・パターンはそのままロック・ビートの土台にもなっているんだけど、こういったブルーズ・ベースの跳ねるビートこそが1960年代末からのファンク・ミュージックのルーツに間違いない。やや遠いかもしれないが直系の祖先だ。ブルーズとファンクは祖父と孫みたいなものなんだよね。

 

 

現にファンクをやるブルーズマンはジェイムズ・コットンやロウエル・フルスンの例を出さなくても多いし、逆にファンカーがブルーズ・ナンバーを歌うことだって多い。ファンクの権化みたいなジェイムズ・ブラウンに3コードのブルーズ曲は多いとは言えないが、それでもまあまああるし、R&Bナンバーならキャリアの最初からたくさんあるよね。

 

 

R&Bとブルーズなんてなにも違わないもんね。こんなの別に僕が強調しなくたってみんな分っていることで、ブルーズ〜R&B〜ソウル〜ファンクは全てあまり違わない音楽だ。するとだよ、この手の音楽性を明確に音で示した最初は誰か?と探すと1930年代のカウント・ベイシー楽団になっちゃうんだなあ。

 

 

それにいろんなアレンジャーを使って複雑なアレンジもこなした戦後ベイシーと違って、1930年代の同楽団は以前強調したように(https://hisashitoshima.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-19e8.html)アンサンブル部分はシンプルなリフの反復ばっかりで、同一パターン反復というファンクの手法に酷似しているんだよね。

 

 

う〜ん、やっぱりあんまり説得力のある文章にはなってないなあ。しょうがない、僕の筆力なんてこんなものでしかない。とにかく戦前ベイシー楽団のファンはファンクを、ファンクのファンは戦前ベイシー楽団を聴いてほしい。どっちかだけというんじゃなく両方聴いた方がきっともっと面白い!

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