ビリー・ジョエルのレゲエやラテン
ビリー・ジョエルにレゲエ・ナンバーがあるのかと言われそうだけど、あるんだなあ、一曲だけ。1976年の『ターンズタイルズ』A面三曲目の「オール・ユー・ワナ・ドゥー・イズ・ダンス」がそれ。聴いていただければすぐ分っていただけるはずだ。
どうだろう?完全にレゲエじゃないだろうか?エレキ・ギターが刻むリズムがそうだし、その他サウンドがジャマイカ風だよね。しかも間奏部やエンディング部その他各所でスティール・パンにちょっと似た音が聞えるよね。もちろんスティール・パンではなくシンセサイザーだろう。
またティンバレスみたいな打楽器も入って、そのリズム・パターンはかすかにサルサっぽい雰囲気もあるし、なんじゃこりゃ、面白いじゃないか。正直言って僕はわりと最近までこれに気が付いていなかった。『ターンズタイルズ』では代表曲「ニューヨークの想い」こそが一番好きだったからなあ。
あとはアルバム一曲目の「セイ・グッバイ・トゥ・ハリウッド」が、ドラムスではじまる例の「ビー・マイ・ベイビー」で聴けるフィル・スペクター・サウンドそのまんまで、これも大好きだった。これら二曲以外はあまり聴き所がないなあと思っていた。
『ターンズタイルズ』は邦題が『ニューヨーク物語』。まだフィル・ラモーンと出会う前の作品で、商業的には成功したとは言い難い。そのプロデューサーと組んで大成功した『ザ・ストレンジャー』以後のビリー・ジョエルは非常によく知られているはずだけど、それ以前のはイマイチな評価だろう。
だからビリー・ジョエル自身も大成功して後、ブレイク前の優れた楽曲ばかりをライヴ・テイクからチョイスしたアルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』をリリースしている。1980年録音翌81年リリースの初ライヴ・アルバムなのに、収録曲はどれもこれも全部成功前76年までのものばかり。
だけどそれにも「オール・ユー・ワナ・ドゥー・イズ・ダンス」は収録されていない。こんな面白いカリブ風音楽をビリー・ジョエルがやっていたなんて、ちょっとした驚きだ。これに最近気が付いてビリー・ジョエルのアルバムをリリース順に聴直してみたら、ラテン風なものが結構あるんだなあ。
はっきりとしたカリブ〜ラテン風楽曲は、やはり『ターンズタイルズ』の「オール・ユー・ワナ・ドゥー・イズ・ダンス」が初。その後1978年の『ニューヨーク52番街』にはB面に「ロザリンダの瞳」がある。これも完全にラテンな雰囲気横溢だなあ。
お聴きになればお分りの通り、リズムやサウンドがカリブ風というかキューバン・スタイルじゃないだろうか?ここでマリンバを叩いているのはジャズ〜フュージョン系のリスナーにはお馴染みマイク・マイニエリだ。またナイロン弦のアクースティック・ギターも聞えるが、それはヒュー・マクラケン。
「ロザリンダの瞳」の歌詞には「スパニッシュ・パート・オヴ・タウン」とか「クレイジー・ラテン」とか「オー、ハバナ」とか「キューバン・スカイ」とか「セニョリータ」とか「プエルトリカン・バンド」とか、そんなフレーズが散りばめられているのも面白い。そもそもこの歌詞はニューヨークの貧民街スパニッシュ地区のことだ。
しかしロザリンダってのは誰のことなんだろう?ビリー・ジョエルの母親の名がロザリンドだから、この母親のことなんだろうか?歌詞を聴いてもそんな雰囲気だ。でも母ロザリンドはスペイン系でもヒスパニック(は元来スペイン系の意味だが、アメリカ合衆国では通常中南米系を指す)でもないし、息子ビリーもスパニッシュ地区で生れ育ったわけではない。
だから母親の名に似た女性名を曲名や歌詞に織込んで歌い、さらにそのなかにラテン風フレーズを散りばめ、そしてリズムやサウンドを完全にカリブ〜ラテン音楽にしたビリー・ジョエルが、どうしてこんな曲を創ったのかは僕には分らない。ただ単に面白い曲だな、ラテンだなと思って聴くだけなんだよなあ。
また次作1980年の『グラス・ハウジズ』にA面三曲目に「ドント・アスク・ミー・ワイ」という曲がある。はっきりとクラベスの音が聞え、それが明確に3−2クラーベを刻んでいるし、アクースティック・ギターの刻みもクラーベなニュアンスだよね。
間奏のピアノ・ソロがこれまたキューバン・スタイルだけど、これはビリー・ジョエル自身が弾いているはず。こんなピアノ弾くんだなあ。大学生の頃に聴いていたはずなのに、当時は全く気付いていなかった。愛聴盤だったのになあ。大学生の頃と言わずわりと最近まで全く意識すらしていなかったもんね。
キューバン・ミュージックな3−2クラーベのリズムといえば、次作1982年の『ザ・ナイロン・カーテン』(これはラテン風楽曲は一つもないシリアスな社会派作品)を挟んでの83年『アン・イノセント・マン』にも、B面ラストに「キーピング・ザ・フェイス」がある。これもラテン。
エレキ・ギターのカッティングとドラムスが叩出すリズムが3−2クラーベのパターンだよね。ジャズ系の人が大挙して参加しているホーン・セクションが入れるリフもラテン音楽風。特にスタッカートで吹くあたりがそうだ。
この「キーピング・ザ・フェイス」の歌詞にも「キューバン」というフレーズが何度も出てくる。ビリー・ジョエルの楽曲ではっきりとしたカリブ〜ラテンと言える楽曲は以上で全部のはずだ。僕は長年そんな音楽性の持主だと気付いていなかったもんだから新鮮で、ちょっと驚いて、そして凄く嬉しい気持なのだ。
そう思ってデビュー・アルバムまで遡って聴直してみたら、カリブ〜ラテンではないもののアメリカ南部風なサウンドは結構ある。はっきり言うとラグタイムのピアノ・スタイルだ。それはコロンビアとの契約前にインディ・レーベルからリリースされ即廃盤になったデビュー作から既にはっきりと存在する。
1971年のそのデビュー・アルバム『コールド・スプリング・ハーバー』のA面三曲目「エヴリバディ・ラヴズ・ユー・ナウ」で聴けるピアノがラグタイム風なんだなあ。こういうピアノの弾き方はアメリカ大衆音楽ではごく普通の当り前のものだけどね。
ラグタイムといえば、ロサンジェルス時代の二作目1974年の『ストリートライフ・セレネイド』のA面四曲目にピアノ・インストルメンタルの「ルート・ビア・ラグ」があるよね。最近のライヴでも披露していて、YouTube にも上がっている。これはオリジナル・ヴァージョン。
ピアノ独奏ではなくドラムスとエレベの伴奏付きで、さらにちょっぴりエレキ・ギターやシンセサイザーの音なども聞えるけれど、ピアノのスタイルは完全にラグタイムだ。いまさら指摘するまでもなく19世紀後半〜20世紀初頭のラグタイムは、その後のアメリカ・ピアノ音楽のルーツで基本中の基本だ。
だから1970年年代のビリー・ジョエルがラグタイム・スタイルのピアノを弾いても、その事実そのものは特筆すべきことではない。しかし例えばコロンビア移籍後第一作73年の『ピアノ・マン』一曲目「トラヴェリン・プレイヤー」はどうだろうか。
これはピアノの弾き方がラグタイム風であるだけでなく、曲全体のバンドのサウンドがアメリカ南部のカントリー・サウンドなんだよね。途中からバンジョーがタカタカ刻んでいるし、その後フィドルだって入る。ドラムスはブラシしか使っていない。ペダル・スティール・ギターは入れにくい曲調だ。
この手のアメリカ南西部風サウンドは、1976年にニューヨークに戻ってきて翌年にフィル・ラモーンとタッグを組始める前までのビリー・ジョエルの楽曲にはまあまああって、探すと結構見つかる。そしてそれはニューヨーク帰還後は消えてしまう。しかしそれが今度はラテン風に姿を変えたとも言えるのかも。
アメリカ南部音楽がカリブ〜ラテン音楽と密接な関係があることは言うまでもない。大ブレイク前のビリー・ジョエルにラグタイム〜カントリー風南部サウンドがあって、それがその後「オール・ユー・ワナ・ドゥー・イズ・ダンス」のレゲエをきっかけにラテン風に変化した、というか先祖帰りしたんだなあ。
こう考えてくると、今まで都会風で洗練されたAOR風ポップ・シンガーのイメージしか僕は持っていなかったビリー・ジョエルに対する見方もちょっと変ってきちゃう。やはりなんだかんだ言ってもアメリカ・ポピュラー・ミュージックの世界の人、やはり南部〜カリブ〜ラテンは抜きがたいってことだなあ。
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