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2016/07/26

黒いザヴィヌルをやる真っ黒けなキャノンボール

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既にみなさんご存知の通りジョー・ザヴィヌルという音楽家に対する僕の評価はかなり高い。中村とうようさんはじめ『ミュージック・マガジン』界隈やその読者層など一部には評判が悪く、特に一時期のウェザー・リポートなんかとうようさんも評価しなかったし、ファンでもボロカスに言う人が結構いた。

 

 

ウェザー・リポート時代についてはそういう声も理解できないでもないというかしょうがないのかなという気もするんだけど、その前のキャノンボール・アダリー・バンド時代のザヴィヌルに関しては、そういう方々はどう聴いているだろうなあ?とうようさんの意見を一度読んでみたかった。

 

 

オーストリアはウィーン生れのザヴィヌルがアメリカに移住したのが1959年。すぐにメイナード・ファーガスンのバンドに参加して、その時期既に後にウェザー・リポートを結成するウェイン・ショーターと出会っている。その後61年までダイナ・ワシントンの伴奏者として録音やツアーに参加。

 

 

ダイナみたいなブルーズ歌手の歌伴キャリアが既にあったということが、この当時からザヴィヌルがどんなピアノを弾いていたのかもうだいたい想像できちゃうんだけど、ダイナのもとを去り1961年にキャノンボール・アダリーのバンドにレギュラー参加したのがザヴィヌルの本格的な出発点だろう。

 

 

1961〜70年というキャノンボール時代のザヴィヌルのピアノやフェンダー・ローズが大好きな僕。そしてボスのキャノンボールとしても自身のバンドの頂点がその頃、特に60年代末頃だったと僕は考えている。この時期ザヴィヌルはバンドで鍵盤楽器を弾くだけでなく作曲面でも大きな貢献をしている。

 

 

いい曲がたくさんあるんだけど、CDアルバム一枚にコンパクトにそれがまとまっている編集盤がある。『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』という2004年リリースのキャピトル盤。これの選曲・編集者が他ならぬザヴィヌル本人なのだ。全九曲計一時間と少しの最高のコンピレイション。

 

 

ザヴィヌルは2009年に亡くなっているので晩年の仕事だなあ。この時期は自身のソロ活動と並行してウェザー・リポート時代の未発表ライヴ音源のリイシューなどもやっていた。しかしキャノンボール時代の自分の作品をCD一枚にコンパイルするという仕事をしていたことは、僕は数年前まで知らなかった。

 

 

『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』全九曲のうち一番録音が古いのは五曲目の「ワン・マンズ・ドリーム」で1961年の『ナンシー・ウィルスン〜キャノンボール・アダリー』から。これはファンキーだけど普通のハード・バップ・ジャズだ。アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズに少し似ている。

 

 

「ワン・マンズ・ドリーム」はビートも普通の4/4拍子で楽器も全部アクースティック。キャノンボールのアルト、実弟で生涯のコンビだったナット・アダリーのコルネット、そしてザヴィヌルのピアノとソロが続く。1961年だとキャノンボールもまだこういう普通のハード・バップをやっていた。

 

 

「ワン・マンズ・ドリーム」で聴けるザヴィヌルのピアノ・スタイルはホレス・パーランとかボビー・ティモンズみたいなファンキーな黒人ジャズ・ピアニストによく似ている。渡米後まだ二年しか経っていないのに既にこのフィーリングを出せたということは、元々そういう資質の音楽家なんだろう。

 

 

それに続くのが三曲目の「ミスティファイド(aka エンジェル・フェイス)」で1965年録音の『ドミネイション』から。この作品はキャノンボールのいつものクインテットに加え、オリヴァー・ネルスン編曲・指揮のオーケストラが参加している。そしてこのザヴィヌルの曲はボサ・ノーヴァなのだ。

 

 

 

キャノンボールは1962年に『キャノンボールズ・ボサ・ノーヴァ』というボサ・ノーヴァ曲集を出しているよね。アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン・ジルベルトやセルジオ・メンデスなどの曲をやっていて、そのピアノはザヴィヌルではない。

 

 

1962年なら時代の潮流に乗ったってことだろうなあ。そしてレギュラー・ピアニストのザヴィヌルも、おそらくはそういう流れを意識して65年に「ミスティファイド」みたいな曲を書いたんだろう。ザヴィヌルがボサ・ノーヴァに色気を出すというのは珍しい。生涯で他には一つもないんじゃないかなあ。

 

 

しかしキャノンボール時代のザヴィヌルが本当に面白くなるのはそのもうちょっと後のことで、編集盤『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』なら六曲目「ヒポデルフィア」と八曲目「マーシー、マーシー、マーシー」がピックアップされている1966年のライヴ盤『マーシー、マーシー、マーシー』からだね。

 

 

アルバムの正式タイトルは『マーシー、マーシー、マーシー:ライヴ・アット・”ザ・クラブ”』。しかしこれはアルバム収録の六曲全てがライヴ録音ではない。ロサンジェルスのキャピトル・スタジオでの録音も混じっていて、『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』収録の「ヒポデルフィア」も同スタジオ録音。

 

 

「ヒポデルフィア」含め『マーシー、マーシー、マーシー』のほぼ全ての曲でザヴィヌルもまだアクースティック・ピアノを弾くのだが、一曲だけフェンダー・ローズを弾いているのが、キャノンボール時代のザヴィヌル・ナンバーでは最有名曲に違いない「マーシー、マーシー、マーシー」だ。超ファンキー。

 

 

 

どうだろう?こんなにファンキーでアーシーな曲をオーストリアはウィーン生れでクラシック音楽の教育を受けた白人が書いたとは到底思えないね。完全にゴスペル・ナンバーじゃないか。聞えてくるライヴ収録の雰囲気も教会での儀式みたいだしなあ。

 

 

この「マーシー、マーシー、マーシー」を書いて弾いた1966年は、おそらくザヴィヌルがフェンダー・ローズという楽器を弾いた最初だったかもしれない。そして多くのジャズ畑の音楽家がこの楽器の音を耳にした最初だったかも。キャノンボールのかつてのボス、マイルス・デイヴィスもそうだったようだ。

 

 

マイルスはキャノンボールのバンドでザヴィヌルが弾くのを聴いて初めてフェンダー・ローズという楽器を知り、実際の現場で耳にしたいとわざわざメキシコ・シティでのキャノンボール・クインテットのライヴまで足を運んだのだった。ところがその夜は現場の電源トラブルで電気楽器が使えなかったという笑い話。

 

 

それでマイルスは「コンチクショー、オレがこの楽器を聴きたいとわざわざこんな辺鄙な場所にまで来てやったというのに、なんてこった!」と地団駄踏んで悔しがったらしいよ。それくらいこの1966〜67年あたりからマイルス含めジャズメンの多くがフェンダー・ローズという楽器に興味を示すようになった。

 

 

マイルスが自分のバンドでの録音でフェンダー・ローズを使ったのは1968/5/17録音の「スタッフ」(『マイルス・イン・ザ・スカイ』)が初。その時スタジオ入りしたハービー・ハンコックはピアノの横に置いてあるそれを見て、なんだこりゃ?オレはこれを弾くのか?とかなり不思議な気分だったらしい。

 

 

その後マイルスは死ぬまで電気・電子鍵盤楽器を使い続けたので、そのきっかけを作ったのは他ならぬキャノンボール時代のザヴィヌルだったことになるよね。マイルスだけでなく多くのジャズ畑の音楽家が電気鍵盤楽器を使いはじめるのもザヴィヌルがやった1966年以後の話だ。全部ザヴィヌルが犯人なのだ。

 

 

それにしても曲名も曲調もなにもかもゴスペル・ナンバーにしか聞えないザヴィヌルの「マーシー、マーシー、マーシー」がまるでその通りの教会儀式みたいだと書いたけれど、まさしく文字通り教会でライヴ録音されたキャノンボールのアルバムがある。1969年の『カントリー・プリーチャー』がそれだ。

 

 

オペレイション・ブレッドバスケットというものがあって、アメリカの黒人コミュニティの経済状況を向上させる目的で1962年にはじまった組織活動。一種の互助会みたいなもんかなあ。60年代後半におけるこの活動の中心人物がジェシー・ジャクスン。『カントリー・プリーチャー』はそのオペレイション・ブレッドバスケットの教会における集会でのライヴだ。

 

 

そしてアルバム冒頭でジェシー・ジャクスンがスピーチをしていて、しかもアルバム二曲目のタイトル曲「カントリー・プリーチャー」を書きフェンダー・ローズを弾くのもこれまたジョー・ザヴィヌルなのだ。曲名はジェシー・ジャクスンのこと。

 

 

 

これまた真っ黒けなゴスペル・ナンバーだ。欧州白人のジョー・ザヴィヌルが書いて弾いているんだからねえ。しかしキャノンボール・バンド時代では「マーシー、マーシー、マーシー」と並ぶ自身の最高傑作曲を、ザヴィヌルはどうして『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』に入れなかったんだろうなあ。不思議だ。

 

 

『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』で面白いのがラスト10曲目の「ドクター・ホノリズ・コウザ」だ。これは1971年録音のライヴ盤『ザ・ブラック・メサイア』からの曲なので、ザヴィヌルはもうキャノンボールのバンドには在籍していない時期。70年録音のソロ作『ザヴィヌル』収録曲だ。

 

 

その後ウェザー・リポート時代にもライヴで繰返し演奏・録音しているので、このバンドの公式アルバムにも『ライヴ・イン・トーキョー』収録のと『ライヴ&アンリリースト』収録のと二つのヴァージョンがある。そんなザヴィヌル独立後の曲をかつてのボスだったキャノンボールが自分のバンドでやったわけだ。

 

 

これがカッコイイんだ。ザヴィヌルの『ザヴィヌル』収録のやウェザー・リポートの種々のライヴ・ヴァージョンではそれほどでもないのに、ボスだったキャノンボールのライヴ演奏での「ドクター・ホノリズ・コウザ」はこの上ないジャズ・ファンクに仕上っている。エレピを弾くのはジョージ・デューク。

 

 

 

この自分が演奏には参加していない『ザ・ブラック・メサイア』からの自分の曲を『キャノンボール・プレイズ・ザヴィヌル』に入れたコンパイラーであるザヴィヌルの選曲は見事。ジョージ・デュークの真っ黒けなエレピといい、ロイ・マッカーディーのグルーヴィーなドラミングといい、アイアート・モレイラのパーカッションといいタマラン。

 

 

キャノンボールの『ザ・ブラック・メサイア』は本当に面白い二枚組ライヴ・アルバムで、このサックス奏者を普通のジャズマンだとしか思っていないジャズ・リスナーはビックリ仰天し腹を立てそう。チャック・ベリー風ブギウギなギター・リフが出るロックンロールがあったりして、僕には最高なんだよね。

 

 

そんな『ザ・ブラック・メサイア』をやった1971年のキャノンボールと、そのなかで自分の曲を一つ採り上げられているジョー・ザヴィヌルと、そしてその双方に深く関わっていた同時期のマイルス・デイヴィスとハービー・ハンコックとか、そのあたりの話は際限なくなってしまうのでまたの機会に。

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