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2016/07/02

バイオーンを歌う東京娘

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バイオーンというブラジル音楽があって、間違いなくルイス・ゴンザーガが最も有名な音楽家。歌手でアコーディオン奏者の彼が、元々ブラジル北東部バイーア地方発祥らしいこの種の音楽を新しいダンス・ミュージックとして創り上げたのが第二次大戦終了直後あたりのこと。

 

 

1950年代に入るとバイオーンは世界的に流行するようになって、かのパーシー・フェイス楽団ですら「デリカード」というバイオーン・リズムの曲(ヴァルジール・アゼヴェードの書いた曲だけど)を録音したのがヒットしたり映画音楽に使われたりして有名になった。

 

 

そのバイオーンをいち早く採り入れてバイオーン歌謡みたいなものを歌った日本人歌手がいる。熱心なファンもいらっしゃるはずの生田恵子こそがその人だ。生田恵子、しかし一般的には今ではいったいどれくらいの方が憶えているのだろうか?昭和20年代後半あたりの歌謡曲に興味のあるファンだけかもしれないなあ。

 

 

もちろん僕だって偉そうなことは全然言えない。日本ビクターエンターテイメントが1999年にリイシューしたCD『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』が出るまで名前を聞いたことすら全くなかったんだから。当然生田恵子の歌を全く一つも知らなかった。僕の生まれる前に活動した歌手だしね。

 

 

名前すら全く知らなかった歌手の『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』をどうして買ったのかというと、『ミュージック・マガジン』で中村とうようさんがディスク・レヴューを書いていて、そのなかで生田恵子をかなり褒めてあったからだ。しかしこの事実を僕は完全に忘れてしまっていた。

 

 

思いだしたのはなぜかというと、『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』CDを久しぶりに引っ張り出してきて、聴きながらブックレットを読もうと思って出してめくってみたら、そのなかに前述のとうようさんのディスク・レヴューの切抜きが挟んであったからだった。僕は時々これをやるんだよね。

 

 

洋楽ものでも日本盤だとライナーノーツが付いてくることもあるけれど、ライスとかディスコロヒアみたいなそれでしか買えないリイシューものを除けば、僕は多くの場合輸入盤(大抵は本国盤)を買うので、その場合全く解説文がない場合もあるから、日本語か英語の紹介記事やレヴューがあれば切抜いてパッケージに挟むことがある。

 

 

しかし『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』の場合は田中勝則さんが書いたかなり詳しい、というかおそらく生田恵子についてこれだけ詳しくまとまった文章は他に一個もないはずというブックレットが附属しているのに、どうしてとうようさんの記事を切抜いたんだろう?

 

 

そのあたりはもう全然憶えていないんだけど、とにかくその『ミュージック・マガジン』でのとうようさんのディスク・レヴュー切抜きが挟んであるのが出てきたので、それで間違いなくそれを読んで興味を持って『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』を買ったんだねと思い出したという次第。

 

 

アルバム・タイトルで分る通り1951〜56年の生田恵子の、どれもこれもリズムが活発な、なんというかリズム歌謡(のなかに生田恵子が入っているのは見たことないが)みたいなものばかり全24曲並んでいる。そしてその冒頭の1951年録音の三曲はなんとブラジル現地録音なんだよね。日本人がブラジルに渡り現地の音楽家と共演録音した初だ。

 

 

そもそもバイオーンと言わずなにと言わずブラジル音楽が日本で本格的に愛好されるようになったのは1970年代に入ってからのことで、ましてや日本人歌手がブラジルで録音するなんてのは80年代末頃からの話だ。生田恵子のブラジル録音は1951年だからねえ。そもそも渡航自体苦労があったはずだ。

 

 

しかもバイオーンは1940年代後半に成立した音楽なんだから、それを外国人歌手が1951年に歌うなんてのは間違いなく世界初の例だろう。さらに『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』冒頭三曲ブラジル録音のうち二曲は、ルイス・ゴンザーガの書いたオリジナル曲なんだよね。

 

 

さらにブックレット解説文の田中勝則さんによれば、生田恵子のそれら三曲のブラジル録音の際、ルイス・ゴンザーガその人がスタジオを訪れて歌唱指導し、録音後に生田恵子に「なかなか良かったよ」と言ったんだそうだ。これ、1951年の話だからね。しかし彼女はどうしてバイオーンを歌ったんだろうなあ。

 

 

生田恵子のブラジル録音三曲は「バイヨン踊り」「復讐」「パライーバ」。最初の "Baião de dois" と最後の" Paraíba" がルイス・ゴンザーガの曲。「復讐」(Vingança)はルピシニオ・ロドリゲス作曲のサンバ・カンソーンだ。これら三曲はアルバムのなかでも異常に素晴しい。

 

 

とにかくその一曲目の「バイヨン踊り」を聴いていただこう。伴奏も本当に素晴しいんだど、それはレジオナール・ド・カニョート。当時ブラジルでも最高のショーロ・バンドの一つだったもんね。アコーディオンがゴンザーガだったら最高だったんだけど。

 

 

 

「復讐」は YouTube に上がっていないんだけど、「パライーバ」はあるからそれも貼っておこう。「バイヨン踊り」とこの「パライーバ」、バンドの演奏の素晴しさは言うまでもないけれど、生田恵子のヴォーカルだって負けていない一級品だよね。

 

 

 

さすがルイス・ゴンザーガが直接指導したというだけある素晴しい歌のノリだ。1951年時点でブラジル音楽をこれだけリズム感よく歌えた日本人歌手は間違いなく生田恵子ただ一人。いや世界中探したって51年ならブラジル国外には一人も存在しなかったんじゃないかなあ。

 

 

生田恵子のブラジル録音はそれら三曲だけで、それが『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』のトップに並んでいる。四曲目からは日本帰国後の1952年の東京録音になる。そのトップ四曲目が「バイヨン踊り」の再演。伴奏は当然日本人演奏家で、ビクターの専属オーケストラだ。なかなか悪くない。

 

 

悪くないどころか1952年時点で、ルイス・ゴンザーガが書いたブラジル音楽のノリを日本人がよくここまで表現できたもんだと感心できる演奏ぶりだ(YouTubeには上がっていない)。前年51年のブラジル録音ヴァージョンとは歌詞が全面的に書換えられている。それを歌う生田恵子の歌もいい。

 

 

しかしながら1951年ブラジル録音の「バイヨン踊り」が現地の最高のショーロ・バンドを起用してルイス・ゴンザーガ指導のもとで録音されたものだから、上で貼ったのをお聴きになればお分りの通り、バイオーンの猛烈なグルーヴを表現していて、だからそれと比較することはできないよなあ。

 

 

生田恵子は1952年から様々なブラジル〜ラテン音楽をベースにしたような歌謡曲を歌っていて、それが『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』に収録されている。「東京バイヨン」「リオから来た女」「恋の花咲くサンパウロ」「陽気なバイヨン娘」「キャリオカ娘」なんていう曲名ばかり。

 

 

あるいは「銀座マンボ」「ちゃっきりマンボ」「マンボ香港」みたいな曲名とか、「東京ボレロ」だとか「セビリア港」だとか、そんないろんなラテン音楽風な曲名ばっかりだし、聴いてみてもやはりそんなブラジル〜ラテンなリズムと曲調なんだよね。それらを生田恵子の超一品のリズム感で聴かせてくれる。

 

 

18曲目の「セビリア娘」では、セビリア(セビージャ)というだけあってナイロン弦(あるいは当時ならガットか?)のスパニッシュ・ギターをかき鳴らす音に乗せて歌う、伴奏がギターだけという一曲。また19曲目の「東京ボレロ」はリズム・パターンがモーリス・ラヴェルの「ボレロ」そのまんまだ。

 

 

29曲目の「会津磐梯サンバ」は服部良一の作曲で1954年録音。日本民謡「会津磐梯山」をモチーフに、それを洋楽風(この場合サンバ)に仕立て上げるという服部良一お得意の書法。歌詞のなかで後半「小原庄助さん、なんでサンバ踊った?」なんていうのが出てきて面白くて笑っちゃう。

 

 

曲名も曲調も歌詞内容も全部ブラジル〜ラテンなリズム歌謡ばかりの『東京バイヨン娘〜生田恵子 1951〜1956』。まどろっこしいところのないキッパリ、サッパリして軽快な歌い口、当時の日本人歌手ではこれ以上の人は美空ひばりだけだっただろうというような抜群のリズム感。素晴しい歌手だ。

 

 

生田恵子なんて日本の歌謡曲ファンや研究家の間でも殆ど話題に上がらず注目もされず、今では忘れられているんじゃないかと思うけど、再発見してCDリイシューにまで漕ぎ着けたのは田中勝則さんほか洋楽関係者の尽力だったんだよね。1951〜56年の録音集だから生田恵子が歌ったのは戦後復興期だ。

 

 

そんな時期にこれだけ明るくてリズムのノリの見事に素晴しい女性歌手がいたってことに、もうちょっと注目してもいいんじゃないかなあ。具体的な名前は出さないが戦前から活躍する人でリズム感が悪くて気持悪い大御所的歌手(男女とも)ばかりが今でも評価されて、生田恵子みたいな歌手がサッパリ注目されないのはどうしてなんだ?

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