黒くて濃密なアルセニオの世界
キューバの音楽家アルセニオ・ロドリゲスの録音集では、同国のトゥンバオが2007年にリリースした『エル・アルマ・デ・クーバ』(訳せば『キューバの魂』)というCD六枚組が決定盤だと思うんだけど、いつもいつもそんな大きなものは聴きにくいよねえ。僕もそんな何回もは聴いていない。
『エル・アルマ・デ・クーバ』をCDで熱心に聴いたのは買った当初に三回ほどで、その後はMacのiTunesに取込んで、六枚全部計七時間超を流し聴きすることばかり。普段CDでいつも聴くのはこれではなく、日本のライスが2002年にリリースした『ソン・モントゥーノの王様』だ。
アルセニオ・ロドリゲスのライス盤アンソロジー『ソン・モントゥーノの王様』をコンパイルしたのは、やはりこれも田中勝則さんで、海外の主にワールド・ミュージック系の面白い音源をライスやその後ディスコロヒアからどんどんリリースしてくれる田中勝則さんにはお世話になってばかりで、感謝の言葉しかない。
中村とうようさんが盛んにやっていたこの手の仕事の衣鉢を継いでいるのはやはり田中勝則さんだなあ。音楽批評・ライターさんのなかにはとうようさんの後継的な方が何人かいらっしゃるけれども、日本にあまり紹介されていない音楽をCDにコンパイルしリリースする仕事に関しては、田中勝則さんが一番かも。
田中勝則さんが編纂してライスやディスコロヒアからリリースしてくれている音楽CDアルバムは面白いものばっかり。僕はリリースされると全部即買いと決めている。どれもこれも本当に楽しくてためになるし、僕みたいな他力本願の甘ったれ素人リスナーは、そういうもので教えていただくことばっかり。
アルセニオ・ロドリゲスに関しても、ライス盤『ソン・モントゥーノの王様』はトゥンバオ盤六枚組『エル・アルマ・デ・クーバ』の五年も前にリリースされているから、僕はもっぱらこのライス盤でアルセニオを楽しんできたし、それは前述の通りトゥンバオ盤六枚組のリリース後だって同じなんだよね。
アルセニオの初録音は1940年でキューバのビクトルへのもの。初渡米が47年。ニューヨークで本格的に腰を据えて活動するようになったのが52年で、その後は1970年にカリフォルニアで亡くなるまでアメリカで録音しLPを何枚も残しているし、CDにもなっている。
渡米後のアルセニオ楽団のサウンドもいいんだけど、やっぱりキューバ時代の録音をたくさん聴きたかったんだなあ。僕の場合本格的にはやはり前述のトゥンバオ盤六枚組でそれをたくさん聴けたわけだけど、同じように録音順に収録されているライス盤の場合、全22曲中18曲目までがキューバのハバナ録音だ。
なおトゥンバオ盤六枚組では、六枚目の9〜12曲目が1955年ニューヨーク録音である以外は、150曲近い収録曲の全てがハバナ録音。非常に詳しい厚手ブックレットにディスコグラフィーが附属しているので助かる。それとは別個に80ページ近いスペイン語の解説文がある。
その80ページ近いブックレットには英語による解説文も付いていて、それはスペイン語原文を英訳したものではなくオリジナル解説文で、質量ともにそれより充実しているスペイン語解説文と併せれば、アルセニオ・ロドリゲスの生涯と音楽についてここまで詳しい文章は、僕は見たことがない。
そんなことはともかくライス盤『ソン・モントゥーノの王様』。書いたように全22曲が録音順に収録されているので、アルセニオ・ミュージックの変遷が非常に分りやすい。一曲目の「ルンバに恋をした」は1940年アルセニオの初録音SPのB面曲。だからトゥンバオ盤ボックスではA面曲に続く二曲目。
この「ルンバに恋をした」は後年の濃厚なソン・モントゥーノのアルセニオを知っているとやや意外な感じがする。ソンじゃないもんなあ。トゥンバオ盤ディスコグラフィーでは “Afro” というジャンル名が記載されている。直後からボレーロ・ソンとかソン・モントゥーノとかが多くなる。
しかしこのアフロというのはいわゆるアフロ・キューバンでも黒人音楽でもない。北米合衆国でのミンストレル・ショウみたいに白人が黒人の真似をする音楽芝居で使われるために白人が書いたという、いわばインチキ・アフロなのだ。しかしながらアルセニオの手にかかると黒っぽくなるから不思議だ。
ライス盤でアルセニオらしいソン・モントゥーノが聴けるのは四曲目の「エル・バーロ・ティエネ・クルヘイ」からだ。これは1943年録音のアルセニオ初のソン・モントゥーノ。ここからがこのCDの聴き所だろう。みなさんご存知の通りそれまでのソンにはギアとモントゥーノという2パートがある。
いまさらな当り前の知識だけど、この文章を読む方のなかに万が一ご存知ない方がいらっしゃるかもと思い書いておくと、1920年代が全盛期のソン楽曲の2パート。前半部分であるギアは旧宗主国スペインからの影響があるメロディアスな楽曲。後半のモントゥーノはコール・アンド・リスポンスの反復。
つまりソンの後半コール・アンド・リスポンスの反復であるモントゥーノは、前半のギアがスペイン白人文化的なものなのに対し、言ってみればアフリカ文化的なものでリズム重視。僕みたいな音楽ファンにはヨーロッパ白人的部分とアフリカ黒人的部分が絶妙なバランスで合体融合した1920年代のソンが最高に魅力的なんだ。
だけれどもそこからヨーロッパ白人的部分を除去して、真っ黒けな音楽にしたアルセニオのソン・モントゥーノは、熱烈な黒人音楽マニア、言ってみれば汗臭い(すなわち言葉本来の意味でファンキーな)音楽をこそ愛するファンにはこれ以上ないキューバ音楽であるはずだ。古いソンの方が好きな僕ももちろん好き。
そんな真っ黒けでハードでタイトで濃厚なソン・モントゥーノを開発したアルセニオは、同時にボレーロもたくさん録音している。トゥンバオ盤ディスコグラフィーにも「ボレーロ」とジャンル名が記載されているものがかなりある。ライス盤五曲目の「ニッケの花」もそう。甘いラヴ・ソングなんだよね。
またライス盤10曲目の「孤独」もボレーロだ。正直に告白すると、僕はあまりにハードすぎるように聞えるアルセニオのソン・モントゥーノも大好きではあるものの、こういったスウィートなボレーロの方がもっと好きだったりする。まあ甘ちゃんリスナーだから。そうは言ってアルセニオのボレーロはかなり濃厚な味わいではある。
そんなアルセニオが書いて演奏したボレーロの最高傑作がライス盤13曲目の「人生は夢のよう」だね。1948年録音。リリ・マルティネスのリリカルなピアノもいいし、リード・ヴォーカルを取る甥レネ・スクールもいい。そしてこの48〜50年頃のハバナ録音がアルセニオの全盛期だろう。
その時期の録音はライス盤では13〜18曲目。どれもこれも濃厚で真っ黒けで、その音の濃密さは間違いなくキューバ音楽史上ベスト・ワンだなあ。なかでも僕が一番好きなのが15曲目の「俺のために泣かないで」。楽団のリリ・マルティネスが書いた短調のスパニッシュ・スケールを使った哀愁のメロディ。
ソンからコール&リスポンスの反復部分だけを取りだしてギュッと濃厚に凝縮したみたいなアルセニオの真っ黒けなソン・モントゥーノと、それと同時並行で(SP盤の両面収録のようにして)やっていた甘くてしかし濃密なバラードであるボレーロ。これら二つを合体させたようなグァグァンコーもまたいい。
こんな音楽家はキューバ国内にいないし、キューバ国外にも殆ど見つからない。僕が連想するのはデューク・エリントン楽団だけだなあ。エリントンの濃密で真っ黒けでエキゾティックなジャングル・サウンドとスウィートでメロウな印象派風バラード。アルセニオの楽団によく似ているじゃないか。
エリントンがその全盛期1940年前後に真っ黒けなジャングル・サウンドと西洋白人的印象派な作風を見事に合体させて大傑作群を創っていたことと、アルセニオが40年代末〜50年代頭にソン・モントゥーノとボレーロを合体させてグァグァンコーを創っていたことは、僕にはなにか通底するものがあるように思えてならない。
黒くて濃密なサウンドを聴くとなんでも「エリントンだ!」と言ってしまうのは、熱烈なエリントン・ファンの僕の悪弊ではあるけれど、しかしアルセニオの楽団全盛期の音の濃密さからエリントン楽団の全盛期を連想するのは、決して僕だけじゃないような気がする。
しかし熱心なエリントン・リスナーは世界中にそして日本にも多いけれども、そういう人でアルセニオ・ロドリゲスを熱心に聴く、ましてやトゥンバオ盤六枚組なんかを買ったりするファンって、どれくらいいるんだろう?少なくともクラシック音楽側からしか聴かないエリントン・ファンには間違いなく無理な話だね。
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