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2016/07/01

マイルスを編集するテオの腕は確かだった

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だいぶ前の話だが、1970/6/19のマイルス・デイヴィスのフィルモア金曜日、真の完全版をYouTubeにアップした。本演奏前のバンド・ウォーミング・アップが入っていないものしかなかったので。本演奏前なんかと言うなかれ。編集後の「フライデイ・マイルス」(『マイルス・アット・フィルモア』)の出だし数秒間はそのウォーミング・アップから採用されている。だからこれがないとダメ。

 

 

ついでに水曜日・木曜日・土曜日の完全ヴァージョンもアップしておいた。僕が探した範囲では、四日ともバンド・ウォーミング・アップから全部入っている「真の意味での」完全版は上がってなかった。この真の意味での完全版ブートレグが出たのは、ほんの数年前のこと。

 

 

その後2014年にレガシーから「完全版」と銘打ってその1970年6月のフィルモア四日間のフル・ヴァージョンが発売されたけど、これは冒頭のウォーミング・アップが入っていない不完全版だったので、一度聴いてそれを確かめた後は二度と聴いていない。以前も書いたけどチック・コリアとキース・ジャレットの左右チャンネル配置も逆になっているし、公式盤はダメだ。

 

 

というわけで本当の意味での完全版であるブート音源しか聴かないフィルモア完全盤なんだけど、1970年当時、ここからテオ・マセロが編集してリリースした二枚組LP『マイルス・アット・フィルモア』だけを聴いていてはなかなか分りにくかったことが、その完全盤四枚ではいろいろとよく分るのだ。

 

 

まず一番違うのがスティーヴ・グロスマンのサックス。編集後の二枚組『マイルス・アット・フィルモア』ではソプラノしか吹いていないようになっているけど、完全盤を聴くと実はテナーを吹いている時間の方が長い。これは最初に聴いた時かなり意外だった。おかげで完全盤の方はややジャジーだ。

 

 

1970年の数ヶ月しかマイルス・バンドに在籍せず、プレイが聴けるアルバムもあまりないグロスマンだけど、当時の公式盤では全部ソプラノ・サックスしか吹いていなかった。というか編集された結果そういうことになっていた。フィルモアだけでなく『ジャック・ジョンスン』でもソプラノしか聞えないし。

 

 

フィルモア金曜日の完全音源を聴いても、一曲目の「ディレクションズ」でもテナー、二曲目のチック・コリア・ナンバー「ザ・マスク」でもテナー。しかしこの二曲は『マイルス・アット・フィルモア』では全面的にカットされているので分らない。

 

 

ラストの「ビッチズ・ブルー」でもテナーを吹いているんだが、これもグロスマンのソロ部分に関してのみなぜか全面的にカット。ソプラノを吹いているのは「イッツ・アバウト・ザット・タイム」だけで、『マイルス・アット・フィルモア』金曜日にはそれしか入っていないので、ソプラノの印象になってしまう。

 

 

他の三日間も同様で、本番ではテナーを吹いている時間の方が圧倒的に長いグロスマンだけど、それは二枚組『マイルス・アット・フィルモア』には一切収録されておらず、グロスマンはソプラノ吹奏のイメージしかなかった。こうなるとテオ・マセロによるなんらかの編集意図を感じざるを得ないね。

 

 

またキース・ジャレットについても、四日間とも一曲目の「ディレクションズ」と二曲目の「ザ・マスク」の間に、オルガンによる三分ほどの即興演奏があるのだが(これをどう扱うか僕は困って、結局YouTubeでの記述では「ディレクションズ」の末尾とした)、これもばっさりカットされている。

 

 

1969年のロスト・クインテットの頃はあれだけ過激で尖ったフェンダー・ローズを弾いていたチック・コリアだけど、70年6月のフィルモアの頃になるとそれがやや影を潜めてしまい、新加入のキース・ジャレットがどっちかというと主導権を握るようになっているのが、完全盤を聴くとよく分る。

 

 

しかしそのキースのリーダーシップが分るのは、従来盤『マイルス・アット・フィルモア』金曜日では「イッツ・アバウト・ザット・タイム」終盤のプレイくらいで、それ以外はチックの方がよく弾いているように聞えてしまう。従来盤では土曜日に少しチックとキースの即興インタープレイが入っている程度。

 

 

その「サタデイ・マイルス」でのチックとキースのインタープレイだって、他の曜日の二人の絡みだって、完全盤を聴くと当日はもっと過激で凄かったのだが、従来盤二枚組ではほぼカットされているんだなあ。同年12月収録の『ライヴ・イーヴル』だってキースの弾くソロ・エレピはばっさりカットだ。

 

 

その他様々なことが完全盤を聴かないと分らないフィルモア音源だけど、じゃあ完全盤が出たから従来盤二枚組はもう聴かないかというと、実はそんなこともないのだ。これは同様の事情がある『ライヴ・イーヴル』もそうで、『セラー・ドア・セッションズ 1970』が出た後もやっぱり聴くんだよね。

 

 

テオ・マセロによる編集意図(とマイルス本人の意図もあったと思う、編集作業には大抵立会っていたようだから)がどういうものだったかは、本人が死んでいるから音で判断するしかないんだけど、聴いた限りではフィルモアもセラー・ドアも編集前の元演奏はややジャジー。編集後はそれがぼぼ消えてシャープになっている。

 

 

そういういわばジャジーな要素を代表しているのがグロスマンのテナーとキース・ジャレットの即興演奏で、それらを含めカットして編集した後の「作品」は、1970年当時の時代の先鋭的なサウンドに変化している。スピーディーでカッコイイ。テオの編集は大成功だったわけで、だからこそ当時から評価された。

 

 

1970年8月の英国ワイト島でのライヴ音源「コール・イット・エニイシング」だって、オリジナル演奏は約50分くらいなんだけど、当時発売されたのはそこからテオが12分程度に編集したもの。完全盤も今では公式にリリースされていて誰でも簡単に聴けるけど、これだって編集後の短いものの方がカッコいいんだよね。

 

 

テオはマイルス1983年の『スター・ピープル』での、特にB面一曲目のアルバム・タイトル曲での編集と音加工が、この時は立会っていなかったマイルス本人に評判が悪くて(特にドラムスの音がひどいと嘆いていた)、それでマイルスとの関係が難しくなってしまい、その結果次作の『デコイ』からテオはマイルスのプロデューサーでなくなった。

 

 

そして『デコイ』の次の1985年作『ユア・アンダー・アレスト』がマイルスのコロンビア最終作になって、その後はワーナーに移籍したわけだから、移籍の遠因を作ったのはテオだったのかもしれない。その後も過去のマイルス音源のCDリイシューの際のリマスター作成等には関わったテオだけど、直接の関係はなくなった。

 

 

テオがマイルスのアルバム制作に携り始めるのは1958年録音の『ポーギー&ベス』の途中から。テオ単独でのプロデュースになるのは61年録音の『サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム』から。その後はさっき書いたように83年の『スター・ピープル』までマイルスの全作品制作に深く関係した。

 

 

そして『アガルタ』『パンゲア』以外のほぼ全てのマイルスのライヴ・アルバムでテオによる編集のハサミが入っていて、今ではそれらの多くの作品で編集前のオリジナル演奏も公式リリースされているけど、僕が聴いた実感では元演奏そのままより、当時発表された編集後の「作品」の方がカッコよく聞える。

 

 

生前のテオは、編集したのは常にコピーしたテープで、オリジナル・テープは手つかずで残してあるから、自分の編集が気に入らなければいつでもやり直すことができるんだと語っていた。実際その通りオリジナル・テープから編集前の演奏が発売されているわけだけど、僕はテオの編集が好きなんだよね。

 

 

おそらく誰が再編集してもテオ・マセロが作ったヴァージョン以上にカッコイイものは作れないはずだ。まあそういうテオの編集手腕の確かさも、編集前の元演奏が発売されるようになってから初めて本当に理解できるようになったんだけどね。それ以前は編集前のオリジナルを聴かせろと散々言われていたよなあ。

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