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2016/08/05

マイルスの電化・8ビート化過程を辿る

Milesdavismilesinthesky

 

Unknown










マイルス・デイヴィス1968年の『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」。ファンキーでカッコイイなあ。あの有名フュージョン・バンドはひょっとしてこれに名前を引っ掛けてもあるのかなあ?フュージョン作品第一号みたいに言われることがあるから。

 

 

 

この1968/5/17録音の「スタッフ」がマイルス初の電化ジャズ作品ということになっている。リアルタイム・リリースではね。ハービー・ハンコックがフェンダー・ローズを、ロン・カーターがエレベを弾き、リズムも8ビート。このあたりから旧来の保守的なジャズ・ファンはマイルスから離れていく。

 

 

「スタッフ」が一曲目の『マイルス・イン・ザ・スカイ』というアルバム・タイトルだって、前年リリースのビートルズ・ナンバー「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」から取っているし、ジャケット・デザインもサイケデリック。ジャケ裏に映るマイルスも既にそういうサイケなファッションだ。

 

 

しかしこの1968/5/17録音の「スタッフ」がマイルス初の電化ジャズ作品というのはあくまで当時のリアルタイム・リリースでの話であって、彼の初電化作品は1967/12/4録音の「サークル・イン・ザ・ラウンド」。ジョー・ベックがエレキ・ギターで参加。ハービーはチェレスタを弾く。

 

 

チェレスタはもちろん電気楽器ではないが、従来のアクースティック・ピアノでは出せないサウンドをマイルスが模索したということだろう。しかし「サークル・イン・ザ・ラウンド」は1979年リリースの同名二枚組未発表集LPの一枚目B面に収録されるまで未発売のままだった。さらにそれは短縮版。

 

 

短縮版と言ってもLP片面を占める約27分もの長尺ナンバーで、これのフル・ヴァージョンが日の目を見たのは1998年リリースの『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』でだった。この六枚組ボックス四枚目に33分以上ある「サークル・イン・ザ・ラウンド」の未編集版がある。

 

 

33分以上もあったら当然LPレコードの片面には入らないので、1979年にリリースする際にテオ・マセロが編集して短縮したんだね。マイルスのスタジオ録音で一曲が33分以上というのは、僕の知る限りでは全キャリアを通じてこれが最長。しかもこの曲、ちっとも面白くないんだなあ。

 

 

実験的模索品にしか聞えず大変に退屈なので、たったの五分でも我慢できないと思うような演奏内容なのに、それが33分以上もあるのは少なくとも僕にとっては苦痛でしかない。初めてLPで27分ヴァージョンを聴いていた頃からこの印象で、それが現在に至るまで全く変らない。

 

 

だから1979年の未発表集二枚組に「サークル・イン・ザ・ラウンド」を入れたのは、どう考えてもこれがマイルスの録音史上初の電化作品であるという、ただその一点のみが理由だったとしか思えないんだなあ。またトニー・ウィリアムズの叩くリズムも8ビートだから、それもあったんだろう。

 

 

マイルスの8ビートは別に1967年頃はじまったものではない。スタジオ録音で鮮明にそれが聴ける初作品は1965年の『E.S.P.』A面二曲目の「エイティ・ワン」。これはロン・カーターの書いた曲で、トニーがはっきりと8ビートを刻んでいるし、ハービーの弾くピアノ・リフも同様。

 

 

8ビート作品とも言えないが、それまでもライヴ演奏中に8ビートになることはあった。例えば1964/2/12録音の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』B面二曲目の「オール・ブルーズ」におけるハービーのピアノ・ソロの途中で8ビートになる瞬間がある。ブルーズ・ナンバーだから8ビートのシャッフルっぽくなるのは納得。

 

 

またやはりブルーズ・ナンバーだけど、1964/9/25録音の『マイルス・イン・ベルリン』B面二曲目の「ウォーキン」におけるやはりハービーのピアノ・ソロの途中で8ビートになっている。こっちはシャッフルというのではなくエイヴリー・パリッシュの「アフター・アワーズ」っぽいグルーヴ感だ。

 

 

そういうわけで昨日今日はじまったわけではないマイルスの8ビート。しかし全面的にそれを打出したのが1965年の「エイティ・ワン」が初というのは、マイルスみたいな音楽家にしては遅すぎる気がする。65年なら既に8ビートのジャズ・ロック作品はまあまああった。ああ見えてマイルスは保守的なところのある人だからなあ。

 

 

いずれにしてもマイルスがスタジオ録音で本格的かつ鮮明に電化かつ8ビートの曲をやるようになったのは、やはり1967年末頃から。書いたようにそれの初である「サークル・イン・ザ・ラウンド」はエレキ・ギターのみだけど、次ぐ67年12月録音の「ウォーター・オン・ザ・ポンド」ではハービーがエレピを弾く。

 

 

「ウォーター・オン・ザ・ポンド」でハービーが弾くエレピはフェンダー・ローズではなくウーリッツアーとエレクトリック・ハープシコード。この曲は1981年リリースの未発表集二枚組『ディレクションズ』に収録されて日の目を見たかなり面白い作品。トニーのリム・ショットも印象的なカリブ風。

 

 

 

カリブ風といえば、やはり『ディレクションズ』に収録されリリースされた1968/1/12録音の未発表作品「ファン」。これもかなり面白いんだよね。冒頭のトニーのドラミングといいその後のマイルスとウェイン・ショーターによるテーマ演奏といい興味深い。

 

 

 

お聴きになれば分る通りの雰囲気だから、これは『キリマンジャロの娘』に入っていてもおかしくないカリブ〜アフリカンな一曲で、しかもたったの四分程度なんだから、どうしてリアルタイムで出さなかったのか不思議な気がする。1967〜68年のマイルス未発表スタジオ作品にはこういうのがいくつもあるんだよね。

 

 

やはり1968年初頭の未発表作品といえば、1998年リリースの『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』まで全然リリースされず存在すら知られていなかったものが二つあって、どっちもハービーの曲である「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」と「スピーク・ライク・ア・チャイルド」。

 

 

もちろんハービーのリスナーならそれら二曲ともよくご存知のはず。「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」は1969年録音・リリースの『ザ・プリズナー』というアルバム、「スピーク・ライク・ア・チャイルド」は68年3月録音8月リリースの同名アルバムという二枚のハービーのソロ作品に入っているからだ。

 

 

しかし書いたようにマイルスとの録音の方が早かった。ってことはこの二曲はひょっとしてマイルス・クインテット+αのためにハービーが書いて提供したものだったのだろうか?ただ『マイルス・デイヴィス・クインテット 1965-68』収録のそれら二曲はどっちもリハーサル・テイクで完成品ではない。

 

 

二曲ともマイルスの声で合図が入りバンドの演奏がスタートしたかと思えばすぐに途中で止ってしまい、また会話があって演奏を再開するというような感じで、曲としての聴応えみたいなものは全くない。結局マイルスのバンドでは完成できなかったので、ハービーは自作アルバムのためにやり直したのかもしれない。

 

 

真相は分りようがない。いや、御大は既にこの世にいないが、ハービーはもちろん元気で活躍中なので、誰かが尋ねれば憶えていて話が聞ける可能性がある。誰か聞いてくれないかなあ。ちなみに「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」という曲名は、もちろんマーティン・ルーサー・キングのあの演説からだね。1963年8月。

 

 

そういえば関係ないけれど思いだしたので書いておく。プリンスの『ワン・ナイト・アローン・・・ライヴ!』二枚目一曲目の「ファミリー・ネーム」の最終盤に、マーティン・ルーサー・キングのその同じ演説から、その最後の「フリー・アット・ラスト!フリー・アット・ラスト!」の声をサンプリングして挿入してある。あれはどうしてなんだろうなあ。

 

 

え〜っと、『マイルス・イン・ザ・スカイ』一曲目の「スタッフ」がファンキーでカッコイイという話をしようと思って書きはじめたはずのに、なんだかマイルスの電化・8ビート路線発足の過程を未発表作品で辿るというような文章になってしまった。「スタッフ」のファンキーさは本当に素晴しくカッコイイね。

 

 

「スタッフ」は作曲されたテーマ・メロディを一回通して演奏するだけで数分間もかかってしまう曲で、その間トニーの8ビート・ドラミング、ロンのエレベ・ライン、キャリアの最初から黒いところがあるハービーのファンキーなフェンダー・ローズがグルーヴするという面白い一曲。もちろんその後はソロになる。

 

 

しかしそのアドリブ・ソロは「スタッフ」においてはさほど聴応えのあるでもないし重要でもない。重要なのはカッコいいヒプノティックなテーマとその背後でのリズムのファンキーさで、言ってみればグルーヴ・オリエンティッドな一曲。そんな曲をマイルスが書いて演奏したのはこの「スタッフ」が初なんだよね。その後1970年代にはたくさんある。

 

 

『マイルス・イン・ザ・スカイ』にはアルバム・ラストに「カントリー・サン」があって、これも面白い。この曲では「スタッフ」とは逆にテーマ・メロディがなく、いきなりマイルスのアドリブ・ソロからはじまり、しかもそれが4ビート→ バラード調→ 8ビートの三部構成に分れているという具合だ。

 

 

その4ビート→ バラード調→ グルーヴィーな8ビートの三部構成は、このままの順番で続くショーターのテナー・ソロ、ハービーのピアノ・ソロでも同じで、リズムと曲調が一曲のなかでこんなに変化するようなものは、マイルスの場合はこの前も後もかなり少ない。

 

 

 

これら「スタッフ」と「カントリー・サン」は今聴いても面白い完成品で、「事実上の」マイルス初の電化8ビートのジャズ・ロック作品と呼んでも差支えないだろう。そしてここへ辿り着くまでには、もちろんのことながら今日書いたように1967年末頃からの一連の実験的な試行錯誤があったんだよね。

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