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2016/08/17

『史上の愛』はラテン・ポップ作品

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ジョン・コルトレーンの最高傑作ということになっている1964年録音翌65年リリースの『至上の愛』はラテン(〜アフロ)・ポップ・アルバムなんじゃないかと今の僕には聞える。こんなことを言うと、普通の多くのコルトレーン愛好家やジャズ・ファンのみなさんは、絶対コイツ頭オカシイぞと思うだろうね。

 

 

僕よりも約一廻り上の世代で、1960年代のジャズを精神性がどうたらとかおっしゃる方々には、絶対にラテン・ポップだなんて思えないはずだろう。僕は世代的にも精神性云々が分らない人間だから、音の楽しさ、美しさしか聴かないという人間。まあ世代のせいではないのかも。

 

 

纏わり付くいろんな情報、はっきり言うとそれは雑音だけど、それを剥取ってコルトレーンの1960年代音楽の「音」だけを聴くと、面白さはリズムにあったと思うのだ。特に最初に書いたように『史上の愛』は相当にラテンなリズムで、しかもかなりポップですらあるように聞える。

 

 

まあホント『史上の愛』がラテン・ポップだとか言っている人はおそらく世界中に誰もいないと思うので、だからこの文章を書いて公にするのはちょっと勇気がいるんが(その意味では僕も若干1960年代的な聴き方のニュアンスを引きずっている)、この際に長年考えてきたことをはっきり書いてしまおう。

 

 

『史上の愛』がラテン〜アフロだと言うと、おそらく殆どの方はドラムスのエルヴィン・ジョーンズが叩出すリズムがそんな風に聞えるっていうことじゃないかと推測するだろう。それはビンゴだ。特にA面の二曲(曲というかなんというか)「承認」と「決意」にはそれがかなり鮮明に出ているよね。

 

 

一曲目の「承認」は幕開けこそやや大袈裟というか大上段に構えたようなものだけど、それはほんの30秒ほどで終って32秒目あたりからジミー・ギャリスンの弾くベース・リフというかオスティナートが入ってくる。反復されるそのベース・オスティナートに乗って他の三人が演奏を繰広げるという構造。

 

 

 

事前に決っていたのはおそらくそのベース・オスティナートだけだろうと思う。そのオスティナートは当然一定の調性というかモード(スケール)に基づいて、おそらくは主役のコルトレーンが用意していったかその場で思い付いたかのどちらかだ。ってことはこれはファンクの手法じゃないか。

 

 

だってベース・リフと一個(か二個程度)のコードやスケールだけ決めておいて、反復されるそのリフの上にあらゆる音を乗せて組立てていくってのは、このちょっと後にジェイムズ・ブラウンらがはじめるファンク・ミュージックの手法だよ。『史上の愛』一曲目「承認」はひょっとして史上初のファンク・チューンかも?

 

 

そのジミー・ギャリスンの弾くベース・リフも全然抽象的でも難解でもなく、非常に明快で分りやすくポップなフレイジングだよね。このフレイジングは「承認」でその後に出てくる「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」という合唱と同じメロディだから、やはりこれはコルトレーンの書いたものなんだろう。

 

 

ということは「承認」はなにからなにまで全てその一定のリフに基づいて緊密に組立てられているというか強くアレンジされているってことだよなあ。事前にコルトレーンが練り込んでいたんだろう。さっき書いた「その場の思い付きだった可能性」の文言は撤回する。

 

 

「承認」の終盤六分過ぎから聞える「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」という合唱。はっきり言って歌というより呪文とか念仏みたいなもんだろうけど、この言葉の意味どうこうよりも、1964年のコルトレーンがヴォーカルを用いて合唱のようにそれを自分の音楽になかに入れたという事実こそが重要だろう。

 

 

ただその呪文のように繰返されるヴォーカルが「史上の愛」という意味の英語だし、それがアルバム・タイトルにまでなっているわけだから、1965年リリース当時から(おそらく)現在に至るまで、このアルバムはコルトレーンの精神世界を表現した高度に思想的なジャズ・アルバムとして聴かれてきた。

 

 

しかし何度も繰返すけれど、歌詞とか言葉の意味ってものは音楽にとってさほど重要なものではないだろうという、僕はそういう考えの持主だから、呪文のようにリピートされる「あ・ら〜ゔ・さぷり〜む」を聴いても、ただ単にそのメロディがポップだなと感じるだけなのだ。だいたいそんなたった一言で思想がどうたらはオカシイ。

 

 

要するに「承認」は相当にポップなんだよね。ラテン・ポップ・チューンなんだ。冒頭でジミー・ギャリスンが反復的に弾き、終盤でヴォーカル・コーラスで呪文のように反復されるその同じフレーズを聴けば、誰だってそう感じるはずだ。そう感じないとすれば、それは1960年代的思想性に目(耳)が眩んでいるだけだろう。

 

 

しかも「承認」全編を通してエルヴィンが叩出すポリリズムは普通の4ビートなんかじゃなくて、もっと複雑な、いわばラテン〜アフリカンなものだよね。特にシンバルとスネア(なかでもリム・ショット)でそれをはっきりと表現している。僕にはラテン〜アフロ・ジャズにしか聞えない。

 

 

『史上の愛』はフリー・ジャズ作品ではないけれど、同時代のフリー・ジャズは、かつて油井正一さんが喝破したように、祖先たるニューオーリンズ・ジャズへの、そしてそれを通り越してさらにそのルーツたるカリブ音楽への先祖帰りだという側面があった。オーネット・コールマンやアルバート・アイラーならそれが鮮明に分る。

 

 

油井さんが「ジャズはラテン音楽の一種」だと書いたのはそういうことも含んでのことじゃないかなあ。ジャズは誕生当初からカリブ〜ラテン音楽の強い影響下にあって、初期ジャズにそれが濃厚だというだけではなく、1960年代(フリー・)ジャズがそういうものだという意味でも指摘したに違いない。

 

 

そういうラテン・テイストを僕は『史上の愛』にもかなりはっきりと感じるんだよなあ。特にエルヴィンのドラミングに。エルヴィンの叩出すラテン〜アフリカンなポリリズムは「承認」だけでなく、二曲目の「決意」でも濃厚に出ているもんね。一聴静かなB面の二曲ですらそれはかなり表現されている。

 

 

 

B面一曲目の「追求」はエルヴィンのドラムス・ソロからはじまって、それがしばらく続いたあとコルトレーンのテナー・サックスが出てきて、すぐにマッコイ・タイナーのピアノ・ソロになる。そのピアノ・ソロ・パートはフラットな4ビートだけど、普通のモダン・ジャズのそれよりもちょっと複雑なものだ。

 

 

「追求」ではその後コルトレーンのソロになるんだけど、その部分ではフラットなビートではなくなってエルヴィンが爆発していて、こんなポリリズムをたった一人、手と足の計四本だけで同時に叩出しているとは思えないようなものだ。これはもはやアイリッシュ・ミュージック・ルーツのアメリカ音楽に多いフラットなビート感じゃない。

 

 

 

ジャズでもロックでもなんでもメインストリームのアメリカ大衆音楽のビートは、アイリッシュ・ミュージック由来の2〜4〜8拍子系のわりとシンプリファイされたものなんだけど、ラテン音楽やアフリカ音楽のもっと複雑なビートに1960年代以後のアメリカ音楽は接近したと思うのだ。

 

 

当然ながらジャズでも例外ではなく、1960年代以後複雑なリズムがだんだん増えてくる。本格化するのは複数のドラマーやパーカッショニストを常時用いるようになる70年代以後だけど、既に60年代からコルトレーンやその他数名はその種の試みに踏込んでいて、それを代表したのがエルヴィンだ。

 

 

B面二曲目、すなわちアルバム・ラストの「賛美」だけがリズムの面白さが殆どなくポップでもなく、一曲全体にわたってテンポ・ルパートでコルトレーンが朗々と吹くというもの。今の僕にははっきり言ってこれだけは『史上の愛』のなかではあまり面白く聞えない。もはやオマケだとしか思えないなあ。

 

 

 

そんな具合で今の僕の耳にはラテン〜アフリカンなポップ・アルバムに聞えるコルトレーンの『史上の愛』。コルトレーンでアフリカというと、みなさんインパルス移籍後の初作品1961年の『アフリカ/ブラス』を思い浮べるんじゃないかなあ。でもあれは音楽的にはどこにもアフリカ要素がない。

 

 

『アフリカ/ブラス』ではA面いっぱいを占める長尺曲が「アフリカ」というタイトルなんだけど、これも一体どのへんがアフリカなのか、墓場に眠るコルトレーンに聞いてみたい気持だ。B面なんかもはやなんの関係ないし、アルバム・タイトルの「ブラス」の方に力点が置かれているような音楽性だしなあ。

 

 

それよりもやっぱり『クル・セ・ママ』だよなあ。1965年10月録音の一曲目アルバム・タイトル曲ではドラマーもエルヴィン以外にもう一人いて、さらにパーカッショニストも参加。そのパーカッション担当のジュノ・ルイスが書いた曲。ヴォーカルだって大胆に使ってあるもんね。

 

 

 

この「クル・セ・ママ」を書き、各種パーカッションとヴォーカルで演奏に参加して非常に重要な役割を担っているジュノ・ルイスというのがどういう人なのか僕はよく知らない。だけど音楽を聴くと、このアルバムこそコルトレーンが最もワールド・ミュージックに接近した一枚なのは間違いない。

 

 

『クル・セ・ママ』の話とか、こういう複合的なリズム重視の1960年代コルトレーン・ミュージックの本質を最もちゃんと理解して継承・発展させたのが、かつてのボスだったマイルス・デイヴィスだとか、そういう話は今日はやめておく。以前も触れたように本一冊になりそうなくらい言いたいことがあるから。

 

 

とにかく僕が一番言いたいことは、僕らは音楽を楽しんでいるんであって、そんな高邁なメッセージに触れたいのであれば音楽を聴くのなんかやめて哲学書とか思想書を読めばいいだろうってことだ。コルトレーンが敬愛していたラヴィ・シャンカルが、「音楽ってのは美しいもんなんだぞ」と生前のトレーンに諭したらしいよ。

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