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2016/08/12

「マイルス・デイヴィス」は二人いる?

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『ラウンド・ミッドナイト』やキャノンボール・アダリー名義の『サムシン・エルス』などと、『オン・ザ・コーナー』や『ゲット・アップ・ウィズ・イット』などでの姿があまりに違うもんだから、ジャケットに書いてあるこのマイルス・デイヴィスという名前は同姓同名の別人なんじゃないかと思っていた。

 

 

というのは僕の場合大ウソ。しかしそういう人がいたかもしれない。少なくともそんな与太話をよく読んでいた。これが僕よりもっとずっと世代が上で、1950年代から新作が出るたびに順番に聴いていた人達ならそんなことにはならない。マイルスという同じ人の音楽が少しずつ変ったという印象だろう。

 

 

逆に僕よりもずっと世代が若くて、1991年のマイルス死後に聴きはじめたようなファンならば、これまた(未発表音源を除く)全作品が既に揃っていて、例えばコロンビア時代のオリジナル・アルバム全集ボックスなんかも93年に出ているから、やはりマイルスという同じ音楽家だと思うだろうなあ。

 

 

だから1979年に聴きはじめたという僕の世代が一番中途半端なんだ。情報も紙媒体か、そうでなければジャズ喫茶その他での会話などから得るしかなかったわけだし、75年隠遁前までの全オリジナル・アルバムはあったものの、数が多いので一度に全部は買えず、ちょっとずつつまみ食いだった。

 

 

1979年に聴きはじめたということは、1950年代の『ラウンド・ミッドナイト』も『リラクシン』も(キャノンボール名義の)『サムシン・エルス』も、69年の『ビッチズ・ブルー』も、70年代の『オン・ザ・コーナー』『ゲット・アップ・ウィズ・イット』『アガルタ』『パンゲア』も全部あるにはあった。

 

 

だから僕の場合(も他の同世代のほぼ全員もおそらく)アクースティック・ジャズ時代のマイルスもエレクトリック・ファンク路線のマイルスも全部同じように並べて聴いていた。それらをそんなに区別もしていなかったんだけど、しかしアルバムを聴くと出てくる音があまりに違いすぎるもんなあ。

 

 

例えばだよ、この1958年のブルーノート録音「枯葉」→ https://www.youtube.com/watch?v=tguu4m38U78 。これを73年のベルリン・ライヴでの「ターナラウンドフレイズ」→ https://www.youtube.com/watch?v=bxSFSdcGPLM と聴き比べてほしい。この二つを同じ人の音楽だと思えという方が難しいんじゃないかなあ。

 

 

後者1973年ベルリン・ライヴはインターネット普及後に聴けるようになった音源なので、ちょっと話がフェアじゃないね。じゃあ1974年発売の『ゲット・アップ・ウィズ・イット』二枚目A面の「カリプソ・フレリモ」→ https://www.youtube.com/watch?v=uT2bpVOkG1U これならどうだろう?

 

 

あるいは1972年発売『オン・ザ・コーナー』→ https://www.youtube.com/watch?v=AIqXprCArdo 。先の「枯葉」や55年「ラウンド・ミッドナイト」→ https://www.youtube.com/watch?v=GIgLt7LAZF0 や56年「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」→ https://www.youtube.com/watch?v=OCqZE6oBSsQ と比べてみてほしい。

 

 

絶対同姓同名の別人だとか思えないよねえ。まあ聴きはじめたのが1979年だった僕には、それでも情報は現在ほどではないにしろそこそこあって、それに当時のマイルスはコロンビア専属だったので、コロンビア時代のアルバムのカタログみたいな紙がレコードを買うと入っていた。

 

 

だからもちろん同姓同名の別人だなんてことは全く思わなかったし、本音でそう勘違いしている人はおそらく一人もいなかったんじゃないかなあ。だから先に書いたようなのはやっぱり一種の与太話、こんなにもマイルスという音楽家は変貌しちゃったんだというのがそういう形の話になっていただけなんだろうね。

 

 

1970年代は電気トランペットを吹いていたというのも、そんな印象に拍車をかける原因の一つだ。以前マレウレウのまゆんさんと70年代マイルスの話をしていて、彼女が「これがトランペットの音とは思えない」「そう思うと笑えてくる」と言っていたけれど、一般のリスナーの正直な感想だよねえ。

 

 

ただ電気トランペットを吹いていても、1975年大阪ライヴの『アガルタ』『パンゲア』は保守的なジャズ・ファンにも昔から受入れられていたのは事実。日本公演だというのも一つの理由かもしれないが、それ以上にこれら二つのライヴ・アルバムは従来からのジャズぽい側面があるからだ。

 

 

リズムやサウンドの創り方はファンク・ミュージックに近い『アガルタ』『パンゲア』で、実際ある時の『ブルース&ソウル・レコーズ』誌がファンクのライヴ・アルバム名盤選をやった際に『パンゲア』が掲載されたくらいなんだけど、しかしこれらのライヴは個人のソロ廻し中心で展開するもんね。

 

 

『アガルタ』『パンゲア』でソロを取るのはボスのマイルス以外では、サックス&フルートのソニー・フォーチュン(モンゴ・サンタマリアのバンドからスカウトした)と、ギターのピート・コージーの二人だけ。あとは例外的にレジー・ルーカスが二回だけソロを弾く程度だ。

 

 

あとほんのちょっとだけパーカッションのエムトゥーメがコンガ・ソロをやったり、ピート・コージーが親指ピアノを弾いたりもするけれど、もっぱらコード・カッティングでリズムとサウンドの中核を担うレジー・ルーカスのかなり珍しい単音ギター・ソロ同様、例外だと考えていいだろう。そしてマイルスはともかく、フォーチュン、コージーのソロ時間はかなり長い。

 

 

『アガルタ』『パンゲア』の演奏時間の大半がその三人のソロ廻しで過ぎていくのだ。ってことはこの二つのライヴ・アルバムを聴くという体験は、要するに彼らのアドリブ・ソロを聴くという体験に他ならない。だからアドリブ・ソロこそが命である従来からのジャズ・ファンだって馴染みやすいんだよね。

 

 

実際大学生の頃に仲の良かった僕よりちょうど一廻り年上のジャズ・ファンの男性は、『オン・ザ・コーナー』やなんかはちゃんと聴いていないし、はっきり言ってどこが面白いんだあれは?と発言する一方で、『アガルタ』『パンゲア』はかなり聴きやすいよね、わりと好きだとはっきり言っていたもんね。

 

 

その方は『アガルタ』『パンゲア』になった1975/2/1の大阪フェスティバルホールでの昼夜二回公演を生で体験したという人だったので、それも手伝ってこの二つは受入れやすいということになるんだろうなあ。生で見聴きした方なので、音を聴くだけでは分らない部分を僕はいろいろと教えてもらった。

 

 

またこれも大学生の頃に初版本の邦訳が出たのを面白く読んだイアン・カーのマイルス本のなかにも、『アガルタ』『パンゲア』は無編集なせいで冗長な部分がある、だからテオ・マセロがやはり編集のハサミを入れた方が良かった、聴き所はジャズで鍛えたソニー・フォーチュンのサックスだと書いてある。

 

 

これだからイアン・カーというトランペッター兼批評家は、マイルス・ファンクについては分ってない人なんだなと思わざるを得なかったんだよね。熱心なファンク・リスナーはみんなだいたい全員あのソニー・フォーチュンのサックス・ソロをこそ全面的にカットしろという意見で一致しちゃうもんね。

 

 

まあでもその一点を除けばあのイアン・カーのマイルス本は面白い。小山さち子さんの日本語訳もこなれていて読みやすかった。スイングジャーナル社が付けた『マイルスデイビス物語』という邦題に反して、一見編年的にマイルスの人生を追っているように見えながら、その実は音楽的分析がメインの本なのだ。

 

 

ただあの『マイルスデイビス物語』は1983年の刊行で、82年刊行の初版本を訳したもの。だから81年復帰後のマイルスについては殆ど言及がない。イアン・カーはその後その原本を新たに書直し、81年カムバック後から91年死去までのマイルスについても詳細に分析し書加え、一時隠遁前についても大幅に加筆訂正している。

 

 

そのイアン・カーの『Miles Davis: The Definitive Biography』最新版は1998年に出ている(イアン・カーは2009年死去)のだが、これの邦訳はまだない。というか出る気配が全くないね。面白い本なんだけど、初版を訳した『マイルスデイビス物語』のままで、それも絶版だ。

 

 

誰かがその最終版の『Miles Davis: The Definitive Biography』を邦訳してどこかの出版社が出さないかなあ。編年的にマイルスの人生を追いつつ、筆者自身が音楽家だったのを活かして詳細かつ専門的な音楽的分析を行っているという点で、これの右に出るマイルス本はまだ存在しない。

 

 

1945〜91年が活動期間であるマイルスという音楽家は、1950年代と70年代で音楽も違えば、ステージ衣装だってガラリと変った。さらに1981年の復帰後はこれまた音楽も衣裳もステイジングの演出も違ってきた。これほど振幅の大きい人も珍しいかもなあ。

 

 

でもそんなマイルスの振幅の大きな音楽性も、よく聴くと一貫して変化していないような部分も結構あって、どのあたりがそうなのかを詳しく述べている余裕は今日はなくなった。でも前述のイアン・カーのマイルス本にはそういう点も細かく書いてあって、僕は随分教えてもらっているのだ。やはり最終版の決定的邦訳がほしい。

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