マイルスのヴォーカルもの
マイルス・デイヴィスという音楽家はヴォーカルものとは縁の薄い人だと思われているかもしれない。確かにマイルスのリーダー・アルバムでヴォーカルが入るものはかなり少ない。1975年一時隠遁前には、1949/50年録音の初リーダー作『クールの誕生』以後約30年間でたったの二曲しかない(リーダー作じゃなければマイルスの参加は1950年だった『サラ・ヴォーン・イン・ハイ・ファイ』が一番多いが)。
たったの二曲のうちの一つがその『クールの誕生』に入っている「ダーン・ザット・ドリーム」だ。1950年3月録音でアレンジはジェリー・マリガン、歌うのはケニー・ハーグッド。昔の日本盤アナログLPではB面ラストだった。昔はどうして一曲だけこんなのが入っているんだろうと不思議だった。
ケニー・ハーグッドは、このマイルス九重奏団による1949/50年のキャピトルへのレコーディングの前に同楽団が48年にロイヤル・ルーストに出演した際にも帯同していて、現在二曲録音が残っている。キャピトルが1998年にリリースした『ザ・コンプリート・バース・オヴ・ザ・クール』で聴ける。
そのうち一曲はやはり「ダーン・ザット・ドリーム」で、ハーグッドの歌い廻しがかすかに違うかなという部分もあるが、ホーン・セクションなど全体のアレンジはスタジオ録音ヴァージョンと全く同じ。その他のインストルメンタル・ナンバーも全てそうで、そもそもスタジオ録音はライヴでのアレンジをコンパクトに再現しただけ。
1948年のロイヤル・ルーストにおけるマイルス九重奏団でケニー・ハーグッドが歌うもう一曲は「ワイ・ドゥー・アイ・ラヴ・ユー?」で、これはスタジオ録音がない。これのアレンジはジョン・ルイスとの記載。前述CDアルバムではなぜかこの曲でだけSP盤を再生しているかのような針音が聞える。
しかしこの「ワイ・ドゥー・アイ・ラヴ・ユー?」は僕も長年知らなかったので、最初に書いた「二曲だけ」のなかには入れていない。さて、「ダーン・ザット・ドリーム」の他のもう一曲とは、1967年リリースの『ソーサラー』にある「ナッシング・ライク・ユー」。これはもんのすごく評判が悪いよね。
『ソーサラー』は1967年録音なのに、アルバム・ラストの「ナッシング・ライク・ユー」だけが62年録音で、しかもボブ・ドローの歌が入り、ギル・エヴァンスのアレンジによる三管ホーンが演奏している。これ以外は全て65年以後の例のレギュラー・クインテットによる録音だから違和感満載だというわけだ。
マイルス・ファンはほぼ例外なく『ソーサラー』における「ナッシング・ライク・ユー」を聴かない。聴いても酷評しかしない。あの中山康樹さんですら『ソーサラー』から「ナッシング・ライク・ユー」を抹殺せよと書いていたくらいだ。パソコンにリッピングなどする際に取込まないのは簡単なので、そうする人も大勢いるらしい。
つまり iTunes などパソコン上の音楽再生ソフトでは「ナッシング・ライク・ユー」は文字通り抹殺されている。それくらい嫌われているわけだ。そして僕はというと、実はこの「ナッシング・ライク・ユー」が結構好きなのだ。音源を貼って紹介したいのだが、なぜだか YouTube で見つからないなあ。
ってことはそんなアップロードすら誰もやらないほどまでに嫌われているってことなのか。う〜ん、なかなか面白いと思うんだがなあ。なんたってギルのアレンジが冴えているし、ボブ・ドローのヴォーカルもいい。マイルスはソロを吹かずアンサンブルのなかの一員としてやっているだけ。ボンゴの音もいい感じで入っている。
この1962年録音の「ナッシング・ライク・ユー」一曲だけを67年の『ソーサラー』に収録した理由ははっきりしていて、ここの62/8/21という録音日付はマイルスとウェイン・ショーターの初共演レコーディングだからだ。この時もう一つ「ブルー・クリスマス」という曲が録音されている。
同じレコーディング・セッションなので「ブルー・クリスマス」にもウェイン・ショーターが入っている。この曲だけリアルタイムで『ジングル・ベル・ジャズ』というオムニバス・アルバムに収録されてリリースされた。クリスマス向けの企画物で、デューク・エリントンやライオネル・ハンプトンもいる。
その他デイヴ・ブルーベックなど、要するにコロンビアが企画した1962年当時の同社専属だったジャズメンによるクリスマス・ソング集なんだよね。これはこれで僕は好きな一枚なのだ。そしてこの時の「ナッシング・ライク・ユー」だけが未発売のままになっていたのを67年にリリースしたんだなあ。
1967年の『ソーサラー』や翌68年の『ネフェルティティ』などは、あのマイルス・クインテットによるアクースティック・ジャズの極地みたいな評価の高さで、それはいわゆる音芸術的な側面からの意見なんだろう。だからそれに「ナッシング・ライク・ユー」みたいなのが混じっているのは許せないんだろう。
だからまあその〜、そういう純粋芸術音楽みたいな側面が確かに強いことが僕でも分る『ソーサラー』『ネフェルティティ』の二枚は、ある時期以後の僕にはイマイチに聞えちゃうんだなあ。ああいったアーティスティックなジャズ・アルバムは今でも評価が高く人気もあるけれど。特にクラシック・リスナーにはね。
普通、マイルスという音楽家もそんな音芸術の表現者だということになっている。マイルス・ファンの大半もそんな意見の持主だから、『ソーサラー』から「ナッシング・ライク・ユー」を抹殺しろなんていう言い方をする人が大勢出てきたりする。しかしどうなんだろう?マイルスは本当にそんな音楽家なのか?
書いたようにチャーリー・パーカー・コンボを卒業しての初リーダー作品にヴォーカル・ナンバーがあったマイルスだ。1975年一時隠遁前には確かにちょっぴりしかないけれど、それでもマイルスはフランク・シナトラやビリー・ホリデイなどといったヴォーカリストの大ファンで、彼らの曲をよく採り上げた。
シナトラやビリー・ホリデイだけでなく、1950年代にはたくさんの今では無名になっているポップ・ソングをいろいろと採り上げて自分のコンボで演奏しているもんね。マイルスという人は元々そうやって歌詞のあるヴォーカル・ナンバーばかりをインストルメンタル演奏していたような人なんだよね。
だから結構ポップな側面がある人なんじゃないかと僕は思うんだよね、マイルスは。1975年一時隠遁前まではと繰返しているのはなぜかというと、81年復帰後はそんなポップな側面を取戻していたような部分があって、しかもヴォーカルものが自分のリーダー・アルバムでも増えるようになった。
まずなんたって復帰第一作1981年の『ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン』B面二曲目のアルバム・タイトル曲はヴォーカル・ナンバーじゃないか。歌っているのはシンセサイザーも担当しているランディ・ホール。歌詞は当のマイルス賛歌みたいな内容。ちなみにこれが電気トランペットを吹いた最後。
こんな自分を称えたような歌詞内容の曲でトランペットを吹くのは気恥ずかしくないのかと思っちゃうんだけどなあ。だってマイルスは歌詞の意味内容を非常に重視する音楽家で、歌詞のある曲だったものなら、インストルメンタル演奏の時でも常にそれを思い浮べながら吹いていると発言しているよね。
マイルスはなにかのポップ・ソングを初めて採り上げる時でも、ラジオやなどから流れてくるのを聴いて、その歌詞に強く共感したから自分でも吹いてみたいというのが動機だったりする人だ。僕みたいに歌詞内容をほぼ無視して聴くようなリスナーにはちょっと想像できないけれど、音楽家ってものはみんな同じだろう。
1985年からはマイルスは自分でも歌うようになってしまう。同年のコロンビア最終作『ユア・アンダー・アレスト』一曲目の「ワン・フォーン・コール/ストリート・シーンズ」でラップを披露しているもんね。自分役と警官役の一人二役で声色を使う。
なお、この曲にはスティングが参加して怪しげなフランス語(ということになっている)のラップを聴かせる。スティングの回想によれば、彼は当時のマイルス・バンドのレギュラー・ベーシスト、ダリル・ジョーンズの友人だったのでスタジオに遊びに行くと、マイルスに「お前、フランス語できるか?」と言われ、本当はできないのに、そう言うと帰されると思って「できます」と言ってしまったらしい。
それでお聴きのようなおよそフランス語には聞えない正体不明言語のラップ・ヴォーカルをスティングが歌っているという次第。笑っちゃうなあ。しかしマイルス自身はフランス語の分る人だったのに、このスティングのフランス語(??)ラップをこりゃオカシイなとは思わなかったのかなあ?ちょっと不思議だ。
マイルスの生前に公式リリースされていた自身のリーダー・アルバムにあるヴォーカル・ナンバーは以上で全部。やっぱり少ないなあ。そして死後リリースになったけれど遺作『ドゥー・バップ』。これがマイルス名義のアルバムではヴォーカルを最も多用している。もちろんイージー・モー・ビーのラップ。
多用といっても『ドゥー・バップ』の全九曲のうち「ザ・ドゥー・バップ・ソング」「ブロウ」「ファンタシー」の三曲だけなんだけど、これでも他の全てのマイルスのアルバムよりも圧倒的に多い。九つのうち三つというのは、実はマイルスの生前に完成していたのはそれだけだったのかもしれない。
というのは『ドゥー・バップ』は1991年初頭にマイルス側からイージー・モー・ビーに話を持ち掛けてプロジェクトがスタートし、同年一月と二月にコラボで録音したものの、中座したままツアーに出た九月にマイルスが死んでしまい、アルバムは未完成のままになっていたからだ。だから三曲だけなんじゃないかなあ。
もしマイルスがもうちょっと生きていてイージー・モー・ビーとのコラボ作を完成にまで漕ぎ着けていれば、アルバム全曲がラップ・ヴォーカル入りのヒップホップ・アルバムになっていた可能性があると僕は推測している。生前に三曲しか残せなかったために、残りは他のセッション音源を流用しているのだ。
マイルスの死後に、1986年頃から数年間の未発表音源からイージー・モー・ビーも苦労して、オーヴァー・ダビングを繰返すなどしてなんとか数曲創り上げ、1992年6月の『ドゥー・バップ』発売にまで持ってきた。だからこの時代のアルバムにしては珍しい短さの39分しかないもんね。
そんなわけで、実はキャリアの最初からヴォーカリストを使い、その後の直接起用は少ないものの音楽性はポップな側面もあったマイルスが、1981年復帰後はその方向性を強め、最後はラッパーとの全面コラボ作を試みたというのは、やはりこれはジャズだってポップ・ミュージックだっていう証拠だよね。
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