クルーナー的ディランが指し示したニュー・ミュージック
ボブ・ディランの1969年作『ナッシュヴィル・スカイライン』については、ネットで検索すると英語でも日本語でも多くの文章が出てくる。がしかしだいたいどれも似たような内容で、特に日本語で書いてある文章は同じことが書いてある。いわく「発売当時は受入れがたかった」「これがあのディランか?」と。
1960年代半ばか、あるいはデビュー当時からディランを聴続けていらっしゃるファンの方々にとっては当然の反応であり驚きだっただろうなあ。かつてはプロテスト・ソングを歌うフォーク歌手、その後電化ロック路線に進み、やはり切れ味鋭いハードな音楽をやっている尖った人のイメージだったろうから。
ところがそれが『ナッシュヴィル・スカイライン』は、どこにもそういう先鋭的で尖った要素が聞取れない、丸くてやわらか〜い感触のカントリー・ミュージック・アルバムだからだ。カントリーをやっているというのも、この音楽がアメリカ保守層向けの保守的音楽だとされている事実からしてやはり意外だろう。
まあそのアレだ、音楽が保守的だとか、あるいはその反対に革新的だとか前衛的だとか反体制的だとか、そんなことは音楽を楽しむ上ではなんの関係もないことで、僕はこれを心底強く確信しているんだけど、しかしある世代のファン、時にロック・ファンはなかなかそうは思えないんだろうなあ。
ロックは「反体制」音楽で、社会の保守層や時の体制にNOを突きつけるもので、それこそが<ロック魂>というもので、それがないロッカーは軟弱でニセモノだと、そういう具合に強く信じてきているはずだ。ロック音楽家もロック・ファンもそう思っているんだろう。そんな時代が確かにあった(らしい)。
「らしい」というのは、僕にとってはそういったなんのことやらサッパリ分らない<ロック魂>とか<ロック・スピリット>というものが掲げられていた時代は、おそらくは1960年代末周辺のことだろうから、全然実感がないんだよね。69年8月にはウッドストック・フェスティヴァルがあって、それも象徴的だったはず。
僕も生まれてはいたものの、1969年には僕は七歳だったからリアルタイムでは全然分るわけもなかった。そういえばウッドストックといえば本当にたった今思い出した。1990年代末の夏にニューヨークを旅行した際、ある日の朝ホテルを出て朝食を摂ろうと近くのカフェに向った時のことを。
その朝マンハッタンでカフェに行こうとすると、なんだか知らないが1960年代末風ヒッピー的衣裳を着たオジサン達がゾロゾロ歩いていて、しかもなぜだか靴もベル・ボトムのジーンズも足首あたりまで泥だらけ。おかげで歩く道路に泥が付いてしまうという有様で、これはいったいなんだろう?と思ったのだった。
なにがあったんだろう?と不思議に思いながらカフェに入り、隣り合せの店で『デイリー・ニューズ』紙を買い、クリーム・チーズをたっぷり挟んだベーグルとコーヒーも買ってカフェに入り(そこは隣で買って持込む形式)、新聞を広げてみて初めて事態が飲込めたのだった。前日がウッドストック30周年記念日だったのだ。
すなわち僕がニューヨークに行ったその時は1999年8月。1969年のウッドストック・フェスティヴァルからピッタリ30周年ということで、大々的に30周年記念野外コンサートがその前日まで三日間開催されていて、しかも最終日は土砂降りだったらしく、そのせいでヒッピー風オジサンの足元が泥だらけだったのだ。
<ウッドストック 1999>のことがその朝読んだ『デイリー・ニューズ』紙に書いてあったので、それで僕は初めて知ったというわけ。僕が1960年代末の「あの時代」のアメリカ文化の残滓みたいなものを実感した唯一の機会だ。ホント道を歩いているオジサン達は誰もがまるでタイム・トリップしてきたような格好だったもんね。
僕にとっての「あの時代」体験はその程度のものしかなく(いやまあジャズ喫茶にはアイラーが〜とかコルトレーンが〜とか言う先輩方も残っていたけれど)、音楽に関してもジャズにハマったところから熱心な音楽リスナーになったわけだから、メッセージ性とか精神とか魂とかを意識したことがなく、ただ単にレコードから流れてくる音の美しさ、賑やかさ、楽しさしか分らない。
僕はそのまんま他のいろんな音楽にもハマっていって現在に至る人間。従って音楽について語る際、深い考えなしになんでもすぐに「魂」という言葉を持出すような人はほぼ信用していないし、まあインチキなんだろう、音をちゃんと聴いていないんだろうとすら思っている。あるいは深く考えて発言しているのかなあ。
そういう音楽リスナーとしてボブ・ディランも聴くようになったから、時代の反逆児みたいなイメージは特に抱いてなくて、彼のやっている音楽が楽しいなあと感じて聴いてきているだけだから、以前からよく読む彼にまつわるある種の言説は見て見ぬフリをしてきた、というか無視してきたというのが事実。
だってアホくさかったもんね。ある時(確か僕が20代半ば頃)ラジオ番組でなぎら健壱が、アメリカにあるボブ・ディランの住む家が豪邸だということを知り、なんだ〜、そんな人なのか!貧乏人の味方じゃないのか?!とガッカリしたと喋っていたけれど、ガッカリしたのはこっちの方だ。ナイーブすぎるだろうと。
そんなわけだから1960年代半ばのボブ・ディランの作品も、僕は時代に対する彼のメッセージみたいなものとしては聴いていない。単に鳴っている音の美しさ、楽しさを味わっているだけ。そして僕はロックに関してもかなり遅れてきたリスナーだから、80年代初め頃までのディランの全作品が一緒くただった。
1960〜70〜80年代初めまでのボブ・ディランのアルバムからあれこれ区別せずつまみ食いしていたので、彼の時代を経ての変遷みたいなものを意識するようになったのは、90年代半ば過ぎ頃のこと。それまではだいたいどれも音楽的には似たような作品が並んでいると感じていた。
ただしどのアルバムを聴いてもディランのお馴染みのあの声が聞えるのに対し、『ナッシュヴィル・スカイライン』だけは全然違う声なもんだから、最初は「これ、本当に同じ人が歌っているのか?」と真剣に疑ったくらい。このアルバムが驚きだった、受入れがたかったという人は、これが最大の原因じゃないのかなあ。
カントリー・アルバムだということや、サウンドだけでなく収録曲の歌詞も(一つのインストルメンタル・ナンバーを除き)全部甘ったるいラヴ・ソングばっかりだとか、そういうことは別に『ナッシュヴィル・スカイライン』が初じゃないもん、ディランだって。それまでもたくさんあるじゃないか。
プロテスト・ソングとされているものをたくさん歌っていたフォーク時代のディランにも、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』〜『ブロンド・オン・ブロンド』までの電化ロック三作品にも、ラヴ・ソングがあるし、その次の『ジョン・ウェズリー・ハーディング』は相当にカントリー風じゃないか。
アクースティック/エレクトリックということだって、『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』〜『ブロンド・オン・ブロンド』までの三作品でもたくさんアクースティック・ギターも弾いている。1970年代以後だって生ギターもエレキ・ギターも同じくらいの割合で使っているもんね。
ってことは1969年の『ナッシュヴィル・スカイライン』がリリース当時受入れがたかったというのは、いつものザラザラ声ではなく、一種クルーナー的(は言過ぎか?)なツルツル声で歌っているという、その一点でしか僕には理解できない。ラヴ・ソング、カントリー、アクースティック云々はその前からある。
でもって『ナッシュヴィル・スカイライン』におけるディランのツルツル声のクルーナー唱法は、これこれではなかなかチャーミングに聞えるじゃん。いつもと違ってメロディの抑揚もはっきりしていて聴きやすく、熱心なディラン・ファン以外のリスナーには、このアルバムの方が受入れやすいかもしれないよ。
ディラン本人は「タバコを辞めただけでこうなった」「あのな、みんなタバコをやめてみろ、こんな声になるぞ」と語っているらしいが、それはウソだね。だってこんなツルツル声をしているのは『ナッシュヴィル・スカイライン』だけだもん。次作の『セルフ・ポートレイト』でも一部使ってはいるけれど。
その後はまた再び元通り(というかどっちが「元」なのか分らないが)のザラついた声一本で歌っている。だから『ナッシュヴィル・スカイライン』でだけあの声だというのは、ディランはその前から、おそらく最初から二種類の声を使い分けられたってことだ。デビュー時は意図的にあの声にしただけ。
意図的にというのは、おそらくブルージーな感じを出したかった、ハウリン・ウルフとまではいかないがブルーズ歌手的な声で歌いたかったということじゃないかなあ。ディランのデビュー前からのブルーズへの傾倒は今ではみんな知っている。そういう歌手になりたかった人だ。
だから『ナッシュヴィル・スカイライン』でのツルツル声でのクルーナー的ボブ・ディランも、僕の推測ではおそらくデビュー時の最初からあったのだが、意図的にそれは隠していただけだと思うんだよね。そう考えないとこの声の豹変ぶりは説明しにくい。僕は白人クルーナー唱法も大好きなんだよね。
そしてアメリカの白人カントリー・ミュージックだって、黒人ブルーズほどでは全然ないけれど、そこそこ好きな僕で、それはロックのなかにそれら双方が不可分一体となって溶け込んでいるのに気付いてどんどん聴くようになって以後好きになったものだ。アメリカ保守層向けの音楽云々はどうでもいい。
聴いて美しかったり楽しかったりすれば、その音楽がたとえ保守的でも反逆的でもどっちでもいいんだ、そんなものは。1960年代末のこんなディランの路線からカントリー・ロックという用語が生まれ、彼と寄添っていたザ・バンドがデビューし、同時期に米英ロッカーが同種の傾向を示すようになった。
ビートルズが(結果的には未完成で未発売の)『ゲット・バック』セッションをレコーディングしたり、ローリング・ストーンズも『ベガーズ・バンケット』(これの便所ジャケに「ディランズ・ドリーム」の落書が見えるね)以後数年はやはり似たような米ルーツ・ミュージック路線だったりした。
あるいは同時期のエリック・クラプトンもデイヴ・メイスンもジョージ・ハリスンもその他も、み〜んなアメリカの様々なルール・ミュージック回帰路線のロックをやっていたじゃないか。どれを聴いてもある意味まあ「保守的」だ。時代や体制への反逆なんか全然聞取れないぞ。
そんな1960年代末頃から数年間のロック系音楽家のムーヴメントをリードしその方向性を指し示していたのが、67〜69年のボブ・ディランに他ならないと僕は考えている。(当時は未発売の)『地下室』セッション〜『ジョン・ウェズリー・ハーディング』、そして『ナッシュヴィル・スカイライン』だ。
ああいったあたりのディランとザ・バンドと、明らかにそれに触発された大勢のロック音楽家の創ったアルバム群には傑作が本当に多いんだけれど、ロックは「反体制音楽」でロッカーは「反逆児」だみたいな考えしか持っていない(もう絶滅したんじゃないかと思う)リスナーには永遠に理解できないものだろう。
なお、全面的カントリー・アルバムとされる『ナッシュヴィル・スカイライン』にも、じっくりよく聴くとブルーズに通じる黒人音楽要素が少しある。A面二曲目のインストルメンタル・ギター・ラグと五曲目の「ペギー・デイ」などはそれがはっきりしている。しかしそれを詳しく書いているとこりゃまた長くなってしまうので。
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