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2016/08/11

遙かなるバカラック

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自分でも歌ったりするけれど、何枚か聴いてみたそういうリーダー・アルバムは個人的にはイマイチなバート・バカラック。やはりこの人は歌を聴く人じゃなくて書いた作編曲を聴くべき人だよなあ。だから今でも少し持っているバカラックの自作自演アルバムはもう全く聴き返さなくなっている。

 

 

やはりソングライターだね、バカラックは。そして作編曲家としては20世紀アメリカ大衆音楽界が輩出した最高の一人かもしれないとまで僕は思っている。以前カーメン・マクレエ関係の記事で書いたように、僕がこのコンポーザーを知ったのは彼女がライヴで歌う「遙かなる影」でだった。

 

 

それで素晴しいメロディだなと痛く感動して(ハル・デイヴィッドの書いた歌詞はまあ普通のラヴ・ソングだから大したことないようにも思う)、それでバカラックの曲をたくさん聴きたいなと思ったんだけど、なにかまとまったバカラック・ソングブックみたいなものって、アナログ盤であったかなあ?

 

 

少なくとも僕はそういうレコードは見つけられなかったので、バカラックの曲であると知ったものが入っているレコードを散発的に何枚か買っていただけ。大学生当時に一番馴染のあった曲はB・J・トーマスの「雨にぬれても」。なぜならご存知の通り映画『明日に向って撃て!』の挿入歌だったからだ。

 

 

あの映画は1969年の作品だから僕は映画館での封切時には観ていない。大学生の頃に深夜のテレビの洋画番組で『明日に向って撃て!』が放映されたことがあって、そのなかで「雨にぬれても」が流れたのだった。B・J・トーマスなんて名前はもちろん知らない。確か主人公が自転車かなにかに乗っている場面だった。

 

 

その(確か男女カップルでデートするみたいに)自転車に乗って楽しそうに遊んでいる場面が印象的で、しかもその前後はハードな銀行強盗とか銃撃戦みたいなものが中心の映画(だったようなおぼろな記憶がある)なので、余計にそのシーンとBGMで流れる「雨にぬれても」が沁みたのだった。

 

 

大学生の頃は「遙かなる影」とか「雨にぬれても」とかその他の超有名曲を数曲知って愛聴していた程度だった僕。いろんな歌手の歌ったバカラック・ソングだけを集めたコンピレイション盤をホントどこか出してくれよと熱望していた僕にとって格好のアンソロジーがCD時代になってリリースされた。

 

 

それが『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』というCD三枚組。1998年にライノ(信頼度大!)がリリースしたもので、全75曲、バカラックの書いた代表作ばかり集めたもので、これぞ待ってました!と快哉を叫んだもの。嬉しかったなあ。これに代表曲はだいたい入っている。

 

 

『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』はマーティー・ロビンズの「ザ・ストーリー・オヴ・マイ・ライフ」ではじまる。歌詞はハル・デイヴッドが書いた1957年の曲で、バカラックの処女作らしい。これがヒットして一躍バカラック〜デイヴィッド・コンビの名が上がる。

 

 

ってことはバカラックとハル・デイヴィッドはキャリアの最初から組んでいたってことだなあ。この二人が出会ったのは例のブリル・ビルディングでのことだったらしい。アメリカ大衆音楽に興味のある方には説明不要の場所だけど、一応説明しておくと、ニューヨークにある一つのオフィス・ビル。

 

 

マンハッタンにあるそのブリル・ビルディングという建物には音楽事務所や音楽出版社やスタジオが入っていて、戦前から多くのソングライターがここで曲を創ってジャズメンが演奏しヒットを飛ばした。要するに当初は楽譜出版がメインだった19世紀から存在するティン・パン・アリーの現代版みたいなものかなあ。でもブリル・ビルディングが有名になるのは戦後のこと。

 

 

ロックンロールの最初の大流行がいったん落着いた1950年代末〜60円代前半に、同ビルの関係者が創る音楽が「ブリル・ビルディング・サウンド」と呼ばれ大流行して、最盛期の62年には165の音楽会社が入居し、出版・印刷・デモ作り・レコードの宣伝・ラジオのプロモーターとの契約が一ヶ所でできたらしい。

 

 

ブリル・ビルディング・サウンドについては日本では萩原健太さんがかなり詳しいはず。昔『レコード・コレクターズ』誌がこれについて特集を組んだことがあったなあ(健太さんがお書きだったかどうかは憶えていない)。バート・バカラック&ハル・デイヴィッドやキャロル・キング&ジェリー・ゴフィンなどは代表格。

 

 

そんなブリル・ビルディングでソングライター・キャリアを開始したバート・バカラック(とハル・デイヴィッド)。ペリー・コモが歌った二作目の「マジック・モーメンツ」も大ヒット。これも前述『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』の二曲目に入っているいい曲だ。

 

 

でも『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』を一回目に聴き進んでいた際、僕にとって最も馴染があるぞと思う曲が出てきたのは一枚目七曲目の「ベイビー・イッツ・ユー」だった。もちろんビートルズがデビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』で歌っていたからだ。

 

 

デビュー当時のビートルズにカヴァー曲がかなりあるのはみなさんご存知の通り。最も有名なのはやはりデビュー・アルバムのラストにある「ツイスト&シャウト」だなあ。でもこの曲の場合はビートルズ・ヴァージョンばかりが有名になったので、彼らのオリジナルだと思っていたファンも多いらしい。

 

 

「ツイスト&シャウト」がビートルズのオリジナルじゃないと知っているファンだって、その八割はアイズレー・ブラザーズの曲だと思っているんじゃないかなあ。これは1961年トップ・ノーツがオリジナルの曲。けれどもビートルズもアイズレー・ヴァージョンを下敷にしているんだけどね。

 

 

その他モータウンなど主にアメリカ黒人音楽のカヴァーが多い初期ビートルズがやった「ベイビー・イッツ・ユー」。これのオリジナルはシレルズというガール・グループが歌ったもので、それも結構ヒットしたらしいが僕はあまりよく知らない。これを書いたのがバカラックだなんてのはちっとも知らなかった。

 

 

シレルズのオリジナル「ベイビー・イッツ・ユー」は『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』で初めて聴いたはず。聴いてみたらビートルズ・ヴァージョンは完全にそのまんま丸コピーなのだった。彼らはこういうアメリカの一流ヒット・メイカーの曲創りに学んで、それでソング・ライティングが上手くなったのだろうか?

 

 

シレルズというガール・グループも黒人たちだけど、彼女らもその他大勢の黒人歌手たちも歌った曲を書いたのは多くの場合バカラックなど白人職業作曲家だったという事実を、特に熱心な黒人音楽ファンで白人嫌いの日本人リスナーにはちょっと真剣に考えてみてほしい。白人に対して逆人種偏見があったりするようだけど。

 

 

その気持は僕もすご〜くよく分るんだよね。昔は僕も完全に同じだったからだ。ジャズを知りブルーズを知り、やっているのが黒人だと知った時、こんなにも素晴しい音楽を創り出す人達を社会で虐げるアメリカ白人に対し、ケシカランというかなんだか攻撃的な気持が芽生えてくるよね。そして自分をむやみに黒人に重ね合せる(笑)。みんな同じじゃないかなあ、最初は。

 

 

しかもアメリカ大衆音楽では多くの場合黒人がオリジネイターで新しい音楽を産み出すものの、それをかすめとって白人向けに分りやすく色を薄めてポップにした白人音楽が大ヒットしてメインストリームを形成してきたというのも一面の真実ではあるんだろうから、一層白人に対する逆人種偏見を持つことになるよね。

 

 

でも黒人音楽でも白人音楽でもアメリカを知れば知るほど、そんな<黒人対白人>みたいな二項対立というか二層構造みたいな単純な図式では割切れず理解もできない部分がかなりあることに気が付いてくる。僕もそこそこ黒人音楽好きだけど、それをより深く理解するには白人や白人音楽を敵視していたらダメだ。

 

 

バート・バカラックもまた黒人歌手が歌う曲をたくさん創った。シレルズの話はしたけれど、『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』に一番多く入っている歌手は誰あろう黒人ディオンヌ・ワーウィックだ。なんと15曲も入っている。バカラック・シンガーみたいな人だなあ。

 

 

まあディオンヌの場合は書いたように<バカラックを歌う歌手>として有名なわけだし、それに彼女は黒人にしてはアクが強くなくディープでもない軽くてソフトでポップな持味のシンガーだから、白人音楽/黒人音楽という区別をしすぎるなという先の話からは少し外れる存在かもしれないけどね。

 

 

ディオンヌが歌ってヒットしたバカラックの曲で一番早いのはおそらく1964年の「ウォーク・オン・バイ」だ。『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』にも当然のように二枚目一曲目に入っている。しかしこのアンソロジーにはその前に62年の「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」が入っている。

 

 

一枚目16曲目にある「ドント・メイク・ミー・オーヴァー」もなかなかいいんだよね。もちろんその後の「ウォーク・オン・バイ」とか、やはりディオンヌが歌った「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」みたいな輝きはまだ見出しにくいけれど、それら二曲で聴ける彼女の魅力の萌芽は既にある。

 

 

ところで「ウォーク・オン・バイ」でも、あるいはディオンヌの歌った他のバララック・ソングでも、他の歌手が歌った多くの曲でもそうなんだけど、バカラックのアレンジってブラス(トランペット、トロンボーンなど金管楽器)群の使い方にちょっと特徴があるような気がする。柔らかめのブラス・サウンドをスタッカート気味で入れるというあれ。

 

 

『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』三枚を通して聴いていると、どの曲がそうだなんて指摘するのが面倒くさいほどか多くの曲でそういうブラス・アレンジが聴ける。金管群をソフトな音色でスタッカート気味のフレーズで入れる、これが僕にとってのバカラック・アレンジだ。

 

 

今までも何度か散発的に書いているように、バカラックの書いた曲で僕が一番好きなのがダスティ・スプリングフィールドが歌った1967年の「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」。『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』にも当然、三枚目一曲目に収録されている湿度の高い官能的ナンバー。

 

 

でもバカラックの書いた曲を『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』三枚組でじっくり辿ると、「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」みたいな湿った官能ソングは例外なんだなあ。この三枚組には他に一つもない。そしてこの曲でも歌が終ってサックス・ソロも終った終盤でやはり前述のような感じのブラス群が鳴っている。

 

 

一番好きなバカラック・ナンバーなのに例外であると思う「ザ・ルック・オヴ・ラヴ」みたいな官能的な曲(しかし三枚組アンソロジーのタイトルになっているんだから代表曲なんだろう)。実はもっと官能的だろうと思うのがもう一つあって、それがエルヴィス・コステロと組んでやった1998年の『ペインティッド・フロム・メモリ』一曲目の「イン・ザ・ダーケスト・プレイス」。

 

 

でもそれは『ザ・ルック・オヴ・ラヴ:ザ・バート・バカラック・コレクション』には入っていないのが残念。『ペインティッド・フロム・メモリ』は1998年リリースのアルバムだから、同年の三枚組アンソロジーには間に合わなかったんだなあ。

 

 

その代りと言うんじゃないがこの三枚組ボックスのラストに、『ペインティッド・フロム・メモリ』ラストにある「ガッド・ギヴ・ミー・ストレングス」が入っている。これはアルバムに先行して1996年に発表されたものだから間に合ったのだ。これでいいや。

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